原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、
自己のオピニオンを綴り公開します。

そもそも昭恵氏が名誉校長を引き受けたのが諸悪の根源だ!

2017年03月24日 | 時事論評
 今回のエッセイは、昨日3月23日午前・午後に渡り衆参両議員2部構成で実施された「森友学園蓮池理事長に対する証人喚問」の速報の形となる。


 今朝パソコンを開いたところ、昨日の証人喚問に於いて蓮池氏が答弁した内容に関する安倍昭恵氏よりの反論が掲載されていた。
 そのネット情報の解説と共に、昭恵氏ご自身がFacebook上に公開された反論文章全文を以下に紹介しよう。

 安倍晋三首相の昭恵夫人は3月23日夜、衆参両院の予算委員会で同日、大阪市の学校法人「森友学園」の籠池泰典氏に対する証人喚問が行われたのを受けて、自身のフェイスブック(FB)に「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません」と投稿し、重ねて否定した。
 籠池氏が喚問で、昭恵夫人が27年9月5日に講演に訪れた際、「私と2人きりの状態で『安倍晋三からです』と封筒に入った100万円をくださった」と主張していることについても反論。「私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました」と書き込んだ。

 昭恵夫人がFBに投稿したコメントは次の通り

 本日の国会における籠池さんの証言に関して、私からコメントさせていただきます。
 (1)寄付金と講演料について
 私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした。私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております。
 本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。
 また、「講演の控室として利用していた園長室」とのお話がありましたが、その控室は「玉座の間」であったと思います。内装がとても特徴的でしたので、控室としてこの部屋を利用させていただいたことは、秘書も記憶しており、事実と異なります。
 (2)携帯への電話について
 次に、籠池さんから、定期借地契約について何らか、私の「携帯へ電話」をいただき、「留守電だったのでメッセージを残した」とのお話がありました。籠池さんから何度か短いメッセージをいただいた記憶はありますが、土地の契約に関して、10年かどうかといった具体的な内容については、まったくお聞きしていません。
 籠池さん側から、秘書に対して書面でお問い合わせいただいた件については、それについて回答する旨、当該秘書から報告をもらったことは覚えています。その時、籠池さん側に対し、要望に「沿うことはできない」と、お断りの回答をする内容であったと記憶しています。その内容について、私は関与しておりません。
 以上、コメントさせて頂きます。
 平成29年3月23日
      安倍昭恵  
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 昨日実施された当該証人喚問のすべてを、私は午前午後に渡りテレビにて視聴した。

 我が私論として言いたい事は山々あれど、本日のエッセイでは、昨日の蓮池氏の関する証人喚問が“何を目的として実施されたのか"に的を絞って私論を述べたい。

 午前中に質問に立った自民党参院議員もその“喚問の目的論”を繰り返していた。
 当該自民党議員曰く、「今回の喚問のポイントは、蓮池氏がカネもその資質も一切無いのに小学校を設立しようとした事こそが諸悪の根源」と結論付けた。(表現面で多少の違いはあれども、自民党議員が言いたかったことは概ねそういう事だろう。)

 ところが、原左都子の私論は全く異なる。
 今回の蓮池氏証人喚問の第一義とは、「安倍首相及び昭恵夫人を筆頭とした国会自民党議員や大阪府等々、政権や地方自治体権力が今回の蓮池氏による森友学園小学校創設にかかわり積極的に裏工作等をした事実を明かす事」にあるとの考えに揺るぎが無い。

 その観点で昨日の喚問劇を注視したのだが、午前午後を問わず自民党及び公明党議員よりの喚問質問内容の腹立たしい事、この上ない!
 特に午後質問に立った自民党衆議院議員の質問たるや、途中から質問ではなくなり、ご自身の感情論に特化してしまった。 これ、むしろ自民党としては墓穴を掘ったのではなかろうか。 証人喚問と言えども、質問者にも礼儀が要求されるであろうに。

 その自民党衆院議員氏は、殊更蓮池氏が安倍昭恵氏から受け取ったと言う100万円の寄付金のみにこだわり、自分勝手にその事実が無い事を前提として蓮池氏に事細かな質問をしていた。
 例えば、「受け取った100万円を振り込んだ振込用紙が古い。本当は受け取って無いですよねえ~。事実を言わねばあなたは偽証罪に問われますよ~~。」等々と蓮池氏を責めるのだが、その発言の仕方が嫌味たらしい事、この上ないのだ。 証人喚問の質問に際してもある程度のマナーが必要ではないかと、聞いている一国民として苛苛させられた。


 さて、その昭恵氏が蓮池氏に渡したという100万円の寄付金、及び昭恵氏が名誉校長を引き受けた時に蓮池氏が支払ったとされる謝礼 に関する原左都子の私論を述べよう。

 私としては、それらの“金銭授受”に関しては今回の証人喚問に際し二の次の議題でよいのではないかと考える派だ。

 それよりも優先して議論するべきは、何故安倍昭恵氏が当該開設予定の小学校の名誉校長を引き受けるに至ったのか(その背後裏側の事情も含めた)の事実ではなかろうか?
 昨日の蓮池氏の答弁によれば、昭恵氏が名誉校長を引き受けていた時期は5ヶ月間との“短い期間”であり、その後辞退されたとの事だ。
 私に言わせてもらうと、5ヶ月間とは十分に長い。 てっきり2,3日で自らの過ちに気付きさっさと辞退したものと想像していたからだ。
 で、その間昭恵氏は「名誉校長」として何某かの業務をしていたのか? 蓮池氏は何らかの「口きき」でもしてもらっていたのか?  なる質問もあったが、それに対して蓮池氏は「開校に際して様々な相談をしていた」と回答を濁したように記憶している。

 一国の総理夫人が一私立小学校の「名誉校長」を引き受けるという事は、要するにそういう事だろう。 つまり政府が一私立学校に何らかの“口利き”をするためと、大方の国民に勘繰られてもやむを得ないという事だ。
 その事態に昭恵氏は想像が付かなかったのか? あるいは、「私は総理夫人だぞ! それくらいの権力はあるのさ。」と愚かにも威張りたかったのか??  まったくもって、よくぞまあそのような危険な行為に出たものだ、と呆れ果てるしかない。


 蓮池氏証人喚問の前日に、野田佳彦・民進党幹事長も以下のように述べておられる。

 (学校法人「森友学園」=大阪市=をめぐり)総理経験者として、どうしても分からないことがあるんですね。(安倍晋三首相が最終的に断ったとはいえ、同学園の幼稚園での講演が決まっていた件について)総理大臣が一幼稚園の講演に行こうと思うはずがないんです。ありえない。これ本当、不思議ですよ。地元の親しい幼稚園だって、行きませんよ。  二つ目。ファーストレディー、総理夫人に5人も秘書がいた。これも信じられない。やはり、特殊なんですね、このことが。それだけ、深い関係の方のために、誰かが何かをやったんじゃないかということは、韓国の大統領が辞めたのと同じじゃないか。
 (何某かのパーティーのあいさつで、野田氏が述べた内容を引用したもの。)


 蓮池氏に対する証人喚問は、今後も続くようだ。

 安倍昭恵さん、貴女は「自分は蓮池氏との金銭授受をしていない!」、と主張する事に現在躍起になっておられるようだ。  だが、その大本は(たとえ周囲にそそのかされたとはいえ)ご自身が得体の知れない学園の「名誉校長」を引き受けるとの呆れた行動を取り、種を撒いてしまったが故の話だ。

 国民とて、大迷惑な話だ。
 単に蓮池氏ご本人が軽率カネ無し人間で結果として学園開設がままならなかったにせよ、貴方がこの学園に名誉校長として絡んでさえいなければ、これだけ国家を上げて国民を巻き込んで大騒ぎする必然性もなかったはずだ。

 以前も本エッセイ集にて記述したが、安倍昭恵さん。 一国の総理夫人として今後如何なる身の振り方をするべきか、今回の事件に懲りて是非とも再考して頂きたいものだ。

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他者への依存心が老化を加速させる

2017年03月20日 | 自己実現
 ここ数年、何処へ行っても(身内高齢者を含め)お年寄り達と縁がある私だが、彼ら(彼女ら)ご高齢者の皆さんを観察したり会合したりする日々の中、思う事がある。


 先だって公園で行きずりの92歳のご婦人と出会い、一緒に一時ダンスを踊り立ち話をした話題をエッセイに綴った。

 公園ダンス歴が既に7,8年になる私だが、行きずりの関係で話しかけて下さるのは大抵がお年寄りだ。
 小学生くらいまでの子供達も、私がダンスを踊っているのを見ると興味深そうに立ち止まったりはするが、話しかけてくることはまずない。 その他の世代はチラリと視線を投げてくることはあれど、決して近づいては来ないし、大方は見ないふりをして去って行く。

