原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、
自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子コレクション -便箋編-

2017年05月24日 | 人間関係
 (写真は、おそらく上京後より現在に至るまで私が収集した便箋類。)


 私はかつては “手紙魔” だったかもしれない。

 思い起こせば子供の頃より文章を書く事をまったく厭わなかった私は、小学校低学年の頃より女の子友達と“手紙交換ごっこ”をしていたような記憶がある。
 その頃より文房具店に行けば、女子が喜びそうな絵柄の封筒便箋類が販売されていた。 
 一体何をテーマに手紙を書いたのかの記憶はないのだが、相手から返事が届き、またそれに応えて手紙を綴る行為がとても嬉しかった記憶がある。

 中高生時代に「文通」を始めた私の手紙好きに、更に拍車がかかる。
 特に中学校から高校にかけて文通をしていた大阪に住む某男子との文通は4,5年間続いただろうか。 高校生になった時、実際に会おうとの話になり、最初相手が友達を連れて我が郷里までフェリーに乗ってやって来て我が友と4人で会った。 手紙の文面そのままの真面目な好男子だった。 そして高2の夏には今度は私が大阪へ行き、2度めのご対面を果たした。(これに関しては、既にバックナンバーにても紹介している。)
 この好男子とどういうきっかけで文通をやめたのかに関してまったく記憶がないのだが、もしも現在まで文通が続いていたとして、やはりあの文通相手は今でも好男子ではないかと年月を超えて尚確信を持って思える。 相手も私に対して同じ感覚を抱いているような気がする、とも感じるのが不思議だ。
 それ程に成長途上期に手紙との形で1対1の文章のやり取りを4,5年もの期間続行出来た事とは、私にとっては類稀な奇跡だったのかもしれない。

 上京した後は、まさに郷里の友達や旧彼(?)等々との手紙のやりとり三昧だ。
 仕事にもプライベートにも超多忙な身の私にして、手紙を書く事が億劫だと感じた事など一度も無い。 常にお好みのレターセットを買い求めては、1通に付き4枚程の手紙をしたためては投函していた。 しかも必ずや相手も返信をくれる。 
 一体如何程の手紙を書き、どれだけの返信を貰った事だろう。 溢れる程の返信手紙を保存しては、引越しの都度整理して始末したものだ。
 おそらくそれが叶ったのは、今の電子メールとは異なり手紙の往復には日数を要した故だろう。 直筆で綴る手紙とはいえ、たとえ相手が複数いたとしても、数日に一通の返信程度軽くこなせた事を今になって納得させられる。

 その後も、私は“手紙三昧”の日々を送った。
 特に高校教員を出産退職した後、私のファン(?)であってくれた女子生徒達より、何通もの手紙を頂いた。 今尚それらの一部を保管してあるのだが、中には“人生相談”のような内容の手紙もあった。 それに誠意を持って彼女達との手紙のやり取りに応えつつ、年月の経過と共にどうしても音信不通とならざるを得ない。 それは電子メールの発展故であり、何よりも彼女らが成長して立派な大人になった故であろうと私は信じている。
 


 冒頭の我が「便箋コレクション」に話を移そう。

 上記写真に撮影した「便箋コレクション」は、冒頭に記した通り上京後に収集したものである。
 何分“手紙魔”の私であり、既に使い切った便箋は破棄している故には当然ながら撮影範囲外だ。
 
 写真中段は比較的古い便箋群であり、中身が少し残っている程度だ。
 写真下段中央辺りの “水森亜土氏もの” やその左側の “内藤ルネ氏もの” 、あるいは上段左の「いわさきちひろ氏もの”は、比較的近年、それらの美術展へ行った際にミュージアムショップにて買い求めた便箋類だ。
 写真上部中央及び下部左にご注目頂きたいのだが、これは私が我が娘を産んだ後に過去の“手紙文化ノスタルジー”に浸るべく、某通販業者より「100枚すべての絵柄が異なる」なる便箋を買い求めたのだ。 届いた便箋群を見てどれ程感激したことか! まさに5冊500枚に及ぶすべての便箋の絵柄が異なるのだ! 
 娘を産んだ頃は未だ電子メール時代ではなかった。 この「すべての絵柄が異なる便箋」を観賞しては、“あの人にはこの絵柄で手紙を書こうかな” “この人には、この絵柄だよな” などとの思いを浮かべつつ手紙を綴る時間こそが、我がサリバン業にとってとてつもなく解放感を得られる束の間の時間帯だったものだ。


 悲しいかな、時代は変遷してしまった。
 今となっては“手紙を綴る”という文化が、この世から消え失せ果てている。
 かく言うこの私とて、日々キーボードタイピングにて当該「原左都子エッセイ集」で愚痴をばら撒いている始末だ… 

 もしも「手紙文化」が未だ生命を保っていたならば、人々の間を過ぎゆく時間間隔に余裕が持て、自分にとって大事な人とじっくり向き合える余裕を取り戻せたのだろうか、と思ったりもする……

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有能だからこそ眞子さまは早期に婚約決断されたのでは?

2017年05月22日 | 時事論評
 秋篠宮家の眞子さまがご婚約を発表されてから、既に数日が経過しただろうか。

 前回の「原左都子エッセイ集」にて、私は、事件や出来事が人々から忘却される速度があまりにも早過ぎる旨のエッセイを公開した。
 特に政権がらみの事件に関しては国民からの忘却を狙うがごとく政権がメディアを操り、故意に新しい話題にすり替えて目くらませしている、等々との私論も述べた。

 眞子さまご婚約ニュースのようなおめでたい話題に関しても、同様の「忘却」感が国民の間にあるように思うのは私だけだろうか?


 そんな折、本日昼のニュースで秋篠宮家ご夫妻と眞子さまがご公務として何処かの博物館をご訪問されている映像が流れた。
 亭主とそのニュースを見聞していたところ、亭主が「こんなどうでもいいことをいつまでも皇室に公務として義務付けるから皇室の負担が増え続け、結果として宮内庁経費が膨大になるんだ!」、と怒り始めるではないか!
 「ごもっとも!!」と同意しつつ、(確かにこんな“無駄な骨折り公務”に引っ張り出されカメラに向かって国民相手にヘラヘラ演技する事を皇族達が強要されてばかりいたんじゃ、皇室から出たくもなるよなあ。)と別の視点から痛く同感の私だ。


 さてその眞子さまに関するネット情報を、ご婚約発表後複数見た。

 その中から、まずは“眞子さまが有能であられる”趣旨の情報を以下に要約して紹介しよう。

 眞子さまは数少ない成年皇族の一人で、2団体の総裁職などを務め、園遊会や国賓歓迎行事など主要行事に数多く出席してきた。 皇嗣(こうし)となる秋篠宮さまが担ってきた公務を引き継ぐことも期待されていただけに、関係者の間には担い手がいなくなることを心もとなく感じる空気も漂う。
 公益社団法人日本工芸会の関係者は、総裁の眞子さまについて「伝統工芸に対する一般の興味関心を高めて頂いている。作家の方の励みになっているのは間違いない」とたたえる。 眞子さまは初代総裁の高松宮さま、2代目の桂宮さまの後を継ぎ、総裁賞などの選定や授賞式に出席してきた。
 また、眞子さまは国賓歓迎行事への出席をはじめ、単独での海外公式訪問を2度経験。 元宮内庁幹部は「有能で、両陛下の信頼もあつく、皇籍を離れるのは残念」と明かす。
 眞子さまが名誉総裁を務める公益財団法人日本テニス協会の鈴木宏事務局長は「若い総裁で協会やテニス界全体が励まされている。個人的な思いとしては、ご結婚後もご活動頂けるようになればうれしい」と話した。
 女性皇族は現在14人。 天皇陛下の孫の世代は7人で、皇太子家の長女愛子さま(15)を除く全員が結婚可能な年齢に達している。皇室典範12条は「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と定めており、眞子さまは小室さんとの結婚により公務から離れることになる。
 (以上、眞子さまご婚約に関するネット情報より一部を要約引用したもの。)

