原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「女子は浪人ダメ」と愚かな親どもから言われたとて…

2024年05月07日 | 仕事・就職
 この原左都子など、18歳の大学受験時に。
 「浪人ダメ!」どころか。
 「私立ダメ!」「地元国立限定!!」との厳しい“縛り”を課せられたものだ…


 今回のエッセイテーマは、2024.05.05付朝日新聞一面記事「『女の子なんだから』浪人許されず」より引用した。

 少しだけ、その内容を以下に紹介しよう。

 西日本に住む20代の女性会社員は、10年近く前に挑んだ大学受験にわだかまりを抱く。  母からは「一人暮らしはダメ」等と言われ続けた。
 第一志望は県外の関西難関私立だったが、不合格。 「もう1年やりたい」と親に嘆願したが、母から「女の子は若い時間を無駄にしちゃダメ。」「女性は誰かが養ってくれるから大丈夫」と拒まれた。 父からも、女性教諭からも同様の言葉を掛けられ、女性は浪人を諦め併願校に進んだ。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 この私の親どもなど、上記関西の女性の親たちとはそもそもまるで考え方が異なった。
 両親共々共稼ぎ家庭であったことも大きいのだろうが。
 とにかく、「学校出たら働け、女でも一人で食って生きろ」。 極端に言うとその種の考え方の人種たちだった。  加えて、必ずや「大学」に進学する必要も無い、との思想の持ち主だった。
 それ故に、私が大学進学希望であることを告げた時も、親からは「もしもそれを落ちた場合に公務員になれるように、地元市役所の公務員試験を受けるように。」とまでも指示され。 高3の秋に私はそれを強制的に実行させられた!!
 今だから正直に話すが、私はこの「公務員試験」に(どうやら学科試験が優秀な成績で)受かってしまいそうになったようだ…  そこで、私は打って出た!! 最終面接時に試験官に向かって、「私は大学進学を希望していますので、もしも合格通知が届いても公務員にはなりませんのでよろしくお願いします!」   最終結果を語ると、役所から届いた知らせには「補欠合格」の文字があった…  (我が親が公務員だった関係で、役所内部で既にこの件に関してどうやら親と役所の試験担当とが合格通知を届ける前に話し合ったようだ。 役所としては苦肉の策で「補欠合格」通知を届けたのであろう… 今現在の役所の実態は露知らないが、あの当時のド田舎のお役所仕事とはそんなもんだろうと振り返る…)


 余談が長過ぎたが、私の場合は比較的ラッキーな結果となったと言えるだろう。
 地元国立大学医学部から合格通知が届き、そこに進学してみっちりと学業・実習の修行をさせてもらい、医学関係の国家試験合格をゲットした挙句には。
 自らの希望で上京して、医学関係者としての人生を歩むことと相成った。
 この我が上京に際しても、親どもから「地元に残れ‼」なる切なる嘆願があったが。 そんな反対をものともせず、上京に向けて突っ走る次女である娘の強さを見た両親は、最終的には折れてくれた。



 40数年前の我が上京時には。
 父親が自分の車(軽トラを所有していたが)に我が荷物を積み込み海路フェリーにて東京を目指し、 次女である娘(私の事だが)の東京での新生活の大いなる補助をしてくれたものだ。
 あの時、(既に亡き)父と2人で過ごした我が都内のアパートの一室での束の間の思い出を私は一生忘れることは無い。 (本エッセイ集初期頃のバックナンバーにて、その様子を公開しています。)
 

 なんだかんだ言いながら、次女である私の “若き自発的出発” を応援してくれた両親であった事実を思い返しつつ、このエッセイを綴らせていただきました。