 そうそう。 ある時犬を連れて散歩中の中年女性とお話をした事がある。
 この時の状況を述べると、ダンスをしている私を女性が連れていた犬が立ち止まってじっと見るのだ。(同様のシチュエーションはよくあるが、大抵は 飼い主が “こら、見るな!” と言わんばかりに犬の首のロープを無理やり引っ張って連れ去って行く。) 
 ところが、その女性は違った。 犬の“意思”を尊重し一緒に立ち止まったのだ。 それに気が付いた私はダンスをやめ女性と犬の所へ行って挨拶した後、犬のすぐそばに座って私に注目してくれた犬の頭を撫でた。 その行動で犬が私に懐いてくれ何とも可愛いので、「こんなに懐いてくれるのですね。可愛いですね!」と本心を述べると、「もしかしたら犬を飼われていますか? 犬の匂いに惹かれたりするようです。」と女性。 「いえ、飼っていませんが、こんなに可愛いならば飼いたくなりますね!」  などと話していると、女性が「ダンスのお邪魔をしてごめんなさい。」とおっしゃるので、「こちらこそ、可愛いご愛犬に懐いて頂きありがとうございました。」と挨拶した。 その後も犬は、私の方を何度も振り返りつつ散歩道を去って行った。


 あっと、話題がついつい横道に外れ、我が公園での“行きずりの出会い物語”になってしまったようだ。

 ここで、今回のテーマに戻そう。

 上記、公園でダンスを一緒に踊った92歳のご婦人を “Aさん” としよう。
 このAさん、元々明るく人見知りをしないタイプのようだ。 おそらく、日々散歩中に出会った人達との会話を楽しんでおられる事だろう。
 加えて、私がAさんに感心させられた一番の理由は、お亡くなりになったご亭主の話題に一切触れなかった事だ。 私が察するに、ご亭主が亡くなってからさほどの年月が経過していないと推測出来るにもかかわらず…。

 これに比し、例えば昨年のイタリア個人旅行中に出会った日本人団体旅行客の女性高齢者(78歳との事だったが)など、イタリアでの我々母娘との一期一会の出会い中に、亡くなったご亭主の介護の様子を事細かく話されるのだ。 
 海外旅行にまで出て、何故異国のこの地で出会った見知らぬ他人にご自身のご亭主の話題を中心に設定するのか??、と聞いてあげながら辟易とさせられたものだ。 おそらく同国人ならばご自身の辛さを理解してもらえると期待し、心の内を打ち明けたのだろう。
 この78歳のご婦人は、「主人が亡くなった今、私にとって旅行こそが楽しみ!」 とおっしゃるのだが。 そうであるならば尚更、亡くなったご亭主の介護の辛さを旅先で行きずりの人に聞いてもらうとの手段を取るご自身の心理状態こそに決着を付けない内は、その辛さからいつまでも解放されないのではなかろうか??、と無情にも感じざるを得なかった……。

 確かに、高齢域に達して一人残される配偶者のその後の生き様とは、先に他界するご亭主(奥方)の年齢により大きく左右されるのかもしれない。

 上記イタリア旅行中に知り合った女性の場合、未だ78歳。 おそらくもっとご亭主と共に生きて行かれようと志されていたのだろう。
 片や、92歳のAさん。 男性の平均寿命を鑑みると、ご亭主はあらかじめ予想可能なご年齢にての他界だったのかと推測可能だ。 それ故に、ご自身が92歳に至ってあれ程にお元気で、今現在も公園内を散歩しつつ私にまでお声を掛けて下さったのかと嬉しく思う。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 現在、高齢者有料介護施設へ入居中の我が身内高齢者2名(義母及び実母)の保証人を任されている関係で、必然的に普段より高齢者に関心が向くのは現在の我が宿命であるとして。

 そのお陰の長所として、私は世間で知り合う高齢者の皆様に対し“興味が持てるようになった”と自己分析するのだ。

 ただ、この世の誰が高齢者に興味を持つんだ!? というのが世間一般の本音ではなかろうか。
 高齢者対策と政権をはじめ各種公的機関が大騒ぎしている割には、特に核家族の若い世代程、そんなの他人事と考え無関心でいる事に間違いないだろう。
 下手をすると、身内高齢者より如何に高額年金を巻き上げるか?? にまで若い世代家族内での魂胆が及んでは、刑事事件にまで発展しそうだ。

 高齢者にとっては、身内に身を斬られそうな今の厳しい世の中である事に間違いないだろう。
 そんな逆境の下、高齢者自身こそが老齢初期段階から身内をはじめとする他者に依存することなく、いつまでも主体性を持ち自力で生き抜くことこそが身を助けるものと、私は信じるのだが…

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行きずりの92歳ご婦人と一緒に楽しんだダンスステップ

2017年03月18日 | 人間関係
 今年の3月は真冬並みの寒さが続いていたが、昨日は私が住む東京地方でも春らしい暖かさが感じられる一日だった。

 こんな日は、野外でランニング練習したら気持ちよさそうだ。 
 いつもはジムにて筋トレ及びランニング練習をする曜日だが、この絶好のランニング日和に屋内にこもるのはどう考えてももったいない。
 と言う訳で昨日、久しぶりに自宅近くの大規模公園へランニング練習に出かけた。


 野外ランニング練習の際には、ウォーミングアップの意味合いもあり公園内でまず軽くストレッチの後、ウォークマンにて2曲ほどダンスミュージックをかけ、ダンスエクササイズをするのが通常だ。

 昨日もこのダンスエクササイズを始めたところ、ちょうど公園内で踊る私の前を通りかかった高齢のご婦人が、じっと私の方を見ながら何か話しかけておられるようだ。

 急いでウォークマンのイヤホンを外し、婦人に近づき「こんにちは」と声を掛けた。
 そうしたところご婦人がおっしゃるには、「私もダンスが好きなの。一緒に踊りたいな~。」
 即答して私曰く、「是非、ご一緒に踊りましょう!」 
 と言い終わるのも待てないがごとく、手押ししていたシルバーカーを離れ、ご婦人がダンスステップを踏み始めるではないか!
 これがビックリ!!   上手なのに加えて、私がいつも踊っているジャズダンス系程の軽快なノリのテンポが速いステップなのだ!
 「凄いですねえ。 何だか負けそうですが、ダンス経験がおありですね!?!」と尋ねると、ご婦人が「昔ダンスをやっていたの。 今は腰が痛くてそれどころじゃないのだけど、貴女を見ているとつい踊りたくなったのよ。」
 (いやはや参ったなあ。世の中には希少な高齢者が存在するものだ)と心底驚いていると、ご婦人が「私今92歳なんだけど、ずっと商売をやっていたせいで比較的元気な年寄りかもしれない。」と言い始めるではないか。

 (92歳!! 後30年も生きて私はこんなに元気でまだダンスを踊っていられるのか?? )と脳裏に我が将来像に対する不安感が過りつつも……
 「そうですよね。 自営業の方は定年退職が無くいつまでも主体的にその職務にかかわれるのが羨ましいです。」などとしどろもどろに返答すると、「主人が亡くなってからは、店頭に置いていた自動販売機を6台から2台までに減らしたの。 そうでもしないと私の缶の入れ替え仕事がいつまでも大変だから。 でもたまに娘がやって来て、自動販売機への入れ替えはお母さんが自分でやった方がいい、と見放すのよ。 惨い娘でしょ?」と言うので、 「いや、それは娘さんのお母様への愛情ですよ。 そんなご自身の仕事がある事も生き甲斐の一つではないですか? お仕事を全うされつつ100歳を過ぎても生きておられるようなパワーを感じさせて頂けます。 私もそれにあやかりたい思いです…」等々と会話を連続していると、
 ご婦人は「あ~ら、ごめんなさいね。ダンスの邪魔をしたわね」と言いながらシルバーカーへ再び戻り、公園内をさっさと去って行かれた。

 その後、私が5㎞のランニング練習を終了しかかった時、当該92歳の高齢女性が未だ公園内をシルバーカーを押しつつ歩かれている姿を垣間見て、改めてこのご婦人の生命力(この世を生き抜かんとするパワー)の程に恐れ入った私だ。


 現在92歳ということは1924年のお生まれ。  日本の元号で言うところの大正末期にご生誕された人物のようだ。
 そうすると、第二次世界大戦末期には既に成人されていたご年齢であろう。
 その頃未だこの世に誕生していない世代の私にとっては、当時の国民の生き様に関して想像不能な部分が多いのが事実だ。

 ただ未だ未熟者の私にとって、92歳までの年月に渡りこの世を生き抜き、大都会東京で現在に至って尚商売を続行されているとのご婦人が、行きずりの私に垣間見せて下さった“ダンスステップ”に、大いなるインパクトを受けた事は確かだ。

 その素晴らしさこそが、大正・昭和・平成との長き年月に渡り存在し続ける彼女の証しではないかと、昨日行きずりにてほんの一時合いあいまみえたご婦人のご人生の程を鑑みつつ、身勝手にも尊敬申し上げたい思いである。

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稲田朋美さん、虚偽答弁に隠蔽工作、もう辞任しかないですね

