原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自転車のスピード感が人の心理を歪めるのか?

2013年05月30日 | 時事論評
 昨夜、集合住宅上階に自宅が位置する住居前道路の四つ角で交通事故が発生した。

 原左都子が現在の住居地に転居して既に10年余の年月が流れているが、上階の我が家からの視界にある四つ角で交通事故を目撃するのはこれがなんと!3度目だ。

 現場の道路状況を説明すると、我が住戸の南側に片側一車線の道路がある。町内のメインストリートとも言える道路ではあるが、そもそも住宅地域の道路であり普段車の通行量は少ない。 我が家の東側にその“町内メインストリート”を横切る小路があるが、この道路に関しては車も人もほとんど通行していないと表現しても差し支えない。 このように普段より通行量が少ない交差点であるため信号機が設置されておらず、おそらく今後も設置されることはないであろう。

 私が数年前に初めて目撃したのは、車とバイクが衝突した事故だった。
 幸いバイク運行者側の負傷の程が軽度だった様子で、事故直後に双方が話し合って解決したようだ。 当時は朝早い時間帯で、偶然住宅上階の窓から我が子の登校の様子を見守っていてこの事故を目撃した私は、警察なり救急車なりを手配するべきか!?と一瞬考えた。 この小規模事故を目撃したのはおそらく私のみであろう。 私の判断で公的機関に一報を入れれば、必ずや大音量を立てつつパトカーなり救急車なりが到着する事が想像可能だ。 そうした場合、事が大袈裟になるのは目に見えている。 バイク運行者側の負傷は一見軽いようだし、車運転手との話し合いも双方で決着した様子でもあるのに、ここで部外者の私が事を荒立てても……  なる思いが我が脳裏に過ぎり、公的機関への一報は避ける判断を下した。 
 ただその後、バイクに乗っていた女性の“後遺症”ばかりが我が脳裏に過ぎるのだ。あの若き女性はもしかして後々“鞭打ち症”で人生を台無しにするのかも…  私が目撃した限りでは当該事故は車側の過失である事は絶対間違いなかった。  であるのに何故私は事故の第一目撃者として緊急一報を入れなかったのだろう?? 等々と、後々まで後悔心を引きずっている。 


 2度目の事故に関しては「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて既に公開済みだが、ここで再度記述しよう。
 休日昼間の午後1時前頃、上記の交差点から“バ~~ン!!”とでも表現しようか、物凄い騒音が高層に位置する我が家にまで響いてきた!  咄嗟に何かが爆発したのか、あるいはガス事故か等と怯えつつベランダに出たら、自転車と共に小学生の少女が道路脇に横たわっていた! どうやら道路に飛び出た自転車少女がメインストリート通行中の車と接触したようだ。 休日だった事が幸いし、歩行通行人が現場に数多く集まり誰かが既に救急車を手配した様子だ。 幸い女子児童の意識は明瞭だった様子でその後救急車で病院に運ばれるに至った。


 さてさて、いよいよ昨夜の交通事故に話を進めよう。

 昨夜家族と夕食中に、当該交差点付近からまたもや異常な大音量が上階の我が家まで響いてきたのだ。
 ただ私が過去に経験した上記女子児童交通事故の際よりも音量が小さかったため、(交通事故とは違うかなあ?)なる感覚を抱いた。  ところが、この異常大音量を初めて経験する身内と娘が急いでベランダに出て、幼き男児が車にはねられた様子だ!と切羽詰って私に伝えるではないか! それにつられ上層階のベランダから音源を探ると、男児と共に自転車が横に倒れている。 やはり男児が自転車でメインストリートに出ようとして、車にはねられた様子が一目瞭然の交通事故現場である。  幸い男児の怪我は大した事は無かったようで、その後相当時間が経過した後に救急車で病院に運ばれて行った。


 ここで、車にも自転車にも依存しない人生を歩んでいる原左都子の私論を展開しよう。

 現在、私がひたすら徒歩と公的交通機関のみに頼って世の中を移動する生き方を全うしている事に関しては、「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいて再三公開してきている。

