ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

はや葉月Ⅲ

2011-08-03 10:52:41 | Weblog
 画は小早川秋聲(しゅうせい)

 1885(明治18年)~1974(昭和49年)    

 日本画家、従軍画家。        作

 「軍神」です。


☆曇り。

八月は旧盆で、先の大戦の慰霊の月でもあるわけです。

録画して昨日キャプチュアした画像ですが、初見です。

有名なのはこれ、



「國之楯」です。

◆http://www.nhk.or.jp/bs/gokujou/
◎極上美の饗宴「闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯” 」
チャンネル:BSプレミアム
放送日: 2011年8月1日(月)

番組内容
昭和19年、軍から受け取りを拒否され返却された“戦争画”がある。
小早川秋聲(しゅうせい)の「國之楯 くにのたて」。
今回発見された下絵や赤外線調査を通して、画家の思いを探る。

詳細
戦前、数多くの“戦争画”が描かれた。小早川秋聲(しゅうせい)の「國之楯」もその一つだ。
闇の中に一人、兵士の遺体が浮かんでいるような不思議な日本画。
昭和18年、小早川は、従軍画家としてタイ、ビルマの戦線に向かい、帰国後の翌年に完成させた。
だが、陸軍から受け取りを拒否され、返却される。
小早川はその後、2度にわたって改作した。画家は、どのような思いで描いたのか? 
発見された下絵や赤外線調査などから探る。


とあるわけで、総合で再放送あると思うのでご覧あれ。

陸軍から受け取りを拒否され、返却されたのが、「軍神」、

これを2度にわたって改作したのが「國之楯」。

手前が初見なのは当然で、今回の赤外線調査から画像処理したものですから。

どちらがよいのか、 如何思われますか?


手前は断然、当初の「軍神」だとおもいますよ。

この作家、何故改作したのだろうか? むしろそれがわからない。

新たに同一主題で描いて「國之楯」とした、ならわかるのですが。


◆http://www.muse.dti.ne.jp/hhtmk/kobayakawa.htm  によれば、

作品名:國之盾

制作年:1944年

製作技法:紙本、151×208

所蔵場所:日南町立美術館蔵

この作品は、陸軍省より天覧のため依頼されたものであったが、受け取りを拒否されたという話が残っている。
作品を見に来た第16師団の師団長と部下が、この作品を見て、直立不動で敬礼したという話も残っている。
秋声の死後、遺族により京都霊山護国神社に奉納された。


とあるが、拒否されたのは「軍神」のようです。

絵は最初の着想が大事なので、それはそれで始末をつけるべきかと思うのですよ。

下手くそな手前も描きかけ2枚停止中ですが、間をおくとあまり良くはないように思います。

まぁ、長期の熟成を経て完成という作品もありますけど。

この「國之盾」も戦後の改作のようですから、最初の着想からかなり変化しておる。

時代の風を受けるわけです。

番組の中のコメントは「反戦」の香りづけで、よろしからず。  絵は絵そのものですから。


小早川秋聲、もう一枚、



「戦友を弔う」です。


さて、これが深刻な話なのだが、

◆http://yokodo999.blog104.fc2.com/
陽光堂主人の読書日記  2011-08-02
核燃料はメルトアウトしている

福島原発事故の謎が深まっています。
東京電力は、事故後2ヶ月経って1~3号機がメルトダウンしていることを認め、
併せて燃料棒が溶けて圧力容器を突き抜け、格納容器に漏れ出す「メルトスルー」の可能性も示唆しました。
となれば、格納容器の中の放射線濃度はかなり高いものになっているはずです。
(格納容器内に溶け落ちた核燃料が溜まっているわけですから)

ところが案に相違して、格納容器内の放射性物質がかなり少ないことが判明しました。
7月30日付の産経ニュースでは、こう報じられています。

(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110730/dst11073013040013-n1.htm)

格納容器内の濃度「想定の1000分の1」 福島第1原発1号機測定

東京電力は30日、福島第1原発1号機の原子炉格納容器内の気体を調査した結果、
1立方センチ当たり約37ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。
東電が当初最低ラインとして想定していた1000分の1程度の低い値だった。
格納容器内の放射性物質の濃度を測定したのは、1~3号機を通じて今回が初めて。ただし、
あまりに値が低いため、東電は「この値をもって何かを評価するのは難しい」としている。

調査は29日に実施。格納容器内の気体約25立方センチを取り出して測定した。
当初は測定器の検出最低値を4万ベクレルに設定して調べたが検出できず、
設定値を下げて再検査したところ、予想よりも大幅に低い値が検出された。
原子炉建屋内の濃度と比べると約1000倍という。

東電によると、

(1)核燃料がある圧力容器から漏れだしている放射性物質が減っている
(2)セシウムは水溶性のため、汚染水となっている
(3)水素爆発防止のために注入している窒素により外に押し出されている- などが考えられるという。

8月には2号機の格納容器内の調査を予定。1号機についても今後、再び時間をおいて調査するという。



セシウムが37ベクレルというと、少ないように感じますが、これは「1立方センチ当たり」の数値です。
原子炉建屋外の大気中の濃度と比較すれば、格段に高い数値です。
建屋内の濃度と比べても1000倍ですから、とても近づけるレベルではありません。


しかし、メルトスルーしていれば4万ベクレルはあると予想されていたわけですから、
格納容器に核燃料がなかった(余り残っていなかった)ことなります。常識的に考えれば、
格納容器を通り越して、建屋外に漏れ出す「メルトアウト」の状態になっていると推測されます。

