原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、
自己のオピニオンを綴り公開します。

「原左都子エッセイ集」のコメント欄を閉鎖した理由

2017年02月20日 | 人間関係
 私は、2011.11.18付の「お知らせ」カテゴリーに於いて、「コメント受付一時休止のお知らせ」と題するバックナンバーを公開している。

 これを改めて見て、私はコメント欄を「閉鎖」したのではなく「休止」中だという事実を自分自身で発見した。
 へえ~~、そうだったんだ。
 などと無責任にも納得しつつ、「という事は、またコメント欄をオープンにする事もあるのか??」と自問自答する始末だ。

 とにもかくにも、当該バックナンバー全文を以下に今一度紹介しよう。
 日頃より 「原左都子エッセイ集」 をご愛読いただきまして誠にありがとうございます。
 この度、都合によりコメント欄を閉鎖し、コメント受付を一時休止する措置を取らせていただく事と相成りました。
 その間、原左都子宛にメッセージをお送り下さる場合は、左欄の 「メッセージを送る」 をご活用いただけましたら幸いです。
 ご自身のメールアドレスあるいはURLをご記載いただいた場合、個別に返答を申し上げる場合もございます。
 「原左都子エッセイ集」本体は、今後も変わりなくエッセイを綴り公開して参る所存です。
 今後共、皆様のご訪問を心よりお待ち申し上げております! 
 (以上、本エッセイ集「お知らせ」カテゴリーバックナンバーを反復したもの。)


 自身のブログのコメント欄は「閉鎖(休止?)」しておきながら、私は身勝手にも人様のブログへは土足で上がり込んで、コメントを記載させて頂く機会がここのところ増えている。

 その行為には、私なりの「理由」(と言うか「魂胆」と言うべきか?)があるのだ。

 一番の魂胆とは……
 自己紹介を兼ねて、「いつも貴ブログを拝見しております」とのメッセージをお伝えする手段として、コメントを記載させて頂く機会が最近多い。
 もちろん、記載されている内容に同感したり感動させて頂いて、その思いをコメント記載との実行に移す事と相成るのだが。


 我がエッセイ集も、開設直後よりコメント欄を閉鎖(休止)した2011年11月まで、有意義で心打たれるコメントを読者の皆様より沢山頂いてきた。
 当時のバックナンバーを自分で読み返す都度、コメント欄に頂戴した数々のコメント群も同時に読み直しては、(そう言えばこんな方もいらっしゃったし、またこの方も長期に渡りずっとコメント欄で我がエッセイ集を支えて下さったなあ)などと、名残惜しい思いも抱くし、コメント欄閉鎖措置により惜しい人材を私は沢山失っている感覚にも苛まれる。
 コメント欄を開いてさえおけば、これらの方々との有意義な人間関係が未だ継続しているのだろう、と自分が取り返しがつかない過ちを犯した事実を思い知ったりもする。

 時には、我がエッセイより長文(3000字を超えそうな)コメントを寄せて下さる人物も複数存在した。
 それを熟読させて頂き、これまた私もその長文数を超える文字数の返答をお返ししたこともあった。

 我がエッセイ集は時事社会問題等々に対するオピニオン公開を主眼として開設しているため、その性質故に誹謗中傷等々ご遠慮申し上げたいコメント被害にも遭った。 ただ、それとて「原左都子エッセイ集」にご興味をお持ちいただいた証拠であり、ある意味では歓迎すべき行動かとも判断したりもした。 
 (今現在も、ネット上で「ミニスカおばさんが綴る5流オピニオンエッセイ集」ナンタラの記述が消去されずに存在する様子だが、 私など、中途半端に2、3流ではなく“5流”との表現が嬉しい程だ。 あるいは“ミニスカおばさん”など、褒め言葉と解釈している。)

 
 他人様のブログ コメント欄を現在覗かせて頂いて、私が感じる事がある。

 私がブログを開設した10年程前に比して、エロコメ等々の迷惑コメントが完全排除可能なコメント欄のシステムとなっている時代の流れと並行し、皆様のコメント欄が “綺麗にまとまり過ぎている” 印象を受けるのだ。
 それは時代の良き変化として受け止めるべきであろう。

 ただ正直言って、すこし物足りなさを感じる私でもある。
 「はい、貴方と私は仲良しです。 素晴らしいですね、良かったですね。 これからもよろしく。」 それですべてが収まるのならば、それに越した事はないのだろう。
 私など、それってコメントではなく“単なる挨拶言葉”の域を超えていないと寂しく思うのだけど……

 私が数年前までコメント欄を開いていた時期と、ネット上の「交流」の仕方が全く違ってしまっている。
 ブログのコメント欄がそのような時代背景に移り変わり、危険回避に偏っている事実こそに、人間関係の希薄化を感じたりもさせられるのだ。

 そうとは言っても既に還暦過ぎた身の我がエッセイ集に、もしも3000字を超過する長文反論ご意見を頂いたとして、それに更に反論し議論する時間が私側こそが取れるのか否かの不安感もあるのだ。
 何分、亭主が定年退職後いつも家にいる立場であり、義母・実母の介護責任も一手に担い、日々その世話に活躍せねばならない身だ。
 (私が思うに、定年退職したご亭主って24時間フリータイムでしょ? それに引き換え、その世話をせねばならない妻の立場は実に大変! 昼がくれば昼飯の準備、夜になると夕飯の準備に入らねばならず、自身が集中している事柄をいちいち中断させられる始末。 世の定年退職男どもよ、夕飯はともかく昼飯くらい一人で食べろよ!と言いたくもなる。  エッセイ本体を書くのもその合間にこなさねばならい立場で、コメント欄の対応が自ずと後回しにならざるを得ないのは火を見るよりも明らかだ…  私だって24時間フリータイムの身になりたいものだよ!

 それと並行して、そもそも私は“挨拶程度で済ます”綺麗ごとの人間関係は、近隣の人達との付き合いのみで済ませたい思いもある。
 どうせ付き合うならば、たとえネット上であれ、原左都子相手に“3000字の長文ご意見”を寄越してくれるがごとくの勢いが感じられる関係を築きたい思いが強いのだ!  (いえいえ、もちろんの事、短文にも命が込められている事実も経験済みですよ。)

 その返答がこちらから叶わぬ今、やはりコメント欄休止(閉鎖)状態を続行するのが我が現在の実生活上のポリシーに合致するのかと考えたりもする。

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パズル「推理」 (朝日新聞2017.2.18編)

2017年02月20日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.2.18 パズル「推理」に原左都子が解答したもの。)

 
 慌ただしい週末を過ごし、土・日に配達された朝日新聞を昨夜開いたところ、パズル課題は「推理」だった。

 今回は、難易度5と最高レベルだ。 
 いつもよりやる気が倍増し、課題に取り組んだものの……

 9割方解答したところ、テレビ視聴する予定だった「四大陸フィギュアスケート大会 男子フリー」放送が始まってしまった。

 これが凄い!!
 男子フリーの世界とは4分内に4回転ジャンプを数回飛ばねば、もやは優勝出来ない高レベルの世界と化している。
 この“神業”を難なくこなす選手が次々現れるのが、これまた驚異的に素晴らしい!

 結局、6回の4回転ジャンプに成功した米国 ネイサン・チェン選手が今回の優勝をもぎ取った。


 さて、パズル「推理」に戻ろうとしたが、技術力が驚くべく進化したフィギュア演技視聴に集中した私は精根果ててしまった。


 今朝、一通りの仕事を終えた後、パズル「推理」に戻った。

 後1割の課題とは、「値段」の駆け引きだ。
 9割がたけりがついた後「値段」に於いてもう一歩のところでつまずいていた私は、“林さん”が「消臭剤は250円ではない」と言っている点に着目した。
 そうすると、30円差、20円差の人物達の「値段」の整合性が自ずと付くようになる。


 そして、解答を仕上げたのが上記写真だ。

 おそらくこれで間違いはないと思うのだが、朝日新聞「推理」ファンの皆様のご解答と一致するでしょうか??

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遊び心と春の風 -2017年春編-

2017年02月17日 | 自己実現
 「春一番」が全国を吹き荒れる本日2月17日の日本列島だ。


 私が住む東京でも早朝は未だ寒さが勝っていたものの、午前10時過ぎ頃から南南西の風が吹き荒れ始めた。
 集合住宅高層階に位置する我が家の南面ベランダでも、朝干した洗濯物が大風に煽られ始め、飛ばされそうになった。 急いでベランダに出て、洗濯ものを部屋にしまい込まねばならない有様だった。


 「春一番」と聞いて思い出すのは、当該「原左都子エッセイ集」にて開設まもない時期の早春に綴った春一番に関するバックナンバーである。

 早速以下に、約9年前の2008.2.28 に公開したバックナンバー 「遊び心と春の風」 と題するエッセイの一部を反復させて頂こう。

 春風が花粉を運んでくる季節が訪れてしまった。 この時期がつらい人は多いことと察するが、私もそのひとりである。 病院へは家族の付添い以外は行かない、薬は飲まない主義の私は、5月の連休が終わる頃までくしゃみと鼻水と目の痒さとそれによる睡眠不足との闘いの日々だ。 ティッシュの箱が下手をすると一日一箱なくなる。 化粧は剥げるし、鼻の皮は剥けてヒリヒリするし散々な目にあう。
 前書きはさておき、実はこのエッセイは花粉症とは何ら関係のない“遊び心”がテーマである。
 本エッセイ集の本文やコメント返答の中で何箇所か“遊び心”について触れているのだが、私は一見真面目そうに見えて(??)その実“遊び心”旺盛な人間だ。 わかりやすく表現すると“ちょい悪”であるかもしれない。 若かりし頃からこの“遊び心”をとても大切に生きてきている。 春風が吹かずとも、年中遊び心満載である。
 中学生の頃、既にこの“遊び心”があった。 小さい頃から真面目人間のレッテルを貼られていた私であるが、第二次反抗期を過ぎた頃からこの“遊び心”が表出し始めていた。
 例えば、授業中にちょっといたずらをしたくなる。 今なら机の下で携帯でメール交換でもするのであろうが、当時は携帯はない替わりにこっそり手紙を回すという手段があった。 これが大好きで率先して仲間に加わっていた。 先生は私がそんなことに積極的に加担しているとは露も知らず、申し訳ないことに周りの友人ばかりが叱られていた。(ごめんなさい…)
  ある時には、授業に故意に遅れることを私から積極的に仲間にそそのかした事もある。 この時には当然ながら遅れた全員が廊下に立たされたのだが、先生は真面目で通っている私が仲間にそそのかされたと勘違いし、私に同情してくれた。(そうじゃなかったのよ、先生。 私が主犯だったの。仲間のみんな、ほんとにごめん。)
 だが子どもが“遊び心”を発揮するのは心が開放されている証拠であると私は思うのだ。 大学受験を目指して心が閉鎖的であった高校時代には“遊び心”が表出する機会は一切なく、ほとほとつまらない高校時代を送った。
 さて大人になってから、しかも上京後一人暮らしを始めて何ら“足かせ”がなくなった後は“遊び心”のオンパレードである。(誤解のないように言っておくが、仕事、学業、大事な人間関係との享楽等々、自分の主たる生活要素をすべて完璧にこなした上での話ですよ。)
 私はこの“遊び心”のお陰で長~い独身時代を心底堪能した。 実に充実した独身時代だった。(よろしければ当エッセイ集の“恋愛”“酒”“雑記”カテゴリー等々のバックナンバーをとくとご欄下さい。)
  “遊び心”にも自己責任が伴うべきである。  自立した大人であるならば、自己管理力と周囲からの信頼との後ろ盾の下“遊び心”を発揮するべきである。 それら自己管理力や他者からの信頼のバックグラウンドもなく“遊び心”を実行に移す輩がいるならば、それは単なる“遊び人”あるいは“単純馬鹿”に過ぎない。
   (  中略  )
 花粉症で鼻水タラタラ状態で色気も何もあったものではないが、暖かい春風の中、少し“遊び心”を楽しんでみましょうか。 ハックショ~ン!!
 (以上、バックナンバー「遊び心と春の風」より一部を引用したもの。)


