原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

飲食店は顧客の「席」案内を甘く見てはならない

2014年07月25日 | 時事論評
 最近私が昼食や夕食等でよく利用する自宅近くのレストランがある。

 それは、全国何処にでもあるいわゆるファミリー向けチェーン展開レストランなのであるが、何故その店舗が原左都子のお気に入りなのかと言うと、私にとって外食するに当たり絶対外せない“ある条件”が必ずや満たされる故である。

 その“外せない条件”とは案内される座席である。  これには執拗なまでのこだわりがある私だ。

 当該レストランを仮に「Jレストラン」と表現して、話を進めよう。

 まず、「Jレストラン」は全国チェーン展開レストランの例外ではなく、個々の座席自体が広いのに加えて店内すべての座席をゆったりと配置している。
 しかも実際に座席に着席して気付くのだが、顧客が座って視野内に入る隣接した座席間との距離間隔において少しずつ位置をずらす事により、出来るだけ他の顧客との視覚的聴覚的距離を置くべく座席配置を工夫していると私は感じるのだ。

 しかももっと評価できるのは、必ずや店員氏が案内した座席を顧客が着席した後に「このお席でよろしいでしょうか?」と尋ねてくれる点だ。 これを未だ座っていない状態で尋ねられても意味がない。 一旦座席に着席した後でなければ気付かぬ隣席の鬱陶しさが必ず存在するものだ。
 ところが他のほとんどの飲食店の過ちとは、顧客が未だ着席していない状態でこれを尋ねる事にある。 今少し顧客の心理を尊重してくれるならば、一旦座った後にこれを確認して欲しいものだ。  

 このレストランの座席対応が気に入って以来もう何度も訪れているのだが、隣席の顧客の鬱陶しさに厳しい原左都子にして、未だかつて心地よく食事が出来る事に感謝申し上げている。


 2年程前の事だっただろうか。
 東京メトロ副都心線が開通した後、渋谷駅にヒカリエなる巨大ビルが完成した直後の話だ。
 大学生の娘と渋谷まで(おそらく文化村までクラシックバレエ公演を観に行った帰りに)、せっかくだからヒカリエで食事をして帰ろうとそのビルの飲食街を訪れた。
 イタリアン好きな娘が「このお店がいい」と言うのでそこに入店したところ、娘世代の若者達でごった返している。
 その直後、店員氏に案内された席の劣悪さに私は仰天した!  隣席とはほぼ同席状態の間近さ。 これがもし格安で美味しい料理を振る舞っている店舗ならばまだしも許せるが、(場所代もあろうが)いっぱしの料金設定だ。  要するに、単に一時の若者渋谷志向を利用して“ぼったくろう”との店舗の意図感が否めない。  「申し訳ありませんが、ここでは我々は食事は出来ませんので帰らせて頂きます。」なる私の訴えは、若き女子店員氏にとって初めての経験だっただろうか。 困惑した若者の表情を今も覚えている…。 
 それでも一応娘からのヒカリエで食事をしたいとの意向に従って、比較的空いている別レストランを訪れた。 ところがここも隣席が同席状態の近さ…。 隣席の客が案内された後は、娘の声よりも隣の声の方が大きい座席でよくぞまあ、若者達は食事をしたいと思うものだとの不可思議感の下、そそくさと店舗を去った。  その食事代金の高額ぶりに驚かされつつ、その後娘もヒカリエへ行きたいとの希望がまったく消え失せたようだ…


 ただ「居酒屋」に限って考察するならば、若かりし頃より現在に至って尚頻繁に「居酒屋」を愛好している飲兵衛の私である。
 「居酒屋」が混雑している状況下では店舗全体が飲兵衛どもによる轟音の渦中と陥るため、相対的に周囲の様子が気にならないものだ。  
 私同様、飲兵衛の皆さんにとっても同じ思いであるからこそ、「居酒屋」とは時代を超越し形態を変貌しつつ長きに渡り発展を遂げているものとも考察可能だ。

 
 それにしても、飲食店開業を志向する業者及び個人営業者の目的や意志の方向は千差万別であろう。
 料理人であるご主人の得意な分野の料理を振る舞いたい。 あるいは、親の店を継ぎたい。 はたまた企業の立場としてテナントに飲食店を出店したい、等々、飲食店が開業する目的とは多種多様であることには間違いない。

 それでも私は、種々雑多な顧客をターゲットとしている各種飲食店に於いて、おそらく今の時代は顧客の“席案内”こそが店舗の存続に於ける「命とり」ともなる危険性を孕んでいるとの私論を展開したい思いだ。

 さすがに最近は、飲食店側の業務上の都合で強引に「こちらのお席にどうぞ!」と身勝手に案内する店舗は減った気がする。 何処の店舗でも、一応「こちらのお席でよろしいですか?」なる声掛けが聞けることを前進と受け止めたい。


 せっかくの腕の良い料理人氏が作ったご馳走を、混雑した座席で人の喧騒に邪魔されつつ胃を傷めつつ食するよりも、顧客である自分が好む良い席でゆったりと頂きたいものだ。

 えっ? それにはお前こそがもっと金を払えって?! 
 う~~~ん、そうではなくて、たとえ庶民が身近に通えるレストランだって、ちょっとした座席の工夫次第で心地よい食事タイムが堪能できるよ!と言いたかったのが、今回の「原左都子エッセイ集」の趣旨なんだけど…。
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