原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ホリエが後進に残した功罪

2008年07月29日 | 時事論評
 ホリエの存在は、確かにインパクトはあった。
 だが私は、あの若造のやることなすこと全てが鼻につき、嫌悪感を抱き続けていた。
 
 ㈱ライブドアの連結決算を粉飾したなどとして、金融商品取引法(元・証券取引法)違反の罪に問われた元ライブドア社長の堀江貴文被告に対し、一審判決に引き続きこの度二審においても実刑判決が下された。

 以下に、朝日新聞7月25日(金)朝刊の記事に基づいてこの判決につき抜粋し、要約する。

 堀江元社長は控訴審で「故意はなかった」などとして無罪を主張した。しかし、判決は「(堀江元社長の)指示・了承がなければ各犯行の実行はあり得ず、果たした役割は重要だった」とホリエを非難し一審同様に実刑が相当とした。
 これに対し、ホリエ側の弁護団は粉飾決算額が少ないことを理由に執行猶予が相当と訴えた。
 しかし二審判決は、ライブドアのような“成長仮想型”は粉飾金額によらず犯行結果が大きいこと、また、今回の粉飾行為が監査法人や会計士まで巻き込み、巧妙な仕組みを構築している点を指摘し、その悪質性を暴くものとなった。

 これに対し、ホリエ側は反省の色は全くない。
 今尚、東京都港区の六本木ヒルズを自宅とするホリエは「悪い事をやったとは思っていないし、なぜ悪いと言われるのか理解できない。」と話し、即日上告手続きを取っている。社名こそLDHと変更したものの、引き続き事業再建への意欲を高めている様子である。

 上記の通り、ホリエは二審実刑判決が下った今尚、自分は何も悪いことをやっていないと主張する。確かに法的(金融商品取引法上)に考察すれば、際どい判決であるのかもしれない。
 事実、ホリエを支持する世論も多い実態をもちろん私は承知している。


 そんな経済界を取り巻く新しい価値観を認識した上で、以下に私論を展開することにしよう。

 ホリエには明らかに何かが欠けている。
 マスメディアを通じてずっとホリエを観察していると、大変失礼ではあるのだが、“千と千尋…”のブタの姿になって子どもを放ったらかしてご馳走を食いあさる千尋の両親を私は連想してしまう。(あの両親も子を持つ親として醜さの象徴であると私は捉えているのだが…)
 要するにホリエは私の目から見ると経済界における“醜いブタ”でしかないのだ。

 ホリエとは皆さんもご存知のように途中までは“一応”エリートコースをたどっている人物ではある。東大(なぜか文学部宗教学科)に入学し中退しているのだが、在学中に自ら事業を立ち上げている。
 その後はプロ野球球団買収、ニッポン放送買収、総選挙立候補と、結果としてすべて敗退しているものの、とにかく世間を騒がせ人目を引く行動を好む人物である。
  

 ホリエが生きていく意味は何にあるのだろう。
 未だ35歳。人間は年齢では語れないのかもしれない。それでも、私自身の経験による考察では、まだまだ今後大きく人生が展開していく年齢である。まだまだ世間から世界から様々な事を学び吸収し自己を創り上げていく時期である。
 人生80年の時代に、たかだか30年前後の人生経験に基づく価値判断を元に、すべてが“想定内”と豪語し、どうしてそんなくだらない“こまっしゃくれた”人生を急ぎ、小さい天下を取りたいのか?? 

 ホリエの価値観は金であり名声でしかありえない。そこには何ら“文化”や“美学”が感じられないのだ。学問や科学や芸術の香りが一切ない。私の目から見るととんでもなくつまらない。

 金儲けを否定する訳では決してない。ただ、金儲けには必ず人間としての喜びや幸せや達成感が表裏一体として伴っているものであると私は年老いても信じ続けたいのだ。そのような裏付けのないお金の価値は低く、結果として社会から排除されていく運命にあるのではなかろうか。


 いずれにしても、ホリエ氏はまだまだ若い。
 頭の良い人物でもある。
 今後の更正に、私は心底期待申し上げたい。
Comments (14)
この記事をはてなブックマークに追加

不動産賃貸の将来性

2008年07月28日 | 仕事・就職
 一昨日、私が所有する不動産賃貸物件の賃借人退室時の室内確認にオーナーとして立ち会った。

 私が長い独身時代に単独で居住用不動産物件を購入し、独身のうちに短期間で住宅ローンを全額返済したこと、及びその不動産を現在賃貸物件として活用していることに関しては、本ブログのバックナンバーで既述している。(お金カテゴリー「住宅ローンの早返し」及び、仕事・就職カテゴリーの「不動産賃貸の落とし穴」を参照下さい。)


 さて、近年は不動産賃貸借における賃借人の法的立場が強まり、相対的にオーナーの法的立場が弱まっているのだが、この現象にますます拍車がかかっていることを感じざるを得ない。

 以前は、賃借人の退出時の室内の原状回復において、その費用のほとんどを賃借人が負担していたようだ。
 現在では、賃借人の入居年数にもよるのだが、短期間の入居の場合、賃借人の費用負担は原則として部屋のクリーニング費用のみである。その他諸々、例えば壁や天井のクロスの張替え、畳替えや襖張替え、白木部分の洗浄塗装、水周りのパッキンやコーティング等の回復等々の費用はすべてオーナー負担となる。(正確に言うと、入居年数により費用負担割合が決められていてそれに応じて双方で折半するのだが、この費用負担を一切拒否する賃借人が多い。その場合、法的訴訟に発展することもあるが、これに更なる費用が発生するし手続きも面倒なためギブアップしてやむを得ずオーナーが全額負担することになるのはよくある話だ。)


 そのような不動産賃貸借におけるオーナー側の法的立場の弱みにつけ込んで、不動産仲介業者やリフォーム業者が商業主義に走り、不必要なまでの室内の原状回復、リフォームをオーナーに強要しているのではないかと、退室点検に立ち会った私は感じるのである。

 例えば、今回の場合賃借人の入居期間がたったの10ヶ月であったため、室内の痛み等がほとんどなく、一見して綺麗なのだ。素人目にはリフォーム等の必要は一切ないと感じるのだが、仲介業者とリフォーム業者が重箱の隅をつつくがごとくの細かい瑕疵を指摘してくる。例えば、クロスのほんの少しの捲れや画鋲の後、それから家具の重みによる絨毯の跡形等々…。それらを目立たなくする修繕をしてほぼ完璧な原状回復をした後に、次期の賃借人募集に備えるのが現在の常識であると言うのだ。
 拒否してもよいのであろうが、仲介業者には賃借人募集を依頼している関係もあり、異議を唱えるとオーナーとして印象が悪い。結局は業者の指示に従わざるを得ない運びとなるのだ。

 今は、入居者の移動も激しい時代である。今回のようにたった10ヶ月で賃借人に出て行かれ、その都度このような原状回復の修繕を繰り返していたのでは、零細オーナーとしては“商売上がったり”である。
 今や礼金もほとんど取れない。仲介手数料もオーナー負担の場合が多い。部屋のエアコンや照明器具等はオーナーが完備しなければならないし、居住中の給湯器等設備備品の修理、交換費用もかかる。月々の物件の管理費や固定資産税等の費用も恒常的に発生している。確定申告の手間も大変である。


 独身時代に単独で購入して独力でローンも完済し、我が独身時代のサクセスストーリーの象徴のような物件である。そのように私にとっては思い入れが強い不動産物件であるため今尚手放せないでいるのだが、そろそろ発想の転換をして手放し、現金預金の形で保有するべきか。
 大いに悩める私である。 
Comments (4)
この記事をはてなブックマークに追加

ヤットサ~、ヤットサ~

2008年07月26日 | 音楽
 “ヤットサ~、ヤットサ~” これが何の掛け声だかご存知であろうか?