 
 引き続き、眞子さまに関する「女性宮家創設」関連のネット情報を以下に紹介しよう。

 秋篠宮家の長女・眞子さま(25)が、大学の同級生の男性と婚約することが明らかになった。 眞子さまは皇室典範の規定により、結婚に伴って皇籍を離れ一般の市民となる。 安倍政権は今後、女性宮家創設の可否など減少する皇族数への対策を検討する方針だが、眞子さまの婚約は今後の議論にも影響を与えそうだ。
 「皇室の活動をどう維持していくか。まずは、女性皇族が結婚後にも公務をこなせるような制度を検討する必要があるかもしれない」。 首相官邸の幹部は5月16日夜、早速そんな考えを示した。
 女性皇族は現在14人で、天皇陛下の孫は皇太子家の長女愛子さま(15)、秋篠宮家の長女眞子さま、次女佳子さま(22)の3人。 孫の世代にはこのほか、皇位継承順位第3位の秋篠宮家の悠仁さま(10)がいる。 政権内では「悠仁さまが即位するころには、皇室活動が維持できなくなる可能性もある」(官邸幹部)との見方がくすぶる。
 天皇陛下の退位をめぐる「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(座長=今井敬・経団連名誉会長)も、4月下旬にまとめた最終報告で「皇族数の減少に対してどのような対策を講じるかは、一層先延ばしのできない課題となってくる」と明記し、早急な検討を求めていた。
 (以上、眞子さまご婚約に関するネット情報より一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私論に入るが、秋篠宮家の眞子さまが「有能」であられるとするネット情報に、私も一応同意する。
 各種報道から垣間見る眞子さまは、確かに「有能」と評価されている事実に関して何らのマイナス材料が無い。
 大学進学時にも、自らのご意思で学習院大学ではなく国際基督教大学を選択された。 同大学の教養学部アーツ・サイエンス学部へ進学された後、3学年に進級時に、美術・文化財研究を専攻された。 在学中、学芸員資格を取得されている。 その後、イギリスのエディンバラ大学に留学美術史などを学ばれたそうだ。
 ここで一旦私事だが、その頃ちょうど我が家の娘が美大進学に向け夜間美大予備校にてデッサン等に精を出していた時期でもあり、我が娘も眞子さまのように美術方面で頑張って欲しいと思ったりしていた。
 
 昨年2016年には、眞子さまはレスター大大学院の修了式に出席し、修士(学術)(博物館学)の学位記を受けた。その後同年4月1日には、東京大学総合研究博物館特任研究員に就任され現在に至っておられる。
 再び原左都子の私論だが、皇族の一員であられる眞子さまが就職に当たり“最上級のコネ”をお持ちなのは致し方無いとして。 それにしても眞子さまの当該業績は、ご自身が自ら立ち上げられた部分も少なくなかろうと私は推測する。
 近代皇室にお生まれになられたその身分を超越して、進学・就職に際しご自身の意思を貫かれたその姿勢こそが素晴らしい。


 次に眞子さまのご婚約発表に際し、取り急ぎ「女性宮家創設」議論を持ち出す政権及び野党よりの反応に対して。
 特段「皇室」には思い入れがない私には、論評しにくい議題としか言いようがない。
 自己矛盾に溢れる私見を述べるならば、それに賛同し皇族の歴史を自ら守り存続したい!と望む女性皇族が存在するのならば、政権側からもその勢いに任せてみてはどうだろうか??


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 眞子さまご婚約に関しては、実におめでたい事と祝福申し上げよう。
 特に眞子さまの場合、ご自身が志望した大学入学後間もない頃にご婚約者であるお相手と知り合ったとの情報だ。 それを祝福し、秋篠宮家ご夫妻も直ぐに相手男性を眞子さまの将来のフィアンセとして認められたとの情報でもある。

 皇室との“至って特殊な環境下”にお生まれになった一女性が、制約多き環境下でご本人なりの自己実現を目指されつつ将来を見据え自己を育んで来られたならば、こんな素晴らしい事は無いだろう。
 
 今後は眞子さまを皇室や「女性宮家」なる重圧や軋轢から解放して差し上げて、国民皆で眞子さまの来年のご成婚をお祝い申し上げたいものだ。
 (ただし昭和以降、皇族女性が民間に嫁がれる場合、今までは1名に付き1億数千万円との巨額国税支出を計上して来たらしい。 それに関しては有能な眞子さまの場合10分の1程度に縮小してはどうか?? とも提案したいよなあ。) 

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事件のケリをつけないまま葬り去られる事態に国民が惰性感を抱く恐怖

2017年05月19日 | 時事論評
 去る4月29日に北朝鮮よりミサイル発射された際、都心の地下鉄が一時停止措置を受け都心交通網が混乱を来した。
 一方、先だっての5月14日に同じく北朝鮮よりもっと破壊力の強いミサイルが発射され日本海に投下した際には、何故か国政よりの都心交通網停止措置は実行されなかった。
 一体全体、国政による防衛危機管理対応は如何なる政策ポリシーにより実施されているのだ??  それに関する発表が未だないまま、交通網混乱を導いた謝罪や今後のミサイル危機対応策も未だ発表されていない。
 その事態に関して、何故野党や国民は黙っているのか? 

 話題を変えるが、森友学園事件の際に名誉校長を安易に引き受けた安倍昭恵氏の責任問題は一体どうなったのか??  昭恵氏が秘書5人を抱え国税を食い潰している事態はその後如何に処理されたのだろう?
 これに関しても今や世間では何ら語られる事も無いまま、昭恵氏は相変わらず安倍首相とかかわりがある各種私的関係団体の役員を務め続けているようだ。 昭恵氏は今話題の「加計学園」の幼稚園園長(不正確な場合お詫びしますが)も勤めているとの事だが…。  野党よ、今度こそは是が非でも理事長と安倍氏が友人関係にあるという「家計学園」問題の決着を国民に見させて欲しいものだ。 
 これ程までに「国政を私物化」して悠々と国民にほらを吹き続ける悪質首相を、私はどうしても許せないでいる。 
 国民の皆さん(の半分弱程度?)もそうであるのならば、首相がからむ各種の事件がうやむやにされている事実に対して、何故行動を起こさないのか?!?


 等々と我が怒りの納め場所が見つからず悶々と欲求不満を溜め込んでいたところ、同様の危機感を抱えてる人物が発するオピニオンを朝日新聞紙上にて発見した。

 朝日新聞2017.5.17 夕刊「文芸・批評」ページ、「思考のプリズム」 映画作家 想田和弘氏による 「ニュースをどんどん忘れる私たち 乗っ取られる注意力」 とのオピニオンを以下に要約して紹介しよう。

 本欄に先月の北朝鮮ミサイル危機について書こうと思ったが、すでに古いニュースのように感じてためらった。 そしてそういう状況と自分に驚いた。 (中略) 代わりに騒がれているのは、フランスや韓国大統領選、共謀罪などだろうか。 いや、これらも既に「旧聞」の部類か。
 思えば近年、ニュースの循環サイクルはあまりにも短い。 例えば「森友問題」を国会で追及し続けているが、「森友ネタ」に対すメディアや人々の食欲は、一時に比べて格段に衰えている。 森友問題に何となく飽きてしまったからだろう。
 そう言えば最近、今村復興相の辞任問題もあった。 あれなど今村氏の「失言」と片付けられ辞任した訳だが、実は日本政府の本音だ。 少なくとも原発事故については国策として地方に建設されてきたとの意味で、時間をかけて掘り下げるべき本質的課題なのだが、今や今村氏の辞任について語る者は皆無だ。
 報道機関は読者や視聴者に飽きられるのを恐れて、どんどんネタを新ネタに乗り換える。 忘却のスピードは加速するばかりの悪循環。  (中略)
 人間の注意力を乗っ取る機会を狙っているのは、政治家も同様だろう。 「森友問題」への国民の注意をそらすために「北朝鮮危機」が過剰に演出されたと疑うのは、穿ち過ぎだろうか。 
 人類は「より速く」を求めて技術革新を進めてきた。 しかし私達が最も警戒せねばならないのは、もはや物事が進むスピードの「遅さ」ではなく、「速さ」なのだと思う。
 (以上、朝日新聞記事 想田和弘氏によるコラム記述内容を要約引用したもの。)


