原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

トータル閲覧数が300万を越えました!

2017年12月16日 | 自己実現
 (写真は、昨日2017.12.15 自宅にて。 窓ガラスに映った私を室内から撮影したため、室内外の風景が重なり不思議な写真になりました。 ジムトレーニングスタイルです。 表題とはさほど関係がありません。)


 12月に入った頃から、年内には「原左都子エッセイ集」の閲覧数が300万を越えるかなあ?? と楽しみにしていた。
 そうしたところ、本日その300万越えを達成だ! 

 ブログ開設以来、10年3ヶ月。
 この年月を経てトータル閲覧数300万の実績とは、おそらく同じく長年続行されている皆様のブログと比較して少ない数値であろう。

 そもそも私の場合、訪問者数や閲覧数にさほどこだわっていないのが一番の原因と分析している。 
 プロフィール欄に「相互扶助目的の読者登録はご遠慮下さい」なる文言を平然と記載しているのも、訪問者数を減少させている理由かもしれない。


 それでも10年以上の年月に渡り、「原左都子エッセイ集」は少数ながらも良質読者の皆様に恵まれ続けていることを自負している。
 私にとってはそれで必要十分だし、一番嬉しい事だ。 

 閲覧数が500万、更には1000万を超過するのはいつのことだろう。
 我が命があるうちに、1000万に届くだろうか??  (10年で300万ということは、コンスタントにエッセイを公開し続ければ、80代には1000万到達か!??)

 いずれにせよ、我がオピニオンが内面から湧き出て来る限り「原左都子エッセイ集」は永遠不滅である事には間違いない。



 せっかく冒頭に昨日撮影した写真を公開したため、後半は話題を変えてその解説に入ろう。

 昨日、トレーニングジムより帰宅した直後に我が家の室内で自撮りした全身像だ。
 ジムのロッカーが混んでいたり着替えが面倒だったりするため、冬場は自宅からこの格好の上にコートを羽織り、マフラーをしてトレーニングジムまで出かけている。 

 写真ではよく見えないが、シャツが結構派手目の緑色だ。 昨日はこれに真っ赤の小タオルを右腕に巻いた姿でトレーニングに励んだ。
 その姿を見たジム仲間が、「クリスマスバージョンを狙ったスタイルですね!」と声を掛けてくれた。
 咄嗟に「まったく意識してなかったです」と応える程に、我が脳内にはまさにクリスマスの“ク”の字も無かったのだが。

 こうやって写真を映してみると、窓から見える外観はクリスマスバージョンだ。 我が家からは西新宿超高層ビル群も展望出来るのだが、確かに最近イルミネーションが派手になっている観がある。

 ついでに少し自慢させて頂くと、日頃のランニング練習とジムにての筋トレ効果か、我が細腕の上腕部にきちんと筋肉がついているでしょ!?? 

 論点があちこち飛んだ支離滅裂エッセイにて大変失礼致しました。  

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子冷たく、職なく友なく、趣味もなく ・・・

2017年12月11日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.12.09 別刷「be」 「サザエさんをさがして」の漫画を転載したもの。)


 この長谷川町子氏による「サザエさん」の漫画は1971年の作品だそうだが、何だか今現在の定年退職男たちを彷彿とさせる情景だ。

 定年退職男性のみならず、この私とて同じようなものだ。
 「子つめたく 職なく 友なく 趣味もなく……」と脳裏に浮かべつつ街中を男性がランニングしている姿など、まるで近年の私の姿・行動パターンと二重写しだ。

 参考だが、漫画はこの後 「妻と合わねど 死にたくもなし」 と続く。
 これまた、いたく同感だが……。 
 いやまあ私の場合、娘は可愛いし、亭主と“合わない”と表現すると若干ニュアンスが異なるのだが。 (お互いに独立独歩 “我が道を行っている” と言うべきか。)


 朝日新聞記者の解説によれば。
 この長谷川町子氏による短歌は、ある有名な短歌の一部をちゃっかり借用しているそうだ。
 その本歌とは。
   親も無し
   妻無し 子無し 版木無し
   金も無けれど 死にたくも無し
 作家は、江戸中期の経世家 林子平(1738~93) (自称:六無斎) だそうである。


 私見でまとめよう。

 解説では、長谷川町子作漫画の主人公のおじいちゃんと六無斎さんの空虚な思いが重なる、とあるのだが。
 私は決してそうは思わない。
 むしろ、子が冷たくとて、職も友も趣味もなく、と言いつつも、おじいちゃんは日々外でランニングする意欲に溢れているではないか! たとえ妻ともあわずとて、死にたくもなし。 と明言しているそのおじいちゃんのパワーこそを高く評価するべきではないか!?
 それが証拠に、傍で見ているカツオくんも、「ああいうおジイサンになりたい」と、子ども心にプラス評価しているではないか。

 そうだよ。 その通りだ。
 世のおジイサンたちよ。
 職がない。 友がいない。 妻と合わない。 とブータレていないで、外へ出て走ってごらん。
 発見するものはいくらでもあるし、その後の爽快感・達成感は物凄いものがあるぞ。
 その活力があれば、「死にたい」なる発想が出るはずもないというものだ。


   P.S.
 本日より3日程 “多忙期” に突入するため、本日は短文エッセイにて失礼致します。

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えっ?! 「トラックバック」が無くなるの??

2017年12月09日 | 自己実現
 それはブログ開設以来良質なトラックバック受信に恵まれ続けて来た「原左都子エッセイ集」にとって、大変残念な事態だ。
 (参考だが、当方よりトラックバックを送信した事は一度も無い。)

 確かに近年トラックバックが届く回数が激減している事実には気付いていたが。


 つい先だって、当該goo編集画面の片隅に「トラックバックを廃止する」旨が記されているのに気付いた私が、早速テンプレートを確認したところ。
 既に、テンプレート内の「トラックバック欄」が全面消去されているではないか!?!
 これ、gooの早とちり、大失態ではなかろうか??

 「トラックバック」を廃止するとの方針に関しては、スパム受信等々に迷惑しているブロガーが存在する等の事情があるのだろう。
 それにしても、ブログ管理人の意思によりテンプレート上に公開しているバックナンバーへの「トラックバック」群を、管理人の承諾無くしてすべて抹消行動に出たのは、法的にも問題を孕んでいるように解釈するのだが。

 とにかく私にとっては、「トラックバック」とは我がエッセイ集を盛り立ててくれるまたとない“応援団”のような存在だった。
 しかも、そのほとんどが学際的で価値が高い内容だったのに、実に残念だ。 

 
 やむを得ないため、今回のエッセイではそれらgooにより消去されてしまった我がエッセイ集・テンプレートに公開していたトラックバックの一部を、以下に改めて紹介させて頂くこととしよう。
 (以下、 トラックバックが届いた日付、トラックバック題名、送信者名、最後の「 」内は大本の我がエッセイ集の題名、 の順に記載します。)

 2010.12.02   林真理子おぼろタオル (ほっとにゅーす) 
       「嫌な人に会うと勉強になる」

 2010.11.03   マイケル・ジャクソン「ブラック・オア・ホワイト」 (ダンス動画)
       「トシちゃん、あなたはビッグです」

 2010.08.02   新型ワクチン余剰分メーカー買い取りへ厚労相が表明 (あじさい文庫だより)
       「インフルワクチン過剰発注が招いた巨額損失」

 2010.06.12   菅直人の所信表明演説を読むのが面倒な貴方に 
       (んがべのちょっとした政治・経済の話)
       「国民が期待するのは菅内閣の『実行力』であるべき」

 2010.05.25    自動的な生殖  (哲学はなぜ間違うのか?)
       「都会のど真ん中で美声を披露するウグイス」

 2009.07.10  新たな都市伝説か? 便所飯  (名古屋人伝説。税理士バッキーの日記帳)
       「昼飯くらい一人で食べさせてくれ!」

 2009.07.10  最高裁の事例を教訓に 熊本県天草市の事例に学ぶ  (“しょう”のブログ)
       「『体罰』と『指導』の狭間」

 2008.10.16  #064自然対数の底「e」も生活になくてはならない数値
        (コラム「自分学」 監査法人に就活中、でも物理学!)
       「1か0かの世界」

 2008.10.11  ノーベル物理学賞・化学賞に日本人が選出  (やぎの宇宙ブログ)
       「対称性の破れ」

 2008.05.16    全キーでのスケール ~ ロクリアンスケール(Locrian Scale)編
         (バイエルを辞めよう! ピアノコードのすすめ)
        「むなしい若者」