2017年03月16日 | 時事論評
 冒頭より、本日3月16日午前中に発表されたネット情報から 「稲田朋美防衛相、さらに窮地に 森友・陸自日報で野党攻勢『虚偽答弁に次ぐ虚偽答弁』」を引用しよう。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報問題に絡み、防衛省が「陸上自衛隊には存在しない」と説明してきた日報の電子データが保管されていたことが15日判明し、野党は稲田朋美防衛相への攻勢をさらに強める構えだ。
 「16日の衆院安保委員会で追及する。即刻辞任してもらう必要がある」  民進党の山井和則国対委員長は15日夜、産経新聞の取材にこう強調した。 稲田氏が、学校法人「森友学園」(大阪市)の訴訟に関与していないとの答弁を撤回した問題も含め、「虚偽答弁に次ぐ虚偽答弁をしたことになる」とも指摘した。  同党参院国対幹部も「政権の致命傷になる。もう稲田氏はもたない。安倍晋三首相にまで波及するのではないか」と勢いづいた。
 野党は15日の参院予算委員会などでも稲田氏を引き続き追及した。
 民進党の杉尾秀哉氏は、学園理事長退任の意向を示している籠池泰典氏との関係を取り上げ、「籠池氏はインタビューで『2年前に稲田氏に会った』と言っている」と指摘した。 稲田氏は「籠池氏とはここ10年来疎遠にしている。政策会合や講演会などに籠池氏がお見えになったのかもしれないが、私の記憶に基づくとお会いした認識はない」と説明。辞任の要求には「防衛相として職務に邁進(まいしん)したい」と重ねて訴えた。
 (以上、稲田防衛相に関するネット情報より一部を引用したもの。)


 本日昼のNHKニュースでは、この民進党の稲田氏への辞任要求を受け、自民党菅官房長官が特に南スーダン日報データ保管に関して稲田氏を弁護する発言をする映像が映し出された。
 原左都子の私論だが、これが笑える。 「稲田大臣は今後防衛省の日報管理を厳格に徹底すると発言しているのだから、ちゃんと大臣の役割を果たしていて辞任の必要はない」 (正確ではない点をお詫びします。)
 菅氏も苦し紛れに手抜きの弁護発言をして、墓穴を掘ったものだ。 国家機密の日報データを一時喪失したと発表した時点で防衛省トップの稲田氏の責任が問われるべきで、その時点で辞任しても少しもおかしくない話だ。

 あるいは森友学園裁判代理人問題に関しても、「記憶違い」と自身の虚偽答弁を平然と撤回し謝罪する始末。 弁護士として裁判に出廷した事実の記憶がないなど、プロの弁護士としてあり得ない話だろう。 もしも実際記憶が無くとも、過去の弁護士活動記録を閲覧すればその事実が記載されているはずだ。 よくぞまあ、ぬけぬけと「記憶がない」と国会答弁の場で言えたものだ。  そして後日それを安直に撤回し謝罪すれば自分の身が安泰だと本気で考えているのだとすれば、一国家の政権省庁のトップとしての資質がとわれて当然だ。


 ここからは、原左都子の“意地悪婆さん”観点から、少し稲田朋美氏に対する印象を述べさせて頂こう。
 
 この人、現在50代後半の年代らしいが、どうも外見が洗練されておらず“ダサさ”が前面に出てしまっていると、皆さん感じませんか?
 ご自身は自分が“美しい”とでも思っておられるのだろうか??  長い髪にこだわっているようだが、これがとにかく外見的な鬱陶しさを倍増してしまっていると私は悪評価するのだが… 
 氏の過去の写真と比較すると整形手術を施したのは間違いないようだが、現在の容貌を拝見するに顎周辺の垂み具合”がそのヘアスタイルで強調されている事実に、本人は気付いておられないようだ。
 一国の大臣ともなると、専属のスタイリストを付けているのだろう(?)が、そのプロに今一度相談して、真に大臣らしき外見をアドバイスしてもらっては如何かと言いたくもなる。

 しかもこの方、安倍首相の“操り人形”そのままで、自身の内面に秘めているはずの人格の程が一切感じ取れない人物だ。
 国会答弁等に立つその姿は、まるで“アンドロイド”。 顔面は“能面”を被っているがごとくにいつも無表情。 
 答弁に立った際、その“能面”の口から言葉を発するのだが、どこまでが本心でどこまでが演技なのかがその無表情と共に捉えにくい人物でもある。(実際、“超右翼”は単に表向きのセールスポイントに過ぎず、内面に何のポリシーも無いのではないかと私は疑っているのだが…)

 ここからは原左都子の推測だが、稲田氏とは、実は本気で「本音(自己)」が無い人物なのか?と感じるふしもある。  あくまでも安倍首相の“アンドロイド”に徹する事こそが自らの生き甲斐であり、それこそが最高の自分の人生と信じ、今を生きているような感覚すら抱かされる。

 稲田氏に関して私がそのような感覚を抱くのは、過去に稲田氏に関して調査した経歴等々の情報にもよる。


 その情報を、「原左都子エッセイ集」2016.8.13 バックナンバー 「安倍首相が“超右翼”稲田氏を防衛大臣に指名した魂胆」 内で公開しているため、今一度以下に反復させて頂こう。

 2016年8月3日に発足した第三次安倍内閣。  今回の内閣改造と同時期に行われた内閣改造人事には、今後の安倍内閣を考える上で、見逃せないポイントがある。
 その一番のポイントとは、安倍総理の寵愛を受ける “タカ派” 稲田朋美氏の防衛大臣起用だ。
 保守派の論客である稲田氏は、まだ当選4回。 本来なら、入閣までの日数が足りていないはずだ。 だが、稲田氏は安倍氏の寵愛を受けながら、ずっと陽の当たるポストを担って来ている。 
 今回の内閣人事では、防衛大臣という要職を担う事となった。 防衛大臣とは、安全保障に関する議論はもちろん、今後憲法改正をめぐる議論の際にも非常に重要なポストとなる。  この思い切った人事は、稲田氏を今後自民党総裁候補、等々、安倍氏自らの後継者として育てようとの安倍氏の強い意志を感じさせるものだ。
 引き続き、数日前にコピー&ペーストしてあった、稲田氏に関する情報を以下に紹介しよう。
 2016年08月04日  韓国が嫌う「稲田防衛相」という"劇薬"の効能    今回の内閣改造の目玉人事といえるだろう。  
 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
 実は私は、稲田朋美氏が安倍政権により“陽の当たるポスト”に取り上げられ国会答弁にて国民の前に姿を現すまで、氏の存在をまったく知らなかった。   国会にて拝見する稲田氏に対する我が印象とは、申し訳ないが、安倍氏が“政権の要人として”?? 取り上げている程にはインパクトはなかった。
 野党からの質問等々に対し暴言を吐きつつ反論するものの、声質が高いせいもあるのか、(失礼ながら、このおばさん、何が言いたいの?)としか感じられなかったものだ。
 そこで私は、現在安倍政権の要人とも言える防衛大臣に任命された稲田朋美氏に関し、ウィキペディア情報を探ってみた。
 以下に、その情報を要約して紹介しよう。
 稲田 朋美(いなだ ともみ、1959年(昭和34年)2月20日 – )は、日本の政治家、弁護士。 自由民主党所属の衆議院議員(4期)、防衛大臣(第15代)、自民党福井県連顧問。
 内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、国家公務員制度担当大臣、自由民主党政務調査会長 (第56代)、自民党福井県連会長を歴任。
 早稲田大学法学部在学中、当時男女雇用機会均等法も無く就職先がほとんど無かったので、司法試験を受けた。 弁護士になると5年間法律事務所の雇われ弁護士として法律の仕事を習得したが、子供ができたのを機にやめた。 その頃夫が『産経新聞』と『正論』を読んでいたので稲田も読むようになり、やがて「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか」などといった投稿をたびたびするようになった。
 「南京事件の件についていっしょに裁判をやらないか」と声をかけられ、本人はその当時の心境を「東京日日新聞、現在の毎日新聞が戦意高揚で書いた〔南京事件の際の「百人斬り競争」の〕嘘の記事が唯一の証拠になって、戦後の南京の軍事裁判のBC級戦犯として〔競争をしたと書かれた野田毅少尉と向井敏明少尉の〕2人が処刑された。 まったく嘘のことが、日本の名誉を傷つけるようなことが教科書でも教えられているし、本当のこととして流布されているという現状を私は日本人として放置できないと思ったんです」]と述べている。 最終弁論の日、向井少尉の次女の向井千恵子に出会い、女性ひとりで戦っている姿を見て感銘を受ける。これがきっかけで野田少尉と向井少尉の遺族が『毎日新聞』『朝日新聞』本多勝一らを相手取り、名誉毀損の裁判を起こすことになった。 稲田は「私は政治には全然興味がなかったんですけど、嘘のことで日本の名誉が毀損されているという状況を何とかしたいと思ったんですね」と述べている 。郵政解散のちょうど2週間ほど前に、自民党本部で「百人斬り競争」はでっち上げであるという内容の講演をする機会があり、これが聴講していた安倍晋三幹事長代理の目に留まり、政治家にスカウトされることになった。   (以上、稲田朋美氏に関するウィキペディア情報の一部を要約引用したもの。)  
 原左都子の私論でまとめよう。 
 なるほど、上記の稲田朋美氏に関するウィキペディア情報を読む限り、人間とは成長途上で身近な人間の影響を受け易い事を実感させられる。   稲田氏が早稲田大学卒業後、就職に難儀し弁護士になった後の(夫氏を含め)人間関係が気にかかる。 
 もう少し、稲田氏は人間関係オープンにして柔軟性がある青春時代を過ごせなかったものなのか? なる老婆心を抱きたくもなる。   ただ、その稲田氏の経験少なき “偏った人生経験” が安倍氏の目に留まり、「使い易い人材」として政治家にスカウトされたとの事だろう。
 すべての政治家達が稲田氏のごとく偏った寂しい歴史を辿っているとは思いたくもない。 だが私に言わせてもらうならば、人生経験希薄な(あるいは偏った)人物がやわら政治家としてスカウトされ、いとも簡単に防衛大臣にまで上り詰める事実こそが今現在の日本国家を創り上げてしまっているのかと、稲田氏の経歴を拝見して気の毒に思わざるを得ない…。
 (長くなり恐縮だが、「原左都子エッセイ集」稲田氏に関するバックナンバーの一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 現在の稲田氏に関して、与党自民党内からも“指導的発言”が出ていると見聞している。
 遡って、野党や世の動きを真剣に考えている国民が、貴女の今後の動向を如何なる視点で注目しているのか、稲田氏はご存知なのだろうか?