 まず何故車に乗るのをやめたのかと言うと、環境保護に配慮して、…などとの優等生的表現は嫌みったらしくて天邪鬼の私は好まないが、確かにそれも理由のひとつである。 正直なところ、私が車に乗らない理由の第一は運転が嫌いなためである。 加えて交通弱者である歩行者への配慮の観点からも、車の利用は控えるべきと常々考えている。 
 私は現在自転車にも乗らないが、こちらは確固としたポリシーがあってのことである。
 自転車を安全に乗るためには服装や履物が限定される。 若かりし頃から、ファッションを移動の一手段である自転車に合わせるというような、そういう馬鹿げた“制約”が受け入れ難い性分でもある。 更には、日頃より放置自転車には辟易としているのも自転車に乗らない一つの大きな理由だ。
 自転車は走行上のマナー面での問題も大きい。 現在は自転車事故多発の現状を受け、警視庁は全国規模で自転車専用道を整備したり、自転車走行者のマナー改善に向けて指導を実施している様子ではある。
 このように自転車走行に関する規制が充実しつつある現在だ。 ところが残念ながら、まだまだ人間の性として“スピードが速い方が偉いんだぞ!”とでも無意識に思ってしまうその“勘違い心理”を自転車走行者から見透かせてしまえるが故に、その歪んだ心理状態こそが自転車事故を引き起こしているような感覚も持つ。 

 
 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 “自転車には一生乗らない派”の私の感覚では、昨年警視庁が呈示した「自転車講習会」義務化に関しても、その講習会とやらをクリアさえすれば(例えば“悪徳自転車走行者”とて)、これまで同様に自転車に自由に乗れることを前提とした提案でしかないとの感覚を抱かされる。
 私が自転車に乗らなくなって既に10年以上の年月が経過し、今となっては自転車無し生活の魅力を堪能しているのだが、一般市民の皆さんにとってはそれ程に自転車とは魅力的なのか??

 それにしても、可愛い我が子に一般道を単独で自転車走行を許可する年齢に関する親の判断が甘過ぎるのではないかと、私は常々懸念している。
 少し前に、母子共に自転車にて青信号道路を横断中に、母の後ろを走っていた幼き女児がトレーラーの下敷きになって死亡した事故に関する報道があった。 (子どもを失ったお母様には大変申し訳ないのだが)原左都子の感想としては、何故母が一緒にいながら、幼き娘を見守るべく母こそが娘の後ろを走ってやれなかったのかとの無念の思いしか抱けない…… 

 ましてや、幼き我が子に単独で一般道を自転車走行させる場合、相当の道路教育を家庭内で施して後にするべきである。
 我が自宅から何度も同じような事故を目撃して、原左都子が感じるのはその歪みに尽きる思いだ。

前半自重し過ぎた3度目のランニング大会

2013年05月27日 | 自己実現
 (写真は、一昨日5月25日実施の 「皇居Mayランニング大会」に出場した原左都子。 大会のスタート・ゴール地点である皇居桜田門広場時計塔付近にて撮影。)


 原左都子には数年前よりランニング趣味がある事を、本エッセイ集バックナンバーで幾度が公開している。
 昨年9月に初めて陸上競技大会3000m、そして11月にロードレース5kmに出場した後は、厳寒の冬の時期のレースは避け春の大会出場を虎視眈々と狙ってコンスタントにランニング練習に励んで来た。

 昨年11月の5kmロードレース出場よりちょうど半年が経過する5月の大会をネット上で検索したところ、上記の「皇居Mayランニング大会」を発見した。 スタート・ゴール共に皇居桜田門広場とのこと、東京メトロ沿線に住む我々親子(今回は娘と共にエントリーしたのだが)にとってメトロ「桜田門」下車すぐの集合場所は好都合だ。
 その後徒歩による下見の後、実際に皇居内堀歩道一周コースの試走も終えて、一昨日桜田門のスタートラインに立った。


 ところでランニング(ロードレース)大会出場も3度目ともなると、ド素人ランナーとは言えどもさすがに多少の“レース作戦”などを下手なりにあれこれと練ったりするものだ。
 昨年9月の陸上競技会はレース出場初体験だったこともあり、右も左も訳が分からずしてただやみくもに走った。 その“やみくもさ”が功を奏したのか、我が3kmの新記録を打ち立てることが叶った。 それにしても後で思えば、体力限界ギリギリのとんでもない“メチャクチャ”なレース運びだったと振り返る。
 更には11月の5kmロードレースも似たようなもので、これも“身滅ぼしレース”だった。 それでも捨て身の我武者羅な頑張り故に、我が5kmの新記録を打ち立てられた。
 
