原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ビワの木に実が実りました!

2011年04月29日 | 雑記
 (写真は、我が家のビワの木。 今年初めて実が実りました!)

 我が家ではビワの木をベランダにて鉢植え状態で育てている。 写真が不鮮明だが、上部に小さい実を3個付けているのがお分かりいただけるであろうか?


 このビワの木を、一体どういう経緯で大都会のマンション住まいの我が家にて育てる事に相成ったのかについてまずは話そう。

 実は今を遡る事8年前の初夏にスーパーで買い求めたビワの実を食べた後、その種を我が娘がベランダの鉢に4個蒔いたのである。
 まさか芽を出すとは思っていなかったところ4個の種すべてが芽を出し、まさかその後育つと思っていなかったところ4本ともすくすくと育ち、毎年大きな葉を付けその葉を年々入れ替えつつ、今や最高で130cmの高さにまで成長している。

 そして、まさか花が咲くとも思ってもいなかったところ、昨秋一番大きく育っている木に30程の白い花が咲いたのだ! 
 我が家が自然栽培(単に水だけやって放ったらかしていると言う意味ですが)で育てたビワの木が来年の初夏には実を結び、一家で食することができるぞ!と期待していたところ、その期待通り現在実が大きくなっている最中という訳である。

 このまま3個の実が大きくなってくれたら一人一個ずつ食べられる計算だが、おそらくさほど大きくは熟さないであろうと原左都子は見ている。 と言うのも、既に巷の街の店先ではビワの立派な実が販売されている。 我が家のビワの木の場合、樹木の太さが最大でせいぜい2cm程度とか細い。 その木に見合った実を実らせるのが精一杯ということであろう。
 どのような小ささであれ、今年初めて結んだ実が黄色く熟する事を楽しみにしていよう。

 それにしても、「桃栗3年、柿8年」と言うが、ビワは8年にして実を結ぶ樹木であることを今回体得した思いである。 我が家のスリムなビワの木は、来年以降も花を咲かせ実を結ぶのか?今後の楽しみにとっておこう。


 さて、原左都子が大都会東京に於いて何故自宅でメダカを飼ったり、狭いベランダでビワを育てたりしているのかに関して、ここで私なりにその我が行動のルーツを自己分析して少し説明することにしよう。
 私が幼少の頃に育った父系の実家は元々梨農園を経営していた名残で、家屋の敷地内に数多くの果樹等の樹木が育っていた。 私の記憶によるとその頃の家屋敷地内には、みかん、夏みかん、渋柿、グユミ、イチジク、ざくろ等々、沢山の果樹木が生育していて毎年その樹が育む果実を食して育ってきたともいえる私である。
 ビワに関しては自宅内には植生していなかったのだが、隣家のビワの大木が我が家の敷地内にもその枝を伸ばし、たわわに実っていたことを記憶している。
 その頃の日本(特に過疎地域)は、隣家に伸びた枝でもめることなどない平和な時代であった。 毎年毎年お互いの敷地内に育った果実を含む植物等を“物々交換”しつつご近所同士の友好が健全に築かれている時代背景だったものだ。
 我が家の“イチジク”や“ざくろ”の一風変わった味や柑橘系の酸っぱさは苦手だったものの、隣家のビワに関しては子供心にその甘さや独特の香りを好んだものである。
 大人になり上京して以降も原左都子にとってあの頃食したビワの味が忘れられず、それを買い求める機会は多かった。 それを我が娘にも毎年食べさせていたところ、娘が種を植える行動に至ったといういきさつである。


 我が家には、現在ベランダに大小様々な鉢が10鉢程ある。 今の住居に引越した当初はその倍の20鉢程あったのだが、台風等の強風の都度飛ばされないよう室内に片付ける作業が煩雑なため、少しずつ減らしていって現在はこの数である。
 その鉢に、すべて“自然栽培”(この意味に関しては上記を参照下さい)にて、ビワ以外の植物も栽培している。 
 例えば、我が娘が小学校1年生の時に学校の校庭で拾って来た(おそらく“夕顔科”と思しき)植物の種を我が家の鉢に蒔いたところ芽を出し、今に至るまで毎年6月頃から10月頃までショッキングピンクから白色色調の花を毎日咲かせて楽しませてくれている。
 それから、やはり娘が友人から貰って来た“風船かずら”の種は、天然にハート模様にデザインされていて実に可愛い。  この種を娘が貰ったその年に早速鉢に蒔いたところ、成長して黄緑色の風船型の可愛い実を結んだ時には母娘共に感激したものだ。 その実から種を毎年収穫しておき、ちょうど今頃の季節にベランダの鉢に蒔くのだが、年々の気象状態にも左右されつつ毎年種が収穫できるのはうれしいものだ。
 娘が、学校から配布された“ほうずき”も翌年に真っ赤な実を結んだものだが、これはさすがに我が家の“自然栽培”方式では次の年には芽さえ出ず、枯れ果てる運命にあった…


 植木・盆栽や家庭菜園のご趣味があられる方々にとっては、我が家の集合マンションのごとく狭いベランダで展開されている“水だけ与えて後は放ったらかし”の「自然栽培」など、とんでもない話と思われるであろう。

 ただ、それでも植物という生命体が命を育みその命を後世に継続している姿を我が家で垣間見れることが何とも愛おしく、私は今後も自己流「自然栽培」で育つ力が在る植物を自宅で育て続けることであろう。 
                      
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リズミカル に タッチタイピング♪

2011年04月27日 | 自己実現
 少し前の話になるが、我が郷里の80歳に程近い母が「パソコンを習ってみようかなと思う」と言う。 「それはいい考えだよ!」と賛同したところ、早速年寄り向きの“パソコン体験教室”か何かに参加したようだ。 
 ところが一回体験して来ただけで「やっぱり年寄りには無理だからやめる」とのことだ。
 どうやら、キーボード入力に大いなるアレルギー感を抱いたのが第一の理由のようだ。

 ずっと若返って原左都子と同年代の複数の女性が、やはり同趣旨の言葉を口にするのを聞く機会も多い。
 どうしてもキーボード入力が億劫であるが故に自然とパソコンからは遠ざかってしまい、専ら携帯を利用しているとのことで、それらの相手からはいつも携帯メールが届く。 私などまったく逆で、未だに携帯文字入力が大の苦手であるため、外出緊急時以外は通信をパソコンに頼っているのが現状である。


 パソコンのキーボード入力に関しては、「習うより慣れた」人種が大多数なのではなかろうか?
 私の場合おそらく少数派に属するのであろうが、過去においてキーボード入力をわざわざ「習った」人種である。

 本エッセイ集のバックナンバー「資格は取りゃいいってもんでもないが…」において既述しているが、私がキーボード入力を習ったのは今から30年程前、20代半ば頃の事であった。
 当時従事していた医学関係の仕事において、業務上の要請でワークシート出力のためのコンピュータのプログラミングをする機会があった。 FORTRAN はともかくCOBOL はプログラムの入力文字数が多いのに難儀したのがきっかけで、キーボードのJIS配列をマスターしたいがために 英文タイプ2級 の資格を取得したのである。 (あの時、20代という若さにして文字入力に大いに難儀した記憶がある私は、現在80歳近い母の“キーボードアレルギー”を十分理解できる思いだ。)

 当時はパソコンなどほとんど存在しない時代であった。 ワープロでさえまだ出回り始めた頃で一般には普及していなかった。 そこで私は“英文タイプ”を通じてJISキーボードをマスターすることを企て、仕事帰りの夜遅く来る日も来る日もビジネススクールの英文タイプ科に通ったのである。 集中力のある(??)私の上達は早く、通い始めてまもなく英文タイプ検定3級試験に合格した。 3級程度の腕前を養っておけば一生キーボードを打てるとの情報もあったのだが、更なるスピードアップを目指して検定2級まで取得した原左都子である。
 
 この我がタイピング技術力はコンピュータプログラム入力に留まらず、後々の我が人生において大いに重宝している。

 その後、世の中はワープロにて文書を作成する時代に移り変わる。
 ローマ字入力でいくらでもバシャバシャとキーボード入力できる私は、専門の医学分野のみならず文書作成においても職場で重宝がられたものである。
 そして30代後半にして高校の商業科教諭となった私は、「ワープロ」の授業も担当した。 当時の私の専門分野は「経営法学」だったのだが、上記のごとく過去の職業経験においてコンピュータプログラミングを経験したり「ワープロ」を打ちまくっていた私にとって、これは楽しい授業であった。 生徒の前で“お手本”として高速スピードで“ブラインドタッチ”にてキーボード入力をするだけで歓声が上がるのが快感だったものだ。
 「おー、凄い!」「私もキーボードを見ずに高速で打ちたい!」等々、まるで“大道芸”でも見るがごとく若者が単純に喜んでくれるのが面白かった。 
 (ただ、“ブラインドタッチ”をマスターするまでの道程とは、実際は至って地道なのだけどね…)

 そんな私にとっての一番の“関門”は、世から「ワープロ」が消え去って「パソコン」に移り変わる時代となった頃に訪れた。

 今から15年程前、我が娘が幼少の頃我が家でも初代の「パソコン」(MACだったのだが)を購入した。 身内から「文書はパソコンでも打てるから、早めにワープロを卒業するべき」と促されるのだが、業務用ワープロ OASIS(当時、時価100万円を超える代物です! 私はこれを中古で購入しましたが…) をずっと使用していた私にとってはこちらが断然扱い易いのだ。
 ただ、この原左都子にして時代の変遷に乗り遅れる訳にはいかない。 とりあえずはOASISと同時進行でパソコン文書に慣れていった私である。 (という訳で未だにOASISの本体は保存してあるが、専用プリンターが壊れて廃棄処分にした今となっては、当時フロッピーに保存した文書を眺めるのみの役割しか果たしていない…)

 ここで余談になるが、今となってはパソコン文書作成にも十分慣れた身にして“JISキーボード打ちまくり歴30年”を誇る私原左都子に言わせていただくと、今のパソコンの文書作成能力より、ワープロ専用機であった 富士通OASIS の文書作成力の方が勝っていると判断するのだが如何であろうか??


