原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

信州伊那より今冬も真っ赤なリンゴが到着しました!

2017年12月13日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、昨日信州伊那より到着した採れたての“サンふじ”りんご。)


 このリンゴの贈り主は、当エッセイ集に幾度が登場している長野県伊那市にて大農場を経営していらっしゃるK氏である。

 K氏との最初の出会いは2007年に遡るが、当「原左都子エッセイ集」がそのきっかけだ。
 エッセイ集開設当初時に我がエッセイ集のファンであられたK氏から、「農場で収穫した農作物を届ける」と申し出ていただいて既に10年超の年月が経過した。
 何とも有り難い事に、毎年、春・初夏・秋・そして冬と年に4,5回のペースで四季折々の採れたて農作物を宅配(大抵はクール便にて)にて頂戴している。

 今年の8月には、その10年来の御礼を申し上げるために、信州伊那のK氏の大農場まで娘と共に旅をした。
 ところが結果としてはこちらから御礼を申し上げるどころか、観光案内から何から至れり尽くせりのおもてなしを受けた上に、帰宅後、伊那名産品を自宅まで盛り沢山宅配して下さるとの結末だった。 

 K氏は、10年来の“メル友”でもある。  私にとっては、心理面や実質の距離感が“メル友”を続行するに打ってつけのお相手だ。 
 K氏は働き者であられるのに加えて、とにかく律義かつまめな方で、どれ程多忙であられても必ずやメールの返事を送信して下さる。 それも長文の!  私のメールもかなりの長文だが、それに勝る長文メール回答を頂けるのだ。 しかもお優しく、必ずや私を肯定して下さる。 それを良きこととして、何やかやとK氏にメール相談しつつ10年の月日が流れている。 

 定期的に農作物を宅配下さるわ、随時メール相談に乗って下さるわ、こんな良き「友」はまたとは得られないことだろう。(Kさん、今後共よろしくお願い致しますね!♪♪)


 さて、冒頭のリンゴに話を移そう。

 この“サンふじ”は、伊那郡中川村にて栽培されたようだ。
 添付資料によれば、「味を重視して栽培しています。 通常より(長期間)木に実らせ大玉にしています。 また、化学肥料を一切使わず栽培しています。 採りたてのりんごを農園より直送します。 形はいびつですが、袋をかけずに太陽の光をいっぱいに浴び、蜜が入ったシャキシャキ食感の自然な味の逸品です。」とある。

 形が“いびつ”と書かれているが、決してそんな事は無く十分に綺麗な丸形であるし、何よりも大玉で真っ赤な色彩が実に美しい。
 多忙期でもあり、皮をむくのが面倒臭い(こらっ!罰当たりめ!)ため未だそのまま保存中だが、本日帰宅後、今夜こそ家族皆でこのサンふじりんごを堪能させていただこう!

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信州長野旅行記 - グルメ編 ー

2017年08月15日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、長野到着初日に我々母娘が夕餉を楽しんだ、長野駅に程近いイタリアンレストランにて店内を撮影したもの。)


 今回の信州長野旅行記にて「グルメ」をエッセイ題材とするのはこれが最初で最後だ。 
 (我がFacebookページ上で既に数々の信州長野グルメ写真を掲載公開済みのため、ご参照いただけましたら嬉しく思います。)

 何分、我が旅行の醍醐味の一つに地元でのグルメ三昧を位置付けている故に、出発前からネットであれこれと調査し、目ぼしいレストランをピックアップする作業が欠かせない。


 その第一候補として挙がったのが、到着初日に訪れた上記長野駅に程近いイタリアンレストランだ。
 実際店内に出向き席に案内された直後に感じたのは、既に“東京ナイズ”されたその雰囲気だった。 
 (そうだよなあ。 長野と言えば過去に冬季五輪を開催した地だし、それから既に20年の年月が経過しているとはいえ、当時は諸外国よりグルメ分野も期待された事だろう。)

 それにしても、このイタリアンレストランを訪れた最初から、私が住む東京で経験する対応と何ら違わない店の“スマート過ぎる”とも表現可能な顧客対応姿勢を直感した。
 もちろんそれは素晴らしい事であり、賞賛するべきだ。 
 ただ、地元の人達との一期一会の出会いに期待していた私としては、あまりにも洗練され尽した店の対応に少しだけガッカリしたのが本音かもしれない。


 このイタリアンレストランに於いて特異的だったのは、長野で収穫した食材にこだわっている事であろう。 (事前にネット調査してその情報を得ていたのだが。)

 シェフお勧めの「夏野菜ピザ」など、まさに長野産の野菜が盛沢山だった。

 あるいは我々母娘が一番驚いたのは、「ケールとパルメザンチーズのサラダ」だったのだが、このケールも長野にて収穫されたのだろうか??  
 結局白ワイン1本を(私一人で)飲み干して、それを聞き忘れてしまった……

 このイタリアンレストランにて会計をするにあたり、店内女子係員氏が我々の席に来て下さった。
 「東京から来ましたが、ネットで貴レストラン情報を得て来店しました」と私が酔っ払いつつ発言すると。
「写真を撮影しましょう!」と明るく応えて下さったのが印象的だ。

 その美人係員氏が映して下さった、イタリアン店内にて我々母娘が実に楽しそうに浮かれている写真を公開したいものの…
 母の私がワインボトル1本に十分酔っ払っている姿がみえみえのため、割愛させて頂く事としよう。   

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信州長野旅行記 - 小布施編 ー

2017年08月14日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、長野電鉄小布施駅のホームから撮影した小布施の風景。)


 信州長野旅行最終日は、娘と二人旅となった。

 あらかじめ、当gooに信州長野の美しい風景写真数々を公開されているI氏から、出発前に旅のアドバイスを頂戴していた。
 帰路の東京行き新幹線の発車時刻に間に合うような、信州散策に適したコンパクトな観光地候補をご相談申し上げたところ、I氏がご紹介下さったのがこの小布施である。