 それにしても、そもそもたかが3kmや5km距離の素人大会に於いて、全身全霊注ぎ込んでゴールで倒れ込む参加者など負けず嫌いの原左都子のみであろう。 いやいやそれが上位入賞者ならばにもなろうが、下位のランナーがそれをやったところで単に“滑稽な風景”であろう事にも重々想像はついている。
 加えて私は昨年11月の5kmロードレースで大いなる失敗をしでかした、と自己分析する。 それはゴール手前のトラック勝負において、数人のランナーに抜き去られた事態に関してだ。 あの光景は実に悔しい思い出として我が脳裏に刻み付けられた…
 とにかく自分のランニング能力もわきまえず我武者羅なレース展開をして最終トラック勝負に入った私には、抜き去る人を追い越す事などおろか、それに並走する余力すらまったく残っていなかった。
 競技場内トラックという大いに目立つ最終場面で数人に抜き去られた事が、素人ランナーの我が脳裏に一種の“トラウマ”として刻まれてしまったのだ。

 その後の我がランニング練習は、ゴール手前の最終場面で絶対に抜かれない、出来れば抜き返してゴールする事が最大のテーマとなった。 実に昨年秋よりの半年間、このテーマを主軸に我がランニング練習に励んだとも言える。
 
 要するに「ラストスパート力」の強化である。
 これを実行するためには自ずとそれまでのレース全体のスピードを抑え、「ラストスパート」が可能な体力を温存しておく必要がある。 我がここ半年のランニング練習はそれを主眼として実行してきたのだが、元々スピードなど無い私が「ラストスパート」にこだわる事とはタイム記録面での大いなる犠牲を伴っている事は認識済みだった。


 さてさて、話を「皇居Mayランニング大会」本番に戻そう。

 5月終盤にして、最高気温が“夏日”に届かない清々しい天候に恵まれた。
 今回の大会の場合、ちょうど桜田門大改修工事中につきそこを通過できず、狭い歩道を遠回りしてのゴールとの少し距離が長い条件だった。
 そもそも「皇居ランニング大会」とは一切の交通規制が行われず、元々歩道が狭いのに加えて一般通行人や市民ランナーをかき分けて走るのが使命でもある。 そのため、例えば皇居観光客が団体で信号待ちをしているような場合、一旦停止してその通過を待たねばならないとの制限等々もある。 
 しかも高低差が30m! 皇居のお堀を吹き抜ける風にも耐えねばならない。

 上記のごとく、今回のレースではゴール手前の「ラストスパート」を狙う事を一番の目標としつつ、スタート段階ではスピードを抑える戦法に出た私だ。
 遅いスピードで走って周囲を見渡すと様々なものが目に入ってくる。 皇居お堀の白鳥も美しいし、通行人の表情も多様で面白い。
 などと周囲を観察できるペースで走っていたころ、一人の通行人がランナーの私を一見して「足が細~~い!」なる感想を述べるではないか?!  う~~ん。この感想、嬉しいようでそうでもない複雑な心境である。 一応市民ランナーの一人としては日頃の鍛錬と共に、ある程度の筋肉が足にもついていて欲しいものなのだ。 それなのに単純に「足が細い」と表現された場合、(この人、あの細足でよくランニング大会になど出ているよね~)と、半分馬鹿にされているのかとも受け止める“天邪鬼”性分の私だ…  
 
 そんな邪心が我が脳裏に過ぎる程に低スピード展開の今回のレース運びである。
 それでもコースが下り坂になって、国会議事堂が右手に見え始めた4km地点から加速を始めた私だ! 「後1km!」のスタッフの掛け声と共に、加速したままゴールを目指す。 ただし、既にレース敗者のポジションか、抜き去る走者が前にいないままとにかく加速を続ける。
 ゴール間近地点の狭い歩道の曲がり角に差し掛かった時、ちょうど団体歩道通行者と出くわすアクシデントだ。 せっかく加速したのにここで歩道を塞がれ減速せざるを得ない…。
 それでも、私はゴール手前20m程で前を行く女性ランナーを視野に入れた!  絶対にこのランナーを抜いてゴールするぞ!との死力を最後に振り絞り、ゴール1m手前で抜き去った!!! (ありがとう女性ランナーさん。私の前を走ってくれていて。)


 結局、またもや精根尽き果ててゴールで倒れ込む醜態を見せた私である。
 それにしても、今回の5kmのタイムは自己新より大幅に遅い記録に留まっている。(もしランニング大会にご興味がございましたら、上記「皇居ランニング」に関してはネット上でエントリーの仕方やその結果が公開されていますので、ご覧下さい。)

 我がランニング趣味は今後の人生に於いても続くのだが、さて次回のランニング大会では如何なるリザルトを目指そうかを検討しつつ、引き続き日々のランニング練習に勤しもう! 