 答えは、徳島の阿波踊りである。女踊りの女性が踊りの途中でかける掛け声である。

 徳島の阿波踊りは毎年8月12日~15日までの4日間、徳島市内数箇所の演舞場及び市内の至る所で繰り広げられる。この4日間、徳島市内は踊り子と観光客でごった返し、道を歩くのもままならない程である。
 これに先立ち、徳島県内各地でも阿波踊りが繰り広げられる。中でも鳴門の阿波踊りは8月9日~11日の3日間開催されるが、徳島市程の混雑もなく演舞場の桟敷券も入手し易く比較的落ち着いて見物する事が出来るため、隠れた人気がある。


 さて、私は物心がついた頃からこの阿波踊りが大好きである。
 阿波踊りの魅力は何と言っても“お囃子”が生演奏であることだと私は感じる。各連(“連”とは踊りの一団体のこと)に必ず生演奏の“お囃子”が付くのだが、私は元々音楽好きであるためか、あの打楽器中心のビートの効いた“よしこの”のリズムがはらわたに染み渡る。それにあのノリのよい踊りに魅了される。

 “踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン…”と歌われている通り、実際に踊ってみるとこれまた楽しい。

 私は高校生の時に2年続きで阿波踊りを実際に踊った経験がある。母の仕事の関係で「鳴門大橋架けよう連」という素人の連で女踊りを踊った。
 一応、プロの踊り子の指導の下前もって何日か練習をするのだが、これがなかなか難しい。ご存知ない方は、阿波踊りって適当に手を振って足を運べばよいとお思いかもしれないが、なんのなんの、正当な踊り方をマスターするのは至難の業である。
 という訳で素人連の踊り子は皆下手なのであるが、とにかく下手なりに私も踊った。女踊りは揃っていることが肝心であるため身長順に並ぶことになり、身長が高い私は最前列で踊ることになった。女踊りは腕を上げたまま演舞場を出るまで下ろせないのだが、後で半端ではない筋肉痛が襲ってきたものだ。今となってはいい思い出である。


 阿波踊りを見る場合は、是非とも有名連の踊りを見ていただきたいものである。
素人連とは格段の差のプロの踊りを堪能していただきたい。
 「阿呆連」「えびす連」「のんき連」「蜂須賀連」「阿波扇連」…… 有名連は数多いが、私が個人的に好むのは女踊りが美しい連である。
 「うずき連」は女性の踊り子の体型まで揃っていておそらく皆さん170cm以上身長があり全員がスリム体型である。「新橋連」や「笹連」は美人揃いであるのが特徴だ。
 有名連の場合、いずれも踊り子になるためには厳しい選抜を通過しなければならないと見聞している。

 近年の阿波踊りの特長は“お囃子”や踊り方の自由度が高まっている点である。
 中でも、“お囃子”を打楽器だけで構成し、8ビートではなく16ビートで踊りを繰り広げる連も存在するのだが、なかなかの迫力で私は個人的には好みである。
 この自由度の高まりに対し、伝統的な阿波踊りを継承していく立場からの批判もあり、論争が繰り広げられているとも見聞する。伝統の継承と時代の進化との狭間で揺れ動く阿波踊りでもある。


 もし機会がありましたら、是非徳島へ行かれて本場の阿波踊りを堪能されてはいかがでしょうか。 “ヤットサ~、ヤットサ~”
Comments (12)
この記事をはてなブックマークに追加

五番札所地蔵寺に眠る父

2008年07月21日 | 旅行記・グルメ
(写真は四国八十八か所第五番札所地蔵寺の五百羅漢)

 私の父は60代の若さで急性心筋梗塞で突然死した。来年10回忌を迎える。
 (参考ではあるが、私の父の男兄弟4人のうち後2人も急性心筋梗塞で40代、50代の若さで突然死している。その中で唯一生き残っている末弟も50代の時急性心筋梗塞で倒れたのだが、倒れた後の措置が良かったようで九死に一生を得たといういきさつがある。世にも稀なバリバリの突然死家系である。 この私も危ないかも……)

 突然死とはその名の通り昨日まで元気にしていた人間に突然不意打ちに死が訪れる出来事であるため、その後の葬儀や後々の始末が一般の死亡以上にあたふたするものである。
 そんな中、普段より気丈な母は、ひとりで思索しひとりで意思決定して父を永代供養にすることに即決した。なぜならば娘二人が遠隔地(姉は米国、私は東京)を永住の地としているため、地元に後々墓を守っていく跡継ぎがいないからである。

 そういう経緯があって、私の父は四国八十八か所第五番札所の地蔵寺に眠っている。(いや、“千の風”になったのかもしれないが…)
 母が八十八か所の札所寺を選択した理由は、たとえ娘2人が滅多に訪ねて来なくとも、お遍路さんが四季を問わず巡礼に訪れるため、あの世で寂しい思いをしなくて済むと判断したためである。そして、母自身も既に同じ地蔵寺に永代供養の申し込み手続きを自主的に済ませ、母が他界した折には私がそこに位牌を持ち込むだけで済むように万全の手はずを整えている。あくまでも最後まで娘達の世話にはならない、娘達の手を煩わせないことを信条としている子孝行な母である。(参考のため、現在田舎で一人暮らしの母は既に“後期高齢者”であるが、まだギアチェンジの車を乗り回す元気者である。)


 明日(7月22日)より1年半ぶりに故郷へ帰省し、この地蔵寺を訪れる予定なのだが、それに先立ちこの第五番札所地蔵寺について本記事で紹介することにしよう。

 四国八十八か所巡礼の旅は今やひとつのブームと化しており、全国から観光客が四季を問わずひっきりなしに訪れているようだ。
 この巡礼の旅の流行現象に便乗し、札所寺の中には観光客目当ての商業主義に流れる寺もあると見聞する昨今である。
 そんな中、五番札所地蔵寺は商業主義には一切流されず、広大な境内にひっそりと佇み、静かに巡礼のお遍路さんを迎えている。

 この寺は弘仁12年に嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創したおよそ1200年の歴史のある真言宗の古刹である。
 そしてこの寺の最大の特徴は、日本一の規模を誇る奥之院の「五百羅漢」を有している事である。(写真参照)
 羅漢とは釈迦の子孫であり、仏教修行して阿羅漢果という人間として最高の位を得た人であるそうだ。その羅漢を五百人集めたのが「五百羅漢」であり、その姿は喜怒哀楽の表情を浮かべた人間味のある仏であるとのことだ。
 地蔵寺の「五百羅漢」の創建は安永4年であるが、大正年間に焼失し、現在あるのはその後に復興したものである。
 
 地蔵寺を訪れるといつもこの「五百羅漢」に立ち寄るのだが、これがなかなかの趣である。写真は明るく撮られているが実際は堂内は昼間でも暗くそして何分巡礼者が少ないお寺であるためか、いつ訪ねても広い堂内が“貸切”状態なのだ。そのためゆったりと観賞できるのであるが、母などは「一人で見るのは昼間でも怖い」と言う。確かに、羅漢一人ひとりの表情やしぐさが特徴的で少しユーモラスなのであるが、そのユーモラスさからむしろ威厳や畏敬の念を感じさせられるような“怖さ”をかもし出しているとも言える。

 拝観料も200円と手頃なので、四国八十八箇所巡礼の際には一度訪ねられてはいかがか。 樹齢800年を超える「たらちね銀杏」をはじめとして、阿讃山脈を背景に木々が生い茂り緑が美しい“癒し系”の寺である。


 それでは、私は明日から郷里へ向けて旅立ちます。  
 数日後、またこのブログ上で皆様にお目にかかれることを楽しみにさせていただきます。
 頂戴しましたコメント等に関しましては帰宅後必ず返答申し上げますので、少しの間お待ち下さいますように。
Comments (4)
この記事をはてなブックマークに追加