 原左都子の私論に移ろう。

 いやはや、想田氏がおっしゃる通りだ。

 私の場合、スマホやソーシャルメディアとのかかわりがさほど無い人種であるため、上ではその部分を割愛させて頂いたのだが、想田氏はこの分野の目覚ましき発展に関しても人間の「一つの事に集中する能力」が消耗している原因と位置付けられている。 想田氏曰く、「ネットをやり過ぎると大量の情報に次々アクセスするのが当たり前となり、気が短くなり注意力も散漫になるような気がする」との事だ。
 元々気が短い私だが、ネット上でのその種の経験は無いと思えるのが幸いかもしれない。

 想田氏が記されている、元復興大臣 今村氏の辞任劇に関する記述に私もまったく同感だ。
 これもまさに安倍内閣が目指すところの、福島原発事故を早期に“過去のもの”として国民をはぐらかし「原発再開」を物語る発言だった。 あれ程、東北の人々の人格を踏みにじるものは無かった程に許し難き失言だ。 今村氏のみが辞任して済ませられる訳がない。
 にもかかわらず、今現在も福島原発事故現場は多大な損傷を抱え放射能をまき散らしつつ彷徨うしか方策が採れないでいる。
 

 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 国家首長たる者が国民感情を潰しつつ、目くらませしつつ、自身が操る政権を支持するメディアをも操っているこの国で生きる国民は、如何なる行動を採ればよいのだろうか。

 安倍氏は少し前に「(自分の改憲に関する決意を読売新聞に発表したから)国民は読売新聞を読め!」とも国会で発言したねえ。 あれなど、まさに安倍首相からの一方的な「憲法改憲策」に関する独裁発言内容だった。 自由民主国家に於いてその一言で首相辞任に追い込める程の墓穴発言と私は解釈しているのだが、これまた国民はさほど騒がないままに過去の出来事として葬り去られてしまった。 何故、国民は騒ぐのをやめたのか?? 一体、どうしたことだろうか!!?
 
 それさえもがメディアに操られている事態を鑑みた場合、この私にも、もはや何らの解決策が見つからない。

 既に「安倍独裁国家」と成り下がっているこの国で、移り行く時代と共に繰り返される諸事件の忘却に歯止めをかける手立てが、残念ながらこの私にも見い出せないでいる。

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左都子コレクション -大学(大学院)の講義ノート編-

2017年05月17日 | 学問・研究
 (写真は、我が2度目の大学及び大学院の講義ノートを撮影したもの。)


 上記講義ノートは、私が30代に通った大学及び大学院にて授業中に講義内容を聞き取り筆記したり、あるいは定期試験対策のため自分で試験問題を想定して模範解答を作成したもの等々である。

 一冊のページ数が約600頁。 単純計算すると、私が6年間で筆記したノート頁総数は約5000ページとなる。 

 右下が大学院時代2年間の講義ノート。
 大学院に於いては修士論文作成が主軸となるため、授業講義ノートは自ずと少ない。

 その他7冊は大学4年間に筆記した講義ノートを、卒業後学問分野毎に整理し直したもの。
 大学卒業後高校教員をしていた頃は、これらの講義ノートを紐解き自分の授業によく参照したものだ。
 ずっと時が流れて10年前に当「原左都子エッセイ集」を開設した頃にも、この講義ノートを書棚から引っ張り出しては、エッセイ執筆の参照素材としていた。 
 「左都子の市民講座」カテゴリー記事など、ほぼすべてこの講義ノートより引用・記述したものである。


 たまたま上記写真に撮影したページから、以下に少しその内容を紹介してみよう。

 上段左は、語学(英語・独語)、保健体育理論、情報処理論論等を束ねた冊子。
 写真のページは、独語授業の課題として小冊子1冊を和訳した中の1ページだ。 参考だが、一度目の大学医学部で既に独語を履修済みだったため、30歳過ぎてからの独語の授業は比較的取っつき易かった思い出がある。 

 上段中央は、一般教養科目や法学の一部を束ねた冊子。
 写真のページは「国際法」の講義から、今現在タイムリーな話題と意識して「集団的自衛権」の箇所を撮影したもの。

 上段右は、教職必修科目と特に社会科教職必修科目を束ねた冊子。 (参考のため、私は高校中学「商業」「社会」2科目の教職免許を取得している。)
 写真のページは、「教育原論」より「義務教育制度」「日本の教科書行政」等々に関して、定期試験対策のため私が出題を想定して模範解答を作成したもの。 我が記憶によれば、当時の「教育原論」担当講師氏が若くて、教育行政に関し我が思想と一致していた思い出がある。

 中段左は、「経営学」関連分野を束ねた冊子。
 私が大学院を修了して取得したのが「経営法学修士」だ。 そのため大学時代より当然ながら「経営学」もみっちりと学んだ。
 写真のページは、その中の「経営組織論」から「コンティンジェンシー理論」の部分を撮影したもの。 今となっては懐かしいなあ。

 中段中央は、これぞ我がバリバリ専門分野であり在学中に一番没頭した法学分野である 「法学概論」「憲法」「民法」「商法」関連を束ねた冊子だ。
 写真のページは、「商法総則」より定期試験対策として私がまとめた「普通取引約款」のページを撮影したもの。

 中段右は、「経済学」「金融論」「保険論」「会計学」「簿記論」等を束ねた冊子。
 参考だが、学問と言うよりも実践中心の「簿記論」が大学の授業としてはつまらなく毛嫌いしていた私だが、それでも学年最高の100点満点を取ったぞ!
 写真のページは、「経済史」より「米国の独占形成」及び「第一次大戦前の英・独の資本輸出」に関して、定期試験対策で模範解答を私が作成したもの。

 下段左は、大学在学中に卒業必須単位とは関係無く私が“趣味”で受けた(隠れ受講した??)講義を束ねた冊子。 その科目を記すならば「科学哲学」「生命科学概論」「生命倫理学」等々。(医学部併設大学だった故に、この種の講義が実に充実していた。)
 写真のページは、「科学哲学」より「量子力学的実在論」の講義内容の一部を撮影した。
 もしも私が2度目の大学にてこの「科学哲学」を受講しなかったならば、その後の我が人生観が大幅に異なり、つまらない人生を送ったかもしれないと思う程に思い入れがある。(渡辺先生、ありがとうございました。)
 
 下段右は、大学院時代の講義ノートのすべて。
 今回撮影したのは、「公企業論研究」の講義内容だ。 
 何故このページを撮影したかと言えば、それはそれは頑張り屋のこの私にしてとてつもなく厳しい授業だったからだ。
 そもそも経営法学専攻の私にとって「公企業論」はさほどメインではない。 にも関わらず、当該授業の厳しさと言えば、分厚い(200頁程)英文専門書一冊を和訳する課題が課せられたのだ。 しかも受講者は私一人!  意外と英語の読み書き力はあるぞ、と自負していた私ですら、くじけそうな時もあった。
 ただ、私はそれをやり遂げた!  授業の最終日に「よく頑張ったね」と慰労してくれた教官だったものの、返された評価は「優」ではなく「良」。(これが我が大学院時代の唯一の「良」評価だった。後は当然ながらすべて「優」だったのに……) どれ程落胆したことか……。 
 ただその後直ぐに退官されたとの高齢教授先生の思いは十分に理解出来る。  我が大学院生時代より過去に遡って現在に至るまで(?)、大学院生(大学生も含め)の英文読解力が貧弱過ぎやしないだろうか?!?  退官先生は、そんな昨今の学生達の貧弱英語力に警鐘を鳴らしたかったものと私は理解している。
 その最後の学生が私だった訳だが、今となっては“「良」程度の成績しか上げられず申し訳ございませんでした!”とお詫びするしかないなあ。