 早速小布施に関するネット情報を検索すると、なるほど! 我々の予定時間や行動様式(ハイヒールで歩けそう、等々)にピッタリの観光地だ。

 
 さてホテルをチェックアウトした後、長野電鉄長野駅から電車に乗り込む。 
 あっ、そうそう。 Suicaが使えない情報はK氏より得ていたため、駅の券売機で切符を購入した。
 乗車すると、さすがに夏季休暇中のためか親子連れが多い。 

 30数分ゆったりと車窓の風景を楽しみつつ電車に揺られ、小布施駅に到着した際に撮影したのが上記写真だ。 (他にも数多くの小布施の観光地を撮影したのだが、これぞ小布施の原風景かなあ、と考えこの写真を選択して公開した。)

 小布施駅に到着すると、観光係ボランティア?? と思しき高齢域の人達が大勢観光客を待ち構えている。
 我々は既にI氏よりアドバイス頂いていた情報を元に観光プランを練っていたのだが、せっかく地元の観光係が我々を掴まえて説明下さるとのご親切に応えるため、一度席に座ってお話を伺った。
 その時、既に小布施町内周遊シャトルバス「ロマン号」(これもI氏よりご提案頂いていたのだが)の発車時間が迫っていたため急ぎ始めると、案内係氏が「バスは私が待たせておきますから、急がなくて大丈夫です。」とまでおっしゃって下さる。
 そして数々のパンフレットを持たせて頂き、我々母娘は小布施駅から「ロマン号」へ乗り込んだ。 (参考のため、1日フリー乗車で¥300-と安価のため、電車での観光客のほとんどがこのバスを利用しているようだった。)


 最初に立ち寄ったのは、「岩松院」だ。
 ここは、葛飾北斎が描いた本堂大間天井絵「八方睨み鳳凰図」で名高い古寺だ。

 この古寺見学を終えた後、「ロマン号」乗車のために発車15分前位にバス乗り場へ行ったところ。
 (これを公開するべきか否か悩んだのだが)今回の信州旅行最大の汚点として、あえて記させて頂こう。 バス乗り場から少し遠い距離の畑が広がる場所に不審人物が出没しているのを私は見逃さなかった。 その人物が如何なる不審者だったのかを説明するならば、“性的露出変質者”とでも言えばよかろうか。 とにかく、その男はバス乗り場のベンチに座った我々母娘をターゲットとして、その露出行為を展開したと捉えて間違いないだろう。 その後、別のバス乗車客が乗り場でバスを待ち始めた段階ですぐさま場所を変え、あえて我々母娘の目に付き易い場所に移動して引き続き露出行動を行った。  おそらくあの人物は“露出常習犯”ではなかろうか? とも推測した。 観光客(特に女性)が「ロマン号」を待つ都度、あの行為を繰り返しているのではあるまいか???
 やっとバスが到着しバスに乗り込んだ後、一応ホッとしつつ、(なんで遠路はるばる訪れた観光地で、実害が無かったとはいえ、こんな不愉快な目に遭遇せねばならないのか!)と実に腹立たしかったものだ。 救いはコンタクトレンズ装備で遠方の視力が芳しくない我が娘が、男の存在には気付いたようだが、その事実(露出行為)に気付かなかったことだ。


 不快感を引きずりつつ、次なる訪問地は「北斎館」「高井鴻山記念館」等々美術館群だった。
 未だ岩松院バス乗り場での突拍子もない事件遭遇の不快感に苛まれていた私だが、娘のためにも母の私が気持ちを切り替えねば! なる使命感に燃えつつ、美術館群を見学した。 

 それにしても当日の小布施は36℃の猛暑と、我が娘がスマホをいじりながら教えてくれる。
 思いもよらぬ不快な出来事に出遭いつつその猛暑の厳しさにも辟易としながら、我々母娘は比較的空いた蕎麦屋で遅い昼食をとった。

 その蕎麦屋店舗に大きな「招き猫」が飾られていた。 その猫のすぐ近くの席に我々は座った。
 旅とは関係なく、娘が小布施の地で「招き猫」に出会えたことに本気で喜んでくれ、「招き猫」と私とのツーショット写真数枚を撮影してくれた。
 これぞ我々母娘の小布施旅行独自の集大成なのだが、まさかこれを「小布施旅行記」として綴れないため今回は割愛させて頂くが。
 (参考だが、我がFacebookページに既にこの「招き猫」と私のツーショット写真を公開済だ。)

 小布施の蕎麦屋で「巨大招き猫」に無心に喜ぶ娘と共にゆったりと寛いだ後、我々は長野駅に戻り、東京行の新幹線にて帰路についた。

 何だか、結果として奇妙な旅行記になった事態をお詫びする。


 そして最後に、我々母娘を小布施に誘(いざな)って下さったgooにブログを公開されていらっしゃる長野県在住のI氏に、心より御礼申し上げます。 

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信州長野旅行記の公開途中ですが… あわや心霊動画か!??

