原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、
自己のオピニオンを綴り公開します。

生命体を育む喜びと住民の苦悩

2017年04月25日 | 時事論評
 (写真は、私の自宅がある集合住宅南側道路を挟んで前面に今冬設営された「区民農園」。)


 我が家の南側に程近い土地が都主要道路計画地に指定されている事は、本エッセイ集バックナンバーにも記した事がある。

 当該都道路計画は、十数年前に我が家が現在の集合住宅物件に買替購入したずっと以前より存在していたようだ。 そのため物件売買契約に当たり重要事項説明書にもその旨が明記されていたし、販売営業担当者も繰り返しそれを伝えてくれた上で我が家は契約締結に至っている。

 ところが何処の道路計画も同様なのだろうが、この計画がいつまでも“宙ぶらりん状態”でほとんど進展しないのだ。
 おそらく道路計画反対派市民が多い実情なのだろう。 我が視察及び推測に寄れば、道路計画に賛同する該当物件より取り崩しを着手しているようだ。 計画地の所々に既に建物が撤去され空き地になっている箇所がある一方で、反対派住民はこの地にそのまま住み続けている様子だ。
 まったくもって一旦自己所有物件が道路計画などに運悪く引っかかったものならば、賛同派、反対派にかかわらず長年に渡り理不尽にも不自由な扱いを強いられるものだ。


 写真の「区民農園」の前身は、都心にして珍しく「農地」だった。 土地所有農家が昨年まで野菜中心の農作物を細々と育てていた様子だ。
 これまた我が憶測だが、都道路計画に一部がかかっているこの土地の転売を都から禁止されていたのか、あるいは片隅が道路計画に引っかかっている土地など誰も購入しなかったのであろう。

 事態が急変したのは、昨年末の事だ。
 私が住む自治体である都内23某区より、「区民農園のオーナー募集」のチラシが自宅ポストに投函された。  それを見ると、まさに我が家の目の前の農地を区民農園にするとの事のようだ。
 要するに、やっとこの地を区が農家から買い取ったのであろう。 そしておそらく道路計画が実行に移される事が決定した暁には区が自らの施設でも建設するか、あるいは転売しようとの魂胆と憶測する。


 さて、このチラシをみた我が亭主が目を輝かせながら、「僕がその一角のオーナーになる!!」と言い始めるではないか!
 これは大変!  “根がお気軽かつ新しもの好きミーハー三日坊主”で名高い我が亭主が、その“生業”を全う出来るすべもない。
 私応えて、「ちょっと勘弁してよ。 やるなら一人でやって。途中でギブアップして私にバトンタッチと言われても引き継がないよ!!」と捨て台詞を吐くしかない。

 それでも亭主未練タラタラ状態の中、幸いにもすぐさま「区民農園募集」は応募総数に達したようだ。


 さてさて年が明けた今冬、「区民農園」は開園した。
 まだ真冬の厳寒の下、少しずつ区民農園のオーナー達がやって来る。 この様子を日々ベランダから興味深く見学している私だが…。

 驚かされたのは、農作業の大変さだ!  区民農園オーナー皆様の働きぶりが凄いのだ!!
 狭い区画農園とは言えども、まず皆さん土を耕すところから取り掛かる。 凄い人は、地下1,5m程まで掘り下げている。 (えっ? こんなに深いところまで掘り下げて、まさか死体を埋めるのでは…)  なる私の心配はご無用のようだ。

 どうやら皆さん、農園経験者であろうと推し量るのだが、とにかくその手際の良さは素人には真似が出来ないと私は結論付けた。
 我が軟弱亭主にもその姿を一見させるべきと考えた私は、早速その「農作業」の様子をベランダから亭主にも見学させたのだが…  案の上「こりゃ、無理だ。」とすぐに納得してくれた事に安堵した。


 土地を耕す時期から3,4か月の月日が流れ……

 春の訪れと共に、当該「区民農園」の農作物のそれぞれが成長を遂げている。
 ある区画は色とりどりの綺麗な花が咲き、また別の区画は野菜が青々と育っている。 冬の時期から本格的にハウスを設営した温室栽培の農園では如何なる食材が実っているのだろうか。

 特に春満開になったこの頃は家族総出で「区民農園」に来園する一家も多く、近頃の週末など狭い農園が人出ラッシュ状態だ。 おそらく「区民農園」で育む農産物と共に、ご一家皆が存分に“にわか農場主”として成長されている事であろう。

 その一方で一体いつ、この「都民農園」は都道路計画の実行と共に消え去る運命にあるのだろうか? 
 都政としては道路計画など今まで通り一番後回し政策として放置し、実行に移される日の見通しがつかないものと推測する。

 そんな地域住民の苦闘を知ってか知らずか、いつまで存続するのか見通しがつかない「区民農園」を楽しんでいる区民の姿をベランダから日々垣間見る私だが……。
 今後の道路計画の行く末を懸念しつつ、もしかしたら遠い未来までも共に農園にて育ちゆく生命体の姿を楽しませて頂くはめと相成るのだろうか??

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「幼稚園バスに乗るのが嫌だ!」と毎朝泣き叫ぶ幼児を救いたい

2017年04月24日 | 教育・学校
 私が住む集合住宅南面ベランダ側が、幼稚園バスの停留所となっている。

 4月の新学期が始まった2、3週間程前からだろうか。
 毎朝午前9時15分頃より、幼稚園バス停留所から幼児の泣き叫ぶ声が我が家の室内までけたたましく響き渡る。
 「幼稚園バスに乗るのが嫌だ!」「幼稚園へ行かない!」 「ママが好きだ!」 「ママがいい! ママと一緒にいる!!」
 そんな幼児の“命からがら”の訴えを完全無視して、幼稚園バスはママから幼児を引き剥がしバス内に強制収容して連れ去っていく……

 この"惨たらしい”までの仕打ち” に耐え切れず、私は日々幼児と共に涙している。
 そして、今日こそ下の停留所へ行って幼児を救おう! と決断しかけては、「他人が出過ぎた真似をしてはならないよなあ…」と思い直し諦める日々だ。


 物心ついて間もないかと思しき幼児相手に日々こんな惨劇を繰り返していると、幼児の人格を歪め後々までトラウマとなってしまいやしないか…。
 と、本気で頭を悩ませる私自身の私事と私論に入ろう。

 私自身は元々集団嫌いの気質があったものの、幼き頃よりどういう訳か客観力が育っていて理性で自我を押し殺す事を暗黙の内に学んでいた事もあり、自分の意に反してひたすら真面目に健気に幼稚園や小学校へ通ったものだ。

 片や、我が姉は全く異なった。
 “集団嫌い”という面では私と同質なのだが、姉は自分の感情を常に素直に表出していた。 毎朝「幼稚園へ行かない!」と母に告げつつ泣きじゃくっていたことを記憶している。
 ただ我が姉の素晴らしさは、その嫌悪感を実行に移した事だ。  一度、姉が4歳頃に幼稚園から一人で家まで帰って来たことがある。 それをこっそり後から付けて来てくれた幼稚園の先生が、姉が庭に干してあった布団の間に隠れているところを発見して、「どんなに上手に隠れても、可愛いあんよが見えてるよ♪♪」と歌ってくれたとのエピソードは、我が家で後々まで語り継がれている美談だ。
 小学校へ入っても姉は、学校から途中で一人で家へ帰るとの(私には真似が出来ない)“実力行使”を何度かやり遂げていたものだ。
 今に至って尚自我が強く自分の心に素直に生き抜いている姉は、国際結婚にて米国に渡った後、「2度と嫌いな日本の地を踏まない!!」意思が強靭だ。 その徹底した日本嫌いは、学校等が全生徒に集団生活を強要する日本の教育体質に馴染めなかったことに苦しめられた怨念かと、私は理解している。


 我が娘に話を移そう。

 娘の場合、これまた事情が大きく異なる。 若干の事情を持ってこの世に生まれ出ざるを得なかった娘のサリバン先生として、母である私は娘幼き頃よりずっと二人三脚でかかわって来ている。
 専門家筋からも相談・指導を受けつつ、某相談所にて「幼稚園へ早めに行かせた方が今後小学校へ上がるに当たって娘さんのためにプラスになる」とアドバイスを頂いたのだ。
 これに大いに迷ったサリバンだ。 何分、何らの娘の能力が開花していない現状だ。 もう少し母であるサリバンの手元の置いて私が1対1で一心に育てたいとの思いが強靭だった。 それでも、専門家筋のアドバイスを尊重し、結局3歳時に娘を幼稚園へ入園させた。
 結論としては、すぐさまいじめに遭うわ、幼稚園教員との意見はすれ違うわ、途中幼稚園転園を余儀なくされるわ、でサリバンとしては散々要らぬ苦労をさせられたとのマイナスの思いしか残っていない。

 それでも素晴らしかったのは、我が娘が一日足りとて幼稚園へ行くのを嫌がるでもなく泣き叫ぶでもなく、サリバン指導に素直に従順に3年間に及ぶ幼稚園通いを全うしてくれた事実だ。

 そんな娘に比較的最近、サリバンとして問うた事がある。
 「貴女は本当に素直に幼稚園通いをしたのだけど、あの時どんな感情に基づいてそうしてくれたの?」
 既に成長を遂げている娘が応えて曰く、「何も覚えていないと言うのか、何のために幼稚園へ行っているかとか、とにかく何も分からずにただお母さんが連れて行ってくれるから行ったし。 本当にまったく何も分からずに行った。」
 この娘の回答に心底安堵した私だ。 結局、娘が生来的に抱えている事情に助けられる思いさえ抱く。
 と言いう事は、娘が過去に受けた「いじめ」や「周囲の無理解」に対しても、サリバン母が懸念し今尚心を痛めている程には、本人にとっては鮮明な記憶がないという事なのだろう。
 サリバンの方針として、こんな娘の特質を再認識しつつ、今後共良き社会人生活を全うさせてやりたいものだ!


 さて、議論を表題の「幼稚園バスへ乗るのが嫌だ!」と泣き叫ぶ幼児に戻そう。

 この幼児は我が娘とはまったく異なり、元々何らの瑕疵なくこの世に生まれ出た“お利口さん”の様子だ。
 そして、「ママが好き。いつもママと一緒にいたい!!」 なる自己のポリシーが明白でもある。

 そんな自分の感情を素直に表現出来る幼き子供を、何故、その叫び声に背いてまでも幼稚園バスに乗せる必然性があるのだろう!?!
 もしも、この幼児のお母様が現在自宅で養育可能な環境にあるのならば、是非ともご自宅で幼児が大好きなママとの時間を共有して欲しいものだ。
 
 日本の旧態依然とした(特に幼児分野教育学者)からの得体の知れない“集団主義教育”の言い分など聞き捨てては如何か? (我が国に於いては、森友学園問題が発生したばかりだろう??)