ノンフィクションの限界

2008年07月19日 | その他オピニオン
 たかがブログ、されどブログ……

 この書き出しで開設した本ブログも11ヶ月目に入り、記事本数は160本を超えている。

 ブログとはこのようにネット上で公開されるHPである。すなわち“公開性”をその使命として背負っている。 我がブログもこの“公開性”を常に意識しつつ綴っている。
 
 では、ブログにおける公開性とは何であるのか。
 それは、社会性であり、公共性であると考える。 不特定多数の人々が閲覧、訪問する可能性のあるブログは、たとえその内容が個人的日記、記録であれ、ある程度の社会性、公共性を伴っているべきであると私は常々考えている。
 たまに、自分が綴りたいから綴っているだけで人が読むことは想定していない、とおっしゃるブロガーもいるようだが、そういう趣旨の純粋な日記である場合、自分のパソコンの文書作成のページにでも綴れば済みそうなものだ。が、あえてブログという形式を選択しているのは、潜在的に“公開”を意識しているものと受け取れる。その場合、やはりある程度の社会性、公共性を意識するべきかと私は考える。

 ただ、ブログは“報道”ではない。あくまでも個人的な趣味の範囲の読み物(書き物)である。“報道”と“単なる読み物”との違いは、社会性、公共性の強さ、すなわち負っている社会的責任の差にあると捉えらることができる。
 “報道”をその業務内容とし営業収益をあげているマスメディアに報道内容の誤りがあっては決して許されない。消費者に正確な情報を提供し続ける使命をマスメディアは常に担っている。

 一方、ブログはどうか?
 ブログとは一般市民が営利目的ではなく、たかだか個人の趣味で綴る単なる読み物である。(アフィリエイト目的のブログも多いが、それはブログとしては分野がまったく異質である。) 単なる読み物であれども、ブログの公開性を鑑みると個人の責任において情報の正確さに配慮がなされるべきではある。が、個人が持てる能力の範囲内での正確さの確保には限界もあれば、ブログに完全無欠の正確性を要求する読者も少数であろう。


 私のブログの趣旨は種々の社会問題に対する自己のオピニオンの公開にある。そして、公開したオピニオンに対して読者の皆さんからコメントを頂戴し、コメント欄で記事のテーマ毎に読者の方々と共に更なる議論を展開していくという形式を取らせていただいている。

 このように当ブログでは自己のオピニオンをエッセイという形で綴っている訳であるが、元を正せば、エッセイとはノンフィクション分野の読み物というのがその定義である。さらにノンフィクションとは虚構を交えずに事実のみを伝えるのが本来のあるべき姿なのだが、私のブログにおいては、あえて事実(特に人物像に関して)の一部をデフォルメして自己の主張を強調する等の操作を意識的に行なう事が間々ある。この操作は、記事のストーリー性の確保や読み物としての面白さ等、記事のバージョンアップを狙う目的で意図的に行なう場合もある。

 このような当ブログの意識的、意図的操作に関して、読者の方々よりご意見を頂戴することがしばしばある。事実を歪曲して伝えているのではないか、オピニオンが極端である、等々の…。 その場合、自己のブログの方針を説明申し上げ、ご理解を頂戴している。
 実は、この種の意見をいただく事は、当エッセイの著者である私としてはうれしい一面でもある。なぜならば、この種のご意見の根底には当ブログを単なる読み物を超えた一種“報道”的な存在として捉えて下さったり、ある意味で“普遍性”を見出して下さっているようなニュアンスが感じられるからである。(私の単なる勘違いか? そうだよね……。 失礼致しました…)

 またある時は知り合いの読者の方から、記事の中で批判の対象として登場している人物は自分ではないか、とのご質問や苦情を頂戴することもある。
 これに関しては、まったく“No.”である。当ブログの趣旨は社会問題等に関するオピニオンの公開であり、個人攻撃については一切その範疇としていないからである。オピニオンを述べるにあたり、事例として個人の話を持ち出すことはあるが、この個人とて上記の通り一部をデフォルメしている。モデルとなる人物が実際に存在する場合が多々あるのは事実だが、記事のオピニオン展開上取り扱い易いように相当アレンジさせていただいたり、その人物の一面のみをピックアップさせていただいている。
 という訳で、私のブログの場合、実在する人物の全人格的存在がオピニオンの対象となることはあり得ない。人は皆魅力的な存在であり、例えば私のブログでオピニオンの対象として登場していただいた人物が、現実生活上では実は好意を持たせていただいていたり、尊敬させていただいている人物であったりもする。

 この現実とブログ上でのミスマッチ現象は、ノンフィクションのエッセイという立場を取る場合は特に、文章表現の世界の限界とも言えるのではなかろうか。


 要するに、ブログとは“公開性”をその使命としているため、社会性や公共性をある程度意識しつつ綴るべき書き物(読み物)ではあるが、マスメディアのような“報道”とはまったく異質の存在であり、ブロガー個人の自由度がその魅力なのではないかと私は考えるのだ。
 当ブログはノンフィクション分野のエッセイであるのだが、そこには一部フィクション要素も含まれていることをお含み置き下さった上で楽しんでいただけたなら、また一味違う側面も発見していただけるのかもしれない。
  これからも   ! !   
Comments (14)
この記事をはてなブックマークに追加

絶対音感のなせる業

2008年07月18日 | 音楽
 一昔前に「絶対音感」なる言葉が流行した。

 この「絶対音感」の意味をご存知ない方のために以下に簡単に説明しよう。
 絶対音感とは、十二平均律を基準とする限りでの音の高さに対する“絶対”感覚のことである。ある程度、音楽を学習したり体験した者は2音間の高さの違いの大きさ(音程)に対して一定の感覚を保持することができるが、これを「音感」という。一般には「音感」とは一方の音に比べて他方の音が高いか低いかという相対的な音感のことをさす。これに対して音の高さに対する直接的な認識力を持つ場合、特に「絶対音感」と呼ぶ。一般人の間では、「絶対音感」は音の高さを言い当てる能力の意味合いでこの言葉が用いられている。
 3歳から5歳位の間に意識的に訓練をすると、この「絶対音感」をかなりの確率で身につけることができると言われている。
 (以上、ウィキペディアより引用、要約)


 さて、我が家の娘にはこの“絶対音感”がある。(あくまでも、上記で述べた一般人が言うところの“絶対音感”であるが。)
 私がそのことに気が付いたのは、娘が3歳の頃であった。食卓の上のお茶碗やお皿やコップを箸で叩きながら、「ド」だの、「ラ」だの、「ミ」だのと言って遊んでいるのだ。これは面白いぞ、と思った私は娘が見えない所でランダムにピアノの鍵盤を叩いて何の音かを言わせてみた。すべて大正解である。

 これには理由がある。やはり我が子が育った音楽環境がその背景にあろう。
 何分我が家は音楽好き一家で、私が子どもを産んだ直後から(いや、胎児の頃から)私も身内も音楽に親しんでいた。特に母親である私が歌を歌うことが大好きで、家に有線が備え付けだったこともあって、いつもそれを聴いて歌いながら子どもをあやしていた。たまには子どもと一緒にピアノやエレクトーンを遊び道具にして弾いたり、打楽器を叩いたりもした。

 子どもが2歳になった時にヤマハの「おとのゆうえんち」(2歳児向けの音楽教室)へ連れて行った。ピアノを習わせたかったのだが、ヤマハの場合ピアノレッスンは4歳からとのことで、この音楽教室へ母娘で通った。
 この教室では、通っている親子何組かで歌ったり踊ったり簡単な打楽器等を演奏したり、先生の生演奏やCDの演奏を聞いたりしながら音楽に触れながら遊ぶのであるが、これがなかなか楽しいひとときだった。(別にヤマハの回し者ではありません。) この教室の影響力も大きかったと思われる。家でもCDに合わせて親子でよく歌って踊って楽しんだものだ。
 そんなこんなで、我が子は4歳のピアノレッスンを始める前に既に“絶対音感”が身についていたようである。

 ところが、音楽に精通されている方はよくご存知であろうが、“絶対音感”があるからと言って、それがどうした!  という話の展開に必然的になってしまう…。 当然ながら、音楽でも何でもその道を極めていくためにはやはり“総合力”が要求されるという事態とまもなく直面するのである。

 結局、娘は小学校3年まででピアノを辞めることになる。音楽を聴く耳に恵まれ、加えて真面目な努力家でもあるのだが、残念ながら、どうしても指先の不器用さが災いして指がピアノを弾きこなせないのだ。たとえ趣味の範囲とは言え、あまりにも先の見通しがたたないため、こんなことにばかり労力を消費させるのも時間の無駄…、との親の私の判断でこの時点でピアノはきっぱりと断念させることにした。


 ただ、娘は中学生である現在もなお、音楽好きであることには変わりない。
 近年の楽しみは専ら母娘デュエットだ。娘に“絶対音感”があるお陰で、楽曲の聴き取り能力がやはり凄いのだ。1、2回聴かせるだけで副旋律を聴き取って歌ってくれる。
 例えば、昨年のNHK紅白歌合戦で“あみん”が「待つわ」を歌ったが、あれを一回聴いて副旋律をほぼマスターした娘は、私が何度か繰り返して主旋律を歌うとそれに合わせてハモッてくれるのだ。今や二人のデュエット持ち歌No.1である。 ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」や、狩人の「あずさ2号」等々も二人の持ち歌である。今度、母娘デュエットコンサートでも開いてみたいものである??