 真に一国の大臣(特に「防衛大臣」との差し迫った危機にも対応せねばならぬ)職責をご自身が真に全う出来る能力ある人材か否かを、少しは“アンドロイド”の兜を脱ぎ、自身こそが再考されては如何だろうか?

 日本は決して安倍独裁国家ではないのですよ。
 国家は、大日本帝国憲法の時代から既に大きく移り変わっている。
 その事実を、稲田氏が如何程に理解した上で現職防衛大臣としての任務を果たそうとしているのだろうか??
 大抵の見識ある日本人(少なくとも私の周囲の国民達)は、稲田氏の愚行の数々に愕然としていますよ。

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インパクトがあったホワイトデーのお返し

2017年03月15日 | 人間関係
 (写真は、昨日3月14日に娘が職場から持ち帰ったホワイトデーのお返し品のひとつ。)


 私自身の「ホワイトデー」と言えば、30代半ばの独身時代に “海老で鯛を釣った” 記憶がある。

 そもそも結婚願望が無ければ、周囲の若き女子達のように“バレンタインデー”だからと言ってキャピキャピと騒ぐキャラでもなかった。

 そんな私が既に30代半ばの頃に所属していた職場にて、バレンタインデー前日の2月13日の事だ。
 帰宅しようとした際、職場の男性陣が口々に私に告げる。
 「さとちゃ~ん、明日何の日だか分かってる~~?」 「忘れ物しないようにね~~。」等々と声掛けしてくるではないか。 (参考だが、さとちゃん、さとこ は上京後の職場時代の我が愛称であり、それを現在エッセイ集のペンネームとして引用している。)

 これが困った事に、当該職場は男性が30数名に対して、2月14日に出勤する若手女子がたったの2名。 もう一人の女子と話合い「幾らなんでも数が多すぎだよね」と二人で困惑しつつも、それぞれが男性数ずつチョコレートを持参する事とした。 
 あれだけ無邪気で天然質の男どもの態度に触れると、放っては置けない可愛らしさもあった故だ。
 私は偶然 “見栄えはよいが安価なチョコ” を発見し、全ての数を揃えてもさほどの金銭出費ではなかったのだが。  片や、もう一人の女子は20代少しの若さにもかかわらず、安価チョコに巡り合えず何と万札を飛ばす金額を要したとの事。

 そうこうして、バレンタインチョコを配り終えた1か月後、3月14日のホワイトデーがやって来た。

 これにはびっくり仰天!
 真っ赤な薔薇の花束やブランド小物類、お菓子類等々に加えて、便せん4枚に綴られた交際申し込みの手紙、ドライブの誘い等々、配ったチョコの数きっちりの30数個のホワイトデー豪華絢爛プレゼントが手元に届けられたのだ。


 話題を冒頭写真に戻そう。

 実は我が娘も社会人1年目に向かえたバレンタインデーには、職場でチョコレートを配らないとの選択をした。
 その理由とは、日頃より旅行土産を数回配りそのお返しを複数の職員氏より貰っているため、配り過ぎる迷惑こそを回避するべきと本人が考え、私もその意見を尊重した故だ。

 ところが、やはりホワイトデーにはお返しが届くものだ。

 昨日娘が持ち帰ったそれらお返しが、社会人1年目の娘の初々しさに相応しい物品であったことに親として目を細めさせてもらったりした。

 そんな中、一番目に付いたのが冒頭写真のお返しだ。
 モロゾフが発売している「Meeting Bus VOLKSWAGEN」と銘打つチョコレートとVOLKSWAGENバスのミニチュア模型セット商品なのだが、そのわずか長さ6㎝のバス模型が精密に出来ていて、バス内に椅子もあれば運転席のハンドルも模倣して作られている。  (参考だが、ネットで調べると¥2,160-と高額商品だ! これを何個も職場の女性に配った男性の“やる気”の程がまた凄い!?!)

 「これをホワイトデーのお返しに選んで下さった方は、おそらく車のファンなのだろうね」と娘と共に唸りつつ、プレゼントのお返しもこうやって“自己主張の手段”として利用出来る事を認識させて頂けた。


 我が本音を語ると、「バレンタインデー」「ホワイトデー」などに潤うのは商魂たくましい営利企業ばかり、それに踊らされる庶民の姿をアホらしく思う人間である事実には変わりはないが…。

 ただ妙齢の娘を持つ母の立場としては、こういう風に娘が持ち帰ったバレンタインデーのお返し品を拝見して、その贈り主の人物像を想像出来る一時を楽しませてもらえる事自体が嬉しいものだ。

 若き世代にとってはそんなプレゼント慣習も捨てたものではないじゃないのかと再考した、昨日のホワイトデーだった。

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路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (高齢者介護施設編2)

2017年03月13日 | 健康・医療・介護
 (写真は、郷里旅行中に宿泊したホテルより撮影した郷里中心部交差点の風景。 駅前のメインストリートにしてご覧の通り交通量が少なく、人の姿がほとんど見当たらない。)


 今回の郷里旅の旅行記最終編では、旅の第一目的だった高齢者施設に話を戻そう。

 旅行の最終日は、再び実母が入居している高齢者有料介護施設を訪問した。

 郷里到着後の初日に訪問した際に、既に母が元気に暮らしている事実は把握していた。
 それでも、遠方に住む家族のためそう易々と幾度も訪れる訳にはいかないため、今回の貴重な訪問の機会に、施設長やケアマネ氏、それに可能ならば施設に住む高齢者氏達と積極的にコンタクトを取りたいと志していた。

 私の場合、東京の施設に入居している義母の保証人の立場で既に5年以上の年月に渡り施設とかかわって来ているため、その手法や感覚で実母の施設ともかかわりが持てるものと考えていた。


 ところが、「高齢者介護施設」と一言で言えども大きく勝手が違うものだ。

 そもそも、義母と実母双方が入居している高齢者施設の分類が異なる。

 義母が入居しているのは、一般的に「介護付有料高齢者施設」と呼ばれている施設である。 ここでは65歳以上の健常者から要介護5までのすべての介護ランクの入居者を受付け、その介護度合いに応じた介護を提供している。 そのため本人や家族が希望すれば終末期の「看取り」まで実施する故に、先だって実施されたケアマネ氏との今後半年間の介護計画の際に、義母の「看取り」に関する保証人からの要望の話合いが持たれたという訳だ。

 これに対して、実母が入居している施設は、一般的に「サービス付き高齢者向け住宅」と呼ばれている施設だ。 ここでは自立生活がほぼ可能な高齢者を受け入れ、基本的に本人の自立した生活をサポートする事に主眼が置かれている。
 ただし実母の施設の場合、大病院付属である事が功を奏して、介護のランクが進むとその病院グループ内の介護ランクに応じた施設へ優先転居出来るとのメリットがある。 (という事は、実母の介護ランクに応じて、家族には“引越作業”が課せられるとのデメリットもあるのだが…
 それでも、実母が言うには車椅子の90代の女性も当該施設で頑張っているとの事だ。 要するに一人で頑張る意思がありその生活が叶う高齢者は、いつまでも現在の施設へ留まれるとの意味のようだ。
 「ならば貴方(母の事)も、一生この施設で暮らせるといいね。」と私が言うと、「施設長さんはじめ、スタッフの皆さんがそう言って下さるので、私も出来る限りここで頑張りたい!」との意向で、とりあえず安心した。