 泣き叫ぶ可愛い我が子を力づくで幼稚園へ預けるよりも、親自らが自身が培ってきた豊かな教育を成した方が、よほど子どもの未来があるのではないかと私は訴えたい。 

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絵むすび(朝日新聞2017.04.22編)

2017年04月23日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.4.22 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 「原左都子エッセイ集」少し前の2017.4.3 バックナンバーに於いて、私は「メンサ」と題するエッセイを綴り公開している。

 ここで、今一度その一部を掲載させて頂こう。

 実はこの私も、昔 “IQ168” を誇っていた時代があった。
 それは、今から遡る事60年近く前の幼稚園時代だ。
 過疎地出身の私だが、どうやらその頃私が住む過疎地では、子どものIQを教師陣が大っぴらに公開していたようだ。 何でも母が幼稚園の面談に行った時に、その話を聞いたのだと言う。 「〇ちゃん(私の事)が今回の幼稚園でのIQテストで当該幼稚園過去最高の“IQ168”の記録を樹立したのだが、ご自宅で何らかの特別教育をされていますか?」 母は「いえ、何もやっていません」と応えたらしい。
 その後時が過ぎ、子どものIQを非公開にするべく学校教員指導がなされた様子だ。 にもかかわらず、相変わらず教員とはそれを口外したい生き物のようだ。 我が中学校卒業時点で同級生より「〇ちゃん(私の事)は県内有数の名門高校に進学する生徒の中で一番IQが高いと、担任が言ってたよ」と聞いた。
 それだけ周囲から私自身のIQに関して聞かされれば、私本人とて「私って、IQが高いんだ」と自覚するのは必然だったと言えるだろう。

 さらに、ウィキペディア情報より「メンサ」に関して少し以下に要約して紹介しよう。
 メンサ(英: Mensa)は、人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者の交流を主たる目的とした非営利団体。 高IQ団体としては最も長い歴史を持つ。 会員数は全世界で約12万人。支部は世界40か国。イギリス・リンカンシャーにあるケイソープ(英語版)に、本部(メンサ・インターナショナル)を持つ。
 イギリス人科学者で弁護士でもあるランス・ウェアと、オーストラリア人弁護士のローランド・ベリルによって、1946年10月1日にイギリスのオックスフォードで設立された。
 メンサの組織は、各国のナショナル・メンサとナショナル・メンサが存在しない国を統括するメンサ・インターナショナルからなる。 各国のナショナル・メンサの代表者とメンサ・インターナショナルの役員とから構成される国際評議会において様々な方針を決定している。 また資金管理団体としてメンサ・インターナショナル・リミテッドが存在する。
 メンサには以下の3つの目的がある。
 1.知性才能を、認知、育成し、人類の向上に役立てること。
 2.知性の原理、性質、そしてその適用などを研究することを激励すること。
 3.メンバーのための知的、かつ社会的活動を促進させること。
 その活動としては、一般会員向けの「International Journal」や、幹部会員向けの「Mensa World」、非会員向けの「Mensa Research Journal」などの発行が行われている。 成績優秀な学生のための奨学制度、学校に適応できない児童の支援、会員向けの旅行案内、金融機関と提携したクレジットカードの発行、レンタカーやホテルの割引、パズルや書籍の販売、就職の斡旋などの活動を行っている支部も存在する。
 メンサに入会するためには人口上位2%に属する知能指数(IQ)を有することを証明しなければならない。
各国基準が違い、それぞれの国の上位2%である。 試験問題もアメリカのメンサと日本のメンサでは違う。Flynn effect(フリン効果)を考慮せず、違う年齢の人間を同じ基準で比較する。つまり20歳でも50歳でも、ある一定以上のスコアを出せば入会可能。
 入会資格を得る方法として最も一般的なものは、メンサの実施する入会テストに合格することである。なお、受験回数には制限が設けられており、1年の期間を空けて、生涯に3度までしか受けられない。 日本はメンサによる入会試験と申請前1年以内に受けたwais-Ⅲ wais-IV wisc-III wisc-IVの検査証明書による入会を対象としている。 テストに合格しても会員となるわけではなく、入会する場合は年会費を支払う必要がある。 ジャパンメンサのように支部によっては入会しなければ合格そのものが取り消されることもある。
 最後に、原左都子の私論を語るならば。
 要するに「メンサ」会員になろうと志し試験を受けても、その後大したメリットがないという事だ。
 しかも「年会費」が必要!?!
 これ、単に「メンサ組織」が私利を得ているとの結論に達しそうだ。
 そんな事に会費を支払ってまで自分のIQを誇る必然性が無いばかりか、自分がIQが高いと信じた愚かさを会員になることにより暴露して、世からの信頼を失わないとも限らなそうにすら思える。
 日本の著名人の多くもこの「メンサ」会員になっているようだが…。
 いやはや一庶民の私は、今まで通りテレビでクイズを楽しむ事を堪能しよう! 

 (以上、我がエッセイ集より「メンサ」と題するエッセイの一部を再掲載させていただいた。)



 と言う訳で、私は本日も朝日新聞パズル「絵むすび」解答を楽しんだという事です。
 
 そんな私が最近ネット上で、毎日パズル(クイズ?)を楽しんでポイントを稼げるサイトを発見しました!
 その会費が無料ならば、要するにCMサイトであり画面の動きが遅いのにイライラさせられつつ、日々時間がある時に「脳トレ」「頭の体操」等々に励んでいます。 (これがまるで過去に幼稚園や学校で受けた“IQ検査”のごとくです!)

 まあ、「メンサ」に登録して年会費をぼったくられるよりは、チマチマとネット無料の「脳トレ」「頭の体操」に励みポイント稼ぎをするのがマシかな…… レベルのくだらない話題で大変失礼致しました。

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売られたケンカ、受けて立ちます!- vol.2-

2017年04月22日 | 仕事・就職
 原左都子は短気だ。 

 それはおそらく生まれ持ってのDNAに由来する我が性分であろうが、私は物心ついた頃より“理性”でカバー出来るキャパを備えているため、その性質が表面に出る事は少なかったかもしれない。

 むしろ、子供の頃ほどその理性に自分自身が翻弄される機会が多かったように記憶している。 周囲の子供達が痴話ゲンカ(女子の場合、殴り合いバトルをすることは稀だ)を始めた場合など、なるべく見ないふりして第三者を演じ、ケンカの関係者とならないように身を守ったものだ。
 この習性は、高校卒業頃まで続いてしまっただろうか… 
 故に私は周囲より、冷静で客観的な子供との評価をもらっていたように記憶している。 片やそんな私の“策略”を見抜いていた友人などは、さぞや“陰湿な奴”との印象を抱いた事であろう。

 その実、私自身が“計算高い”とも表現可能な上記の我が気質を内面で嫌い続けていた。 人間もっと勇気を持って自分の気持ちに素直に行動する事こそが、真の人生開花のきっかけかもしれない。 などと思い始めたのは、遅ればせながら成人して以降の事と記憶している。

 その後就職し社会人となった私は、企業内での様々なバトルに直面してきている。
 ある先輩曰く、「たとえ一下っ端社員とて冷静に対応してばかりいては限界が訪れる。 ある時には感情を表に出し、組織管理者側に牙をむいてでも訴えねばならない使命が底辺労働者にはある!」  この先輩の言葉こそが、未だ若き私の五臓六腑に響いたものだ。
 その後、私はそれを実行して来たとも言えよう。 まさに社会人として自立した後には真に我が“怒り”を実力に転嫁しながら、私は民間企業で上司の立場をも経験しつつ生き延びて来ることが叶ったと振り返る。

 更にその後の我が人生は、むしろこちらから喧嘩を売る側に回る立場が多いとも表現出来よう。
 ただしそれは「意見書提出」等、書面にての冷静沈着な“喧嘩を売る行為”に過ぎないのだが…

 上記記述は、本エッセイ集2014.11.13公開 “元祖”「売られたケンカ、受けて立ちます!」の冒頭部分を再掲載したものだ。


 ほんのつい先程の事だが、短気で喧嘩っ早い原左都子の神経を逆なでするがごとくの“喧嘩を売る”電話が某営利業者より掛かって来た。
 まさしく“腸が煮え返る”程の喧嘩を電話で売られた私は、負けじと大声でその喧嘩を受けて立ったものの相手もひるまず、最後にはこちらから途中で電話をブチ切る!結果となってしまった。

 実は、本日のエッセイは他のテーマを用意していたのだが、未だ先ほどの電話に対する我が怒りが収まらないため、エッセイにして公開する事で“おとしまえ”を付けようとの魂胆だ。


 今回の電話の主は、20年程前よりお世話になっている某大手ウィッグ企業の我が担当者氏の上司(?)だった。
 バックナンバーでも幾度か公開しているが、私は40歳時に頭部に皮膚癌を患い、その摘出手術後一生頭部に残る手術痕を抱える運命を背負っている。
 その手術痕カバー対策として選択採用したのが、ウィッグの使用である。
 この20年に渡り、当該某大手ウィッグ企業にて完全オーダーウィッグを作り続け、既に十数個のウィッグを作成して来ている。 ウィッグも完全オーダーともなれば、(私の場合は一個数十万円の値段になるが)今後一生我がウィッグに投資する費用総額が如何程になるかは、計算して頂ければお分かりだろう。

 今現在、ウィッグは男女を問わず大流行の様子だ。
 私のように手術等により頭部に瑕疵がある事例は元より、脱毛や薄毛に悩む人々は男女を問わず増加の一途を辿っている。 あるいは芸能人を筆頭に見栄えやお洒落目的でウィッグを利用する人も増えているようだ。

 私など既に20年利用の長期顧客の位置付けにあろうが、どうも、いつまで経っても大手ウィッグ企業よりの“営業攻勢”が物凄いものがある。 
 頭部に瑕疵がある私の場合、まさか他者も来店している一般美容院へ行けない。 そのためいつもウィッグ会社直営の完全予約美容個室に通わざるを得ないのだが。
 そこで困惑させられるのが、「ウィッグの営業」である。 わずか1年前に新しいウィッグを作ったばかりなのに、やれどこが痛んでいる、やれ早めに新しいウィッグを作り替えないといざという時に被るものがなくなる、等々と、まるで個室内で“ヤクザもどき”に次なるウィッグ作成の営業活動に入るのだ。 そうこうして、このしっかり者の私ですら20年間で十数個のウィッグを作るはめとなってしまった。 しかも完全オーダーとは言えども、個々に出来上がって来るウィッグの装着感がいつも異なるのが困りものだ。 一応1年間の保証期間がありその間に作り直す事も可能だが、どうしても気に入らず一度も使用せずして“お蔵入り”しているウィッグが我が家の押し入れに数個存在する。

 1年程前に当該個室美容室へ行った頃より、未だ新しいウィッグを作って2年しか経過していない私に新たなオーダーウィッグ作成の営業が展開し始めた。 この鬱陶しさを回避したいために、私は半年前より個室美容室へ通うのを中断した。

 そうしたところ、本日我が家に電話が掛かって来たと言う訳だ。

 A氏と名乗る男性ウィッグ企業担当者が電話口で言うには、「半年程美容室へお見えになっていないようですが、来店されて定期的にウィッグの点検をしませんと痛みが激しくなりますよ~。」
 そこで私が正直に応えて「店舗へ行きますと、必ずや新しいウィッグの営業活動が始まるのが鬱陶しくて来店を遠慮しているのです。」
 A氏応えて「だから、今回は現在お使いのウィッグを点検しませんかと言っているじゃないですか!」
 私が反応して「それは既に20年に渡り貴社のウィッグを使用している私が自宅でちゃんと実施してますよ。 むしろ貴美容室でウィッグの洗浄をして頂くと痛む事も経験しています。 それよりも何よりも、個室美容室での新ウィッグ営業活動をやめてもらえませんか?! 新しいウィッグを作る時期は顧客である私にお任せ下さい!」 
 この辺から、私の怒りが心頭に達していたが…
 怒っている私に追い打ちをかけるがごとく電話担当A氏曰く、「本当にウィッグを大事にされているお客様は、月に1度は来店されてウィッグのチェックをされているんですよ~~。 結局貴女は担当美容師が気に入らないという事ですか~。ならば美容師を交替しますし~~。 あるいは経済的に新しいウィッグを購入する能力がないんでしょうか~~。」とまるで子供相手のごとくヘラヘラ問題をすり替え始める。
 「何度も言ってるでしょ! 美容師を誰に交替しようが結局美容室へ行くと新しいウィッグの営業活動に入るということでしょ!! それが気に入らないという私の訴えが何故分からないのか!? ウィッグ購入経済力に関しても自分で判断したいからこそ、私の方から購入時期を決定すると何度も言っていますよ!」
 A氏が、「それでは次回は私が貴女を担当しますから、予約日決定…」 どうのこうの言い始めた時点で私は「貴方とはまったく話にならないので今日はこれで電話を切ります!」と捨てセリフを残し、電話を切ったという次第だ。

 まあ要するに某大手ウィッグ企業にとっては、高額の完全オーダーウィッグ販売こそが企業存続の主柱であり、その営業活動を一顧客からやめよ!と言われたところで、それに受け答え出来るすべもないとの事実なのだろう。

 
 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 前回2014年に綴った元祖「売られたケンカ、受けて立ちます!」の場合、主張したい事を双方で訴えられたとの意味合いで、売られた喧嘩を私が買って出た事で一応の決着をみたものだ。
 
 片や、今回の某ウィッグ大手企業からの電話の場合、明らかに大手企業側が“墓穴を掘った”と私は判断している。 
 顧客に対し他の顧客と比較する行為は元より、「当社の商品を購入する経済力がないのではないか?」なる顧客に対する直接の問いかけは“禁句中の禁句”ではあるまいか? (確かに私は貧乏だ。が、一応自分が一生ウィッグに消費する金額を試算して、既に手元にその総額を“老後資金とは別枠で”金銭資産にて保有してるよ。とはこんな貧弱営業マンには言いたくもない。) これに関して、まさに営業担当者の資質と人格の程を問いたいものだ。
 この大手ウィッグ企業は東証一部上場を果たしているのだが、美容室現場にて顧客と直に対応する末端美容師氏達の教育を怠っているとしか捉えられない。

 まあそれにしても、私もたかが電話口で末端営業マン氏相手に言い過ぎた事は反省材料だろう。
 
 まさに世界規模の戦争とて、こういった末端の馬鹿げた言い争いから生じるのかもしれない。
 前回のエッセイにて、私は戦後72年が経過した現在に於いて歪み合う世界の現状を訴えたばかりだ。