 2008.01.19    結果の平等ではなく「成長」の平等を (教育失敗学から教育創造学へ)
        「中高一貫校急増の社会的背景とその是非」

 2008.01.19    ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2008 (気軽にクラシックルーム)
        「今年はラデツキーが聴けるか?!」

 2007.11.06    the golden age music from plentyさん♪  (クラランド・アイランド)
        「70年代ディスコサウンドで踊ろう!」

 2007.10.23   自己ってなに?  (ベリーロールな日々)
        「self or not self」

 (以上、ごく一部だが、「原左都子エッセイ集」宛にご送信下さったトラックバックより公開させていただいていたものを紹介。 この他、保留措置を採らせていただいたものも多数存在する。)


 特に印象的だったのは、上記一番下のベリーロールな日々氏より頂戴したトラックバックだ。
 「原左都子エッセイ集」公開直後期の2007年10月の事だった。
 この「self or not self」と題するエッセイは、20代に医学関連民間企業にて免疫学分野業務に携わった時期の我が業務経験や、当時インパクトを受けた免疫学トピックスを綴った内容だ。
 エッセイ集立ち上げ公開前より、このテーマを是非綴り公開したいと虎視眈々と狙っていた題材である。
 当時ブログド新人の我がエッセイ集に、トラックバックが届けられるなど夢にも思っていなかった。
 しかもベリーロールな日々氏より届けられたトラックバックには、我がエッセイを読んで多田富雄著「免疫の意味論」を是非読みたい!なる有り難きメッセージが書かれていて実に感激したものだ。

 そんな思い出があるバックナンバー「self or not self」の結びの部分のみを、今回再度以下に紹介させていただこう。
 ところが、その後の研究により「免疫」とは“self"を認識するシステムであることがわかってきた。 すなわち、「免疫」とは“not self"を排除するために存在するのではなく(もちろん結果的には排除するが)、“self"の全一性を保証するためのシステム、すなわち「自己」の「内部世界」を監視する調整系として捉えられる時代に入るのである。 ところが、この“self"と“not self"の境界も曖昧だ。 それでも、そんなファジーな「自己」は一応連続した行動様式を維持し、「非自己」との間で入り組んだ相互関係を保っている。
(詳細は、上記の多田富雄著「免疫の意味論」をお読みいただくか、あるいは免疫学に関する各種論文等文献を参照いただきたい。)
 “self or not self" 、 当時の若き私はこの言葉に惹きつけられ、自然界のひとつである人間の体内にもこんなすばらしい哲学があることにいたく感動したものだ。
 あれから20年以上経過した今(2007年時)でも、私の思想の根底にこの“self or not self" の哲学はまだ息づいている。 そんな一端を今回は少し語らせていただいた。
 (以上、我がエッセイ集開設初期のバックナンバー「self or not self」より一部を引用したもの。)


 最後に、話題をトラックバックに戻そう。

 コメント欄閉鎖措置を採って既に数年の年月が流れている私にとり、メッセージ欄やトラックバック欄はそれを補完する媒体として活用可能だったとも言える。
 ただし、近年はトラックバックの着信が劇的に減少している事実は確かだ。

 繰り返すが、そんな時代背景に伴いgooのトラックバック廃止措置はやむを得ないとして。 
 テンプレート欄にて公開していた過去のトラックバック群を自身のブログに掲載し続けてもgooには何らの損失も発生しないと考える私としては、今後も過去に頂いた価値あるトラックバックの公開をブログ管理者の自由意思に任せて欲しいものだが。  
 単に私がその再掲載手段を心得ないだけのことかもしれないが、とにかく、gooの今回の措置によりトラックバックがテンプレートから消去された事態に大いにショックを受けているgoo会員が存在する事実に、gooは慮って欲しい気がする。

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絵むすび  (朝日新聞2017.12.2編)

2017年12月02日 | 自己実現
 (写真は、本日2017.12.2付 朝日新聞パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)



 朝日新聞パズル「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました!


 つい先ほど、gooブログの編集画面「リアルタイムアクセス」ページを開いたところ、本エッセイ集 バックナンバーにて公開した 朝日新聞「絵むすび」解答にアクセスが押し寄せているのを発見した。

 この現状こそが、今回の「絵むすび」が難解であることを物語っている。


 集合住宅に住む我が家だが、本日土曜日、我が亭主が集合住宅一階の集合ポストより朝日新聞を取って来る時間は早かった。
 そろそろ「be」のパズルが「絵むすび」かなあ、と想像していたところ、ピシャリ当たっていた。
 ただし「難易度3」とのこと。 「なんだ、簡単なんだ」  と落胆し解答を後回しにして他の所用をこなしつつ午前を過ごした。

 昼ご飯を終えて「絵むすび」解答に取りかかってみると。
 これはどうした?!!  大いに手応えありだ! 
 朝日新聞が如何なる基準でパズルの「難易度」を決定しているのかに関しては図り知れないが、こういう“番狂わせ”もパズルファンにとっては醍醐味と言えよう。
 
 
 さてさて、それでは私が解答した道順を辿ってみよう。

 まず「ホットドック」に関しては、そのまま左外回りで結んでしまっても、他のアイテムの邪魔をしなさそうだ。
 その次からが難儀だが。
 私が着目したのは、右側最上段にある「みのむし」だ。 これを最上段を通して最短距離で結んでみることとした。

 その後、頭をひねる事態となるのだが。

 ここで私は、思い切った発想の転換をした。 意外なアイテムを遠回ししてみようかと。
 そして、「信号機」をガガガガーーーっと回りくねりさせならが遠距離で結んだら、意外や意外、他の「こたつ」「シャベル」が簡単に結べ、その間を這うように「靴下」が結べ、完成だ!


 いやはや、何事も発想の転換が 「気運」(「機運」?)を招くことを実感だ。
 ただいつもの我が持論だが、その間も視野を広く保ちつつ「四角四面」世界の中に共存する他のアイテムを思いやる心遣いは欠かせないのだが。


 皆様も、時には「発送の転換」により、ご自身の「気運」を招いてみては如何でしょうか。

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パズル「推理」 (朝日新聞2017.11.18編)

2017年11月19日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.11.18付 パズル「推理」に原左都子が解答したもの。)



 朝日新聞パズルファンの皆様、お待たせ致しました!

 既に昨日より、朝日新聞ファンの皆様からと思しき「パズル推理」バックナンバーへのアクセスを頂いているようだが、つい先ほどのgooブログリアルタイムアクセスページでも、当エッセイ集にて公開している「パズル推理」に多くのアクセスを頂戴しているのを発見した。



 今回の「推理」は、“難易度4”とのことで、確かにこの私も解答に手間取った。

 解答終了後もこれで正解だろうか? との確認作業を念入りに行った程だ。


 ただやはり、登場人物の発言を忠実に読み解きつつ回答欄に〇✖を書き込んでいけば、自ずと解答が導かれるはずだ。

 特に私が今回の解答に際し一番神経を使ったのは、水野さんが言うところの「陸上部より演劇部のほうが5人多い」との箇所だ。 この“5人差”の文言が最重要ポイントとなろう。 

 例えば、井上さんも「2人以上部員が多い」と言っているが、その差の幅があるため、井上さんが9人の部活には所属していないとの意味でその欄に✖印を入れ、とりあえず後回しにするべきだ。

 吉田さんと川島さんに関しても、川島さんの「吉田の部より部員数が少ない」との発言に従うなら、とりあえず少なくとも川島さんが20人の部活に所属していないことが判明するため、その欄に✖を記そう。

 後はその差を如何に扱うかの駆け引きだが、“陸上部と演劇部の差が5人”との重要ポイントを思い起こしつつ人数計算を実施すると、後は自ずと解答を導けるのではあるまいか。



 このように書いてくると、何だかパズル解答も“人間付き合い”と共通項があるように考察出来そうだ。

 ネットではなく生身の人間同士の付き合いに於いては特に、相手が何を伝えたいのか?を聞き取る事と相手が抱えている内面心理を見抜く作業が欠かせないのではあるまいか?


 現実世界では一応“聞き上手”の誉れを頂いている私の場合、まさに日々それに徹している感すらある。


 要するに、パズル解答が得意な人材(私がそれに匹敵するとは一言も述べていないつもりですが)とは。 
 とにかく相手の発言にとことん耳を傾け、その背景事情を探り出す能力が欠かせないとの結論に至りそうな気もする。

 
 そもそも人の話を一生懸命に聞く気も無ければ、鬱陶しい話など御免蒙りたいから勝手にしろ! と投げ捨てる聞き手人物には、「推理」の解答は叶わないのではなかろうか?  などと我が推理を発展させてしまいそうな私だ。

 話題がいつもの「原左都子エッセイ集」バージョンに移り、自分本位に飛躍しました事をお詫び申し上げます!