 今回は我が過去の「講義ノート」の一部を、“左都子コレクション”として紹介させて頂いた。

 そうだ! これを再び読みこなす事を今後の我が趣味の一つに出来そうだ。 などと本気で思ったりもする。

 ただ私が学んだ2度めの学生時代から、既に30年程の年月が経過している。
 その間の世界の大変動と共に、劇的に移り変わった学問・科学の世界である事には間違いない。

 それを考慮しつつ、昭和最終時期の「学問・科学史」として我が講義ノートを活用する手立てもありそうな気もする。 
 とにもかくにも、30年間保存してきた我が貴重なコレクションである「講義ノート」を、今後も大事に我が書棚にひっそりと保存しておこう。 

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母親への復讐

2017年05月15日 | 人間関係
 「復讐」とまで表現すると何やら物騒な気配が漂うが、ご自身を産んでくれた母親に対し100%愛され続け、そんな実母を今でも尊敬していると高らかに宣言出来る人々とは、少数派ではなかろうか?
 (そんな奴が実際存在しているとするならば、天邪鬼の私など単なる“マザコン”かとせせら笑ってしまいそうだが…


 朝日新聞5月13日付別刷 「悩みのるつぼ」 の相談は、40代女性による 「受けた傷を母親に分からせたい」 だった。
 早速、以下にその相談内容を要約して紹介しよう。

 もうすぐ50歳になる会社員で、結婚し子供もいる。 私はAC(アダルトチルドレン)で、父はアルコール依存症、母は私に当たり散らしつつ、つねる、たたかれるのが普通の幼少時だった。 4歳で初めて自殺を考え殺鼠剤を飲もうとした。
 小さな頃からバカ、ブサイクなどと言われ、自分をそう思ってきた。 けれど現実には私は頭もよく、見た目も平均以上に良かった。 努力して奨学金で進学した。 32歳で今の夫と結婚し、悩んだ末、子どもも産んだ。 ありとあらゆる本を読み、最高の母親になろうとした。 
 努力は実を結び、子どもは虐待など縁の無い性格に育ち、優しい人になった。 そんなある日、母から「あなたがいい子育てをしたのは、私がいい親だったからよね」と何気なく言われショックを受けた。 
 今更自分が受けた傷を話して老いた母を苦しめたくもない。 ただ、黙っているのは辛く、時にノートに自分の苦しみを書きつけている。 私には持病があり、あまり長くない。 ノートは死期が近づいたら処分しようと思っているが、私の人生って何だったのだろう? 人生の先輩に聞いてみたい。
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容を要約引用したもの。)


 引き続き、社会学者 上野千鶴子氏による回答 「自分でつくりあげた人生に誇りを」 の一部を要約して紹介しよう。

 貴女は母親を反面教師にしてそうはなるまいと歯を食いしばって頑張って来たからこそ、良い母親との評価をお母さんより受けることとなったが、母親を反面教師とした事がお母さんには通じないし、そう伝える事も出来ない。
 言っておくが、たとえ口にしても母親には通じない。 私にも似たような記憶がある。 母の死の床で思い余って「お母さん、私は家を出てから自分を必死で育て直したのよ」と言った時の母のセリフ。 「なら、私の子育てがよかったんじゃないの?」 母という名にゃ勝てやせぬ。 そうです、ほとんどの母はモンスターだ。 この怪物の辞書には「反省」という語彙はない。
 貴女にももしかして、そのモンスターが潜んでいないか? 子育ての最終評価者は子ども自身。 貴女の娘さんは母親としての貴女をどう評価しているだろう? もう少し娘さんが大人になったら聞いてみるといいかもしれない。 子どもとは母と祖母との関係をよく見ているもの。 
 ともあれ、貴女は両親から学んでそれとは違う家庭を築いてきた実績がある。 貴女が自分でつくり上げた人生に誇りを持とう。 いずれ娘さんも、貴女から学んで貴女とはまた別の人生を歩むだろう。 その娘を祝福してあげることが出来たなら、貴女はよい親だったと言えるだろう。
 柄谷行人氏のことば「子育てには、成功がない」。 すべての親がこのくらい謙虚ならいいのだが。
 (以上、「悩みのるつぼ」上野千鶴子氏による回答より一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私事に入ろう。

 上記の相談者、回答者両者が記している文面内のエピソードが、我がエピソードと偶然にも見事にダブるのだ。 それに関して述べさせて頂こう。

 まずは、相談者が「小さい頃からバカ、ブサイクと言われた」との部分。
 私の場合「バカ」と言われた経験は皆無だが、美人との誉が高かった姉と比較されて相対的にブサイクだと言われたような被害妄想がずっと脳裏に残っていた。
 それを上京後郷里へ帰省した際に、母に確認せずして済まされるはずもなかった。 
 「郷里にいた頃、美人の姉と比較して私の事をブサイク女扱いしていたよねえ?!?」
 そうしたところ母からすぐさま返ってきたのは、「そんな事誰も言ってないよ。 むしろ我儘で手に負えない姉よりも、特に小学校高学年以降は“スラリとして綺麗な頭のいい子”と妹の貴女の方こそがずっと世間の評判が良かったよ。 それ、あんたの被害妄想以外の何物でもないよ。」とのご回答。 私応えて、「もっと早く言ってよ!」
 その後私が郷里へ帰省する都度、母は「貴女が中学生の時に誰が氏か(実名)が貴女を美人で頭が良いと褒めてたよ~~」等々を繰り返してくれる。 つい最近実母が現在暮らす高齢者介護施設へ行った際にも「貴方が大学生の時に嫁に貰いたいと、誰それ(実名)が親の私に願い出た事を思い出したよ」と、昔のエピソードを語ってくれたりする。 (あまり言われ過ぎると逆効果だし…
 と言う訳で、私の場合は当該事案に関しては既に一件落着している。
 相談者も、私のように思い切ってお母さん相手に「私の事を昔バカ・ブサイクと言ったよね!」と、過去に言われた事実を自身に対する誹謗中傷と判断するならば、本気で問い詰めては如何だろうか。 それすら不能ならば、もしかしたら相談者の親子関係は真に深刻なのかもしれない。

 もう一件、次は上野千鶴子氏のご回答内容から。
 上野氏が死に瀕したお母上に対して告げた「お母さん、私は家を出てから自分を必死で育て直したのよ」との言葉と同様の発言を、郷里の母へ幾度となく発して来た。
 「私はねえ、上京後単身で自分という人間を自分の実力で作り直したのよ。 幸い上京後良き人間関係に恵まれた私は、これ程までに成長したよ。 私は上京したからこそ成功を掴めることが出来たと実感している。 申し訳ないけど、郷里に舞い戻るなどあり得ないからそれを覚悟しておいて。」 
 その我が忠告に従い、現在は郷里の介護施設へ素直に入居してくれている実母に感謝だ。


 最後に、私論でまとめよう。

 私自身も不具合を抱えて誕生せざるを得なかった娘を持つ母親の身になった後には、郷里の実母と娘の成長段階に於いて様々な厳しい軋轢を繰り返した。(当エッセイ集バックナンバーにてそのバトル状況を幾度も公開している。) その苦しい時代が20年程続いただろうか…‥
 堪忍袋の緒が切れそうな時など、本気でこの親と縁を切って捨て去ろうか!!と幾度も考えたものだ。