 ここは冷静に対応しつつ、20年来利用しているウィッグ企業に今後も反省の意思がないのならば、同種別企業へ鞍替えする事も考慮に入れるべきだろう。  
 ただ、何処もその経営姿勢や経営能力の程に大差がなさそうなのが困りものだ……

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戦争とはこうして始まるものと、戦後72年目にして実感…

2017年04月20日 | 時事論評
 戦争が始まる日が近い、と実感せざるを得ない空恐ろしい日々が続いている……


 一週間程前だっただろうか。 そんな我が恐怖心と一致する情報をネット上で見つけた。

 賀茂明「北朝鮮、シリア 日本の危機が安倍総理のチャンスになる不可思議」 と題するネット記述の一部を要約して紹介しよう。

 北朝鮮と中東における緊張が急激に高まっているが、日本人が戦後初めて戦争に巻き込まれる危機が、すぐそこまで迫っているということに、どれだけの人が気付いているだろうか。
 北朝鮮が頻繁にミサイル発射実験を行い、「射程距離を延ばした」「一度に何発も同時発射した」「移動式発射装置が多用されている」「潜水艦からの発射技術が格段に向上した」「北朝鮮が在日米軍基地攻撃を明言した」「把握が難しい移動式発射装置や潜水艦から、一度に数発発射されては、日米の迎撃体制でも対応しきれない」という報道が続いている。
 予測不能のトランプリスクが日本を戦争に巻き込むのか? 
 しかし、「危機」という言葉が報じられる一方で、国民に本当の「危機感」が広がっているようには見えない。その原因はどこにあるのだろうか。
 昨年、米国大統領選でドナルド・トランプ氏が勝利すると、マスコミは、「トランプは日本の防衛に責任を持ってくれないかもしれない」「在日米軍経費をもっと負担しろと言ってくるに違いない」などと報道をして、国民の不安を煽った。 官邸が流す情報をその注文通りに垂れ流したのだ。
 大統領選が終わると、安倍総理はトランプ氏へのおべっか外交で得点稼ぎを試みた。 トランプ氏の「日本を100%守る」という言葉を引き出し、安倍官邸は「大成果」だと喧伝した。

 こうした報道を繰り返し聞かされた国民は、次のように考えた。
 ――北朝鮮はいつ日本にミサイル攻撃を仕掛けるかわからない。もし米国が日本を見放したらと思うと背筋が寒くなる。幸い安倍さんがうまくやってくれた。何かあったらトランプさんが守ってくれる。安倍さんはトランプさんの親友になったのだから――  日本の国内には、このような奇妙な安心感が生まれたのだ。
 さらに、この思考回路は、暗黙のうちに次のような論理を肯定する。
 ――安倍さんとトランプさんが仲良くすることが何より大事。 そのためには、多少譲歩しても仕方がない。トランプさんが望むことを日本自ら進んでやることによって、向こうに恩を売り、さらに両国の絆を強いものにして欲しい――
 こうした米国追従外交への暗黙の了解の醸成が進むのに合わせて、安倍官邸と自民党は呼吸を合わせて、一気に「朝鮮戦争」への参戦に備える体制整備に入った。

 3月30日、自民党は「日本も敵基地を攻撃する能力を持つべき」との提言をまとめ、安倍政権に提出した。 国会での議論が全く行われないまま、話がどんどん進んでいる。  表向きは、敵基地「攻撃」能力ではなく、敵基地「反撃」能力という言葉を使って、あくまでも敵が攻撃してきた時だけのための敵基地攻撃だと言っているが、それにとどまると考えるのは人が好過ぎるだろう。 例えば米国が、「北朝鮮が在日米軍基地を攻撃するという確実な情報を入手した」と称して、日本を守るために北朝鮮を攻撃してやるから一緒に戦おうと言った場合、自衛のための戦争だとして、日本が北を攻撃することにつながるであろう。そうなれば、日本が事実上の先制攻撃を行うことにつながる。

 これまで一貫して堅持してきた、日本の「専守防衛」という安全保障政策が完全に放棄されることになるわけだ。
 もちろん、トマホークなどの整備には時間がかかる。「今そこにある危機」への対応とは別問題だ。しかし、こうした動きの根底には、日本が積極的に米国とともに戦争に参加することが日本の安全のためになるという考え方、さらには、対北朝鮮では、先制攻撃でミサイル戦争に勝つことが良策であるという危険な考え方が存在する。  もちろん、米国が要請しても自由に日本が断れるのであれば、その心配も少しは小さくなる。しかし、「世界中のメディアの前でここまですり寄ったのだから、安倍は今後、トランプのどんな要求も断ることができなくなった」という米国共和党関係者の見方がある。 確かに、あれだけ派手にすり寄って固い握手を交わし、抱擁し合った姿を世界中に晒しておいて、トランプ氏の「一緒に戦おう」という誘いを断ることなど誰にも想像できない。 日本に選択の自由はないというのが実情だ。
 これは日本国民から見ると極めて心配な状況だが、安倍総理本人はまったく気にしていないだろう。 なぜなら、米国が潜在的に要求している日本の自主防衛努力(防衛費の抜本的増額)、それによる米国製武器の大量購入、さらには、自衛隊の海外派遣による米軍への貢献は、米国の要求を待つまでもなく安倍総理自らが進めたい政策だからだ。

 つまり、日本国民にとっての危機が、むしろ安倍総理にとってはチャンスなのである。 この「国民にとっての国益」と「安倍総理にとっての国益」のズレこそが、今日本が抱えている最大の危機なのかもしれない。
 米中首脳会談を目前にした4月3日にトランプ大統領は、「中国が解決しなければ、我々がやる」と、北朝鮮の核基地への「先制攻撃」を示唆する発言をした。 さらに6日の首脳会談中には、シリアのアサド政権への初めてのミサイル攻撃を実施して世界を驚かせた。これは北朝鮮に対する威嚇でもある。
 トランプ政権が北朝鮮を攻撃すれば。金正恩委員長はすぐ対米報復に動く。しかし、米本土を攻撃する能力はないので、ターゲットの最有力候補は在韓あるいは在日米軍基地ということになる。
 この時トランプ大統領は、盟友安倍総理に「一緒に戦おう」と声をかけるだろう。 安倍総理は、日本は攻撃を受けていないという理由で参戦を断れるだろうか。 前述したとおり、首脳会談で異常なまでのトランプ氏へのすり寄りを見せておいて、いまさら「別行動」などとは口が裂けても言えないはずだ。 何らかの理由を作って参戦するだろう。

 その時、国民はどう反応するのか。
 マスコミが、「今は戦時。国民が一致団結することが大事。政権批判は北朝鮮を利するだけだ」という論調を展開し、国民も漫然とそれに従うことを心配している。
 しかしひとたび参戦すれば、日本はまさに米国と並び北朝鮮の敵となり、在日米軍基地だけでなく、日本全土の原発や東京などの大都会が攻撃されることになる。
 マレーシアで白昼堂々金正男氏をVXガスで殺害したのは、戦争にVXを使用すると宣言したとも理解できる。 VXガス搭載ミサイルが何十発も飛んでくることを覚悟するべきだろう。 
 日米韓が協力し、ロシア、中国が北朝鮮を支援しなければ、日米韓連合軍が北朝鮮に勝つことは確実かもしれない。しかし数千の犠牲者を出して「勝った、勝った」と喜べるのだろうか。
 もちろん、北朝鮮を米国が攻撃するのはそう簡単な決断ではない。 中国やロシアが反対するのは確実だし、韓国も大きな被害を受ける。 韓国や日本の米軍基地の被害も覚悟しなければならない。
 そう考えれば、今すぐにもこうした事態が生じるとは考えにくい。 しかしそれでも予測不能なのが、トランプ氏である。 最悪のシナリオは想定しておくべきだろう。
 いずれにしても、日本人が本当に安倍政権の対米追随路線の怖さに気づくのは、やはり前述した北朝鮮とのミサイル戦争に巻き込まれて、日本の国土が戦場と化し、数千人の死傷者を出すときまで待たなければならないのかもしれない。

 そういう事態になって、初めて日本の国民は気づく。
 ――あの時、日本は米国を止めるべきだった。中ロと協力してでも、北朝鮮との戦争を止めて欲しかった――と。
 そして、私たちは次のような疑問に突き当たるだろう。
 日米安保条約と在日米軍基地があるから日本の安全が守られるというのは間違いだったのではないか。日米安保条約と在日米軍基地があったからこそ、日本が無用な戦争に巻き込まれることになったのではないか。
 ――政治の役割は二つある。一つは国民を飢えさせないこと。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争しないこと――  これは、菅原文太さんが亡くなる約4週間前に沖縄で行った最後のスピーチの有名な一節だ。
 今日本人はこの言葉をかみしめて、日本が進むべき道について根本から考え直すべきではないだろうか。(文/古賀茂明)

 (以上、長くなったがネット情報より一部を引用したもの。)


 上記ネット情報を見聞してから一週間程の日々が過ぎ去った。

 現在、ペンス米副大統領が来日している。 昨日(4月19日)ペンス氏は米海軍横須賀基地に停泊中の原子力空母ロナルド・レーガンを訪れ、演説した。
 その演説の中でペンス氏は北朝鮮に対し、「米国は圧倒的かつ効果的にいかなる攻撃も打破し、通常兵器や核兵器に対処する」と述べ、経済・外交で圧力をかけると同時に、軍事力行使も選択肢にあるとの考えを改めて強調した。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 「日本国民にとっての危機が、むしろ安倍総理にとってはチャンスなのである。 この『国民にとっての国益』と『安倍総理にとっての国益』のズレこそが、今日本が抱えている最大の危機」
 この上記ネット著者の記述に、私もまったく同感だ。

 にもかかわらず、こんな危機状態に置かれている我が国の国民の多数が、未だ安倍内閣の支持派であることに我が目を疑わざるを得ない。
 朝日新聞の最近の世論調査によれば、現在安倍内閣を支持している国民は50%、その理由を「首相が安倍さんだから」「自民党中心の内閣だから」「政策の面」「他よりよさそう」 と応えているのだ。
 これら国民の50%は本気でそう考えているのか?!?
 国民の半分は戦争肯定派なのだろうか!?!

 特に、なんとなく「他よりよさそうだから自民党を支持している」と応えた人達に、今一度主体的に自分のポリシーを持つよう促したい。

 “なんとなく”生きている内に、この国が戦禍に巻き込まれる日はそう遠くない。

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「ここに来たらいつも友達だよ」 と言ってくれる人

2017年04月17日 | 人間関係
 何だか、幼き頃に夕焼け空の下で友達と指切りげんまんしながら、「明日も友達でいようね!」と“契りを交わし”つつ今日の別れを惜しんだ光景を思い起こすような表題のセリフだ。

 
 表題の言葉を某男性が私に言ってくれたのは、先週末にいつも通っているスポーツジムへ行った時の事である。

 ここのところ急に春の陽気が訪れ野外でランニング練習をする機会が増えていること、それに我が持病である「腰痛」が寝返りを打っても下を向いても痛む程に激しくなったこともあり、しばらくジム通いを控えていたのだが…


 さて久しぶりにジムへ行くと、いつも私を掴まえては話しかけて来るお爺ちゃんが一目散に私に近づいて来て、「随分と来なかったけど、どうしたの??」と心配して下さる。
 「腰が痛くて、しばらく運動を自粛していたのよ。」と私が応えると、「大丈夫か? あまり無理をしないように運動したようがいいよ。」と労わってくれる。  「今日はゆっくりめにランニングして、筋トレも無理のない範囲でします」と私が返すと、「その方がいいよ。」と優しい。

 この“お爺ちゃん”も私も当該ジム通い年数は長く、ずっと以前よりお互いにその存在を認識していたと私は理解している。 とにかく明るくフレンドリーで、誰彼問わず気さくに声を掛けるキャラの人物だ。
 その“お爺ちゃん”が私に一番最初に声を掛けて来たのは、今から1年半程前の事だっただろうか、私がトレーニング走路にてランニング練習を終えた直後に床に倒れ込んだ後、起き上がった時だ。
 「大丈夫か?」とお爺ちゃん。  「大丈夫です。いつも全力で走るので5キロ走り終えた後はしばらく床に倒れ込む程に疲労困憊しています。」と私が応えると、「オリンピックに出る訳じゃあるまいし、そんなに頑張らなくともいいんじゃないの?」 それに今一度私が応えて「それでは達成感が得られないのです。たとえド素人ランナーのヘボ練習であれ、全力勝負しない事には自分の気が済まないのです!」等々と本気の多言を吐くと、お爺ちゃんはその話に乗って来たようだ。 
 その後、ジムにてのお互いのトレーニングメニュー等々を話し合いすぐに意気投合した。