 今回の記事を綴ったいきさつとは、朝日新聞「be」の先週の記事「ためしてみよう、タッチタイプ」を見たことがきっかけである。
 この記事も「習うより慣れよ」を主眼として構成したものと受け取るが、タッチタイピング(ブラインドタッチ)を短期間で“習って”習得した原左都子としては、「習うより慣れ」ることによりキーボードを習得された皆さんに、是非共その習得のいきさつをお伺いしたいものである。

 と言うのも、我が身内も当然ながら仕事上の要請により「習うより慣れ」てキーボードを日頃打っている人種であるが、私が“高速”でブラインドタッチをするのを自宅で垣間見ては、我が娘にはその技術を早めに習得させたい思いが強いようなのだ。
 そんな身内の意を受けてたまに娘に指導を試みる私であるが、これが一筋縄にはいかない。  キーボードを見ながら打つことに慣れている人とは、どうしてもキーボードを見る癖がついてしまっているようなのだ。 私のようにタイピングを習った人間の場合は、最初の第一歩から決してキーボードを見ないで打つ練習を積んでいるため、キーボード配列を“視覚ではなく指の距離関係”で理解しているのである。

 上記朝日新聞の記事においてはタッチタイピングが「やってみたらできた人も多い」とあるのだが、本当にそうなのか?  
 私の経験から言わせてもらうと、タッチタイピングもあくまでも地道な努力を覚悟の上で「慣れるより習う」方がよほど手っ取り早いかと結論付けるのだが、その辺の実態を知りたいものだ。


 それにしても、今後もパソコンのキーボード操作により文書作成する機会が増大する時代背景が続行することであろう。
 タッチタイピング(ブラインドタッチ)力とは、今後の社会を生き抜いていく人類の将来とって不可欠と言える技術なのではあるまいか。 
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スーちゃんにとって「キャンディーズ」は本当に幸せだったのか??

2011年04月25日 | 時事論評
 「元キャンディーズ」のスーちゃんこと田中好子氏の訃報を目にしたのは、先だって4月22日の朝パソコンを開いたその画面上のニュース見出しであった。

 “田中好子さん、乳がんで死去”
 田中好子氏と言えば、キャンディーズのスーちゃんではないか。 乳癌を患っていたとか闘病中という情報に関しては一切見聞したことがなかった原左都子なのだが、享年55歳と言えば私と同い年…。(私の方が半年程生まれが早いようだが)  やはり同年代女性の突然の死の報道が大いに気に掛かる私である。

 その夜、テレビでスーちゃんの訃報に触れたニュース影像を見て唖然とさせられたものだ。 
 街頭インタビューに応える私より年配と思しき初老男どもが、恥ずかしげもなく「キャンディーズは私の青春でした!」「スーちゃんは一番可愛くて私の好みでした」などとの“お悔やみ”の言葉を述べつつハゲ頭やヨレヨレ容姿の醜態を画面一杯に晒している…。 
 (ちょっと、あんた達! これじゃあ天国のスーちゃんの顔に泥を塗るようなもので、スーちゃんにとっては“ありがた迷惑”と言うものじゃないの??!)などと、不謹慎にも失笑するしかなかった原左都子でもある。


 キャンディーズと言えば、1970年代の歌謡界を一世風靡した女性アイドル3人グループである。
 確かにアイドルブーム全盛時代の当時において、3人の可愛い女の子が揃ったキャンディーズは、アイドルとしての要素満杯であったことだろう。 
 当時、時を同じくしてデビュー(キャンディーズの方が若干早かったと記憶しているが)したピンクレディと比較されることも多かったようだ。 そんな中、同世代の男性にとってはキャンディーズ支持派が大多数であったことは十分納得できる。 
 まだまだ男性が女性より優位に立ちたい時代背景の下、キャンデーズは一貫してそれに迎合するべくプロデュースされているグループだった。 とにかく“可愛い”ことを全面に出すべく、小柄な3人娘を揃え、歌も踊りも中途半端なお色気が売り物だったものだ。

 片や、ピンクレディの方は“似て異なるもの”との認識が当時の私にはあった。
 こちらは、とにかく高身長の体型の良さを前面に出した(失礼ながら可愛さは二の次の)2人組が元気に歌って踊って、日本に新時代が到来したごとく当時の世を圧巻し続けたものである。 当時のメディアにおけるマーケティング対象として、一部の男性のみではなくより広範囲の視聴者を取り込んだ“ピンクレディ プロジェクト”の方が結果としては高売上高を記録したというのが事実であろう。
 当然ながら、当時の原左都子の興味もピンクレディに大きく傾いていたものだ。 (ミーちゃんと同身長でもある私は、今尚ピンクレディをユーチューブで見ては一緒に歌って踊る日々である。)
 ピンクレディはその後も長年に渡り踊りと歌をよりバージョンアップしつつ、今現在も全国においてコンサートツアーの真っ最中である。
 

 アイドル路線を突っ走ることを余儀なくされたキャンディーズは結局1977年の夏、人気絶頂時に解散宣言をすることと相成る。
 同年の7月に日比谷野外音楽堂にて決行された(事実上の)解散コンサートのエンディングで3人は突然の解散宣言をした。 その後、ランちゃんが叫びながら発言した 「普通の女の子に戻りたい!」 宣言は、当時流行語にもなる程に今尚“名言”としての歴史を一人歩きし続けている。

 本当に「普通の女の子に戻りたい!」のかと思いきやそうではなかったようで、結局はキャンディーズ解散後直ぐに芸能界にカムバックしたランちゃんとスーちゃんであった。(ミキちゃんについては情報のない私なのだが…)
 二人共“女優”としてのカムバックであったが、まあそこそこ活躍してきていると言えるのであろうか?

 今回亡くなったスーちゃんに関しても、この私も解散後メディア影像で見ることはあった。
 実は昨日(4月24日)も追悼番組とのことでスーちゃんが出演しているドラマの一部をたまたまテレビで見聞した。 
 このドラマの内容が暗かったせいかもしれないが、どうも原左都子の感想として、スーちゃんが「キャンディーズ」以降に歩んだ人生がこのドラマの暗い内容と交錯して伝わってしまうのだ。
 実は、先だってスーちゃん亡き後直ぐにメディアのインタビューに応じたご亭主の態度にも私は疑義を抱いていた。 確かに子どもがいない熟年夫婦の繋がりとはこの程度のものかもしれない。 それにしても亡くなった直後にメディアを通して軽々しいコメントをご亭主に述べられたものでは、天国のスーちゃんは(上記の)往年のファンからのコメント以上に浮かばれない思いではないかと心を痛めた私である。

 
 本日NHKテレビの昼のニュースに於いてスーちゃんの葬儀が大々的に執り行われている様子が報道され、元キャンディーズのランちゃんやミキちゃんからの弔辞が放映されていた。 あくまでも私の記憶に辿るその一部によると、「私たちは“キャンディーズで幸せだった。これからもずっと私達はキャンディーズだよ!」との弔辞があった。
 (この弔辞は一体誰がプロデュースしてるの? そもそもスーちゃんがこれ程大々的な葬儀を執り行って欲しかったのだろうか??)

 スーちゃんが乳癌に侵されたことは事実なのであろう。 そしてその乳癌は1992年に発症したとの報道であるが、スーちゃんの闘病生活が19年もの長年に渡りつつ、その間スーちゃんが女優業を続けていた事も事実ということであろう。
 スーちゃんの一番の身寄りであろうご亭主が、その闘病にどれ程の協力体制を執っていたかなど私が知るところではない。 ただ、たとえ癌と言えども、スーちゃんが19年にも渡りその命を繋いでいたということは、その闘病(心身面や周囲の対応等)の如何によっては、55歳にして癌の転移により命を閉じずに済んだようにも考察してしまう元医学関係者である私なのだ。

 スーちゃんのご冥福を祈ると共に、今回の田中好子氏の葬儀報道全般を通して考察して、本当にスーちゃんは当時のキャンディーズ仲間による本日の弔辞のごとく「キャンディーズ」を経験して幸せだったのだろうか?? との疑念を抱いてしまう原左都子は単に心が歪んでいるだけなのか?

 死んだ後にまで、親しくもない人物や組織から過去に於ける自分の名声を利用されるなど、たまったものではないのではないというのが今回の原左都子の率直な感想なのだが、如何であろうか?? 
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東日本はいつまで揺れ続けるのか?

2011年04月23日 | 時事論評
 3月11日に発生した東日本大震災第一波本震において、東京新宿超高層ビルの一つである「新宿センタービル」(1979年建築)の最上階では、最高で108cmの横揺れが約13分続いたとの報道を先だっての新聞記事で発見した。


 東日本大震災が被災地にもたらした大被害は、「福島第一原発事故」を筆頭として今後の復興の見通しが立ちにくいレベルの傷跡を東日本各地に置き去りにしたままである。

 その中で我が住居地である首都東京が受けた被害とは震度5強の大揺れ被害のみであり、一部のビル倒壊や火災を除き、もはや東京は被災地として位置付けられない立場にあろう。
 復興を語る場合は、当然ながら大きな被害を被っている「原発被災地」や「津波被害地」が最優先されるべきである。

 それは重々承知の上ではあるが、生まれて初めて「震度5強」の揺れをマンションの高層部に位置する自宅内で実体験した原左都子自身の大震災の傷跡とは、やはりその“大揺れ”の記憶なのである。
 大震災から1ヶ月半が経過しようとしている今尚、東日本ではマグニチュード7以上、震度5以上の大きい規模の余震が続いている。 4月中旬頃特に余震が激しい頃があった後やや小康状態かと気を抜いていると、やはり今でも余震は朝昼そして夜中にもやって来て、うかうか寝てられもしない状態である。
 東京における余震は幸いな事に今のところは震度4を最大レベルとして経緯している。 それでも携帯が突如として不気味に奏でる「緊急地震速報」を耳にする都度、実行中の家事等を中断しガスの火を消して我が家の安全地帯に避難しつつ、我が脳裏にはあの日(3月11日)の大揺れにより本棚が倒れかけ、家中の置物が床に放り出された惨劇光景がフラッシュバックしてしまうのだ。 
 (3月11日以降胃痛に悩まされ体重を2㎏程減らしている私であるが、余震の速報がある都度その胃痛が再発して、薬嫌いの私が胃薬に頼らざるを得ない情けない日々である。)


 原発被害や津波被害が甚大である東北をはじめとする地方の被災者の皆様が今尚置かれている立場に配慮しつつも、今回大都会にして震度5強を記録した首都東京の今後の耐震対策に関しても頭の片隅に懸念感を抱き続けている原左都子である。

 東京はじめ首都圏に於いては、今回の大震災による家屋の崩壊はごく少数の被害に留まっているものの、大揺れ衝撃の影響で地盤が緩んだり目に見えない所で建物が致命的な損傷を受けていることも予測できるとの報道に、大いに納得する私である。
 我が家のマンションの場合まだ築8年少しの新しい物件であるためか内外共に外見的には何らの損傷もないのだが、私の気のせいかもしれないが強風が吹くと震災以前には聞こえて来なかった“ミシミシ音”等の異常音が建物から発せられているのが感知できるようにも思えてしまう。
 我が家に限らず、今後の余震の規模によっては本震の大揺れによりダメージを受けた建物に余震による衝撃が何度も加わり続けた場合、何らかの被害が生じても不思議ではないことを視野に入れるべきと考察するのである。