イージー・マネーで世を撹乱した“イージー・アベノミクス”

2013年05月24日 | 時事論評
 つい先だって知人と談話した際に、日銀新総裁黒田氏に関する話題が出た。

 黒田氏ご本人には大変失礼であることは承知の上だが、知人曰く「黒田総裁って、単に馬鹿じゃなかろうか?」 
 そこまで言うか?とは思いつつ、内心(よくぞ言ってくれた!)である。

 日銀新総裁黒田氏に関して「原左都子エッセイ集」にて取り上げるのは今回が2度目である。
 比較的最近の3月28日バックナンバー 「日銀新総裁黒田氏就任で庶民は微笑めるか?」 に於いて、前日銀総裁白川氏と比較する形で私論を展開している。 その中で、原左都子自身もアベノミクスに操られるままに「デフレ脱却政策」を唱える黒田氏を懐疑的に捉えた私論を展開しているため、以下にその一部を振り返らせていただこう。

 新聞報道によると、3月21日に日銀新総裁に就任した黒田東彦氏とはどうやら“話し好き”であるらしい。 黒田氏就任に先立ち退任に追い込まれた前日銀総裁の白川方明氏など、対照的な人物のようだった記憶がある。 日銀総裁たるもの口数多く喋ってりゃ一国の金融政策が何とかなるのか? あるいは何も言わずに黙ってりゃ済むものなのか??
 朝日新聞3月22日「ひと」欄の記事によると、新日銀総裁の黒田氏は「話し出すととまらない」と周囲から言われる程の話し好きであるらしい。 3月21日、2人の副総裁と共に臨んだ就任会見に於いても金融政策への自らの考えをとうとうと語り、1時間45分に及んだ。 物価も給料も上がらない「デフレ」退治の請負人として、第31代日銀総裁に就任した黒田氏は「やれることは何でもやる」と意気込む。 氏は日銀への不信感と共に金融政策に関心を持ち、02年には財務官としては異例の「デフレ脱却目標」を日銀に提案した。
 原左都子の私論だが、そんな黒田氏を“アベノミクス”を掲げる安倍政権が、白川氏を退任に追い込んででも政権下の日銀総裁に指名しないはずもなかった。 金融引き締め主導の白川氏など、安倍政権にとっては“およびではない”存在だった。 これをとっとと切り捨てるその強引な手法には呆れるばかりである。 これが長い目で見て吉と出るのか凶と出るのか、未だ国民から票を集めたばかりとも言える現時点に於いて、“アベノミクス”の将来性は多くの危険性を孕んでいると捉えるべきであろう。
 安倍政権は、この春労働界に“ボーナス満額回答”をももたらすに至った。 ところがこの“ボーナス満額回答”とは自動車・重工等の一部の大企業に限られている。 すなわちこの恩恵を賜れるのは庶民のごく一部である。 電機業界の中には経営難により夏のボーナスゼロ回答をしている企業もある。 円安や株高傾向が今後如何ほどの期間持続可能かに関しても、不確実性が高いと考えるべきではなかろうか。 
 安倍内閣はせっかく民主党から政権を脱却し与党として返り咲いたにもかかわらず、どうも金融の元締めである中央銀行改革や、経済主体である大企業にばかり視野を向けるとの姿勢において、昔の自民党体質から何らの変貌も遂げていない感覚を一庶民として抱かされる。
 創業以来130年の歴史を誇る我が国の中央銀行の長たる者が、時代の政権政策に操られるがままに「金融緩和」にばかり視野を狭める事態とは如何なものか? ここは自分の主張を公に話すことばかりに突進せず少し寡黙な時間も持ち、庶民の立場もわきまえた「脱・デフレ論」を展開することに期待申し上げたいものだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」3月バックナンバーより一部を引用。)