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ロードレース7年連続出場、すべて完走です!!

2017年11月13日 | 自己実現
 (写真は、昨日2017.11.12 に東京都練馬区に於いて開催されたロードレースの我が「完走証」「ゼッケン」 及び大会のパンフレット。)


 昨日、冷たい風がやや強かったものの晴天に恵まれる朝を迎えた。

 実は今年のロードレース大会程、事前練習が思うように叶わなかった大会は未だかって無かった。

 10月中旬頃より歯痛に苛まれ歯科医通いが続いているのに加えて、10月終り頃には娘が外から持ち帰った風邪をうつされる始末。 娘共々微熱程度で済んだのは幸いだが、娘が早期に回復するのに対し。 老体のこちらは喉の痛みが激しかったり下痢を伴う風邪症状が続き、歯茎が腫れるわ、持病の痔が悪化するわで、踏んだり蹴ったりの日々だった。

 そんな悪体調条件の中、やっとこさ最後にランニング練習をしたのが先週の11月5日の事。 何とか好記録を出せたのは良かったものの、その後風邪症状が悪化し身体の衰弱感が強まってしまった。
 その間もフルートスタジオ練習は続行しつつも、さすがにランニングやジムトレーニングは慎む日を過ごし、これでロードレースを走れるのか?との大いなる不安材料を抱えつつレース当日の朝を迎えた。

 1年ぶりのランニング大会(ロードレース)出場にして、朝の目覚めは比較的良好だった。
 ただ、やはり下痢が続いている。  ここのところの体調不良で体重も減ったままだ。(スリム体型を好む私としては嬉しい現象だが。) おそらく体力がかなり低下したままの状態で走る事になろうと覚悟を決め、単身でロードレース会場へと向かった。


 こんな時とは、不運が追い打ちをかけるものだ。
 何と、昨年までとはランニングコースに大幅な変更があるとの事だ。 走る前から“衰弱感”が否めない身にして、会場到着後そのコース確認に手間取る。 
 ただ何とかスタートライン集合場所に行き着けた時には、体調不良感よりも「今年も頑張るぞ!」感の方が勝っていた!

 参加者数千人の比較的規模が大きい大会のため、レース中の係員氏の誘導等は当てに出来そうだ。 その誘導に従いながら、自分の体調と相談しつつスピードを調整する。
 無理は厳禁、とにかく「完走!」を視野に入れながら、2周周回コースを走り切り陸上競技場のゴールへ辿り着いた。

 タイムは予想通り、過去最低の記録。
 当該ロードレースにて過去最高を打ち立てた自身の記録よりも、4分程遅い記録にゲンナリさせられる…。  それでも、5㎞40歳以上女子部門出場者74名中の高齢順に7番目の私にして、体調不良を抱えつつ51位でゴールに辿り着けた事実に感無量だ。
 
 しかもゴール後、同じ5kmレースを闘う中で同着スレスレだった一高齢男性よりお声を掛けて頂いた。 「ありがとうございました。 貴女と抜きつ抜かれつしつつ貴女が私を引っ張ってくれたお陰で私も無事にゴール出来ました!」  
 過去に於いても、レース中に並走状態の男性(大抵高齢域の方だが)から、「頑張ろう、もう少し!」等々応援を頂いたことはよくある。 今回のように、ゴール後にわざわざご挨拶頂いたことは今回が初めての経験で、私も息絶え絶えの中、丁寧に御礼を申し上げた。


 さて無事にゴールに到着し、荷物を受け取りに荷物預かり所へ辿り着いたら…
 未だ息絶え絶え状態で意識朦朧としている私は、自分の荷物番号を見間違い、誤った預かり所を訪れたようだ。
 そこに待機して下さっているのは、私よりも10歳程年齢を重ねていらっしゃるらしき地域のご婦人の皆様なのだが。 それらのご婦人達の皆が皆、一出場選手である私に随分と優しく接して下さる。
 (荷物を引き取りに来るのが遅い出場者とは、ゴールが遅かったことを物語るのがみえみえ状態の中…)
 そんな事を誰も責めないのはスタッフとしての常識として。
 高齢ご婦人皆さんが、「よく頑張りましたね!」 「完走出来たのは何よりです!」 「来年も必ず出場して下さいね!」とねぎらって下さるではないか。

 それに未だ息が荒い私も、「ありがとうございます。 必ず来年も出場します! 本日はお世話になりまして誠にありがとうございました!」と返答出来たのが何よりだった。

 記録は振るわなかった(というよりも過去最低記録を更新した…)ものの、清々しい気持ちでロードレース会場を後に出来た事実こそが何よりのプレゼント、と思えた今回の大会出場だ。


 私自身の高齢化に伴い、ロードレース大会出場に際し今後ますます年齢に応じ更なる悪条件が押し寄せる事実をも鑑みつつ…。
 当該大会には70代半ば女性も参加されている事実に触発され。
 原左都子もそれに見習うべく、今後も毎年当該ロードレース大会出場を目指すべく更なる精進を続ける目標が描けそうだ。

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絵むすび(朝日新聞2017.10.14編)

2017年10月14日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.10.14日付 パズル「絵むすび」 に原左都子が解答したもの。)


 冒頭より表題の「絵むすび」から話題が大幅にズレるが。
 朝日新聞本日(2017.10.14)付朝刊一面左側に、「自公、300議席うかがう」と題する朝日新聞社による衆院選情勢調査 記事が掲載されていた。

 実は、昨日我が家にこの「朝日新聞社による衆院選情勢調査」の電話が掛かって来た。(その詳細に関しては後日我がエッセイ集時事論評カテゴリーエッセイにて綴る予定だが。)

 この世論調査に関する調査方法の説明書きが記事の末部にある。 その一部を以下に紹介しておこう。
 朝日新聞社の今回の衆院選情勢調査は、全289選挙区を全国の縮図となるよう統計的に2分割し、選挙区と比例区の投票先などを質問して全体的な概況をつかみ、最終的に2分割した結果を合算し、選挙区・比例区の全体情勢を最終推計した。
 調査はコンピューターで無作為に作成した固定電話番号に調査員が電話をかけるRDD方式。 各選挙区の有効回答の目標数は300。 有権者がいる世帯と判明した番号は全国で計15万3239件、有効回答は計8万8152人。 回答率は58%。
 (以上、朝日新聞衆院選情勢調査に関する記載を朝日新聞紙面より一部引用したもの。)


 私事に入るが、ここのところ我が「原左都子エッセイ集」にて来る10月22日実施の衆院選に関する時事論評エッセイ公開が続いている。
 そんな折の朝日新聞衆院選情勢調査が無作為方式とはいえ、実にタイムリーだったことに驚かされた。
 しかもだ。 この調査は、電話に出た人物相手にいきなり質問を投げかけるのではなく、必ずや家庭内有権者の人数を確認し、昨日の電話の場合、有権者の中から2番目の年齢の人物の選挙行動方針を聞きたいとの意向だ。 
 然るに、最初電話に出たのは我が亭主だったのだが、回答するのは、な、なんと!この私だったのだ!!
 膨大な数の電話番号の中、コンピュータにより我が家の電話番号が選別されるとは何たる偶然! と唸りつつ、電話にて朝日新聞よりの質問に悠然と我が意を伝えたものだ。 (ただ質問内容は限定されていて、私論を述べる場面は当然ながら皆無だったのだけどね。)
 そうだとせよ、メディア報道により左右される優柔不断な有権者が多数と推測される中、我が意が調査結果の一端を担えた事実を喜ぶべきだろう。



 「絵むすび」とは無関係の記述が長引き、純粋な朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様に失礼を致しましたことをお詫びします。

 さてさて今回の「絵むすび」ですが、“難易度3” にしては解答に手間取りませんでしたか?
 おそらく朝日新聞「絵むすび」の難易度を判定するのが、作成側としても困難であろうことが推測される。

 解答法を原左都子なりに、少しだけ解説するならば。
 やはり、四角紙面の四隅にあるアイテムに、まずは着目するべきだろう。  「はたき」「くるま」「きのこ」がそれに該当するが、この私もこれらアイテムを如何に扱うのか当初困惑した。
  
 そうした場合、四角の中程にあるアイテムを先に移動させる手段を取ればよいかもしれない。 
 私が企てたのは、「クッキー」と「きのこ」を最短距離で結ぶ事であり、それをとりあえず実行した。
 それを結んで見えてきたのが、「かぼちゃ」「はたき」「くるま」「おばけ」が四角四面の中で歩むべき動向だ。
 結果としては「おばけ」が一番に曲がりくねった道程を歩んだようだが、これで「絵むすび」解答が叶った。


 最後に原左都子の勝手ながら、話題を衆院選情勢調査に戻させていただこう。

 まさに今回の衆院選など、安倍政権により歪み切ってしまった国政下に於いてその「安倍政権」を潰したい意向は野党間では山々だったにもかかわらず……
 バブル人気で一時活気付いた新政党「希望の党」には実は何らの確固とした政策がなかったり、一度は国政を牛耳った野党「民進党」党内の大混乱等の惨劇により。
 結局「おばけ」が今回の選挙では2匹、いや数匹いるようだが、その元祖「おばけ」が大量票をゲットそうな惨然たる有様……

 いやいや、選挙までまだ1週間ある。
 その間に、今回の朝日新聞調査に対し「選挙に興味ない」と応えたらしき半数近い国民の皆さん。 
 是非とも選挙行動(参政権)を自分の権利と捉え、ご自身が今後この国(「四角四面」の世の中であることには間違いない事実が悲しいが)にて歩むべく“立ち位置”を再確認して欲しいものだ。

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パズル「推理」 (朝日新聞2017.10.1編)

2017年10月01日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞昨日9月30日 パズル「推理」に原左都子が解答したもの。)


 今回の朝日新聞パズル 「推理」課題は、“難易度3” の割には、途中頭をひねる場面がありませんでしたか?