 このお爺ちゃんこそ素晴らしくて、現在78歳であられるらしいが、ずっと以前より登山やロッククライミングの趣味をお持ちだそうだ。 そのためジムでは筋トレを欠かさず、腹筋1日100回、懸垂同じく数十回等々の筋トレメニューをいつもこなしておられるようだ。
 そのせいか筋骨隆々で背筋もまっすぐならば、闊達な話しぶりは私も負けそうである。 


 久しぶりに会った先週末、お爺ちゃんがちょっぴり寂しそうに私に訴える。
 「近頃の人間は、会話をしなくなってしまったなあ。 こちらが話しかけても、直ぐに会話が終わってしまう。 どうも若い世代もそのようだ。 何だか寂しいよ。 僕はパソコンがこれ程までに普及してしまったのがその一番の原因だと思うのだけど。」
 私がすぐさま応えて、「まったくその通りですよ! 老若男女問わずいずれの世代でも同じ現象がありますね。 まさにパソコンのせいでもあるし、私は個人情報保護法が法制化されたことも大きな要因と考えています。 今の時代は個人情報保護が過度に叫ばれて、相手にそれを尋ねる事も遠慮せねばならないし、こちらがプライバシーを語る事も許されなくなってしまいました。 これじゃあ、話題が自ずと表面化するばかりで、人と人が知り合って仲良くなれる訳もないですよねえ。」
 お爺ちゃん応えて、「僕など、人と話したいのも目的でいろんな場所へ行くんだけど、本当に友達が得られにくい時代になってしまった。」 「まったくその通りと私も実感します。」


 その後、お互いの筋トレが終了する頃、またお爺ちゃんは私の所へやって来た。
 「もう帰るけど、僕は家へ帰っても夜が長いのが嫌になる」 これに応えて、「私は夜お酒を飲むので時間が過ぎるのは早いですよ~~」と言いつつお爺ちゃんがお酒を飲めない人だったと思い出し、悪い事を言ったと自己反省…  
 そうしたところお爺ちゃんが「女房が今いなくてね」と寂しそうに言うので、「どちらかへ行かれているのですか?」と私が尋ねると、「姨捨山へ行っちゃってね…」  爆笑しながら応えて、「姨捨山は自分で行くところじゃないですよ。 あっ、もしかしたら入院されたのですか??」 これが大正解だったようだ。 
 参考だが、お爺ちゃんご夫妻には子供さんが生まれなかったとの事だ。 それに伴い必然的にお孫さんもいない。  その話も随分前に聞いている。 だからこそご自身より若い世代と会話を持ち楽しむ事を欲し、それを普段から実行せんと努力されている様子だ。

 そんなお爺ちゃんが、やっと長話が通じる相手の一人の位置付けであろう私をジムで見つけた、との成り行きなのだろう。

 お爺ちゃんが帰り際に繰り返す。
 「もう腰の痛みは大丈夫そうだね。 来週以降も来れるね。 また話そうね。 ここに来たらいつでも友達だよ。」

 満面の笑みで私も応えた。
 「そうですね。 ここではいつも友達ですね!」

 「友達」という言葉の輝きに、何十年かぶりに触れた気がした。

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学校保護者会人事のあり方を問う

2017年04月15日 | 教育・学校
 “真実は小説よりも奇なり” とは、まさにこの事だ。

 千葉県松戸市立六実(むつみ)第二小学校3年生だったレェ・ティ・ニャット・リンさん(9)=ベトナム国籍=の遺体発見から19日が経過した昨日(4月14日)、容疑者の男が逮捕された。
 その容疑者が、なんと同校の現役保護者会会長だったというのだ。


 早速、今朝発見したこの容疑者に関するネット情報の一部を以下に引用しよう。

 リンさん(9)の遺体発見から19日。 14日に逮捕された容疑者(46)は事件発覚後、同小の保護者会「二小会」の会長として、リンさん家族がベトナムへ帰国する費用の寄付を依頼する文書を保護者らに配布していた。 「まさか会長とは……」「何を信じたらいいのか」。保護者や児童らは強い衝撃を受けた。 周辺住民らによると、容疑者は東武野田線六実駅近くにある所有マンションの4階に住み、2人の子供を毎朝同小に送っていた。 しかし、リンさんが行方不明になった3月24日朝、ほぼ毎日参加していた見守り活動には姿を見せなかった。
 「子供思いの人だったのに」。 渋谷容疑者の逮捕の一報を聞いた近隣住民は、驚きを隠さない。 自身も同小出身で、昨年度からは二小会の会長を務め、11日の入学式では保護者代表として「学校では勉強やスポーツを楽しんでください」と新入生に呼びかけたという。
 登校時間帯には、交通量の多い学校近くの丁字路の交差点で、見守りボランティアとして旗を持って児童を誘導していた。リンさんもこの交差点を通っており、複数の保護者や住民は「(容疑者は)見守り活動でリンさんのことを知っているはず」と証言する。
 小2の子供を持つ30代の母親は「会長は他にやる人がいなくて、昼間に時間がある容疑者がやることになったと聞いた」と話す。 20日には二小会の総会が予定されており、渋谷容疑者は今年度も会長に承認されるはずだった。
 保護者の男性会社経営者(33)によると、始業式があった5日、渋谷容疑者が呼びかけた募金の案内文が、児童を通じて保護者に配布された。 「ご遺族の帰国費用がかなりの金額に上るとのことで、少しでも助けになればと皆様にご協力をお願いしております」。リンさん家族がベトナムに帰国する費用の援助を保護者に依頼する内容だった。
 一方、事件後には周囲に「疑われている」とも漏らしていた。地域の防犯活動をしている男性は今月上旬、渋谷容疑者とすれちがった時に突然、「俺が疑われている」と話しかけられたという。「笑いながらだったので、冗談だと思って気にもとめなかった。今考えれば後ろめたい気持ちがあったのかもしれない」と語った。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 ここで、学校の保護者会(一般にはPTAと呼称されることが多いが)に関して、原左都子が認識している範囲で記述してみよう。
 子どもを持つ多くの国民が、このPTAと何らかのかかわりを持っている(持った)事であろう。 その割には、その法的位置付けを理解していない保護者が大多数と捉えるため、今一度復習しよう。
 学校とPTAとは法律上の組織が異なる。(学校要覧等で学校の組織図をご覧いただきたい。) 学校によってはPTAを学校の下位組織と位置づけ学校長を最高責任者としている例もあるが、多くの場合はPTAは学校とは別組織となっている。(「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。) 
 そのため、大抵は(上記ネット情報内にも記載されているがごとく)PTA会員同士で会長を“擦り合いう”事になり、「会長は他にやる人がいなくて、昼間に時間がある容疑者がやることになったと聞いた」との事態も発生するのだろう。

 私事だが、我が娘が最初に通った公立小学校では、PTA組織は「先生と父母の会」と称して例外的にその組織が学校と一体化していた。 組織の最高責任者はあくまでも学校長であり、父母会会長は学校長が最終的に任命する形となっていたように記憶している。
 そのため、もしも今回の松戸市のような事件が発生した場合は、父母会会長が犯した事件に関して学校長こそが最終責任を取る事となったのだろう。

 我が記憶によれば、娘が当該小学校在校中の「先生と父母の会」会長氏は、人格の優れた人物であられた。 と言うのも、私は当該会長氏宛に父母会の運営に関する“意見書”を提出した事があるのだが、実に誠意ある回答書を会長より返送いただいたのだ。 その結果として、我が意見が「先生と父母の会」で採用され、その運営が旧態依然とした状態から進化して、今の時代の現実に即した方式に改善された。

 とは言えどもそれは例外中の例外であり、大抵の保護者会ではリンさんが在籍していた小学校のごとく、PTA役員を擦り合い、その延長線上で“得体の知れない”会長が任命されている事例が大多数であろう。
 あるいは、地元の地権者達が売名・営利目的でPTA会長に立候補する場合もある事実も経験している。 地方自治体議会選挙で、立候補者の経歴欄に「地元小学校PTA会長」と堂々と記載している候補者がいたが、申し訳ないが「それが経歴になると思ってるの??」と私など冷めた視線で見たものだ。


 今回のエッセイ表題は、「学校保護者会人事のあり方を問う」と掲げたが、もっと根本的な議論に戻すと、私は「そもそも学校に保護者会は要らない」と考えている人種だ。
 現状の義務教育課程保護者会とは、その実、“学校の下働きボランティア団体”としてしか機能していないのが現実だろう。 この私も娘が小学校在学中には、「登校時の旗振り」「下校時の見守りパトロール」「運動会の準備作業」等々、駆り出されればそのボランティア活動にいそいそと励んだものだ。

 ただ、本来の保護者会の使命とは、学校とあくまでも対等な立場で教育のあり方に関して議論する場であるべきと考える私だ。 ところが保護者会に出席しても、まさかそんな議論に持ち込めない雰囲気であるのは娘が小学校1年生の頃より十分に理解出来ている。  やむなく、その議論は個別に「意見書提出」との手段を取って来た。


 最後に、こと今回の松戸市の小学生だったリンさん殺害事件容疑者に話を戻そう。

 保護者会会長(本年度も再任されるはずだったらしい)が、その殺害を実行した張本人!?!!
 特に未だ幼き児童が通学している小学校現場に於いて、絶対に発生してはならない事件だ。

 学校の保護者会など、今の時代背景に於いて保護者にとっては“鬱陶しく出来るならば避けて通りたい!存在でしかないのは大方の保護者の正直な思いだろう。

 ただ一旦、幼き子供達に目を移したならば…
 幼き視点からは、保護者会会長は入学式でも「皆さん、元気で勉強したり遊んだりしましょう」と言っていたし、登校時には見守ってくれるし、いつも優しいし、この人は信頼できる!、との結論に達するには時間がかからないだろう。

 だからこそ、たとえ保護者会(PTA)が法的には学校と別組織であれ、学校長とはその任命に当たり他人事では済まされない事実を今一度認識して欲しいものだ。 
 今までのように、学校側が保護者会(PTA)をあくまでも単なる “学校の僕のボランティア団体” と捉え続ける限り、この種の事件が再発しないとは限らないと私は警告する。

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振り込め詐欺多発の中、ATMで困惑する人を助ける勇気

2017年04月13日 | 時事論評
 昨日、私が自宅近くのATMへ行った時の事だ。


 参考だが、近年警視庁による振り込め詐欺撲滅対策作戦により、振り込め詐欺被害総額に於いては一時よりその金額が多少減少しているようだ。 とは言えども、その被害総額は406億円超に上っているとのことだが。
 ただし被害件数に関しては、平成28年の振り込め詐欺全体の認知件数は前年に比べて約2%増と、現在尚増加の一途を辿っているとのネット情報である。
 

 さて、私が昨日行ったATMは金融機関内に設置している形式ではなく、独立小部屋形式というのか、要するにATMだけが2台設置されていている建物だ。

 その建物内にも、振り込め詐欺撲滅目的の目立つ色彩の大きなポスターが所狭しと何枚も貼られている。
 「ATM操作中に後ろや横から話しかけられても無視して、すぐに電話で知らせるように」「還付金が返ってくるなど大嘘」等々、特に振り込め詐欺のターゲットとなり易い高齢者相手に強いメッセージを訴え掛けているようだ。

 私がそのATM建物に入った当初、ATM操作中の人が2名、順番待ちの人が3名の状態だった。 その一番後方に並ぶ形で私は順番を待った。
 1名が操作を終了し、順番待ちの人に入れ替わった頃だっただろうか。
 ATM操作中のもう1名の高齢ご婦人が困惑したような様子で、「すみません。どうすればよいか分からないのですが…」と不安げに後ろを向かれる。

 当時室内にいたのは合計5名だったが、皆さんの反応は無い。 その時室内の一番後ろにいた私の心が、咄嗟に「助けてあげねば!」と私の体を押し動かした。


 ここで参考だが、どうも私はそういうシチュエーションに直面すると、「私こそが助けねば!」と“正義感に燃える”キャラのようだ。
 いえ、そのシチュエーションが例えば「海に飛び込まねばならない」だとか「火中に身を投じねばならない」等々、命の危険が伴う場合は決して身を挺する程の無謀者ではない。  ただただ、自分の手に負えそうな事案の場合、率先して行動を起こすタイプかもしれないとの範疇に過ぎない。
 例えば、少し前のエッセイに綴った「体育館内走路で遊ぶ子供達を叱った事件」なども、その我がキャラに基づく行動だったと言えよう。