 ただ、時の流れが解決してくれる課題も多い事を今になって実感したりもする。
 上に記載した通り、現在実母は郷里の高齢者介護住宅にて平穏無事に暮らしている。 母曰く「〇子(私の事)が勧めてくれて介護施設へ入居して本当に良かった。 ここで私は長生きして一生暮らすから安心して。」といつも電話で私に伝えてくれる。 
 あの人(我が実母の事だが)、実は元々良き人物だったのかもしれない、などと自分の母親の事を長年経過した今再びプラス評価する事が叶うような現在だ。

 朝日新聞相談者女性も、もしも叶うならば今のうちにもっと積極的に実母であるお母様と直接話し合いを持たれては如何だろうか?
 それが例えバトルになったとしても、話し合わずして時を過ごすよりも、遠き未来にずっと良き解決策が見出せるような気が今の私にはするのだ。

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寿司店での晩餐 2

2017年05月14日 | 人間関係
 (写真は、寿司店で注文した寿司の一部。)


 我が家には、「母の日」の習慣などない。


 何故ならば、サリバン母の私にとっては娘の成長が第一義であれども、娘からのフィードバックなど一切期待できるはずも無かった故だ。

 もちろん、私から実母や義母に母の日に何某かのプレゼントをするとの儀式は毎年実行している。 ただ、その行動 =(イコール)娘からのプレゼント、につながるなど絶対にあり得ないであろう事を私はずっと以前より認識・覚悟してきた。

 だからこそ、私はテレビCMや新聞広告等で「母の日」がどうしたこうしたと報道されようと、本気で何とも思わない人種だ。

 何と言えばよいのだろうか。 そういう事で感激する母親達とは、それで十分に済まされるのだろう。


 我が家にはもっとずっとずっと大きな課題があったからこそ、「母の日」など超越した母子の関係が蓄積されているぞ‼ との感覚と自信を、いつも母の日に抱く私だ。


 我が亭主がそんな母として歩んだ私の心情を知ってか知らずか、母の日前日の昨夜、寿司店で次々と酒のお替りを勧めてくれる。


 随分とお酒のお替りをしつつ「母の日」前夜を心地よく過ごせた私こそが、世界で一番「母の日」を家族に祝ってもらえた気もする。  

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寿司店での晩餐 1

2017年05月14日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、昨夕訪れた行きつけの寿司店内にて催されていた “まぐろ解体ショー”。)

 
 母の日の前祝いと言う訳ではまったくないのだが、昨夕我が亭主と行きつけの寿司店を訪れた。


 昨日午後、義母が入居している高齢者有料介護施設にて年に2度定例の「運営懇談会」が実施された。
 この懇談会では、施設の年度決算報告やサービス提供状況の報告、施設内事故報告とその対策取組み、入居者・保証人からの意見・苦情の報告及びその対策取組み、新たな運営管理規定導入や改訂に関する報告等々が施設ホーム長より発表され、出席者間で論議される段取りとなっている。

 我々夫婦も義母の保証人を担当した当初は比較的真面目に出席していたのだが、ここ2,3年は施設内で有事の出来事が発生した時のみ出席する事としていた。

 ところが、先だって義母の病院付添いをした際に、義母より「懇談会にはどうしても出席して欲しい! 施設の友だちのご家族が必ず来ているのよ。 私の家族が来ていないと恥ずかしいから必ず夫婦2人で来て!」との切なる嘆願があったのだ。
 まるで子供が「学校の学級懇談会に来て!」と親に願い出る風景と同様だ。
 亭主と話し合った結果、義母の嘆願に沿って昨日大雨の中義母介護施設の定例懇談会に出席する事とした。

 出席したらしたなりに、フィードバックはあるものだ。
 義母入居施設は現在大手損保社の傘下にあるのだが、すべての懇談会事案に関して、ほぼ滞りなく業務が実施されている事実を網羅する事が叶い、保証人としても安堵させていただけた。
 (参考だが、我が実母が入居中の郷里の高齢者介護サービス住宅に関しては私的機関運営にもかかわらず、この種の運営懇談会は一切開催される制度すら無い。 それと比較しても、義母・実母入居施設間の費用格差の程に納得可能な思いも抱く。)


 さてさて、義母の嘆願を滞りなく果たした我々は、帰り道に行きつけの寿司店に立ち寄る事とした。

 ちょうどタイムリーに催されていたのが、上記写真の「まぐろの解体ショー」だった。

 これを写真に収めた後、さほどショーを拝見しない間に我々は席に案内された。

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ビッグデータに潰される人間の思想

2017年05月12日 | 学問・研究
 一昨日(5月10日)朝日新聞夕刊文化面 「文芸・批評」ページに、大変興味深いコラムを見つけた。


 早速、作家 池澤夏樹氏による「ビッグデータとAI 思想は力を失うのか」を要約して以下に紹介しよう。

 プロダクションに勤める友人が嘆く。 どんな企画も皆ビッグデータに潰される、と。 「それは売れない」とビッグデータが言っている、で終わり。 人々の心の奥で出番を待つ思いへの回路をビッグデータが断ち切る。
 これはほんの入口に過ぎない。 思想はやがて社会の動向を左右する力を失うのではないか、とぼくは悲観的なことを考えている。 以下は、未来への外挿、一つのSFの案と思っていただきたい。

 無力を導くのは情報革命だ。
 昔々、ホモ・サピエンスは抽象思考の能力を得て精神革命を起こし、他のホモ属に差を付けた。 農業革命によって生産能力を飛躍的に高め、科学技術革新によって今見るような社会を築いた。
 その先で待っていたのが、情報革命。
 コンピュータの発明が、その後インターネットと組み合わされ、更に近年に至って通信コスト、記憶装置のコストが何桁も低くなった。 結果として、社会基本構造が根底から変わりつつある。
 社会は人間同士の関係から成る。 はじめは対面による個体識別、言語を得てからは噂が加わり(第三者の誕生)、官僚機構による統治が広まり、それに抗する個人の思想が書物を通じて社会全体を動かすようになった。
 つまり、これまでは交友、言語、制度、思想などが人間と人間を繋いできた。
 資本主義社会になってから金銭の媒介が加わり、今では人間はまずもって消費者だ。 個人の消費行動は、おにぎり1個の買い物からすべてネットを通じてビッグデータ主体に報告される。 思想信条、その時々の思いはSNSから抽出される。
 ビッグデータ主体にとって、一個人の思想などどうでもいい。 そんなものは怖くない。
 個人のふるまいすべてがネットを通じて集積され、集計され、解析され、保存される。 これがビッグデータだ。 そして、最も大事な解析を担うのは人口知能(AI)だ。  知能という言葉に何か人間的なものを期待してはいけない。 
 ビッグデータには社会の現況がそのまま入っている。 これが広告に応用される。 つまりビッグデータ主体はこれに基づいて社会の舵を取る事ができる。

 ビッグデータは世論調査と違って全数が対象だから誤差は皆無。 それに沿って広告戦略を組み立てる。 結果に於いて得票数が半分を超えればよいのだ。 人々の欲望を読み解き、共感と反発が拮抗するぎりぎりのポイントを狙い政策を設計する。
 広告業者は売れと言われた商品の価値を問わない。 それはこの業界の職責でもなければ、その倫理もない。 例えば欠陥車であるか否かは契約外だ。
 その瞬間瞬間の国民の感情がことを決める。 しかしその感情はビッグデータ主体の操作の対象だ。 これは究極の平等社会だろうか。
 ビッグデータ主体の正体とは何だろう? 今や国家のはるか上空にある超企業??
 わからないのだ。 ビッグデータ主体自身にも自分の正体は分かっていない。 生まれたばかりの怪物だから。
 思想はファッションでしかない。 コンピュータとネットワークに騎乗したホモ・サピエンスは何か別のモノに変身しつつ逸走している。 手の中に手綱はない。 ただしがみつくばかり。

 (以上、長くなったが 朝日新聞コラム 池澤夏樹氏の記述より要約引用したもの。)