 冒頭の知人との会話に戻るが、知人の感想としては前白川総裁の方がよほど日銀総裁としての力量があったとのご意見だ。
 対照的な両人であるが、原左都子の私論としてはどっちもどっちと判断した上で、黒田氏にはアベノミクス迎合視点しかない事は“火を見るよりも明らか”である。
 特に最近メディアで見聞する“長期金利急騰抑制策”に関しての黒田氏の記者会見対応振りには辟易とさせられていた。 苦し紛れに(気持ち悪くも)自分のほっぺを押さえたりしつつ(そんな影像に黒田氏の自信の無さを垣間見たりもする意地悪な私だが)相変わらずメディアを通して多言を吐く黒田氏を見るにつけ、もっと日銀総裁たる理念の下に論理的な解答ができないものか!?と苛々させられていた。
 そうしたところ原左都子の予想よりずっと早く、昨日(5月23日)東証株式市場が久々に大暴落した。 
 1143円安とは、何と13年ぶりの下げ幅であるらしい。

 昨日の東証株式市場暴落を受けて、本日(5月24日)朝日新聞朝刊一面に編集委員 原真人氏の署名にて「アベノミクス 危うさ露呈」との論評記事が載せられている。
 この原氏の論評がまさに原左都子の私論と一致するため、以下に要約して紹介させていただく事としよう。
 「アベノミクス」の本質は、人々をその気にさせようとの「心理学」だ。 金融と財政を通じて思い切りカネをばら撒く。その勢いで多くの人が「景気がよくなる」と信じ込む。こうなれば本当に景気がよくなる…  そんなシナリオである。  だから崩れる時はもろい。最初からその恐れはあった。 ひずみは早くも表面化した。日銀が押さえ込むはずだった長期金利が急騰。 頼みの綱の株価も13年ぶりの暴落となった。 
 アベノミクス政策以来の株価上昇を景気好転と勘違いするべきではなかった。これは日銀による人為的な市場操作で上がるべくして上がったものだ。 日銀は国民に「その気を育てるタネ」として年間50兆円超のカネを国債や市場に流し込もうとして、投資家達がそれに誘われたが故に短期的に株価が上がるのは当然だった…。
 (以下省略するが、以上は朝日新聞5月24日一面記事より一部を引用。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 表題に戻るが、「イージー・マネー」とは日本語にすると「楽に儲かるカネ」の意味合いがある。  あるいは、「不正に儲けたカネ」「悪銭」「あぶく銭」「泡銭」等々…の意味合いもあるようだ……。

 日銀黒田総裁は少し前にメディア上の記者会見に応答して、「今回の金融緩和政策は決して“バブル経済”の再来ではない!」と言い切っていた事を私はメディア画面を通して記憶している。
 「イージー・マネー」を最前線に呼び込む経済政策など“バブル”でしかあり得えない事を、日本の中央銀行の長たる者が認識していないなどあり得ないはずだ。 にもかかわらず、何故国民相手に「イージー・マネー」の投入を煽ったのか??

 これこそが、今後の「アベノミクス」経済政策の限界を示す指標と私は捉える。 
 「アベノミクス」は、日本国内に於けるほんの一部の富裕層(これとて所詮庶民の範疇であり大してリッチでない層と私は捉えるが)を煽る事による“階級制度”を末端世界で築きたいのか??
 今後益々多くの国民を更に貧困層に落とし入れ不幸にしないためにも、「イージー・マネー政策」は即刻辞めにするべきだ。 
 そんな貧乏国民のバブル銭にしか頼れない財務・経済政策など、原左都子に言わせてもらうと「イージー・アベノミクス」としか表現できないよ。

正しい“地域観光起こし”のあり方

2013年05月22日 | 旅行・グルメ
 (冒頭からクイズですが、この写真の被写体は一体何でしょう?  正解者には原左都子から粗品を贈呈しま~す!、と言うのはほんの冗談ですよ~~。


 上記クイズの解答は後回しにして、本日(5月22日)NHKドラマ「あまちゃん」で放送された内容の一場面を取り上げる事にしよう。

 どうやらこのドラマは、“地域観光起こし”も一つの大きなテーマであるようだ。
 観光資源が「海」のみに限定されている北三陸の過疎地に於いて、何とか観光客を招き入れるべく「北鉄」なる地元の鉄道や観光協会があの手この手と“下手な”(失礼!)方策をドラマ内で打ち立て続けている。