 そんな折に目にしたのが、冒頭に紹介した新宿超高層ビルの本震による“大揺れ”の実態に迫った朝日新聞4月19日夕刊一面トップ記事である。
 その一部を以下に要約しよう。
 新宿超高層ビルの一つである「新宿センタービル」に本社がある大成建設が3月11日に調査した結果によると、本震により約13分間に及ぶ長い揺れを観測したという。 東大地震研究所は本震時に関東平野では6分以上の揺れを観測したとしている。 超高層ビルにおいてはそれよりもかなり長く揺れた可能性があるとのことなのだが、この揺れは「長周期地震動」の影響を受けたものと見られるとのことで、これは大きな地震程発生し易く、関東地方等の堆積層がある平野部で揺れが大きくなるとの報道だ。 1985年に発生したメキシコ地震ではこの振動により地震発生地点から400km離れたビルが倒壊したこともあるそうだ。  日本建築学会によると、我が国に建設されている60m以上の超高層ビルに於いては揺れが続くとビルが傾く危険性がある場合も想定されるため、補強が必要と指摘している。 ある研究者は、今後「今回以上の長周期地震動が起きる恐れがあり、古いビルは耐震補強が必要。」と述べているようだ。


 ここで原左都子が思い出すのは、2005年に発生した姉歯ナンタラ氏と名乗る1級建築士がかかわった「マンション耐震強度偽装事件」である。
 あの時取り崩し対象になったマンション物件はその偽装故に“震度5強”に耐えられないと判断されたため、結果として取り崩し処分となったと記憶している。 当時の私の愚かな感想とは(震度5強の地震が大都会に今後到来する確率は極小であろうに、取り崩しすることによる経済損失は大きいなあ…)なるお粗末なものであった。

 ところがあれから数年も経たずして、未曾有の大震災が発生してしまったという現実に震え上がる現在の私である。
 姉歯物件はいざ知らず、我が家のマンション物件ですら震度5強の揺れにどの程度耐えて今存在しているのかなど、建築に関して素人の私には計り知れないのが事実というものだ。

 実に怖い話であるが、我が家の耐震強度はともかく、被災地各地において何とか姿を留めている建物群の今後の行く末を慮る原左都子の懸念の程をお分かりいただけるであろうか?

 
 今回の「マグニチュード9、0」大震災の科学的解明がいつになるのやも見通しがつかない被災地の現状である。
 そんな環境下において、地球上における巨大な海底岩盤層である“太平洋プレート”の沈み込み圧力が誘発した今回の東日本大震災の余震に日々怯えながら、東京に住む私も今後しばらくは胃を痛めつつこの揺れに耐え抜くのが宿命であるようだ。
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原左都子が選ぶ 「ビートルズ」 トップ10

2011年04月21日 | 音楽
 (写真は、原左都子が20代前半の頃趣味で活動していたアマチュアロックバンドの舞台。  中央リードボーカルが私)

 音楽好きの原左都子が選ぶトップ10シリーズ第3段は、「ビートルズ」を取り上げることにしよう。

 この時期になぜ 「ビートルズ」 なのかと言うと、これには私なりの理由がある。


 先だって大いに遅ればせながら、我が家のリビングルームのテレビを“地デジ”対応機種に買い換えた。
 本年7月にテレビが地上デジタル放送に切り替わるが、我が家(とは言っても、身内だけは当の昔にまんまと自室のテレビを地デジ対応型に買い替えているのだが)では、その切替えを機会に日常生活からテレビを排除しようか、と娘と話し合っていたのである。 大いに迷った挙句、やはりニュース報道はテレビを通して見聞したい希望が強い私の意向により、ついに今頃にしてやっと買い替えの運びとなったという訳だ。

 身内のお勧めとしては DVD(ブルーレイ?)録画機能等も付随している機種が便利とのことなのだが、子どもがバレエやピアノの舞台に立っていた小さい頃ならばいざ知らず、今となっては特段録画をする対象物はないからシンプルな機種でいい!、などといつもながら“小競り合い”しつつ家電量販店へ向かった。
 店に着いてからは当然ながら家庭内における実質的権力者である私のペースだ。 早速若手のイケメン店員氏を捕まえた私が尋ねて曰く 「シンプル機種希望なのですが、どれがお勧めですか?」 これにイケメン店員氏応えて曰く 「この辺の機種がお勧めです」  概ね4~5万円の機種が並んでいるのを見つつ 「他にはどういう機種がお勧めですか?」 と尋ねた私に、すかさずイケメン氏は 「例えば“ユーチューブ”をパソコンに接続せずに見れる機種があります。」 
 (何で、この店員は私が“ユーチューブ”ファンだと知っているのだろう???)

 この一言に俄然目が輝いてしまった私である!
 「パソコンに接続しないで、テレビで直接“ユーチューブ”が見れるんですか!!?」 「はい、そうです。」
 といういきさつを経て、イケメン店員氏の“ユーチューブ”の一言で予算が大幅に跳ね上がったもののソニーの“ユーチューブ”対応機種テレビをゲットしてきた原左都子である。 (私は家庭内で甘やかされ過ぎだろうか、と多少反省しつつもね……)

 その“ユーチューブ”であるが、私がネット上で“ユーチューブ”を検索しない日はないと言う程、実際に日々その画像のお世話になっているのだ。
 音楽好きの私としては、音楽鑑賞目的で“ユーチューブ”を利用する機会はもちろん多い。 だが何と言っても、音楽に関しては子どもの頃から“実行派”を誇る私である。 音楽を自分で奏で、自分で歌い、自分で踊ることを生涯の趣味としている私にとっての“ユーチューブ”の利用法とは、テレビの大画面を見つつ歌ったり踊ったりするのが理想なのである。


 ここでやっと「ビートルズ」の話題に移るが、我が中高生であった思春期に洋楽を好んだ私は当然ながら「ビートルズ」も重々マスターして来ている。 
 当時(1960年代後半頃)の私が趣味だった「ビートルズ」は、自ずと初期の頃の楽曲であった。
 今現在、私が“ユーチューブ”で楽しんでいる「ビートルズ」とはやはり初期に偏っているかもしれないが“歌って楽しめるビートルズ”である。


 そこで今回の記事に於いては、今現在原左都子がユーチューブで“歌って楽しんでいる頻度が高い曲”という観点で選んだ 「ビートルズ」トップ10 を公開させていただくことにしよう。

 1位  「Back in the U.S.S.R」

 この楽曲はビートルズの比較的初期のヒット曲と記憶しているが、歌ってよし踊ってよしのこの曲には当時から大いなる思い入れがあった。 今尚、原左都子“一押し”のビートルズナンバーである。

 2位  「Lady Madonna」

 原左都子の楽器演奏趣味の一つとして“エレクトーン”があるのだが、20代前半頃この楽曲をエレクトーンで練習した。 今でも時々エレクトーンで弾く機会があるこの楽曲の歌詞にもまた興味深いものがある。

 3位  「We can work it out」

 我が17歳の娘が私と一緒にユーチューブで歌って「大好き!」と推奨するビートルズ1960年代の楽曲なのだが、確かにそのメロディーラインは今聴いても素晴らしい。 
 加えて、この頃のポール、ジョン、ジョージ、リンゴが何と可愛らしくて素敵なこと!!(是非“ユーチューブ”でご覧いただきたいものだ。)

 4位  「Eleanor Rigby」

 この楽曲に関しては、実は60年代の若き私にとってはさほどの思い入れはなかった。 ところが今の私の年齢で再度視聴すると心が揺さぶられるものがあるのだ。 エリナー・リグビーという身寄りのない老女と、誰からも相手にされないマッケンジー神父という架空の人物を悲劇調に綴ったこの楽曲の物語性の高さを、同年代以上の皆様に是非“ユーチューブ”で視聴いただきたいものである。

 5位   「I am the Walrus」

 ジョン・レノンが中心に仕上げたこの曲は、ジョンの高音のボーカルが際立っている。 この頃、薬物の影響を受けていることを疑われるビートルズであったが、確かにそのノリが感じ取れる楽曲である。 そんな思いを背景にカラオケで歌う分には何やら幻想的な世界に入れそうな何とも言えないいい曲である。

 6位   「Lucy in the Sky with Diamond」

 これも上記と同じく発売当時から薬物疑惑を疑われていた楽曲である。 曲のタイトルの頭文字が“LSD”と一致していると報道されたことを私は高校生の頃に聞いたと記憶しているが、確かに今この曲を聴いてもその影響が疑わしく思われるふしはある。 
 ただ音楽に限らず芸術とは、ルネッサンスの時代以前から“薬物”の力により作者が身を滅ぼしつつ成り立っていると何世紀も言われ続けているのだしね……
 それはそうと、これは私は薬物疑惑伝説に限らず名曲と評価するのだ。

 7位   「Strawberry fields Forever」

 原左都子は19歳の夏に米国某大学に短期留学した経験があるのだが、その時その大学に「Strawberry field」なる巨大なグラウンドがあった。 これはビートルズのこの曲にまつわっているのか!?、とワクワクした記憶がある。 そうではなくて、実際はリヴァプールにある戦争孤児院"Strawberry Field"をモチーフに作った曲であるらしいことは後で判明したのだが、とにかく名曲であることには間違いない。


 既に字数が多くなってしまったため、後の3曲は曲目のみまとめて紹介することにしよう。

 8位   「Penny Rain」

 9位   「Across the Univers」
 
 10位  「In my life」 

  いずれもメロディラインが素晴らしい楽曲ばかりですので、どうか皆さん“ユーチューブ”にてお楽しみ下さいますように!!


 (著作権法は遵守して欲しい一方、それにしても“ユーチューブ”の発展とはネットを通じてあらゆる音楽や影像を庶民が気軽に楽しめる時代になった証ということなのでしょうかね??)
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結婚生活継続の条件として「尊敬」が不可欠か?