2017年08月13日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、先程我がFacebookページに公開した“心霊動画”??の写真版。 gooブログ上に動画を掲載する能力が無いため、やむを得ず写真版で間に合わせた。) 


 今回のエッセイは、お盆の時期にふさわしい話題かもしれない…
 あるいは、昨日32回忌を迎えた日航ジャンボ機墜落事故犠牲者追悼にからむのか……


 本日午前中、当エッセイ集公開に先立ち我がFacebookページ上に、伊那にて訪れた登内時計記念博物館にて撮影した3件の動画を投稿した。

 そのうちの1本を私自身がFacebook上で初めて見たところ。
 撮ったはずのない、男性と思しき「うん、そうやねえ~」との不気味な響きの音声が明瞭に記録されていて、実に実に驚かされた。

 とりあえず、即刻Facebook上に公開した動画の削除措置を採った。

 その後今一度、私のパソコン内に保存されている同一動画とカメラ内に未だ保存してあった動画の確認作業を実施したところ、はやりこの不気味な音声が入っていた。

 伊那の博物館現場に同行していた娘にもその動画を見せると…  私以上に驚愕した様子だった。
 ついでに長野旅行には参加していない我が亭主にも“心霊動画”の件を話すと、最初は「そういう事もあるようだねえ」などと無責任発言をしていたのに、実際に“心霊動画”を見せるとその音声を聞いて恐れおののいた様子で、その後口を閉ざした。

 
 そして先程、午前中にFacebookにて公開後削除した動画を今一度公開し直し、次なる文章を追加した。
 
 午前中に削除措置を採った動画を今一度公開します。
 時計の回転に合わせ鳥がさえずる映像ですが、なぜか男性の「うん。そうやねえ~」との明瞭な音声が入っています。  現場に同行していた娘にも確認したのですが、当時あの場の近くに伊那の知り合いのK氏と博物館係員男性がいるにはいたのですが、これ程近くにはおらず、しかもその二人がこれだけの大声量で会話をしていなかった記憶が娘と一致しました。  ほぼ同時刻に娘が撮影した写真も確認したのですが、娘はその時ちょうどこの動画を撮影する私を撮影しており、他に人は映っていませんでした。 
  午前中からこの件が気がかりで、娘と話し合った結果、今一度公開に踏み切りました。
  皆さんのご感想は如何でしょうか?
 (以上、我がFacebookページ上に公開した文章を引用したもの。)


 何分、gooブログ上で動画の公開能力のない私のため、やむを得ずこのような形を取らせて頂いた。
 

 最後に我が思いを語れば。

 私自身は、心霊写真や心霊動画なる現象を元々信じていない人種であることには間違いない。 過去に一度、知人が沖縄で写したとの“心霊写真”を見せてもらい、驚いた経験はあるものの。
 ただ世俗情報に寄れば、それを撮影した人間とは幸運との記述を読んだ事があるように身勝手にも自分本位に解釈している。

 特に、まさにこのお盆の時期にその体験を出来たかのもしれない事実とは、「東京暮らしが長いお前も先祖の事を少しは考えろよ」との先祖よりのお告げだったのかもしれないし。

 もしもこのエッセイにご興味をお持ちになった方がいらっしゃるならば、原左都子のFacebookページにその“心霊動画”を公開しておりますので、その明瞭な音声中心にご覧下さいますように。


 - P.S. -

 その後伊那のK氏より、メールにてこの“心霊動画”エッセイに対するコメントを頂きました。
 実際にFacebookの動画をご覧になったK氏によれば、「登内時計博物館内でのコワ~イ話。 関西弁の様な感じですね。」 との記載でした。
 
 実際、当時博物館内は我々3人の貸し切り状態で、博物館の係員氏が展示物の説明をしながらずっと一緒に回って下さっている状態でした。 まさか博物館係員氏が我々顧客に対し「うん、そうやね~」なるラフな発語をする訳がなく、礼儀正しい人物でした。
 その4名以外には人が存在しない状況下での、あの動画内の明瞭な「うん、そうやね~」なる発語だったことを付け加えておきます。

 えっ? 時計が発した機械音??
 それも考察しましたが、あの場で時計が発する小鳥のさえずり音以外に、そのような大きな機械音を聞いた記憶がないのです。 

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信州長野旅行記 - 駒ケ根シルクミュージアム編 ー

2017年08月12日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、伊那市に程近い駒ケ根シルクミュージアムにて飼われている蚕の幼虫。)


 今回の伊那観光に際し、私から当該「駒が根シルクミュージアム」も観光対象としたい旨K氏(K氏に関する詳細は2本前のエッセイを参照下さい。)に提案したところ、このミュージアムはK氏も訪れたことがあるとのご返答だった。

 伊那市にて大農場を営むK氏のご生家では、K氏幼少の頃には蚕を飼い絹糸を生産されてもいたらしい。 そのためある程度K氏が養蚕に詳しいのに驚かされた。 ところが、何分K氏は大地主の息子さん(お坊ちゃん)の立場であり、幼少時には興味はあれど作業に加わる事が許されなかったとの説明だ。 
 それ故か、今回のシルクミュージアム訪問に際して、ご自身からも係員に積極的に質問をされていた。


 さて、このミュージアムでも我々3名(私と娘、そしてK氏)の貸し切り状態。
 入館当初は3名で見学していたものの、ついに過去に生家にて養蚕経験のあるK氏が係員を掴まえて蚕に関する様々な質問をし始めた。
 これがまた、素晴らしい! 掴まえられた係員氏は入口にて発券係も兼務しておられたのだが、要するに蚕専門の研究者であられる様子で、K氏よりの容赦ない質問に専門力を発揮して回答されるのだ。

 そこで、私も素人ながら質問した。
 「蚕の幼虫とは、繭を作った挙句に成虫として旅立てるのですか?」
 このとんでもないド素人発言に、係員氏がきちんと解答して下さった。 
 「我々人間が蚕から繭糸を搾取(そういう発言はしなかったが、要するにそれが事実だ)したいがために幼虫をそれに適した大きさに人工的に育て上げ、なるべく多くの繭糸を取れるべく大きな蚕を作るように日々努力しています。 そして繭糸を収集する際には繭を蒸さねばならず、その際サナギは死にます。」
 私応えて、「何だか惨い仕打ちのようですが、要するにサナギを殺す事により絹糸製造が成り立っているとの事ですね。 本日先程、伊那の地で“蚕のサナギ”の佃煮が販売されているのを目にしましたが、あれは人間が身勝手に犠牲にしたサナギの命を無駄にせず我々人間が有り難く頂くとの意味合いで、供養しているとの事ですかね?」
 「そういうことです。」 と係員氏がお応え下さったと記憶している。