 上記エッセイ公開より9年の年月が過ぎ去った。

 改めて当該バッククナンバーを9年ぶりに読み返してみると、当時はまだまだ私の心身に “本気の遊び心の勢い” が内在していたと自分の若さに驚かされると共に、その我が勢いに羨望すら抱く。
 私としては、ずっとそんな“遊び心”を温存して来たつもりだったのに、年月の流れとは無情にも人から“自由度”や“楽しさ”を奪っていくものなのかと、ちょっぴり悲しい感情すら抱かされる。
 所詮人間とは、年月の経過と共に “つまらない人生” を歩まされ死に至るべくDNA統制されているのか? との被害妄想感にすら陥りそうだ。

 「花粉症」に関しても、あれから9年の月日が過ぎ去り、我が花粉症は激化の一途を辿っている。
 と言うより、生まれながらのDNA要因として「アレルギー性鼻炎」を抱えている私の場合、その後の鼻炎の悪化度合いの程が甚だしいのだ。 今や、年中鼻水タラタラ状態で、一日2箱のティシュボックスを要する身だ。 その結果として化粧が剥がれるどころか、年中人前で鼻水を垂らさざるを得ない悲惨な状況下にある。


 そのように人前で鼻水を垂らしつつも、私には今後の人生に於ける私なりの夢が燦然と存在している。

 その夢とは、やはり「遊び心」 を持続したい! との希望だ。
 人間が長生き出来る秘訣とは、これ、すなわち「遊び心」を内面で育み続ける事と私は信じ疑っていない。
 その「遊び心」課題とは、当然ながら人それぞれでもあろう。

 そんな「遊び心」を我が意で実行しつつ、今後もアレルギー性鼻炎など吹っ飛ばし人生を楽しみ続けたいものだ。 
 
 などと本日今年の「春一番」大風に煽られながら、今日のエッセイを綴った次第である。

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身内年寄りの我がままを如何に処理すればよいのか?

2017年02月15日 | 人間関係
 (写真は、今から約30年程前に実姉の“1度目”の結婚式に参列した際に撮影したもの。 花嫁である姉と母そして私の3人のショット写真だが、そのうち私の部分のみ再撮影したもの。 )


 今回この写真をピックアップしたのには理由がある。
 来る3月初旬に郷里の実母が入居中の高齢者有料介護施設へ、昨年10月の施設引越作業以来初めて訪れる予定となっている。
 その際にこの写真を含め母が写っている数枚の過去の写真を持参しようと、古いアルバムから引っ張り出してプリントアウトしたのだ。

 と言うのも母は施設入居に際し、一人暮らしをしていた郷里の自宅を即刻売却した。
 その際、自分が保存していた写真アルバム類のほとんどを廃棄処分したのだ。 その理由とは、それらを施設へ持ち込んだところで、近い将来自分の死後残された遺族(私の事だが)の後片付けの負担を増やすだけだ。 それを最小限に留めたいと母自身が配慮したためだ。
 そんな母なりの気遣いは、実際問題後片付けを担当せねばならない身としては有り難い。 「よくぞ、思い切ったね!」などと母を褒めつつ… 
 それでも、特に母の思い出深い写真類を今回の施設訪問時に持参せんと志したのだ。 そして、母が喜びそうな写真を改めて再撮影しプリントアウトしたとのいきさつだ。


 そんな我が実母だが、施設入居の日々が長くなるにつれ必然的に私への愚痴電話が多くなる。
 元々想像済みだが、入居当初はあんなに素直に喜んでいたのに、やはり何事も“慣れ”が引き起こす歪みとは誰とて何処でも必然的に発生する現象であるものと実感させられる。

 1ヶ月程前の事だったか、母が電話で私に告げるには「入居者仲間が3度の食事時に自分の自慢話をするのが鬱陶しい」……
 大いに起り得る事態だ。 
 それに対する我がアドバイス、「そんなの “あら、そうなの” とでも交わしてテキトーにあしらえば済むでしょ。 決して負けん気を出して自分の自慢などしない方が身のためだよ。 それをする程に自らの馬鹿さ加減を露呈する結果となるから。 そもそも嫌な奴とは距離を置いて、自分が好む相手と付き合ったらどうなの?」
 母曰く、「施設内は貴女が考えている程甘くない。 嫌な奴とも付き合わねば高齢者連中が集まっている施設では渡って行けない」
 「少しは気持ちは分かるから、そうすれば」などとテキトーに応えつつ、我が母も主体性無き人生を歩んで来たのだと実感させられる。
 それが嫌なら最初から施設になど入居せずして、独り身で生き抜くポリシーを育成しとけばいいのに…  昭和ヒトケタ生まれとは、戦争体験を繰り返す人生を歩むうちに自ずと集団主義に流れざるを得なかったのだろうか……
 ただその時の電話で、実母が良い意味でも悪い意味でも施設の一員として過ごしていこうと頑張っている姿を垣間見れた気もした。


 少し時が流れ、つい最近実母から別件で電話が掛かって来た。

 母曰く、「3月に貴女が来るらしいが、その時に親戚筋に貴女からお礼の菓子折を持参して欲しい。 と言うのも、私の兄弟夫婦がこの施設まで数回訪ねて来てくれている。 そのお礼を貴方にして欲しい。」

 う~~~ん、ちょっと待って! といつも言いたい私だ。
 自分の親戚筋に日頃お世話になっているのは実母である貴方自身でしょ?  その場合、遠くに住む娘の私からではなく、自分自身の名でお礼をするべきだと私は考える。 それならば、菓子折を貴方宛に送付するから、貴方自身が今後施設へ訪ねてくれる親戚筋に自分から(私の経済負担で送った)菓子折を手渡せば済むでしょう、と私が主張すると。
 
 それがとことん気に入らない実母だ。
 どうしても、貴女(私)の名前で親戚筋に母が日頃お世話になっていますと頭を下げ、挨拶をして欲しいと言って譲らない。
 実際問題、その実母の我がまま意向に沿って、私は40年来付き合いが全く無い郷里の親戚筋に毎年の年賀状はもちろんの事、電話にても母がお世話になっている旨を義務感で年に2度程かけている。 (いやもちろん、私が低姿勢で電話をすると郷里の親戚の皆さんは演技でも喜んでくれるのだが……)


 この現象、皆様はどう思われますでしょうか??

 私としては既に郷里を離れ、40年の年月に及び都会で自立し我が暮らしを営んでいる身だ。
 たとえ近い将来実母が他界しようが、私は今後も自分の骨を大都会東京に埋める予定でいる。
 故に、郷里の親戚筋とは母他界後には完全に縁が切れると考えている身にして、実母の意向に沿って、他人に等しい郷里の親戚筋に菓子折を送り、年に2度程ヘーコラと電話を掛け続けねばならないのだろうか!?

 良きアドバイスをお願いしたい気にもなる。

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「負けてる」と思う気持ちを引きずるのが嫌だった。

2017年02月13日 | 自己実現
 最近、他人が発した言葉を我がエッセイ表題に引用する機会が増えているが、今回もその例外ではない。

 「『負けてる』と思う気持ちを引きずるのが嫌だった。」

 この言葉を聞いたのは、先週NHK昼前の総合テレビ番組内に於いてだ。
 ちょうど昼ご飯の準備に差し掛かる時間帯に、NHK昼の天気予報及びニュースを視聴するがためにテレビのスイッチを入れる習慣がある。
 その時に、天気予報の前番組で取り上げられていた売れっ子パティシエの若き女性が発したのが、表題の言葉だ。

 我が国の売れっ子パティシエやフレンチ・イタリアン等のシェフとは、欧州(フランスやイタリア等々)で何年か修業を積んで来てこそ一人前と認めらるような風習があることを、私も食べる立場として認識している。
 その慣習を取り上げて、当該パティシエ女性が発した言葉が表題の通りだ。

 要するにこの女性はその海外修行をせずして、既に売れっ子パティシエとしての地位を築いていたようだ。 ところが、どうしても「海外修行してこそ一人前」なる得体の知れない観念に縛られる内面の心理、彼女に言わせると「負けてる」感覚に苛まれ続けた様子だ。
 こんなマイナーな思いをいつまでも引きずりたくない。 ならば、いっそ欧州パティシエ修行を強行しよう! と実行に持ち込んだらしい。

 その後は昼ご飯を作りつつの“ながらテレビ”視聴のため詳細は不明だが、彼女に同行したご主人が言うには、「語学力もある彼女の欧州修行は大成功だった」との事のようだ。 
 その後帰国後の彼女のパティシエとしての華々しい活躍ぶりは、私から説明するまでもないであろう。


 このパティシエ女性のお気持ちの程は痛い程分かる。
 と言うのも、私も過去に似たような経験を何度もして来ている記憶があるからだ。

 実際は自分の方が実力がずっと上なのに、その分野で要求される(信憑性無き)条件に於いて「負けている」ために(あくまでも自らの内心に於いて)敗北感を苛まれる事態を幾度も経験して来た気がする。


 一つ思い出すのは、晩婚出産後に某独立行政法人研究所(前回の小保方氏関連エッセイにて既述した某研究所だが)にて、“アルバイト”の身分で仕事をした事例だ。

 これなどそもそも “たかがアルバイト” であれ、採用競争率が十何倍の狭き門を突破しての就業だった。
 ただし、まさにサリバンとして厳しい子育て真っ最中の身であり、しかも40代後半に差し掛かろうとしている我が身に照らして “たかがアルバイト” であれ採用された事だけでも感謝するべき事態と重々自覚していた……  
 それを承知の上での就業である事を自分に言い聞かせ、職場に行ってみれば……。

 当然ながら、アルバイトにはアルバイトとしての業務しか用意されていない。(とは言えども、その業務内容とは医学基礎実験をこなして来た経歴が無ければ実施し得ない内容であることはもちろんだが。)
 しかも、研究室内周囲にいる若手研究員達の“アルバイト職員”に対する無言の差別感を感じざるを得ない。

 それに増して、屈辱的な事態に遭遇するはめと相成った。
 この行政法人研究室では、提携がある(?)大学から実習生を受け入れていたようだ。 
 その提携某私立大学より実習にやって来た女子大学生の指導を私に任せられ、それを実行した。 実習自体はつつがなく終了したのだが、後日その女子大学生が私に告げるには……
 「貴方は“たかがアルバイト”の身分の方だそうですね。 その事実を後で聞いたのですが、私はまさか“アルバイト女性” から指導を受けるためにこの研究室へ来ていないのです!」と、怒り心頭の様子だ。
 その礼儀知らずぶりに驚かされたものの、まさに“たかがアルバイト”の立場で、我が過去の科学経歴をこんな小僧に語るには及ばない事くらいは承知している。
 こちらも怒り心頭なのだが、どうせ当該女性は短期間で研究室を去っていくだろうと予想し我が怒りの程を内面で抑えた。
 その後時期が過ぎ、この実習女性の大学卒業後のその後を研究室で垣間聞く機会があった。 結局、研究者志望を諦めとりあえず外国へ行くとの事だった。