 と言う訳で義母の施設とはまったく勝手が違う実母の施設では、基本的に施設長やスタッフの皆様と保証人である家族が話し合いを持つ機会は無い、とのことのようだ。
 それを承知の上で、「せっかく遥々東京から来たのだから、施設長さんと話合いを持ちたい」と私が言っても、母は「職員の皆さん多忙で迷惑だから、やめた方がいい」とのアドバイス。

 加えて、入居者の皆さんとも通路やエレベーター以外ではお目にかかれない。
 「食事時に、私が挨拶しようか?」と母に告げても、「誰もそんな事していないから遠慮して」との返答だ。 
 今時は地方の高齢者施設とて、そうなのだろう。 特に実母が入居している施設の場合は「住宅」の位置付けにあり、個室の面積も広く要するにマンションの一室の感覚だ。(都会に住む私としては実際その広さに驚かされる! 親子3人で悠々暮らせそうな広さだ。) 食事とて、たまたま施設が提供して下さるから食事処で頂いているだけの事であり、後の生活に於いては個々の自由度が高いのだ。
 母の意向を尊重して、スタッフ氏はじめ入居者の皆様とのコンタクトは、通路やエレベーター内にての挨拶以外は、敢えて避ける事とした。

 
 そんな中、当施設のケアマネジャー氏が、実母の部屋までご挨拶に来て下さった。
 昨年10月の施設への引越し手伝いの際に、施設長へ「ケアマネ氏とお話をしたい」と私が告げていたことを施設長氏が覚えていて下さったようだ。 当該ケアマネ氏は、母を含め入居者皆様の個室へ定期的に訪問し様子を伺って下さっているとの母の説明でもある。
 ご多忙の中、遠方から来た保証人の私に面談に時間を割いて来て下さったのみで十分だし、母も大いに喜んでいた。
 ケアマネ氏との会話内容は私が何を尋ねても、「お母様はお元気で何も問題はございません」に尽きる事実が物足りないものの、これで済ませるべきと判断した私は、日頃の御礼を申し上げるのみで留めた。 ただケアマネ氏の笑顔の程が素晴らしく、実際母はこのケアマネ氏の日頃のケアにより当該施設で元気に暮らせているとの実感を得たものだ。


 午後になると、実母の知り合いが尋ねて来て下さった。
 母の旧住居地近隣の方であるそのA氏が管理栄養士であり、元々高齢一人暮らしの母に種々アドバイス頂いたりお世話になっていた事実は昔から母から聞いていたが、私はとしては初めてお目にかかる。 
 母が言うには、A氏は施設入居後も定期的にご訪問下さっているとのことだ。 遠方に住む家族として、こんな有り難い事はない。
 今回は私が東京から遥々施設へ訪れていたことに遠慮され早々と引き上げられたが、「どうかこれからもお暇がございましたら、母を尋ねて頂けますように」とご挨拶すると、「もちろんです。必ずやお母様ご訪問を続けます。」と返答して下さった事に、これまた安堵した。


 高齢者施設の皆様とは十分な会話が叶わなかったものの、今回の実母入居施設への訪問の際に偶然会合が叶ったスタッフ等々の皆様等との会話内容で、我が実母がある程度充実した介護施設生活を営んでいる事実を垣間見れた。

 実母からの、「私はこの通り大丈夫だから、貴方は東京の義理のお母さんを大事にしてあげなさい。」との旅道中最後の母の言葉を 自分が産んだ“娘へのエール” と判断して、私は郷里から去った。

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路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (タクシー編)

2017年03月12日 | 旅行記
 (写真は、郷里中心部の宿泊ホテルから実母が暮らす高齢者施設まで乗車したタクシー内で撮影した風景。)


 今回の旅行はその移動手段として主に路線バスを利用しつつ、どうしても待ち時間が長かったり乗り換え時間のロスが大きい場合はタクシーを利用する事とした。


 旅の最終日は、実母が住む高齢者施設より地元のタクシー会社に迎車をお願いして施設まで来て頂いた。

 施設玄関前でタクシーに乗り込むや否や、運転手氏が尋ねて下さる。
 「どちらまで行きますか?」  私が応えて、「空港までお願します。」
 すかさず運転手氏が「飛行機の出発時間は何時でしょうか?」と尋ね返して下さる。

 この質問の意味を私はすぐさま理解出来た。
 要するに、航空便の出発時間までに空港へ到着可能か否かを真っ先にタクシー運転手が判断して下さろうとしたのだろう。
 それを察した私は、「出発時間まで十分に時間がありますので大丈夫です。 この辺りは道路がいつも渋滞で混雑しているようですが、それを勘案しても出発までに間に合います。」

 と応えた直後にタクシーが主要道路へ出ると、案の上すぐ渋滞にはまった。 
 そこで私が、「ところで、例えば空港へ行く顧客の方が飛行機の出発までに間に合わなかったことがありますか?」と尋ねると、 運転手氏応えて、「あるんですよ。 運転手としては責任重大ですので必ず出発前に出発時間を確認するのですが、お客様はタクシーに乗れば間に合うと信じている方が多く、時間ぎりぎりの場合、運転中に胃が痛む思いです。」
 「で、実際に出発までに間に合わなかった場合はどうするのですか?」 と問うと、運転手氏曰く「次の便に乗って頂くしか仕方がないのですが、何だか罪の意識もありこれまた胃が痛み後味が悪いものです。」

 (いやはや、タクシー運転手業も大変だなあ~)、と内心同情申し上げていると。
 運転手氏が話題を変えて曰く、「でも、いい事もあるんです。 新大阪から福岡まで新幹線で帰りたいとおっしゃるお客様を、本四連絡橋を渡って新神戸駅までお連れしたのです。新神戸から乗車する方が短時間で帰宅可能と判断したからです。 その帰り道中に淡路島の休憩所でコーヒーを飲んで一休みしていると、そのお客様から携帯に電話があり“福岡の自宅に着きました”とお伝え下さったのにはびっくりしました。 新神戸で下車され別れてから1時間しか経っていなかったからです。 そんなに早く到着するとは夢にも思っていませんでした。」

 何ともまあ、自身の業務に対する責任感の強い運転手氏と感動しつつ、その後も会話が続く。

 例えば、運転手氏が「東京を航空便で往復する場合、どれくらいの旅費になるのですか?」と問うて下さるので、「私の場合、いつもネットで格安の“航空便とホテル宿泊パック旅行”を予約するため安価で済みます。今回の旅行の場合、娘と二人で¥〇〇程度でした」と正直に応えると、これまたびっくり仰天した運転手氏(ご高齢域の方でいらっしゃったが)が、「そんなに安価で済むのですか!! 若い方はいいですね。そうやってパソコンを操れて。 それで例えば、私が東京へ行きたい場合もそういう安価なパックが予約出来るのですか?」  (決して“若い方”ではない)私が“若いふり”をして応えて曰く「もちろんです。以前母を東京に招こうと考えそれを調べた事もあるのですが、混雑時期を外せば安価でしたよ。」

 そうこうピンポンの会話を続けているうちに、タクシーに乗車して約1時間後に空港に無事到着。
 そこでも運転手氏は我々を気遣って下さる。 「到着が早過ぎたようですが、大丈夫ですか?」 「はい。空港で食事をしてお土産を買ってから飛行機に搭乗する予定でしたのでちょうどよかったです。」 
 運転手氏はその我が回答に安堵し、「お忘れ物なきように」と言い残し空港を去って行かれた。


 私は十年程前より車の運転を完全卒業している関係で、自宅がある都心でもタクシーを利用する機会は多いかもしれない。
 あるいは郷里ではない他の日本国内の地に旅に出た時にも、現地ではレンタカーを借りるでもないため、タクシーに依存する機会は少なくない。

 その経験から言うと、現在の“全国標準”として、概ねタクシー運転手氏は顧客であるこちらから車内で話しかけない限り話を切り出す事はないのが通常だろう。 
 それでも何かのきっかけでタクシー運転手氏と会話が始まる場合、私は積極的にそれに乗る(ノル)人種だ。
 
 ところがこれも一長一短。 会話がピンポンで展開する人材はほぼいないと結論付けられそうに思う。

 例えば話好きの運転手氏の場合も、5分10分の短時間乗車ならば相手可能だ。
 ただ運転手氏側の一方的なお喋りが1時間にも及ぶ場合、聞き役に徹しつつも(あのーー。私クラブのママじゃないんですけど…)と言いたい思いを抑えつつ、降車後は怒り心頭だ!