 現在、娘は自主的にエレクトーンにもはまっている。私が若い頃愛用していた超レトロなマニュアル操作のエレクトーンにヘッドフォンをつけて、夜な夜な自主トレに励んでいる。エレクトーンの場合ピアノと違い左手の伴奏と左足のベースがコード進行のため、たとえ不器用でもピアノよりもずっと弾き易いためだ。しかも、スタンダードナンバー等の聴き慣れた楽曲がすぐにマスターできるのもエレクトーンの利点である。下手なりに、それなりのいっぱしの一曲として仕上がるのがエレクトーンの特徴であるため、達成感が得られ易いのだ。(繰り返しますが、ヤマハの回し者ではありません。)
 好きこそものの上手である。娘の今後の自主的な音楽活動を静観しよう。

 とにかく、“絶対音感”も捨てたものではない。 
Comments (7)
この記事をはてなブックマークに追加

先生、落ち着きましょうか。

2008年07月16日 | 教育・学校
 我が家は公立小学校の目と鼻の先に位置している。
 この地に転入して以来、我が子も3年余りの期間お世話になった小学校であるため、元保護者として滅多な発言はできない立場にはある。が、あえて言うと学校からの日々の騒音は相当のものがある。
 周辺が低層住宅地で商業施設も近隣になく都会にしては閑静な環境であるため、学校の騒音ばかりが日々際立っている。我が家の場合集合住宅の上階であることも影響し、学校からの音の伝達を遮る物が何もないことも一因であると推測できるが、学校の日課の一部始終が毎日大音量で押し寄せてくる。

 学校においては児童生徒がその主役であるため、子どもの歓声や歌、楽器の演奏等に関してはもちろん受容可能である。
 そして、児童の日課管理のためのチャイムの音や児童への諸連絡放送に関しても常識的な内容に関しては許容範囲内である。

 そんな中、鼻に付く騒音は教員の行き過ぎた指導の叫び声や、教員の呼び出し放送等である。(ピンポンピンポ~ン♪「○○先生、お電話がかかっていますので職員室までお戻り下さい。」ピンポンピンポ~ン♪等々。)これが、日々多いのだ。学校には電話が3本位しか引かれていないため放送に頼らざるを得ないのかもしれないが、騒音を発しない代替の呼び出し手段はないものなのか。

 特にこの時期、毎年プール指導が行われるのであるが、プールが我が家側の屋外にあるため、メガフォンを使用しての指導の様子の開始から終了までの一部始終が手に取るように聞こえてくる。まるで、毎日一緒にプール指導を受け(させられ)ている気分だ。
 このプール指導の様子を聞いて(聞かされて)いると、指導者の個性や指導法が様々で興味深いものがある。
 笛の合図ひとつで、整然と淡々と指導を進めているらしき指導者。この場合、聞こえてくるのは笛と水しぶきの音だけだ。
 2時間中(プール指導は通常2時間のようだが)、児童がキャーキャー喜ぶ歓声しか聞こえない授業もある。(指導ではなく水遊びをさせているのか?)
 私が一番苦手な騒音は、2時間中ヒステリックに黄色い声で児童を怒り続ける指導者だ。すべての言葉が命令的で否定的である。「早くしなさい!」「そんなんじゃダメ!」「何やってるの、違うでしょ!」等々…。これは、端で聞いていても耐えられない。 子どもへの悪影響を考えると、「先生、ちょっと落ち着きましょうか?」とプールまで教員をなだめに行きたい衝動に駆られる。
  

 実は私が学校嫌いであったことは本ブログのバックナンバーで既に何度か触れている。今と異なり昔は不登校、登校拒否等の言葉すらなかった時代で、子どもは嫌でも何でも学校へ“行く”という選択肢しかなかった。この私も、真面目で律儀な性格も手伝って高校卒業まではほぼ皆勤賞で学校へ通っている。(大学は自主的にサボって有意義に遊んだけどね♪)

 なぜ私が学校嫌いだったのかと言うと、その一番の理由がこの教員の“ヒステリー”のせいである。
 私は小学校6年間と中学校2年時の担任が子持ちの40、50代位の女性(というより、まさに近所の“おばさん”と言った方が相応しいのだが…)だったのだが、この合計6名の女性教員が一人として例外なくヒステリックなのだ。学校へ行くと毎日毎日、朝から下校まで命令的で否定的な言葉を私たち生徒に投げつける。私自身は真面目な生徒だったため(?)直接怒鳴られたりすることはまずないのだが、感受性が強い私は周囲の生徒が怒られるのを端で聞くのが忍びないのだ。
 こういう教員はおそらく家庭でも自分の子どもをヒステリックに叱り飛ばしているのであろう。その延長線上で学校でも教員として同様の言動を取るのであろう。あるいは、個人的な欲求不満の憂さ晴らしであるかもしれない。自分よりも弱者で抵抗しない子どもを、無意識に欲求不満のはけ口としている恐れもある。
 私自身の母はお喋りではあるが、決してヒステリックではなかった。そして私は祖母のお世話にもなっているが、その祖母も毅然とした人物であったがこれまたヒステリックではなかった。という訳で私にはヒステリーに対する免疫力がなかったのであろう。学校に行くと(特に年少の頃ほど)毎日教員のヒステリーに怯えて身構えていたような記憶がある。


 子どもの指導に“ヒステリー”は無用である。これは学校のみならず家庭においてももちろん同様だ。ヒステリックな環境で育てられた子どもは自身もヒステリックに育つものである。近頃、無意味に奇声をあげる子どもが急増しているのは、周囲の大人の責任であろう。(先天的な要因である場合もあるが。)
 自分の感情を子どもに直接的にそのまま投げつけるのではなく、少し大人になって、自分の立場を客観視して、教育とは何なのか、指導とはどうあるべきなのか、一呼吸おいて冷静に考えてから子どもに接してはいかがか。


 今日も聞こえてくる。小学校のプールから、教員のヒステリックな怒鳴り声が…
 
Comments (10)
この記事をはてなブックマークに追加

お嬢様のお母様??