 我が事例の場合、決して「負けてる」と結論付けるべく事象ではなかった事は承知している。

 ただ、そのまま当該研究室であくまでも“アルバイト”の身分で仕事を続ける事とは、私自身のそれまでの生き様を振り返った場合、汚点となれども、自己実現意欲から得られる達成感が全く無いどころかマイナス面が大きい事に気付いたのだ。
 当該独立行政法人研究所を退職した理由を、幾度もバックナンバーにて既述している。  娘のサリバン業が厳しかった事実を前面に掲げた記憶があるが……

 だが決してそれが真の退職理由ではなかった。
 その実とは、くだらない理由でアルバイト職員である私に(お前こそが「負けてるぞ!」)との感覚を暗黙に強制し、自らの研究者としての身分を死守したい人物が研究室内に存在していたとの、馬鹿げた実態を斬り捨てたかったのが、我が真なる退職理由かもしれない。
 要するに私側としては、お前らには“負けていない”証明を、退職との形で実行したという事だ。

 その時の教訓は今に至って活きている。
 私は “アルバイト”等最初から身分で必然的差別待遇を受けるべく職種には、決して応募しないと固く決めた。 それを選択する事とは、自分から無駄に「負け」を認める事と身をもって経験したからだ。
 その後、幾度か就職活動をした。 それらの職種とは、フランチャイズ自営経営者や教育現場指導者等々…  (あるいは、街でスカウトを受けたシニア端役女優??) 残念ながらすべて結果としては実り無き状態だが……


 ところで、研究開発法人「理科学研究所」は今尚安倍政権よりの莫大な血税投入により成り立っていると把握している。
 その後「STAP事件」ごときの不祥事報道を聞かないまでも、未だに国民からの血税をあてにして、何ら役に立たない基礎研究を繰り返しているのだろうか………

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NHKの小保方氏番組に人権侵害勧告??

2017年02月11日 | 時事論評
 3年以上前より「原左都子エッセイ集」をお読み下さっている方々は、ご記憶の事と期待申し上げるが。

 2014年初頭に発生した「STAP細胞改ざん・捏造事件」に関し、一応“科学者の端くれ”を自負している私は、ほぼ1年以上に渡り当該事件を追跡しつつ本エッセイ集に於いて事件に関する私論を展開して来ている。

 以下に、本エッセイ集に於いて2014年に綴り公開した STAP関連エッセイ を列挙させて頂こう。

  2月3日     「実験好きと理系頭脳とは相関し得るのか?」
  3月12日    「STAP細胞騒動は基礎研究体質のいい加減さを露呈した」
  4月3日     「STAP騒動、私なら未熟者扱いされるより捏造を認めたい」
  4月10日    「4/9小保方会見、むしろ科学者として墓穴を掘った」
  5月10日    「5/8理研調査委『STAP論文取下げ』記者会見を論評する」
  5月21日    「小保方論文“切り貼り”は何故『改ざん』と確定されたか?」
  6月4日     「STAP論文すべて撤回で、今後の小保方氏の行く末は?」
  6月14日    「理研の新法人化は当分棚上げにするべき」
  7月2日     「小保方氏って、未だ理研から給与貰ってるの?」
  7月29日    「小保方氏はもはや不正疑惑から逃れられない」
  8月5日     「笹井副センター長自殺はSTAP不正を証明したも同然」
  10月25日   「STAP事件は“必然”だったか“偶然”だったか!?」

 上記の中から、2014.10.25 公開の 「STAP事件は“必然”だったか“偶然”だったか!?」の私論結論部分を、今一度以下に反復させて頂こう。
 とりあえず、小保方氏が「かわいい(職場内でアピールされる)女性」であるのか否かに関しては論評を避けるとして、朝日新聞記事内の小熊英二氏の論評が、「民間企業」に於ける科学研究を焦点として書かれている事が多少気にかかる。 
 小保方氏の場合民間への就業経験は皆無であり、早大にて博士課程修了後は独立行政法人理化学研究所等の国家関連組織を自己の研究土台としていると私は認識している。   そうした場合こと小保方氏に関しては、民間にての“プロジェクトチーム”だの、“若手研究者の使い捨て”等々の試練とは無縁の人生を歩んでいるのではあるまいか??
 これこそが、小保方氏にとって一番のネックだったとも言えよう。
 (民間のごとく)厳しい科学研究の世界を小保方氏が一度でも経験できたならば、もう少しマシな「実験ノート」を作成する能力を修得出来たはずである。 加えてもしも小保方氏が民間で鍛えられていたならば、自費で開催した4月の「記者会見」に於いて、記者団よりあれだけの“こっ酷いバッシング”を受け人生初めて決定的打撃を直に経験し、墓穴を掘らずに済んだはずだ。
 早大が小保方氏の博士論文取消し判断に於いて“猶予期間”を設けた事態に関しては、早大こそがその責任を取るべきだ。
 ところが小保方氏が一時所属したハーバード大学とて科学誌「ネイチャー」とて、既に小保方氏を見放している。 そんな厳しい状況下で、専門力の程が計り知れない早大が一体如何なる責任を取れると言うのか?!
 最後に朝日新聞小熊氏の論評とは趣旨を異にする原左都子の結論を、以下に提示しよう。
 小保方氏のとんでもなく低きレベルの科学者としての資質の欠け具合、及び理研を筆頭とする周囲研究者達の決定的落ち度を考慮した場合、やはりSTAP事件は“必然的に”発生した、我が国科学史に於いて稀に見る「汚点」と評価せざるを得ないであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 さて表題に関してだが、本日(2月11日付)の朝日新聞記事によれば。

 昨日(2月10日)放送倫理・番組向上機構(BPO)は、STAP細胞の研究不正問題を検証した「NHKスペシャル」について、論文を書いた小保方晴子?元理研研究員の名誉を棄損する人権侵害があったと認め、NHKに対し委員会の決定内容を放送するとともに再発防止に努めるよう勧告した、との事だ。
 これに対しNHK側は、「真摯に受け止めると共に、人権侵害はない」と反論している。
 BPO側の言い分としては、NHKの報道に於いて、小保方氏がES細胞を『盗んだ』とする表現に人権侵害があると主張すると共に、取材のやり方が、まるで小保方氏を不正の犯人として追及するような姿勢があった点にも、放送倫理上の問題があったとしている。 その一方、委員9名のうち2人は「放送倫理上の問題はあるが、人権侵害があったとまでは言えない」と公表している。
 これに対するNHKの見解は、特にES細胞を『盗んだ』と表現した事実に関して「客観的な事実を積み上げ表現にも配慮しながら制作・放送した。番組の中の事実関係には誤りはない」と反論している。
 (参考のため、BPOとはNHKと民放が設置した第三者機関のため、委員会の決定は尊重される前提で、決定をどう生かすかは各局の判断に任されている、との事だ。)

 それよりも私が興味深々なのは、小保方氏側が今回のBPO勧告をどう受け止めているか、との点だ。
 これに関しても、朝日新聞記事内に記述がある。 引き続き、以下に引用しよう。
 小保方氏代理人の三木弁護士は、10日報道陣の取材に応じ「NHKスペシャルの放送が私の人生に及ぼした影響は一生消えるものではありません」などとする、小保方氏のコメントを読み上げた。
 さらに三木氏は小保方氏の近況に関して、「精神的ダメージを受けて療養中」と語った。
 小保方氏は2014年12月に理研を退職し、昨年著書出版、雑誌に理研退職後の日々を綴った連載等を発表している。
 (以上、朝日新聞記事より要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 小保方氏の精神的弱さに改めて落胆し、呆然とさせられる。

 いやもちろん科学者と一言で表現しても、人それぞれ千差万別なのだろうが……
 何故いつもまでもいつまでも、小保方氏は弁護士三木氏に依存する人生を歩み続けているのだろう?? 

 上記NHK番組が取り上げたように、貴女がES細胞を『盗んだ』か否かは二の次としても、それを疑われるがごとく“灰色実験”を繰り返してきた事実は否めないであろう。 そのような“灰色研究室環境下”で貴女が周囲の著名再生細胞研究者達におだてられつつ、実験を繰り返した事は事実だ。
 私に言わせてもらうならば、それを何とも思わず素直に従っただけでも、貴女は所詮 “科学者足り得ない”人物だった。

 貴女はその後、理研に不正研究費返還措置のみで 2014年12月には無罪放免との優遇を受けている。
 その幸運を活かして、何故 「科学者」として蘇るチャンスを自ら立ち上げなかったのか!?
 それをせずして弁護士三木氏に頼り続ける事態が、貴女が“似非科学者” だった事実を証明しているようなものだ。 要するに、貴女は「科学者」としての何らの基盤も自ら築けていなかったのだろう。

 か弱き女性を責めるつもりは毛頭ないが、ノーベル賞レベルの研究をしたと一時世間で取り上げられた若き女性が、これ程までに他力本願に生き続けている現状こそが嘆かわしい……

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何故経営危機の底辺私立大学を公立化せねばならないのか?

2017年02月09日 | 時事論評
 原左都子も公立大学へ通った経験がある。
 30代にして2度目の大学入学を志し無事合格し、大学院修士課程を修了するまでの6年間通学した大学が、首都圏に位置する某公立大学だった。

 手前味噌ながら、当該公立大学に関して少し紹介しよう。
 1882年(明治15年)創設、1949年(昭和24年)に新制大学として発展を遂げた老舗の公立大学だ。
 2015年には、学生数5000人未満の世界大学ランキングで日本2位、世界16位にランクインしている。 文系を含む5000人未満の大学としては、日本1位の地位を誇っている。
 私自身が2,3年前に垣間見た某雑誌の国内全国の“国公立大学ランキング”でも、比較的上位に選出されていた。
 

 近年、経営危機に陥った地方の“私立大学公立化”の動きが相次いでいる様子だ。

 いきなり私見だが、どうもこの動き、(同じく公立大学出身者である身の)私にとっては印象が悪い。
 もちろん、国公立・私立にかかわらず、全ての大学が自らの特質を誇りつつ存在しているのであろうし、何が良くて何が悪いとステレオタイプに結論付けらるはずもないのだが…。


 早速、この動き(私立大学の公立化)に関するネット情報を以下に要約して紹介しよう。
 定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが、各地で相次いでいる。 2016年度からは京都府福知山市の成美大が福知山公立大と改称して再スタートを切ったほか、山口県山陽小野田市の山口東京理科大も公立大に衣替えした。 自治体側が地方創生の拠点となる大学の存続を願ったためで、学費が下がることで志願者が大幅に増えている。 しかし、安易な公立化は将来、自治体に重い財政負担を負わせるうえ、大学間の公正な競争を妨げることにもなりかねない。 日本私立大学協会の小出秀文常務理事は「公立大の在り方が問われている」と疑問の声を上げている。 18歳人口が急減する大学の「2018年問題」を控え、地方の大学はどこへ向かおうとしているのか。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 この動きを受けて、その一例の現状をレポートしているネット情報を発見したため、引き続きその一部を要約して以下に紹介しよう。

