原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日本国民の疲労が極限状態…

2012年04月30日 | 時事論評
 連休初日に飛び込んできた群馬県藤岡市の関越自動車道高速バスツアー事故のニュースには、国民皆が震撼させられたことであろう。

 乗客7人が死亡し運転手も含め39人が重軽傷を負った29日未明の上記事故においては、長距離長旅ツアーであるにもかかわらずバスに運転交代要員は同乗しておらず、一人の運転手に到着までのツアー全行程の運転を任せていたとのことだ。
 「居眠りしていた」と運転手が供述している通り、ブレーキをかけた跡形は無く時速92kmの猛スピードで高速壁に激突し大惨事となったとの報道だ。

 連休前には、集団登校中の児童達に車が飛び込む事故が連日繰り返され、尊い幼い命が犠牲になったばかりである。
 その加害者である車の運転手達も、皆口をそろえて「ボーッとしていた」、あるいは「考え事をしていた」等々運転手にあるまじき心身状態で車を運転しカーブを曲がり切れず登校中の集団に突進してしまったようだ。

 
 近年発生する交通事故大惨事の共通項として、運転手の極度の疲労状態や各種疾患治療薬剤の副作用がその背景要因として挙げられるのが特徴ではなかろうか?
 例えば昨年4月に栃木県鹿沼市で発生した、クレーン車が集団登校の列に突っ込み6名の児童の死者を出した事故においては、運転手がてんかん薬の副作用により睡魔に襲われていたとの事後分析だったと記憶している。
 もちろん、そうであったとしても当然ながら運転手の過失責任は問われよう。

 それにしても、運転手が極度の疲労に襲われたり、副作用がある事を理解していながら持病の治療薬に頼ってでも運転を続ける背景には、自身の心身極限状態を承知の上で、経済不況に伴う過酷労働付加の重圧に耐えねばならない事情があるのも大きいのではなかろうか。

 今回の藤岡市関越道バスツアー事故に関しては、今後バス会社は元よりツアーを手配した旅行代理店にも取調べが及ぶことであろう。
 運転手のみならず、その管理責任者、そしてツアー会社のツアー企画のあり方等々に至るまでその責任が追求されることとなろう。
 ただそれをクリアした段階で事故処理及び責任追及が終結してしまっては、今後も交通大惨事が繰り返されることは想像がつく。 ここはもっと根本部分まで掘り下げて、労働者管理のあり方、適正な労働時間の指導等々、行政が積極的に指導を強化するべきである。 
 交通事故に限らず、建設中のクレーン車や足場が倒れ通行人が犠牲になる事故も後を絶たないが、すべての事故に於いて労働者に対する過酷労働付加の要因があることは否めない現状と捉える。


 話が大きく変わるが、実は原左都子も現在疲労困憊状態なのだ…
 3月から4月末の現在にかけて我が子の卒業進学に伴う環境の大きな転換を筆頭に、各種ビックイベントへの出席や親しい知人の突然死等々、非日常的出来事(本エッセイ集に於いては決して公開したくないプライベート上の事件も含めて)が我が身に怒涛のごとく押し寄せた。
 何分弱音を吐きたくない我が性格である。 その環境の流れに心身がついて行っている振りを強気でしているつもりでいて、実はそうではないことも頭の片隅で理解できていた。

 そのギャップ感の下、ついに昨夜体が拒絶反応を起こしてしまった。
 私の場合ストレスが胃や腸の消化器系を直撃するタイプで、過去においても「十二指腸潰瘍」や「胃潰瘍」を何度か患っている。 さほどの重症ではないし回復力も強靭なためいつもは時間の経過と共に自然治癒に向かうのであるが、今回は3月よりずっとこの不具合が長引いていた。
 その挙句、昨日夜中に「胃けいれん」症状が突然起こってしまったのだ。 これも何度か経験があるが、これこそが私にとっては(これ以上ストレスを我が身に付加し続ける無理を繰り返すととんでもないことになるぞ!)との体内よりのサインである。  キュイ~ン、キュイ~ンと波打つように繰り返す激痛に布団の中で朝まで耐えつつ、娘の“お抱え家庭教師”稼業が今後まだまだ続行する我が身を思い、知人突然死の後を追ってはいられないなあ、娘のために生き延びねば… などとの思いが脳裏を巡ると キュイ~ン の胃激痛が強まるばかりだ。
 何とか朝まで持ちこたえた後は、本日(休日にもかかわらず)大学の授業がある娘を送り出してやらねばならない。 まだ胃に キュイ~ン の痛みが襲う事は娘には内緒で元気なふりをして、娘の本日の大学のスケジュールと提出課題の確認をする。 そしていつも通りファッションチェックをして「今日も可愛いね!」とニコニコと娘を送り出した後、3度程トイレに駆け込んだ私である。(夜中に「胃けいれん」発作が起こった後は、胃と連携している腸にもダメージを及ぼし激しい下痢状態に襲われるのが常である…)

 原左都子の「胃けいれん」発作の記述が長引いてしまい恐縮だが、現時点においては比較的安静状態であるからこそ現在このようにエッセイを綴る事が可能だ。
 ただし、どうも私の場合この発作は真夜中に来るのが今までの特徴である。 おそらく後2、3晩は夜中にこの キュイ~ン 激痛に耐えねばならないのかもしれない… 


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 人間とは心身共に健康状態が整っていてこそ、平和で健全な日常を営めるものである。
 私の場合は単に個人的な事情で現在ストレスを溜め込んでいるだけの話だが、社会的な立場で世に貴重な労働力を提供している人達が、極限のストレスを溜め込んでいる事態を決して放置してはならないであろう。

 人が疲れ果てると正常な思考が不能となるものだ。
 それはいわれなき「いじめ」に遭った時と同様の感覚とも想像する。 労働者に対する過酷なまでの労働付加とはまさに「いじめ」でしかない。 たとえ本人より生計を立てるために長時間働いて“奉公”したいの嘆願があったとしても、それに管理者は甘んじてはならないはずだ。
 
 それ以前の問題として行政機関は今後交通事故よる大惨事を繰り返さないためにも、運転を主たる業としている労働者達が人並みに生きていける権利の確保を急いで欲しいものである。

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ゴールデンウィーク、何をして過ごしますか?

2012年04月28日 | 時事論評
 世は本日(28日)よりゴールデンウィークに突入したようだ。
 テレビの昼のニュース報道を見聞していてそれに気付かされた。

 長期連休が取得可能な人の場合、5月6日までの9連休を堪能できるのであろうか?
 原左都子にもそういう時代はあったなあ。  年末年始や夏季、そしてゴールデンウィークには比較的長期間の連休を取得しやすい職場に所属していた関係もあって、私もそれに準じていた。
 一体その長期連休に何をして過ごしたかについては、今となってはさほど憶えていない。 年に1度は連休を利用して郷里に帰省したのは確かだが、基本的に人混みを嫌う私である。 何も好き好んで交通網が大混雑のこの時期に国内旅行を企てたり、行楽地に出かけるということは出来得る限り避けて通った部類だ。


 本日の朝日新聞別刷「be」“between”のテーマはさすがこの時期にふさわしく 「GW、出かける予定ありますか?」 だった。
 それによると、出かける予定が「ある」派が27%、「決まっていない」派が30%、「ない」派が43%とのことだ。

 上記「ある」派の回答内容のトップに上がっているのが“日帰りレジャー”とのことである。 その日帰りレジャーの内容の詳細とは“映画、美術館、コンサートなど”と記されているのだが、そうだとすると自身は断然「ない」派だと分析していた原左都子も、ここでは「ある」派に分類されることとなりそうだ。
 ただ私の場合は、たまたま5月5日に娘と共に観賞したいクラシックバレエ公演があっただけの話だ。 決してGW中に出かける予定として予約したものではなく、あくまでもそのバレエ公演が劇場公開される日程のうち5月5日が我々親子にとって一番都合がよかったという事だ。

 次に、上記「ない」派の理由のトップを紹介すると、やはり「どこも混んでいる」とのことだ。 重々ガッテンである。

 ところが、原左都子として大いに異議申し立てをしたいのは「ない」派の2位に位置付けられている回答内容である。 
 「リタイヤしていていつでも出かけられる」 ……
 この回答はおそらく定年退職後多額の年金を手にしておられるお年寄り連中から寄せられたものであろうが、これらのお年寄り達は現役をリタイアした後それ程裕福な暮らしを全うされているのであろうか?? 
 いやいや確かに公務員を定年退職した我が実母も、ド田舎の過疎地での独り身ではあるものの金銭的には比較的恵まれていると言える暮らしをしている様子だ。 そんな実態を我が身近に認識しているが故に、突きたくもなるのが定年退職した後多額の“旧年金制度”に与ってのんのんと生きているお年寄り達の実態である。
 年配者を労わるのが後進者の役割である事とて重々認識している私だが、それにしても、大手新聞社のアンケートに応えて曰く 「リタイアしていつでも出かけられる」 との回答とは如何なものか!?   現代の激動大混乱の渦中生きざるを得ない若き世代の困難を鑑みて、少しは発言を自粛して欲しいものでもある。
 現在の朝日新聞の主たる購読層とは多額の年金に安穏と暮らしている年寄り輩が多数であることも想像可能であるが、今後ますます混沌とする時代を生き抜かねばならない若き世代が、その能力努力とは裏腹に四苦八苦しつつこの世を綱渡りしている現状も理解して欲しい…。

 話題が大幅に変わり原左都子の見解も大いに飛躍してしまったが、余談ではあるが、お年寄りがこの世に安穏と暮らすことをそのポリシーの基底に於いて認める国政の政策と同一思想下において、民主党の小沢氏に「無罪」判決が下されたのではないかとも考察するのである……
 