2008年07月14日 | その他オピニオン
 私が高齢出産で子どもを産んだことについては、当ブログでも既に何度か公開している。

 近年、少子化現象や婚姻年齢の高齢化と共に出産年齢の高齢化が急激に進み、高齢出産はさほど珍しい事でもなくなりつつある。
 ところが私が高齢出産をした頃は、まだ“マル高出産”という一種差別的用語の残影があった頃で、いい年をした女が子どもを産む事(特に初産)に関して少し肩身の狭い思いを抱かされるような社会的認識がある時代であった。

 そういった社会的背景もあったためか、私は子どもにとって年老いた母である事に関して潜在的な“後ろめたさ”を背負わされているような感覚があった。(子どもがある程度大きくなっている現在では、そういう観念はすっかり消え去っているが。)

 例えば子どもの幼稚園入園や小学校入学の時に一番気になるのが、周囲のお母様方の“若さ”であった。
 当然ながら周囲は私よりも10も(下手をすると20も)若いお母様方であるため、皆さん若くて美しくてはつらつとしていらっしゃる。この私とて、元々童顔で外見が派手好みのため実年齢より相当若く見てもらえるのだが、それでも私本人にとってはその年齢差は手に取るようにわかる。肌のきめ細かさや動作、立ち振る舞いの機敏さ等、やはり年齢とは隠しようがないものだ。
 実際問題、私の知る限りでは、今までに我が子の同級生のお母様方の中で私より年上だった方は数える程であり、その皆さんにとって子どもさんは第2子、第3子…でいらっしゃった。
 子どもが中3になっている今現在、保護者でいらっしゃる母親の皆さんを学校で垣間見ると、それなりに年齢を重ねられている様子で、皆さん私より年上かと一瞬勘違いしたりもするのだが…。(お母様方、大変失礼申し上げました。)


 面白いエピソードがある。

 3年ほど前の話になるが、子どもの私立中学受験のための公開模試に付き添って受験会場の某私立中学へ行った。
 保護者は控え室で待機なのだが、この時保護者控え室の入り口で担当者が一人ひとりの保護者に尋ねるのだ。
 「お嬢様のお母様でいらっしゃいますか?」
 先にこの質問の真意から説明するが、この会場は女子中高であったため女の子の保護者のみに自校のパンフレットを配布しようとして、担当者は受験者である子どもが女子が男子かを確認したかっただけの話である。すなわち、この質問は「“お嬢様”…」の方にポイントがあったのだ。
 ところが、前述の後ろめたさをトラウマとして背負っている私は、血迷って「お嬢様の“お母様”…」の方にポイントを置いて聞き取ってしまったのだ!!
 (“お婆様”に見えてしまったか…。それにしても失礼な質問をする担当者だ…、なんて応えりゃいいんだ…、私は正真正銘「母」なんだから、「はい」でいいのか…。) と、一瞬うろたえる私……
 後ろも混んでいるし、複雑な心境で「はい」と答えてパンフレットを受け取った後で、この質問の真意に気づいたという事の次第である。


 などと話を展開してくると、私が年老いた母であることに相当のコンプレックスを背負っているように感じられるかもしれないが、どうかご心配なきように。

 年齢を重ねてから子どもを産んで育てる事は、実は子育て上メリットの方が大きいように感じつつ、私は日々子育てに臨んでいる。
 高齢出産の女性達と言うのは、私も含めて皆さん子どもを産むまでに職業経験を含め社会経験を既に長年積んできているものだ。そんな社会経験に裏付けられた自分自身の人格形成がある程度出来上がった後の出産、子育てとなる。人間としての“迷い”というものがあまりなく、親としての理念に自信を持った子育てが可能なのだ。しかも、自分自身の職業経験等で自ら積み重ねてきた社会的地位や経済力と言う後押しもあり、万が一の場合も他者に依存せずに子どもを育てていけるバックグラウンドもある。
 そういった立場の母として、人間としての自信は必ず子どもに伝わる。特に子どもにとっていつも身近にいる母親が確固とした存在であることは、この上なく安心でき信頼できる対象であるように子どもに感じてもらえているのではなかろうか。
 もちろん高齢出産の場合、体力不足や見た目の若さの喪失、そして、どうしても子どもと人生を共にする期間が短いというようなデメリットもあろう。(いや、今時、年老いた親などさっさと他界した方が子孝行かもしれない。)

 何はともあれ、歳の離れた子どもとのコミュニケーションを今は楽しもう。
Comments (11)
この記事をはてなブックマークに追加

ゆうべ見た夢

2008年07月12日 | 雑記
 今年一番の猛暑のため普段にも増して頭の働きが悪いこんな日には、オピニオンはお休みして、ちょっと怖い夢も含めて夢の話で軽く流すことにしよう。

 私は高齢で子どもを産んで夜中の授乳習慣を経験した頃から不眠症気味となり、夜な夜な4、5本立てで夢を見ては夜中に何度も目が覚める。
 朝起きた時点でよく憶えている夢もあれば、夜中には憶えていたのに朝には記憶がない夢もある。おそらく皆さんも同様であろう。


 強烈に記憶にあるのはもう十年程前の話であるが、枕元を“ヤモリ”がはう夢だ。あれは夢というよりも幻覚に近かったかもしれない。その形といい動き方といいあまりにもリアルなヤモリだったため、私は飛び起きて行き先を確認した。隣でまだ幼い子どもが寝ていたため、子どもに害が及んでは大変と本能的に子どもを助けようとしたのだ。しかし“ヤモリ”の逃げ足は速く、行き先はわからない。怯えつつも布団に入った。朝起きた時点ではその“ヤモリ”のことはよく憶えているのだが、現実だったのか夢だったのかの判断がつかない。不思議なのは時間の経過と共にやはり夢だったと確信できてくることだ。
 同様に幻覚に近い夢は多数ある。部屋の中を多数の蝶が飛びまわったり、蜘蛛が部屋中に巣を張り巡らしたり、シャボン玉が膨らんでは消えまた膨らんでは消えたり…。すべて、時間が経てば夢だったことは判断がついている。

 音の夢も多い。
 子どもがまだ赤ちゃんの頃、どうしても隣の部屋で鈴のような音がする。ちょうど、赤ちゃんのおもちゃのガラガラを振っているような音だ。私は起き上がり勇気を出して隣室を見に行った。特に変わった様子はない。気のせいかと思い部屋に戻って布団に入るとまた聞こえてくる。もう一度見に行った。やはり変わりはない。そしてまた戻って…。 あの夢の真相は未だ不明であるが、後々繰り返すということはない。

 幼い頃の記憶が夢として表出することもよくある。
 昔、お遍路さんのような格好をして深い編み笠を被った僧侶のような人がよく家の玄関先に訪れてお経を唱え、祖母が小銭を渡すと消え去っていったのを、私は祖母の後ろに隠れてよく見ていた。 幼い私にとっては編み笠で顔が見えず低い声でお経を唱えるその僧侶風の人の姿が不気味で怖く、その影像とお経の音声が今尚強烈に私の脳裏に刻まれている。 その僧侶風の人が夜中に我が家にやって来てお経を唱え小銭をせがむ夢をよく見る。そのお経の声がやたらリアルで相当恐怖の夢である。“何でこんな夜中に都会のマンションの上階まで訪ねてきてしまったのだろう、オートロックなのにどうやって入ったのだろう。早く小銭をあげないと帰ってくれない。おばあちゃんももういないし困った…、どうしよう…”と布団の中で切羽詰る夢なのである。この夢を今尚何度も見る。

 さて、怖い夢の話の後は、ゆうべ(正確には今朝方)見たちょっと滑稽な夢の話をしよう。
 登場人物は私と大学時代の友人(女性)とどなたか不明の外国人男性、その他エキストラが少数である。<この友人はこの春娘さんが東京の大学に入学したこともあって久しぶりにお会いし、たまにメールも頂いている。そのために今回の私の夢の中に登場したものと考察できる。> なぜかこの3人で旅行に行くことになるのだが、行き先が静岡県の伊東市である。<この伊東市に関しては身内の先祖の墓があり、何度か訪れている。遠方ということで墓の管理が大変なため、墓を移転しようかと今身内一族で話し合っている最中であるため夢に出てきたものと考察できる。>
 そして古い旅館に宿泊するのだが、よく訳がわからない展開の後、会計の段になって係の人が外国人男性に支払いを要求している。その男性はなぜかエジプトポンドで支払いをしようとするのだが、これが分かりにくくて2人で困っている。 <この背景について補足説明すると、私は昨夏家族でエジプト方面へ旅行したのだが、エジプトではチップ支払い等のため小額紙幣が山ほど必要である。このエジプトポンドが入手しづらく分かりにくい紙幣で難儀した経験に基づいていると考察できる。>
 夢に戻って、それを見た私が「私が支払いますがいくらですか?」と聞くと、「17,000円です。」と係が言う。「ずい分と安いわね。」と友人と驚き合った、というようなとことん“しょぼい”夢であった。 <なぜ会計が安いのかの背景について補足説明すると、8月のお盆の頃の家族旅行を現在企画中なのであるが、今回は経費節減のため近場にしようか等々、と話し合っているためである。それにしても破格の17,000円という具体的数値が夢に出てきた根拠については、自分でも分析できない。>