2011年04月18日 | 恋愛・男女関係
 今回も大震災関連記事は小休止して、恋愛・男女関係記事を綴ります。


 「原左都子エッセイ集」に於いて毎度おなじみの朝日新聞“悩みのるつぼ”4月16日の記事は、30代女性医師による「仕事辞め、主夫を希望する夫」と題する相談だった。
 早速、以下に要約して紹介しよう。

 30代の女性医師だが、数日前映画ソフト会社のプロデューサーをする夫から、仕事上のストレスや通勤距離の長さ故に仕事に情熱を持てなくなったため会社を辞めたいと言い出された。 退職後のアイデアは特別ないようで、生後2ヶ月の子どものために主夫をやっていいとも言う。 妻である私が医師であり自分が仕事を辞めても生活が成り立つという判断も影響しているようだが、私としては釈然としない。 私は結婚してつまらない男の奴隷になるなら、一人で人生を謳歌したいと思っていた。 「医師」「団体役員」という私の肩書きに頓着せず私の高収入にも卑屈にならない彼に結婚当初は誇りをもっていたはずなのに、今となっては怠惰な夫の言い訳のように思えてしまう。 


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 「30代の女医さん、あなたは結局“ろくでもない男”に騙されただけだよ。 もしかして男性との付き合いが手薄な段階で、その男との結婚を焦ってしまったのではないの??」
 これがこの相談を一読して抱いた私の感想なのだが、ここは順を追って我が見解を綴っていくことにしよう。

 30代という若さににして「医師」であり「団体役員」(一体どういう組織団体の??)との肩書を誇るあなたが、現在失業して主夫を希望する男と如何なるいきさつで婚姻に至ったのかについては私の知るところではない。 ただ、それだけの“ご立派な肩書”をお持ちでかつ医師という職種故に経済力においても生涯保障されているのならば、あなたがおっしゃる通り、何もつまらない男となど急いで結婚する必要はさらさらなかったはずだ。
 なのに何故、あなたはその“失業男”との結婚を実行して既に子どもまで設けてしまっているのだろう?

 ここで原左都子の私事に移って申し訳ないが、私は一生に渡りこの相談女性医師のごとくの“立派な肩書”など持ち合わせない人生を歩み続けるであろう。
 この女性の場合、その肩書きの一つが「医師」であることで社会的に大いに恵まれた存在であることには間違いない。 世の中には“訳の分からん”肩書を振りかざす輩が多い中で、「医師」という肩書とは社会的にその地位が容認される実質的背景があることは、我が過去の医学経験における医師とのかかわりからしみじみと感じさせられるところである。

 原左都子には世間が認める程の肩書など一切ない一方で、相談者と同じ30代の頃には(この相談女医氏ほどではないことは歴然としているが)ある程度の経済力を有していたと言える。
 そして既に本エッセイ集にて何度も暴露している通り、私は若かりし時代より“男好き、恋愛好き”人種であることを通して、我が未来の結婚像に関しても自分なりのポリシーが培われていたと自負している。
 それ故に、私は「結婚」に関しては一貫して“慎重派”であった。
 この相談の女医氏がおっしゃる通り、ある程度の経済力がある女性にとっては“つまらない結婚”など急ぐ理由は何一つないはずなのである。 (いや、もしもこの女医氏の場合、医学に精通している立場として出産適齢期を視野に入れたのならば多少話が変わってくるのかもしれないが…)

 それにしてもだ。
 どう考察してもこの女医氏は、結婚相手に関して“貧乏くじ”を引き当てているとしか考察できない。
 結婚後何年経過しているかは相談内容からは推し量れないが、相手はそもそも映画ソフト会社のプロデューサー???  大変失礼ではあるが、私などこの肩書を聞いただけで“胡散臭さ”を感じると言うものだ。 相手の人柄にもよるが、相当の確固たる人物像を自分なりに見出せない限り、たとえ相手がイケメンであったとしても私ならば結婚相手としては「却下」対象である。
 ましてや、この人物に対して一時は「誇りを持てた」と言う相談女医氏に唖然とするばかりである。 軟弱亭主から今頃になり「主夫」を宣言されて初めてその男の怠惰な一面を見たとは、立派な肩書を誇る女医氏としてはお粗末と言うものであろう。

 今回の“悩みのるつぼ”の回答者は社会学者の上野千鶴子氏であられるのだが、原左都子と類似の見解を述べておられる。
 以下に、その回答の一部を紹介しよう。
 相談者は夫には尊敬できる人でいて欲しいと言うが、そのあなたの男性観が問題の原因のようだ。 夫に対して妻の育児にも協力しつつ自分の夢の実現も追及して欲しいと言うのは、ちと欲が深すぎる。 とりあえずパートナーに何を求めるのかに優先順位をつけ、そうでない項目には目をつむることだ。 夫婦になろうが親になろうが、自分の人生は自分で生きるしかないもの。 自分自身が今置かれている「立場」を超えて、人間とは関係を築いていくものだ。 ストレス源になる夫などいない方がましである。 それができる自分の経済力を祝福して欲しい。

 社会学者であられる上野千鶴子氏は一貫して独身を貫いていらっしゃると認識しているのだが、そのバックグラウンドに基づいたご見解に原左都子は唸るばかりである。


 最後に、今回の我がエッセイ集の記事の表題である「結婚生活継続の条件として“尊敬”が不可欠か?」に関する原左都子の私論を述べよう。

 晩婚であるが故に結婚生活がさほど長くない私がコメントを述べるまでもないのだが、現代社会を長年生き延びて来られているご夫婦の間で、配偶者をお互いに「尊敬」し続けているカップルなど存在するべくもないのが世の常というものではないのだろうか??
 2人が最初に出会った頃には、確かにお互いに「尊敬」のかけらもあったのかもしれない。 その後夫婦として過ごす時間空間が長引くにつれ、「尊敬」どころか「蔑み」のバトルをお互いに繰り返しつつ「尊敬」などという生易しい一瞬の世界を超越して、新たな世界を築いていくのが現実の夫婦というものではなかろうか?
 ドロドロとした人間関係を積み重ねつつ歴史を刻んだ後に、世にも不思議な“夫婦関係なる代物”がそこに存在しているというだけの話であろう。

 今回の“悩みのるつぼ”の女性医師に関しては、今その結婚人生を踏み出したばかりのような印象を持つ。 
 “肩書”にも“経済力”にも恵まれている貴女が今後如何なる選択をしようが自由だが、相手に対する「尊敬」を重視するより何よりも、とりあえず貴方が産んだ2ヶ月の子供さんの成長を願ってみてはどうか? 失業した父である相手がそれさえも実行してくれないのならば、自ずとご亭主に対する評価が決定し早期に結婚生活は終焉を迎えるのではあるまいか?
 少なくとも子どもが小さい頃には結婚相手への「尊敬」へったくれの余裕もない程に、親として育児に追われるのが精一杯の日々を送ることが人間の性(さが)と、庶民の私などは心得ていたものだが…
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引越しは好きですか?

2011年04月16日 | 時事論評
 避難所生活自体も大変だが、各地の避難所を転々と移動させられる避難者の皆さんの心労は多大なものであろう。

 本エッセイ集のバックナンバー「今年の桜は何色に咲き誇るのだろう?」において紹介したが、取り崩しが予定されている“赤プリ”(現グランドプリンスホテル赤坂)がその客室約700室を東日本大震災被災者のために現在開放している。 ただし、6月30日までの期間限定開放の予定であるとのことだ。 “赤プリ”取り崩し跡地の買い手との売買契約の制限もあろうが、ここは何とか被災者の皆さんに配慮して開放期限に融通を持たせられないものであろうか?
 埼玉県の大規模アリーナに於いても一時避難者を受け入れていた。 当該施設の場合3月末日までの短期間の被災者受入れだったと記憶しているが、移転後半月もたたないうちにまた別の避難所への移転を余儀なくされる被災者の皆さんの苦悩を思うと、いたたまれない思いであった。
 大震災被災地から遠方の地域の施設が被災者を受け入れようとする意向は評価したいのだが、施設の都合により短期間で避難所を閉鎖するのではなく、被災者の皆さんの心痛等を配慮してもう少し長期展望で受け入れる体制が整わないものなのか?

 ましてや家が大津波で流された訳でもないのに、福島第一原発放射能汚染圏内に居住していたばかりに、大震災発生直後に強制避難させられた避難者の方々の心の痛みを慮って余りある。
 東電は賠償金の仮払いに関して今月中には支払える体制を整えたようだ。 住民の方々がおっしゃるように、今回の福島原発“レベル7”事故の被害とは決して“カネ”で解決できる程容易い問題ではないのは明白である。 それでもせめても仮払いが実行されることに、一国民としては一応安堵するというものだ。
 今後は汚染地域への一時帰宅に関しても、東電や政府は積極的に対策を練って欲しいものである。 被災者の皆さんの安全を確保するべく防護服着用の上時間を限り、順番制で自宅に案内するべく方策を練って欲しいものだ。


 何故に原左都子が上記のごとく避難者の皆さんを慮るのかと言うと、それは私自身が避難生活に耐えられる人格を備えていない故であることは、当エッセイ集のバックナンバー「避難生活能力のない私」においても綴っている。

 それに加えて、原左都子は“引越し”が大の苦手でもあるためだ。

 今回の記事の表題は朝日新聞3月26日「be」“between"よりそのまま引用させていただいたたのであるが、 「引越しは好きですか?」 の原左都子の回答とは即座に「NO!」である。

 基本的に引越しが嫌いなはずの私であるが、今までの人生において繰り返した引越しの回数は、実に17回! にも上るのだ。
 郷里に於いて両親の下で過ごした間に引越した回数は、既に7回に達していた。 特に親が転勤族であったという訳でもないのだが、父の“家屋新築引越し好き趣味”も含めて何度も新たな地に家を建て替えて引っ越している。
 そして単身で上京して以降、どうも父の趣味を引きずっている私であったようだ。 我が長き独身時代においては家財道具も少なかったため、引越しが容易であったという背景もあろう。 自分自身の社会人としての成長に伴い、都内におけるより便利な地域に住む地を替えつつ生活をグレードアップしていったとも言える。 独身30歳にして独力で購入した自己所有マンションには7年間居住したのであるが、これは我が独身時代における最長期間の居住記録である。

 その後結婚して子どもを設けて以降も、我が家は自宅の買い替え転居を繰り返す運命にあったものだ。 
 この度重なる引越しは、原左都子にとって大いに大変だった。 何分、子どもを抱える一家は家財道具が数多い。そしてその子どもは未だ小さい。(加えて我が亭主とは“人はいい”のだが、この種の力仕事においては使い物にならない…) 
 という訳で、引越しの一切合財のすべてが私の“細腕”に任せられるのであるが、体力面では自信のない私としては「引越しすべてお任せパック」に頼るしかないのだ。 ところがこの「お任せパック」も至ってクセもので、派遣されてくるパートの荷造りおばさんが私相手に苦情を露にしようとするのである。 その苦情の雰囲気を察知して、結局は私も一日中梱包開梱作業に加わり“細腕”で重い荷物を持たざるを得ないのである…  子どもの世話と同時に、パートのおばさん達に配慮して苦悩し、後々疲れ果てて寝込んでしまいそうな私であったものだ。 (結論として、引越しとは気心知れた家族内で喧嘩しつつも行った方がいいと感じる我が人生における失敗談である。)