 原左都子が以上のごとくの考察に陥ってしまうのも、今後我が身自体が老後に向けて突進しつつある現状に於いて、年金は減額、消費税は増額等々実に厳しい現実を現政権から突きつけられる現状を認識し、怯えているからに他ならない。


 話をGWに戻して、朝日新聞上記記事によると今の時代の現実とは「おこもり」系と化している様子だ。
 おそらく若い世代の記者が記したと想像できる、その記事の内容を以下に要約して紹介しよう。
 GWは色々な意味で試練の場だ。 もちろん何はともあれ休日はありがたい。 現在「おこもり」などという言葉があるように、最近は自宅でのんびり派も増えているのだろう。 そんな中、お出かけのトップも「日帰りレジャー」だった。 一方「出かける予定がない」と答えた人は4割を超えた。 ハッピーマンデーの導入などで一般的にも休暇の取り方は変わって来ている。 今やお盆を避けて夏休みをとる人は珍しくないし、旅行はGW期など特定期間をはずせば格安ツアーが充実している。 「分散して休めるならGWは不要」と回答した人が4分の1近くいたのも不思議ではない。

 そうは認識しつつも、この欄の執筆を任されたであろう若き朝日新聞記者は以下のごとくにこの記事を締めくくっておられる。
 だが、それでも記者はGWと聞くと胸騒ぎがする守旧派だ。 で、今年こそは家族旅行の実施を等々と思っている訳だが、この原稿を書いている時点でまだ何も決めていない。これってGWの問題ではなく学習能力の欠如?
 
 この朝日新聞コラムの最後の欄に、「見直す時期が来た」 と題する民間経営研究所部長のコメントが掲載されていた。
 「みんなで働きみんなで休む」。 GWとはそんな企業文化の象徴のような存在だったが、有休休暇の取得率は依然5割程度である。 休暇の重要性は以前にも増している。 皆がきっちり自由に休める社会になった方が個人的にも社会的にもメリットが多いはずです」 日本に於いては、GW等の長期休暇が取得可能状態が存在し続ける点で、逆に国民の意識改革が進まないデメリットが大きくなっているという。
 (以上、朝日新聞4月28日付「be」“between”より要約引用)


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。

 まったくもって、窮屈な我が国である。
 GWをはじめ年末年始や夏季休暇中等、多くの国民ががまとまって休みを取れる時期に皆が“一斉”にレジャーを楽しまねばならない事を、いつ誰がこの国民に指導したのであろうか?

 国民皆が自分が欲する時期に自由に休みがとれて当たり前であろうに…。
 我が日本に於いては60年代の高度経済成長期にこそ、国民の真の自由化に向けての教育が可能だったと私は捉える。 その貴重な時期に我が国の教育制度は旧態依然として「集団主義」を唱え続けてきた。 これこそが今の世に続く大いなる失策であったと私は模索する。
 おそらく上記朝日新聞記者もそのマイナスの影響を大いに受けておられるのだろう。 報道機関大手の記者たる者が(GWと聞くと胸騒ぎがする守旧派を高らかに掲げる)と全国紙に於いて表現する限り、 我が国の庶民にとってはまだまだ窮屈な日常が続かざるを得ない事と私は懸念する……


 本気で国民の皆が寛げる休日のあり方を、今後我が国を挙げて模索していきませんか。

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「集団登校」とは“集団逃避無責任思想”でしかない

2012年04月25日 | 時事論評
 4月23日朝京都府亀岡市の府道を集団登校中の小学生の列に車が突っ込み10名の死傷者を出した事故を受けて、本日(25日)昼、京都府内の公的機関が通学路や子ども達の登校の様子を点検しているニュースが流れた。

 近年、集団登校中の子ども達の団体に車が突っ込み幼き数人の犠牲者を出す大惨事が後を絶たない。 国民の多くが「痛ましい…」と言うよりも、「またか…」との感覚を抱いているのが正直なところではあるまいか。
 この状況下に於いては、もはや公的関連機関が小手先の対策や付け焼刃的改善策を掲げたところで埒が明くべきもないのではなかろうか?


 学校教育現場に於ける「集団登校」の慣習とは、元々「交通安全」対策のために、1960年代以降文部科学省(旧文部省)の指揮の下に各都道府県に於いて実施されるようになったらしい。 2000年以降は、防犯対策の面でも「集団登校」が有効との位置付けとなったとの朝日新聞の報道である。
 
 ところが、当然ながら学校現場よりの異論・反論も存在する。
 例えば、「集団」とは児童一人ひとりの注意が散漫になり易いとのマイナス面もありむしろ交通安全面上危険性が高いとの理由で、実施を見送っている自治体も存在するようだ。
 文部科学省も68年の通知で、集団登校が「(例えば車が高速で走行する場所等)は大事故を起こす危険性があるため、集団登下校を避けることが望ましい」ことを既に指摘しているとのことだ。
 平野文科相相は、「(事故現場が)通学路としてふさわしいのかも含め検証して、改めて全国の通学路の選定の方法が本当に良いのかどうかまで検討すべきかどうかを詰めて行きたい」と(原左都子に言わせれば遅ればせながら)述べているようだが……
 (以上、朝日新聞24日夕刊より要約引用)


 ここで、原左都子の私事を述べさせていただくことにしよう。

 我が娘も小学校低学年(高学年は他校に転校)に通学していた公立小学校に於いて、「集団登校」を経験している。
 様々な事情により、保護者の私は子どもの入学当初より学校が指定する「集団登校」に大いなる抵抗感があった。

 まず、娘は生まれながら若干の事情を抱えていた。 出来る事ならば我が子の事情を一番理解している母の私が日々学校まで送り迎えしてやりたいものだった。 
 集団登校とは近隣の子ども達(我が家の場合は同マンションの住民の子ども達)同士で集団を結成するのが通常である。 学校現場自体は義務教育であるため致し方ないとしても、日々登下校を共にする近隣の子ども達の無理解によりプライベート生活に及んでまで“いじめ”に遭いやしないか、“変な子”と後ろ指をさされ娘の後々の人生にまで傷が付かないか等々、当時の我が心痛の程は尋常ではなかった。 (集団登校さえなければ近隣の児童との付き合いを避けて通れたのに…)と、事情を持つ子の親としてどれ程「集団登校」の存在を鬱陶しく思ったことか……
 
 加えて、私はそもそも“集団主義”を受け入れ難い思想の持ち主である。 子どもを義務教育課程に通わせる事自体すら本当は避けて通りたかったのに、何故学校へ行くのに「集団」で登校させばならないのかと、大いに理不尽な思いでもあった。

 しかも学校が全校生徒に強制するこの「集団登校」制度の内容が、想像以上にいい加減なのである。 その一例を挙げよう。 
 我が子が小学校に入学当初の4月の下校時に、まだ登下校に慣れない1年生児童のために学校教員が「集団登校」班に同行し保護者が道中まで迎えに行くとのシステムがあった。 私など(いっそなら保護者が学校まで迎えに行って教員が保護者に直に子どもを手渡しして欲しい)と思いつつその道中の場に行くと、な、な、なんと、娘の姿がない!!   何分事情を抱えている我が子である。そんな事もあろうかと予想可能な私ではあるが、同行していた見知らぬ若い教員に我が子がいない旨を伝えた。 そうしたところ、返された応えには驚いた。「間違えて別の班で帰ったんじゃないですか~~?」 
 何せ携帯電話などない時代である。 その教員の対応に唖然としつつも未だ6歳の我が子の安否こそを気遣い帰宅を急いだ。 そうしたところその同行教員から我が子がいない連絡を受けたとの、担任先生からの切羽詰った電話があったとの亭主の話だ。(参考のため担任先生には我が子の事情を話していた。) 警察に通報しようかと考えたその後、娘は雨にずぶ濡れになりつつ一人で帰宅してきた。 幸いな事にいつも母子で遊んでいた公園方面へ迷い込んだようだが、その辺の土地勘があったために自宅までの道程が把握できたらしい。
 義務教育に於ける「集団登校」実施の責任とは、最終的には学校が全校生徒一人ひとりに対してそれを負うべきではないのかと、娘の入学当初より抱かされた我が感慨深い出来事である。 それが不能であるならば、最初から児童の登下校時の全責任を保護者に転嫁しておくべきであろう。

 その後、(やはり小学校に於ける娘に対する“いじめ”等の痛手の事情もあり)転校を余儀なくされた後の公立小学校には、実にラッキーな事に「集団登校」制度はなかった。
 ただ我が子の登下校に関して学校より指定されている通学路を親子で実際に歩いてみると、危険な要因が多数存在していた。 その通学路とは文科省が上記に指定している通り車の通行は確かに少ない。 ところが「信号」も「歩道」もない実態だ。 しかも自宅から最短距離で2分で通える目と鼻の先に位置する小学校であるにもかかわらず、学校指定の通学路を通行するとその3倍の時間を費やす程の遠回り路なのだ。 (これは我が娘にとっては3倍の危険性があるということだ。)
 これを転校先の公立小学校長に早速訴えた私である。 そうしたところ学校長は条件付ではあるものの学校が指定する通学路ではなく、原左都子が提案したより危険性が少ない短距離の公道を利用して我が子を通学させる事を認めて下さったのである! (こんな公立小学校長はまたとはいないなあ、 と感心していた矢先、直ぐに私立小学校長として転身されたのだけどね…)
 それにしても我が子が2分の短時間で通える公立小学校への道程を、我がマンションの上階から1日も欠かす事無く卒業まで見守り続けた私である。


 最後に原左都子の結論に入ろう。

 我が国の義務教育が「集団主義」に囚われ続けてきた長年の歴史に於いて、「集団登校」を今さら終焉させろ!と噛み付くこと自体が困難と成り果てている教育現場であろうことは悲しいかな私にも想像がつく。

 ただ義務教育が「集団登校」を「交通安全」「子どもの治安」との名目で深い思慮もなく安直に死守し続け、その歴史的変遷や社会的背景の移り変わりの実態を捉えないまま、近年どれ程の幼い尊い命を犠牲にしてきているかに関しても、そろそろ認識するべき時ではないのか!?