 
 実は本日も我がエッセイ集に於いては、安倍政権による突然の衆院解散総選挙がらみのトピックスを綴り公開する予定だった。
 本日のNHK昼のニュースにて放映された、「希望の党」若狭勝氏による党よりのメッセージ(若狭氏本人が勝手に発言した内容であるとも考えられ、後に小池代表から叱咤を受けた恐れも考慮出来るが)に、憤りを抱いた私である。
 若狭氏によれば、何でも現在東京都知事である小池氏は、後3週間後に迫っている衆院選への出馬の有無を自身の利権のみ優先してその動向を見守っている旨の発言だった。

 原左都子の私見だが、それを「希望の党」幹部の若狭氏がNHKニュース内で堂々と公表するとは、要するに、小池知事はあくまでも都知事の立場を「保険」として捉えている事実を物語っている事実を、国民皆に発表したようなものだ。

 そんな自己の利権にしがみつかんとする諸野党の動きを一国民の立場で静観させられるのも屈辱的なのだが、今に至って民進党が分裂する様子でもある。
 民進党新代表の前原氏が「希望の党」との迎合を焦り過ぎた結果と私は見るが。
 私見としては、是非とも民進党には分裂を実行して、党員個々の政治ポリシーを貫いた上で10月の総選挙に臨んで欲しいと考える。



 さてさて、パズル「推理」に話題を戻そう。

 今回のパズル課題は一見簡単そうに見えて、解答を志した皆様も途中で困惑されたのではあるまいか?

 この私もそうだったのだが、キーポイントはペンギンくんの発言「梅田から横浜に行く者がおります」だったと判断する。
 この発言を忘れず 〇✖を付ければ、後は比較的簡単に解答が叶ったのではなかろうか?


 国政選挙も今回の「推理」パズルのごとく、皆が皆別の地方部署に人事異動出来てすんなり収まればよいのだが…。

 残念ながら現在の野党を鑑みるに。
 何故か単に東京都知事選及び東京都議会選にて勝利した小池氏率いる「希望の党」が、ほんの一時選挙民に支持されたとの事実のみで、単に数の論理で意味不明に国家野党のすべてを統括せんとしている事実に、私は大いなる違和感を抱かされ続けている。

 少なくとも「希望の党」代表の小池氏は、自らの都知事としての立場を「保険」と捉え都民に甘え続けるのではなく、党の政策詳細を早期に国民に語るべきだ!

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「原左都子エッセイ集」10周年、ブログを長期間継続する秘訣とは

2017年09月09日 | 自己実現
 当「原左都子エッセイ集」をネット上に公開して、去る9月6日で10周年を迎えた。

 8月の長野旅行以降「時事論評カテゴリー」エッセイの公開が(我が心理面でのプラスの意味合いも含めた混乱等々により、故意に)少なくなっているが、基本的には社会時事問題をターゲットとして、それに対する辛口論評を公開する姿勢を主眼としている我がエッセイ集だ。


 そのような我がブログの性質のため、特にコメント欄をオープンにしていた2011年頃までは、誹謗中傷等々世間からのマイナス反応に苦しんだりもした。
 
 その後、コメント欄閉鎖措置を採用し、既に数年の年月が流れている。
 今となっては人様のブログを拝見しては、「コメント欄が充実していていいなあ」 「私もコメント欄を再開したら、皆様のように過去の賑わいが復活するのだろうか? あるいは、やはり我がブログの性質を鑑みると必然的にマイナス反応は避けられず、その対応に追われる日々なのだろうか…」 様々な思惑が脳裏を巡る。

 結果としては、現実社会に生きる(ペンネーム“原左都子”ではなく、本名の)「私」の生活を優先するべきだしそれが当然!との思考故に、コメント欄は閉鎖措置を続行するのが賢明であろう、との結論に至っている。


 さて、何だかんだ言いつつも、我が「原左都子エッセイ集」は10年の年月を刻んで来れた。

 その間、旅行等によりエッセイ執筆をお休みすることはあったが、多くてせいぜい1週間程度の中断に過ぎない。
 10年来、1本の字数ほぼ2,000字 ~ 3,000字(一番字数が多いエッセイは10,000字を超過しているが)のエッセイを2,3日置きのペースで綴り公開し続け、現在公開エッセイ総数が1,700本近くに到達している。 (参考だが、エッセイ内実在登場人物のプライバシーを考慮したり、我が思想上どうしても自分自身が受け入れ難いエッセイを後に削除・非公開としたものも含めると、既に1,800本を超えているだろう。)


 そんな私のブログ長期継続の秘訣を語るならば。

 第一の理由とは。
 ペンネーム「原左都子」ではなく、現実世界に生きている「私」本人が「原左都子エッセイ集」にてエッセイを綴り公開するとの生業に、大いなる達成感ひいては生き甲斐を見出せているからに他ならない。
 この生業は「趣味」の範囲を超越し、我が「ライフワーク」の位置付けとなっている事実は否めない。
 それならばコメント欄を開放し世間の反応を受け入れた方が、より達成感が増強されるのではないか?なるご指摘があろうことも重々推測出来る。
 ただ上に記載の通り、ブログの反応とは例えコメント欄認証制を採用したとはいえ“野放図”に押し寄せるものだろう。 それを読ませられるのもストレスだし、すべてを受け入れ対応するには我が実生活上のキャパシティー範囲を超越している、との結論に5年前に至っている事をお詫びしておこう。

 コメント欄を閉鎖しても、長期継続できる秘訣の第二の理由とは。

 私の場合コメント欄は閉鎖しているが、その代替手段として「メッセージ欄」を設けている。
 現在に於いては、この「メッセージ欄」を通して「原左都子エッセイ集」宛にメッセージを受付ける事により、読者の皆様との直接のコンタクトを継続出来ているとも言えよう。
 残念な事に、この欄を通して未だ “誹謗中傷”も届けられるのが実情だ。 ただ、こちらの対応としては、メッセージ欄に連絡先をご記入下さった相手にのみご返答を申し上げれば済むのが「メッセージ欄」の長所と捉えている。 
 大方の誹謗中傷メッセージの場合、何故かご自身の連絡先を明記されていないのが実態だ。 そうすると私の方は無視するしか方策が採れず、必然的に関係が途絶えるとのメリットがある。


 ブログを長期間継続する秘訣の結論だが。

 ご自身のブログに対するポリシーあってこその継続に他ならないであろう。

 ただ逆に言えば、ブログを廃止するとの決断もブロガーのポリシーを物語る絶大な手段なのかもしれない。
 10年前の「原左都子エッセイ集」開設直後期には、数多くの読者の方々が我がブログに押し寄せて下さった。 あれから10年が経過し、当時ネット上で懇親にさせていただいたその印象深いブロガーの皆様が現在如何に世を渡っておられるのか、追跡の手段も無いのが現状だ。
 私が思うに、当の昔に「ブログ」など卒業され、現世に力強く羽ばたかれれいるのかもしれないし、そうでないのかもしれない‥。
 
 片や、もちろんの事、ブログ上にて10年来お付き合いが続行している方々も国内外に少なからずいらっしゃる。
 それらの方々が相変わらず、絶え間なく「原左都子エッセイ集」に暖かい視線を注いで下さっている事実に心より感謝しつつ、我がエッセイ集の10周年をあくまでも静かに厳かに祝おう。