 そんな原左都子も、引越しの利点は大いに享受しているのだ。
 そもそも、何故我が家が幾度にも及んで住居買い替えを繰り返さざるを得なかったのかの第一の理由とは、我が子が多少の事情を抱えて生まれて来ているからに他ならない。 所属学校で我が子がいじめに遭遇してまったり、担任が許容できない人物であった場合、その場を逃れる事こそが一番手っ取り早い方策であろう。 引越しという手段により、娘が逃れようがないその種の難関をクリアしてきている我が家とも考察できるのである。

 それはそうとして、実際問題一般人にとって引越しとは、これまでの人生を“リセット”して新たに出発できるまたとない手段なのではなかろうか?
 我が家の引越し理由の一つに関して子どもの“いじめ対策”をその理由として語ったが、それは我が子が苦悩を余儀なくされる環境から親である私自身が気持ちを切り替えられる、大いなる再出発地点であったとも考察できるのだ。


 それにしても、福島第一原発のトレンチ内の水位は上昇を続けるばかりである。 4基の原子炉冷却目的で巨量の真水を注入し続けねばならぬ現状において、それは致し方ない事であろう。  
 一方、海面への汚染水の出口を塞いだという報道にもかかわらず、どうやら放射能高汚染水が相変わらず海水中に紛れ込み、そして地下水を通じて土壌を汚染し続けている模様である。
 今後しばらくは真水による冷却により4基から放射能高度汚染水を排出し続ける現状において、その汚染水を保存する手段を早急に検討して欲しいものであるが、これに難儀しているのが東電の実態のようだ。
 このような“レベル7”の現状においては、原発近隣地域の住民の皆さんは避難所生活をいつまで余儀なくされ続けるのかの見通しもたたないという事であろう。

 この期に及んで原左都子の“引越し嫌い”など、まさに我がままの範疇であることを思い知らされると言うものである。
 そんな私は、せめても福島原発避難者の皆さんの一時帰宅がたとえ短時間であろうと安全性を確保した上で早急に実行されることを願いたい思いだ。
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大震災がメモリーとして語られる遠き日

2011年04月14日 | 時事論評
 (写真は、原左都子作 白皿の絵付け 「2011.3 東日本大震災」 )


 「原左都子エッセイ集」読者の皆様に、下手な絵をお見せして誠に申し訳ない思いである。

 美術観賞の趣味はあるものの、中学卒業以来一度足りとて絵など描いた事がない程の絵心なき原左都子が、先だっての3月31日に上記の白皿の絵付けをする機会を得た。
 
 今回私にその貴重な機会を提供して下さったのは、2008年秋に第8回バーラトバーバン国際版画ビエンナーレ授賞式典出席のためインドまで同行(本エッセイ集の旅行記カテゴリーにおいてその時のインド旅行の様子を綴っております。)させていただいた、知人の美術家であられる 長はるこ氏 である。
 (美術家 長はるこ氏のご活躍の詳細に関してはこの画面の左下欄ブックマークにて紹介しておりますので、ブックマークのトップ「B-gallery」より氏のHPへお進み下さい。)

 美術分野で長きに渡り実績を積まれている 長はるこ氏 のご活躍の様子が、新聞やテレビ等メディア上で取り上げられる機会は過去において幾多に上っている。
 そんな中、今回原左都子が絵を描くチャンスを与えていただけたのは、来る4月17日(日)午前11時30分(再放送4月24日同時間)より 千葉テレビ にて放映予定の「アート夢ぽけっと」との番組に、長はるこ先生が主宰されているギャラリー及びスタジオにおけるワークショップの様子が取り上げられる事に相成ったためである。

 このワークショップへのお誘いを長はるこ先生から頂いた当初は、絵心がまったくない原左都子の頭は真っ白状態だった。
 ただ、その後直ぐに当日描く絵の「テーマ」が自ずと決定したのである。
 3月31日と言えば東日本大震災が発生してまだ半月余りの頃で、当時の私の頭の中身は震災関連事項で目一杯状態だった。 その中でも一番我が心を痛めていたのが、今回の白皿の絵付けで描いた“福島第一原発事故”のその後の放射能の影響だったのである。

 今回我が国に発生した未曾有の大震災の大津波に付随するべく福島原発事故の悲惨かつ壮絶たる影像が脳裏から離れない私は、その構図を絵に描くしか他に方策がなかったというものだ。 
 長はるこ先生には大変申し訳ないのだが、テレビ放送により来る日も来る日も繰り返して映し出され、私の脳裏にこびりついている“福島第一原発事故の惨劇の影像”という至ってマイナーな対象物を描かせていただいたのが、上記の下手な絵という訳である。


 一昨日(4月12日)の報道によると、今回の福島第一原発事故は原発事故としては最大級の“深刻な事故”である「チェルノブイリ級」の“レベル7”までに引き上げられてしまった。
 この“レベル7”の解釈に関してはメディアでも報道されている通り、今直ぐ福島近辺の住民が何らかの対応をしなければならないとの意味合いではない事に関しては原左都子も認識できている。
 それにしても、我が国において“レベル7”の原子力事故が発生している現状を国家も関係機関も国民も大いに深刻に受け止めつつ、今後の放射能対応に関してそれぞれが思考、行動していくべきであろう。

 にもかかわらず総理大臣である菅氏は、「福島第一原発近隣地域は長期間に渡って居住が困難になる」と発言したとかしていないとかの醜態を晒し、避難地域外にあって高放射能汚染の実態を与儀なくされている飯舘村村長氏から大いなる憤りを示されたとのお粗末な現状である。
 この総理の失言に関して、枝野官房長官は「今後の(原発被災)地域住民への情報提供を改善する必要がある」と本日昼間のテレビニュースに於いて述べたようだ。
 菅政権の今回の大震災対応は、福島第一原発事故を筆頭としてその専門力のなさ故に右往左往を繰り返している。今後この日本が置かれている宿命を垣間見せられるというものである。

 そんな中、本日昼のNHKテレビニュースにて放映されたWHOネイラ局長の見解に大いに賛同した原左都子である。
 ネイラ局長曰く、「日本の福島原発事故に対する現在の対応は適切である。今現在に関しては新たな対応策の必要はないと言えるであろう。 ただ国民の放射能被爆に関する調査対応は、今後10~20年の長きに渡って行われるべきだ。」
 日本が今於かれている放射能汚染の現状に配慮し言葉を選びつつも、国家がいつまでも伝えようとしない今後の長きに渡る放射能の悪影響にまで及んだ国際機関からの発言に、感謝申し上げたい私である。 国民の放射能汚染に関する調査対応が遠い未来にすべて終焉して初めて、今回の大震災はメモリーとして語れるようになるのであろう。

 
 “福島第一原発”当地において、強度の余震が続いていることに関しては皆さんもご存知の通りだ。 先だっての震度6強の余震の際に炉心部である燃料棒への真水の放水が一定時間停止した事態に対し、現在非常電源システムを強化する策を東電は打ち出している様子である。
 要するに国や東電の原発事故に対する対応とは、今後も後手後手に回らざるを得ない状態にあることを国民の前で暴露し続けるのであろう。
 東電はせめても地域住民に対して賠償金を“仮払い”しようと動き始めているようであるが、その金額は当然ながら「巨大」であるため、これに関しても鈍い対応とならざるを得ないようだ。

 大震災を受けたこの国の景気が、今までにも増して“下方修正”されてしまうのもやむを得ない話であろう。


 今回の長はるこ先生のギャラリーに於ける千葉テレビの番組収録において、原左都子は自分が描いた“福島第一原発事故”の下手な絵に関し、司会者のインタビューに応え以下のようなコメントを述べている。
 「このような歴史的大震災はおそらく我が人生において一度しか経験できないことであろう。 そんな人生最大とも言えるマイナーな記憶をこの絵に描いて我が人生のメモリーとしたかった。 長はるこ先生が後日焼いて仕上げてくれるこのお皿を、私自身の人生の記録として今後一生大事に保存したく思っている。」 
 実際のインタビューでは、しどろもどろだったのだけどね…


 - P.S.-
 ところで、東京では“千葉テレビ”は見られないとの話を聞いた原左都子ですが、東京において“千葉テレビ”を視聴するノウハウをご存知の方がいらっしゃいましたら、ご伝授いただけますと幸いです。
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モテない息子の教育法

2011年04月11日 | 恋愛・男女関係
 震災関連の記事が続いているが、少し息抜きに今日は久々の恋愛関連記事を綴ることにしよう。


 朝日新聞4月9日別刷「be」“悩みのるつぼ”は、28歳にしてまったく女っ気のない息子を嘆く50代母親からの相談だった。

 同じく(娘ではあるが)子を持つ50代の母親である原左都子としては、相談者の息子さんは既に28歳にもなっているのだから、本人に女っ気がなかろうがどうであろうがもう放っておけばいいのではないのか?? と思いつつ、以下に相談内容を要約して紹介することにしよう。 

 大学進学で親から離れて10年になる28歳の息子がいる。 昔から女の子にモテない引っ込み思案で、背格好は普通の地味で目立たないイケテナイ男子である。私が知る限りでは今まで彼女は一人もいない。大都会の企業で働いているが満足な給料はもらえていない。同級生には既に親になった人もいるのに、いまだ彼女をつくれない息子を見ると地団太を踏む。28歳でまだ童貞なのか、性欲の処理はしているのかの心配もする。 女性経験を持つと、おしゃれに目覚め下着にも気を使ったりするというが、帰省する息子のダサさは相変わらずで、はき古したトランクスを洗濯するたびこの子の下着を洗ってくれる女の子は一生現れないのかと情けなくなる。 陰で遊んでくれていたらとさえ思う。 女狂いの息子に困り果てる親もいるのだろうが、せめて30歳までには人並みにチェリーボーイだけは卒業して欲しいと願う。こんな母親は私だけなのだろうか?