 次に「ビッグデータ」とは何かに関して、ネット情報を参照してみよう。

 ビッグデータとは何か。
 これについては、ビッグデータを「事業に役立つ知見を導出するためのデータ」とし、ビッグデータビジネスについて、「ビッグデータを用いて社会・経済の問題解決や、業務の付加価値向上を行う、あるいは支援する事業」と目的的に定義している例がある。 ビッグデータは、どの程度のデータ規模かという量的側面だけでなく、どのようなデータから構成されるか、あるいはそのデータがどのように利用されるかという質的側面において、従来のシステムとは違いがあると考えられる。
 データを利用する者の観点からビッグデータを捉える場合には、「事業に役立つ有用な知見」とは、「個別に、即時に、多面的な検討を踏まえた付加価値提供を行いたいというユーザー企業等のニーズを満たす知見」ということができ、それを導出する観点から求められる特徴としては、「高解像(事象を構成する個々の要素に分解し、把握・対応することを可能とするデータ)」、「高頻度(リアルタイムデータ等、取得・生成頻度の時間的な解像度が高いデータ)」、「多様性(各種センサーからのデータ等、非構造なものも含む多種多様なデータ)」の3点を挙げることができる。これらの特徴を満たすために、結果的に「多量」のデータが必要となる。
 他方、このようなデータ利用者を支援するサービスの提供者の観点からは、以上の「多量性」に加えて、同サービスが対応可能なデータの特徴として、「多源性(複数のデータソースにも対応可能)」、「高速度(ストリーミング処理が低いレイテンシーで対応可能)」、「多種別(構造化データに加え、非構造化データにも対応可能)」が求められることとなる。
 このように、ビッグデータの特徴としては、データの利用者やそれを支援する者それぞれにおける観点から異なっているが、共通する特徴としては、多量性、多種性、リアルタイム性等が挙げられる。ICTの進展により、このような特徴を伴った形でデータが生成・収集・蓄積等されることが可能・容易になってきており、異変の察知や近未来の予測等を通じ、利用者個々のニーズに即したサービスの提供、業務運営の効率化や新産業の創出等が可能となる点に、ビッグデータの活用の意義があるものと考えられる。
 (以上、総務省が公開している「ビッグデータ」に関するネット情報より一部を引用したもの。)


 原左都子が分かり易く(?)「ビッグデータ」に関して解説してみよう。

 例えば、コンビニ店舗がどんなおにぎりを販売したらより多くの利益を上げられるかを検討する場合に、このビッグデータを利用するとする。 
 その情報源とはコンビニ店舗が顧客に入会を煽っているポイントカード等より得る。 
 皆さんも様々なポイントカード入会を勧められた経験がある事だろう。 その際、無料でポイントカードを発行するに際し、必ずやスマホやパソコンから個人情報を入力することが義務付けられ、それを実行せずしてポイントが貯まらないシステムとなってる。 それに素直に従って入力したデータこそが、ビッグデータ蓄積の大本となる。 (要するに、無料の代償とは個人情報の提供にあるのだ。)
 ポイントが貯まったと糠喜びしていると、その背後では、何処に住む何歳の誰が氏かが何月何日に何処かのコンビニで何と言う種類のおにぎりを購入した。 なる個人情報データがそのままビッグデータの一つとして登録蓄積される事となる。 そんなデータが巨大化した結果としてのビッグデータの恩恵で、何処のコンビニには如何なる顧客層が多いか少ないか、どんな顧客がどんなおにぎりを購入しているか、等々の情報がフィードバックされ店別の売上利益が増すとの仕組みだ。

 この事例の場合その総数が巨大である故に、自分の個人情報が危機に瀕する事はおそらくなかろう。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 ビッグデータの恐怖とは、まさに池澤夏樹氏が記されている通り、近年の情報革命のとめど無き発展により人類の思想が社会の動向を左右する力を失わせる事態となる事にあろう。

 池澤氏の論評通り、人間社会の発展とは人間個々の交友、言語、制度、思想関係から成り立って来た。 
 人類の歴史に於いて、その時代はとてつもなく長かったはずだ。
 この私もその恩恵を賜りつつ、その発展を自身の自己実現の糧として生きて来た人種であると自負している。
 紀元前より築き上げた素晴らしい人類の歴史発展を一瞬にして踏みにじるがごとく、その所産のすべてがインターネットの発展により潰されてしまうかのような危機感が私にもあるのだ。

 ビッグデータの発展を歓迎しその野望により巨額の富を得んとする人種の陰に、それにより失われゆく人間の思想とのかけがえ無き所産喪失に対し大いなる痛手を抱く人間も存在する事を、世のビッグデータを操る主体者に告げたいものだ。

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会えばいつも「私は早く死にたい」と訴える高齢者の深層心理

2017年05月10日 | 健康・医療・介護
 連休明け初っ端の私の仕事は、現在高齢者有料介護施設に入居中の義母の病院付き添いだ。

 元々5月に眼科受診予定だったのだが、連休前に義母から電話が入り「早めにお医者さんに看てもらいたい」との意向だ。 
 「5月の連休明けは病院の混雑が予想されますから、もし悪化等の症状が無いようでしたら中旬以降で如何ですか?」と私が応えたのだが。 「連休明けに直ぐに行きたい!」との義母の希望を優先し、昨日病院受診と相成った。

 総合病院内眼科受診のため混雑を予想し早目の施設出発を目指した私だが、施設へ到着してみると義母がまだ着替えをしていない有様。(参考だが、義母が外出する時は必ずまるでパーティに行くがごとく華やかに着飾って出かける習慣がある。)  それを待つ事20分。  更には施設よりタクシーを迎車しても混雑中との事で、タクシー到着まで20分。 (タクシー到着が遅くなってもちゃっかりと“迎車料”を請求されるのは致し方無いとして…。)
 40分ものロスタイムとの失策の後、病院へ到着してみればやはり午後の診察受付開始時間に大幅に遅れを取っている。 更には受診カードが再診マシンに投入出来ないトラブル発生。 総合受付まで“よたよた歩きの義母”を同行したら「問診票」を書かされる(私が代筆)はめとなり、やっと眼科受付へ到着した時には予定より1時間以上出遅れていた。

 高齢者の病院受診付添いとは、トラブルを覚悟の上でないと実行不能な事は重々承知している。
 その中でも「待ち時間」が長引く事態こそが、高齢者の付添人にとって一番の打撃だ。

 何故ならば特に義母の場合、認知症状があれば耳も遠い割には身体は比較的丈夫で“おしゃべり好き”なのだ。
 普段は施設内にてスタッフの皆様や入居中の仲間と会話を持つのであろうが、スタッフの皆様は多忙、また入居高齢者仲間は義母同様に認知症状があったり耳が遠かったりで、果たして会話が会話として成り立っているのかどうか……
 そうした場合、義母とて「会話が確かに繋がった!」と一番実感出来る保証人である私に日頃のストレスを思う存分ぶつけたいのが本音であろう。
 その義母の思いには応えたい。 それこそが我が義母病院受診付添い役の神髄だと覚悟を決めている私だが、これがあまりにも長引くとこちらのストレスが蓄積するばかりだ。 


 昨日はこの義母の長話に、病院待合室にてすっかりはまってしまった。

 待合室内での義母の話は延々と続く……
 やれ、入居者の誰それがどうした。 スタッフの誰が氏かが何をした。 親戚筋の某氏が現在どうなっている。 私が露知らない話題に対しては、「そうですか。それは大変でしたね。 それは困りましたね。」等々とお茶を濁しつつテキトーに相槌をうっていれば事が済む。 ただ大変なのは、電光掲示板の表示もお構いなしならば、途中でトイレへも行けない程に義母の一方的な会話が弾む。 私が時折電光掲示板を確認する作業をすると、(あら、この人私の話を聞いていないのかしら!?)なる嫌悪感を抱いているような表情すら浮かべる程に、今現在病院の待合室にいることを忘却しつつ義母の会話が続行する。