 「来年度から学費が安くなる。学生も今より増えるかも」。 山口県山陽小野田市にある山口東京理科大学1年の男子学生は期待する。 学校法人・東京理科大学が運営する同大は、2016年度から山陽小野田市のもとで公立大学法人となる予定になっているからだ。
 同大は工学部のみの単科大。 地元自治体が資金協力する「公私協力」方式で1987年に設立された短大が前身。 95年に4年制となった。
 公立化の背景にあるのは慢性的な定員割れ。 「これまで様々な手を打ってきたが効果がなかった」と同大の学長。 定員は1学年200人。 14年度までの10年間で定員充足率は平均74%にとどまり、累積損失は約86億円に達していた。 このため学校法人・東京理科大は廃校も視野に入れ、公立化による存続を検討するよう昨年7月に山陽小野田市に申し入れた。
 あわてたのは市側。 設立時などに多くの費用を負担した。 人口6万人台の同市にとって学生の存在も大きく、廃校となれば地域経済への打撃が避けられない。 とはいえ公立化も容易ではない。 すでに隣の宇部市に国立の山口大学工学部があり、同じ工学部のみの単科大を公立化するのは理屈が立たない。 県内には薬学部がなかったため、東京理科大の支援を受けながら17年度に薬学部を新設する方針を打ち出し、なんとか公費投入の大義名分をひねり出したのが実情。
 実は、新たに公立大を設置しても自治体の財政がさほど傷むわけではない。 公立大をもつ自治体には必要な経費が地方交付税交付金への積み増しの形で国から拠出されるからだ。 地元選出の有力政治家の後押しなども受けながら、ようやく公立化の合意にこぎつけたのが昨年12月だった。  山口東京理科大は公立化で私学助成金よりも手厚い補助が国から受けられるようになる。 年に約100万円の学費は半分ほどとなる見込み。 15年度の志願者は前年度比4.2倍の1474人、入学者も364人と定員を上回った。
 一般社団法人・公立大学協会によると14年度時点で全国の公立大学は86校。  過去20年間で1.8倍に増えている。

<最近の地方私大の公立化事例>
◆2009年度:・高知工科大学
◆2010年度:・静岡文化芸術大学 ・名桜大学(沖縄県)
◆2012年度:・鳥取環境大学
◆2014年度:・長岡造形大学(新潟県)
◆2016年度(予定):・山口東京理科大学 ・成美大学(京都府)
◆検討中:・新潟産業大学 ・長野大学 ・旭川大学 ・諏訪東京理科大学

 18歳人口がさらに落ち込む「2018年問題」を控え、地方の私大経営は今後ますます厳しくなる。 とはいえ「公立化」が安易な救済策として使われてしまえば、そのツケを納税者に回すことになる。
 人口減少時代に多額の税金を投入してまで公立大を増やす必要があるか。
公立化された私大は、その意義を結果で示す責任がいっそう重く問われることになる。
 
 以上の報道を受けての、ネット記事筆者氏の見解を以下に紹介しよう。
 私立大学公立化後の評価基準を提示するべき。 公費投入により、授業料負担などが軽減されるならば、その大学を卒業し た者が、どのように社会に貢献するか、できるかを評価するシステムがあっても良いのでは。 国立を除く地方公立大学は、基本的には、その大学が存在する地域の経済や文化などに貢献する人材の輩出を目的とすることを、第一義として良い のではと思う。 従って、大学のアウトプットの評価方法は、卒業後の就職・就労数とその相手先および起業家数してもよいのでは。
 就職先を選ぶ自由は卒業する学生本人にあるが、地方企業への就職や、その地域における起業・独立結果などを集約し、他の進路実績との比較や要因分析等も実施し、一定の比率の地域就労目標値を設定し、地域・地場の産・官・学の協働を 強く推し進めるべき。
 ただ、そうした場合、例えば人口数万人レベルの某市が、私立大学を市立大学化するというのは、無理がある。  少なくとも地方における公立大学化は、相当数の人口と周辺都市の人口を擁する都市に限定すべきであり、県立大学ベースであるべき。  当然、条件として県の負担金を相当のレベルで求めるべき故だ。
 ついでに、国立の存在意義とは?   国立大学は、理念としては国家及びグローバル社会レベルで貢献する 人材の輩出機関と位置付けて良いと思う。
 最後に私立大学に関しては、それぞれ独自の理念・目的をまさに私学として持ち、その 実現に取り組むべきだろう。
 (以上、長くなったが“私立大学公立化”に関するネット情報より引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 当エッセイ集バックナンバーに於いて、私は防衛大学卒業生の防衛省への任官拒否者が多くなっている現状に関し、肯定的に捉えている旨のエッセイを綴り公開している。 (よろしければ、2016.3.21公開 「防衛大学卒業生の任官拒否者が多い程、私は世の安泰を感じる」と題するバックナンバーを参照下さい。)
 それは“超特別バージョン”として、ここでは置いておくとしよう。

 それにしてもだ。
 定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動きが活発化している現状を、当該市町村に住む住民の皆様が本心で承知しているのであろうか?
 いや、もしかしたら、我が子が“そこなら入れるかもしれない!” などとのわずかな望みに親は賭けているのであろうか?? そうした場合、公立化すれば学費が半額以下になるし~~。 なる親負担の軽減に安直に親として酔いしれるのだろうか??

 その前に、上記ネット情報内にある、公立・国立・私立の果たすべき役割として掲げられている卒業生人材輩出に関する専門家氏のご意見に関してだが…。
 ごもっとものご意見と一応賛同しようとも、まず“叶わぬ夢”ではないだろうか?
 今の時代、やはり卒業生本人の意思と希望こそを尊重したいものだ。 公立出たからその市町村内で働け??  国立出たら、グローバル社会で貢献するべき??  私立はそれぞれの理念の元で自由にしてよい???

 これぞステレオタイプ過ぎて、失礼ながらせせら笑いたくもなる。 
 現実とは決してそうではなく、むしろ卒業生の学力や特質、自身の希望に沿った進路を描くのが現代の社会では理想と私は心得る。 (私自身がそうして来たし、我が娘もその進路を歩み始めたところだ。)

 そうした場合、“定員割れで経営危機に陥った地方の私立大を地元の自治体が公立化する動き”とは、必ずや破局を迎える!であろうと、私は結論付けたい。

 それは早期にやって来るだろう。 そうなってから当該市町村が“公立化が失敗だった”と嘆きあたふたしたところで、その負担は市町村に住む人々の血税にかかるのだ。

 そもそも、“定員割れで経営危機に陥った地方の私立大” など、在校生を卒業させた暁には入学者募集を取り止め、とっとと破産宣告してこの世から去るべきと考える私だが。

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国は沖縄県民を日本国民として扱っていない。

2017年02月06日 | 時事論評
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画が浮上してから21年。

 本日2月6日朝、名護市辺野古の沿岸部で普天間代替施設の建設に向けた海上工事が始まった。
 反対派の市民たちは憤りの声を上げて警官ともみ合いになり、現場周辺は騒然とした。
 現場海域には5日から作業船や台船が停泊。 移設予定地の陸側、米軍キャンプ・シュワブのゲート前には6日早朝から反対派の市民ら約100人が集まり、工事開始に抗議する集会を開いた。
 現場が騒然となったのは午前9時半過ぎ。ダンプカー4台が姿を見せると、市民らは車両の基地進入を防ごうとゲート前に座り込んだ。 それを機動隊員が数人がかりで抱え上げ、強制的に排除した。「離せ」「暴力やめろ」。抱え上げられた人たちは声を張り上げ、緊迫した雰囲気となった。
 (以上、ネット報道より引用したもの。)


 今回のエッセイ表題 「(国は)沖縄県民を日本国民として扱っていない」なる言葉は、上記抗議集会に参加した稲嶺進名護市市長が発した怒りの声である。 
 先程、昼のNHKニュースにて見聞したばかりだ。


 引き続き、別のネット情報の一部を引用しよう。
 
 沖縄の美しい海を埋め立てて巨大な米軍基地を造るための工事がまた一歩、前へと進んだ。
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に向け、政府が6日、初めて海上工事に着手。
 まだ真っ暗な午前6時前、前夜の雨もあり肌寒いキャンプ・シュワブゲート前に続々と移設反対派が集結。「これ以上工事を進めないためには、作業員を中に入れないという抵抗をせざるを得ない」。約150人が「辺野古新基地NO」「辺野古埋立阻止」などと書かれたプラカードを掲げるなどして抗議の声をあげた。
 同県南風原町の男性(63)は「市民の意思を今日示さなければ、政府の意向を沖縄が黙認したことになる。民意を無視しようとも、県民の意思は揺るがない」と語気を強めた。
 午前8時15分、作業員が乗った乗用車が到着。 作業現場に向かうためキャンプ内へ進入しようとしたが、反対派は入り口前に座り込んだ。 すると沖縄県警の機動隊が隊列を組んで阻みながら、隣接する出口の方から工事車両を通した。反対派からは「きちんと手順を踏め」と怒号が飛んだ。
 「帰れ!帰れ!」反対派はゲート前で腕を組んで壁を作り声を張り上げた。 一進一退のせめぎ合いの末、午前10時半ごろ、足止めとなっていた車両がキャンプの方へ。 機動隊は約80人を次々に排除。腕をつかまれた高齢の男性は「県警は県民とアメリカとどっちが大事なんだ」と叫んだ。
 ゲート前には、辺野古への移設阻止を訴えるため翁長雄志知事と稲嶺進・名護市長も駆けつけた。「アメリカでも、沖縄の置かれている状況はよく聞いてもらえたと思っている。 全く無視し続けるのは日本政府だ。 訪米中に防衛大臣が『辺野古が唯一の解決策』との見解を示すなど、恥も外聞もない」と怒りをあらわにしていた。
 (引き続き、ネット情報を引用したもの。)


 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、私は幾度か米軍沖縄基地移転問題をテーマに取り上げている。

 一つ思い出すのは、「いっそ東京・永田町に米軍基地を沖縄から移転せよ!」と主張したエッセイだ。 (娘が当時未だ高校生だった記憶があるため、おそらく数年前に公開したバックナンバーだろう。) そのバックナンバーを探したのだが残念ながら自力で発見する事が叶わなかったため、このエッセイに関して思い出すままに反復すると…
 当該エッセイには、様々なご意見を頂戴した。 「冗談でしょ。 そりゃ無理だ。」 「米軍基地は沖縄という位置にあってこそ日米安保条約を遂行可能だ。」等々……

 ただ、私は冗談や酔狂でこのエッセイを公開したつもりは毛頭無い。
 (表題に掲げた名護市稲峰市長のご発言通り)、沖縄県民とて日本国民である事実をもっと国民皆が(たとえ想像力内でも)実体験として理解するべきだ。
 ましてや、沖縄の皆さんに長年課し続けている米軍基地を抱える危険性及び重圧、そして心の痛みを、国家政権こそが我が事として受け入れるためにも本気で永田町に移転するべき! と発信したくもなったのだ。
 東京都民である私自身も、沖縄の皆さん同様の痛みを味わう覚悟を決めてこそ、本気で米軍基地問題を語れるであろうとも考えた結果だ。