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一生に渡り “チャラい女” をさせてもらえない怨念

2017年09月04日 | 自己実現
 先だって、義母が暮らす高齢者介護施設にてケアマネ氏と今後の義母の介護計画を話し合った時のことだ。

 本筋の話がほぼ終了した後に、ケアマネ氏がおっしゃるには……、
 「実は私の父母はずっと仲が悪かったのです。 にもかかわらず父が80代で他界した暁に、何とあれだけ父を嫌っていた母が自己を失う程に喪失感を抱いた様子で、その後の母の介護が大変でした。 特に母の場合、姉ではなく下の娘である私への依存心が強い人間だったため、実質私一人がそんな母の最期を看取るのは大変な作業でした。」

 同様の思いは私にもある。
 我が父の場合、60代との若さで突然死に至った。 我が家の場合“父母の仲が悪い”と表現すると少しニュアンスが異なるのだが。 とにかく、母は扱い易い次女の私にだけは言いたい放題のくせに、父と姉の生まれ持ったDNA素質の独善的態度故に、この二人には言いたい事が何一つ言えず、苦労する人生を歩む姿を私も認識していた。
 ただそれならば、そんな独善父が早死にした事実をこれ幸いと喜び、未だ60代半ばの今後の自分の人生をエンジョイすればよいものを……。  何と実母が採った行動とは、まさにケアマネ氏の御母上同様に、父亡き後周囲に「寂しい」と泣きつく事だった。 (それを “ウソこけよ。何演技してるんだ!”と傍で白けて見ていた私だ。)
 ただ我が家の場合幸いだったのは、父の死時に母が未だ60代と若かった事だろう。 時が数年経過した時点で実母が「あの人(父の事)は早死にするべく運命付けられていたように思う。」と私に対し告白し始めたのだ。  それに応えて私曰く、「父も姉も、母である貴女を苦しめていた事実を私は幼き頃よりずっと傍で見ながら育っている。 そんな貴方が父の死により開放感を得て良いのは当然の事だ。 それを責める人など誰一人いないよ。」と肯定し続けている。


 このケアマネ氏と義母の保証人である私との付き合いは5年程になるのだが、とにかくいつお会いしてお話しても“ツーカー感”が得られる人物だ。
 その大本の理由が分かった気がした。
 要するに、お互いに幼き頃からずっと母親の“心の受け皿”の役割を強要されて育っているようだ。 決してそれを肯定しながらその業を担当していた訳ではなく、(何で下の娘の私ばっかり…)なる母に対する反発心を知らず知らずに蓄積してストレスを溜め込んでいたのだろう。

 そんな私は就職の際、実家も郷里も捨てて単身上京した。 一方でケアマネ氏も専門職に就き自立され、御母上を含めたご実家を去られた様子だ。 (ケアマネ氏の場合、現在尚現職にて活躍されておられる事実が私には羨ましい限りだが。)


 表題のテーマに入ろう。

 世に生まれ出た子ども達の中には、生まれ持って“母より精神的に依存される”運命を背負わされる人生が待ち構えている立場の人間が存在するようだ。
 その種の子供達はその“生業”が運命付けられているが故に、自分を大事にするためにはそんな家庭から逃れねばならない。 それを実行し自立して真面目に仕事に励んでいるにもかかわらず、尚執拗に親孝行を全うさせられる運命にあるような気がする。

 片や、親に“依存心を抱かれない”子供達は一生に於いて自由が保障され、自分勝手に“チャラチャラ”と暮らしているような実感もある。 (米国在住の我が実姉の人生も、まあそんなものだ。 ケアマネ氏のお姉様のご様子は存じないが。)


 ここで余談だが、ネット情報より “チャラい女” の特徴を記した文章を紹介しよう。

 チャラいと言うと尻軽な女性であったりする場合が多く、男性としてはそのような女性に引っかかりたくはないと思う傾向もあります。 そこで今回はチャラい女の特徴をご紹介しましょう。
 服装やヘアスタイルが派手な女性 。
  髪の毛の色が茶色や金髪などといった明るい色であったり、服装やアクセサリーを派手に着飾っている女性は、男性からチャラいという印象をもたれてしまいやすくなります。 これらの特徴は、男性にとって水商売系の女性を連想させやすいためです。 水商売の女性は男性相手の商売ですから、男性のイメージは本命の女性という印象はなく遊び相手というイメージが直結します。
 言葉の遣い方が雑な女性 。
男性・女性や年齢の上下を問わす、言葉使いが雑であったり、敬語が苦手な女性もまた、チャラいと思われてしまう大きな要因です。 た特に女性に対しての男性のイメージとして、美しさを求める傾向は根強くあります。 この美しさの中には言葉の美しさを求める男性も少なくありません。このような男性の女性に対する願望にも似たイメージによって、言葉遣いが雑な女性はチャラいというイメージを持ちやすくなるのです。
 男友達が多い女性 。
女友達よりも男友達と遊んでいる事が多い女性もまた、男性にとってはチャラいというイメージを持ちやすくなります。 交友関係に男性が多い女性は、周囲に自分と同じ男性がいつも存在している事を意識させるため、独占欲が満足できないと言うイメージを持つ事となり、かつ他の男性と浮気しやすいのではないかと言うイメージが働きます。
 最終的に、男友達が多い=遊んでいると言うイメージを持つことになり、そのような女性はチャラいという判断をしてしまうのです。 (以下略。)
 (以上、ネット情報より、「チャラい女」に関する記述の一部を紹介したもの。)


 最後に、原左都子の私見でまとめよう。

 いやはや、どうしたんだ?!?  最後に紹介した「チャラい女」に関するネット情報のレベルの低さは!  (それをわざと狙って引用したのだが。)

 などと言いつつ、私など上記ネット情報の「チャラい女」を地で行っていないか?!?  
 外見は派手。  言葉遣いも雑。  男友達が多い。 
 郷里に行く都度、実母から「派手過ぎ!!」と非難され続ける歴史も長いし…。

 親(特に最後に残る親)の人生最期を看取る役割を親から期待される子どもとは、決して “チャラいキャラ” ではないから頼られてしまうのだろう。
 上記のケアマネ氏にしても私にしても、その期待に応える能力ある子供と親本人が判断したからこそ託される生業任務であろう、との思いもある。

 それにしても、一生に渡り“チャラい女”をさせてもらえない人間とは、幸せなのか不幸なのか?? 今は分からず、仕事(親の介護や死後の後始末)ばかりが降りかかってくる現実を嘆きたいのが本音だ。

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派手で目立つ外見とは “恥ずかしい” 事か??

2017年08月23日 | 自己実現
 現在は、比較的大人しく問題行動もなく高齢者介護施設にて平穏に暮らしている郷里の実母だが…

 施設入居前までは私が郷里の実家に帰省すると、必ずや開口一番私に遠慮なく投げかける言葉があった。

 「また、そんな派手な格好で帰って来て! 恥ずかしからスカート丈をもっと長くして年相応の服装をしなさい!」 
 いきなり怒り心頭の私だが、いつもの決まり文句故に無視して聞き流す。

 そんな口の悪い実母だが、実は娘のその派手な姿が母にとってまんざらではない事にも私は気付いている。 親の欲目には間違いなかろうが、自分の娘が何歳になってもスラリとした足をしてミニスカートがよく似合っている(??)事を決して悪くは思っておらず、実は肯定的に捉えている事も私は知っている。
 それが証拠にこの悪口は帰省直後にただ一度発するのみで、その後はむしろ「いつまでもそんな格好が出来ていいねえ」と表現が軟化していくのだ。
 
 私が一番ムカつくのは、母の発言内の「恥ずかしい」なるフレーズだ。
 一体何に対して「恥ずかしい」と母は考えるのか? 
 それはおそらく世間体であろう。 だが、郷里に帰省したとて特段母にとっての重要人物と面会するでもない。 会うのはせいぜい親戚やご近所の皆さん程度だ。 その人達にとって、私が派手な格好をしている事実がどれ程までに「恥ずかしい」と母は言いたかったのか。  むしろ私の格好を肯定的に捉えて下さる方々が多数で、「やっぱり東京に住んでいる人は違うなあ」なる賞賛(?)の評価を少なからず頂いたものだ。
 私の派手な格好のために実母がその後自分自身の評価を下げたとも、ただの一度も聞いた試しがない。