 ただ既に4年半に及び義母の病院付添いを実行している私にとって、そんな義母の相手はお手のものだ。

 そんな中、ここ2、3年義母の病院付添い時に決まって話題に出るのが、表題の「私、早めに死にたいのよ」である。 
 義母の場合、自身の病院(お医者さん)好きとは裏腹に、認知症と耳の聞こえの悪さを除けば私の見た目診断によれば、通常の老化現象以外に特段身体に致命的不具合がないのだ。 故に我が判断としては義母は長生きするのではないかと予想している。 
 おそらく、義母は自身から「私は早く死にたいのよ」との話題を私に持ち出す事により、「何をおっしゃるのですか。お母さんが長生きされることを皆が喜びますよ~~。」なる返答を一番に待ち望んでいるのだろう。
 そう言ってあげるのが義母にとって一番理想的なのは承知の上で、敢えて私は別の言葉を選んでいる。「いつお迎えが来るかは誰にも分からないですよ。私はお義母さんは長生きされると思っていますから、出来れば楽しい日々を過ごされるといいですね。」 

 義母も我が返答に少し同意しつつ、「楽しく過ごす事が一番難しいのよ」…… 

 いやいや、これも重々納得だ。
 そこでひるまず、私も義母に再確認した。 「お義母さんは、今何をしている時が楽しいですか?」
 義母応えて、「それが無いの…」  更に私が、「お義母さんは、昔習い事を沢山していらっしゃったではないですか? その中で何か今でも出来る事を再開すればどうですか?」
 義母応えて、「年を取るとそれさえ嫌になるのよ」……


 最後に、私論に入ろう。

 高齢者皆が皆、そうであろうとは思いたくはない。
 
 実は義母が一番したい事を私は知っている。
 それは高齢域に達し認知症状に苛まれては自分一人の意思では叶わない事象だ。(ここでこっそり書くとそれは「恋愛」だ。 義母は持って生まれた美貌及び事業家として活躍したその過去の業績故に、周囲に義母に蔓延る男がごまんと溢れていた様子だ。 )
 実家の事業を引き継ぐとの栄華の時代が遠い昔に過ぎ去り、その時代に恋愛三昧だった過去が、高齢者介護施設へ入居した暁には義母が欲する意の様には叶わない。
 かと言ってあの素晴らしい時代の享楽に比し、老いぼれの身となり果ててはその代替となる対象物など見つかるすべもない…
 そんな義母が発する「私は早く死にたい」なる言葉の真意が分かる気もするのだ。

 ただ、私は義母とは歩んだ人生が大幅に異なる。 
 「恋愛」ももちろん素晴らしく人生の糧となろうが、それ以外の他分野にも自身が本気で打ち込める対象物が義母にあったならば、老後の生き様ももう少し違っただろうにとの思いを抱いたりもする。

 私自身は今後一体いつまで生きるのかは測り知れないが、他者に対し「私は早く死にたい」などと訴えずして自己責任で全う出来る人生を歩み続けたいものだ。

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連休終盤に日本橋を行く。 (岩合光昭氏「ねこの京都」展編) 

2017年05月08日 | 芸術
 (写真は、5月15日まで日本橋三越本店 本館・新館7階ギャラリーにて開催中の 岩合光昭氏写真展「ねこの京都」のチラシと絵はがきを撮影したもの。)


 5月の連休が終わり、私が住む都会では帰省や旅行からUターンした人々で溢れ、巷はいつもの喧騒がすっかり戻って来ているようだ。

 さて。 で、一体我々母娘が何をしに一昨日お江戸日本橋へ出向いたのかと言えば、要するに日本橋三越本店で開催中の「ねこの京都」写真展を見るのが第一目的だった。


 母娘共々、決して“ネコ好き”とまでは言えない人種だ。
 そんな娘が私立中学に合格した際、合格祝いの一端として、(私としては“半分悪ふざけ感覚”で)ヒツジとネコの枕を買ってやったのだが、これが娘に大受けした! 
 枕とは言えども、耳もしっぽも手も足もちゃんと付いていて立派なぬいぐるみだ。 そして、お顔の表情や全体の姿に愛嬌があって、下手なぬいぐるみよりも私の目にはずっと可愛いかったのだ!

 娘は幼少の頃より、ぬいぐるみが好きな子どもだった。 そんな娘におばあちゃんである義母が、毎年誕生日やクリスマスには必ずやぬいぐるみをプレゼントしてくれた。 その数たるや小学生時点で一部屋に入り切らない程になり、娘が要らないものから徐々に鬼母の私が廃棄処分としていった。
 娘はその中でも、特にキティちゃんの特大ぬいぐるみをまるで妹のように可愛いがった。 汚れてボロボロ状態にもかかわらず、それを廃棄処分にすることは娘虐待に繋がると考えた私は、娘の意思に任せた。

 私立中学受験に合格した際、もう潮時かと考えた私が、キティちゃん特大ぬいぐるみを捨てる提案をした。 それをすんなりと受け入れた娘だったのだが、何だか惨たらしい事をした感覚があった私が採ったのが、新たにヒツジとネコの枕をプレゼントするとの行動だった。

 娘は特に、ネコの枕(というよりも娘にとってはぬいぐるみだが)に対し“過去の”特大キティちゃん”よりも思い入れを抱いた様子だ。 今となっては、ヒツジもネコも娘に可愛がられオンボロボロの姿になりつつも、我が家の一員のごとく堂々とソファーに居座っている。

 という我が粋な計らいのお陰で(??)、娘はヒツジとネコに興味がある様子だ。 
 我々一家が住む高層住宅は、背丈制限があるものの一応小型動物を飼育してよいとの管理規約がある。 とは言えども、それを実行に移したならば私の日常業務が増えるだけだ。
 ここは、事ある毎にヒツジやネコの催しもの企画に娘を誘(いざな)おうと心得ているサリバンである。


 我が家の特質事情の話題が長引いてしまったが、表題に戻そう。

 5月の連休を挟みわずか2週間足らずの写真展との期間制限もあるのだろうが、とにかく会場は大混雑だった。

 私の展覧会の感想だが、写真に映ったネコが可愛いというよりも、とにかく岩合光昭氏の写真の数々が実に見事だった。
 今回の岩合氏によるねこ写真展のテーマは、京都春夏秋冬の四季や京の人々の生活に溶け込む日常のねこ達の姿を捉えたものだった。 その風景こそが美しく、また京都へ行きたいなあと誘われる気分だった。


 そして、何よりも日本橋三越本店にて当該写真展が開催されている「主眼」の程を実感させられたのが、ミュージアムショップだ。
 「あれ、ミュージアムショップがないよ?」と娘と言い合っていると、なんのなんの。

 写真展会場の何倍ものスペースを取って、「ねこの京都」写真展横の三越本店本館に「ネコグッズ」販売フロアが設けられていたのだ!!

 犬・ネコブームの現在、三越本店はこの「ネコグッズ」販売により、岩合光昭氏写真展開催中に膨大な売上利益を稼ぐことだろう。

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連休終盤に日本橋を行く。 (日本橋三越本店ライオン像編) 

2017年05月07日 | 芸術
 (写真は、日本橋三越本店正面玄関に置かれている ライオン像 を撮影したもの。)


 日本橋三越本店と言えば、このライオン像を語らずして終われないだろう。


 冒頭から話題を大幅に変えるが、実は我が娘の就職先本社が日本橋茅場町に存在している。 (ただし、娘の日々の勤務先は別の場所なのだが。)


 娘が昨春、大卒新人社会人として就職をゲットした先が日本橋茅場町に本社が位置する企業である事を一番喜んでくれたのが、元々日本橋を住み処としてこの地で代々事業を執り行っていた最後の経営者である義母だった。

 義母曰く、「偶然ねえ。 孫の〇〇ちゃんが日本橋に勤務することになったの? ずっと日本橋に住んでいた私としてはとても嬉しいわ。 これも縁というものかしら。 茅場町には私も思い出が沢山あるのだけど、孫の〇〇ちゃんがその会社でずっと活躍し続けてくれるといいわね。」


 写真のライオン像を、義母も数十年前のかつての昔に当該日本橋三越本店への日々の買い物がてら幾度も見た事だろう。

 我が娘は、何と今回がこのライオン像を見るのが初めての事だそうだ!?! 
 かく言う私とて、マジマジと見つつ写真撮影をするのは今回が初めてだし……

 何とも立派なライオン銅像だこと!!