 近年の例を挙げれば、2015.10.29公開 「沖縄県民民意を踏みにじる辺野古埋め立て強行着工」 とのバックナンバーも公開している。

 以下に、その一部を反復させて頂こう。
 もしもこの先、現沖縄県知事であられる翁長雄志氏が「米軍普天間飛行場辺野古移設計画」を白紙に戻すとの快挙を成し遂げられたなら、私は是非とも翁長氏を“ノーベル平和賞”候補者として推奨したい思いだ。
 それ程までに翁長氏知事就任以降の「辺野古移転阻止」に向けた精力的な闘いぶりに賛同申し上げつつ、陰ながら応援させていただいている。
 初当選を決めた翁長氏は「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」と述べた。  そして、辺野古工事を強行している安倍政権に対して、沖縄の民意をぶつけるということだ。今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の初めての判断になる。だからこそ結果をしっかりと出す必要がある。 私たちは「オール沖縄」とよく言っているが、「イデオロギーよりもアイデンティティーが大切」ということだ。
 私(翁長知事)からすれば、日本全体で0・6%しかない沖縄に米軍基地を押し付けておいて、抑止力も何もないと思う。日本国民全体で守って初めて抑止力が働くのであって、「日本国全体で守る」という素地をつくっておかないと、抑止力にならないと思うし、日本国の決意は見えない。このままでは沖縄戦の70年前と同じだ。 (以上、ネット情報より翁長雄志氏のポリシーの程を紹介したもの。)
 原左都子の私論でまとめよう。 
 翁長氏の素晴らしところは選挙前の公約通り、この1年足らずの間にご自身の身の危険をも顧みず「辺野古移設取消」に向け、出来得る限りの行動を起こされた事実だ。
 安倍政権が国民の民意を無視して「安保法案」を無理やり強行採決させたと言えども、未だ当該法案は“施行”には至っていないと私は理解し、今のところそれが救いと考えている。 それにしても本日(2015年10月29日)、政府が沖縄県民の民意を無視して辺野古埋め立てに向け工事を着工したのは事実だ。
 この事態に対し翁長知事は、以下のように反論されている。 「はなはだ遺憾で断じて容認できない。 国が代執行等の手続きで司法判断を問うならば、判決が出るまで作業を開始するべきでない。」
 まさに、翁長氏のおっしゃる通りだ。   日本は法治国家であるはずだ。  安倍政権内には、それを安倍氏に正せる学識経験者が一人として存在しないのか!?   それとも、何故それ程までに安倍政権が米国迎合にこだわるのだ??
 安倍政権が無理やり強行採決に持ちこんだ安保法が“施行”される前に、少し腰を落ち着けて法治国家のあり方を自らが今一度問い直すべきだろう。 
 そして、特に国家の歪んだイデオロギーの下長年翻弄され続けて来た沖縄県民のアイデンティティこそを今後尊重するべく行動するべきだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2015.10.29公開エッセイより、一部を要約引用したもの。)


 上記エッセイ公開から2年半程の年月が流れ、米国はトランプ共和党政権に移り変わった。

 沖縄県知事翁長氏がつい最近米国を訪問したものの、トランプ政権要人との会合は果たせなかったとの報道だ。 そうだとしても、翁長氏の感覚としては日本国家の沖縄を“ないがしろ”にした沖縄対応よりも、米国の反応の方こそが沖縄に好意的だったとの情報もある。

 そんな状況下での、本日(2月6日)朝の名護市辺野古沿岸部での普天間代替施設の建設に向けた海上工事開始との国家の対応。
 私に言わせてもらうと、まるで “ヤクザもどき” の手法だ。
 何故、安倍政権はそれ程までに沖縄県民をいたぶりたいのか?!?
 おそらく翁長知事が米国要人との会合が叶わなかった事実を速報で知り、“今こそだ!” と事を焦ったのではあるまいか?

 それにしても、超右翼稲田防衛大臣のあの “無表情ぶり” の不気味さ(政治家として実際如何程の能力があるのやら?? 結局それが一切無いからこそ、安倍氏に操られるままに右翼を演じ防衛大臣の地位を死守し続けるしか自らの身の保証が無いのだろう、と私は推測しているが…)や、 菅官房長官の “自己ポリシー無き単なるメッセンジャーぶり” をテレビニュースで見せられるにつけ、安倍政権の国民に対する“愛情の無さ”を実感させられる日々だ。

 沖縄県の皆様、超々微力ながらも私は今後も沖縄からの米軍基地全面移転を応援し続けます。
 どうか翁長知事や稲峰市長の下、少しでも辺野古移転阻止に向けて良き結果を導かれますように。

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肺癌疑いを放置したとの医療ミスが報道されているが……

2017年02月04日 | 健康・医療・介護
 「癌」と一言で表現すれども医学が目覚ましく発展進化を遂げた今尚、 「(最善の医療行為を尽くせば)命が助かる癌」 と 「(それを施して尚)助からない癌」 が存在している現状と、元医学関係者の私は捉えている。


 原左都子自身も癌を経験している身だ。
 その経験を以下に振り返らせて頂こう。

 今から遡る事21年前、我が40歳時の事だ。
 多少の事情を抱えて産まれた娘が2歳になり未だ発語が出ないと親として気をもみ始めていたその時、私の頭頂部に元々存在していた“できもの”が、どんどん大きくなっていくのを私は認識していた。

 この“できもの”に関してだが、31歳時のある日突然、頭頂部に出没した。 髪の毛に隠れて合わせ鏡でも見えないものの、手探りで直径約1cm程だった。 触れると固くてその部分の皮膚が突っ張る感覚はあるものの、痛くも痒くもない。 (一体何なのだろう??)との不気味さはあったのだが、学業と仕事と享楽と日々多忙を極める身にして、(まず心配はないし、2,3日で消えるだろう)と結論付け、放置する事とした。
 その後半年経過しても、“できもの”はそのままの形で我が頭に存在し続けた。 大学の集団検診時、私は初めて医師との問診時にその“できもの”に関して質問した。  若き医師(我が30代の所属大学に医学部が併設していたため、おそらく附属病院の若手医師が大学の検診を担当したものと推測する。)の回答とは、「おそらく“粉瘤”でしょう。 心配はないと思いますが、もしも形が崩れたり、大きくなったり、何個も出来始める等々変化があれば、直ぐに皮膚科を受診して下さい。」  私もそれぞ模範解答!と同意した。

 さてその後8年程の月日が流れ、私は晩婚後に娘を出産した。 まだサリバン業には着手していない時期だが、何事にも手のかかる娘に翻弄されつつ、我が脳裏の片隅には、出産後より頭の“できもの”が徐々に大きくなっているような嫌な感覚が蔓延っていた。
 そして娘が2歳になった頃には、その“できもの”の大きくなり様が尋常ではない実感もあった。
 ところが、母の立場としては娘の成長の遅さこそがずっと大きな課題だ。 まずは、その対策を練った後に、亭主に我が頭の“できもの”について話そうと決心した。
 その後、娘に対する医師よりの“発達の遅れ”及び“今後の指導方針”に関する診断及びアドバイスが下り、その指導方針に従って我がサリバン業を開始する段取りと相成った。

 そこで私は初めて亭主及び親族に、頭に“できもの”が元々あってそれが大きくなっているから病院を受診する旨を伝えた。 
 実はその時既に、我が“できもの”が「悪性」化しているのであろう予感はあった。
 ただそれを親族には伝えなかったところ、医学の心得が一切無い親族皆が口をそろえて「大した事はないよ」と言ってくれたのに助けられる思いだった。
 ところが、結果とは無常だ。  組織診の結果、我が頭の“できもの”は「悪性」、すなわち「皮膚癌」の診断が下り、私は即刻入院手術と相成った。
 (その後の成り行きに関しては、本エッセイ集開設当初のバックナンバー「癌は突然やって来る」に於いて記載しておりますので、よろしければご参照下さい。) 

 そんな経験がある私は、今に至って“ある思い”が脳裏をかすめる。
 もしもあの時、私が病院受診しなかったとしたら、今私はどうなっているのだろうか?
 意外や意外、そのまま放置しておいてもいずれ自然治癒したかもしれないのか??? その種の思考も無くはない。  
 それよりも何よりも、やはり自己の体内に不気味な“できもの”が突如として現れ、それがゾンビのごとく増殖して大きくなっていく事態とは、ご経験の無い皆様の想像以上に恐怖心を煽られる出来事なのだ。
 私の場合、そのゾンビ状態が体表面の皮膚に出没した事に助けられたのだろう。 だからこそ早期にそれが「悪性」である(悪性化している)事実に気付く事が叶ったとも言えよう。
 そうではなく、体内に発生した癌に関しては、特に医学経験の無い皆様には永遠に計り知れない病状であろう。


 話題を変えよう。

 肺癌の疑いがあるにもかかわらず1年間放置されていた医療ミスに関する報道を、先だってテレビニュースにて見聞した。
 その医療ミス事件を受けて、ネットで発見した関連情報を要約して紹介しよう。

 病院の検査で異常が見つかりながらも、結果が患者に伝えられずに適切な治療を受けられなにかった例は過去にもたびたび起きている。
 名古屋大学医学部付属病院(名古屋市)は昨年12月、肺癌の疑いがあると指摘された検査結果を主治医が確認しなかったため、80代の女性が3年にわたって放置されていたと発表。 治療が遅れた女性は死亡した。  同大病院は昨年9月にも、肺の画像診断で肺癌を見つけたとの情報が担当医に伝わらず、50代の男性患者が約2年後に死亡したと発表したばかり。 平成20年にも、口腔癌の疑いがあると診断した30代患者を約3年間放置していたことを公表している。
 医療事故に詳しい「医療過誤原告の会」の宮脇正和会長は「今回、慈恵医大病院は自ら見落としがあったことを患者に説明し謝罪したが、同様のミスは全国の大病院で起きているだろう」と語る。
 相次ぐ伝達ミスに、名古屋大病院は院内で患者の情報を共有できるようなシステムの導入など再発防止策を検討中。 
 今回、肺がんの所見が放置された男性の妻=当時(51)=は15年、都内の別の大学病院で点滴用カテーテルを誤挿入されその後死亡。 男性は病院側の責任を求め提訴し、和解後も大学病院の医療安全をめざして活動していた。 「伝達ミスを防ぐには、個人の頑張りでは限界がある。大学病院など大規模な病院がシステムの改善など再発防止策を共有していくことが必要だ」と話している。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 冒頭に記した通り、一言で「癌」と表現しようが、その病態とは千差万別であるのが実態であろう。

 医療行為を施さねば必ずや死に至る癌もあれば、(これは一部の情報であり臨床的に確立した概念ではないであろうことを明示した上で)放置しておいても治る癌もあると、私は認識している。

 むしろ医療業界及びその関連団体が「検診利益」を上げんとするばかりに、無駄な検診を毎年国民に強制して健保収入をぼったくろうといている事実も否めないと私は捉えている。

 そんな医療を取り巻く現実下で、発生し続ける医療ミスの現状。
 これに関しては政府と医療業界の癒着以前の問題として、医療界の患者に対する姿勢を改善するべき基本的課題である事には間違いない。

 私が過去に経験した癌の場合、癌そのものに関して一切の痛みが無かった事に始終助けられたものだ。(一番辛かったのは、術後の抗癌剤投与による発熱・脱毛等々の身体衰弱の有様だった……

 そうではなく特に痛みを伴う癌の場合、その痛みから患者氏を解放してあげる目的のみでも、決して医療ミスを繰り返してはならないと結論付けたい。

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Wednesday Night Disco Fever !! ♪♪

2017年02月02日 | 音楽
 昨日、私は都心のクラブ(ディスコ)でディスコナイトをfever して来た。  


 何がどうしてこういういきさつになったのかを説明しよう。

 前回公開のエッセイで、「孤独死」を取り上げた。
 私自身は既に「孤独死」を受け入れる覚悟が出来ている旨の私見を述べた内容だ。

 それはよしとして、それに先立ち死に至るまでのまだまだ長き人生を、今まで通りにポリシーを持って生き抜かねばならない。
 私の場合元々自我が強い人間であり、自分なりの生き様を描き行動に移す事はおそらく得意な方であろう。
 ただ年齢を重ねる毎に、それを実際実行するのを躊躇せねばならない課題を外的要因や内的意思で背負ったりもするのが、高齢域に到達せんとする者の宿命でもあるように感じている。