 早速、原左都子の私論に入ろう。

 17歳という未だ思春期から抜け出ていない“番茶も出花”時期の一人娘を持つ母親の身とすれば、親の目から見ても肌や体が“ピチピチ、プルンプルン”の危なっかしいお年頃の娘に、得体の知れない変な男から唾をつけられたら大変!!  その種のバリアーを張りたい思いしか抱けない現実である。
 加えてもしも我が娘が大学進学を目前に控えたこの大事な時期に、“妙な男”のせいで道を踏み外すなどはもっての他! との懸念もある。

 この種の懸念は「娘」を持つ親の身として共通なのではあるまいか。
 原左都子も我が娘が幼い頃より”女ゆえの失敗”を連想しては頭を悩ませて来たと振り返る。 例えば、もしも娘から高校在学中に“妊娠しちゃった”などと訴えられたものならばたまったものではない。 その種の“失敗”のみは親の責任として是が非でも回避せねばならぬと肝に銘じて、娘の“男教育”をしてきているとも言える。
 と言うのも、特に女性の場合は妊娠・出産が後々の人生に及ぼす影響力が多大である。わずが十代でそれを経験してしまう事により、後々の長い人生の選択肢が大幅に狭まる事が目に見えているのだ。 我が娘には人生の選択肢を狭めることは避けてやりたい意味合いで、親である原左都子としては娘の恋愛に関して慎重にならざるを得ないのだ。


 それでも、人間とは“男っ気(女っ気)”があるに越した事はない。 これは人間にとってその人生を大いに豊かにしてくれる根源であることに間違いないからである。
 若かりし時代に結婚願望や子育て願望がほどんどなかった原左都子であるが、思春期の早期からどちらかに分類するならば“男好き、恋愛好き”人種であると結論付けられることを認める。 自分の意思で晩婚を選択したものの、我が人生における“数多い恋愛経験”は今尚私の血となり肉となって我が人格を創り上げてくれていると自負しているのだ。

 そんな私は、当然ながら我が娘にも是非共人生において“恋愛”を経験して欲しいと考えている。 そのための娘に対する“女磨き”教育は、サリバン(原左都子のことです)の学習教育と平行して早期より開始している。
 恋愛とは何と言っても男女が出会うチャンスがなければ始まりもしない性質のものであろう。 男女が出会うきっかけとは綺麗事を押し並べたところで、これはどう考察してもその“外見”から始まってしまう運命にあるのではなかろうか?
 そこで私は娘に対し、幼き頃から“体型の維持”を一貫して教育し続けている。もちろん人の体型とは先天的要因からも千差万別であるのは致し方ないとしても、個々に応じた健康管理を徹底することで一生を通じて自分なりの理想体型を保てるはずなのである。
 人間の“顔のつくり”に関しては整形手術でも施さない限りアプリオリ人生を余儀なくされるのかもしれないが、体型維持に関しては個々の努力次第でいくらでもコントロール可能なはずだ。
 それに加えて、現代は美容や服飾分野の芸術文化が目覚ましく発展している。 これを“女磨き(男磨き)”に利用しない手はない。 我が娘に関しても幼き頃から“お洒落”を志すことをサリバン(私のことです)が徹底して教育して来ている。 制服の時はともかく、私服で外出する時には頭のてっぺんからつま先に至るまで必ずトータルコーディネートをするべきだとの私の“教え”に従って、自分で工夫をしている我が娘である。

 “健康体型”とある程度の“お洒落要因”が整ったならば、人間まずは“モテない”人種には分類されずに済むというものであろう。 何故ならば、この種の分野とて日々の弛まぬ努力の積み重ねであり、それは自らの人格形成の一部として内面に蓄積される所産であると捉えるからである。


 さて、話を“悩みのるつぼ”の相談に戻そう。

 この相談者である50代のお母様は、28歳の息子さんと日頃健全なコミュニケーションが取れているのであろうか? 原左都子はこの息子さんにお会いした事がないため実態が把握できないのであるが、息子さんはお母上の心配にもかかわらず大都会で自分なりに立派に生き抜いている様子が伺える気もするのだ。

 仮に息子さんがお母上に“彼女ができないよ~”などと泣きつくことこそが悲惨で、目も当てられないと言うものであろう。
 今時、彼女が見つからない独身男性など世に捨てる程存在すると言うものだ。
 家を出て10年が経過した息子さんに一見“女っ気”がないことを感じ取ったお母上の立場として、息子さんが将来ゲットするであろう女性に対し一体全体何の“見返り”を求めているのであろうか??
 本気で息子さんの“女っ気”に期待していたのであれば、親として息子さん幼少の頃よりそれ相応の教育をなすべきであったはずだ。
 その努力もせずして息子さんに“女っ気”を求める貴方の方にこそ、何らかの“恋愛・男女関係”の偏りがあるのではないかと考察する原左都子である。
 

 (参考のため、今回の“悩みのるつぼ”の回答者は過去において「原左都子エッセイ集」にコメントをお寄せ下さいました 評論家の岡田斗司夫氏であります。
 今回の原左都子の記事内容とは一味も二味も異なる興味深いご見解を“現在独身者であられる?”立場から岡田氏が上記朝日新聞の回答欄で述べておられますので、朝日新聞記事をご参照いただければと存じます。)
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今年の桜は何色に咲き誇るのだろう。

2011年04月09日 | 時事論評
 (写真は、昨日4月8日に東京都千代田区紀尾井町の赤坂プリンスホテル <現 グランドプリンスホテル赤坂> をバックに撮影した満開の桜)


 東京の桜が満開の時期を迎えている。

 桜の開花とは年間の気温の積算によりその開花時期が決定されると、以前テレビの天気情報番組の解説で見聞したことがある。
 昨年は夏が全国的に記録的猛暑だった反面冬は北国で豪雪また豪雪の日々が続く等、寒暖の格差が極端な1年間であった。 また3月に入ってからも全国的に厳しい寒さが続き、3月中旬以降は東北の大震災避難者の方々が避難所においてライフラインに閉ざされた過酷な環境の中肺炎を患って亡くなる等、結果としては寒暖の“寒”が大いに勝った1年だったのであろう。
 東京においては早ければ卒業式の頃に満開となる桜であるが、今年は学校の入学式もそろそろ終わりかけている今頃に遅ればせながら満開の時期を迎えた。

 それにしても、歴史的大震災の発生に耐え抜いて今年も絢爛に花を咲かせた桜の生命力に感動させられるというものだ。 
 津波被害がなく放射能汚染も微量の東京においても、3月11日には震度5強の激震に見舞われた桜であろう。 この原左都子とてあの大揺れのストレスをしばらく引きずり“PTSD状態”を余儀なくされたことをバックナンバーで暴露している。 桜等の植物も同等のストレスがあったであろうし、少なくとも木を支えている土壌内の根には大いなる負担がかかったことと推測できる。 それにもめげず、今年も満開の花を咲かせた桜に例年以上に感動させられる思いだ。 


 大震災の犠牲者や避難者の皆さんに配慮してか、全国的に「今年は桜の花見を自粛しよう」等の動きがあったことについては「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいても既述している。
 これに対して、様々な見解が世に交錯しているようだ。 現在のところは「花見を自粛するよりも決行した方が国全体に経済効果がもたらされ、結果として被災地域が潤う」趣旨の意見が多数派であると見受けられる。
 原左都子の見解としては、指導的立場にある人物が何らかの営利目的で我が身息災に適当な見解を述べるのではなく、あくまでも「国民皆さんの自由にすればいい」のではないのか、と申し上げたいところである。

 これと平行して被災者の皆さんに国民が如何なる声かけをすればよいのか、なる人間関係の基本的事項に関して、その「専門家」と名乗る(原左都子に言わせてもらうと)“訳の分からん有名人”がメディアに登場し好き勝手な見解を述べている様子である。  何故にメディアにおいてこのようなお粗末な情報を流さねばならぬのかと分析するに、事の発端は“阪神大震災”に遡るのではなかろうか?

 確かにあの頃は「頑張ろう!」との言葉が禁句とされた時代であった。 人は「頑張らなくていい」と、歪んだ“横並び”思想で結論付けられようとした時代背景だった。 
 学校教育がちょうど「ゆとり」を目指そうとした頃だっただろうか。 (ここで教育論に議論を発展させるとブログの字数が何文字あっても綴り終えないため、今回は教育論は割愛することにしよう。)
 一貫して「ゆとり教育」に賛同している原左都子がここで手短に語ると、教育における本来の「ゆとり」の意味合いとは生徒の“個性の尊重”に他ならないはずであった。 にもかかわらず提供側である国や(特に公立学校の)教員が勘違いして、自らが「ゆとり」に浸ってしまったのが大きな失策だったのではあるまいか?  すなわち、教育者側こそが生徒一人ひとりの個性を捉えることが、「ゆとり教育」の本来の趣旨であったはずなのである。それは指導者側にとっては大仕事であるべきはずだ。 一方、教育を受ける側もその個性に応じて一生皆が“頑張って”生きるべきでもあるはずなのだ。 
 それ故に“皆がそれぞれに頑張る”という意味合いにおいて、原左都子は今尚個性の尊重を掲げる「ゆとり教育」賛同派であると言い続けるのだ。  
 (詳細は本エッセイ集「横並び教育の所産」等教育に関するバックナンバーにおいて再三再四述べておりますので、是非ご参照いただけますように。)

 被災者の皆さんに如何なる声かけをするかに関する原左都子の結論とは、それこそ“人それぞれ”でよいのではなかろうか? 
 何も“訳のわからん”「専門家」とやらが突如としてメディアに出現し、即席に考え付いた下手な“通り一遍”のコメントを述べるまでもないのだ。
 そして何度も何度も訴えるが、ましてや“著名人”とやらがテキトーな支援パフォーマンスをメディアを通じて公開したところで、一昨日東北地方において発生した震度6強の余震等で被災地には再び電気も通じていない状況である。  結局“著名人”のパフォーマンスとは、被災地ではないライフラインが完璧な地域の国民向けに “ほらほら、僕らもこれだけ支援してるよ~、ほ~らね!” とアピールしたいだけの“売名目的”に過ぎないことがこの余震続きの中再証明されたという事であろう。 (自分らが本気でどんな支援をしたいのかを、被災地の皆さんにきちんと届くよう真心で伝えたらどうなのか?!) 