 本日の放送では、市長の決断によりついに「北鉄」が廃線化されバス運行に取って代わろうとの運命を突きつけられた中、またもや登場人物内という狭い空間での“下手な観光起こし案”が持ち上がった。
 それは「お座敷列車」なのであるが、現在現実的に地元の列車利用“観光起こし”を実施している地方自治体観光現場が多々あると私は認識している。 (飲兵衛の私など、一度そういう列車に乗って酒盛りでもしながら風景を眺めつつの旅を楽しみたいものだ。
 ところがNHK「あまちゃん」ドラマ内では、北三陸の美少女として既にネット上でブレイクしている主人公のアキとその友人ユイを「お座敷列車」に乗せて、観光客のお相手をさせると言うのだ。

 ちょっと待ってよ! である。
 ドラマのストーリー展開上はそのシナリオで仕方がないとも思いつつ、ド素人の高校生ギャルに「お座敷列車」に乗り込まれる事など観光客側としては迷惑以外の何ものでもない。  しかも、主人公アキのとんでもなくド下手な歌も聞かされると言うではないか?!?  そんな「お座敷列車」に誰も乗る訳ないじゃんねえ……
 などとアッと呆れていられるのは、ドラマと言う「架空世界」だけにして欲しいものだ。


 ところがどっこい、実際上日本全国各地の何処の地方へ旅に出ても、上記ドラマの域を抜け出ていない“地域観光起こし”現場に遭遇するものである。
 結局国内の何処も観光開発現場人材の発想が陳腐過ぎる故か、全国津々浦々で同じような稚拙な“観光起こし”が実施されている寂しい現状であろう。 
 特に悲惨と感じるのは、全国各地で(例えば海なら海グッズ、山なら山グッズ等々)のお土産物が“公然”と販売されている事実である。 大手メーカーが大量生産で作成し全国の観光地にばら撒き、薄利多売方式で販売して結果として暴利をむさぼっている現状が浮き彫りにされるというものだ。
 NHK「あまちゃん」が取り上げた「ご当地美女コンテスト」なども今時全国何処の観光地でも実施されているが、(我がバックナンバーで既に記述した通り)その手の女性が美女であったためしがない。  この種の陳腐な企画を喜ぶのは“美女”として立候補する女性本人と一部の特殊“おたく男性”のみであり、何ともお粗末な“地域起こし”としか言いようがない。

 手厳しい私論が続いたが、そんな稚拙かつ陳腐な企画であろうと、それでも満足する観光客も存在するのかもしれないのか???


 ここで、私が今年3月に郷里へ帰省した際に訪ねた地に於いて経験した我が記憶に残る「旅物語」を、2013年3月バックナンバー「うみがめと共生するのどかな海の町」と題して公開しているため、その一部を振り返りつつ紹介しよう。

 郷里帰省2日目の朝、JR阿南駅より鈍行便を利用して、NHK連続テレビ小説「ウエルかめ」の舞台となった徳島県美波町のJR日和佐駅へ向かった。 徳島生まれの私にとっても、県南地方へ旅をするのは今回が人生3度目位である。 目指す日和佐駅には40分程の短時間であっと言う間に着いた感覚だ。
 JR日和佐駅にはコインロッカーはなく、駅内にある観光案内所に旅行鞄を預けた。 そして有難い事に、おそらく美波町が制作したと思しき地図ももらって、娘と共に美波町の徒歩旅に出た。 JR日和佐駅前からまっすぐ日和佐図書資料館を左側に見つつ海方面へ向かうと、その岸壁に漁船と思しき船が多数停留している。
 その道を海に向かって横断しようとした時、娘が海風に吹かれてくるくる回る“珍しいお土産もの”を発見した。
 これ、何と表現しようか?  私にとっても初めて目にするお土産品である。 原左都子名付けて「ビール缶風車(かざぐるま)提燈」!  今時お土産品も全国区になり日本の何処に旅しても同じ物を目にする機会が多い中、この「ビール缶風車提燈」に関しては徳島県南のこの地で初めて目にした。  娘と共に“手作り風”のそのカラフルな提燈を眺めていると、店内よりお爺さんと叔父さん風の二人の男性が出てきて我々にそのお土産の説明をして下さる。  「これは美波町より指示されて“地域観光起こし”のために我々が提案して創作した土産品です。 廃品のビール缶から苦労して作ったのですよ!」  応えて原左都子曰く「素晴らしい出来栄えですが、どなたかが芸術家でいらっしゃるのですか!?」  叔父さんが応えて曰く「そんなことはないですが、造るのに結構苦労しました」……
 (そうだろうな~~)と重々納得しつつそのお土産を買い求めた後、叔父さん風の男性の「海が美しい!」とのアドバイスにより、我々はその後大浜海岸へと向かった。  さすがに地元の人のアドバイスは正しい! 大浜海岸の3月の海の色は「青」だった。 私が過去に訪れた沖縄の海も「真っ青」だったが、それに次ぐ程の青色の海を見るのは都会に住む我々親子にとっては久々の感激であった。
 (以上、原左都子エッセイ集2013年3月「旅行」カテゴリーより一部を引用)