 私にとっては今回の駒ケ根シルクミュージアム訪問に於いて、最後に記載した部分の印象が一番強烈だった。
 その印象が強いものの、このミュージアムの展示内容も全般的に充実していたとの感想がある。
 

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信州長野旅行記 - 登内時計記念博物館編 ー

2017年08月12日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、伊那市の登内時計博物館内で撮影した時計コレクション展示物の一つ。)


 長野旅行記は、昨日のエッセイに引き続き伊那市観光から入ろう。

 この「登内時計記念博物館」は私がネットで観光箇所候補として調査し、K氏(この人物に関しては昨日のエッセイをご参照下さい。)にあらかじめ提案させて頂いていた。
 K氏によればK氏のご生家が当該博物館のすぐ近くだそうで、館長氏に関してもよくご存知との事だが、博物館へは一度も訪れたことがない、とのお話だった。
 まあそういうものだろう。 観光スポットとは、概して地元の人達は行かないものだ。


 さて博物館を訪れてみると、我々3名の“貸し切り”状態だ。
 そのため、博物館担当者がずっと館内を案内しつつ我々と一緒に回ってくれる結果となった。
 この説明の程が、素晴らしい! よくぞまあ、展示物一つひとつに関してこれ程詳細に勉強されたものと感嘆させていただけた。

 さらにもっと驚かされたのは、館内コレクション時計のすべてがきちんと現役で動いている事態だ!
 上記写真のコレクションは19世紀に制作されたフランス制の時計のようだが、まさに我々が訪れたその瞬間の時間を刻んでいた。
 その維持管理にかける博物館の弛まぬ手間労力と、時計を愛する姿勢がひしひし伝わる館内の完璧に整備された美しさだった。
 

 以下に、ネット情報より当該博物館 館長氏の挨拶文の一部を紹介しておこう。

 長年収集して参りました18世紀から19世紀のヨーロッパを中心とした機械時計から新しいものまでおよそ150点を「登内時計記念博物館」に展示し、皆様にご覧いただくことになりました。 時計修理が得意だった父親の思い出がきっかけで時計の修理・収集ですが、いつしか数も増え500点余となりましたので、地域の文化施設として少しでも役立てればと考え博物館建設を思い立ちました。 年代、形、機構など様々ですが、私にとっては一台一台が思い出多き時計ばかりです。 時計を通じ、先人たちの科学に対する情熱の粋を共感いただけたら幸いです。 この博物館が、訪れていただく皆様にとってふれあいと安らぎの場となり、子供たちの科学への関心を育むことができればと思っております。
   博物館館長 登内英夫
 (以上、博物館に関するネット情報より一部を引用したもの。)


 外には時計塔を配した広い庭園・公園もあり、とにかく一言で表現すると“美しい”博物館であり癒し効果抜群のため、伊那を訪れる機会があれば是非訪問されることをお勧めしたい。
 

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長野 伊那市より旅のお土産が到着しました!

2017年08月11日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、本日午前中長野県伊那市の大農場よりクール便にて到着した採れたてスイートコーンと 蜂の子、蚕のさなぎ、いなごの田舎炊き。)


 義母の病院付き添い以降、毎日のように高齢者介護施設に住む義母よりの要点不明の電話に翻弄される身で、未だ落ち着いて旅行記を綴れる環境下にないのだが……

 今後の義母介護の困難さを痛感させられ心が曇る私の元に、本日午前中、伊那の大農場主K氏より上記写真の品々がクール便で到着した。


 そもそも今回の信州長野旅行の第一目的は、伊那市のK氏に日頃の農作物送付のお礼を申し上げ、大農場を見学させて頂く事にあった。

 伊那のK氏に関しては「原左都子エッセイ集」バックナンバー内で幾度か取り上げさせて頂いている。
 元々2007年の「原左都子エッセイ集」開設直後期の読者の一人でいらっしゃった。 開設早期には、我がエッセイ集にK氏より心温まるコメントも少なからず頂いている。
 
 それに加え、K氏より嬉しいメールも届けられた。  何でも、ご自身が農場で育てておられる農作物を定期的に東京の我が家へ送って下さるとのことだ。
 このお言葉に甘え、年に数回の頻度で、春には「ウド」「ワラビ」「アスパラガス」、初夏と秋の頃にはK氏の主生産野菜であるブロッコリー(「ブロッ娘」と名付けられているが)、冬にはリンゴをお送り頂きつつ早いもので既に10年の年月が流れた。

 幾度か、K氏の大農場見学や農業体験をさせて頂きたい旨の要望をこちらから提案しつつ、こちらの怠慢で計画倒れに終わっていた。
 さすがにK氏のご好意に一方的に甘え続け10年もの年月が経過しようとしている今、10周年アニバーサリーの意味合いも込めて、私側から御礼かたがた長野県伊那市へ出向くことをK氏に提案したところ。  とても喜んで受け入れて下さり、今回の長野旅行実行と相成った。


 さて、実際に伊那市へ到着してみると。

 こちらこら御礼を申し上げるつもりが、K氏よりの我々母娘への“厚遇”が待ち構えていた!
 旅の出発前にも、要望があればどこでも案内する旨のメールを頂いていたのだが、すぐにその気になる私の我がまま気質に応えて下さり、伊那や駒ケ根周辺の博物館等々へ誘って下さった。

 結局、御礼を申し上げるどころか、K氏の農業活動を一時中断して我々のために観光案内して頂いたのに加え、この度は沢山の伊那のお土産まで自宅へ届けて下さる始末…… 


 ただ、旅の昼食中にK氏と話し合った内容が印象的だ。
 時の経過と共に消え去る人間関係が大多数の中、ネット上で知り合い10年続く人間関係が存在する事実を二人で感慨深く思い合った。
 当然ながら、K氏が農作物を送った相手は私一人ではなかっただろう。 それを迷惑がる人も存在するとK氏が過去にメールでボヤいたのも私は記憶している。 迷惑がった相手の気持ちも何となく理解出来る気もする私だが……。