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一体誰と争ってる?

2012年04月23日 | 時事論評
 「一体誰と争ってる?」

 今回本エッセイの表題に掲げたこの一文は、朝日新聞4月18日付夕刊「素粒子」欄より引用させていただいたものである。 

 「素粒子」欄とは時事問題をわずか4行程度の短文で日々痛烈に批判論評するコラムであるが、朝日新聞ファンである原左都子にして、夕刊一面トップ「朝日新聞」の商号真下という目立つ位置にあるこの「素粒子」欄を以前より好んでいない。
 同じく毒舌辛口オピニオンを売りとしている「原左都子エッセイ集」の著者としては、ここはあくまでも自分を棚に上げての発言だが、 内容が言いたい放題過ぎて“無責任”、かつ大手新聞社たる者が自暴自棄に陥っている感すら抱いてしまう故である。 
 (お前こそが自暴自棄だろう!とのご指摘も受けそうだが、「原左都子エッセイ集」の場合、原左都子個人があくまでも非営利で執筆公開している媒体であるため何卒お許し願いたい。)


 その「素粒子」18日付一論評の何とも絶妙な表現には唸った。
 早速、以下にその全文を紹介しよう。
    そろそろ黄門様の役回りのお年だろうに。 自ら物議を醸す石原氏。
    「政治に吠え面かかす」と。 一体誰と争ってる?

 原左都子が補足説明をしよう。
 石原氏とはもちろん、4期という長きに渡り東京都知事に当選し続けている 石原慎太郎氏 の事であろう。
 そして今回の「素粒子」の文面は、4月17日に東京都知事である石原氏が突如として沖縄県石垣市の尖閣諸島を買い取るとの「奇策」を示した事を受けての論評であろう。 
 (今回の我がエッセイは尖閣諸島問題を取り上げる事を意図して綴っている訳ではないため、当該時事の詳細に関しては割愛させていただく。)

 それにしても、とにかく石原氏とは実によく“吠えて”いる人物であられる。
 例えば東京にオリンピックを誘致する計画を公開するに当たっても、何年来に渡り日本に世界に“吠え”まくっている感覚がある。 (原左都子個人的にはあくまでも誘致反対の立場であるが)何もそんなに吠えずとて、都知事として政治的経済的側面から誘致の正当性を冷静沈着に市民に語った方が効力が大きいのではないのか?とも感じている。

 ただ、この人物が今尚吠え続けねばならない背景として、東京都知事を引き継ぐ後継者が一人として存在しない現実が辛いとの事情もあろう。 しかしそれは黄門様の年齢に至るまで石原氏本人がその地位を死守せんとしたがために、本気で後継者を育て上げなかった責任も大きいはずだ。 
 多くの都民が4期にも渡り、自ら物議を醸す手法を政治のスローガンとしている石原氏に一票を投じるしか手立てがなかったのが東京都民の現状である事には間違いない。

 石原氏の“吠え”の対象とは、朝日新聞「素粒子」が「政治に吠え面かかす」との文面で指摘している通り、それは「国政」でしかあり得ない。 
 石原慎太郎氏とは、1968年 (昭和43年) に参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選している人物である。 その後、1972年 (昭和47年) には衆議院に鞍替え出馬し当選、以後当選8回。 1975年 (昭和50年)に現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選挙に自民党推薦で出馬するも落選。 その後衆議院議員に復帰し、1976年 (昭和51年) に福田赳夫内閣で環境庁長官を、1987年 (昭和62年) に竹下内閣で運輸大臣を歴任、1989年 (平成元年) には自民党総裁選に立候補し、海部俊樹に敗れる。 1995年 (平成7年) 、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で突如議員辞職を表明した。 
 1999年東京都知事選挙に出馬。 有力候補を抑え初当選し、現在4選を誇っているとの実績である。
 (以上、ウィキペディアより引用)


 原左都子の私論に入ろう。

 上記のごとく、若き時代にそれ程までに政治家として国政にこだわり続けた石原氏にとっては、東京都知事として4選を達成しているとはいえ、結果として現在の立場は「敗北」でしかなかったのではあるまいか?
 だからこそ石原氏は「政治に吠え面かかす」と宣言し、今尚闘い続けておられるのであろう。
 故に(氏が歳老われた現在に至って尚)、国政が掲げた施策に真っ向面より抵抗する事とならざるを得なくなる。 尖閣諸島問題とてそうだ。国が買い取ると言えば、自分こそが買い取る!と言い出して抵抗する。 都民の迷惑を考慮する余裕も無く……

 
 原左都子の立場として、表題に戻ろう。

 石原慎太郎氏が「誰と争ってる?」のかに関して、上記のごとく私論を展開してきた。

 読者の皆様の応援に支えられつつ、この私がたとえ非営利であろうが数年来“辛口毒舌論評集”とも表現可能な「原左都子エッセイ集」を日々綴り自己のオピニオンをネット上に公開できている事に感謝申し上げたい思いだ。
 その根底には、 「一体誰と争ってる?」 との課題が我が脳裏に常々横たわっている事も重々認識し続けている。
 それを再認識させてもらえたのが、今回の朝日新聞「素粒子」の論評であった。

 既に人の上の立場におられる石原慎太郎氏はともかく、人間とは心理面で何かの対象と争いつつその生命を全うする存在であり続けることを余儀なくされている感覚が私にもある。
 それはこの世で成功を修めたか否かの如何にかかわらず、人それぞれの人生の経験則に基づく一種の“コンプレックス”に端を発ているのであろう事も想像がつく。

 決して人の上に立つ存在ではない原左都子のごとくの一庶民であれ、その社会心理学的側面を視野に入れつつも、今後も我が心の内面で誰か(何らかの対象物)との “争い” を全うし続けるのが、人生に於ける一つの美学なのかもしれない……

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高齢者の方々、自分の意思で派手な服を着ましょうよ!

2012年04月21日 | 時事論評
 原左都子のミニスカスタイル写真を、恥ずかし気もなく本エッセイ集のバックナンバーに於いて再三再四公開してきている。(ご興味がありましたら、左欄のフォトチャンネルをご参照下さい。)


 ファッションとは時代の変遷と共に目まぐるしく移り行くものである。

 第二次成長期である小学校高学年に差し掛かった頃お洒落心に芽生えた私であるが、当時女性の間で世界的に流行していたのが、ロンドンのファッションモデル ツイッギーに代表される「ミニスカスタイル」だった。  
 先だって放送が終了したNHK連続ドラマ「カーネーション」に於いても、当時の「ミニスカ大流行」の様子がコシノ三姉妹の末っ子ミチコ氏(役名聡子)のご活躍を通して再現されていたが、私にとっては60年代頃のファッションを懐古しつつ大いに楽しめた場面であった。

 子どもの頃より長身スリム体型だった私は、(手前味噌ながら)この「ミニスカスタイル」がよく似合った。   中学生にして既に160cmを超えていた私がミニスカスタイルで街中を闊歩すると、世の若き男性どもにはその後ろ姿は一端(イッパシ)の女性に映ったようだ。 早くも「喫茶店でお茶しよう!」、車道からは「一緒にドライブしない?」等々“ナンパ”が相次ぎ、子ども心に面白おかしい思いをさせてもらえたものである。 (いえいえ、決して誘いには乗らず「まだ中学生ですから…」とすべて心細い小声でお断りしましたよ…。)

 上記のごとくファッションとは変遷を繰り返す事によりこの世の文化を創造しつつ、裏側ではアパレル業界に潤いをもたらし続ける存在である。  その後女性のスカート丈に関して言えば、短くなったり長くなったりの歴史を繰り返しながら現在に至っている。
 その流行を取り入れる事も一つの我が趣味として堪能しつつ、現在のファッション生活に繋げている原左都子でもある。

 それにしても、ファッションとはやはり“自己の体型及び雰囲気”こそが揺ぎない基本であると現在結論付けている私だ。  たとえ今の流行とはいえ自分に似合わないものは身につけたくもなければ、その種の衣類は着用していて不快感すら漂い居心地が悪い。

 その結果、原左都子は現在に至っても日々「ミニスカスタイル」を貫くことと相成っている。 幸いな事に現在若者の間でミニや短パンなどが流行中である。この流行を利用して我がファッションの正当化を志している私だ。
 さらにラッキーなことには、この私のファッションに対して「いい年をして何を考えているの!」「少しは恥を知れば?」などとのマイナス評価をしてくる人物も皆無である。(内心そう思っているかどうかは不明だよ……


 今回、原左都子がこの記事を綴ろうとしたきっかけとは、4月6日付朝日新聞「声」欄に掲載されていた61歳主婦女性の投書を読んだ事による。

 「中高年も鮮やかな服を着たい」と題する上記投書を、以下に要約して紹介しよう。
 先日外出ついでに東京渋谷池袋のデパートをのぞいてみた。気に入った服があったら買いたいと思ったのだ。 ところがサイズや値段の問題ではなく、どのデパートにも気に入る服が一着もなかった。自分にとってこの状況はもう10年以上続いている。 以前、作家の宮尾登美子さんが「年をとったら鮮やかな綺麗な色の服を着たい」とテレビで発言していた。同年代となった今、その言葉がよく理解できる。 年齢を重ねる毎に老化するのは世の常だが、中高年向けの店には灰色や茶系の服しか並んでいない。 洋服のメーカーはこんな旧来の考えに囚われず、鮮やかで綺麗な洋服を作っていただけないか?
 (以上、朝日新聞「声」欄より、61歳女性の投書を引用)


 原左都子の私論に入ろう。

 いやはや、びっくり仰天である。
 この投書女性はまだまだ高齢者の範疇ではない61歳にして、何故、灰色や茶色の洋服しか並べていない洋装店を訪ねるしか方策が見出せないのであろう??