 年明け頃から、そんな漠然とした課題を如何に処理しつつ周囲と軋轢無く暮らすか、などと心の奥の部分で考えたりもしていた。


 2月と言えば、税務確定申告が始まる季節だ。
 数年前より義母の不動産貸付業を含めた税務青色申告を代行している私にとって、この時期はその集大成の時期でもある。 1月に入った頃から、1年間収集した各種領収証の仕訳をし雑費等々の集計計算に入る。 不動産物件の減価償却費を計算し直したり年間の貸付収支をまとめると同時に、義母の年金額や医療費等々各種控除額の確認もせねばならない。 

 今年はラッキーな事に、その青色申告の指定日が2月1日(昨日だったが)と早かった。 (私は、やるべき事を早く片付けたい気質なのだが。)
 義母の青色申告代行は正直言って鬱陶しくもあるが、反面、それが終了すると大いなる開放感が得られるとのプラス面もある。
 そうだ! 今年は早い時期に義母の青色申告が終了するし、これをやり遂げたら私なりの“ブレイク”をさせてもらおうか!、と虎視眈々と狙っていた。


 それは同時に今後孤独死に至るまでの長き期間、私が如何に自己実現しつつ生きるのかの“トライアル”の意味合いもあった。
 と言うのも、私の場合義務を果たす責任観念は人一倍強いものの、反面、自分が真に楽しめる事を実行出来ているのか??  なる問いかけが我が内心にあるのを認めざるを得ない故だ。

 私自身が真に楽しめる事。  あれこれと考えを巡らせた結果、一番に思い浮かんだのが音楽分野である。 そのうち私が心底精根傾けられるのはおそらく「歌」と「ダンス」だ。(何分基本的に “自分がやりたい人種” だ。)   歌に関しては既に1ヶ月に一度くらいは一人、あるいは娘を引き連れてカラオケ通いをしている。 ダンスに関してもジムや自宅にて単独で踊ることはままあるが、その実行手段にどうも欲求不満が募っていた。


 そうだ、ディスコへ行こう!  との結論を導くには時間がかからない私だった。 
 早速ネットにて、都心のディスコ(現在ではクラブと名を変えているが)を検索したところ、自宅からメトロ直行で行ける場所に、週1度 “70年代ディスコを含めたクラシックデイ” を設けているクラブを発見した。
 ただそうだとしても、何せ昔ディスコへ通い詰めた私も既にそれを卒業して後30数年の年月が流れている。 しかも、上記クラブのネット映像が、まるで80年代のジュリアナ時代の映像だった。

 これだけは勘弁して欲しいものだ。 私が何故ディスコ通いを卒業出来たのかと言えば、あの80年代のジュリアナ時代は我が目標とするダンスとは程遠かった故だ。 ただただゲロ混み芋洗い状態で女子が集結し身体露出を極限まで施し、ただただ集団で流された他力本願ディスコ事態と総括出来るのではあるまいか?

 そんな私は冷静に考えた。
 あのジュリアナ時代から既に30数年。 いくらクラブ経営者側がジュリアナ時代を真似て“ボロ儲け”を志そうが、時代の流れがそれを塞き止めているであろう事くらいは重々想像が付く。


 そして昨日(2月1日)私は義母の税務青色申告を終えた直後に、単身で当該クラブへと足を運んだ。

 おそらく、特に開店後早い時間帯は店舗内は空いているだろうと予想した。 開店直後にクラブへ出向き、とにかく空いている内に踊りまくって帰宅しよう! と計画した。 そのため、踊り易い衣装(いつもジムで利用しているウェアを少しおシャレにした感じ)にヒールが高めの運動靴スタイルで、颯爽とクラブへ出かけた。

 案の上(まさに“案の上”過ぎて少し落胆した程だが)、開店時間少し過ぎた時間帯に入店したところ、私が一番客だった。  その後ロッカーに荷物を預けるのを手間取った私だが、やっとダンスステージフロアへと移動した。
 2ドリンクフリーシステムとの事で、とりあえずバーにて「モスコーミュール」を注文する。 これも案の定(飲兵衛の私の味覚には)酒とは言えず “まずいジュース”感覚なのだが、有り難くいただこう。

 ダンスフロアーでは、生ぬるい音楽しか流れていないのも客がいないせいであろう。
 元々1時間程で帰りたい希望だった私は、その生ぬるい音楽でフロアーに出で踊り始めた。
 20分程テキトーに踊っていると、やっと客が来店し始めた。 私が踊っているのを見た顧客が、フロアーに出て踊り始める。 そうしたところやっとDJが70年代ディスコサウンドの一つ “クール&ギャング” を流し始めた。 そこで私なりに本気で踊っているとダンスフロアーには客が増え始めて来た。
 このクラブは、これからが本番なのだろう。 と思いつつ、もう一杯「シンガポールスリング」を注文した後、次なる70年代サウンドに期待したのだが、どうやらDJ自身がさほど70年代サウンドを心得ていない事と推し量った。
 時間はちょうど、19時。  私は帰宅の途についた。

 
 最後に、昨夜のディスコ(クラブ)訪問印象を私なりに総括しよう。

 いやいや、私にとっては最高の Disco Fever 懐古だったとも言えよう。
 今回の我が目的は果たせた印象すらあり、今後も機会があれば当該クラブへ訪れたく思っている。
 
 それと同時に、時代の変遷も痛感させられた気もする。
 今時、まさか80年代ジュリアナ時代を再現せんと志す経営者など存在し得ないであろう事実と並行して、顧客層のクラブに対する要望も私の想像を超えて多様化している事実を思い知った。

 それでいいんじゃないの?  と結論付けつつも……
 娯楽業を支える文化事業体ほど、容易にこの世を渡れないのであろう事実も痛感した気もする。

 それでも、私が踊りたい思いも永遠なのだろう。
 おそらく昨日行ったクラブを近日再び訪れるであろう私が想像できる事実が、嬉しくもある。

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“孤独死”が怖い人とはそもそも他力本願志向者じゃないか?

2017年01月30日 | 時事論評
 この原左都子など長かった独身時代より、人間とは一人で生きて一人で死んでいくもの、と信じて疑っていなかった。

 その思考は晩婚後も変わらない。 と言うよりも、変わり様が無い現実だ。
 何故ならば、親族の皆が私の世話・介護に期待する一方、誰一人として私の老後の面倒を看てくれる気など毛頭無い事が歴然としているからだ。 
 (参考のため、若干の事情を抱えている娘には、“私は100歳超まで生きるから、母娘でずっと仲良くしようね。” と時々冗談交じりで話したりする。 少し切実な課題であるが、本心で娘をこの世に残したままサリバンの私は死に切れない。)

 いや、実際万が一、私が若死にしにそうになったら親族の皆はどうする気なのだろう??
 ところがこれまた親族の誰もが、私はいつもピンピンしていてずっと元気なものと信じて疑っていない有様だ。
 ある時亭主に聞いてみた事がある。 「もしも私が重い病に倒れ若死にしたらどうする?」 そうしたところすかさず、「〇子が病気する訳がないよ」  反論して私曰く、「でも事故死なども考えられるよ」  亭主曰く、「〇子の場合せいぜい骨折程度だよ。最悪の場合でも何か月か入院したら退院できるよ。」

 いやまあ、それ程までに私がいつまでも元気で家族のために働き続けると信じてもらえている事実とは、有り難い話であろう。


 そんな私は、近しい人を“孤独死”で2人亡くしている。
 その一人は実父だが、60代の若さで急性心筋梗塞で突然死した。 父の場合、決して孤独死ではないのだが、自宅で苦しんでいるのを母が発見した時には既に手遅れ状態で、一人であの世へ旅立ったようなものだ。
 あるいは我が生涯に於ける唯一と言える腹心の友も、やはり60代で一人暮らしの自宅にてくも膜下出血にて孤独死した。 ちょうど4年前の出来事だ。  彼女の場合は、正真正銘の“孤独死”だった。 死後ご親族が発見するまでにある程度の日数が経過していたとの事で、その後葬儀を済ませた後に、生前親しかった私に連絡を頂戴した。

 それらの経験がある私は、“孤独死”とは他人事でない感覚を必然的に脳裏に描いている。
 行く行く私は孤独死を遂げる運命にあろう。 その際に、死後なるべく周囲へ迷惑を掛けない体制を整えておくべきと日々考えている。


 さて、朝日新聞1月18日付別刷「be」 “between” のテーマは、「孤独死はひとごとでない?」だった。

 当然ながら、原左都子の回答は「いいえ」である。
 その理由とは上記に記した通り、人生の最後に及んでも自己単独責任で死をまっとうしたい故だ。 そのため孤独死を我が事として捉えていて、特段恐れていないという意味で「いいえ」と応えよう。

 朝日新聞の回答によると、私と同じく「いいえ」と回答したのは30%。 その他70%は、孤独死を我が事として恐れおののいている様子だ。
 
 ところがこの記事をよく読むと、「いいえ」と回答した少数派30%の人々のご意見が我が思考と大幅に食い違う事に愕然とさせられる。
 要するに、“孤独死など他人事”と考える読者のほぼすべてが「死に際に助けてくれる人物が身近にいる」故、と結論付けられそうだ。

 ははあ、要するにこの設問の回答者とは未だ若き世代が多いのかもしれない。
 あるいは高齢域に達している身で、ご自身の親族等々身内のどなたかが自分の死を看取ってくれると信じ疑っていない“ノーテンキ人種”がこの世に蔓延っている証拠か??
 
 となると、むしろ当該設問に「はい」と応えた多数派こそが自分の未来を直視出来ているとも捉えられよう。


 当該朝日新聞記事は、一般的に「孤独」とされている概念にも議論を展開している。
 それを以下に要約して紹介しよう。
 
 誰にも看取られる事無く息を引き取り、一定期間発見されない孤独死。 高齢化、核家族化が進む中、「ひとごとでなない」と思う人が増えている。 不安の声が寄せられる中、「望むところだ」「良くないものとして捉えるのはどうか」という声も。 自分の望み通りに死にたいと願う人は多いようだ。
 平成28年版「高齢者社会白書」では、孤独死を「誰にも看取られることなく亡くなった後に発見される死」としている。 「おひとりさま」は増え、日本人男性の生涯未婚率が2035年で29%になると推定する。
 そんな中、「孤独死が悪として取り上げられる理由はない」との意見もある。 「孤独死が悪ならば、高齢者独居者でそのリスクが高い人達全員を施設へ入れないといけなくなる」 「死を看取られるから幸せともいえない」 「人生の最後が一人だったことが寂しい事か、悲惨な事か? 少し表現を変えて欲しい気もする」 等々の様々な意見が交錯している。


 最後に、原左都子の結論でまとめよう。

 実父の突然死、あるいは腹心の友の自宅での孤独死……
 様々な辛い経験を身近に重ねて来た私は、自身の死に関しても“孤独死”こそが理想、との腹が据わっている。
 そんな私は(娘以外の)親族皆の死後を看取った後は、孤独死こそを希望したい。
 
 近年に至っても、身内親族や自身の支援者・ファン等を出来る限り集めて自分の葬儀を実行したいとの“勘違い人種”は政界や芸能界に於いて今尚存在し、自身の葬儀を大々的に執り行っている。
 それを実行可能な経済力ある人間は、身勝手に実行すれば済む話なのだろう。

 片や我が身を含めた庶民は、後世に残される者にこそ配慮を成すべきだ。
 そのように結論付けたならば、“孤独死” こそが最高にして最大の死に様ではあるまいか??