 とにもかくにも、私とK氏との関係は10年続いた。 (もちろん、こちらからもお礼の粗品を贈らせて頂いてはいたが。)
 「継続とは力であり、10年続いたとの歴史こそが今回私を長野伊那へ誘(いざな)ったのが事実だ」旨の我が意を述べると、K氏も同感しておられた。

 大都会に暮らす私。  長野県伊那市との地で大農場主として日々精進されるK氏。
 その生き様は180度違えども、10年との年月の積み重ねこそが二人を“ご対面”に導いてくれたのであろうと、両者間で同意した。
 加えて、(あくまでも私側はK氏に対し)人間としての根底部分にある思想感覚に共通項がある事実を、実際に対面する事により改めて発見させて頂けた気がする
 それにしても元はと言えば単にネット上の偶然の出会いを実現の出会いへ移行したとの、今回の伊那への実りある旅だった。


 (長野県伊那市のK氏の大農場群の写真はFacebook上に先行して公開しておりますので、よろしければご覧下さい。)

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留学前鬱症候群、私も経験あるなあ

2017年07月10日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、今から42年前の1975年夏に米国UCバークレー本校へ短期留学した際、留学仲間達と一緒にUCバークレーキャンパス内で撮影した写真。 中央が当時19歳だった私。)


7月に入り、学生達の夏季休暇が近づいている頃だ。

 折しも、朝日新聞7月8日“悩みのるつぼ”相談内容は、女子高校生による「留学するのにやる気出ません」だった。
 この相談者の場合、1年間との長期留学を予定しているようだが、留学が迫るにつれ何もかもが面倒臭くなり、生活がダレてお菓子を食べまくり体重が5㎏も増える有様、との相談内容だ。

 早速原左都子の私見だが、これ、明らかに「留学前鬱症候群」と結論付けた。

 と言うのも、私の場合たかが1ヶ月間の短期留学だったが、出発が迫るにつれ同様の「留学前鬱症候群」に苛まれ始めた。 体重こそは増えなかったものの、「何もかもが心配になって来て、行きたくなくなった。」「もう、いっそキャンセルしようか。」等々と母に告げたものだ。 私以上に心配していた母が即答して曰く、「今すぐ、キャンセルしなさい。」

 何分、19歳と未成年者。 海外へ行くのが初めてならば、飛行機に乗ることすら初体験。
 東京羽田空港にて留学生達が集合し、そこからは団体行動となるのだが… 

 春頃計画して郷里の友を誘ったものの、皆が皆「親が反対するからやめとく。」との返答だった。
 そりゃそうだろう。 何分、42年前頃とは未だ海外旅行自体が珍しい時代背景だったのに加えて、妙齢の娘を1ヶ月間も外国で暮らさせるなど、特に過疎地の田舎に於いてはあり得ない話だったのではなかろうか??

 この時の短期留学は、当時外大に通っていた姉の提案だった。 既に米国とイギリス2カ所の短期留学をこなしていた姉が、「学生のうちに必ずや海外へ短期留学をしなさい。 外国語専攻学生でなくとも、何にも増して良き体験となる事間違いなし!」と背中を押してくれていた。 

 そして、私は最終決断を自分で下した。 「やっぱり行く!」

 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、社会学者の上野千鶴子氏なのだが、やはり私と同じ回答をしておられる。
 留学って、そりゃストレスがかかります。 まったく見知らぬ土地に飛び込んで、言葉は出来ないし、上手くやっていけるかどうかも分からない。 留学を決めた時は大決断だったでしょう。 その高揚感で「キラキラ」過ごしていたのでしょうが、予定が近づくにつれ気が重くなる… そんなものです。 (途中大幅略) オトナが海外の異文化から大して学ばない事に比べれば、何者でもない貴女が異文化にさらされて学ぶことは無尽蔵です。 後になって、あの時外国へ行っておいてよかった、と心から納得するでしょう。 さあ、行ってらっしゃい。
 (以上、上野千鶴子氏の回答のごく一部を紹介したもの。)


 話題を、我が42年前の米国UC(州立カリフォルニア大学)バークレー本校 Univercity summer extension1ヶ月間短期留学に戻させて頂こう。

 そうこうして、19歳の私は重いトランクを引きずって単身で過疎地郷里を出発し(いや、空港までは親が送ってくれたか?)、まずは羽田空港を目指した。 これすら初体験の私にとっては、とてつもなく大仕事だった。
 上京するのも初めて(修学旅行で東京観光をした事はあるが)ならば、大混雑の羽田空港で留学ツアー軍団の集合場所を探すのも一仕事だ。
 ごった返している羽田空港内ロビーでその集合場所を見つけた時に、ひとまず命が繋がったと安堵した。 学生達の貧乏短期留学ツアーは、ノースウエスト航空でシアトル空港まで行った後、米国内線のウエスタン航空に乗り換えサンフランシスコ空港に到着するフライトスケジュールだった。
 そのノースウェスト機内で横に座った同じく留学生の慶応ボーイと、まずは会話をする事になった。 何でも、彼は幼稚舎からストレートで慶応一直線とのことだ。 学年もあちらが一つ下との事で、ド田舎にて国公立一直線の私とは、どうも会話がちぐはぐな感を抱いた記憶がある。
 その後シアトルにての数時間の待ち時間内に、話が弾む留学生達と巡り合えた。 これぞラッキー!  私以外は全員男子だったが、意気投合した数名のグループでその後、留学生活を迎える事となった。(冒頭の写真は、そのグループ内の男子と一緒に撮影したもの。)

 ただ大学到着後直ぐに、英語力ランクによるクラス分けの試験(何故かすべて筆記試験)が実施され、会話力は無いものの読み書き力に長けていた私は高得点を上げ、上位クラスへの配置となった。 この措置により、“シアトルグループ”と疎遠となってしまったものの、クラス内で友人が出来るのは早かった。
 これまた男子ばかりなのだが(というのも、元々男子学生の参加者が圧倒的に多かった故だが。)楽しい留学生活が送れた。