ところが、リチャード・コシミズ氏は、これを最初から燃料棒が存在しなかった証拠だとしています。
確かに、燃料棒が入れられていなければ、放射線濃度は著しく低くなります。
可能性はゼロではありませんが、相当無理のある解釈です。
現に放射能汚染は東北・関東を中心に全国的に広まっていますし、
東電のデータを見ても、震災前に1~3号機が運転中であったことは間違いありません。


コシミズ氏は、東電が大掛りな情報操作・隠蔽を行っていることの証拠の提示と、放射能汚染の由来を説明する必要があります。
しかし、氏は単なる想像でものを言っているに過ぎません。放射能汚染が生じたのは原発内で小型核が使われたためと述べていますが、
そんなことをしたら甚大な放射能被害が起きて、日本はおろか近隣諸国も人が住めなくなります。
(原発建屋内のプールには、数多くの燃料棒が貯蔵されています) 

メルトアウトした放射性物質は地下水などを通って海へ流れ出ていると思われますが、確かめられているわけではありません。
だから色々な解釈が生まれるのです。そして又、新たな情報がもたらされました。
本日付の東京新聞には、次の記事が掲載されています。

(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011080202000090.html)

福島第一 毎時1万ミリシーベルト超 検出

東京電力は一日、福島第一原発で、毎時一万ミリシーベルトの放射線を発する地点が見つかったと発表した。
検出されたのは、1、2号機の原子炉建屋の間にある主排気筒につながる非常用の配管の表面で、
これまでに同原発内で検出された中で最高の線量。七〇〇〇ミリシーベルトを全身に浴びると100%死亡する。
東電は、事故発生直後の三月十二日に行った1号機の格納容器から排気(ベント)した際、放射性物質が付着した可能性が高いとみている。

東電は七月三十一日に排気筒周りのがれきの撤去を終え、放射線量がどれほど下がったかを確認するため、
1、2号機の間にある配管の根元をガンマカメラと呼ばれる特殊なカメラで撮影。

高い線量が確認されたため、東電の社員三人が一日午後二時半、現場から三メートルほど離れた場所から、
棒の先に線量計を取り付けて測った。

この線量計の測定上限は一万ミリシーベルトで、振り切れたため正確な数値は分からない。
放射線量が一万ミリシーベルトを超えている可能性もある。作業員の被ばくは最高で四ミリシーベルトだった。

東電は現場を鉄板で囲い、目印を置き立ち入り禁止にした。現時点で、排気筒からの放射性物質の漏れは確認されていないという。

現場付近では、収束作業は予定されておらず、
1号機を覆うカバーの設置も遠隔操作のクレーンで行うため、工程表への影響はないとみている。

福島第一原発内では、これまでに検出された放射線量の最大値は毎時四〇〇〇ミリシーベルト。
六月四日に1号機原子炉建屋一階の南東部で検出されていた。


揮発し内側付着か

京都大原子炉実験所の山本俊弘准教授(原子炉物理)の話 
揮発したセシウムなどの放射性物質が水蒸気などと一緒に排気筒を通るとき、
筒に触れて冷やされると固体に戻り、内側にくっついたことが考えられる。
その後の雨や水蒸気などで、筒内に付着していた放射性物質が流れ落ち、排気筒の根元にたまっている可能性があるのではないか。

何と、1、2号機の原子炉建屋の間にある主排気筒につながる非常用の配管の表面で、
1万ミリシーベルト以上(線量計が振り切れたためにそれ以上は測定不能)もの放射線が測定されたというのです。

この人間を軽く死に至らせる大量の放射線は、排気筒の中から発せられていると考えられます。
(山本俊弘准教授もそう述べています) 
排気筒の中にある放射性物質が、原子炉建屋内部から来たものであることは間違いなく、メルトダウンは実際に起きていたわけです。

燃料棒が溶けてその多くが外部へ放出されたと考えられますが、これは大変なことです。
1~3号機からは、現在も1時間当たり最大でおよそ10億ベクレルの放射性物質が大気中に放出されていると見られていますが、
これは当初の放出量と比べると、格段に少なくなっています。
深刻なのは海へ流れ出ている膨大な量の汚染水の方で、海産物は汚染され、海水に含まれる放射性物質は蒸発して雨と共に降り注ぐことになります。

専門家とそれに便乗した悪質な扇動家に乗せられてしまうと、取り返しのつかないことになってしまいます。
いつの世でも生き抜いてゆくのは大変ですが、今ほど正しい情報に基づいた的確な判断力が求められる時はありません。



いい目付だと思う。

手前もリチャード・コシミズ説のうち、「最初から燃料棒が存在しなかった」、「小型核が使われた」は不同意。

以前にも書いておりますが「アメ公がそこまで周到か? 911見れば杜撰そのもの」ですから。


いろいろ手はある、と思うのだ、

◆http://quasimoto.exblog.jp/14467968
Kazumoto Iguchi's blog  2011年 03月 21日
「プロジェクト・オーロラ」:ミニ地球による遮蔽、「ミニ地球作戦」

ご参照あれ!

ダメもと、でいいのではないのか?  ご本人も、

『というわけで、私は以下のように原発の周りにこんなタンクをたくさん張り巡らせることを提案したい。
実際にうまくいくか、実際に効果があるかはやってみないと分からないが、
何もしないで時間を潰すよりはずっとましだろうと思う。うまく行くことを祈るのみ。
「ミニ地球作戦」を決行して欲しいものですナ。きっとうまく行くだろう。』

こう話しておるわけだ。



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