 こんな夢の話を書くと、基本的に“しょぼい”人間であることがバレバレだなあ…   
Comments (5)
この記事をはてなブックマークに追加

忘れ去られる勇気を持とう。

2008年07月10日 | 人間関係
 7月6日(日)朝日新聞朝刊のコラムで「忘れ去られる恐怖」と題する朝日新聞編集委員による記事を見つけた。
 興味深いコラムであると同時に、本ブログの前回の記事「正しい携帯電話の持たせ方」の内容にも通じるエッセイであるため、前回の続編の意味合いも兼ねて今回の記事で取り上げることにする。


 それでは早速、上記コラム記事「忘れ去られる恐怖」を以下に要約してみよう。

 “死んだ女よりもっと哀れなのは忘れられた女です”こんな堀口大学訳の「月下の一群」に収められた画家マリー・ローランサンの詩「鎮静剤」の一節が頭から離れない。 あの秋葉原の悲惨な事件の容疑者が、現実にもネット上でさえも孤独であったと述べている。 近年、この“忘れ去られる恐怖”が静かに広がりつつあるように感じる。携帯電話への過剰な寄りかかり、ネット上で過熱する自己主張…。
 浅羽道明氏著「昭和三十年代主義」という本がある。昭和30年代が多くの人がノスタルジックに讃えるほど明るくて前向きでいい時代だとは思ってはいないが、なぜこの時代がブームになったのかと言うと、この時代は、不便だから仕方なく成立していた、人が誰かのために体を動かして働いていることが目に見える「協働体」のような関係の広がり、いわば、お互いの存在が“忘れられない”世界であったためという。
 便利さや豊かさとは、そんな人の働きを機械や見知らぬ人々のサービスに置き換えていくことだった。そして、働く人々は効率化のため機械の一部品のように使い捨てられていく。誰のために、何の役に立つのかわからない働き…。(自分の存在が)忘れ去られたと思い込む人々が増える世間なんて、あまりろくな物でもない。
 以上が、朝日新聞コラム記事「忘れ去られる恐怖」の要約である。

 
 本ブログの前回の記事「正しい携帯電話の持たせ方」には多くの反響コメントをいただいた。 そのコメント欄で、奇しくも上記コラムと同様の議論を読者の方々と展開させていただいている。

 昔、電話さえもなかった時代は、人と人とのかかわりのすべてが“生身”の人間同士のかかわりであった。科学技術の発展と共に文明の利器が次々と登場するにつれて、“生身”の人との間に距離感が生じてくる。今や、パソコン、携帯を経由したネット上での人とのかかわりが日常茶飯事に展開される時代と化している。この現象は人間関係の希薄化に追い討ちをかけ、希薄化を決定的なものとしている。そして、子どもまでもが人とのかかわりを携帯等を通じたネット社会に依存する時代となってしまった。

 “出会い系”というサイトが存在する。なぜネットを通さなければ人と出会えないのか、私には理解し難い世界である。普段の普通の生活の中で生身の相手に出会い、かかわれば済むはずなのに…。もちろん、ネット社会には普段出会えるはずもない遠方の相手等とも瞬時にして出会える等のメリットもあることは認める。 だがその背景には、生身の人間同士のコミュニケーションの希薄化という病理が現代社会に蔓延りつつあることは否めない。それでも人間とは本能的に自分の存在を“忘れ去られ”たくない生き物なのだ。誰でもいいから手っ取り早く出会える相手をネット上で見つけてでも、自分の存在を認めて欲しいのであろう。 
 メール交換も同様だ。大した用件もないのにむやみやたらとメールを送り、相手に強迫観念を抱かせる程の返信を要求するのも“寂しさ”のなせる業、すなわちやはり“忘れ去られ”たくない心理を物語る行為である。


 ネット上でさえも孤独であったと言う秋葉原事件の容疑者。だがそもそも、ネットというバーチャル世界で真の人間同士のコミュニケーションがとれていつまでも“忘れ去られない”関係が築けるのがどうか、それ自体が疑わしい。
 加えて、どのような人間関係であれいつかは終焉が訪れるものでもある。自分の存在を“忘れ去られ”てしまう恐怖に怯えネット社会をさまようことよりも、忘れ去られる勇気を持って現実社会で人とかかわり人の温もりを感じていたいものである。
Comments (20)
この記事をはてなブックマークに追加

正しい携帯電話の持たせ方

2008年07月08日 | 教育・学校
 小中学生に携帯電話を持たせることの是非について、世間では議論が白熱している。

 基本的には各家庭の教育方針や経済力等に合わせて保護者個々が判断すればよい問題であるにもかかわらず、各界の見識者までが登場してその是非につき喧々諤々と議論がなされている。

 例えば、少し前になるが朝日新聞6月15日付朝刊では、首相補佐官の山谷えり子氏、ソフトバンク社社長室長の嶋聡氏、青少年メディア研究協会理事長の下田博次氏がそれぞれの持論を展開している。
 山谷氏は小中学生が携帯電話を持つことに関して否定的立場を貫いている。出会い系サイトを通して性犯罪に巻き込まれたり、掲示板がいじめの温床になっている点を懸念し、また、“嫌われたくない”がための強迫観念を伴った友人同士のメールのやりとりは子どもにとって残酷な事態であるとする。そして、自我が未発達の小中学生はたとえ携帯の正しい使い方を教えても、きちんとコントロールが出来ないため、携帯から解放してあげることが肝要との意見を述べている。
 ソフトバンクの嶋氏はその立場上、さすがに全面肯定派だ。子どもにとって今や「読み・書き・携帯」の時代であり、携帯には様々な機能があって教育にも使える、小学生の早い時期から持たせた方がよい、とする。携帯が子どもの発達を阻害するという裏づけはない。有害サイトの遮断は年齢や子どもの成長に応じてきめ細かく自主的に整備することにより克服可能である。消費者の要望を大切にしてよりより商品を提供したい、としている。
 下田氏は、「インターネットのジャングル」に子どもを放り出す前に、政府や携帯電話会社が手を打たなかったことにつきまず批判している。すでにケータイを自由に使う楽しさを知ってしまった子どもに、今さらそれを禁止したり規制しても反発をくらうだけである、ケータイを持たせる前に①情報の良し悪しの判断力②有害情報や誘惑への自制力③ケータイを持つことの責任能力を子どもに教えることの必要性を主張している。


 それではここで、我が家の携帯事情について述べさせていただこう。

 私自身は2年程前まで携帯は“持たない主義”だった。携帯を持つことにより“ノルマ”が増えることを嫌ったのだ。かかわる必要のない人とはかかわらずに済ませたい、私にはそういう基本的思考が根底にあるため、外出先にまで電話を持ち歩く理由が見出せなかったのである。携帯を持っていないということはこの上なく自由であり便利であった。携帯番号やメールアドレスを教えてとせがまれても、ないものはないで済ませられた。 残念ながら、2年前にフランチャイズ自営にチャレンジした時にフランチャイズ元から強制的に携帯を持たされてしまい、現在に至っている。
 こんな私であるが、子どもには早いうち(小3の3学期)から携帯は持たせた。その目的は家庭内危機管理である。すなわち、子どもの外出時の安全確認のためだ。ただし学校へは持ち込み禁止(現在通っている中学校は制限付きで持ち込み可)であるため、それ以外の外出時にしか持たせられないのであるが。
 子どもに携帯を持たせた張本人である私が携帯を使った事がないのだから、その使い方について知る由もない。子どもは最初から家庭への電話連絡のみに携帯を利用し今に至っている。中学生になってから、友達とのメール交換によるコミュニケーションを私はむしろ奨励した。ただし、特段の用件がない場合は基本的に2往復までで終了すること、先にメールをした方から切り上げることを提案した。我が子の場合、山谷氏の言う“強迫観念”とは何ら縁もなく健全なメール交換がなされているようである。
 このように、子どもに携帯を至って“正当”に使用させている保護者として困惑するのは、学校が携帯の持込を禁止、あるいは制限している点である。これでは危機管理のために持たせている携帯が本来の役割を果たせないのだ。例えば、小学校時代によくあった事例であるが、学校で急に居残りになったりする。学校からはその旨の連絡が一切来ない。携帯を持たせられたなら本人から家庭にその旨一報入れれば事が済むのに、外が真っ暗になっても帰って来ない。こちらから学校に問い合わせればよいのだが、度重なると学校からうるさい保護者だと嫌われる。子どもが無事に帰宅するまで何時間も安否を気遣い気をもまされることになる。
 