 生まれ持って私がそのキャラだったのかと言えば、決してそうではない。
 自己分析によれば、大人になり社会に出て以降、特に職場の上司に任命されたり高校教員を経験したりする事により、あくまでも後天的に “ここで(特に“弱き他者”)を助けるのは我が使命!”と自然に習得した資質であると考察する。


 ATM内の高齢婦人に話を戻そう。

 私がご婦人に近づき「どうされましたか?」と話しかけると、やっと少し安堵された様子だ。
 「お金が機械に入らないのですが」と私に伝えつつ、「嫁が今日病気で寝ていて来られなくて、仕方がなく私が来たのだけどどうしても機械の扱い方が分からなくて…」とおっしゃる。

 「それは大変ですねえ」などと応えつつ、我が脳裏には一瞬周囲のポスターの文言が過る。「ATM操作中に後ろや横から話しかけられても無視して、すぐに電話で知らせるように」等の…。
 これ、下手をすると後にATM部屋へ入って来た人々が一見したら、まるで“振り込め詐欺犯”の私が高齢婦人に横で詐欺を働いている実行犯と見間違わないだろうか?!? 
 ああ、そういう事ね。 誰もご婦人を助けないのは、皆さんそれを危惧しての行動なのか…… 

 と思っても後の祭り…、 ではなく、今の私の任務はATMに戸惑う高齢婦人を今助けることだ! と我に帰り、今一度ご婦人が実行されようとしているATM操作を尋ねてみた。
 そうしたところ、ご婦人から「入金したいがお金が機械に入らない」なる回答が来た。 ここでやはり私が画面を見ずして次の動作に入れないと判断し、(周囲には詐欺犯と疑われても仕方ない!と腹をくくり)ご婦人にもっと近づき操作中の画面を横から見た。 そこで判明したのはご婦人が通帳を機械に投入していない事態だ。 それを指摘したのだが、どうしてもご自身で複数ページに渡る通帳を狭い空間に投入する事が叶わない。 これまたやむを得ない。私が手助けしてやっとこさ通帳を機械へ投入出来た。 
 その後ご婦人の機械への現金投入が叶ったのだが、無情にも機械が画面で聞いてくるのが、「入金金額が正しいですか?」だ。 要するに釣銭が欲しい顧客に対応せんとしてそれを聞き返しているのだろう。 またもや、私が具体的金額をご婦人に告げねばならない。 「入金は10万円でよろしいでしょうか?」 ご婦人応えて「はい。そうです。」 「その場合は、この『確認』ボタンを押すと取引は終了します」と応え、ご婦人にその『確認』ボタンを押すように指南した。
 取引終了後、通帳が機械から出て来てご婦人がそれを手で取るまで見守った後、「お忘れ物はございませんか?」と声を掛けると、ご婦人は「嫁が病気で私が今日は来なくていけなくてね」を繰り返し私に伝えてくれた。 「どうかお大事に」と声掛けすると、ご婦人はATMを去って行かれた。
 
 その後、ATM部屋の我が順番待ち場所へ戻ろうとすると、既に後に来ていた3名の客が並んでいる。 その後ろに並び直しつつも、 どうやら、私を「振り込め詐欺犯」と感じた人物は幸いにもいなかった様子で安堵した。


 最後に、原左都子から金融機関に「振り込め詐欺」撲滅高齢者対策に於ける今後の提案をしよう。

 真に金融機関に於いて「振り込め詐欺」を撲滅したいのならば、まずは高齢者の行動様式から理解するべきである事に間違いない。
 現在義母及び実母2名の高齢者保証人を担当し日々関わっている私の経験から物申すならば、貴方達が考えているより高齢者が置かれている立場はずっと厳しく難しいものがあろう。
 金融機関は高齢者の「認知症状」や「耳の聞こえの悪さ」「心身の老化具合」等々を実体験として如何程に捉えているのだろうか!?!
 その実態を金融機関が我が事として理解出来ているのならば、既に不具合を生じている高齢者はもちろんの事、そうではない高齢者であれ“ATM操作”を課す事とは元々無謀であり、そもそもそれ自体に無理があることに気付くはずだ。

 どうか、(特に大手金融機関は)安倍政権に操られるままに安穏として、自らの業務簡略化を最優先するよりも、高齢者顧客を筆頭として真に“弱者”に優しい組織として生まれ変わって欲しいものだ。

 そんな金融機関の今後の姿勢こそが、振り込め詐欺撲滅に直結するものと私は信じる。

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学校の特殊行事運営は専門筋に委ねるべき

2017年04月11日 | 教育・学校
 3月27日に発生した、栃木県那須スキー場付近で登山講習会に参加中の高校生ら8名が雪崩事故で死亡した痛ましい事件より、2週間ほどの日々が経過した。

 時が過ぎ去るのは実に早いもの。
 その後学校は新学期を迎え、わずか2週間にして世間では既に当該雪崩事故の記憶が薄れ去り行く感すらあるこの頃だが…


 そんな折、一昨日(4月9月)の朝日新聞「声」欄で、当該事故犠牲者高校生のご親族であられる88歳男性の投書を発見した。
 早速、当初内容の一部を以下に転記させていただこう。
 
 私は、かわいい孫をあの事故で失った。 雪崩注意報が出ていたのに、主催した県高体連登山専門部がなぜ中止にしなかったのかがわからない。 責任者は3人で話し合って訓練の実施を決め、経験から「絶対安全だと判断した」と話した。 改悛の態度には見えなかった。
 孫は私にとって初孫。 我が家の近くの病院で生まれ、優しく賢く育った。 あの日、「おじいちゃん、くるしいよ」との悲鳴が脳裏を走ったが、身代わりにはなれなかった。 孫の父は冷静かつ穏やかに、「二度とこのような悲惨な事故の犠牲者を出さないような社会にすることをただ祈っている」と述べている。
 前途有望な少年達を死に追いやった事故は明らかに人災であり、裁かれなければならないという思いを拭い去ることはできない。
 (以上、朝日新聞「声」欄投書より一部を転記したもの。)

 原左都子の私論だが、まったく投書者のおっしゃる通りだ。
 これは明らかに「人災」であると、私も事故発生当初より憤っていた。 にもかかわらず、学校側から最初に発表された、まさに“改悛の態度には見えない平然とした会見”に私も呆れ果てたものだ。
 その後しばらくして学校への家宅捜索が実施された事実に、やっと救いをみる思いだった。
 今後は刑事事件として、加害者である県高体連や学校側が正当な裁きを受けることを祈っている。


 我がエッセイ集バックナンバーに於いて、私は幾度か「学校の特殊行事運営は専門筋に任せるべき」趣旨の私論を主張している。

 例えば 2009.5.26 公開バックナンバー 「逆上がりの屈辱」 に於いて、以下のような文章を綴り公開している。 一部を紹介しよう。
 話を冒頭の小学校の頃の「逆上がり」に戻すが、この私もなかなかクリア出来ずクラスで最後の2、3人にまで残った“「逆上がり」落ちこぼれ”児童だった。   あれは、我が幼き日の屈辱的な光景として今尚忘れずにいる。
 まず我が折れそうな細腕が体を支えられない。
 それ以前の問題として、昔の小学校には体育専任教師など配備されていなかったため、技術的に「逆上がり」を指導できる指導者が誰一人いないのだ。 そんな劣悪環境下で、ただただ周囲の児童が成功するのを見よう見真似で頑張るのだが、どう足を上げても成功には程遠く疲れ果てるばかりだ。
 更に極めつけは、昔の学校においては“出来の悪い子を責める”教育がまかり通っていた。「皆出来るのに、何であんたは出来ないの!」との教員の罵声が「逆上がり」が出来ない児童の劣等感に追い討ちをかける。 「だったら、あんたがちゃんと教えろよ!」と今なら言い返すだろうが、当時の幼き私に教員に逆らう手立ては何もない。
 それでも、その“出来の悪い”2、3人で日が暮れるまで学校の校庭で毎日頑張った。 一緒に残って元気に遊び回っている“出来る子”をお手本にしつつ、ある日、何とか「逆上がり」が出来た私であった。  残念ながら“ひねくれ者”の私には何の達成感もなく、豆だらけで血が滲み鉛筆を持つにも痛む手と、“劣等感”を抱かされた屈辱的な「逆上がり」を、もう金輪際しなくて済むという開放感のみが我が幼な心に残った。
 昔の小学校の体育教育において、何故にたかだか鉄棒の一種目でしかない「逆上がり」ごときに、教育行政があれ程までにこだわったのかは不明である。(当時教員経験等がおありで、その教育的理念の背景をご存知の方がいらっしゃれば是非ともお教えいただきたいものである。)
 もしかしたら、東京オリンピックで男子体操チームが大活躍したことに単に浮かれたて連動した安易な教育行政だったのだろうか??? 
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 さらに、1年程前の 2016.3.3 に綴り公開したエッセイ 「学校に子どもを殺される程やるせない事はない」の記載からごく一部を以下に紹介しよう。
 追随して、現在小学校現場で全員に強制され全国各地で毎年何名かの死者を出し続けているプール指導に関して。
 娘も小6時点で未だ泳げないにもかかわらずプールに強制的に入れられ、適切な指導がなされないまま毎時間プール内で立たされ凍えた事も経験している。
 この話を娘から聞いた私は居ても立っても居られず、すぐさまプール指導のあり方に対して学校と話合いを持ちたい思いが山々だった。 ところが当時の担任が残念ながら“話せる”相手ではない事を承知していたため、「体を冷やさないためにプール内でウォーキングをしていなさい」とサリバン母の私から娘に直接指導した。 それに素直に従った娘に浴びせられたのは、「歩いてないで泳げ!」との担任よりの無常な言葉だった。 幸いプール指導は9月上旬で終了するため、「あと少しの我慢」と娘を励ましつつ、学校からの非情な仕打ちに耐えさせた。 まったくもって、指導力が無いなら全員強制で正規の授業としてプール指導など実施するな!と吐き捨てたいものだ。
 (以上、再度我がエッセイ集バックナンバーより引用したもの。)


 私事及び私論に入ろう。

 私はそもそも、学校(特に義務教育課程)の教育能力を “信用していない” 人種であるかもしれない。
 我が子が生まれ持って若干(あくまでも若干の範疇だが)の不具合を抱えているとの特殊事情が背景にある事も大きいのかもしれない。 が、とにかく我が娘の教育に関して義務教育現場に一任していたのでは、弊害こそ大きかれ娘の真の成長が望めないと早期に判断した私は、娘小学校入学前から高校2年生頃までずっと娘の学習に主体的に付き添って来た。 娘高3時点では、志望大学公募制推薦入試合格に向け“鬼のサリバン”と化し、娘の実力を磨き上げ見事一発合格に持ち込んだ。
 元々学問好きで高校教員経験もあり、(IQ168を誇る?)私にとっては「学習指導」は得意分野だ。  一方その他のサリバンの専門ではない分野に関しては、外部の専門筋に娘の教育を依存するとの方策を採用した。 例えば音楽分野や美術分野等々。 それが功を奏して、我が娘は一度は美大進学を志した程だ。(結局挫折して、別分野へ進んで現在に至っているものの。)

 とにかく、こと研ぎ澄まされた専門力を要する特殊分野に関しては、学校(特に義務教育課程)現場の指導力の程が貧弱であるのは否めない事実だろう。
 もちろん児童生徒が個々に持って生まれた個人的天才性や家庭環境により、自ら潜在能力ある人材はそれだけで開花出来る事もあるにはあろう。 ただそれとて奇跡的確率に過ぎず、決して学校現場の教育力の快挙ではない事実を学校側は真摯に認めるべきではなかろうか? 