 かと言って、タクシー乗車時間が1時間にも及びそうな場合、いい大人の私から何らかの話題を切り出さねば! なる使命感がいつも脳裏にあり、運転手氏の年代や個性を見抜きつつ話題をこちらから提供したりもする。


 それ程までにタクシー内で顧客の立場で運転手氏に配慮し、心労を溜める必要もないのだろう。
 それも承知だが、「タクシー」という完全個室内の人間関係を皆様はどのように対処されているのか、私からお聞きしたいくらいだ。

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6年前の大震災の日、私は…

2017年03月11日 | 時事論評
 (写真は、大震災発生時における都心の交通規制図。 2015年の運転免許証更新時に東京都公安委員会から配布されたパンフレットに記載されていたもの。)


 我が家は、上記交通規制図に書かれている環七(環状七号線)に程近い場所にある。 
 6年前の2011年3月11日、この環七通りを中心に都心部の主要道路は膨大な数の帰宅難民で溢れパニック状態に陥った。


 6年前の大震災当日のレポートに戻ろう。 
 (既に当エッセイ集内で幾度となく大震災の日のレポートを繰り返しているため、反復する部分も多い事をお断りしておく。)

 震災発生直後より高層住宅上階部に位置する我が家では、本震・余震と大揺れ状態が何度も繰り返された。
 耐震措置を施していたため家具の転倒こそは免れたものの、本棚や食器棚の戸が開いて中身が飛び出すわ、机の引き出しも開くわ、棚の上の物品がすべて床に放り飛ばされるわ、机や椅子が3、40㎝程移動するわ……  生まれて初めて経験する我が家の惨状の恐怖におののきつつ、我が身を守るためとりあえず室内の安全な場所に立つ(座ると物が頭に落ちてくるようで怖かった)ことしか出来ない私だった。

 本震の大揺れが収まった頃、私は一時少しだけ我を取り戻した。 
 まずは火の確認。 次に避難を視野に入れ、玄関とベランダ方面の窓が開くかどうかの確認。(と言うより、ベランダ側の大窓は鍵をかけていなかったため大揺れにより既に開いた状態だった。こんな大きな重い窓が開いている事実にまたもや恐怖心を煽られつつ。)
 そして、ベランダから周囲の状況を偵察した。 もしも火災が発生していたり崩壊している建物等がある場合、すぐさま避難体制に入らねばならない故だ。
 すべてがOKだった事を確認後、私は半端ではない揺れの余震が繰り返す中、自分の力で動かせる家具を元の位置に戻したり、各部屋の床に散乱した物を片付ける作業に入った。 もしも、当時高校生だった娘が早い時間に帰宅した場合、室内を一見して恐怖心を植え付ける事態を少しでも回避したい母心だった。

 ところが、その娘と連絡が一切取れない。
 16時半を回った頃だろうか? やっと、パソコンメールから学校にいる娘と連絡が取れた。
 我がメールに応える形で娘から返って来た返信によれば、「学校では父兄が迎えに来た生徒から順に帰している。 その他の生徒は学校に留まっている。」  我が家には学校から何らの連絡も届いていないのだが、娘が伝えるその様子はガッテンした。 
 ただ、テレビ報道は東北地方の巨大津波の情報を流すばかり。 一番知りたい地元東京のニュースが入手しにくい。  そうだ、ラジオだ、と思いつきスイッチをいれても、午後4時程の時間帯は巨大津波のニュース一辺倒だ。 その後、テレビもラジオもパソコンもつけっ放しにしておいたのだが…。
 夜が近づき、やっと首都圏交通網のすべてが大震災の打撃を受け運転休止状態であることが判明した。 しかも幹線道路も大渋滞との報道。  参考のため、我が娘は首都圏交通網の電車3本を乗り継いで高校へ通っていた。 ここは下手に娘を迎えに行くよりも、もしも学校が生徒を一夜学校に留めてくれるのならば、交通網壊滅状態のこの大混乱の中、娘も母の私も一番無事に夜を明かせるのではないかと結論付けようとしていた。
 19時が過ぎた頃、娘から「未だ父兄が学校へ迎えに来ない生徒は体育館で夜を明かす」との連絡が入った。 安堵した私は、「学校がそうしてくれるならば、それが一番安全だと考えるからそれに従いなさい」と指示し、娘は素直に体育館で一夜を明かしてくれた。

 さて後日談だが、娘が言うには大震災当日学校へ迎えに来なかった親は全体の1割弱だったとの話だ。
 他の親は、たとえ翌日の朝になろうが道路大渋滞を耐えて自分の娘(参考のため女子校だが)を学校まで迎えに来たらしい。
 大震災直後、これが“美談”として学校職員や生徒の間で語られたらしい。 その一方、迎えに行かなかった親どもは“冷血非常識親”として差別的に扱われるような風潮があったとも娘から見聞している。 そうか、私も冷血非常識親か。

 それを一部受け入れつつも、大震災時の対応を特に交通網断絶状態の首都圏に於いて如何になすべきかの大きな課題を私は考察し続けていた。
 確かに、あの日「帰宅難民」で溢れる道路を身の危険を受け入れ歩いてでも、娘を学校まで迎えに行く気があれば行けたのかもしれない。  今後娘在学中に大震災が再び発生したら、意地でもそうする!とも娘と話し合ったりもした。

 ただ大震災の破壊力とは、個人の“意地”や“体裁”で片付けられる程容易い性質のものではないことを把握するべきだと考える私は、悶々とし続けていた。
 学校へ誰が迎えに来た?、誰が迎えに来なかった?等々のせせこましい親同士の潰し合い感情論ではなく、少しでも多くの人間が助かる手段を採用する事こそが大震災時に要求されるべき方策だろう。

 そうこう考えていたところ、3月11日の震災発生後比較的早い時期に、行政より「震災時の大都会交通網大混乱に関する対応策」が発表された。
 それによれば、大震災時には通勤者や通学者を現地に留めるとの方針が前面に出されるに至った。
 これを受け我が娘が当時通っていた高校からも、「今後発生する大震災時には、生徒皆を学校に留める」方針文書が配布されるに至った。


 冒頭の写真は、その後更に年月を経た後に東京都公安委員会が提出した「大災害時の都心部道路の交通規制図」だ。
 これを発表したのには、様々な理由があるようだ。 災害発生時の膨大な数の“帰宅難民”対策のみならず、当該都心地域に火災が発生した場合等の早急な対策を主眼としている事実を私は把握している。


 東日本大震災発生から既に6年の年月が流れた。
 その間に、如何程の復興がなされたのか…
 特に福島原発事故を思えば、未だ何らの解決がなされないどころか、原発再開を掲げる安倍政権の下に現地の汚染状況や甲状腺癌の実情がひた隠しにされている始末…。
 何年たっても劣化した仮設住宅で暮らさざるを得ない地元の人達の嘆き…。
 未だに発見されない行方不明者の数々…。

 現地の被災者皆様のご心痛の程を重々お察ししつつ、6周忌を迎えた本日、我がエッセイ集では大都会東京が抱える事情のみをピックアップさせて頂いた事実を心よりお詫び申し上げます。  

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路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (B級グルメ編)

2017年03月10日 | 時事論評
 (写真は、我が郷里 “B級グルメ” 範疇に分類されるであろうラーメンの写真。)


 実はこのラーメン映像を昨日午前中にFacebookに公開したところ、既に知人より反応を頂いている。


 大阪府にお住まいのその人物の記述によると、
 「私も当該ラーメンを食せる近くの店舗に出向き、学生達と共にこのラーメンを食べたのですが、まるですき焼き風味の味付けだった。 学生達は最後にそのスープにご飯を入れて美味しそうに食べていたが、ちょっと受け付られないかも…」

 
 実は私も今回の旅道中に、郷里でこのラーメンを出された時には困惑した。

 見た目からして、汁の色が濃厚過ぎるのだ。


 私が遠い過去に郷里で暮らしていた当時、「中華そば屋」さんなる店舗が県内各地に存在していた。
 そこで当地のラーメン(「中華そば」と呼ばれていたが)を何度か食した事があるが、確実に美味だった記憶がある。


 あくまでも我が憶測だが、もしかしたら現在に至っては他県の同様B級グルメラーメンと“差別化”するために、敢えてこの“特徴的”な味にして現地のラーメンとして現在売り出しているのではなかろうか??

 そうだとするとその手段は至って邪道であり、“差別化”の方向を大いに誤ってしまったと判断出来そうな気がする。

 数年前にお土産として当該ラーメンを空港で買い求め自宅で食した事もあるのだが、その時もごく「普通」のラーメン味だった。 (決して美味しかったとは言えないものの、概してお土産品とはさほど美味しくないのが国内外を問わず通常だろう。)


 「地方創生」もその方向性を誤れば自滅の道を辿るのではなかろうかと、前回公開の “会席処の雛祭りフェア” の事例と共に私は考えたりもする……

 奇をてらったり、常連客をないがしろにするのではなく、特に食事処は真に美味しいものと良きサービスを提供する事こそが、何処の地域(東京も含め)であれ“真”の「地方創生」に繋がるのではあるまいか? 