 しかも徳島県美波町の叔父さん達は、我々がその後NHK「ウエルかめ」で取り上げられた“海がめ博物館”へ行きたい意向を伝えると、その道程をご丁寧に説明して下さったのに加えて、上記「お土産」が荷物になるだろうから帰り道まで預かって置くとも言って下さるのだ。  この心温まる対応に感激させて頂きつつ「いえ、軽いですので持参します」と応えた私である… 

 
 “地域観光起こし”という全国各地の地方自治体がその財源確保故に切羽詰っている課題に関して、申し訳ないが何が正解なのかを原左都子が結論付ける立場には一切ない。

 そんな無力の私ではあるが、徳島県美波町「日和佐駅」に程近い海に面した小さな街で買い求めた(冒頭写真の)手作り品を、現在我が家の南側の窓に吊り下げている。
 新緑5月のそよ風に揺られて、都心の我が家の上層階住居でからからと美しい音色を刻みつつくるくる回る手作り品を見るにつけ、美波町において親切に対応して下さった叔父さん達と共に「青い」大浜海岸を思い起こすのだ。
 旅の価値とは、それこそが神髄なのではなかろうか……

 本エッセイの最後に、冒頭写真の被写体が何であるかに関する解答を発表しよう。

 その正解とは 「名無し」 である。

「役割意識」を超越した人付き合いのススメ

2013年05月20日 | 人間関係
 ここのところ「原左都子エッセイ集」へのアクセス数が急増している。
 昨日は久々に“訪問者数”が 500IP を超過し、本日は若干減少したものの 350IP を記録している。 普段これ程のアクセス数がない我がサイトとしては珍しい現象だ。
 
 アクセス数にはこだわらず、あくまでも我がオピニオンを自由に発信することを主眼としてる原左都子の場合、ネット上の人付き合いを自らの意思と好みで最小限に選別すると同時に、何らの営業活動も実施していない。 
 そんな我がエッセイ集に一体全体何処のどなたが数多くご訪問下さっているのか不思議に思っていたところ、一つのキーワードらしきものを発見した。

 先だってのエッセイ内でも少し記したが、どうやら我がバックナンバーにおいて幾度かピックアップした 「ママ友」 関連エッセイが何処かのネット情報上でブレイクして、そのキーワードを通して「原左都子エッセイ集」へお越し下さっているように推測する。

 つい最近の5月6日に公開したバックナンバー「“ママ友嗜好派” v.s “ママ友敬遠派”」にての既述通り、私はバリバリの後者すなわち“ママ友敬遠派”に分類される母親である。 と言うよりも、私の場合下手をすると“ママ友毛嫌い派”と言えそうな程の“アウトサイダー的母親人生”を主体的に志向して母なる道程を歩んで来た人種とすら表現できそうだ。
 おそらく「原左都子エッセイ集」を訪れて下さる女性の方々とは、もしかしたら私と同類の“アウトサイダー的母親人生”を歩まれているのかと、失礼ながら考察したりもする。
 
 私の場合、決して「母親業」をサボりたいから“ママ友”なる人物達との接触を避けて来た訳ではない。  むしろ逆で、最近のエッセイにおいても再三記述している通り、我が子誕生以来「お抱え家庭教師」として母親業に精力を尽くし続けているがために、(正直言って)その種“無駄な時間”(度重なる失言ではあるが)を回避したかったとも言える。


 そもそも私は自分が「母親」になった事に関しても、我が人生のあくまでも“一場面”に過ぎないと把握しているところがある。
 要するに、人間が一生において様々な社会的「役割分担」を担当する中の一分野として「母親業」もこなしていると自覚している。 我が子が持って生まれた事情故にそれが日々壮絶な闘いであろうと、我が人生の全体像内の位置付けとしては“一分野”である事に間違いない。 もちろん私は生涯我が娘の母親であり、今後もずっと愛娘との最良の関係を続けていく事は当然だが、それはあくまでも私の「役割分担」の一部に過ぎないのだ。