 この短期留学ツアーがUCバークレーの寮に寝泊まりするツアーだったことが、私にとって楽しさ倍増だったと言えよう。
 食事は寮にて3度用意してくれるし、夜な夜な寮内ホールで“ディスコダンスパーティ”が開催されるのだ!!  元々ダンス好きの私にとってはこれ以上望めない程の恵まれた環境下で、その寮生活を堪能したものだ。 ホール内でバリバリにダンスを楽しむ私がモテない訳もない!?? (ただし、ダンスパーティ参加者は留学生に限定されていたが。) 
 寮の近くには本物の「ディスコ」もあり、寮内ダンスパーティ参加仲間に誘われてそこにも数回行ったりした。 そんなこんなで日々就寝時間が遅い私は、翌朝1時間目の授業出席のため早起きするのがとてつもなく辛かった思い出がある。

 それでも月から金までは毎日、大学のエクステンション授業に真面目に出席した。  何故ならば、短期留学とは言えども「留学ビザ」で米国に渡っている以上、規定の出席率をクリアしない事には帰国が叶わない故だ。 
 授業は予想以上に厳しかった。 午前中3コマ、午後1コマすべての授業にネイティブの担当教員が付いていて留学生全員の記録を付けていた。  午後の授業はヘッドホンにてのリスニング・スピーキング授業だったが、夜遊びがたたってついつい眠ってしまう私は、担当教員に幾度もお叱りを受けたものだ。

 まだまだ、短期留学逸話は盛沢山だ。
 
 留学生と言えども、土日は休日自由行動と相成った。
 その日は寮の食事提供もお休みならば、毎晩施される“ディスコダンスパーティ”も無い。
 それが一番の楽しみの私にとって、土日こそが自分の力量を試される時と相成った。
 最初の土日は、そうであることを予想して日本出発前より「ヨセミテオプショナルツアー」を申し込んでいた。 それに参加して初めて気づいたのだが、参加者が見知らぬ米国人ばかりだったのだ!
 いやはや、参ったなあ…  と困り果てていた私に親切に声を掛けてくれた日本人女性がいるではないか! この女性のお陰で、私はヨセミテでの2日間を堪能出来た。 ラッキーとは続くものだ…

 などと言っていても、土日は無情にもまたやって来る。
 19歳にしての単独行動とは、本音を言えば実に心細いものだ……
 それでも、なるべく私は果敢にも自分で計画を立てて単身で行動した。 一度は地下鉄に乗ってサンフランシスコまで出向いた。 その時に知り合いお世話になった日本人男性とは、後にも日本で再開する機会があった。
 あるいは、当時流行っていたロックバンド Tower of Power のコンサートが大学の近くであると聞き、そのチケットを購入し寮の仲間と一緒に比較的前席で観賞した。(と言うよりも、座席を立って踊りまくった記憶があるが…)

 
 我が19歳時の短期留学の思い出を辿っていると、“芋づる式”にいくらでも脳内から記憶が呼び起こされそうだ。
 と言う訳で、上野千鶴子先生もおっしゃる通り、若き時代に実行される留学なる経験とは、その未熟さ故に学ぶことが無尽蔵だ。

 出発前の不安感とはそれはまるで鬱病にでも罹患したがごとくの苦悩だが、それを乗り越えていざ出発してみると、そこにはミラクル世界が広がっているのではなかろうか。
 ただし、それには条件もあろう。 何かの得意分野(あるいは嗜好分野)が若き頃よりある事が身を助けるとの事のような気もする。 (私が低レベルで下手なりにもダンス好きで、ミュージックが流れればいつでも踊り出せるがごとくの。)
 
 とにもかくにも、これから1年間留学するとの“悩みのるつぼ”相談者の女子高校生さん。
 貴女は恵まれていますよ。  どうか、その1年間を楽しみつつ堪能されますように。 

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寿司店での晩餐 1

2017年05月14日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、昨夕訪れた行きつけの寿司店内にて催されていた “まぐろ解体ショー”。)

 
 母の日の前祝いと言う訳ではまったくないのだが、昨夕我が亭主と行きつけの寿司店を訪れた。


 昨日午後、義母が入居している高齢者有料介護施設にて年に2度定例の「運営懇談会」が実施された。
 この懇談会では、施設の年度決算報告やサービス提供状況の報告、施設内事故報告とその対策取組み、入居者・保証人からの意見・苦情の報告及びその対策取組み、新たな運営管理規定導入や改訂に関する報告等々が施設ホーム長より発表され、出席者間で論議される段取りとなっている。

 我々夫婦も義母の保証人を担当した当初は比較的真面目に出席していたのだが、ここ2,3年は施設内で有事の出来事が発生した時のみ出席する事としていた。

 ところが、先だって義母の病院付添いをした際に、義母より「懇談会にはどうしても出席して欲しい! 施設の友だちのご家族が必ず来ているのよ。 私の家族が来ていないと恥ずかしいから必ず夫婦2人で来て!」との切なる嘆願があったのだ。
 まるで子供が「学校の学級懇談会に来て!」と親に願い出る風景と同様だ。
 亭主と話し合った結果、義母の嘆願に沿って昨日大雨の中義母介護施設の定例懇談会に出席する事とした。

 出席したらしたなりに、フィードバックはあるものだ。
 義母入居施設は現在大手損保社の傘下にあるのだが、すべての懇談会事案に関して、ほぼ滞りなく業務が実施されている事実を網羅する事が叶い、保証人としても安堵させていただけた。
 (参考だが、我が実母が入居中の郷里の高齢者介護サービス住宅に関しては私的機関運営にもかかわらず、この種の運営懇談会は一切開催される制度すら無い。 それと比較しても、義母・実母入居施設間の費用格差の程に納得可能な思いも抱く。)