 そもそも、携帯電話の当初の基本的機能は“連絡”であったはずだ。
 携帯を子どもに持たせ、子どもに外出時の非ルーチン事態を家庭に報告させることを習慣付け、危機管理を小さい頃から子どもに教え込むことは私は有意義であると考えた上での判断である。

 携帯電話が多機能化し、確かに世間では子ども達が“インターネットジャングル”に放り出され危険な状態ではある。だが、我が家のようにそういう事態に何ら縁がない家庭もある。その差はどこにあるのだろう? 家庭での携帯電話使用環境にあるのかもしれない。

 外出すると携帯に振り回されている大人を目にしない日はない。携帯を使いこなせない私は、何が面白くて四六時中携帯とにらめっこばかりして暮らしているのだろうと不思議で仕方がないのだが、そんな風景が家庭内でも繰り広げられているのだとすると、子どもがその真似をするのも致し方ない事であろう。

 子どもに携帯を持たせることの是非を議論する前に、大人が携帯電話の使い方を再考することの方が先決問題であるかもしれない。 
Comments (13)
この記事をはてなブックマークに追加

デザイナー誕生!

2008年07月05日 | 芸術
 (写真は、印刷博物館「特別展」のパンフレット)

 先だって、東京都文京区にある「印刷博物館」を訪れた。
 この博物館は大手印刷会社に併設されている博物館であるのだが、コミュニケーションメディアとしての印刷の価値や可能性を紹介することを目的に、印刷の過去、現在、未来をわかりやすく伝える展示を行っている。
 「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」と題する特別展に興味を持ち先日平日昼間に一人で訪れたのであるが、展示物の前で熱心にメモをとるデザイナーを目指していると思しき若者団体等で結構混雑していた。(写真は、特別展のパンフレット)
 この博物館は入場料が安価な割には結構楽しめる。個人的にはもう少し空いているとより理想的であったのだが、広い空間に印刷に関するユニークな展示が工夫されていて最後まで飽きない。

 特別展「デザイナー誕生…」は期待通り楽しめた。1950年代は、戦後とグラフィックデザイン史上最も躍動的な1960年代を結ぶ、戦後デザインの礎を築いた時代であるそうだ。その当時のポスター、新聞・雑誌広告、冊子、包装紙、パッケージ、書籍、関係資料等合わせて500点が展示されていた。
 日本のグラフィックデザインが世界的に認められた60年代の土台となった50年代、国内経済の再起をかける日本にとって、日本の復興と“メイド・イン・ジャパン”のイメージ向上のためのアピールとして、グラフィックデザインは積極的に欧米の手法を取り入れながら発展していったのである。(「特別展」パンフレットより要約)
 ちょうどその時代にこの世に生まれた私にとっては、どの作品や資料も遠き日のノスタルジアに駆られるような懐かしい展示ばかりであった。


 唐突な記事の展開ではあるが、ここから話がガラリと変わる点ご了承いただきたい。
 
 私は20代後半に工業デザイナーを職業とする男性と出逢った。この男性は本ブログの恋愛・男女関係バックナンバー「偶然の再会」で既に登場している。
 実はこの彼は私の数多い波乱万丈の恋愛遍歴史上、今尚一番充実したお付き合いができた実感がある人物なのである。彼は、私の長~~い独身時代に私の方から積極的に結婚を願望し“赤い糸”を意識した唯一の男性でもあった。残念ながら彼の方に結婚願望が一切なかったため結婚は断念したが、私にとってお付き合いが一番長く続いた相手でもある。

 当時私は医学関係の仕事に励んでいた時期でありお互いの職種は全く異質なのだが、物事の考え方や価値観が非常によく似ていた。彼と会うと、とにかく話がはずんだ。喫茶店や居酒屋で何時間話し合ってもいつも時間が足りない位共感し合えた相手だった。
 彼は当時、製造業大手企業に工業デザイナーとして勤務していた。すばらしい業務経歴の持ち主で、彼がデザインした製品数点がグッドデザイン賞を受賞している。そのうちの一点である目覚まし時計を当時彼がプレゼントしてくれたのだが、この時計は今尚現役で活躍中で毎朝私を目覚めさせてくれている。 仕事の合間に個人的にもデザインに励み、新人デザイナーの登竜門と言われる銀座Mデパートのデザインコンペにも入賞し、入賞作品展を一緒に見に行った思い出もある。
 自分の工業デザイナーとしての職業をこよなく愛する彼は、会うといつもデザイナーが経済社会で果たす役割について熱く語っていた。新製品開発をデザインによって牽引し、新しい時代の創造を率先して果たすのがデザイナーの役割だと教えてくれた。そのためには好奇心旺盛に様々な分野の事象に興味関心を持ち、情報収集し知識を得て、常に研ぎ澄まされた感性を磨く必要があるとも語り、それを実行している人だった。分野が全く違う私の話にも興味を持っていつも真剣に聞いている人だった。そんな彼の瞳はいつもキラキラと輝き、遠い未来を確かな目で見つめているように私には映った。
 一方で感性が豊かで繊細で情が深く、とても優しいハートの持ち主でもあった。
 
 そんな彼にも悩みがあった。企業という狭い枠の中でデザイナーが果たせる役割には限界があり、加えて専門性が高い割には報酬が見合わないことを嘆いていた。そして、その後彼は敢えて危険を覚悟でフリーを目指す道を歩むことになる。 私が恋愛の対象として彼とお付き合いをしたのは、彼がフリーになった直後あたりまでである。
 その後もこの彼とは友人としてのお付き合いが続くのであるが、彼はフリーとして成功し、デザイン界において輝かしい業績を残している。彼がデザインした商品が何点もヒット商品となり市場に出回っている。
 最後に彼に会ったのは彼との出逢いから約10年後、お互いにまだ独身で私が見合い結婚をする直前頃であった。“もし結婚することになったらお互いに知らせようね。”と約束したきり、私は結婚したことを彼には知らせられないまま現在に至っている。 

 彼は後々の私の人生にまで大きな足跡を残している。
 私が医学の道を一旦退き30歳にして新たな学問を目指したのも、彼の影響力によるところが大きい。
 それ以来、彼以上の相手にめぐり合えなかったために私は恋愛結婚は諦め、見合い結婚に至ったとも言える。
 素人の私がよく分からないなりに芸術分野を好んでいるのも、まさに彼の影響力である。

 彼は今、どうしているのだろう。さらにビッグになってデザイン界で今尚活躍しているのであろうか。
 
Comments (8)
この記事をはてなブックマークに追加

歩く楽しさ

2008年07月03日 | 健康・医療・介護
 手前味噌な話題で恐縮ではあるが、先日我が身内が、所属する職場で社長賞を受賞し表彰された。(写真はその表彰状)
 身内は物理学の研究者なのであるが、現在民間企業の研究所に所属している。この度の受賞は「歩行アシスト」の共同研究によるもので、身内は5年程前からこの研究に携わっていたらしい。(家では仕事の話をほとんどしないため、私はこの表彰状を見るまで知らなかったのであるが…。)
 1年程前から体調を崩し自宅療養も経験し現在も通院中の身で、家庭では現在影が薄い存在の身内であるのだが、そんな余力がまだあったのか!!と私と娘は久々の快挙に驚かされた次第である。