 その意味で今回の我が旅行に於けるグルメを採点するならば、到着後最初の夜に訪れた駅ビルのイタリアンファーストフード店と、旅程最後の夜に空港にて立ち寄った食事処(ここでは「天ぷら定食」を頂いたが)に最高点を差し上げたい。

 要するに「地方創生」へったくれではなく、真実快き体験がその地で叶ったならば、また行きたいと思うのが人の性(さが)のような気が私はするのだ。


 (本エッセイ集にての公開に先立ち、既に原左都子Facebookページにグルメ関連の写真を数多く公開しておりますので、よろしければご参照いただけますように。)

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路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (グルメ 地産地消会席編)

2017年03月09日 | 旅行記
 (写真は、郷里地産地消会席の4番目くらいに出された“焼き物”料理。)


 私が郷里へ行くと必ずやこの会席処へ立ち寄るのがいつもの習慣だ。

 何故ならば、飲兵衛の私としてはどうしても酒でお腹が一杯になり、さほど料理の量を受け付けられないのが常だ。 
 そんな中、この店舗の会席料理は一つひとつの料理の量が多過ぎず、私でも最後まで完食可能なのが嬉しいためだ。


 ところが残念な事に、今回この店舗にて多少のトラブルが発生した。

 ちょうど私と娘が当該会席処を訪れたのが、3月3日。
 後で判明したのだが、どうやら「雛祭りフェア」を開催していた様子だ。

 私達母娘が早い時間帯に入店すると、「本日は“予約客”が多く混雑するかもしれません」との説明で、我々は早い入店だったにもかかわらず一番隅っこの下席に案内された。
 そうして食事を開始するなり、次々とその“予約客”とやらが入店し始める。

 これが “子供連れ” がほとんどだ。
 「ああ、要するに店は “雛祭りフェア” で稼ごうとの魂胆ね。 まあ、そうでもして地域創生しない事には過疎地は大変だし…」などと娘に言いつつ、どうも落ち着かない。
 しかも不運には、その“雛祭りフェア”はバイキングも並行して実施されている様子で、子供達がバタバタと通路を歩き(走り)始めるではないか!

 堪忍袋の緒が切れかけつつ、娘に「早めに飲食してこの店を出よう」と促した。
 いつも静かで落ち着ける会席処がこのドタバタぶりでは、本来の客対応がままならないのは理解出来るが……


 そして、レジ会計の際、私はその不満をレジ担当者にぶちまけた。
 「本日は雛祭りフェアを開催されているようですね。 何故それを我々来店時に伝えて下さらなかったのですか? そうと知っていれば本日は入店しませんでしたのに。 貴店には郷里帰省の際に幾度も来店させて頂いていますが、これ程混雑しているのは初めてです。 会席料理とは元々ゆったりと食してこその醍醐味でしょう。」
 等々と私が不満を訴えていると。

 レジ担当者が「それでは、社長を呼びます!」と逆上し始めるではないか!??

 すぐさま私が応じて、「社長を呼ぶほど大袈裟な話ではないでしょう? 呼んでもらっても別段差支えはないですが、店員の貴方達こそが我々来店時にもっと適切に対応出来れば済んだ事です。」
 そこに店長らしき女性がやって来るのだが、これまたレジ担当者同様の対応を我々に再開し始めた。
 店内を一覧すれば、“雛祭りフェア顧客”でごった返しているため、「もう結構です」とのみ言い残して我々は店を去った。 


 いやはや、末端店員氏達に対し厳しい対応だったことを私も少しは反省するが、過疎地に於ける“地域創生”のあり方を今後の課題として再認識させられた思いもする。
 “混雑”に慣れていない過疎地の店舗職員達が、混雑状態にパニックに陥り取り乱す姿を垣間見る思いだった。


 (参考ですが、原左都子Facebookページにて本エッセイ集に先立ち旅道中のグルメ写真の数々を公開済みですので、よろしければそちらをご覧いただけますように。)

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路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (グルメ イタリアン編)

2017年03月09日 | 旅行記
 (写真は、郷里主要駅ビル内にあるイタリアンレストランの風景。)


 我が旅のハイライトは、いつも“食べ歩き”だ。


 写真のイタリアンレストランは、店内の天井が高く広々していて椅子が大きく、ゆったりと寛げるのが最大の特徴だろう。

 店内窓側にカウンター席がズラリと30席程設けられているのだが、そこから間近に駅前の夜景が展望出来る。


 娘同伴の旅では、娘大好物のイタリアン店を見つけて必ずや訪れる習慣がある。


 このイタリアンレストランに入店してみて分かったのだが、その店構えのゆったり感とは裏腹に、ファーストフード店の形態で安価なのが特徴のようだ。
 まあなんでもいいや、美味しければ。 と思いつつ、入口のレジでとりあえず私はチリワイン白と赤の2本を注文し、自分で持って席まで行く。
 上記写真をご覧いただければお分かりだろうが、アルコールを嗜まない娘はアイスココアを注文したようだ。

 料理に関しては作りたてを席まで持って来てくれる方式で、問題なく美味しかったはのラッキーだった!

 
 (参考ですが、原左都子Facebookページにて本エッセイ集に先立ち旅道中のグルメ写真の数々を公開済みですので、よろしければそちらをご覧いただけますように。)

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安倍昭恵さん、自分が注目されてるって? そりゃ大きな勘違いだよ。

2017年03月08日 | 時事論評
 つい先ほど見たネットニュースによれば、学校法人「森友学園」への国有地売却問題で、学園が開設予定の小学校の名誉校長に就いていた安倍晋三首相の妻、昭恵氏が3月7日、東京都内で開催されたジェンダーを考えるイベントで対談した、との事だ。


 そのニュースの中で、安倍昭恵氏が自らの日常について「いまなんでこういう立場になってしまって、なんでこんなに私は注目を集めてしまっているのだろうと、すごく戸惑っている」と述べたらしい。

 イベント主催企業の女性役員との対談で、昭恵氏は「再び総理夫人になってから、すごく活動の幅が広がった」とし、「いろんなところに出向いたり、いろんな方たちからいろんなことを頼まれたり。すごく私は忙しくなってしまったんですね」と話した。
 自身の役割を問われると「人をつなげていくことなんじゃないかなって思っています」と笑顔を見せた。対談は約20分で、終了後に報道陣の取材には応じなかった。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 現在開催中の国会や大阪府は、当該学校法人「森友学園」への国有地売却問題で大揺れに揺れている。

 この事件に関しては後日改めて論評するか、あるいは、とりあえず各種メディアに任せるとして、今回の我がエッセイでは、この事件に“かかわった”安倍昭恵氏に関して思いつくままに私論を述べよう。

 いやはや、旅行出発前から旅行中もニュース報道で嫌になるほど見ましたよ、このニュース。

 一番驚かされたのは、当該学園が経営する幼稚園内の運動会で年端も行かぬ幼児達に、「安倍政権万歳! 安保法案成立万歳!」(正確ではない点をお詫びしますが)なるプラカードを持たせ、叫ばせていた事だ。

 一体どうしたんだ!??  この国は、既に安倍独裁国家になり下がったのか??
 冗談やめてくれよ。  今話題の某近隣国でもあるまいし。
 この幼稚園に我が子を入れている親どもは、如何なる思想の元に子育てしているのか??

 まさに、世も末感すら抱かされる……

 この幼稚園経営者が4月から新設予定だった(未だ問題解決していないようだが)小学校名誉校長に、一度は安昭恵氏が任命された。
 その事実を安倍首相及び昭恵氏は完全否定しているようだが、昭恵氏が新設に先立って当該学園の顧問をしたり、複数回会合に招待され挨拶を述べた事実は間違いないようだ。
 元々安倍家と当該学園長は知り合いとの情報もあり、繋がりがあった事実は否めないであろう。
 にもかかわらず周囲から叩かれ始めて、安倍首相は「まったく関係なく、迷惑している」と嘘ぶく始末。


 で、昭恵氏は、そういうふうに「自分が“注目”されて戸惑っている」のですって??

 それが嫌ならば、表に出しゃばらずに、陰でおとなしくしていたらどうなの?!?
 上記ネット情報には写真も掲載されていたが、マイクを持った貴方はとても活き活きと嬉しそうな表情をしているよ。
 要するに、そうやって担ぎ出されている事に有頂天になっていたんじゃないの?
 首相夫人でもない限り、一般人にそんな機会が与えられる事など皆無なのが世の常なのを露知らず、よくもまあぬけぬけと「注目されてる」などと国民の前で発言できるものだよ。

 しかも、自分の役割は「人をつなげていくこと」なんですって??
 貴方にそれを期待しているのは、おそらく貴方のご亭主である安倍首相の取り巻きだけだよ。
 通常この世でその種の職に就くには、それ相応の専門力を養い人格的にも成熟した人間のみ許されるのが事実なのよ。

 噂によれば、安倍昭恵氏専任担当の国家公務員が5名貴方に貼り付いているらしいが。
 これが事実ならば大問題、許し難き事態だ。 即刻解任するべきだ。
 この事態に絡んで、昭恵氏が「公人」か「私人」かの議論も発生しているようだが、私論としては当然「私人」と考えるのだけど。 天皇家の皇后陛下じゃあるまいし。


 ファーストレディ議論に関しては、本エッセイ集バックナンバーにても幾度か取り上げ論評している。
 「ファーストレディ」って一体何?  国家最高責任者の亭主に金魚のウンチのごとくくっついて、あらかじめ仕立てられた馬鹿でも出来そうな行事に出席して、ニコニコだけしてりゃすむ女の何が「ファーストレディ」だよ! と以前より怒り心頭の私だ。 

 とは言えども、確かに貴方自身の責任度は低いのだろう。
 言われるがままにその行動を取らされ、人寄せパンダ的に使われている立場には間違いない。


 昭恵さんも、周囲に操られるがままに“注目”を浴びる事に困惑しているのならば、一旦その任務をきっぱり断って、一人静かに自分の頭で自身の身の振り方を再考してみては如何か?