 この私など現在50代後半にして、我が娘の年代である20歳前後の乙女が好むブティックにも足繁く入っている。 そこはミラクル世界であり、色とりどり、そしてデザインも多様等バラエティ豊かな洋服が安価で沢山展示されているのだ。 
 ひと昔前の経済バブル期の一時は、確かにブティックの店員氏の中には高飛車に決め込む輩も存在した。  時が大幅に過ぎ去り経済危機的不況下においては、定員の教育も徹底しているようだ。 まさか原左都子は20代に見えやしないだろうが「よろしければ試着して下さい!」と若き店員氏が快く勧めてくれる。 その誘いに乗って自分が気に入れば購入し、娘とその服を共有している私である。

 
 そんな私から、朝日新聞「声」欄投書者であられる61歳女性に提案申し上げたいことがある。
 もしかしたら、この女性は若き頃よりさほどファッションを楽しんで来られなかったのではあるまいか?  その矛先を今現在“デパート”に頼っておられるとのことは、ある程度の富裕層でもあられる事だろう。 もしかしたらお子様は息子さんだったのだろうか? そのためご自身で娘相手にファッション教育を施す機会もなかったのであろうか?

 アパレル業界に“鮮やかで綺麗な服”を造り提供することを要請する以前の問題として、ご自分自身でお時間が許す限り街を闊歩されてみては如何か?
 この世は今まさにファッションで埋め尽くされていることに気が付かれることであろう。

 ある程度の富裕層の高齢者が今時尚「デパート」にしか購買活路を見出せないでいる現実を、原左都子の周囲を見渡して少しは認識してはいる。 一方、現在61歳の女性が何故その種の“狭い世間の人生”を歩まなければならなかったのかの事情は私には計りしれない。 

 今の時代60歳代などまだまだ若年層だ。
 どうかこの相談女性が今後の人生を心底楽しむためにも、ご自身の足と行動力でこの世の活路を見出すきっかけを摑んで欲しいものである。

 年齢になどかかわらず、煌びやかな派手な服を着て街を闊歩しようではありませんか!! 

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染色体異常胎児にも輝ける未来が待っている

2012年04月18日 | 時事論評
 正直に話そう。
 この原左都子も過去において、(もしも私が我が子を産んだ時代に既に現在のごとく「出生前診断」が一般的であったならば、その診断を受ける事を欲したかもしれない…)とふとした瞬間に魔が差す時期があった。
 我が子を仮死状態にて出産後母として過酷な育児の日々を余儀なくされ、まともな思考が不能だった頃の話である。

 その後我が子の“お抱え家庭教師”として共に歩み続け、娘が想像をはるかに超えて順調に成長してくれている今現在に至っては、決して、決して、そんな馬鹿げた発想が我が脳裏に霞む隙間もない。
 この子なくして私の人格は成り立たない程に娘の存在感は大きく、我が人生に日々夢と希望を与え続けてくれている。


 朝日新聞4月5日付朝刊の一面に 「胎児異常が理由の中絶倍増 10年前との比較」 と題する記事を発見した。
 早速、要約して以下に紹介しよう。

 出生前診断で(ダウン症、水頭症等)胎児の異常が分かったことを理由にした中絶が2005年~09年の5年間で少なくとも6千件と推定され、10年前の同時期より倍増していることが日本産婦人科医会の調査でわかった。 高齢出産の増加や簡易な遺伝子検査法の登場で、十分な説明を受けずに中絶を選ぶ夫婦が増える可能性もあるとして上記医会は遺伝子検査の指針に乗り出した。
 我が国では70年代から胎児の異常を調べる羊水検査やエコー検査、90年代から母体血清マーカー検査が広がった。 35歳以上の高齢出産の増加で出生前診断を受ける人は増えている。妊娠健診で使われるエコーも精度が上がり、染色体異常の可能性を示す胎児の奇形等が分析可能となった。 08年現在全妊婦の2,9%にあたる延べ約3万人が診断を受けている。
 米国では既にもっと高い精度でダウン症か否かを診断できる血液検査も始まっており、日本への商業ベースでの導入も可能性として高い。 このため、日本産婦人科学会は、医師向けに遺伝子検査の指針を作ることを決めた。

 引き続き上記朝日新聞記事より「出生前診断」の定義についての記述を、(元医学関係者である原左都子が一般人にも分かりやすく補足しつつ)引用しよう。
 出生前診断とは胎児の異常を調べる検査であるが、その種類としてエコー診断や染色体異常の確率を示す母体血清マーカー検査、羊水検査等がある。 エコーや血液検査は人体への負担がほとんどない反面、その検査により出た結果とは不正確であるのが特徴だ。 たとえ「陽性」(異常あり)との結果が出たとしても、実際は胎児に異常がない可能性もある。 さらなる確定判断として“羊水検査”が必要となるが、この検査を受ける事により0,5%の確率で母体に流産を招く危険性がある。
 現在母体保護法においては胎児の異常を中絶の理由として認めていないため、母体の健康維持などの拡大解釈で胎児が中絶により命を絶たれているのが現実だ。
 (以上、朝日新聞記事より引用)


 次に、上記朝日新聞記事を受けて寄せられたと思しき朝日新聞「声」欄の投書を以下にまとめて紹介しよう。 いずれもダウン症児を授かり、立派に育て上げつつある2人のお母様よりの投稿である。

 毎年春に桜を見ると、20年前の今頃ダウン症で生まれてきた我が子のことを思い出す。 病院の庭の満開の桜を見ながら私は涙を落とした。 あれから20年。いろいろ辛い事や大変な事もあったが我が子は愛嬌たっぷりに育った。 何より私自身がいろんな人と出会い成長できた。  胎児に異常があるかもしれないと中絶する人が増えているらしい。 そこにはいろんな考えがあるだろうが、障害児を持つことは悪いことばかりではないと桜を見ながら思える。

 現在13歳の長男はダウン症。 もし長男を妊娠した当時、障害に対して正しい知識や理解がない私が、生まれて来た子に障害があると言われていたならどうしたであろうか。 今穏やかに年を重ねる長男がそばにいるから「産んでよかった。何者にも代えられない大切な我が子」と言える。 生まれてくる子の人生はその子自身のもの。障害のある子と共に生きる家族は、その子から多くの幸せを与えられると感じている。 簡単な出生前判断で一つの大切な命が摘み取られる事がないよう関係者の慎重な対応を切に願う。


 原左都子の私論に入ろう。
 
 「出生前診断」に関しては、優性学における生命選別上必須との観点も否めないであろう。 人間においては胎児の段階等早期に生命の優性を判断可能な方が、種の存続上この世の発展が望めるとの見解が存在しても不思議ではない。 その意味合いもあって、我が国でも「出生前診断」の検査法において医学的進化(と表現するべきかは疑問が残るが)を遂げている現状と解するべきなのかもしれない。
 
 我が国家財政難の観点から考察するならば、これ程までに我が国の政治経済力が衰退した現状において、「障害児」にかかる国家予算の程は膨大なものがあろう。 
 米国に於いては、上記のごとく「出生前診断」が進化を遂げ既に商業ベースでそれが展開されている様子だ。
 いつの時代も政権政党は「社会福祉政策」を公約として高々と掲げるものだが、その実、歳費を食い潰す弱者の存在を如何に捉えているのかは永遠に大いなる疑問である。
 実際問題、我が国の法的側面においては上記のごとく、現在母体保護法上胎児の異常を中絶の理由として認めていないにもかかわらず、現行においては「経済的理由」を緩やかに解釈・運用して、いわゆる「選択的」人工妊娠中絶が施行されている現実でもあるし、その現状を追認しているのが司法界の多数派意見であるようだ。


 原左都子の娘の場合、出産時のダメージの程が軽微だった事が幸いして(失礼な表現であることは重々承知の上、分かり易く表現するならば)、おそらくダウン症児よりも育てるのがずっと容易だったことであろう。
 それにしても、上記ダウン症児のお母様達が新聞に投稿された文章が我が身に重なり身に滲みる思いである。

 産んで良かった。 本当に良かった。
 強気の原左都子とて今はそれしか言えない立場だ。

 それでも、障害児を持つことを否みせっかく授かった胎児の「出生前診断」を受けようと意図している親達の様々な立場や思いも理解可能な私から、少しアドバイスをしよう。

 その子をどのような考えで産もうと志したのだろうか?
 もしも我が子が欲しいとの意欲が旺盛だったのならば、絶対に生むべきである。

 子どもが欲しい、欲しくないの如何にかかわらず、どの親にとっても産んだ子どもを育てる事は過酷な現実であろう。
 それにしても娘を(ある程度名の通った)4年制大学に今春進学させたばかりの原左都子自身の現在の実感としては、我が子とは今後早かれ遅かれ老化の道筋を歩まざるを得ない親に、生きる希望と夢を与えてくれる対象として存在し続けるであろう事実には間違いない。

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ただひたすら「走る」ことの効用

2012年04月15日 | 自己実現
 原左都子が少し前より“ランニング”を趣味の一つとしていることに関しては、当エッセイ集本年2月のバックナンバー 「来年こそ、マラソン大会に出るぞ!!」 において既述した。

 その後ランニングの趣味はまだ続いているどころか、今となっては私の生活には欠かせない一時の貴重な時間と言える程の存在に昇格しているのだ。

 体を動かす分野の趣味として、長年に渡りディスコ、ソウル、ジャズ系ダンスも主たる趣味である私だが、その個人レッスンを実行するために現在は公営体育館のジムに通いつつダンススタジオの束の間の空き時間を利用していた。  残念な事にスタジオプログラムの都合により空き時間が消え去ってしまい、その後の代替活路を体育館の“ランニング走路”に見出したといういきさつである。