 冒頭から私事が長引いたが、ここでテーマを大きく変えよう。

 我が娘が私立高校生だった時に、学校から とある「外見」に関する“指導”を受けた事がある。
 その真相とは、そもそも娘が持って生まれた若干の事情に基づく病変が原因だった。  若干の事情を抱えてこの世に生まれざるを得なかった娘は、幼少の頃より医学的にも説明が困難な“奇病”を幾つも発症する運命にあった。
 その一つが、娘が小学校6年生時より眉部分に発症した「抜毛性脱毛症」だった。(正確には「抜」の字が異なるが。)
 早々に専門皮膚科を受診したのだが、その原因も不明ならば、何時完治するかの予想もつきにくい奇病との専門医師の説明だった。(要するに本人が無意識のうちに抜いているとの事のようだが、本人に一切の自覚症状が無ければ、それを周囲が責め立てる事は大いなるマイナスとなるため、そのまま放置するしか方策が採れない奇病だ。) ただ医師の指導に我々親子は大いに安堵した。 医師先生曰く「眉に眉墨を塗ればOKですよ! 女性の皆さんは普通に眉墨を塗っています。 何も問題はありません。 もし学校から眉墨を使用する事を指摘されるようなことがあるのならば、私の方から『証明書』を発行します。」 とのご指導で、小学校、中学校には皮膚科医師が発行して下さった「抜毛性脱毛症証明書」を提出して事が済んだ。

 我が娘の場合高校は内部進学のため、中学時代に提出した「医師による証明書類」の効力が持続するものと考えていたところ、我が考えが甘かったようだ。
 高校の生活指導教員より、「眉墨を塗るのは禁止行為!」なる厳しい指摘を受けたと娘が私に訴える。
 この事件は、母(サリバン)の私にとっては幾重にも悔しく愕然とさせられる大打撃だった。 
 誰も好んでこんな病気になど罹患していない! それでもやむを得ずその病状を隠すがために未だ少女段階の娘に眉墨を使用させている親の苦悩も分からずに、何故、学校側はこれ程までに否定的かつ攻撃的な仕打ちを我々母娘にして来るのだ!??   そもそも貴方達が学校の教員足り得るのならば、娘の日頃の姿をとくと見てごらん。 この子が、お洒落をして目立ちたいがために眉墨を塗る女生徒である訳も無いはずなのに‥‥ 
 とのサリバンの激しい怒りの程は心中に抑え、私は再び娘が「抜毛性脱毛症」との奇病に罹患しているがために眉墨を使用せねばならない現状を高校へ冷静に訴え出た。 その後、高校側からは一切娘が眉墨を使用している件に関しての指摘は無かった。
 (参考だが、娘の抜毛性脱毛症は社会人2年目に突入している未だ完治しておらず、眉墨を塗る日々だ。 もしかしたら、元々アトピー体質の娘にとって眉墨を塗る行為自体がその完治を阻止しているのかとも考えるサリバンだが…)


 現在の学校現場では、「地毛証明書」なる代物を提出させている悲惨な現状と聞く。

 これに関する某都立高校に於ける実態を、朝日新聞2017.8.21 朝刊記事より引用しよう。
 都立高校全日制に通う約6割の生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけていないかを見極めるため、一部の生徒から「地毛証明書」を提出させている。 裏付けのために幼少期の写真を求める高校もあり、専門家からは疑問視する声も出ている。 保護者が生徒の髪の特徴を記入して押印する形が多い。 
 (以下略するが、朝日新聞記事より引用したもの。)

 これなどむしろ学校現場の指導のし易さこそが優先された挙句の果ての、人権無視にまで目的意識が履き違えられた結果の産物でしかないであろう。

 朝日新聞記事によれば、各界の有識者達も様々なご意見を述べているようだ。
 「学校側としては筋が通っていても、全体としての多様性を抑制している。」 「髪を染めた人が不良、不真面目との認識モデルを疑うべき」 等々…。


 最後に、原左都子の結論でまとめよう。

 我が娘が高校側から「眉墨を塗っている!」との生活指導教員に指摘された事実とは、上記の学校現場事態と比較して、おそらく例外中の例外だった事であろう。
 
 ただその後も未だに抜毛性脱毛症が収まる気配がない娘は、毎朝丹念に眉毛を人工的に書き上げ、職場へ通う日々だ。 それを傍から見つつ、職場では眉墨を書いたからとて「指導」の対象とならぬ事態に心底安心しているサリバンの私だ。

 「地毛証明書」提出ねえ。
 そんな失礼な事態をたとえ相手が未成年の高校生とは言えども、何とも思わず実施しているのは世界広しと言えども、この島国 Japan のみではなかろうか??

 それが発展する(後退すると)、この国では「還暦を過ぎたおばさんがミニスカを履くためには証明書提出が必要だ!」と言い出しかねない恐怖感すら私は抱かされる。

 (え~~!?  その姿を見せられる方こそが恐怖だから「ミニスカ証明書」提出に同感だって!!?!)

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きちんと年齢を重ねるために

2017年08月19日 | 自己実現
 少し前のネット情報に、女優の岸恵子氏が取り上げられていた。

 何でも、岸氏は8月11日に85歳を迎えられたらしい。

 その岸氏が、取材陣からの「いつまでも変わらぬ美貌をキープされているが、美の秘訣は何ですか?」との問いかけに対し、「美しくはないですよ。ちゃんと歳をとっています。 頭もボケてきていますけど、自分に対する見栄とハッタリで何とかやっています。」と笑顔で応えたとの話題だ。
 加えて、岸氏は「これまで経験したさまざまな経験が刺激になっている」と言い、「老けて見えないのは、苦労が多くて、さまざまな事件を見て、それに対処してきた日々が続いてきたからだと思いますね」とにっこり。 「だから、普通のおばあさんのようにやさしく、腰の曲がったいい年寄りになれないんですよね」と意外な悩みを打ち明けながら「でも、頭の中はボケています」と再び応えた。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 岸恵子氏といい、原節子氏といい、昭和の大女優氏達とはとにかく持って生まれたDNA資質として“お顔の作り”に恵まれておられる事は間違いないだろう。
 (参考だが、私自身の特異的理由により昭和の大女優 原節子氏 には大いなる興味があるのだが…)

 現在の女優氏達の場合、整形手術や各種美容術等々人工的手段が劇的に進化した事実により、一体全体ご本人の真の姿とは如何なるものなのか?? その資質が疑わしき人物が少なくない。
 それに対し、上に挙げた岸恵子氏や原節子氏の場合、昔の映像を見ても今と同じお顔をされている。
 
 原節子氏の場合、40代の若さで芸能界を去られその後二度と表舞台に出る事はないため、90代にて亡くなられる段階でどれ程の美貌を保たれていたのかは不明だ。

 それに対し、岸恵子氏は若き頃より現在に至るまでずっとその姿を世に晒されている。 確かに、いつ見ても実に美しい。
 冒頭のネット情報で紹介したように、それが「見栄やハッタリ」故であったり、あるいは「苦労が多く様々な事件をみて対処する日が続いた」故とおっしゃるその発言に十分な重みが感じられる。
 まさに岸氏が85歳にして今尚輝くばかりに美しいのは、世間一般の、腰が曲がるのを阻止する努力もせず自然に任せて安穏と年老いた年寄り達(我が実母などその典型例だが)とは、その生き様に於いて大きな格差がある故だろう。


 長野旅行から帰宅直後に、私は義母の病院受診に付き添った。
 その時に実感させられたのは、面会する都度“確実に”老け行く義母の姿だ。
 
 今現在尚お洒落好きで外見表面を繕う作業は欠かしていないにも関わらず、(自分では美しく着飾っているつもりのようだが)何ら美しくないその姿を日毎に実感させられる。
 むしろ“外形だけを繕えば綺麗でいられる”、と信じているらしき義母のその安直な行動パターンが悲しくもある……
 義母なりの苦労は余りある程ある様子で、それを私に会う都度、所かまわず“毒吐き”行動を繰り返す。 それを受け入れるのが我が保証人としての任務と捉え、聞き役に徹するのだが、それを実行する都度、こんな年寄りには絶対になるべきでない!と自分に言い聞かせる始末だ。

 義母の人生、何処で如何に間違って現在「認知症」や「耳の聞こえの悪さ」に苛まれているのかを、私なりに分析するのだが…。 
 やはりそこには、岸恵子氏が発言されているような「苦労に自分で対処してきた」との経験値が貧弱過ぎる故と判断するのだ。
 とにかく若き時代よりずっと“男好き”人生を歩んだ義母の場合、自分が好む男に可愛がってもらえる事が最大の幸福だったことであろう。  男に不自由する(と言うよりも、男関係が皆無とならざるを得ない)年老いた現在に至っては、義母にとって何らの楽しみも見つけられない有様なのだろう。
 そうこうして生きた結果として義母は、岸恵子氏がおっしゃるところの「普通のおばあさんのようにやさしく腰の曲がったいい年寄り」にすらなれず、私を掴まえては“毒吐き”行動を繰り返すのだろう。