 さてさて、義母の嘆願を滞りなく果たした我々は、帰り道に行きつけの寿司店に立ち寄る事とした。

 ちょうどタイムリーに催されていたのが、上記写真の「まぐろの解体ショー」だった。

 これを写真に収めた後、さほどショーを拝見しない間に我々は席に案内された。

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連休終盤に日本橋を行く。 (日本橋三越本店編) 

2017年05月07日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、東京都中央区日本橋室町にそびえ立つ日本橋三越本店本館。 正面玄関前より撮影したもの。)


 私が日本橋を訪れるのは何年ぶりだろう。
 あっ、そうそう。 娘の振袖を購入した4年前頃、呉服屋の招待で日本橋にて開催された「着物展示会」に幾度か訪れた。 確かに、お江戸日本橋という土地は和服が似合う場所かもしれない。
 ただ、その時には日本橋三越本店は訪れていない。


 実は、我が亭主が日本橋の生まれだ。 
 亭主の実家が代々日本橋の地で事業を執り行っていた関係で、この地にて生誕したとの事だ。

 亭主4歳時に、現在義母の家がある地に一家で住み替えたそうだ。  その後も日本橋にての事業は義母及び義父(義父が養子の立場)がそのまま続行していたらしい。
 亭主が35歳にしてやっと定職に就いた(参考だが我が亭主は大学院博士課程修了後、ポスドクの身分で複数の大学研究室にて研究に励んだ関係で人より就業が大幅に遅れたらしい。)事をきっかけに、義母が赤の他人に日本橋での事業を営業譲渡する決断をしたとの事だ。(もちろん有償にて。)

 実質的経営者であった義母の言い分を、私は亭主との婚姻直後に義母から直接聞いた事がある。
 本来ならば長男である亭主が事業を継承するべきだろうが、その適性が無いと早期より判断していた。 亭主には姉もいるが、その義姉(3年前に膵臓癌にて他界)に関しては義母の意向で最初から“お嬢さん”として育て、そもそも事業を継承させるつもりはまったく無かったとの話でもある。
 その話を義母から聞いて、私はもったいない事をしたものだ、と大いに残念に思った。
 どうして亭主婚姻後まで事業をそのまま継続してくれなかったのだろう? その事業を、この私こそが継承したのに!  などと、言える筋合いも無いしね…… 
 ただただ義母の言う通り、我が亭主には事業家の資質・適性など100%皆無であろうとの義母の判断に納得するばかりだ。


 そんな義母が、亭主と結婚し立ての頃、よく私に話してくれたのが日本橋三越本店の話題だ。

 事業所兼実家が日本橋三越本店の近くにあり、毎日の買い物に当該店舗を日常的に利用したとの事だ。
 義母が幼き頃の我が亭主を連れて行こうとすると、「四越(よつこし)へ行く!」と亭主が喜んだとの微笑ましい話題でもある。
 これ、私には十分にガッテンだ。 我が亭主には、冗談で言っているのか元々天然質故に本気で言っているのか今尚不明な不思議な雰囲気が確かにある。 
 そんな亭主に「あなた過去に日本橋に住んでいた頃、四越(よつこし)へ行く! といつもお義母さんに言ってたそうだねえ。」と私がからかうと、決まって「そんな事言ってないよ!」 と向きになるところなど、実に可愛いもんだ。


 その話題の亭主は昨日本人の意思で日本橋へは同行しなかったのだが、日本橋に来ると嫁ぎ先である原家の歴史が我が脳裏に蘇るような気がする。

 まさに元々日本橋の地に根差していた原家の直系末裔である我が娘相手に、そんなエピソードを嫁の立場の私から語りつつ二人で一時日本橋を楽しんだ。

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東京湾トワイライトクルーズ - 総括編 -

2017年05月05日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、東京湾ディナークルーズにて終盤に娘が撮影してくれた“満面の笑み”の私の写真。)



 この満面の笑みで私が写真に映ったのは、久しぶりのことのような気がする。 

 ディナークルーズにて(いつもの半分以下の物足りない)お酒を飲み干し、次はデザートとのタイミングで娘が撮影してくれたのが上記の写真である。


 
 連休の過ごし方など、各家庭や個々人それぞれであって当たり前だ。


 ただ、私は娘が写してくれた上記写真を見て今回のクルーズが楽しかったのだと再確認させてもらえる気がするのだ。

 そういう少しの思い出が積み重ねられただけでも、連休の存在価値があるのかとも思ったりする。



 などと言いながら、明日も娘を誘って私は都心のとある場を訪れる予定なのだが。

 まだまだ今年の5月の連休は続く。

 それぞれのご意思で、ご自分なりの有意義な連休の思い出を紡がれ育まれますように。

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東京湾トワイライトクルーズ - ディナー編 -

2017年05月05日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、東京湾ディナークルーズ船にて出された最初のオードブル。)


 さて、トワイライトクルーズ出港前にレストランの係員氏が、ウェルカムドリンクを注ぎにテーブルまで来て下さった。

 「アルコールは大丈夫ですね?」との質問に、「もちろんです!」と応えつつ、娘の反応を見た。
 そうしたところ、娘も「はい」と応えているようだ。

 周囲を見渡すと、既に別ドリンクを注文している方々も多い様子だ。
 これは飲兵衛の私にとっては力強き安心材料であり、それに追随したいものの……、


 第一義として「2時間」とのクルージングタイムを勘案するべきだろう。
 例えば、途中でトイレへ何度も行くことは避けたい。 あるいは下船の時に階段を降りねばならないが、その時につまづいたりして娘の面前で恥を晒す事になりかねない。……

 (こういうのが、ディナークルーズの欠点かな??) などとの飲兵衛身勝手理論を脳裏で浮かべつつ、本日のディナークルーズの場合、まさに“場をわきまえて” 酒の量は普段の半分にするべきだろう、と結論付けた私だ。