 1周172mとの短距離しかも距離計算上中途半端な周回コースを何十周も回るという手段でランニングを楽しみつつ、既に4ヶ月が経過した。
 それまでランニング(ジョギングと言うべきペースだった)をトレーニングジムのマシーン上で行っていた私にとって、実際に自分の足で地面を踏み蹴りつつ前進していく行為自体が実に爽快だったのだ!  実際に「走る」動作とは、ランニングマシーンという“機械”の上でバタバタと体を上下させる事とまったく別世界の現象である事に初めて気付き感激した。 
 自分が生まれ持った二本足で地面を踏みつつ体を前に出し進んでいく行為とは、人間としてこの世に生まれ出たから故の快感であることに私はこの年齢にして初めて気付いたのだ。


 冒頭に記したバックナンバー「来年こそ、マラソン大会に出るぞ!!」 に於いても綴ったが、私は幼少の頃より“スポーツ(体育)音痴”のレッテルを貼られ続けて義務教育を過ごしてきた。 
 特に、今から遡る事半世紀近く前の小学校での体育の授業が実にお粗末だった事に関して何度も繰り返すが、とにかく当時の義務教育学校の現状とは一人の担任が(高学年の音楽を除き)全ての授業を受け持っていたのが事実だ。  (失礼ながら)デブおばさん先生が自分自身では何らの模範をも示せない体育の授業に於いて、放っておいても“出来る子”を褒め、“出来ない子”に対しては毎時間「あんたは何で出来ないの!」と叱責し続けたものだ。  こんなお粗末な教育体制の下で”体育が出来ない子”に分類されていた私が、体を動かす事を肯定的に捉えられるはずもなかった。

 時代が変遷し大人になった私は医学関係の専門職に携わった事もあり、自分自身の「心肺機能」が人並み以上に優れている事実を知った。(例えば肺活量が当時4000cc近くあったが、これに関しては中学生時代にブラスバンド部で吹奏楽器を頑張った歴史も貢献している事であろう。)
 そういった背景もあって、私の場合は小学校時代の教員より“スポーツ音痴”のレッテルを貼り付けられたが故に、単に自分がその種の人間であると信じ込まされているに過ぎない事に遅ればせながら気が付いたのだ。
 
 加えて、人間とは人生経験を積み重ねていく中で自然と体力面・技術面の力が向上し、体の各部位の効率的な使い方というものを誰に教わる訳でもなく心得てくるように感じる。 子どもの頃には指導者に「これをやれ!」と強制されるがままに訳が分からずただただやみくもに頑張っていたことが、今では力加減を心得るようになっている。
 それと共に今現在の我がスポーツ能力は、人間としての“成功感”が一番大きくものを言っているように原左都子は感じるのだ。 人生における様々な分野での成功体験を通じて自信が芽生え、チャレンジする対象事象の如何にかかわらず「自分は絶対出来る!」ごとくのエネルギーが内面から湧き出てくるのだ。 このような精神力こそが力強い後ろ盾となって、我が体を突き動かしてくれるように感じる。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用しつつ私論を展開。)


 さて、「走る」事に話題を戻そう。

 上記体育館室内“トレーニング走路”でランニングをしつつ4ヶ月が経過した。 自分で言うのもなんだが、その進化力を自ら感じ取れる現在なのだ!
 プロのランナーとは異なり、私の場合当然ながら自己判断のみに基づくトレーニングである。 それでも少しづつ距離と時間を延ばしながら、今現在7km程の距離を一定のペースで走り切ることが叶っている。
 新聞紙上で見聞するに、ランニングも3ヶ月継続すると変化がおきるからとにかく継続する事が肝心とのプロのアドバイスもある。 それを4ヶ月経った今実感している私だ。

 ところが、元々早期に業績を上げたい性分の私は、最初の頃スピードも距離も同時に伸ばそうとの欲望が強過ぎ、墓穴を掘っている事実を自己分析する過程もあった。 無理な状況を強行し続けると、自らの体の様々な部分がダメージを受けランニングの継続がままならないことにも気付いた。
 その後はとにかく欲張らず無理をせず、“マイペース”を貫く方針に切り替えたのだ。 この“マイペース”トレーニング方式が大いに功を奏しているようで、現在のところ7kmを完走できるまでに我がランニング力は強化されているのだ。

 ただ、私が市民マラソン大会に出場するに当たっての課題はまだまだある。
 現在は気候の影響を受けない室内走路でのランニングであるが、そのうち屋外のランニングコースで気候等の外部影響に耐える訓練も必要であろう。
 それにしても、 市民マラソンに出場するためには高い競争率を超えねばならないようでもあるのが現状だ。


 最後に、何故原左都子が現在これ程までに「走る」趣味にはまっているかに関して自己分析してみよう。
 人間が2本足で走るという行為自体が素晴らしい現象である事に気付かされたのが、その第一歩であった。
 私はいつも耳にウォークマンを携えて走っているのだが、それは私が未だ“ランニング”に関して素人である故であろう。  それにしても音楽に合わせてダンスを踊る前提として、人間の原点とはその体と両手両足で前進を続ける事こそが基本だったと気付かされるのだ。

 7km走るのに今現在まだ45分程度の時間を要する。
 ただ、我が長年の趣味であるダンスでは得られない “一人で孤独と苦しみに耐え抜く自己鍛錬の時間” をランニングが叶えてくれる事実こそが美学であり、何とも魅力的な現象と捉える私である。 

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PTAが“任意参加団体”である事を保護者は知ってた??

2012年04月12日 | 教育・学校
 表題のごとく本来学校のPTA組織とは、法的には全員強制加入ではなく“任意加入”団体の位置付けにある。

 それしきの事を、元々法学履修経験がある原左都子としては当然の事として心得ておくべきだったと今さらながら悔やまれる。 うかつにもその事実を認識したのは、我が娘が高校卒業直前の1ヶ月程前に見た朝日新聞記事に於いてであった。


 娘が幼稚園に入園以降、小中そして高校を卒業するまで、我が子の育児教育に関して一番苦手な対象だったのが「PTA」の存在だった。
 学校が主催する(特にクラス単位の)「保護者会」の出席も苦手で、高学年になるにつれ出席回数を減らしつつ中学高校においては数える程しか出席していない。

 要するに原左都子の場合、自分の意思に寄らない保護者との中途半端な付き合いを他者から強制されることに大いなる抵抗感があるのだ。 同様に近隣や地域等、単に住む距離が近いとの理由のみで“仲良くしろ!”と外圧により強要される事態にも嫌悪感を抱いてしまう。(人道上の常識として、挨拶はしますよ。) 
 もちろん、保護者の方の中には気の合う相手もいた。特に子どもが小さい頃程親子の距離が近いため、子どもを通じて知り合った保護者の方と意気投合して一時仲良くする時代は私にもあった。
 子どもの成長につれて親子の距離感が自然と遠ざかっていくものだが、それにもかかわらず見知らぬ親同士を学校に集めて「懇談会」へ出席させられたり、「謝恩会」パーティ等の学校行事に強制参加させられるのには辟易とした。

 原左都子が何故その種の会合が苦手かと言うと、それは現在の人間関係の希薄化現象、及び個人情報保護の観点が大きく影響を及ぼしているものと考察する。
 他者より強制された場に同席した不特定の相手と会話する場合、どうしても上記の“障壁”により会話内容が限定されざるを得ない。 差し障りのない会話内容を吟味しつつ挨拶程度の会話を交わすしか方策がない。 それでもバランスが取れているとの感覚が持てる相手とは希薄な会話も時間内において続行可能であるが、今の時代、その種の無難な会話を一切受け付けない保護者が存在するのも現実である。 あるいは(特に子どもが幼少時代は)初対面であるにもかかわらず自分の事を一方的にしゃべくりまくるバランスが取れない保護者も存在して、これに応じ聞き役を全うしつつも閉口させられたものだ。
 学校PTAのごとく不特定多数人種の集合体である集団内に於ける人間関係の構築とは実に困難であることを、我が子の教育上実感させられ続けたのが事実だ。


 さて、PTAは本来「任意加入団体」であるとの記事を呈示した朝日新聞が、3月25日朝刊に於いて、その続編の形で「(PTA)非会員の行事参加に課題」と題する話題を再び展開した。

 その題名のみ見た原左都子の感想とは、学校PTA側が法的に“PTAとは任意加入”である事に基づきもっと昔から「非会員制度」を積極的に導入してくれていたならば、私は絶対「非会員」を貫いたのに……、と残念無念な思いである。 それは上記のごとく学校行事に参加したくないからこその理由である。
 
 ところが、現在“PTA非会員”を希望している保護者の大勢は、何故か学校行事には親子共々参加したいとの意向のようだ。
 その辺の保護者の論理が原左都子には理解不能なため、早速上記3月25日付朝日新聞記事を以下に要約して紹介しよう。
 “PTAは任意加入”の原則に沿って昨春から入退会を自由にした岡山市に位置する公立小学校の事例を紹介する。 PTA会費を年2回に分けて集めたところ、前期は94%、後期は87%の家庭が納めた。 ところが、非会員希望者の中に「PTA行事に参加できるか?」との質問を呈示する保護者も存在したようだ。 
 それに対するPTAからの回答も賛否両論分かれたようだが、要するにこの議論の根源とは「PTA会費」にあることに原左都子は気付かされたのである。