 ただし反復するがそれを実行するには、必ずや次世代に自分の死に際に迷惑を及ぼさない配慮を成せる程度の経済力と美学を生前に貫き、伝達しておくべきだろう。

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小池さん、数十年も放置している都道路計画の実行をスピーディに願いたい!

2017年01月28日 | 時事論評
 東京都心に位置する我が義母所有の不動産物件が、東京都道路計画に引っかかっている。

 
 そもそも当該都道路計画が東京都から発表されたのは、数十年前の事だったらしい。 その後、ずっと計画実行はうやむやにされ、「計画凍結」状態が5年程前まで執行され続けた。
 これが、大変。  あくまでも「計画凍結」であり「中止」ではない。 そうするとどういう事態となるかと言えば、道路計画に引っかかった住民に建物“建替え不能措置”が強行されるのだ。

 12,3年程前にどうしても建物建替えを実行したい義母が、今一度東京都道路担当係を訪れ、新築に建て替えられられないか問うたところ、やはり建て替えは不能との事。 ではいつになったら道路計画が再考されるのかと尋ねても、担当者により回答が大幅に異なるとの体たらくの有様。
 やむを得ず義母が取った行動とは、建物大改築だ。 某社の「新築そっくりさん」を利用し大規模改築を実施するのにかかった費用は、スッパリと新築にする費用よりも大幅に高額の数千万円を計上した。

 その後、義母は6年程前に高齢者有料介護施設へ入居し、5年程前より義母の介護保証人を担当している義母の長男夫婦の我々が、当該不動産(賃貸業を営んでいるがそれらもすべて含めて)の管理実務を日々執り行っている。(ほぼそのすべてを私が担当している実情だが…)

 
 4年程前の事だっただろうか、東京都より義母宛に通知が届き、やっとこさ当該道路計画を実行に移すとの発表だ。
 その後全体説明会や個別説明会(すべて我々夫婦が出席)を経て、2年程前より実際の現地土地面積の測量等々、立ち退き準備処理(これも私が現地にて対応)に入った。

 ところがどっこい、当該都道路計画反対派が大多数の現状だ。
 それら反対派の皆様のお気持ちの程は重々理解可能だ。 道路を作るからこの地から出て行くけ! と、東京都より無責任に強制されたところで、代々受け継いで来た地を捨て去り出て行くなど通常易々と受け入れられるはずもない。 しかも数十年前に道路計画を発表しておきながら、無責任にも長期の「計画凍結」をやらかし、その後また急に道路計画を実行すると言い出すいい加減な都政のあり方。

 我が家など例外中の例外だ。  もはや義母は介護施設に入居したし、元々義母と同居していない我々一家も当該地には今後も縁が無い。 後は当地の賃貸物件に住む入居者氏達の同意を得らられば、道路計画に従い立ち退きに同意する事は可能だ。


 ところが、まだまだ課題は盛沢山だ。
 何せ、東京都の対応のすべてが後手後手に回っている。 それは反対派が大多数である事が一番の理由だろうが、それにしても同意派に対する対応もいい加減だ。
 例えば我が家特有の課題として、敷地の半分程が道路計画外となり、その残される地の有効利用を今後考慮せねばならない。 都はその種個々の特殊事情にも積極的に対応すると説明会で宣言しつつ、いちいちこちらから電話で問い合わせをせねば動かない都の体質には変わりない。

 これにしびれを切らせた我が亭主が、東京都に噛み付いた。 残される地を将来活用するため、早期にその計画を立てたい、と。   さすが、直接何度も訴えると都も動くようだ。
 その後、都は残される地の綿密な活用手段の事例を提示して来た。 それによれば、ある程度の高さのビルが建設可能なようだ。(と言うよりも、そもそも当該道路計画の目的の一つに木密地域火災対策があるため、道路沿いの住居は鉄筋3階建以上の建築を強制される。) しかも計画道路が都心の幹線道路の役割を果たすため、商業施設としての活用可能性が高いと。 ただし実際に道路が建設されない状況下では更地で放置するしかなく、とりあえずはせいぜいその更地を駐車場等々で活用するしかない、との返答でもある。

 我が家としては、我々の代で当該道路建設の結論を見たいものだ。
 と言うのも娘の代までずれ込むと、娘にその対応実行力があるのかどうかとの “我が家特有の課題” が残る故だ。
 そのためにも是非とも、東京都には道路計画実行を急いで欲しいのだが…… 


 昨日我が家に訪れた客とは、当該都道路計画に伴う建物調査を実行を担当している民間企業の係員氏だった。
 民間企業の係員氏曰く、「都から委託されている建物調査の委託期間が2月末で切れるため、早急にご自宅へ伺いたい」との事だ。  それならば、との事で、我がスポーツジムトレーニングも取りやめにして、昨日午後に自宅までお越し頂いたという訳だ。

 係員氏の建物物件調査の内容が細部までに及んだ事に、大いに安堵した。
 冒頭にて記した通り、義母所有建物物件は10年程前に“数千万円にも上る”大改築を実施している。 それを「物件評価」に上乗せして貰わない事には、我が家としても納得不能だ。  その辺の事情も十分把握してくれたのが救いだ。 
 ただし、民間企業係員氏も言う。 「今尚反対派が多い現実において、物件調査がままならない状況下にあります。」
 私が応えて、「そうでしょうね。 貴社の物件調査が2月末までに終了しない暁には、都がちまちまとそれを引き継ぐのでしょうかね?? そうなると、道路計画は遅れるばかり。 結局、いつになったら都が道路着工に踏み切れるのか不透明との結論なのでしょうね… 」


 原左都子の結論に入ろう。

 いやはや、東京都であろうが何処であろうが、一旦自己所有不動産が自治体の道路計画になどはまると、地獄をみるものだ。

 小池知事に今一度申し上げたい。
 貴方は昨年夏の都知事選挙公約の一つとして、「都内木密地域道路計画を早急に実行に移す!」と高らかに宣言していた事実を私は記憶している。

 貴女もあらゆる分野でご多忙であられる現状も、一都民として把握申し上げている。

 それでもどうか、特に数十年の年月に渡り道路建設計画を「凍結」状態にしてその地の住民を苦しめ続けた道路計画から優先して、真意に早急に計画実行着手される事に期待申し上げたいものだ。 

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“べっぴんさん(美人)” は得か?

2017年01月27日 | 自己実現
 本日はスポーツジムへ行く予定だったのだが、午後になって急な来客があり行きそびれてしまった。

 そのため少し空き時間が出来たので、軽ノリエッセイでも記して時間潰しをしよう。
 (などと言いつつ、最近の「原左都子エッセイ集」は著者である我が脳の劣化と共に、内容が軟弱化しつつある事実は十分に自覚しております…… )  

 
 朝日新聞1月24日付夕刊記事に、「べっぴんさんって やっぱりお得?」なるコラムがあった。
 今回の表題は、その記事表題をそのままパクったものである。

 その設問に応える形で、読者(?)と思しき3名+1名の女性のご意見が掲載されていた。 以下にそれら一つひとつを紹介しつつ、原左都子の論評を加えよう。

 <その1>  55歳中学校講師氏のご意見から。
 若いうちは美人が得だが、働き出してある程度の年齢になれば買いたいものは自分で買えるし、老いは皆平等にやって来る。 美人は若い頃とギャップがあり過ぎて気の毒かもね。 

 原左都子の論評。
 それは絶対に違う。 決して老いは皆平等にはやって来ない。 まったく別の観点から、老いてこそ人間は美しさを増すものと私は信じこの世を生きて来ているし、今後もそのポリシーの下に生き抜くつもりだ。
 ただ、それには条件がある。 若き時代より如何に自分の人生を自分自身で演出し如何なる努力を積み重ねつつこの世を生き抜くかにより、老いた後の美しさに差が出て当然だろう。

 こんな所で、昨春街でシニア女優にスカウトされた事件を思い出してみよう。
 その後、某化粧品CM出演の最終書類選考に残り、オーディション会場へ行った時の事だ。  私同様街でスカウトされたと思しき熟年女性達が十数名集まっている。 人間観察を得意技とする私は、待ち時間にオーディションに集まった熟年女性達を虎視眈々と観察した。 確かに顔の作りが良かったり、私のように(??)体型に於いてある程度の若さを維持している女性達の集合体であろう事には納得した。 
 ところがどうしたことか、そこに集結したシニア女性達のどなたにも何らの魅力も感じられないのだ。(失礼ながら、いい年をして“そういう事”にしか興味がなさそうな女性陣と表現するべきか…)  要するに街中でスカウトされる女性達とは、あくまでもその外見のみで識別されたに過ぎないという事だ。
 人間の真の美しさとは何か? との原点に立ち戻った場合、面接前よりこんなオーディションに参加した私が愚かだったとの結論しか出ない。 CMに出演する事自体が恥と面接会場で悟った私が、採用される訳もなかった。 

 <その2> 27歳女性のご意見。
 「街コン」に行ったのだが、綺麗な顔をしている女性でも、表情が硬いと男性からあまり声をかけられなかったようだ。 親しみが持てる表情が大事ですよね。 表情美人は得だ。

 原左都子の論評。
 その通り!  若くして素晴らしい事実に気が付きましたね!
 まさに、真の美人とは単に“顔の作りがよい”(これ自体が元々好みが分かれる課題)のではなく、内面から溢れ出る表情こそが相手に訴えるものがある、との論評は我が得意分野だ。 だからこそネットなどで知り合うのではなく、特に若き世代の人々には現世で直に表情豊かに相手と知り合って欲しいものだ。
 ところで「街コン」て何?  それに私も参加したいなあ~~~。

 <その3> 33歳(おそらく美人らしき)女性のご意見。
 メーカーの営業担当のため、見た目は大事と痛感している。 綺麗なだけで会社のPRになる。 ただ、美人だとそれだけで仕事とは関係なく言い寄られることもあるし面倒臭い。
 
 原左都子の論評。
 おおー。そうか、良かったじゃん。 と、とりあえずエールを送りたいものだが、ちょっと待って欲しい気もする。 それ程自分自身が美人であることを自覚しつつ行動する必要もないのではなかろうか?  それって自身が真にやりたいことを実行出来ていない証拠とも結論付けられそうだ。 もしも貴女が自分に課せられた営業分野でバリバリ頑張り始めたならば、きっと貴方の外見的要因のみで言い寄る男も自然に減ると思うよ。

 <その4> 美容ジャーナリスト・エッセイスト氏のご意見。
 今の時代は化粧品も進化して、女性が綺麗になるのがそう難しい事ではなくたった。 普通に美しいのみではもはや得をしない時代かもしれない。 外見の美しさと別の分野で自らの美しさを訴えるのか効果的かも。 本来、美しさのみで得られる幸せとは小さなもの。 外見的美しさのみで人生を変えようなんてしたら失敗する。 生まれつきの美人も、年齢を追うごとに知性とかセンスとかを加えないと、本来の美しさが薄っぺらく見える。 

 原左都子の論評。
 その通りだね。 ただ、そうやって培ってきた美しさを、既に熟年域に達した女性がどうやって世の評価に値するように表面化すればよいのかこそが、困難な課題だと私は思ったりもするよ。
 何分この世に生きる男どもが、その種の視点を一切持っていないのだから。  男達ってあくまでも愚かな生物に過ぎず、本能的に若き女性の美しさに惹かれるのが本音のようだよ。 


 最後に、原左都子の結論で締めくくろう。

 自分自身のブサイク度合いを土俵の外に置き、女の「美人度」を評価したがる男どもが大勢この世に蔓延っている事実を、実に嘆かわしく思う私だ。
 そんな愚かな事態など放っておいて、自分なりの美を追求するに限る!  なる結論が導けそうな気さえして来た。
 
 その上で、“べっぴんさん(美人)は得か?” の結論を導こう。
 自分自身の美人度を自ら見い出せ、それを対人関係に於いて自己表現出来る能力ある女性こそが、“べっぴんさん” なのかもしれない、と思ったりもする。

 参考だが、本来の意味での べっぴん(別嬪・別品)とは、美しい女性のみではなく、特別に良い品物。 との意味合いもある。

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いつから大人になった?