 最後に、冒頭の栃木県雪崩事故に戻そう。
 報道等で見聞する限り、今回犠牲になった高校生達は優秀な人材に成長する素質を秘め、将来に渡る活躍を切望されていたと認識している。
 それら人材の尊い命を、思慮なき判断により一瞬にして失った高体連や学校現場の責任は計り知れない程に重い。 
 まさか加害者達が “教育者側に立てば自分こそが偉い” などとの未熟かつ無謀な感覚を長年その職種に従事する間に無意識に身に付け、安穏と過ごしてしまっていたとは思いたくもないが…。

 とにかく今後下される司法の判断に従い、学校や自治体側は自己の犯した罪の裁きを静粛に受け入れて欲しいものだ。

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夢見る “おばさん” じゃいられない

2017年04月10日 | 恋愛・男女関係
 世の中には、48歳子持ちの母親にして、しかも自身に経済力もなさそうなのに、「夫と離婚して恋がしたい」 とぬけぬけと新聞に相談する呆れた女が存在するようだ。

 
 それでは早速、朝日新聞2017.4.8 “悩みのるつぼ” 48歳女性による「離婚して恋がしたい」なる相談内容を要約して紹介しよう。
 48歳女性だが現在離婚に向け夫と別居している。 理由はお互いの浮気とか借金問題ではなく、私が一番困っているのは「恋がしたい」ことだ。 離婚後の経済状況や子供たち(成人している)の事など考えねばならい問題が山積しているが、しかし、私は「恋がしたい」。 とは言え、結婚はこりごりで婚活パーティや相談所を頼って結婚する気などさらさらない。 地域のサークルで知り合うのは後々面倒なためごめんだ。 仕事の休みの日に少しお洒落をして食事をしたり、小旅行に出かけたりするパートナーが欲しいのだ。 かと言って「レンタル恋人」類は自分が惨めだし、お金でその体験をしたくもない。 ただ、都合よくそんな既婚者でもない相手が見つかるとは思えず、残りの人生を恋愛をしないで過ごす事に絶望感を覚える。 話し相手なら女性の友達でもいいのでは、とも思うが、私は異性の友達が欲しい。 どうすればよいか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を要約したもの。)


 一旦原左都子の私論に入ろう。

 要するに、現在別居中のご亭主との復縁が一切考えられないのだろう。 
 子供さん達も無事成人しているようだし、自身が仕事をしているため自分一人で生活できる程度の収入もある。
 そうだ。 今の私に欠落しているのは “男性パートナー” だ! とふと気付いた現状かと推し量る。

 この女性の一番悪しき点は、復縁したくもない現在別居中の夫との婚姻関係を清算しない事ではあるまいか? それ程までに現在の夫が受け入れられないのならば、さっさと自分から婚姻関係を断ち切って、次のパートナー募集に躍起になればいいはずだ。 
 ところが相談女性がその行動を取らない事情を、私は見抜いている。 要するに、相談女性は現在の夫を「保険」として抱えていたいのだろう。(今日の昼間たまたまその類のテレビCMを見たぞ。
 ただ、世の中そう甘くはないなあ。
 その証拠に、相談女性は未だにパートナー候補男性に出会えていないからこそ、こんなくだらない相談を新聞に投稿したのであろう?
 もしも相談女性が本気で次なるパートナー男性に巡り合いたいのであれば、まずは現夫との関係をスッパリと清算して、本気で次なるパートナーを探すに限る!と私ならアドバイスしたいところだ。
 あるいは相談女性である貴方の根底にある “軽薄さ加減” を周囲に見抜かれている恐れもあるぞ。 人間関係とは、いつも「信頼」から始まるものだ。 貴女には何らの「信頼」の資質も無いと感じるのは私だけだろうか…  


 今回、この相談に回答されたのは、社会学者であられる上野千鶴子氏だ。
 未だ独身であられる上野氏が、素晴らしい回答をされているため、その回答を以下に要約して紹介しよう。

 相談者は40代後半にして、私の人生は何だったのだろう?と不全感に悩んでおられる。 そこまでは健全だし、結婚はこりごりも賢明だろう。 で、その不全感をチャラにするのが恋愛ですか? ギャルじゃあるまいし、いい大人の悩みとは思えないが、恋愛をした事がないのだろうか? 恋愛が人生を変えるなんて、小娘のような妄想をまだ持っているのか。
 相談をよく読むと、相談者が欲しいのは「休日にお洒落をして食事や映画・小旅行に行く」程度の相手。 こんなものを恋愛と勘違いしてはいけない。 恋愛とはもっと自我に食い込む闘いだ。 欲望やエゴイズムなどがむき出しの食ったり食われたりの関係を、今になって味わいたいのか?
 何でも経験した事がないものは美しく見えるもの。 やりたい事をやって思い遺しのない人生を送りたいのならば、どうぞお好きに。 ただし愛も恋も自分から動かない限り、待っていては始まらない。
 今まで貴女は本気で男を愛した事があるのか? そんな本気の恋愛をして何もかも人生をリセットしたいという妄想を抱いているのではないのならば、話は簡単だ。 まめに自分から相手を誘えばいいのだ。
 再婚する気がないのなら、未婚の男性に限る必要もないはずだ。 かえって既婚男性の方が付き合い易くて安心だろう。 とにかく貴女は、恋に恋する年齢をとっくに過ぎている。 妄想に浸っている暇があったら行動に移す事だ。 


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 いやはや60代後半に至って尚独身を貫いておられる上野千鶴子先生の生き様が、何とも羨ましくもあるなあ。
 私も40近くまでそれを目指していたはずなのに、方向が違ってしまったようだ…
 ただ40近くまで独身を貫いた身として、上野先生が記されている “本気で恋愛をする凄み” は存分に何度も経験して来ている。
 まったくもって上野氏がおっしゃる通り、「恋愛とは自我に食い込む闘い。欲望やエゴイズムなどがむき出しの食ったり食われたり」の凄まじいまでの関係だ。 この修羅場を(幾度も?)通り越す経験を抱える事が出来たからこそ私は大人になれ、現在の人格を築けていると信じている。

 さてさて、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談者女性氏よ。
 貴女の場合、別居中だが離婚に至っていない現夫氏と復縁するのが一番の方策と私は思うのだが…
 ただもしかしたら、実は夫氏の方から離縁を迫られている現状なのかもしれないのが悲しいところだね……

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終末期の延命措置、認知症者の意思をどう確認するの?

2017年04月08日 | 時事論評
 昨日(4月7日)のNHK7時のニュース題材の一つは、「終末期の延命処置、臨床救急医学会が提言」だった。


 冒頭から私事に入ろう。

 我が家は数年前より、義母と実母両人の高齢者施設保証人を担当している。
 そして両人共に、現時点では「延命措置を希望しない」旨を保証人である我々に告げてくれている。

 本エッセイ集2月のバックナンバーにても記載したが、義母に関しては施設のケアマネジャー氏と我々保証人とで、“終末期の看取り”に関して最初の話合いの機会が持たれた。 
 義母の場合、既に認知症状が悪化の一途を辿っているとの理由もあり、早いうちに保証人の意向を聞きたいとのケアマネ氏のご提案だった。

 
 昨日のNHKニュースを視聴していて疑問に感じたのが、その点だ。

 ニュースは特に高齢者終末期の救急搬送に際し、高齢者本人の延命措置希望の意思確認をした上で、高齢者自身の意思に沿って延命措置実施・不実施を決定するとの内容だった。
 例えば、重い心臓病で救急車を呼んだような事態に際しその患者が高齢者であった場合、本人が延命措置を希望しないのならば心臓マッサージ等の措置をしない、との事のようだ。

 一言で“高齢者”と言えども、その年齢にかかわりなく健康面で抱える問題は人それぞれ多様性があろう。
 そんな中、我が義母のように認知症状が日毎悪化している高齢者の場合、救急搬送事態に直面した時に自身が「延命措置をするか否か」の咄嗟の判断が可能とは到底思えない。
 その場合は家族が判断する事になるのだろうか? 
 昨日のNHKニュースに於いては、その辺の高齢者が個別に抱える事情に関するレポートが何一つなかったように記憶しているのだが。


 そこで今一度ネット情報より “本人が望まなければ救命措置せず” と題する、昨日のNHKニュース「終末期の延命措置」に関連する記述を以下に紹介しよう。

 病気などで終末期にある人が、積極的な治療を望まないのに救命措置などを受けるケースが少なくないとして、日本臨床救急医学会は心肺停止の状態の患者について救急隊員がかかりつけ医などを通じて意思を確認できた場合は、救命措置を取りやめることができるなどとする提言をまとめた。
 終末期の人の中には回復が見込めず、積極的な治療を望まない人もいるが、容体が急変した際に医療機関に搬送され、救命や延命の措置が取られるケースも少なくない。 このため日本臨床救急医学会は、末期癌や高齢などで終末期にある人が心肺停止の状態になった場合の救急搬送に関する提言をまとめ、7日に公表した。
 提言では、救急隊員が駆けつけた際には心肺蘇生などの救命措置を取ることを原則としたうえで、かかりつけ医などに連絡して救命措置を望まないという患者の意思を確認できた場合は、搬送や救命の措置を取りやめることができるなどとしている。 さらに、その場合に備えて救命措置などを望まないという意思を救急隊員が確認できるよう、事前にかかりつけ医のほか、本人または家族の署名入りの書面を作成しておくよう求めている。
 日本臨床救急医学会の坂本哲也代表理事は「提言は強制的なものではなく、今後の議論のきっかけにしてもらうためにまとめた。人生の最終段階をどう迎えるか一人一人が向き合う時期に来ている」と話している。
 厚生労働省は、積極的な治療を望まない終末期の患者を救急搬送する際のルールを作るため、今年度、新たな事業を始めます。 
 この事業は全国10から15の自治体が対象で、在宅医療に携わる医師や、自治体、医師会、それに救急隊員などの協議の場を設け、終末期の患者を救急搬送する際に患者本人の意向をどのように確認するかや、情報共有のしかたについてルールを作ることにしている。 厚生労働省はこのほか、人生の終末期に積極的な治療を受けるかどうか考える際の参考にしてもらおうと、人工呼吸器や、栄養をチューブで送る「胃ろう」などの措置について生活にどのような影響があるかを解説する資料を作成し、自治体を通じて配布することにしている。
 終末期の救急搬送や治療をめぐっては、心肺停止になった場合にかぎらず、高齢者の意思を確認する取り組みを始めているところもある。 東京・八王子市の消防や自治体、病院などの関係団体が6年前に設立した「八王子市高齢者救急医療体制広域連絡会」では、病歴や服用している薬、かかりつけ医などの情報をあらかじめ共有できるよう、「救急医療情報」と呼ばれるチェックシートを独自に作成した。 チェックシートには救急搬送された場合、医療機関に伝えたい希望として、「できるだけ救命や延命をしてほしい」、「苦痛を和らげる処置なら希望する」、「なるべく自然な状態で見守ってほしい」などの項目にチェックを入れて意思を伝えることができるようになっている。
 これらの動向に対し、日本集中治療医学会は心肺蘇生措置の取りやめについて去年、全国の救急医などを対象に、医療現場でどのように判断が行われるのかアンケート調査を行った。
 アンケートでは、重い心臓病の患者のケースで、本人の希望によって心肺蘇生措置を行わないと主治医から指示が出ている場合、仮に病気の進行によってではなく検査の合併症で出血が起き、心停止したら、蘇生措置を行うかどうか質問した。 通常は措置によって回復するため心肺蘇生を行うべきケースで、8割の医師は実際に行うと答えたが、2割近い医師は行わないと答えた。 理由としては挙げたのは、患者が高齢であることや、運動機能が低下していることなど。 また医師の中には、心停止した場合に、電気ショックなどの心肺蘇生措置を行わないでほしいという意思表示をしているのに、心停止を起こしていない段階で心肺蘇生措置以外の酸素投与や栄養の点滴などを差し控えると答えた医師もいました。
 アンケート調査を行った学会の委員会委員長は、「心肺蘇生を希望しないという意思表示は、医療現場で誤用されたり不適切に拡大解釈されるおそれのあることが調査からわかった」と話している。 そのうえで、「助かる命を助けないという事態につながらないよう慎重に対応すべきで、国民全体がこうした意思表示について関心を持ち、考えることが大切だ」と話している。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 上記ネット情報によれば、現在の医療界にても高齢者の終末期延命措置に関してある程度真摯に向き合っている姿勢を感じ取ることが可能だ。

 一方で、実際に親族に(認知症者を含めた)高齢者を複数抱える我が家の現状と、医療界が目指している「高齢者延命措置」感にギャップ感が否めない感覚も抱かされる。

 医療過誤による責任問題にびくびくする医療界の現状も理解可能だが、そんな事よりも優先して、実際に高齢者を抱える市民の現状もご理解頂けないだろうか、と私など言いたくもなる。 

 上記日本集中治療医学界による、「仮に病気の進行によってではなく検査の合併症で出血が起き、心停止したらどうするか」なる文言は、要するに医療過誤が起こった場合の事例を挙げている訳だが…
 元々、医療界は患者が高齢者であるか否かを問わず、「医療過誤」に関しては責任を負うのが鉄則だろう。 それは患者が高齢者であろうが誰であろうが変わりはないはずだ。

 結論としては、医療界は今後の課題として患者及びその家族ともっとコミュニケーションを持つ事に精進しては如何か、ということではかなろうか。 
 高齢者やその家族が延命措置を望んだ場合、患者が高齢者であるが故に「医療過誤」が発生し易い実態を誠実に伝え、その判断を患者及び家族に一任すれば医療現場の責任の程が軽減されるのではあるまいか?