 義母の病院付き添い当日に、施設のケアマネジャー氏との面談も実施した。

 この施設のケアマネ氏は私と年齢が近く(私の方が一つ年上のようだが)、お互いに独身が長かった事もあれば子どもを高齢出産で産んだなる事実も同じ。 との背景もあり、価値観が一致していていつお会いしてもツーカーの会話が楽しめる相手だ。 

 そんな二人で、義母の今後半年の介護計画立案以外にも話が弾んだ。
 義母に関しては、身体医学的状況として比較的平穏を保っている(一般的老化現象以外に特段死に至りそうな病状が皆無)との点でもお互いに一致した。
 義母の特異的性癖(と言っては大袈裟かもしれないが、施設内でその種男関係事件も実際起こしケアマネ氏達にご迷惑をお掛けしている。)に関しては、おそらく今後その種の事件は起こりにくいであろう事実にも同意した。(ところが、これが起らない事実こそが義母にとって一番のストレスのようだが。

 何はともあれ、現在この世を生きている高齢者の実態を観察する事こそが、次世代に高齢域に達する我々にとっても勉強になる旨の合意もケアマネ氏と出来た事が収穫だ。

 とにかく60代前半の今現在より、将来に向けた目的意識を失わず主体的に生きる意志を明確にする事が肝要だろう。
 加えて、現在80代のお年寄り達が普通の事として実行してしまった“医療漬け・薬漬け”実態を撲滅するのも我々60代世代の役割ではないか!と、私からケアマネ氏に提案した。 (これに関しては、ケアマネ氏現在の立場上困難かもしれないが…)


 とにかく80代後半に差しかかった女優岸恵子氏が、「頭もボケてきていますけど、自分に対する見栄とハッタリで何とかやっています。」と自らが応えられる事実が素晴らしい。

 もうすぐ62歳にならんとしている原左都子だが。
 今後共自分なりにきちんと年齢を重ね、私自身が80歳代後半に差し掛かった暁にも決して身内(特に自分よりも若い世代)に毒吐きなどせず、腰も曲げず、悠々と「見栄とハッタリで何とかやっています!」旨の宣言を世間に発表したいものだ。

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左都子も昔は左利き♪  - vol.2 「左利きは天才か?」編 -

2017年07月08日 | 自己実現
 私は幼稚園児の頃、どういう訳かはさみ使いが大の苦手だった。
 今思うに、それは生まれつき左利きだったらしき私が、右効き用のはさみを使用させられていたからに他ならない。
 当時ははさみと言えばすべてが右利き用に作られていて、「左利き用のはさみ」など(特に我が郷里の過疎地で)販売されているはずもなかった。


 私が生まれつき「左利き」だったらしき事実に関しては、本エッセイ集2011.2.7バックナンバー「左都子も昔は左利き♪」に於いて公開している。

 以下に、その一部を再度披露させて頂こう。

 私のペンネーム 「原左都子」 (はら さとこ) の“左”の字は決して“左利き”から取った訳ではないのだが、私は幼い頃どうやら“左利き”だったようだ。 (参考のため、原左都子の“左”の漢字は「右に倣え」「右向け右」などと他者から指示・強制された場合、“左”を向きたくなる我が“天邪鬼”気質等々を表現したものであります。)
 幼き頃の私は、親が私の自由にさせると何をするにも必ずや左手を使っていたらしい。
 “箸”に関しては、親がそれを最初から右手に持つよう矯正したとのことだ。 (その矯正によほどの無理があったのか、未だに“箸”を上手に持てず人前で恥を晒している私である。)
 クレヨンに関しては、苦い思い出がある。
 私自身にはその思い出に関して一部分を覗き明瞭な記憶がなく、後に母より伝達されたエピソードの範囲内なのだが、以下に我が幼き日の失敗談を紹介しよう。
 未だ幼稚園へも入園していない幼児(おそらく3歳頃)であった私は、親の知り合いの新築家屋落成記念会合に一家で招待された。 1階で飲み食いしつつ盛り上がる大人達が子供は2階で遊ぶように指示し、私もその子供の一人として2階で遊んでいたようだ。 会合も終焉に近づいた頃、子供達の様子を見ようと2階に上がった新築家屋の奥方が真っ青になって1階に戻り我が母に訴えたそうなのだ!
 「お宅の〇〇ちゃん(私のこと)が、クレヨンで部屋一杯に落書きした!!」と。
 それを聞いた母は「うちの〇〇はおとなしい子で、そんな事をするはずはないのだけど…」と弁解しつつ2階に上がって仰天したのだと言う。  なぜならば、新築2階の部屋の壁や床一面に私の氏名がひらがなで多数書き込まれ、左手にクレヨンを持った私がそこに存在したからである。 
 当時の我が母としては用意した紙に“お絵かき”でもさせるつもりだったのが、幼き私は2階の部屋全体を“キャンバス”と履き違えたようだ。 新しい畳そして白くてまっさらで綺麗な壁に私が書きたかったのは絵ではなく文字であったということである。(当時まっさらな新築家屋の“キャンバス”に感激した記憶は、私にも僅かながら残っている。)
 その落書きを見て別の意味で一番驚いたのは我が母であったようだ。 新築家屋の主に平謝りしながら床や壁を拭きつつ、親が知らない間に我が子が既に自分の氏名をひらがなで書けるまでに成長していて、しかもわずが3歳にして左手で書いたその字は実に正確で美しかったのだと言う。
 その“事件”をきっかけに今後私が幼稚園へ入園するに先立って、クレヨンを右手に持たせる矯正に乗り出した我が母であるようだ。
 今に至って尚顕著なのが“雑巾しぼり”である。 さすがにそこまで矯正の面倒が見切れなかった母であろうが、私の雑巾しぼりは“逆回転”で特異的だ。
  その他の事例として私の記憶にあるのは、小学生低学年の頃“かぎ針編み”という編み物に挑戦したことに関してである。  自然体で取り組んだ私は、やはり左手にかぎ針を持っていた。 そして器用に私が編む姿を見た母から「よくまあ左手でそんなに上手に編めるね!」と指摘されて初めて、私は左手で編んでいたことに気付いたものだ。(これもその後右手に直したのだが…)
 それにしても、私は今となっては左手はまったく利き手ではない。 握力も高校生の頃から右手が勝っていて左手の握力など実に乏しい。 
 「左利き」の人の中には両手が器用に使えるという話も耳にすると、どうして我が親は両手共に器用な人間に育ててくれなかったのかと不満をぶつけたくもなると言うものだ。
 今の時代「左利き」とは矯正するべきなのかについては学者達の間でも論議される課題だ。  某大学教授も以下のような論評をしている。 「無理に変えない方がいいが、幼児期に子供が強い嫌悪を示す場合を除いて右利きへの変更を試行してもいいのでは」
 この論評は、今の時代の右利き社会に適合するべく子供を育てる観点からはごもっともな指摘と同感する。
 ただ私論としては、子供個々が持って生まれた特質に任せて欲しい思いが強い。
 なぜならば幼き子供とは言えども個々が千差万別であるからだ。 周囲の指導により“子供が右手への強い嫌悪感を示す”かどうかに関してさえ、大いに子供の個性による。  私など、幼き頃から周囲への客観性の配慮にばかり焦点を置いていた記憶があるが、この種の子供とは我が意に反して親や教育者の指導に従順とならざるを得ないのだ。 すなわち、親や指導者が「右手を使え」と指示したならば、自分の不快感を押し殺してでもそれに素直に従う道を自ずと選択して、後々内面にストレスを溜め込んでしまうのである。
 朝日新聞記事によると、何を基準として“左利き”を判断するかも困難とのことだ。 これに関しては、医学経験のある原左都子にも十分理解可能である。
 そしてそれを踏まえた上での単純な判断によると、世の“左利き”とは1割の確率であるそうだ。
 各人の器用な手が右であっても左であってもよいのはもちろんの事、本来ならば両者が共存し得る社会が築かれるべきだが…  とは言え、どうしても近代社会のシステムや論理とは多数派が尊重されてしまうのが辛いところだが。
 (以上「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用したもの。)


 今回、私が「左利き」をテーマとして再度エッセイを綴ろうとしたきっかけは、ネット上で「左利きは天才肌」と題する、一見して信憑性が疑われそうな記述を発見したことによる。