2017年01月25日 | 自己実現
 今回のエッセイは、2本前に公開した「誰が“いい子”で、誰が“悪い子”?」の続編の形となろうか。

 上記のバックナンバーは、現在NHKにて放映中の連続ドラマ「べっぴんさん」を取り上げた内容だが、冒頭から当エッセイの一部を振り返らせて頂こう。
 相変わらず「キアリス」の仕事に翻弄され続けている主人公すみれは、思春期を迎えている娘さくらの深層心理にまったく気付かない。
 片や、自分には構ってくれずあくまで仕事優先の両親に対し心に影を落としつつも、表面的に“いい子”として振る舞うさくらに対し、すみれは「さくらは本当に“いい子”に育ってくれて助かるわ」と褒めつつ、一切の会話の機会を持とうともしない。
 これにとことん心が痛んださくらは、友人に誘われるがままにジャズ喫茶「ヨーソロー」へ出向く。
 この行動が、結果としてさくらの痛んだ心理状態を救う事となる。
 さくらはその場で良き出会いに恵まれる。 特にドラマーの次郎が気に入ったらしきさくらは、次郎が出演するナイトクラブへ綺麗な化粧とドレス姿に変貌して出没する。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2本前のバックナンバーより一部を引用。)


 その後のドラマで、母娘両者間で多少の動きがあった。

 ついに娘さくらは家出を決行し、叔母のゆり宅に身を寄せる。 その間も次郎が気になるさくらはジャズ喫茶「ヨーソロー」へ顔を出し、次郎の上京が実行に移されそうな事を知る。 そしてついに本日の放送では、さくらが “高校(女学校?)を退学して今すぐに東京へ行きたい” 旨をゆりに伝える。

 片や母のすみれ側も、ヨーソローのママ等々と話すうちに、自身の見識の狭さに遅ればせながら気付くのだが、娘さくらに如何に接してよいのか方策が見出せず、未だにさくらと話し合う気になれないでいる。

 そんな折にすみれの口から出たのが、表題の「(自分自身が)いつから大人になったのだろう?」との言葉だ。

 一旦、原左都子の私見に入ろう。

 確かに、人間がいつ大人になるのか? とは難しい論題だ。
 結婚して子供が生まれたから大人になる?、などと短絡的に単純に片付けられる訳もなかろう。
 そして最低限その解答は “人それぞれ” であるべきだし、多様性を孕むものでもあろう。

 ただそういう論題が主人公すみれの脳裏にふと浮かんだ事自体、母として成長できそうな予感がする。 そしてその解答をすみれ自身が模索して初めて、娘さくらの成長とも直に向き合えそうな気もする。

 私の希望としては、(前々回も結論として述べたが)さくらには思い切って次郎を追っかけ上京し、新たな目標に向かい自己実現をして欲しいものだが…
 それにしては、「ヨーソロー」の従業員 かおり(だったかな?)が言う通り、さくらはあらゆる面でポリシーが無さ過ぎる。 親不在の成長期に於いて、一人の時間を有効利用してもっと自分の将来を見つめるべく考え行動しておくべきだったのに、その努力を怠り、適合力に欠けつつも女学校へ惰性で通っているだけだ。 かおり曰く、「上京して暮らすにはお金も要るし、一体どうする気なの? さくらはお嬢さん育ちで考えが甘いよ。」
 実に、かおり発言に100%同感の私だが…… 

 結局、さくらは“お嬢さん”気質を活かし、今後もその分野で生きるしか未来が無いのだろうか??
 今後のドラマの成り行きを見守ろう。


 さて、せっかくNHKドラマより“論評に値するテーマ”を頂いたので、ここで原左都子自身が一体いつ“大人になったのか?” に関して分析してみよう。

 結論から記すと、まだ “道半ば” といったところだろうか?? 

 そうだなあ。 ひとつの転機として、単身上京した事が挙げられそうだ。
 私の場合さくらとは大きく異なり、決して“お嬢さん”人生を歩んでいない。 さくら同様の高校に所属し周囲に“お嬢さん連中”が大勢存在する環境下で、私は虎視眈々と職業人としての未来を目指していた。
 その後、郷里にての学生時代を謳歌した後、私は自らの意思で上京し郷里を去った。
 最初からある程度集中して学業に励み国家資格を取得し専門職社員として民間企業へ就職したとの経歴のため、その職場で真面目に頑張れば経済面では保障されていたようなものだ。
 上京当初はその経済的安定に安穏とキャピキャピはしゃいで過ごしていた時期であり、そういう意味では、決して“大人になった”との表現は相応しくないと自己分析する。

 結婚・出産ねえ。 これも、私にとっては遅ればせながらもあくまでも一つの人生の選択肢の位置付けで執り行ったイベントであるため、これにより「大人になった」との実感は全く無い。


 ただ、一つ言えるのは、私は娘の“子育て”に於いてサリバン先生の立場で全身全霊を傾けたとの自負があるのだ。
 娘を産んで以降23年間の長き年月に渡り、一貫して我が娘の成長を願いつつ最善の行動を取って来た。
 その結果として、曲がりなりにも昨春には娘の社会人としての就業が叶い、今も職場に迷惑をかけつつも日々真面目に仕事に励む娘だ。

 と言う訳で原左都子が大人になれたと感じるのは、娘の教育指導に関して“サリバンとして全力投球出来た事”と結論付けられそうに思うのだが……。

 いえいえ、私には実現出来ていない課題が盛沢山ある。
 その一つとして、娘が近い未来に職場から解雇されるとの予期せぬ非常事態発生も視野に入れ、私が率先して対応せねばならないであろう。

 まだまだ乗り越えねばならない課題が盛沢山の私の場合、未だ大人になり切れない気分だ。

 だが、もしかしたら人生終盤まで切実な課題を抱え、それに対応し続けられる事が可能な人間こそが、最終的に「大人になれる」ような気がしないでもない。

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孤独にならなきゃ、強くなれない。

2017年01月23日 | 自己実現
 表題に掲げた文言は、大相撲初場所で初優勝した稀勢の里関が、つい先ほどメディアインタビューに応えて発した一言である。

 実は今回の「原左都子エッセイ集」は、まったく別分野のテーマで論評を展開する予定だった。

 そんな折に昼のNHKニュースを視聴していていたら、稀勢の里関が興味深いエピソードを話したのだ。
 その内容とは親方に関して訪ねられての回答だった。 
 稀勢の里関曰く、「親方が、“横綱とは孤独な業だ。孤独にならなきゃ強くなれない。” といつも言っていました。」 
 この発言を取り上げたメディアインタビュー側が、「その意味が分かりますか?」 
 稀勢の里関応えて曰く、「いや、まだ分かりません。」

 心に残る一言であるし、まったく同感だ。  
 この言葉を聞くなり、私の脳裏には我が長き独身時代中盤頃(20代後半から30代初頭頃)の光景と心情が蘇った。


 今回のエッセイは私事になるが、そんな我が「孤独」を意識した時代の光景と心情を語らせて頂こう。

 新卒で上京し医学関係民間企業に医学専門職社員として入社し、日々精力的に仕事に励んでいた。
 20代半ば頃より、周囲の女性達の結婚・出産退社が相次いだ。 元々結婚願望が希薄だった私故に、その現象自体は二の次の位置付けだった。 というより正直言って(働く意欲が乏しい女性達に職場に居座られるよりも、退職して職場を去ってもらった方が仕事がし易い)程度に受け止めていた。
 ただ実際問題、余暇の話相手だった女性達が次々と退社していく。 後輩女性達と仲良くしたいなどとの意志も希望もまったく無い私は、自ずと社内単独行動が多くなる。 

 それと同時に、当時(1970年代後半時期)は社会がコンピュータシステム化に向けて驀進し始めた頃だ。
 我が職場でも業務をシステム化するために大きく動いていたが、元々勉強好きの私はこれに飛びついた。
 職場でシステム化に携わる人材を育成するのに便乗した私は、主業である医学業務ももちろんきちんとこなしつつ、情報処理第二種試験を受験したり、英文タイプ2級試験(キーボードを高速打ちするためには不可欠だった。)にチャレンジしたりもした。 (結果のみ記載すると、情報処理試験は惜しくも不合格、英文タイプは合格しその技は現在に至ってパソコン高速打ちに活きている
 そのシステム化に際し、我が部署では私が作成したCOBOLプログラムが何年か作動し業務の一端を支える事と相成った。

 あるいは、肝心の医学分野も歴史的変遷を遂げようとしていた頃だ。 医学がモノクローナル抗体分野、そしてDNA分野へとが大きく移ろい行く時代背景だった。 
 免疫学関連業務に携わっていた私は、免疫学関連各種学会に出席するために全国を飛び回り、当時の免疫学トピックスを発表する諸先生方の追っかけもした。 (本エッセイ集2007年バックナンバー「self or not self」にその詳細を記述しておりますので、ご興味がございましたらご覧下さい。)

 そのように意欲的に業務に励み続ける私は、(自然の成り行きだったと考察するのだが)若輩27歳にして職場の係長に任命された。
 とにかく専門力こそが一番に要求されねばならない職業分野だ。 我が判断としては私が職場長に任命されて当然と受け止めていた。(と言うのも、周囲を見渡すと、私以上に専門力を上げようと精進している社員は皆無だったと断言できる故だ。 男性社員含め、自分の私的生活を優先したい人物で溢れていた印象がある。)

 ただ、部下からの反発にも遭った。
 「貴方の独裁的手法が嫌いだ!」と女性部下から直言され、「民間企業とは営利を追求せねばならない使命があり、学校のように“仲良しクラブ”ばかりはやっていられない」と反論した事実も、当エッセイ集バックナンバーにて公開済みだ。 

 いえいえ、だから私が孤独に陥ったという事では決してない。
 我が悩みは、もっとずっと根底に存在した。
 そもそも集団迎合意思に欠ける私だ。
 このまま民間企業で職場長をするとして、私が継続して頑張り続けた暁には、行く行く営利企業集団をもっと上位で統制せねばならぬ立場になることは目に見えている。
 それが私が真に目指す方向か?!? それは絶対に違う!なる思想が我が脳裏を漂い続けていた。

 そして私が選択したのは、当該民間企業を退職するとの事実だった。
 「逃げた!?」とのご意見もあろう。

 ただ、私自身の判断としては若き時代に孤独から「逃げた」のではなく、もっとずっと高位の「孤独」と闘って自己を更に発展させるべき! との自らを戒めつつの次なる未来に続く希望だったと今一度宣言したいのだ。

 その後別分野にて学業に励み、当該分野でもある程度は世の役に立ち、現在も引き続き活躍出来ていると自負している私だ。

 おそらく私自身は「孤独」とは無関係であろうと思ったりもする。

 そんな意地っ張りの私にも、将来に関する孤独の不安は少しある。
 ただそれは高齢域に達しようとする人達皆に共通する不安題材であろうと認識しつつ、今後も「孤独」を味方に付けながらこの世を生き抜きたいものだ!

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