 それにしても何らの医学知識の無い義母など、今尚 “お医者さま” 好きである事には変わりない。
 「私は延命措置などしないのよ!」と亭主と私に豪語しつつ、医学経験がある私が何をアドバイスしようが「私はお医者さまに看てもらうの!」の繰り返しで、私は義母の病院付添を(無駄に?!)実行させられ続ける日々だ。
 これ程に現在の「医療」を信じて疑わない可愛らしい義母を、どうか“お医者さま”達、守ってやって下さいませ。

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社会人2年目の春

2017年04月06日 | 仕事・就職
 (写真は、我が家から1分で行ける東京・石神井川沿桜並木にて撮影した満開の桜。 本文とはさほど関係がありません。)


 冒頭の桜に関して少し説明しておこう。

 我が家は14年程前の冬に上記桜並木近くの集合住宅不動産物件に住居を買替え、この地に引っ越して来た。
 その物件販売の一つのセールスポイントが、この「桜並木」だったのだ。 
 「春になると石神井川沿いの桜が咲き誇りますよ。 それはそれは見事です!」
 なるセールスマンの言葉通り、確かに数㎞(?)と続く石神井川沿の桜並木の花々が一斉に開花する光景は、それまでに見た事の無い驚くべき絶景だった。

 
 毎年春が来る都度石神井川の桜の開花を堪能しつつ、早いもので既に14年の年月が流れ…

 14年前には未だ小学3年生との小さき子だった我が娘が、この地で毎春桜の開花をめでながら、現在23歳の大人に成長した。
 ここのところ当エッセイ集にて我が娘の話題をテーマにする機会が無かったが、お陰様で娘は本年度2年目の社会人として元気に頑張ってくれている。

 しばらく娘の話題に触れなかったものの、我が“サリバン業”は多少手抜きしつつも日々欠かす事無く続行していた。
 例えば、娘との「帰るCメール」やりとりは日々の日課だ。 娘には毎晩必ずや「帰るメール」をサリバンまで寄越す事を指南し、それに応えてくれる娘だ。 これは私が実母施設入居の際に幾度か郷里まで旅立った時にも強制した。 これぞ、サリバン(と言うよりも母として)娘の本日の“無事”を確認する唯一かつ一番の手段故だ。 
 日々時間は異なるが、娘から「今、某駅(勤務先最寄り駅)を出ました」(何故か昔からずっと母に対して敬語体でメールを寄越す娘だが)とのCメールが届くと、(よかった。娘は未だ生きている!)と実感する母の私だ。 (これ、大袈裟なようで、妙齢の娘が夜遅く夜道を歩く危険度を思えば、親として当たり前の感覚でしょう?!)


 そんな我が娘が社会人2年目初日(去る4月3日)に、サリバンとして懸念するべき「帰るCメール」を寄越した。

 参考だが、娘自身の勤務部署及び内部班内人事変動はなかったものの、班のリーダー氏がこの4月から替わったとの情報を娘より得ていた。
 娘のCメール情報に寄れば、その新リーダー氏に娘の仕事の瑕疵を責められ、関係者皆で瑕疵の検証作業をしたために帰りが遅くなる、との事だ。
 娘からのメール文言を見た当初、(わずか社会人2年目の娘に対して厳しいリーダーだなあ)なるマイナスイメージを抱いた私だ。 ただ、娘のメール内容のみでは状況が分かりにくいため、とにかく娘の帰りを待つこととした。
 いつもより2時間程遅く帰宅した娘が、玄関で開口一番“当該瑕疵内容の詳細”を私に告げようとする。
 「まあ、部屋に上がりましょうよ」と娘を促し、私がその詳細を更に聞き取ったところ…
 私(サリバン)としては、娘の話から班の新リーダー氏の正当な仕事ぶりを感じ取れたのだ。 そして娘に告げた。 「貴方はまだ社会人2年目と未熟者だけど、私が思うにその新リーダー氏は貴方の仕事上の瑕疵を今後の課題として指摘すると同時に、貴女の存在も尊重してくれていると私は感じるよ。 しかも、貴女の仕事に関わっている先輩職員の皆さんが貴女に付き合って2時間も残ってくれるなど、今時考えられない程に良き職場だね。」 
 このサリバン母の一言に、娘は大いに安堵したようだ。


 実際、我が娘は現在の職場人間関係に恵まれている事が一番のラッキーと、サリバン母は昨年よりプラス評価し続けている。
 通常、如何なる職場にも “嫌な奴” や “鬱陶しい奴” が必ずや存在するものだ。
 私事を述べれば、(元々天邪鬼気質で敵を作り易い原左都子の職場環境周辺は)そんな奴らで溢れていた記憶すらある。 
 いや、そうじゃないんだよ。 私の場合は、実は自分で積極的に敵を作るべく行動パターンをとっていたのさ。 と、今となっては反省材料だが、我が若かりし現役時代に於いて、自制的感覚に陥る必然性こそ無かった事と自己弁護しておこう。 (要するに、私が一生私らしくあるためには“自制的感覚”など今後共に一切無用という事だ。)


 さてさて社会人2年目とは、様々な意味合いで新社会人にとっては最初に経験する過渡期でもあるようだ。
 桜が開花する今時のネット上は、そんな“社会人2年目”に直面した未熟な青年達がそれにぶち当たり悩んでいる情報で溢れている。

 我が娘よ。
 貴方はもしかしたら、“サリバン母” が身内にいてラッキーだったのではなかろうか??
 “サリバン母”の立場から発言するのも手前味噌なんだが、娘である貴女と母の私の相性が抜群のような感覚が今尚私側にはあるのだ。
 
 そんな我々や世のせせこましい感情とは関係なく、今年も煌びやかに石神井川の桜並木の花々が開花したね!
 日々その桜並木を通って職場へ通勤している貴女の未来も、毎年花咲く桜のごとく貴女なりに輝かしくあろうと、サリバン母は信じこれからも見守り続けるよ。



   < お知らせ >

 去る4月5日(水)に、「原左都子エッセイ集」宛にメッセージをご送信頂いた Siori さんへ。

 私どものエッセイ集宛にメッセージを頂戴致しまして、誠にありがとうございました。
 リアルタイムアクセス解析「TOP100記事」をご覧になってメッセージをお送り下さったとの事、とても嬉しく存じます。
 その後、私どもよりご返答をさせて頂くと共にSioriさんのブログを拝見したく、gooを中心にSioriさん情報をあれこれと検索致しましたが、残念ながら未だSioriさんのブログを発見出来ないでおります。
 もし差支えございませんでしたら、SioriさんブログのURLを「原左都子エッセイ集」メッセージ欄より今一度お伝え頂けましたなら幸甚です。
 お待ち申し上げております。
 Sioriさんへの連絡方法に関し手立てが打てず、このような場でご連絡を差し上げた事をお詫び申し上げます。

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「メンサ」

2017年04月03日 | 自己実現
 皆様は、「メンサ」をご存知だろうか?


 冒頭から話題が変わるが、先週木曜日の夜だったと記憶しているが、民放テレビ夜の時間帯に「クイズ・タイムショック」の特集番組があった。
 何でも3年ぶりの放送との事だ。 どおりで最近この番組を視聴する機会がなかったはずだ。

 実は私は、この「クイズ・タイムショック」の遠い昔からの大ファンだ。
 初代の司会者は俳優の田宮二郎氏だったと記憶しているが、その頃から好んで毎週視聴していた。
 様々なクイズ番組が昨今に渡り放映されているが、1分間に12の問題を聞きながら即答する「クイズ・タイムショック」の、その“スピード感”を好む故である。
 これぞ一番の脳の活性化に役立つ感覚で、いつもテレビに身を乗り出し、テレビの解答者に負けるもんか!との勢いでテレビ解答者よりも先に答える事に必死になる。 あの緊張感と正解した時の達成感に自己満足しながら毎週見ていた。

 その後、この「タイムショック」はバラエティ色を前面に出す等、邪道色が強まり始めた。
 あるいは出場者タレントのレベルに合わせて難易度を大幅に下げたりもしつつ、最近放映されなくなってしまった。

 さて、先週見た「タイムショック特集」は出題方式が初期の頃の初心に戻った感覚で、私の好むパターンだ。 ただし、出題が小中レベルの一般教養的な内容ばかりで多少の物足りなさをも感じた。
 一つ嫌気がさすのは、何故こんな低レベルクイズ番組に於いて、出場タレント達の「出身大学」を大っぴらにせねばならないのか!? との点だ。
 よくぞまあ出場タレント達もその措置を恥とも思わず、司会者より、例えば「東大出身の〇〇さんです!」などと紹介され、いい気になっている姿に滑稽感すら抱かされた。


 話題を表題の「メンサ」に戻そう。

 この「メンサ」だが、上記の先週放映された「タイムショック特集」に出場していた俳優の渡辺大氏が、自身の解答時にそれに関する情報を少し述べたのだ。
 渡辺大氏によれば、「メンサ」とは “IQが150以上の人達がそれを証明するために集う組織” ナンタラカンタラ……  と説明した。(正確でない点をお詫びするが。)

 
 ここで一旦、原左都子の私事に入らせていただこう。

 実はこの私も、昔 “IQ168” を誇っていた時代があった。
 それは、今から遡る事60年近く前の幼稚園時代だ。
 過疎地出身の私だが、どうやらその頃私が住む過疎地では、子どものIQを教師陣が大っぴらに公開していたようだ。 何でも母が幼稚園の面談に行った時に、その話を聞いたのだと言う。 「〇ちゃん(私の事)が今回の幼稚園でのIQテストで当該幼稚園過去最高の“IQ168”の記録を樹立したのだが、ご自宅で何らかの特別教育をされていますか?」 母は「いえ、何もやっていません」と応えたらしい。
 その後時が過ぎ、子どものIQを非公開にするべく学校教員指導がなされた様子だ。 にもかかわらず、相変わらず教員とはそれを口外したい生き物のようだ。 我が中学校卒業時点で同級生より「〇ちゃん(私の事)は県内有数の名門高校に進学する生徒の中で一番IQが高いと、担任が言ってたよ」と聞いた。

 それだけ周囲から私自身のIQに関して聞かされれば、私本人とて「私って、IQが高いんだ」と自覚するのは必然だったと言えるだろう。

 そんな私が大人になって(おそらく28歳頃に)付き合った男性とIQの話題になった。
 酒の席での事だが、「私のIQは168なのよ」と切り出すと、すかさず「僕のIQは172だよ」と来た。
 生まれて初めて、IQで負けた感覚もあったが、なるほど!と思い当たるふしもあったのだ。  彼は、当時大手企業に勤務しているSE(システムエンジニア)だったが、これ程までにパソコンが普及した今と大違いで、コンピュータ初期当時のSEと言えば新鋭花形職業だったと記憶している。
 しかも良き人だった記憶もある。 ただし何分結婚願望がない私故、通り過ぎて行った一人の男性として思い出すに過ぎないのだが……


 ここでウィキペディア情報より、「メンサ」に関して少し以下に要約して紹介しよう。

 メンサ(英: Mensa)は、人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者の交流を主たる目的とした非営利団体。 高IQ団体としては最も長い歴史を持つ。 会員数は全世界で約12万人。支部は世界40か国。イギリス・リンカンシャーにあるケイソープ(英語版)に、本部(メンサ・インターナショナル)を持つ。
 イギリス人科学者で弁護士でもあるランス・ウェアと、オーストラリア人弁護士のローランド・ベリルによって、1946年10月1日にイギリスのオックスフォードで設立された。
 メンサの組織は、各国のナショナル・メンサとナショナル・メンサが存在しない国を統括するメンサ・インターナショナルからなる。 各国のナショナル・メンサの代表者とメンサ・インターナショナルの役員とから構成される国際評議会において様々な方針を決定している。 また資金管理団体としてメンサ・インターナショナル・リミテッドが存在する。
 メンサには以下の3つの目的がある。
 1.知性才能を、認知、育成し、人類の向上に役立てること。
 2.知性の原理、性質、そしてその適用などを研究することを激励すること。
 3.メンバーのための知的、かつ社会的活動を促進させること。
 その活動としては、一般会員向けの「International Journal」や、幹部会員向けの「Mensa World」、非会員向けの「Mensa Research Journal」などの発行が行われている。 成績優秀な学生のための奨学制度、学校に適応できない児童の支援、会員向けの旅行案内、金融機関と提携したクレジットカードの発行、レンタカーやホテルの割引、パズルや書籍の販売、就職の斡旋などの活動を行っている支部も存在する。
 メンサに入会するためには人口上位2%に属する知能指数(IQ)を有することを証明しなければならない。
各国基準が違い、それぞれの国の上位2%である。 試験問題もアメリカのメンサと日本のメンサでは違う。Flynn effect(フリン効果)を考慮せず、違う年齢の人間を同じ基準で比較する。つまり20歳でも50歳でも、ある一定以上のスコアを出せば入会可能。
 入会資格を得る方法として最も一般的なものは、メンサの実施する入会テストに合格することである。なお、受験回数には制限が設けられており、1年の期間を空けて、生涯に3度までしか受けられない。 日本はメンサによる入会試験と申請前1年以内に受けたwais-Ⅲ wais-IV wisc-III wisc-IVの検査証明書による入会を対象としている。 テストに合格しても会員となるわけではなく、入会する場合は年会費を支払う必要がある。 ジャパンメンサのように支部によっては入会しなければ合格そのものが取り消されることもある。


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 なるほどねえ。

 要するに「メンサ」会員になろうと志し試験を受けても、その後大したメリットがないという事だね。
 しかも「年会費」が必要!?!
 これ、単に「メンサ組織」が私利を得ているとの結論に達しそうだ。

 そんな事に会費を支払ってまで自分のIQを誇る必然性が無いばかりか、自分がIQが高いと信じた愚かさを会員になることにより暴露して、世からの信頼を失わないとも限らなそうにすら思える。

 日本の著名人の多くもこの「メンサ」会員になっているようだが…。

 いやはや一庶民の私は、今まで通りテレビでクイズを楽しむ事を堪能しよう! 