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路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (ビッグひな祭り編2)

2017年03月07日 | 旅行記
 (写真は、「ビッグひな祭り」会場中央に展示されている大ピラミッド100段雛飾りの風景。)


 あらかじめネットにて当該イベント情報を得ていたのだが、おーー!! 予想よりも展示内容が充実していて物凄い雛人形の数々だ!

 雛人形の一つ一つを観賞していたのでは日が暮れそうなため、館内を一覧する方針に切り替える。

 この勝浦町「ビック雛祭り」の歴史は長いらしく、今回が第29回目の展示とのことだ。
 回を重ねる毎に人形数が増え、昨年はリオ五輪会場でも展示を実施したらしい。 

 しかも、当該会場では雛人形のみならず、洋風人形や供養のために持ち込まれたぬいぐるみ等も展示されている。

 更には随時イベントを実施していて、3月3日の当日は阿波人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」が上演されていた。
 これは過去に既に2度観賞しているため、今回は写真撮影のみで素通りした。

 
 勝浦町特産品販売コーナーも設置されていて、地元の人達が観客の一人ひとりに声掛けして下さる。
 「何処からいらっしゃいましたか?」と尋ねられたものならば、すぐさま反応したい私だ。
 「東京から来ました」と応えると、「遥々と勝浦町へようこそ!」と返して下さる。

 特に、勝浦町産の“みかん”が超安価なのに驚いた。
 勝浦町は県内でも有数のみかん産地ということは昔から知ってはいるが、それにしてもその廉価加減が半端ではない。 M~LLサイズのみかんを7個程ビニール袋に入れ販売しているのだが、その価格とは100円ポッキリなのだ!

 「これ、本気ですか?!?」と私が尋ねると、「勝浦ではこの値段ですよ。 大阪では300円で売られているらしいですが」と地元の方がおっしゃるので、私が「東京では380円です。」と応えた。
 「何だかただで頂くようで申し訳ないですが買います」と返答して、それを郷里の実母への土産に買い求めた。 (後日談だが、勝浦町には縁がない実母もその廉価と美味しさの程に驚いていた。


 この勝浦「ビックひな祭り」はバス団体観光客の目玉スポットともなっている様子で、昼食時の食事処が混雑しているのに辟易とさせられた。 
 しばらく待ったのだが結局昼の食事が現地では出来ず、更には近くにただの一つも食事処が無い状態。
 やむを得ずすぐ横のJAにて巻き寿司と稲荷寿司の弁当を買い求め、帰り道の路線バス内で娘と二人で食した。 (お行儀が悪い事は承知だが、バス内が空いているからこそ叶う路線バス内の昼食でした。

 これが何とも、美味だったこと!! (2人とも、お腹が空いていたからかもしれないが…‥) 


 その後、東京に帰宅後も巻き寿司が食べたくて買い求めたのだが、やっぱり味が全然違うなあ。
 

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路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (ビッグひな祭り編1)

2017年03月07日 | 旅行記
 (写真は、郷里勝浦町にて開催中の“ビッグひな祭り”を観賞するため乗車した路線バス内風景。)


 折しも、郷里滞在中の3月3日は雛祭りだ。
 母の勧めで、この日は勝浦町まで出向き “ビッグひな祭り” を観賞する事とした。

 郷里主要駅より路線バスに乗車する。
 あらかじめ、乗車するべきバス路線や発車時刻はバス案内所にて調べておいた。 (まるで、テレビ人気番組「路線バスの旅」を地で行っている感覚で愉快だ。  このバス案内所は郷里滞在中何度も訪れたため、係員氏と顔見知りになった。)


 実は私が勝浦町へ行くのは、その名は知れどもこの日が初めてだった。  
 案内所にてバス路線図を頂いていたのだが、そこに記載されている停留所を見ながらのバス道中だ。
 論田(これ “ろんでん” と読みます)や中田(これは “なかた” ではなく “ちゅうでん” と読みます)等々の地名も昔から知れども、こんな所にその地が存在していたんだ!  などと今更ながら納得しつつ、始発駅から46目の停留所が「人形文化交流館前」だ。


 上記写真は目的地が近づいた辺りのバス内風景。

 始発停留所から乗り込んだ数名の乗客が次々降車し、その後乗り込んでくる乗客はまばら。 乗客のほとんどが高齢者の中、たまに高校生らしき少年達、そして我々母娘。  
 いつもの事だが、旅行者はほとんど見かけない。 おそらく皆さん、レンタカー等車を利用しているのだろう。

 車窓からは、勝浦川や山々が見える。 
 山道を猛スピードで上っていく感覚でバスが大揺れしつつ進んで行く。


 展望が開けた所に「ビッグひな祭り」会館が見えて来て、我々はバスを降車した。
 

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路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (高齢者介護施設編1)

2017年03月06日 | 健康・医療・介護
 (写真は、郷里の実母が暮らす高齢者有料介護施設最寄りのバス停。)


 今回の旅の第一目的は、昨年11月に実母が入居した郷里の高齢者介護施設を訪れ、母の暮らしぶりを観察する事だった。

 もちろん東京から郷里までは航空便やたまに新幹線に依存するが、郷里到着後の交通手段は今回に限らずいつも路線バスとタクシー、そして徒歩で移動するのが我が郷里旅の常だ。

 何分、私自身は娘が中学生になった時点で車の運転を完全卒業した。 元々運転嫌いだった事が一番の理由だが、それに加えて交通弱者である徒歩生活を志向した事、そして老後に向けての体力作りにも徒歩こそが最善と結論付けた故だ。 我が徒歩生活も既に10年以上の年月が経過している。

 2,3年前までは、実母が運転するギアチェンジ車に頼ることもあった。 施設入居直前まで近場であれば実母はマイカー運転で暮らしていたのだが、さすがに遠出は無理、視力の衰えもあり、施設入居と同時に自主的に運転免許証を警察庁へ返還手続きを取る事と相成った。


 さて、3月2日航空便にて郷里の空港到着後はタクシーに頼り、母の施設へ直行した。
 と言うのもバス便の場合乗り換えがあるし、その待ち時間のロスがとてつもなく大きいためだ。 (上記写真は母入居施設最寄りのバス停なのだが、バス便本数が少ない事実は写真の時刻表をご覧いただけるとお分かり頂けるだろう。)


 施設へ到着し、玄関にて施設長氏とスタッフの皆様に日頃の御礼挨拶の後、実母の暮らしぶりに関して簡単な質問をした。
 “何か問題を起こして迷惑を掛けていないか”  が保証人である家族の身として一番の確認事項と心得る私はその旨尋ねたのだが、その回答とは「何も問題ございません。お母様はお部屋にいらっしゃいますのでどうぞお上がり下さい。」
 同じく東京で義母の面倒も看ている立場の私としては、その回答が物足りない。 施設長はじめスタッフ皆様の“本音”こそをお聞きしたいものだが、それを根掘り葉掘り聞き出して多忙なスタッフの方々の時間を浪費する訳にも行かないだろう、と判断した。

 そして、母の部屋へ到着。
 ピンポーン、と呼び鈴を鳴らしたら母が出て来て、「あれ、来るのが1日早かったねえ」と言い出す。
 3月2日に行くと電話にて3度繰り返し確認したにもかかわらず、母がすっかり勘違いしている事実に初っ端から直面させられる始末。  それでも、母にとって我々母娘の1日早い到着がよほど嬉しい様子だった事を尊重し、その間違いを正す事は辞めた。 


 この日は郷里到着が遅かった事もあり、「また日を改めて施設へ寄るから」と母に伝え、事前予約していた郷里中心部に位置するホテルへの帰路についた。

 その際に撮影したのが、上記バス停の写真。
 実母入居施設は郷里中心部より比較的近い場所にあるが、それでも、ご覧の通りバス便本数が至って少ないのが過疎地の特徴だ。
 我々母娘がバス停でバスを待っている間、田舎道を通勤帰りの車が渋滞の中過ぎ去っていく風景が印象的だった。
 思い起こせば、私自身も遠い過去には大学へはマイカー通学だったものだ。

 公共交通網が発展し得ない過疎地に於いては、老若男女問わず皆が皆自家用車に頼り生活せざるを得ない実態を、再度思い知らされた。

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