 桜に話を戻そう。
 昨日東京紀尾井町まで出かけ、取り壊しが予定されている「赤プリ」こと 現「グランドプリンスホテル赤坂」の“勇姿”を間近に見てきた。 折りしも東京の桜が満開を向かえ、その桜を底辺に高々とそびえ立っていた堂々たる「赤プリ」である。
 この「赤プリ」の最後の“勇姿”をカメラに納めようと、大都会幹線道路の人が大勢行き交う歩道にて携帯で撮影していたところ、通りすがりの年配女性が私に声をかけて下さるのだ。 「これは“赤プリ”ですね」「そうです。」 「これが取り壊されるのですね」「そうですね…」……  通りすがりの2人の間に、何とも切ない空気が今年の満開の桜の下で流れたものである。

 この丹下健三氏建設の「赤プリ」はわずか30年足らずにしてもうすぐ取り崩され、この土地が新開発される運命にあることは本エッセイ集「赤プリ」関連のバックナンバーで2度綴っている。
 現在は大震災に見舞われた東北地方の被災者を全客室である700室余りをすべて提供して受け入れたというニュースを、都会に住む原左都子としては“朗報”として見聞したものである。

 果たしてその客室にどれ程の避難者が現実に入居しているのかは不明だが、「赤プリ」の桜は“勇姿”を誇る「赤プリ」が取り崩される最後の局面に待ち構えていた“歴史的大震災避難者の救済”という大きな使命を全うする事を見守っていたかのように、東京紀尾井町において今満開に咲き誇っているのだ。
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メダカは死にました。

2011年04月07日 | お知らせ
 4月4日に 「放射能の影響か?我が家のメダカに異変!?」 において写真公開しました我が家のメダカは本日(4月8日)夜、命を閉じました。


 左目の突出と言う異変を発見した翌日5日には右目も突出し、6日からエサを食べなくなり、そして昨日7日からただひたすら一方向にぐるぐる旋回し始めました。
 本日左目が腐ったような色になりつつもまだ哀れにも旋回を続けていたメダカですが、夕方その動きが止まり、そのまま今夜その生命を終焉しました。

 目の突出の異常を発見してから、わずか4日間の命でした。


 4月4日のバックナンバーには「原左都子エッセイ集」の常連読者の方々のみならず、見知らぬ方からもコメントを頂戴しております。 (放射能に関連する様々な観点からのコメント、及びそれに対する原左都子の返答のやりとりを原文のまま記載しておりますので、よろしければ4月4日記事のコメント欄をご覧下さいますように。)


 原左都子にとって、生命体の命に関して“苦渋の思い”も含めて、改めて考えさせられた今回の我が家のメダカの死であったと考察します。

 
 P.S.
 
 誠に勝手ながら本記事へのコメントは受け付けておりません。
 もしメッセージをいただける場合は、4月4日の記事 「放射能の影響か?我が家のメダカに異変!?」 のコメント欄に記載いただけましたら幸いと存じます。
 

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傑作が傑作として後世に生き残る所以

2011年04月07日 | 芸術
 大震災関連記事は小休止して、たまには芸術カテゴリーの記事を綴りましょう。

 (写真は、右上がマチス作「縞ジャケット」、左がルノワール作「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」の絵葉書、そして右下が「ぐるっとパス」チケットの綴り)


 美術鑑賞の話に入る前に、上記写真の右下「ぐるっとパス」の紹介からしよう。

 正式名称を 「東京・ミュージアムぐるっとパス2011 美術館・博物館等共通入場券&割引券」 と称するこのチケット綴りの代金は ¥2,000-也 なのだが、これは“超お得”チケットと言っていいであろう。
 この種の“お得ものチケット”はこの世に多々存在する。
 例えばテーマパークや遊園地の年間パスポート類、映画鑑賞の年間チケット、あるいは乗り物の回数券、クリーニング等各種サービスの回数券等々……  これらの中で比較的使い切れるのは乗り物の回数券くらいであり、その他に関してはよほどその分野の“フリーク”でもない限り、結局は使い残して損失を計上するのが現実ではあるまいか? 
 私にもその失敗は何度かある。 つい最近も1年期限のドライクリーニングの回数券を購入したのだが結果として期限内に使い切れず、一回毎に料金を支払った場合と比較して多額の損失を計上することに相成ったものだ。

 「ぐるっとパス」に話を戻すと、2,000円と言う格安代金を元に試算した場合、3、4箇所の対象施設を期限内に訪れると“元が取れる”計算になろうか?
 ただし期限の条件は2ヶ月間と多少厳しくはある。 
 それにしても、今回原左都子が購入した「東京・ミュージアムぐるっとパス」の場合、自宅から電車利用で1時間圏内の美術館、博物館等の対象施設が70箇所以上もあるのだ。 その中で、皆さんもおそらくご存知であろう施設のほんの一例を紹介すると、「上野動物園」「国立科学博物館」「東京芸大美術館」「東京国立近代美術館及び工芸館」「東京都江戸博物館」「葛西臨海水族館」…… 
 これはたとえ期限が2ヶ月と短くとも大いに元が取れそうである!
 大都会東京に住む利点をわずか2,000円の出費で活かせる「ぐるっとパス」に、感謝感激と言ったところであろうか。
 まだ“生のパンダ”を見たことがない娘が可愛らしくも“パンダを見たい!”との希望のため、とりあえず明日娘の学校が自宅学習であるのを利用して、「上野動物園」に行く事にしよう。 
 “まだ混んでるだろうな…”
 (参考のため、原左都子は決して「ぐるっとパス」発行元団体の“回し者”ではございません。 自主的にこの記事を綴っております。)


 ブリヂストン美術館に於ける美術鑑賞に話を移そう。
 2011年1月4日~4月16日まで上記美術館にて開催中の「なぜ、これが傑作なの?」と題するコレクション展示に大いなる興味を抱いた原左都子である。
 (参考ですが、当該美術館においても大震災発生の影響により現在は閉館時間を早めての展示であるため、もし観賞を予定される方はあらかじめ詳細を確認の上、観賞に出向かれますように。)

 なぜ上記企画展に興味を抱いたのかというと、そもそも美術分野において“素人”の立場にある私が美術鑑賞趣味を通じて、まさに「なんでこんなヘボい絵が傑作なの?」  正直言って、このような感想を抱く作品に出会う事が数多いのである。
 反面、私なりの“お気に入り”の絵画を美術鑑賞において発見するとそれはうれしい思いでもあるのだが…

 そんな私は、ブリヂストン美術館が現在開催中の「なぜ、これが傑作なの?」と“あからさま”に題するコレクション企画展示に大いに興味をそそられたという訳だ。
 観賞の結論としては、今回のコレクション展示は当該美術館の学芸員の意表を突くアイデアと意欲と力量の賜物か!との勢いを感じ取れた原左都子である。


 その中で原左都子が興味を抱いた上記写真絵葉書の2作に限定して、「なぜ、これが傑作なのか?」についてあくまでも私の記憶を中心に少しだけお伝えすることにしよう。

 まずは、ルノワール作「すわるジョルジェット……嬢」であるが、この絵を見たことがないと言う人はおそらくいないであろう程の名作の一つではなかろうか? それ程にスタンダード化しているルノワールの代表作の一つであろうが、原左都子個人的にはこの絵には元々さほどの思い入れはなかったと言える。
 ルノワールの出世作であるこの作品に描かれているジョルジェット嬢の年齢に関しては、巷では様々な憶測が飛び交っているようだ。 8歳だ、いや10代だ…
 今回のブリヂストン美術館における学芸員氏の調査(考察?)によると、この絵に描かれているジョルジェット嬢は4歳とのことだ。(私の記憶違いでしたらお詫びしますが。) どう見ても、その体型やしぐさから私の目にもこの少女は4歳と映る。
 そして学芸員氏による、この4歳の少女の肖像画を描く事を要求されたルノワールの天才性の考察にも同感する思いである。 幼き幼女が椅子にずっと静かに座っているはずはない。モデルであることが苦痛の4歳の幼女が一瞬浮かべた“微笑み”や一瞬取った“ポーズ”を見逃さずそれを心に留め堂々たる幼女の肖像画として仕上げたルノワールのこの作品は、学芸員氏が説明書きしておられた通り確かに「傑作」と言えるのではなかろうか。 しかも幼女の肌の色遣いが精細とのことで、説明書きを読んだ後で作品を精査して“なるほど!”と納得した私である。

 そして、もう一つは写真の右上 マチス作「縞ジャケット」である。
 マティスという画家に関しては、観る者の好みが大きく分かれることは認識している。 そんな中、原左都子がマティスファンであることに関しては当エッセイ集バックナンバーにおいて既述した記憶がある。 何故私がマティスファンであるかと言うと、(マティスには大変失礼な記述であるが)私が美術に関して素人であるからに他ならないのであろう。
 マティスにはピンクを基調とした色使いの作品が多いように私は捉えているのだが、その色彩構成が私の好みなのである。 例えば、2005年に東京都美術館に於いて本邦初公開された マティス1912年の大作「金魚」など、やはりピンク色が基調となっていて原左都子の大いなる贔屓作品である。 
 そんなマティスが得意な(?)ピンク色等の派手目の色彩を抑え、白を基調色として描き上げたのが1914年に作成した「縞のジャケット」なのではなかろうか?
 この作品のコピーはあちこちで目にするものの、今回私はブリヂストン美術館において「本物」を初めて観賞したのだが、これは素晴らしい! の一言である。 私が知らなかったマティスの一面を“傑作”を通じて見た思いであった。


 さて明日は「ぐるっとパス」を利用して、檻に入れられての中国よりの空輸や直後の東日本大震災の大揺れという激動の難関をクリアし、4月1日からは上野動物園に押し寄せる日本人の目に日々晒されるという過酷な環境に耐えている上野動物園のパンダとご対面することにしよう!! 
 (そう言えば、自然界においてあの芸術的な白黒模様のパンダが生命体として誕生したことも、この世の「傑作」と言えるであろうなあ~)
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放射能の影響か? 我が家のメダカに異変!?

2011年04月04日 | 時事論評
(写真は本日4月4日に自宅にて撮影した我が家のメダカ。 写真が不鮮明で申し訳ないのだが、手前のメダカの左目が飛び出している様子がお分かりいただけるであろうか?)