 いやはや、PTA任意加入の記事の趣旨とは現在のこの国の市民の生活難を反映するがごとくの「お金」にまつわる話題だったことに、今回の朝日新聞記事で初めて認識した私である。
 そうであるとすれば少なくとも公立学校義務教育課程においては、PTA行事に参加したい児童生徒には参加できる機会を与えてあげるべきに決まっているではないか。
 原左都子のように、保護者側の我がまま思想で「PTA活動」は任意とするべきだと訴えている訳ではなかったのね…


 まあそれにしても、私学のPTA会費とは半端な額ではないことも確かだ。
 我が子が中高時代に通っていた私学の例を挙げると、年間にして数万円の会費負担であった。(原左都子の試算によれば学内PTA総額は年間数千万円に及ぼう!!)  その会費の家庭へのフィードバックの一例を示すと、「こどもの日」の柏餅、夏の頃の「ほおずきの鉢植え」、節分の「豆菓子」、3月のひな祭りの「節句菓子」、そして桜の季節には「桜餅」、卒業式には「紅白饅頭」等々……
 娘の話によると、私立中学1年生の頃よりこれらを学校から配られると「これは親のお金で成り立ってるよ!」と教師に訴える生徒もいたらしい。 私は「そう言った子の親はしっかりしてるよ」と娘に返答しつつ、「まさにその通り!」と応じたものである。 その後これらの“ご褒美”が学校から配布される度に、それは親の経済力で成り立っていることを我が娘に教育してきている。

 話題を変えるが、我が姉が数十年来米国に居住している。
 その姉の話を見聞するに、米国の義務教育課程におけるPTA活動とは至って合理化されているらしい。 例えば、姉が居住する米国某州の場合、十何歳か以下の子どもを外で一人で歩かせる事は法的に禁止されているとの厳しい現実のようだ。 それに対応するため親は我が子を学校に送り迎えする義務があるのだが、その親の義務に関して米国某州の学校PTAでは「時間制」との合理的方策が採られていると見聞している。 すなわち、仕事で多忙な親同士で日替わりで助け合って子どもを学校に送り迎えする等により個々の親が時間点数を積み上げて、子どもの卒業までに保護者個々に課せられている「時間」総数最低限をクリアするのが条件とのことだ。


 我が娘が既に大学に入学してくれている現在に於いて学校PTAの存在など二の次でよいのだが、朝日新聞記事を読んで尚、学校PTAとは様々な意味で鬱陶しい存在であることを実感させられる。
 上記朝日新聞2度目の記事のまとめに、「PTA活動とは保護者がボランティアでするもの」との記述があった。
 この見解を読んだ原左都子は大いなる反発心を抱かせられた。 その思想の背景とは、(子どもが学校にお世話になっているんだから、親はそのお礼として奉仕活動をするべき)との論理なのだろう。  学校教育が義務化されている現状においては、好む好まざるにかかわらず保護者は子どもを義務教育課程に入学させねばならない。 学校に子どもの世話を任せたい保護者もいれば、原左都子のように自分自身での教育指導を主眼としつつ、義務であるから仕方なく弊害も大きい学校現場へ心を鬼にして子どもを通わせた保護者もいるのだ。 

 それにしても学校PTAの存在がそもそも“任意加入団体”であるのならば、これ程国民の多様化が進展した現在において、その法的事実を(その会費が払えない市民には国や自治体が別枠で対応しつつ)全国民にもっと徹底し、PTA参加を各家庭の自由裁量とするべきではないのか!?? 

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「酒」の作法と言われても…

2012年04月09日 | 
 (写真は、都心部にある我が家の川沿いに於いて現在満開の桜並木を撮影したもの)


 今年の桜は私が住む東京に於いても例年に比し遅い開花であったが、先週末にやっと満開の時期を迎えた。

 原左都子が現在居住している地は、東京23区内に於いて有数の桜の名所に挙げられている恰好の場所にある。
 上記写真のごとくの桜並木が延々数キロに渡り続き、川面に揺らぐその薄ピンク色の色彩と共に実に美しい木々の影像を醸し出す風景を一目見ようと、毎春桜満開のこの時期になるとどこからともなく大勢の人が押し寄せて来る。
 カメラ片手にこの桜並木を闊歩したり、川沿いに位置している大規模都営公園の芝生上で宴会を開いたりしつつ、それぞれに一時のお花見を楽しんでいる様子だ。


 “お花見”と言えばつきものなのが「酒」ではなかろうか。

 この私も先週末の桜満開時にたまたまジムへ行くため川沿いを歩いていて、上記桜並木の大規模公園内で早くも“お花見宴会”を催している数多くのグループを見かけた。
 日中の時間帯であるため、小さい子ども連れの親子グループに関してはさすがに「酒」で盛り上がっている様子ではなさそうだ。  一方、職場仲間かあるいは大学生かと思しき若手グループは、白昼にして既に「酒」の力で高揚している様子である。
 当日は“お花見”をするには最高気温15℃位の寒風が吹く肌寒い日和であったため、(皆さん、風邪でもひきそうなこの気候環境下でよくお花見宴会を実行したものだなあ~~)などと他人事のように感じつつその場を通り抜けたものだ。


 さて、“やっぱりなあ…、だがどうしたものか??”と飲兵衛の原左都子が呆れざるを得ないような記事が、朝日新聞4月7日夕刊一面トップの「花見お行儀チェック」と題する記事に於いて展開されていた。
 
 “お花見”につきものの“酒”の「持ち込み禁止」を発令する都心の桜名所処が急増しているとの朝日新聞の話題である。
 例えば新宿御苑の入場門にお花見客が近づくと「持ち物検査」の関門を通過する事となる様子だ。 その場においてお花見客は、鞄の中に缶ビール等の酒類が入っていない事を厳重にチェックされた後に入園可能との話である。  確かに新宿御苑に限っては明治時代には皇室の庭園だったことを慮るならば、その種の対応もやむを得ないのかもしれない。
 片や、花見の季節に毎日のように酔客が喧嘩をしたり、急性アルコール中毒で救急車で搬送される事実も後を絶たないようだ。 この種のトラブルが多発している中で、桜の名所がアルコールの持込を制限するのもやむを得ないのかとも判断する。

 上記朝日新聞記事においてコメントを述べておられるのは、“飲兵衛”として名高いシンガーソングライターの なぎら健壱氏であられた。 「酒の作法 普段から教えて」と題するなぎら氏のコメントを以下に要約して紹介しよう。
 最近の人は普段から酒の飲み方や後片付けの仕方を教わっていないから、花見の場にしわ寄せが出てしまうのだろう。 (中略) 花見の場であろうが当たり前に酒を飲んで楽しむことが出来るように、ただ厳しくだけでなく教えていかねばならない。


 すみません。 原左都子としても同じ飲兵衛であられる なぎら健壱氏 に同調申し上げたい思いは重々である。 ところが、今回のなぎら氏のコメントは朝日新聞に迎合するが余り(私に言わせてもらうと本人らしくもなく)酒に関して下手に優等生を装っているかのごとく“無理が大きく気持ち悪い感覚”を抱いてしまうのだ。

 いや~~。 飲兵衛の私としては花見の酒席でそんなに“お利口さん”でいよ”と言われたとて、それは絶対に無理!無理!!無理!!! と反論するしかないねえ…… (いえいえ、酔っ払っても片付けはしますよ。)


 医学的観点から考察すると礼儀以前の問題として、若年層はまず自身のDNAに関して生来的に与えられている我が身の“アルコール許容力”を知ることから始めるべきである。
 そのためには、決して大学の新入生歓迎コンパや入学当初の「お花見宴会」において、周囲が新入生全員に“一気飲み”など絶対に煽ってはならないことは鉄則中の鉄則である!
 それが言われて久しいのに、今尚急性アルコール中毒で死亡に至る大学新入生が後を絶たない。 大学現場の指導者達は一体何を学生の危機管理力と心得ているのか!!と反発したくもなる。

 と言う訳で原左都子の私論としては、まずは個々人が自分が生まれ持った遺伝子的体質を何らかの形で心得る事から始めるべきとの結論となる。
 その教育や経験が成り立つことを前提として、二の次に「酒の作法」との議論が初めて出てきて欲しいものと私は希望的に認識する。
 
 
 なぎら健壱さん、失礼とは存じつつ繰り返させていただくが、人間が「酒」の世界を正当に全うするためには、「作法」以前の問題として、DNA的医学適性力こそを把握することが第一義であると主張申し上げたい思いである。

 飲兵衛の原左都子の場合、やはり「酒」とは気の置けない相手と共に出来れば「作法」抜きで楽しみたいものだ。

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定年退職の日は駆け足でやって来る

2012年04月07日 | 自己実現
 (写真は、先だって我が身内が定年退職した日に職場よりプレゼントいただいた花束。 本物はもっと美しく可憐で豪華な花束なのだが、何分原左都子が写真撮影のノウハウを心得ていないため、色合いが悪く貧弱に見える点が残念である。)


 怒涛のごとく、次から次へと原左都子の身にビックイベントが押し寄せる今年の春である。

 娘の大学入学式の2日後に、我が身内が35歳時に中途入社した一部上場民間企業研究所の定年退職を迎えた。
 そもそも私が身内と知り合ったのは身内が当該企業に就職した数年後の事であり、入社当時の様子に関しては本人等人づてに聞く話に於いてしか心得ていない。 しかも婚姻後まだ十数年の年月しか経過していない晩婚夫婦という事情もあるが、例えば40年も連れ添われたご夫婦のごとくご亭主の定年退職までの長き年月を“内助の功”の役割を果しつつ支えた、などとの美談には程遠いものも我々夫婦にはある。

 そんな私にとっては、身内の定年退職の日は実に“駆け足”でやって来たと表現するしかない。
 ついこの前婚姻し、娘の“お抱え家庭教師”として君臨する日々を重ねた挙句、いよいよ娘が大学生となった暁に早くも身内が定年退職である。