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いくつになっても誕生日はやって来るもんだ

2017年04月02日 | 人間関係
 (写真は、昨日身内の誕生日祝いの席で注文した「枡酒」形式のシャンパン白。 参考ですが、他の料理に関しては先行してFacebook上に公開しておりますのでよろしればご参照下さい。)


 春の新年度初日の昨日、我が家は都内某所の寿司屋にて、高齢者施設に暮らす義母も招いて身内(我が亭主だが)の誕生日祝会を実施した。

 娘の誕生日はともかく、我々親どもの誕生祝など滅多にやらない我が家だが、今回は義母の希望によりそれを実行する計画を立てた。


 これが大変。
 昨日はあいにくの真冬の寒さに加え、雨天か下手をすれば降雪の予報すらあった。
 こうなると、認知症状が日毎悪化する義母が騒ぎ出すのは目に見えていたのだが…
 案の上、前日義母が施設より何度も我が家へ同じ内容の電話を掛けて寄越す。 「もし、大雪が降ったら私は施設へ帰れなくなる。」「タクシーも捕まらないかもしれない。」
 私が応えて、「いえ、東京はそれ程の悪天候にはならないと思いますので予定通り誕生会を実行しましょう!」と何度繰り返しても、義母の不安感が拭えない。
 最後の最後に、「何かあったら必ずや私がお義母さんを守りますので、どうか安心して下さい!」と電話口で大声で叫ぶ始末。 まるでドラマのセリフのようだが、この「私が守ります!」がどうやら効いたようだ。 この言葉に心底安心した義母が、誕生会実行を受け入れてくれた。

 さて、当日タクシー降り場まで義母を迎えに行くと、義母はちゃんと一人でタクシーに乗って来てくれた。
 そして開口一番、私に伝える。 「〇子さん(私のこと)が私を守ってくれるとはっきり言ってくれたのが嬉しくて、今日は安心して来れたわ。」
 いやはや、特に高齢者にはきちんと明瞭な言葉で“大袈裟な程に”意思を伝える事こそが有効と再認識させられる。


 そうして、都内某所の寿司屋にて我が亭主の誕生会が始まった。

 冒頭の写真の通り、まず私と亭主はシャンパン白を注文した。
 これが、粋だ。  まるで「枡酒」のごとく、テーブル席にて下に置かれた枡型四角カップの中にまで垂れるがごとくシャンパンを注いでくれる演出があるのだ。 その量たるやグラスほぼ1,5杯分の分量がある。 (参考だが、私はこれをその後3杯お替りした。

 乾杯後、義母が亭主に尋ねる。 「貴方、幾つになったの?」
 それに応え、亭主が店内に響き渡る大声で曰く、
      65歳だよ!   

 何もそんなにデカい声で自分の年齢を公表しなくても…  と思っても既に後の祭りだ。
 狭いとは言えない店内客皆さんの視線が我々のテーブルに集中し突き刺さる。
 (参考だが、我が亭主は元々声が通るのに加えて、酒を飲ませるとその声量が10倍に増強することを私は結婚以前より把握していた。)
 お互いの加齢と共にそれを嗜める機会が減りつつあったのだが…、
 ただまあ、これも我が亭主が元々 “天然質かつ純粋” と、私とは真逆の人物故と許す事にしようと思えた昨日の事件だった。


 いえ、決してのろけている訳ではないし、その場合でもない。
 亭主が「65歳」になるに当たり、我が家の経済政策を変更せねばならない事情を私は抱えるはめとなる。
 幾度も本エッセイ集にて公開しているが、我が家は亭主定年退職後及び私が還暦に達して以降より、お互いの公的年金独立採算性を貫いている。  その「制度」の下に亭主が65歳になるという事は、亭主の公的年金は増額する反面、我が家の生活を支えている亭主の企業年金が減額となる打撃があるのだ。
 この事実に関しても我が家では既に話し合いを持ち、一応の経済的合意に持ち込んでいる。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 ただ私が思うに、亭主65歳程の同年代の何処の家庭でも、今後の“年金制度の貧弱さ”を考慮すると先行き不透明感が拭えないのではあるまいか?

 せめても、我が亭主には「65歳を過ぎたらその恩恵で半額等のサービスを受けられる商業施設等々があるから、それを有効利用すれば。」なる指南をチマチマとする私だ。

 様々な社会システムを鑑みても65歳とは一つの過渡期であり、それを一家で祝うのも悪くはないかもしれないと後で思ったりもする。 

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突然始まる “チャットでの問い合わせ” にびっくり!

2017年03月31日 | 時事論評
 私の場合、ネット利用はこの「原左都子エッセイ集」が中心と言えよう。

 それに伴い、エッセイを綴るに当たり情報収集のためネット検索する事は日々多いし、あるいはエッセイ集をFacebookマイページにリンクしてFacebook上でコメントを頂いたりもする。

 もちろん今の時代背景に於いて、この私も各種検索やネット通販等もよく利用している事には間違いない。

 そんな私が、「チャット」と聞いてそれが何か答えよ。 と問われたならば、「ネット上で出会った相手とリアルタイムで画面上で文章交換をすること」程度の解答は可能だ。

 過去に於いて某ブログコミュニティ会員だった時代に、我がエッセイ集読者の方々とその「チャット」らしきやり取りをした経験が幾度があった。
 近年では、SNSのFacebook上にて文章のやり取りをする機会もある。


 チャットとのかかわり歴がその程度の少なさの私にして、つい最近驚くべき事態がパソコン画面上で発生したのだ。  それも一日に2度立て続けに!


 まず一つ目。

 今年の1月にauが「auお客様サポート」画面を一新した様子だ。
 我が家は一家3名でau顧客となり家族割等々を利用しているのだが、携帯電話(つい最近娘がスマホに買い替えた)と固定電話、そしてインターネット接続をすべてセットでau(KDDI)と契約している。
 その請求書確認を毎月私が担当し、パソコン画面より閲覧している。 ところがauによる画面一新に伴い、いつものID及びパスワードにてログインを試みても、どうしても不能状態が続くのだ。

 口座引き落としに先立ちパソコン画面で請求書を確認したいのに、それが不能状態となり、私は突然のauの画面一新に不信感すら抱き始めていた。
 これはどう考えても腑に落ちない。 KDDIの魂胆とは、あえてパソコン画面から請求書を閲覧不能にしてガラケー使用者を是が非でも全員スマホに買替させ、スマホからパケットに繋げさせようと狙っているのではないのか??  あるいは、請求書を閲覧不能にして、湯水のごとくパケット料金を稼ごうとの悪知恵か???

 幾日も何度もau画面ログインをトライしていたつい先だっての事だ。
 やはりログインが不能となり、私が何らかの箇所をクリックした。(おそらく、ログイン不能に関する問い合わせか何かの項目をクリックしたのだろう。)
 そうしたところ、突然パソコン画面の端っこに「今回お客様の問い合わせに〇〇(具体的な担当者らしき愛称)がお応えします」と表示された。 まさか、これがチャットとはその時は気が付かない私が更に画面をいじくっていると、再び同様の画面が表示されるではないか。
 もしかしたら、これチャットか?? と慌てつつ、相手からの「何かお問い合わせでしょうか?」なる書き込みの下に、我が質問事項を長々と入力していると、すかざず「お問い合わせにお答えしますので、何なりとお書き下さい」なる文言が表示される。  私が長文の質問を入力し終わると、「ご丁寧にご質問をありがとうございます」なる返答が来る。 
 
 参考のため、私の場合キーボードはブラインドタッチにて超高速打ち派のため長文でも短時間で難なく入力可能なのだが、もしも低速でしか入力不能な顧客に対しても、その問いに応えられるのだろうか? なる懸念点を抱いていると。
 画面下の方に「ただいま、担当者が入力中です」なる説明書きが出る。 なるほど、相手が入力中の様子が分かるシステムにチャットも進化しているんだ。 などと妙に感動していると。
 最終的にauチャット担当者氏が、我がチャット質問にきちんと答えて下さったのだ!
 これには、感激だ! お陰で、私は今後共にパソコンにて「auお客様サポート」にログイン出来、毎月請求金額を確認可能となった。  最後にそのお礼と共に😊マークを担当者氏に送信すると、ご丁寧な挨拶を頂戴した。


 そして、2つ目。

 偶然同じ日の夕方の出来事だ。
 今度は、ネット通販大手某企業の「ギフト券」の使い方にパソコン画面上で戸惑っていたところ。
 またもやパソコン画面の端っこにチャット画面が現れた。 午前中にauで体験した直後のため、もう手慣れたものだ。
 早速我が要求をチャット画面に入力すると、すかさずギフト券の使用方法に関してチャットにて指南があった。 その指示に従い、私は無事に「ギフト券」を使う買い物が出来た。


 ここでウィキペディアより、「チャット」に関する情報の一部を要約して紹介しよう。

 チャット (chat) とは、インターネットを含むコンピュータネットワーク上のデータ通信回線を利用したリアルタイムコミュニケーションのこと。 chatは英語での雑談のことであり、ネットワーク上のチャットも雑談同様に会話を楽しむための手段である。
 かつてはリアルタイムで参加者が文字入力を通して行うコミュニケーションがチャットと同義であったが、ブロードバンドが普及したことにより文字だけではなくさまざまな情報を送れるようになったため、チャットの種類も増えている傾向にある。
 チャットと呼ばれる物はいくらか種類がある。それぞれの違いはコミュニケーションの手段に何を使うかである。
 チャットの場合、常にリアルタイムで進行しているため、数文字〜数十文字程度の文章を書き込んで進行することがほとんどだが、それでもなお文章入力のキー入力が間に合わずに話が進んでしまうこともしばしばである。 特に10名を越える参加者が居るチャットでは、発言が間に合わずに他人の発言で返答を返したい相手の発言が画面上から消えてしまう(これをチャット用語で「流れる」という)ことも有るため、幾つかの簡略的な表現で、会話を行うことも多い。
 (以上、ウィキペディア情報よりごく一部を引用したもの。)


 最後に、私論に入ろう。

 なるほどねえ。
 チャットに於いては、やはり文字の打ち込み能力差による弊害が大きな課題となる事を改めて実感させられる。
 その現象を若者達は「流れる」と表現するようだが、その「流れる」事態をカバーするために、若者間で“略語”が主流となってしまった現世の歪んだ歴史が浮き彫りになりそうだ。

 私論だが、それならば何もネット上で会話せずとも生身の人間同士で会合して、思う存分話しあってはどうなのだろう? と言いたい気分にもなるが……

 そう言いつつ既に高齢域に達しようとしているこの私も、今回初めて営利企業相手に「チャット問い合わせ」を利用した身にして、電話よりもマシかな。 なる情けないばかりの印象を受けたのが事実だ。
 こと、顧客より営利企業への問い合わせに際して現在各社が展開している0120コールセンター対応について物申すならば、“お粗末”な事この上ない!! と日々実感させられ憤っている私だ。

 そうすると、むしろチャットによる対応の方が上出来感すら抱かされる気分にもなる。
 
 そんなこんなで、今後の顧客対応にチャット利用は有効かもしれないと考え綴った今回の我がエッセイだ。

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