 「歩行アシスト」とは何なのか。各種資料を参照しつつ私が理解できる範囲内で説明してみよう。

 ホンダは、高齢者の歩行機会を増加させ活動範囲の拡大を支援しようという目的で、1999年から「装着型歩行アシスト」の研究開発を進めてきた。
 この「装着型歩行アシスト」とは、脚力が低下した人の歩行をサポートするために、腰や太ももの周りに装着し、人の動きに合わせて電動モーターで歩行に必要な力を補助する装置である。二足歩行ロボット「ASIMO」の開発で培った制御技術等が活かされており、介護やリハビリ現場での実用化を目指している。
 ホンダは昨年、この「歩行アシスト」を東京ビッグサイトで開催された「国際福祉機器展2007」に参考出品したところ、ブースの片隅に展示した製品だったにもかかわらず来場者の間で大反響を呼ぶに至った。
 現在では、開発当初に比し重量が10分の1まで軽量化され、装着しても違和感がなく、長距離でも楽に歩けるようになっているとのことである。
 先日6月30日の報道によると、ホンダはこの「歩行アシスト」の効果を実際のリハビリ現場で検証する試験を埼玉県内の病院と共同で始めると発表したそうだ。同病院でリハビリに取り組む患者のうち希望者の訓練メニューにこの「歩行アシスト」を取り入れ、患者や医師等の声を聞きながらその使い勝手や治療効果等が検証されていくことになる。
 そして「歩行アシスト」はさらにブラッシュアップされ、近い将来市場に出回ることになるであろう。


 “歩く”という動作は人間にとって至って基本的な機能である。特に健康な人にとっては気軽にできる行為でもある。

 実は私の現在の一番の健康法は“歩く”ことである。2年程前に車に乗ることをやめて以来、私はどこに行くにも電車等の乗り物を利用し、そして歩いている。“歩く”という行為は何の道具も必要とせず、買い物等所用のついでにでき、また人や環境にも優しい。当ブログのバックナンバー「徒歩生活のススメ」においても既述しているが、一旦この徒歩生活に慣れると車や自転車生活がかえって不便なようにすら感じる。車線変更で神経を擦り減らすこともなく、後続車にクラクションを鳴らされてイラつくこともなく、また駐車場を探して右往左往する必要もない。
 昨日も電車にての外出時に、ちょうど運悪く人身事故による電車の運転見合わせに出くわした。日頃歩き慣れていると、そういう時に「ならば、歩いて帰ろう」という発想がすぐ出るのだ。人でごった返している駅でいつ運転再開するかもわからない電車をイライラしながら待つよりも、歩いた方が精神衛生上もいい。(距離にもよるが2、3駅なら歩こうかと思う。)

 ただし、これは健康で足腰が丈夫であってこそ実行できることである。いつ何時どのような障害に見舞われるかは、人間誰しも予想できないことである。
 そんな時に、「歩行アシスト」は力強い味方となってくれることであろう。


 我が身内がその研究開発に携わったから言う訳ではないし、時代の要請や企業のイメージアップのパフォーマンス的な意味合いもあろう。
 そのような背景の下、自動車製造を主業とする大手企業が、その技術力を活かして弱者救済の観点からこのような商品開発に着手しているその発想の転換力に、私はとりあえず拍手を贈ろうかと考えるのである。
 
Comments (6)
この記事をはてなブックマークに追加

学校に電話連絡網は要らない。

2008年07月01日 | 教育・学校
 冒頭から私論の結論を述べる。
 個人情報保護に関する議論は、他人の個人情報を勝手にバラまいてその利益を享受する強者の論理を優先するのではなく、個人情報を承諾なくバラまかれて損害を被る弱者の論理で語られるべきである。
 個人情報をバラまく側の強者の立場から、安易に個人情報の“過剰反応”批判を展開するべきではない。


 本日7月1日(火)の読売新聞の個人情報保護法に関する報道を今朝インターネット上で見つけた。
 この記事は「個人情報保護法の過剰反応、自治体半数“まだある”…内閣府調査」という表題で、市民の個人情報をバラまく側の強者である公的機関側の言い分を報道したものである。
 以前より、個人情報をバラまかれる立場の弱者側の個人情報保護法への“過剰反応”に関しては、公的機関側が指摘し続けていることは私も把握している。
 公的機関がこれを語るにおいていつも引き合いに出すのが学校の「緊急電話連絡網」である。

 まず、上記の読売新聞の記事内容を以下に要約する。
 2005年の個人情報保護法の全面施行以降、必要な情報まで提供されなくなり、学校の緊急連絡網が作れないなどの事態を招いた「過剰反応」問題で、47都道府県のうち半数近くの22自治体が、まだ「過剰反応がある」と感じていることが、内閣府の調査で分かった。……過剰反応が根強く残っていることが明らかになった…。


 学校における緊急電話連絡網に関しては本ブログの昨年10月の教育・学校カテゴリーバックナンバー「個人情報保護法と学校の緊急電話連絡網」において既述している。 
 ここで再度、上記バックナンバーで主張した私論をまとめてみよう。

 現在の学校の諸制度や諸手続きにおいて保護者にとってもっとも厄介な存在なのが「緊急電話連絡網」である。
 個人情報保護法が施行されて以降は、学校もようやくその運用において細心の注意を払い始めた様子であるが、それ以前はバラまきっ放しの野放し状態で、その濫用、悪用には閉口するばかりであった。PTA役員からの濫用、保護者からのセールスや宗教団体への勧誘等の悪用、担任教員からの自分の業務上のミスのカバー目的の濫用、外部名簿会社への連絡網の高額売却(横流し)を通じての外部組織からのひっきりなしのセールス、等々…、学校の緊急電話連絡網の濫用、悪用の例を挙げればきりがない。

 私は学校における緊急電話連絡網の存在自体を全面否定している訳ではない。正しい目的でこの連絡網を通して保護者の元に緊急連絡がなされるならば、大いに活用していただきたいものである。
 ところが、どうも学校側さえもが“緊急連絡”の意味を取り違えているものと察するのだ。この緊急連絡網を通して学校から来る連絡と言えば、運動会の雨天による中止くらいである。これは緊急連絡とは言わない。単なる伝達事項である。単なる伝達事項に関しては情報伝達手段が多様化している今の時代、緊急連絡網を使用せずとて、その伝達手段はいくらでも存在するはずである。
 本来の意味での緊急連絡とは、児童生徒が在校時に、天災地変、事件事故等その名の通り“緊急”時、すなわち“児童生徒の身に危険が及んだ時”に学校の最高責任者である学校長の責任において発令されるべき性質のものであるはずだ。これが濫用、悪用ばかりされ“狼少年物語”と化し、救うべき時に子どもの生命が救えないような事態となってしまうことを私は大いに憂えるのである。

 このように、学校における緊急電話連絡網とは子どもにとっての命綱としてのみ使用されるべきである。にもかかわらず、濫用、悪用の多い実態と、本来の目的で使用されていない実態を鑑みて、私は現状のような中途半端な「緊急連絡網」ならば不要であると以前より主張しているのである。おそらく保護者の皆さん、私と同じ思いではなかろうか。 決して保護者は個人情報保護に“過剰反応”をしている訳ではないことを、学校や自治体は少しはお分かりいただけたであろうか。
 (さらに付け加えさせていただくと、生徒側の個人情報は連絡網という形で保護者の承諾の有無にかかわらず当然のことのようにバラまくのに、教員側の個人情報は一切非公開とする例も私は何度も経験している。学校側はあまりにも身勝手としか言いようがない。)

 学校や自治体側は「緊急電話連絡網」が作れないことに関して、単純に個人情報保護法の“過剰反応”として保護者のせいにして責任逃れをするのではなく、個人情報がぎっしりと詰まった「緊急連絡網」を無責任にバラまいた後の濫用、悪用の実態、それによる保護者の日常の迷惑、苦悩の程を一度調査、把握してみてはいかがか。
 安易に保護者を批判するのではなく、今後の学校における「緊急電話連絡網」のあり方を問い直し、自らの「緊急連絡網」に対する管理責任を全うし、真に児童生徒の安全を守るために機能する「緊急連絡網」を創り上げていくことが先決問題であろう。 
Comments (10)
この記事をはてなブックマークに追加