 人は皆、社会生活上の様々な場面で現在の「肩書」を問われる機会がままあることであろう。 そういった場合に、特に女性の皆さんは如何なる「肩書」記述をしておられるのだろう??
 現在(不動産賃貸収入はあるものの)税法上の職業に就いていない原左都子の場合、「主婦」なる選択肢を採るべきなのであろうが、私はあえて「無職」を選択している。 何故ならば「母親」の自覚はあれども「主婦」の自覚はこの私には皆無だからである。
 言葉の定義などどうでもよい話であろうが、もしかしたら“ママ友嗜好派”の女性達とは「主婦」である事にも誇りを持っておられるのかな?、などと少し思ったりもする。(ご亭主やご実家の実績を「ママ友カースト」の上部に位置づけたいとの現役ママ達の他力本願的思考に触れると、そのような発想が自ずと浮かぶのだが……)  私ももちろん家庭内での各種作業を日々こなしてはいるものの、それらの作業にさほどの興味がない(分野にもより「子どもの指導教育」「家計管理」「外部交渉」などは得意である反面、「料理」嫌いは甚だしい…)が故に「主婦」なる肩書を回避する選択をしている。 (至って顰蹙ながら、今後法的に転がり込んでくる先代の遺産に関しては相続税を支払った上で享受する身となるかもしれないが……


 加えて私は、「主婦」だの「ママ」だの「おばちゃん」だの、とタイトルに銘打つ書物やブログには、一切興味がない。 と言うよりも、その文字を見ただけで“虫唾が走る”思いだ。
 その種の“狭い世界”で生きている人達も、おそらく“ママ友嗜好派”なのであろう。

 それが証拠に、5月1日朝日新聞「声」欄にて「女子会の食事で感心した店」なる56歳主婦による投書を発見した時にも、虫唾が走った。
 この投書内容の一部を以下に要約して紹介しよう。
 「おばちゃま女子会」という女性同士で食事と会話を楽しむ会を主宰しているが、50代が中心故に勘違いや物忘れで食事会を忘れる会員もいる。 そんな折、先日予約して行った店はそんな我々に嫌な顔をせず対応の上、心配りをしてくれた。 こんな店は数%しかない。この店を今後もまた利用したいと思う。

 原左都子の私論に入るが、「ゲゲゲ!!」(NHK「あまちゃん」の言葉を借りると“じぇじぇじぇ!!!”)である。

 ちょっと、待ってよ!?!  あなた達、まだ50代でしょ?!?
 その若さで“勘違いや物忘れ”故に世間の若き世代に迷惑をかけている場合でなく、今後まだまだ現実社会を背負って立たねばならない年代である事をどれ程“自己責任”とわきまえられているのかなあ。 今後さらに激化する高齢化社会を、我々の世代こそが主体的に支えていかねばならない自覚がもう少し持てないものだろうか。
 言っちゃ悪いが、この種の単純“老け込み”「おばちゃま」連中とはそもそも“ママ友嗜好派”であり、その種の狭い仲間内世界での人間関係だけを築いてこの世にのさばって来たのかとも考察する。


 最後に表題に戻って私論を展開しよう。

 確かに原左都子が産まれ出た時代(「もはや戦後ではない」との戦後復興期)に生きた女性達とは、専業主婦を目指す女性が大多数だったのかもしれない。
 そんな時代背景に於いて珍しい人生を自ら選択して歩んだ私とも言えるのだが、それにしても、この期に及び“ママ友嗜好派”が未だ存在する現実とはどうしたことか?(いえいえ、もちろん仲間内で仲良しをするのは人それぞれに勝手だが)  それはおそらくバブル崩壊後の経済不況が長引いたため、若き女性に就職難を煽った結果の一因もあるのかもしれない。
 それにしても年配者としては、ここは少し世間の若者世代の就職難にも目を向けよう。
  
 自分は「主婦」「ママ」との観点のみではなく、もっと幅広い視野を持って、この世に自己が生を営んでいる世界に総合的に目を向け、今一度自分自身の「役割分担」を再確認してはどうなのか? 
 少なくとも50代の若さにして既に現役をリタイアしたがごとく老け込み、「おばちゃま」視点から若者が経営している食事処をマイナス評価するなど、あり得ない醜態と私は考察するのだが……