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連休終盤に日本橋を行く。 (日本橋三越本店編) 

2017年05月07日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、東京都中央区日本橋室町にそびえ立つ日本橋三越本店本館。 正面玄関前より撮影したもの。)


 私が日本橋を訪れるのは何年ぶりだろう。
 あっ、そうそう。 娘の振袖を購入した4年前頃、呉服屋の招待で日本橋にて開催された「着物展示会」に幾度か訪れた。 確かに、お江戸日本橋という土地は和服が似合う場所かもしれない。
 ただ、その時には日本橋三越本店は訪れていない。


 実は、我が亭主が日本橋の生まれだ。 
 亭主の実家が代々日本橋の地で事業を執り行っていた関係で、この地にて生誕したとの事だ。

 亭主4歳時に、現在義母の家がある地に一家で住み替えたそうだ。  その後も日本橋にての事業は義母及び義父(義父が養子の立場)がそのまま続行していたらしい。
 亭主が35歳にしてやっと定職に就いた(参考だが我が亭主は大学院博士課程修了後、ポスドクの身分で複数の大学研究室にて研究に励んだ関係で人より就業が大幅に遅れたらしい。)事をきっかけに、義母が赤の他人に日本橋での事業を営業譲渡する決断をしたとの事だ。(もちろん有償にて。)

 実質的経営者であった義母の言い分を、私は亭主との婚姻直後に義母から直接聞いた事がある。
 本来ならば長男である亭主が事業を継承するべきだろうが、その適性が無いと早期より判断していた。 亭主には姉もいるが、その義姉(3年前に膵臓癌にて他界)に関しては義母の意向で最初から“お嬢さん”として育て、そもそも事業を継承させるつもりはまったく無かったとの話でもある。
 その話を義母から聞いて、私はもったいない事をしたものだ、と大いに残念に思った。
 どうして亭主婚姻後まで事業をそのまま継続してくれなかったのだろう? その事業を、この私こそが継承したのに!  などと、言える筋合いも無いしね…… 
 ただただ義母の言う通り、我が亭主には事業家の資質・適性など100%皆無であろうとの義母の判断に納得するばかりだ。


 そんな義母が、亭主と結婚し立ての頃、よく私に話してくれたのが日本橋三越本店の話題だ。

 事業所兼実家が日本橋三越本店の近くにあり、毎日の買い物に当該店舗を日常的に利用したとの事だ。
 義母が幼き頃の我が亭主を連れて行こうとすると、「四越(よつこし)へ行く!」と亭主が喜んだとの微笑ましい話題でもある。
 これ、私には十分にガッテンだ。 我が亭主には、冗談で言っているのか元々天然質故に本気で言っているのか今尚不明な不思議な雰囲気が確かにある。 
 そんな亭主に「あなた過去に日本橋に住んでいた頃、四越(よつこし)へ行く! といつもお義母さんに言ってたそうだねえ。」と私がからかうと、決まって「そんな事言ってないよ!」 と向きになるところなど、実に可愛いもんだ。


 その話題の亭主は昨日本人の意思で日本橋へは同行しなかったのだが、日本橋に来ると嫁ぎ先である原家の歴史が我が脳裏に蘇るような気がする。

 まさに元々日本橋の地に根差していた原家の直系末裔である我が娘相手に、そんなエピソードを嫁の立場の私から語りつつ二人で一時日本橋を楽しんだ。

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東京湾トワイライトクルーズ - 総括編 -

2017年05月05日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、東京湾ディナークルーズにて終盤に娘が撮影してくれた“満面の笑み”の私の写真。)



 この満面の笑みで私が写真に映ったのは、久しぶりのことのような気がする。 

 ディナークルーズにて(いつもの半分以下の物足りない)お酒を飲み干し、次はデザートとのタイミングで娘が撮影してくれたのが上記の写真である。


 
 連休の過ごし方など、各家庭や個々人それぞれであって当たり前だ。


 ただ、私は娘が写してくれた上記写真を見て今回のクルーズが楽しかったのだと再確認させてもらえる気がするのだ。

 そういう少しの思い出が積み重ねられただけでも、連休の存在価値があるのかとも思ったりする。



 などと言いながら、明日も娘を誘って私は都心のとある場を訪れる予定なのだが。

 まだまだ今年の5月の連休は続く。

 それぞれのご意思で、ご自分なりの有意義な連休の思い出を紡がれ育まれますように。

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東京湾トワイライトクルーズ - ディナー編 -

2017年05月05日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、東京湾ディナークルーズ船にて出された最初のオードブル。)


 さて、トワイライトクルーズ出港前にレストランの係員氏が、ウェルカムドリンクを注ぎにテーブルまで来て下さった。

 「アルコールは大丈夫ですね?」との質問に、「もちろんです!」と応えつつ、娘の反応を見た。
 そうしたところ、娘も「はい」と応えているようだ。

 周囲を見渡すと、既に別ドリンクを注文している方々も多い様子だ。
 これは飲兵衛の私にとっては力強き安心材料であり、それに追随したいものの……、


 第一義として「2時間」とのクルージングタイムを勘案するべきだろう。
 例えば、途中でトイレへ何度も行くことは避けたい。 あるいは下船の時に階段を降りねばならないが、その時につまづいたりして娘の面前で恥を晒す事になりかねない。……

 (こういうのが、ディナークルーズの欠点かな??) などとの飲兵衛身勝手理論を脳裏で浮かべつつ、本日のディナークルーズの場合、まさに“場をわきまえて” 酒の量は普段の半分にするべきだろう、と結論付けた私だ。

 そんな下手な計算を飲兵衛母が脳裏でしているとは露知らない娘は、冒頭のオードブルを食している。
 
 参考だが、このオードブルは「シュリンプと彩春野菜のマリネ オレンジ風味」と銘打っている。
 普段、エビを好まない娘がきちんと完食するではないか。
 
 そうだよなあ。 私も食事を出す時には、何らかのスマートな名前を付けてテーブルに置くとバージョンアップするのかなあ。 などと料理嫌いにして少し感じたものだ。

 この後ディナーは、スープ、そしてメインの肉料理、デザート、コーヒーへと続く。
 参考だが、軽井沢の老舗から取り寄せているとのパンが私の舌には何とも美味だった。
 (原左都子のFacebook上でディナー写真を先行公開しておりますので、もしよろしければご参照下さいますように。)

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東京湾トワイライトクルーズ - 船内編 -

2017年05月05日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、我々母娘が乗船したディナークルーズ船の室内にて撮影したもの。)


 前編でも紹介した通り、我々が案内されたディナールームは広い空間のレストランだった。

 今回私が予約したディナークルーズ船は、4フロアーに渡り大小様々なレストランルームを配したディナー専用船のようだ。
 例えばビアホールもあるし、個室形式の小部屋もあればバーラウンジもあり、更にはオープンデッキやパーティルームも併設している様子だ。


 顧客それぞれの要望に沿い2時間のディナークルーズを提供しているこの種のディナークルーズ船に乗船したのは、我々母娘にとっては初めての経験だった。

 同じ2時間、 そして、 同じ船内、  との時空間の制限。

 そんなある意味では“窮屈な束縛”の中で、「顧客それぞれの要望に沿ったディナーの提供」との“目の付け所のシャープさ”に、まずは拍手である。

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