 身内の定年退職に先立ち、その「定年退職祝い会」の幹事を担当しているとの職場の若手同僚より突然自宅にお電話をいただいた。
 電話でのお話によると、身内には内緒で“ご家族からのメッセージ”を頂戴し、職場のお祝いの会で本人に手渡したいとの事だ。  おそらく定年退職を迎える社員の皆さんに、定例的に職場においてこのような手厚い配慮をしているのであろう。  その意向は尊重しつつも、私は冗談と本音を交錯しながら電話で次のように応じた。 「ご配慮はありがたいが、我々夫婦の場合晩婚とのこともありその種のメッセージに身内が好意的に反応する関係には程遠い。 もしかしたら身内も娘からのお祝いは喜んで受け入れると想像するので、娘にメッセージを書かせて郵送する。云々…」
 「それで十分です!」との担当者のご返答に対し、まさかいい大人が娘のメッセージのみを郵送できるはずもないため、家内である原左都子として職場の皆様への御礼状もしたためて同封した。   
 (ここで原左都子の弱音を吐かせていただくと、3月末の私は息もつけない程多忙な時期だった。 友人の死去に伴うそのご遺族へのお悔やみ状の郵送、知人から招待を受けたアートフェアへの出席、我が子の大学入学に伴う諸手続きの援助、義母の介護にかかわる対応、等々… )
 ただやはり定年退職を迎える身内を抱えている配偶者としては、そんな弱音を吐いている場合ではないことを心得て、その返答を全うした私である。


 さて、その我が身内が定年退職の日に手に持ちきれない程のお祝い品の数々を携えて、夜遅く帰宅した。
 その中で一番大きい荷物だったのが上記写真の「花束」である。 それと共に自身の研究実績が綴られた業績集ファイルや、数多くの関連会社からの記念品や職場の皆様より賜った贈り物等々を自宅に持ち帰った我が身内である。 
 そんな荷物と共に、中途採用で入社した民間企業に於ける勤務の日々がまんざらでなかった様子で、いつもは口数が少ない身内が我々親子に25年間の懐古と共に在籍中の自慢話を繰り広げるではないか。 
 この日この話を聞いてやるのが本日定年退職した家族の役割と心がけつつも、大学に入学したばかりの娘の明日のスケジュールを思いやり、娘を自室に行かせる私だ。 その後も長引きそうな身内の在籍中の話を聞き流しながら、“なんでこの多忙な時期に定年退職を向かえたの!”とイラつきつつ一時を過ごした私である。


 そんな身内の定年退職に際して、原左都子として思う事がある。

 この私は「定年退職」を経験していない。
 公民各種職場を退職した経験はあるが、そのすべてが中途退職であった。
 我が人生に於いて一番最初に就職した民間企業は30歳にして新たな“大学進学”を志すという、いとも身勝手な事由により中途退職した。 退職のお祝いをしてもらえるどころか、その我が身の勝手さをバッシングされつつ大いなる痛手を背負っての引き際だったものだ…
 その後も「出産退職」等、職場に迷惑を及ぼす自己都合による退職を繰り返してきている…
 ただしそのすべてが(今思うに)当時の原左都子が未だ若き世代であったからこそ、その後の我が更なる未来に繋がったとの自負はある。


 それに比して今の時代、還暦にして定年退職を迎える者の現実は厳しいものがあろう。
 「原左都子エッセイ集」バックナンバーで綴った通り、今現在の定年退職者にとっての再就職先とは職場周囲の若者に迎合してやっと成り立つ、だのとの見解がメディアに横行している現状だ。
 あるいは、65歳の高齢者には清掃や守衛等の単純作業しか待ち構えていない現実社会において、それでも労働を欲したい退職者にとってはその世界も有意義であることだろうか??

 一方で、定年後の生活資金を「年金」にのみ頼って済む少々リッチな高齢者達の未来が芳しいとも到底思えない。
 多くの方々は趣味に生きようとでも欲しておられることであろう。 ところが、趣味とはあくまでも「趣味」なのである。 これは“3日”で飽きよう。
 では奥方と共に定年後の人生を楽しく過ごそうかとの甘い考えをしても、奥方は皆多忙で亭主の相手などしてられない。 ならば年寄り連中で仲良くしようと志そうが、今時の年寄りはその個性が多様性を帯びているため直ぐに喧嘩別れとなる存在同士であろう。 
 元々自由業を営んでいる人種はそれをさらに開拓可能であろうが、経済不況の今時、そんな自営力に恵まれた部類とはごく一部の層に限られていることも私は常々実感している。

 それでは定年退職後の人物とは、今後何を頼りに生きていけばよいのだろうか?
 40年現役で勤め上げようが、十数年で退職を迎えようが、すべての皆さんにとって定年退職後の厳しい現実は共通との結論に達するのかもしれない。

 少なくとも誰かに依存するのではなく、自分自身の能力と実力で我が身の老後を開拓していくしかその先はないのではあるまいか? 
 そういう意味では老若男女を問わず、現役時代から「自立」した日々を歩むよう心がけているべきであろう。

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子どもの学費は親の責任に於いて負担するべき!

2012年04月05日 | 時事論評
 今春我が一人娘が大学に入学した直後であるため、どうしてもそれに関連するエッセイが続く事をご容赦願いたい。


 「原左都子エッセイ集」2009年7月のバックナンバーに於いて、「高校無償化公約は安直過ぎる」 と題する記事を公開している。

 当時、民主党に政権交代する直前に選挙の“票取り目当て”で党が打ち出した「高校無償化」公約に大いに反発した私は、それを厳しくバッシングした。
 上記バックナンバーを、以下に少し振り返らせていただくことにしよう。

 民主党は本気でそのような公約を打ち出しているのか? その財源確保案に国民公平性はあるのか?  そもそも高校無償化の前提として、現行の学校教育体系における“高校の義務教育化”の議論こそが優先されるべきではないのか?
 どうやら、政治にも“流行(はや)り”があるようだ。  政府やマスメディアが“少子化、少子化”と騒ぎ立て、それがこの世の“元凶”であるかのごとくの社会風潮が捏造されてしまうと、「子育て支援」する振りをして国民にお金をバラまきさえすれば国民の人気が取れると民主党は考えるに至るのであろう。  
 いくら何でもこの公約は保護者を甘やかし過ぎであるし、“付け焼刃”的政策としか言えないお粗末さである。  現在高校進学率が98%に達しているとは言え、現行の学校教育法の下で高校とは義務教育ではない。 現在不況が深刻になり高校生の子どもの授業料が支払えない保護者が激増しているとはいえ、“お金を配る”という至って安直な政策では「子育て支援」を果たし得ないことは明白である。  それよりも今民主党が優先するべきなのは、経済情勢の如何にかかわらず、可愛い我が子にたかだが年12万円(公立高校の1年間の学費相当額であるが)の高校の授業料を3年間支払ってやれない保護者を量産している、行政の“醜態の現状”こそを見直すことではないのか。  経済構造や雇用体制の見直し、また現行の教育制度改革による“国民が将来に渡って生きる力や自分が産んだ子どもを育てていける力のある”国民の生活基本力の育成等、次期政権を獲るべく目論んでいる政党が優先するべき課題は盛り沢山ではないのか。 “金のバラ撒き”などという、貧困にあえぐ国民をせせら笑うかのごとくの安直な公約ではなく、長期展望に立った成熟した政策を実行して欲しいものである。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用)


 別のバックナンバーに於いても子どもの学費に関する見解を幾度か述べている原左都子であるが、私論としては子どもの学費とは親が支払って当然と考えるのだ。

 どういう訳かこの国の親どもの中には、自分の愛車を購入・維持する費用や携帯電話(現在はスマートフォンであろうか)を家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けの人種が数多く存在するようだ。
 親とは決してそうではなく、愛車を売り払ってでも携帯電話を解約する等自分自身を多少犠牲にしてでも、可愛い我が子の教育費支出を最優先するべきではないのか!  (との内容の記事を既に何度か公開している。)


 今回の我がエッセイに於いては、大学生の学費に関して私論を述べさせていただく事を主眼としている。

 私事になるが我が娘が今春入学した大学に於いても、なんと!4割にも上る学生が学費を各種「奨学金」に頼る現実との大学からの説明であった。
 その「奨学金」を将来返済するのは卒業した学生本人であるらしい。 すなわち“出世払い”とでも表現できよう。
 この現象とは好意に解釈するならば、学問意欲や将来の就職の安定を我が身の事として自覚できている自立心旺盛な学生達が、親の経済力などに頼らず奨学金を利用してでもその道を極めたいとの“美談”と解釈できるのかもしれない。
 この現象を大学経営者である法人側から考察するならば、学校法人経営維持発展のため入学生に「奨学金」に依存させてでも定員以上の学生数を揃えたいとの、(特に私立)大学側の差し迫った事情もあろうか?

 ところがもっと厳しい現実問題として、この奨学金の返済滞納者が増えている実態でもあるようだ。
 日本学生支援機構に於いては、現在1万人を超える滞納者登録があるとのことだ。 その滞納が9ヶ月以上に及ぶと、奨学金返済を求めて裁判所に督促を申し立てられる運命となるようだ。 
 そのような厳しい「奨学金」制度の現実を招いている諸悪の根源とは、現在の「奨学金」とは名目のみで、その実態は「教育ローン」に他ならない程の高金利を課せられる事実との報道も見聞している。
 この現状では、現行の「奨学金」とはもはや「奨学金」とは呼称できない事実であろう。


 子どもの学費を「奨学金」に依存し、その返済を子どもの“出世払い”に頼る親達とは、そんな厳しいこの世の現実を理解した上でそうしているのであろうか??
 