 原左都子が自宅でメダカを飼育していることに関しては、本エッセイ集において幾度か公開させていただいている。 
 (もしよろしければ、当エッセイ集バックナンバー 2009.9「生命体が共存する風景」、2009.10「生命体の継承と繁栄」、及び 2010.7「続・生命体の継承と繁栄」をご参照下さいますように。)

 上記の 2010.7 バックナンバー以降その続報を公開していなかったのだが、2009年9月当初に自宅近くの農協にて買い求めた初代のメダカは、その後“すくすく育った”と言うよりも今や全長5cm程の“メタボ巨大メダカ”へと姿を変貌させている。
 二代目が誕生した後、三代目の卵の孵化に難儀している様子を2010年7月に公開して以降、“原左都子エッセイ集 メダカ通信” はご無沙汰させていただいていた。
 その後、2010年9月~10月にかけての秋の産卵時期に生まれ出た卵の中の4個体がめでたくも孵化し、うれしくいことに今尚元気に育っている最中である。 (この4匹のメダカが果たして2世であるのか3世であるのかの識別は、飼い主の原左都子とて不明の状態だ。)

 
 大きく話題を変えよう。

 本日(4月4日)、文部科学省は福島第一原発から北西約30キロの地点で、先月23日から11日間の放射線量の積算が1万マイクロシーベルト(10ミリシーベルト)を超え、1万340マイクロシーベルトになったと発表した。
 仮にこの地点に11日間立ち続けていた場合、年間に自然界や医療行為以外で人が浴びてよいとされる許容量1ミリシーベルトの約10倍を浴びることになる計算となる。(一般に健康に影響が出るのは100ミリシーベルト以上とされる。)
 文科省では先月23日以降、同原発から20~60キロ離れた地点で放射線量の積算値を計測しており、このほか同原発から約30キロ離れた4か所で11日間の積算が6110~2110マイクロシーベルトになったとも発表している。
 (以上、本日のネットニュースより引用)

 先だっての3月下旬頃、我が居住地の東京都の水道水においても福島第一原発由来と思しき放射性ヨウ素や放射性セシウムの混入がニュース報道された。 大人はともかく、乳児には健康被害を及ぼす恐れが大きいため、自治体は対象家庭へ緊急手段としてペットボトル飲料水を配布したことは皆さんも記憶に新しいことであろう。
 
 その時、元科学者の端くれである原左都子は私なりに咄嗟にあることを推測したのだ。
 被災地の皆さんや乳幼児を抱えて混乱しておられるご家庭の苦悩を慮ると我が家のメダカなどどうでもいいのは百も承知の上である。 それでも水道水で育てている我が家のメダカの放射能影響力を日々観察することで、放射能が人体に及ぼす影響に関する実態の一端を捉えることか可能なのではないかと志したのである。

 過去における世界最大級原発事故であるチェルノブイリ事故においては、核分裂生成物の131I(放射性ヨウ素)が多量に放出され、これが甲状腺に蓄積したため住民に甲状腺癌が多発した。
 今回の福島原発事故由来と思しき水道水の放射能汚染に関しても、体が小さい乳児への放射性ヨウ素の影響を懸念して甲状腺癌等を予防するべく、国や自治体は水道水を接種させないように緊急指導したのである。 

 本日我が家のメダカ(上記写真は二代目と思しきメスメダカなのであるが)の左目が大きく膨れて突出しているのを発見して驚いた私である。 よく観察してみると、その他のメダカにも似た症状が見受けられるのだ。 
 人体における症状に関しては、ネットは元より我が家にある医学関連書籍である程度検索可能である。 あくまでも人間に関して言うと、例えば甲状腺機能亢進症の一症例である「バセドー病」の特徴として“目玉が飛び出る”という症状が出現する人も存在する。(それにしても、甲状腺癌と甲状腺機能亢進症の一例である「バセドー病」とはその発生機序を異にするとも考えられる側面もあるのだが…)

 ただ、メダカの病理に関しては全く心得ない私である。 そこで私はネット上のメダカ情報に頼ったのであるが、メダカの目が飛び出る症状に関しては(放射能に限らず)一般的に少なからず認められる症状ではあるようだ。
 私がひっかかるのは、今まで至って元気だった我が家のメダカ達が、ここにきて突如眼が飛び出たのは如何なる機序によるのだろうかとのことなのだ。
 上記のごとく身勝手な推測を原左都子がしようとて、解剖学的に考察して魚類であるメダカに甲状腺組織自体があるのやらないのやらに関する知識さえ全く無い私が、これ以上の医学的論評に踏み込むことはここでは控えるべきであろう。


 東日本大震災に話を戻すと、幾度も幾度も繰り返しにはなるが、原左都子としてやはり第一に心を痛めるのは福島第一原発関連の犠牲者の方々に対してである。
 その他の地方の大津波被害者の方々の苦悩も同時に慮ってはいるものの、福島原発20km圏内では津波と同時に発生した放射能漏れ事故により直後より救助活動もままならなかったのだ。 もしも、2、3日後以降に原発周辺地域において救助活動が可能だったならば、少なからずの生存者が必ずや存在したはずなのである。
 (まさに “日本の中で捨て置かれたフクシマ” との国際世論が身に滲みる思いだ。

 
 我が家のメダカの異変を本日発見し、水道水及び大気中の放射能汚染の危険性を再認識させられた気がする……

 こういう話題をネット上で公開すると、おそらく国家や国の放射能関連団体は 「国民は放射能に過剰に反応しないように」 といつも通り言い返してくるのであろう。
 「もう聞き飽きた!」 と反発する力も出ない程、福島第一原発現地付近の大気、海水、地下水、土壌汚染が巨大に拡散していることが恐怖の原左都子である……  
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季節は新たな出発の時候に移り行き…

2011年04月02日 | 時事論評
 所用のため「原左都子エッセイ集」の執筆から5日間程遠ざかっている間に、季節は4月の新年度を迎えている。

 厳寒の冬を通り過ぎ、例年よりも遅く“桜の便り”が南の地方からチラホラ聞かれる本格的な春が、大震災に見舞われた日本列島にも訪れようとしている。

 そんな中、本日のニュース報道によると、「被災者の方々の心中を慮って今年は国民皆が“桜の花見”を自粛するべきだ!」 「いやいや、国民皆が明るく振舞う事こそが被災地へ元気を届ける源となる」 等々の声が被災地外から聞こえてくる。
 原左都子に言わせていただくと、桜の花見など、それこそ国民の皆さんそれぞれがご自由にすればよいのではなかろうか?
 と言うのも、おそらく被災地の皆さんは全国の国民に“桜の花見”を自粛して欲しいなどと思ってもいなければ、国民が楽しい花見を決行したところでそれを“恨みつらみ”に感じる心身的余裕もない程に、未だ厳しい現状を生き延びておられると私は推測するのだが… 

 数日前のテレビニュースでは、津波被災地において大津波に耐え抜いた梅の木に花が咲いた便りが届けられ、それを心より喜ぶ被災者の姿が伝えられた。 その影像を見て「よかった…」と涙ぐむ感情が国民に湧くならば、その思いは必ずや現地の被災者の皆さんに伝わるであろう、と思う(同ニュースに涙ぐんだ)原左都子は考えが甘いのだろうか?


 昨日久々にスポーツジムに行きランニングマシーンに乗っている時に、日テレの「ミヤネ屋」において、ジャニーズ事務所のタレント一同が大勢のファンを集めて被災者支援活動を大々的に行っている影像が放映されていた。
 原左都子は前回の記事でも既述したが、特に“若造の著名人”が自らの確固たるポリシーがあるとも感じられない中、売名目的で一端(いっぱし)の美辞麗句を並べ立てて今回の大震災の被災者への“チャリティーショー”をメディアを通じて実施している姿を肯定的に捉えていない。
 ところが、昨日「ミヤネ屋」で見たジャニーズ事務所からの大震災支援の実態は私の想像とは違って豪華絢爛だったのだ!  おそらく長年に渡り大いなる経常利益を計上し続けていると推測する芸能法人団体「ジャニーズ事務所」からは、多大な実質的支援がなされていたのである!
 その目録を挙げると、「タンクローリー1台」「国内最大級容量の発電機2台」…  その他大量の支援物資も含めて金額総額を原左都子がここで概算するに、おそらく数千万円を超過する巨額に及んでいるのではあるまいか??
 ならば、事務所所属の若造タレントを使って下手なチャリティー活動を繰り広げていないで、その巨額な支援の実態を公にすれば事が済むであろうとも思える。 結局ジャニーズ事務所の経営者とすれば、今後の事務所の継続発展を視野に入れた場合、若造タレントを使ってメディア力を利用し大勢のファンを巻き込んだ方が得策との判断なのであろう。

 それにしても今回のごとくの歴史的大震災の場合、下手な美辞麗句を並べ立てて慈善行為をメディアで披露するよりも、ジャニーズ事務所が差し出した「タンクローリー」等の実質的支援の方が早期に役立つことは自明の理である。
 そういう意味では、多額の実質的支援に踏み込んだジャニーズ事務所は、一応の評価に値すると原左都子は捉えるのだ。  


 大勢の若者にとって新しい出発の日である昨日4月1日は、社会に新たに旅立つ新人の入社式の日でもあった。 
 今回の大震災を受けて、さすがにメディアは国や震災被災地の地方自治体の役所に配属された新人の話題で持ちきりのようだ。

 菅総理が岩手県視察のためか、国家公務員の初任式に代行出席した枝野官房長官が祝辞を述べていた。 大規模被災地とは距離がある東京において国家公務員に任命された新人がメディアのインタビューに応じて如何なるコメントを述べようと、残念ながらこの影像には何の思い入れも抱けなかった原左都子である。

 一方、大津波及び原発事故被災地域で市町村庁舎が流され跡形も無い地区において公務員として採用された新人達には、原左都子なりの要望がある。
 今回国民が予想だにしない大震災が発生し、4月直前の時点で採用取消しや採用延期を告げられた新卒者が全国で多大な数にのぼることであろう。  そんな中、公務員として採用されたあなた方は、おそらく相当にラッキーな人種であることには間違いない。
 はたまた別の観点から考察すると、新人社会人とは通常は使い物にはならない存在であり、如何なる職場においても“足手まとい”でしかないのが実情だ。 にもかかわらず、あなた方は今回の大震災により、社会人としてデビューした直後から所属する地域への大いなる貢献を市民から期待されているのだ。 
 これぞ、職業人としての存在証明の機であろう。 新人として就職して直ぐに使命を果せる立場など、そうそうないのが現実の職場というものである。 どうか、この大震災のために就職がままならなかった同期生の無念にも応えるべく、大震災地において即刻活躍して欲しい思いである。


 原左都子が今一番に心を痛めている 福島第一原発も、新たな局面を迎えていると考察するべきなのか?  先日、やっと東電会長が福島第一原発「廃炉」を宣言した模様だ。
 粉塵防止樹脂が撒かれたり、汚染水を回収するべくタンクが整備されたり、はたまたIAEAから専門家を招致したりと、ここに来て大いに遅ればせながら放射能を総がかりで封じ込める作戦に入ったようである。
 
 それにしても、福島第一原発からは今尚多量の放射能が大気中、海水中、そして地下水を通じた土壌に排出されている事実には何の変わりもないどころが、より多量になっているのが実情である。

 どうか国民の皆さん、今後も目に見えない放射能に気を許すことなく、ご自身の意思と判断力で“お花見”などを楽しまれますように。 
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