 そのネット記述の一部を要約して以下に紹介しよう。

 「左利きは天才肌」。 このような噂を、誰しも一度は耳にしたことがあるものではないだろうか。 やや信憑性の薄いデータのようだが、ロシアの生物学者アレクサンダー・デュボフ博士によると、左利きの人は、右利きの人よりIQが高い傾向にあるのだそうだ。
 現在、人類のうち10人に1人は左利きなのだそうで、その計算でいくと世界には左利きの人が約6億人いる事になる。 博士によると、“超能力者”と呼ばれる人はほとんど左利きだそうで、また左利きの人は芸術的な能力にも恵まれるのだとか。
 また、「左利きの人口が増えることによって、人類は進化を遂げる」とのこと。
 そしてアメリカの大学研究者達により行われた、「人生において、左利きのほうが成功をつかみやすいのではないか」という研究もある。 全米経済研究所に発表された博士たちの論文によると、大卒の男性は、左利きのほうが右利きより約26パーセントも高い給料を稼いでいることがわかった。 ちなみに、右利きか左利きかで収入に差が出たのは男性だけで、女性にはこの差はみられなかったそうだ。
 日本では、はさみにはじまり自動改札機など、さまざまな道具が右利き用にデザインされていることが多いため、左利きに生まれるとその不便さから右利きに矯正されてしまうことがよくあるようだ。 しかし、左利きの個性を生かすべく、無理に矯正しなくてもよい、という声も多いようだ。
 ちなみに、左利きの有名人はというと、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ、ニュートン、アインシュタイン、ビルゲイツ、坂本龍一、松本人志、野口聡一 などなど……。 たしかに天才が多い気がする。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私見でまとめよう。

 おいおい、ネット情報さん、ちょっと待ってくれよ。

 我が尊敬申し上げるアインシュタイン氏は別格としても……
 特に日本人の天才として挙げられている人物達を、安易に「天才」に分類してしまっているその“”いい加減さ”の程はどうしたものか!?? (野口聡一氏とは一体誰だ?? はい、今ウィキペディア情報を調査してガッテンしました。 未だ若き世代の宇宙飛行士氏ね。) 確かに野口氏は天才域の人物かもしれないが、後の日本人を「天才」に分類するのは無謀と私は判断するのだが!??

 更に反論したいのは、当該ネット情報では「左利き」に生まれて天才に位置付けられるのは「男性」のみみと結論付けている点だ。
 ただこの点を原左都子が考察してみるに、要するに“女性の左利き”著明人に関してはデータが少なく分析不能との事だろう。

 「左利き」  =(イコール) 「天才」。?? 
 この議論自体が、信憑性が問われて然るべきであるのが歴然だとしても。

 とにかく、少数派の「左利き」人種がこの世に生きる不便さを少しずつ是正しつつ、その個性を認め皆が共存出来る世界を築く事こそが先決問題、という事だろう。

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私が藤井四段の母だったら

2017年06月27日 | 自己実現
 いや、それは100%あり得ない。

 私の周囲には将棋環境が全くない故だ。 
 (亭主は“マージャンオタク”だし、 我が娘も一時私の影響を受けて「絵むすび」等々のパズルにはまった時期があったものの、現在社会人2年目の娘は未だ本業の仕事能力をバージョンアップするのに精一杯状態で、そんな余裕が一切ない。

 我が家にも、運が良ければ天才の子が生まれた可能性は0ではなかったかもしれない。 
 一応、子供の頃IQ168を誇っていた原左都子であるが故に、そのDNAを受け継いだ子供が我が家に生まれる確率は高かったかも?? と、自分勝手に言っていよう。


 それにしても、子どもとは天性の資質よりも、育つ環境にこそ大なる影響を受ける事実を実感させられる。

 藤井聡太四段とてそうだ。
 藤井四段の場合、将棋との出会いが祖父母だったらしい。 以下に、藤井聡太四段情報をウィキペディア情報より一部引用してみよう。
 藤井 聡太(ふじい そうた、2002年7月19日 - )は、21世紀生まれで初の将棋棋士。 杉本昌隆門下。棋士番号は307。 愛知県瀬戸市出身。 名古屋大学教育学部附属中学校在学。 プロ公式戦での連勝最多記録(29連勝)及びデビュー以来無敗での連勝最多記録(29連勝)の歴代1位記録保持者。
 5歳のときに「NEWスタディ将棋」を使って、祖父母から将棋を教わる。
 2010年3月に「アマ初段」で東海研修会に入会。 2011年に第10回全国小学生倉敷王将戦・低学年の部で優勝。 同年10月にJT将棋日本シリーズ東海大会の低学年の部で優勝。
 2012年6月に研修会B1に昇級し、新進棋士奨励会入会試験の一次試験免除の資格を得て、同年9月に奨励会に6級で入会。 初段から三段までを最年少記録のスピード昇段で通過。 年齢14歳2か月でプロ棋士(四段)となる資格を得た。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用したもの。)


 ところで藤井四段の御母上は、私が見聞する限りさほどメディアに登場されない人物の様子だ。 
 上記ウィキペディア情報内に藤井四段お母上の談話が少しあるが、それによれば「生活能力が低い子供」との記述がある。(新幹線で一人で大阪まで対局に行った際に、鞄や上着等すべて忘れて帰って来た、等々。)
 ただその内容とは藤井四段の年齢を考慮すると、よくある失敗範疇と判断でき、決して「生活能力が低い」訳では無さそうだ。 要するにこの発言は御母上のご謙遜であろう。 
 
 それよりも注目するべきは、藤井四段の歴史的対局の現場にお母上は同行せず本人一人で対局に向かっている点ではなかろうか。
 そう言えば、連勝会場にても御母上が報道のインタビューに応じる事もなければ、自宅前に報道陣が押し寄せている映像も見た事がない。

 藤井四段の歴史上稀な輝かしき記録樹立の陰には、必ずやご家族の支援が存在するはずだ。
 ところが、その背景を一切感じさせないご家族の皆様、特に御母上の振るまいこそが、藤井四段をここまで強く育てたものと私は信じて疑っていない。


 ここで話題を変えるが、幼き頃より天才性を発揮していた他の人物として私が思い出すのは、盲目ピアニストの辻井伸行氏だ。

 辻井氏の場合生来的に盲目との障害を抱えていた訳だが、御母上の辻井氏が持って生まれた“天才性を見抜き育てる能力”の程が素晴らしかったと私は実感している。
 御母上は、息子である辻井氏の天才性をバックアップする事にご自身の半生を献身的に注がれた、と表現してよいのではなかろうか。 
 私が覚えている逸話として、御母上が幼き盲目の辻井氏を再三美術展へ誘い、絵画等の作品の描写を口頭で辻井氏に伝える作業を欠かさなかった、との報道を見聞した事がある。
 これは一例であろうが、このような御母上のご献身により、辻井氏が「絵画」が“目に見えるように理解出来る”と語られるのを報道で見聞し感動した事もある。


 立場が全く異なる若き天才ご両人だが、それでも私はお二人の御母上に「共通項」が見出せる気がする。
 それは子ども自身の成長を信じ、その方向性を指南しつつ見守り続けていらっしゃるとの事実ではなかろうか。
 更には、ある程度独り立ちしたと結論付けた暁には子供本人の主体性を尊重する方針に切り替え、少し距離を置くとの方策が大きく功を奏しているのかもしれない。
 これぞご両人が生まれ持っての天才性を発揮出来る、素晴らしき陰からの“母の愛”とも理解出来よう。


 どうやら私は “天才の子供を育て世に出す” なる大業とは縁の無かった母親のようだ。

 それでも身近に我が最愛の娘がいてくれて、日々その娘がこの愚母に喜怒哀楽をもたらしてくれる事に感謝感激の日々であることに間違いない。 

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絵むすび(朝日新聞2017.06.17編)

2017年06月17日 | 自己実現
 (写真は、本日2017.6.17付朝日新聞 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)



 朝日新聞 「絵むすび」 ファンの皆様、お待たせ致しま“せん”でした。


 本日の「絵むすび」は“難易度4”にもかかわらず、全体像を一見した後、約3分で解答が叶いました!


 解説は不要かと思いますが、少しだけ説明しましょう。

 右上に並んで存在する「マンボウ」「あじさい」は、線を延ばす方向が最初から運命付けられています。
 それをまず、一マスだけ延ばしましょう。

 次に右下の「ベル」ですが、これも左側へ横へ線を引き、ひとまずそこで様子を見ましょう。

 上段の「きのこ」ですが、これも最上段を左に線を引き、左上から一マス下へ降ろすまでで止めておきましょう。

 「マンボウ」は「段ボール」の横を通りそのまま素直に結んでも、他のアイテムの妨害とならない事に気付きます。

 後は、“駆け引き” といつもの “道の譲り合い精神” を発揮すれば、無事に解答が叶うはずです。



 本日、他のエッセイ執筆・公開を予定しておりますので、「絵むすび」解答解説はこれにて終了させて頂きます。

 皆様のご解答の成功をお祈り致します。 

 

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