 ここで今から遡る事40年近く前の我が学生時代を回顧するが、遠い昔の我が周辺にも学費を「奨学金」に頼る学生が存在した。
 ただし当時の金融情勢とは数%高金利の時代背景である。 さらに当時の貸与「奨学金」とは無利子が通常だった。 その学生の親の考えとは「子どもに当てる学費を預貯金に回し、無利子の奨学金を借りた方が将来利息分家計が潤う」との何とも親の勝手かつ姑息な判断に基づいていたようだ。
 そんな馬鹿げた親の考えに翻弄された挙句、その学生の就職後定期的に届く「奨学金返済」通知の振込手続き(当時の金融機関は午後3時まで窓口のみの営業だったし…)の煩雑さに辟易とさせられる、と後々語っていたことも我が脳裏に刻まれている。  その返済金は約束通り後々親が負担したらしいのだが、親は子どもの返済手続き上の時間的ロス等の迷惑も、少しは考慮して欲しいと同感申し上げたものである。


 最後に原左都子の私論に入ろう。

 可愛い我が子を大学へ入学させたい等々、子ども達に出来得る限りの高等教育を身につけさせたい親の思いは我が身を通じて重々理解申し上げる。
 そうした場合、親の役割としてはまずその「学費」こそを確保することからスタートするのが常識なのではなかろうか?

 もちろん子ども達の個性はそれぞれであろう。 自立心旺盛に育った子どもの場合、「奨学金」を頼ってでも大学へ入学して学問を探究したい!と親に訴えることでもあろう。
 そんな健気な我が子に親が甘えて済む話なのだろうか? 
 少なくとも、現在の各種「奨学金」制度が於かれている厳しい現実を親の立場として認識する事から始めるべきだ。  現在の親の経済力の範囲内でその奨学金の返済が将来ままならない状況下を想定できたにもかかわらず、子どもの“出世払い”で大学へ入学させたとすれば、それは一種の“子ども虐待”と私は結論付ける。

 我が娘が今春入学した私立大学の学費とは、(正直に言って)容易い金額ではない。
 我が家においては、その4年間の学費総額を計画的に蓄積した後に可愛い娘を入学させている。
 この厳しい経済情勢の中、我が娘と同じ大学に入学した学生の4割が“出世払い”の「奨学金」に頼っている現実である。 もちろん「奨学金」を受けている学生達の在学中の学問の精進、及び将来の立派な就職に期待・応援申し上げたいものだ。
 
 それでも、もしかしてそれら学生達が近い将来就職難にあえがないとは限らない。  その場合、この国の「奨学金」制度とは親の責任を二の次に位置付け、現役学生達に更なる厳しい道程を歩ませるべく魂胆の上に成り立っている“弱者虐待ローン制度”との結論となろう。

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規律の既成化が強まる社会

2012年04月03日 | 時事論評
 (写真は、昨日4月2日に原左都子が保護者の立場で訪れた某大学に於ける入学式の風景)


 昨日、我が一人娘が大学に入学した。

 その入学式に先立つ我が親子の最大の関心事とは、(くだらない事は承知だが)何を着ていくか、だった。
 と言うのも娘が見聞したところによると、今時の大学の入学式には皆“黒のリクルートスーツ”姿で出席するのが常識であるらしいのだ。
 それに反応して私曰く、「なんで18,9の子どもが自分のおめでたい式典に“葬式もどき”の恰好で出席せねばならないの? 自分が好きなものを着ていきゃいいじゃないの! 私なんか大学の入学式は(大学院も含めて)3度出席したけど、3回共自分の思い通りの好き勝手な恰好で行ったわよ。」
 
 実にその通りだったし、当時はそれが当然の“自由な”世の中だった。
 早速、原左都子自身が過去に於いて着用した入学式の衣装に関してここで語らせて頂くことにしよう。

 まず1回目、我が18歳の時の入学式には、エメラルド色の流れるようなラインのロングフレアスカートスーツに真っ赤なエナメルパンプスのいでたちだった。
 事前に母が「入学祝いにあなたが好きな洋服を買ってあげる」と申し出たのをよいことに、私は以前よりショーウィンドウを見て気に入っていたそのスーツが欲しいと回答した。 早速スポンサーの母を伴ってブティックで試着したところ、まるでオーダーしたかのようにサイズがピッタリでよく似合ったのだ! それを見た母もまんざらではない様子で即決で買ってくれた。 私のセンスにより真っ赤のエナメルパンプスをコーディネートして、入学式に着ていくことと相成った。 (その姿はやはり相当派手だったようで入学後私の衣裳を記憶していた教官や学生が多数存在し、プラスマイナスそれぞれのご感想を頂戴したものだ。)

 2度目は30歳にして再び入学した大学の入学式だが、この時私はまだ民間企業を退社しておらず(参考のため夏のボーナスをゲットした6月末に退社した)多忙な合間を縫って入学式に出席せねばならない身であったため、いつも通りの普段着で出かけた。  
 当時“規律の既成化”道程を時代が歩み始めた時期だったのか、(まさか“黒一色”ではないのだが)フォーマルっぽい正装をしている新入生が多かった記憶がある。

 3度目の30歳半ばの大学院の入学式には、当時流行していたミニスカボディコン・ショッキングピンク色スーツで出かけた。 会場内の多くは大学入学学生であり、大学院席が会場の隅っこに位置していて大学院入学生が数少なかった事もあり、さほど目立つ存在ではなかったと記憶している。


 さて、娘の今回の大学入学式衣装に話題を戻そう。

 今時の大学入学式は“黒のリクルートスーツ”スタイルが常識と聞き、その実態を(何と阿呆らしい…)と落胆しつつも、我が娘が入学した大学で無事に生き抜ける方策を模索してやるのも母親としての役割である事には間違いない。
 そこで母である私が採った方策とは、ネット上で展開されている「ベストアンサーなんたら…」の質問コーナーをチェックすることだった。
 今時ウェブ上でその種のサイトが山ほど存在するのだが、その中で私が見聞した幾つかのサイトの「ベストアンサー」とは、やはり“黒のリクルートスーツ”案が圧倒的多数だった。

 その中で、大学入学予定学生の母親が投稿した質問に応えた現役大学生による“我がベストアンサー”を発見したのだ!  その回答を以下に紹介しよう。
 「今後大学生となる人物が入学式に着ていく服など、本人自身が考慮し判断実行すれば済む話だ。お母上はご自身が着ていく服に関してもお迷いのようだが、そもそも大学の入学式に親など来なくていいのではないのか。」
 この現役大学生の回答にいたく感動した原左都子である。 こんな骨太の現役大学生が現在存在している事実を知っただけでも、私はこの国の明るい未来が描けた気さえさせてもらえたのだ!

 まあそれにしても、我が子が生まれ持った個性は上記アンサーの大学生とは大いに食い違う。 それを承知しつつ我が娘と再度相談・確認した。
 結果として、私の背中を見て育っている娘が言うには「“黒のリクルートスーツ”は着ていかない!」との結論だった。  「リクルートスーツを着ないにしても“黒”でまとめた方が無難かも…??」と提案した母の私に対して、娘はそれに従い黒のエレガントドレスコーディネートで入学式に出席する事と相成った。

 ここで上記大学入学式の写真を解説するならば、前方に位置している入学生の皆さん全員が“黒スーツ”を着用している姿を認識いただける事であろう。


 日本の社会はいつの時代からこのように“規律の既成化”にまみれ窮屈になってしまったのだろう??

 その話は、我が高校教員時代に遡る事を記憶している。
 ちょうど我が国の義務教育において「日の丸・君が代」問題が勃発したのが、私が高校教員に赴任した頃の事だったと記憶する。 当時の学校職員会議の場で、卒業式や入学式にそれらを掲げ全校生徒に歌わせる事の是非に関する議論が展開した。 「反対!」意見に同調する原左都子であったのは当然だが、その我が認識の前提として、何故近代市民社会においてこんな“くだらない事象”が今現在議論されねばならないのかこそが不可思議であり、実に悔しく情けない思いだったものだ。

 おそらく私が所属していた学校が公教育現場とは言え義務教育ではない「高校」であったため、反対意見を唱える教職員に対する処罰対応の程が緩やかだったのか?とも考察する。 当時はまだしも「日の丸・君が代」に反対する職員が法的処罰の対象となる時期ではなかった様子だ。(反対志向の強い教員に対しては、人事異動面でマイナーな対応が施されていた事は認識しているが……。) 
 その後私は教育現場を去りその議論に参加せずに済む立場にはあるが、この種の議論が教育現場の教員を更に苦しめる事態に陥っている現状を危惧して余りある現状だ。


 今回の我がエッセイに於いては、これ以上の「日の丸・君が代」議論を展開することは差し控えるが、現実問題として、上記写真の大学でもご覧のように「日の丸」が壇上に高々と掲示されていている現実である……

 おそらく日本国中すべての国公立及び私立大学に於いて、同じ現状である事だろう…。


 それにしてもだ。
 大学新入学生が入学式に着ていく服など何なりと自由でよいであろうに。
 にもかかわらず、何故若き世代の皆が“黒のリクルートスーツ”を着用せねばならないのだ??
 それってもしかしたら、今の若者は「日の丸」を掲げ「君が代」を斉唱する事を深い思慮も無く受け入れらる事実と同一レベルの話なのか??  あるいは、そんなくだらないことで“処罰”を受けている場合ではない、との“我が身息災”逃避行動なのか???

 今の日本とは世界規模での政治経済危機と共に、そんな“全体主義”観点から一アジアの小国として落ちぶれてしまったのではないのか??? 
 何故、今の若者達は組織体制に迎合するばかりで現状打破を志さないのか!? その“黒のリクルートスーツ”の着心地がそれ程よいのか??

 参考のため原左都子はDNAに於いて純粋な日本人であるがこそ故に、この種の軟弱な若者層に“歯がゆいまでの懸念”を抱きつつの今回の論評である。

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