 そんな下手な計算を飲兵衛母が脳裏でしているとは露知らない娘は、冒頭のオードブルを食している。
 
 参考だが、このオードブルは「シュリンプと彩春野菜のマリネ オレンジ風味」と銘打っている。
 普段、エビを好まない娘がきちんと完食するではないか。
 
 そうだよなあ。 私も食事を出す時には、何らかのスマートな名前を付けてテーブルに置くとバージョンアップするのかなあ。 などと料理嫌いにして少し感じたものだ。

 この後ディナーは、スープ、そしてメインの肉料理、デザート、コーヒーへと続く。
 参考だが、軽井沢の老舗から取り寄せているとのパンが私の舌には何とも美味だった。
 (原左都子のFacebook上でディナー写真を先行公開しておりますので、もしよろしければご参照下さいますように。)

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東京湾トワイライトクルーズ - 船内編 -

2017年05月05日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、我々母娘が乗船したディナークルーズ船の室内にて撮影したもの。)


 前編でも紹介した通り、我々が案内されたディナールームは広い空間のレストランだった。

 今回私が予約したディナークルーズ船は、4フロアーに渡り大小様々なレストランルームを配したディナー専用船のようだ。
 例えばビアホールもあるし、個室形式の小部屋もあればバーラウンジもあり、更にはオープンデッキやパーティルームも併設している様子だ。


 顧客それぞれの要望に沿い2時間のディナークルーズを提供しているこの種のディナークルーズ船に乗船したのは、我々母娘にとっては初めての経験だった。

 同じ2時間、 そして、 同じ船内、  との時空間の制限。

 そんなある意味では“窮屈な束縛”の中で、「顧客それぞれの要望に沿ったディナーの提供」との“目の付け所のシャープさ”に、まずは拍手である。

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東京湾トワイライトクルーズ - 出港編 -

2017年05月05日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、昨日5月4日に娘と共に乗船した東京湾ディナークルーズ船。)


 今年の5月の連休にディナークルーズをしよう! と思いついたのは単なる偶然であり突然の事だった。

 昨年、娘と二人でイタリアと台北を個人旅行したが、その際に現地での半日程のオプショナルツアーを申し込んで参加した。
 そのツアー会社より“ポイントが貯まっている”とのメールが来たのは5月の連休少し前の事だった。 国内オプショナルツアーも取り扱っている業者であり、そのバラエティの程は様々な分野に渡り数多い。

 その中で私が注目したのが、上記「東京湾ディナークルーズ」だ。
 ただ、コスト観点が強い私は直ぐに気付いた。 何もオプショナル業者を仲介せずとも、直接クルーズ業者へ申し込みをした方が安価に決まっている!
 早速ネット上で検索してみると、まさにその通り! 2名の申し込みで千円単位のお得料金で申し込みが叶った。 しかもネットからの申し込みの場合、ウェルカムドリンク付きとの事だ。


 コストの話題はこの辺でやめて、クルーズに話を戻そう。

 今回我々母娘が乗船したクルーズ船は、竹芝桟橋を出港して2時間程の行程で東京湾を巡るコースだ。
 途中、東京タワーやレインボーブリッジ、大井コンテナ埠頭、お台場、羽田空港を通過し、東京湾へ出る。 その後、Uターンして竹芝桟橋へ戻るコースだ。

 さて、娘と共に新橋からゆりかもめに乗車せんとしたところ、さすがにゴールデンウィーク、ゆりかもめ乗場が物凄い混雑だ。
 普段平日の昼間にゆりかもめに乗車するとほとんど人が乗っていないに等しく、お台場の寂(さび)れ様を心配する程だ。 2020東京五輪が終わった暁にはお台場は更に寂れ、東京は巨額の債務に苦しめられるのではなかろうかと懸念した「お台場は既に寂れたのか?」と題するバックナンバーを、私は既に公開している。

 人出の多い連休中のみはそのような懸念を一時忘れるような思いだ。


 そうこうしている内に我々は竹芝桟橋に到着し、上記写真のクルーズ船(4フロアーあるようだが)の3フロアー(3階と言うべきか)に案内されて乗り込んだ。
 かなり広いレストランスペースの奥には舞台もある。 その舞台に程近い広いテーブルに案内され着席すると、室内は元より左右の船外がすべて見渡せ展望がよい。 

 娘と二人で「これはゆったりディナーを楽しめそうだね!」と喜んでいると、少しの揺れと共にクルーズ船は竹芝桟橋より出港した。

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左都子コレクション -旅行絵はがき編-

2017年04月29日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、某国内大手旅行会社が毎月自宅宛に送付して来る月刊誌より切り抜いた「旅行はがき」コレクションの一部。)


 「左都子コレクション 第2弾」はゴールデンウィークのこの時期に合わせて、旅行絵はがきを公開する事とした。

 前回の「コースター」同様、決して価値ある立派な代物をコレクションした訳ではなく、ただ単に旅行月刊誌よりチマチマと毎月切り取って収集しただけの話に過ぎないのだが。

 もっと数多くの絵はがきをコレクションしているのだが、公開する写真サイズの関係ですべてを被写体とすると一枚ごとの絵はがきが小さくなり過ぎるため、36枚のみ撮影する事とした。

 
 上記絵はがきの中で、私が今までに訪れた事のある場所を挙げてみよう。

 「西湖と富士山」。(スミマセン。この絵はがき上下逆に配置してしまいました。
 富士山は、我が今までの人生に於いて旅行中に近くを通ったり飛行機から眺め降ろした事は数え切れない程にあるが、実際に行ったのは一度だけだ。 高校の修学旅行中にバスで5合目まで上った。 大学受験重圧の疲れでバス内で寝てばかりの、実り無き修学旅行だった記憶しかない。

 イタリアは2度行ったが、ベニスとドロミテには残念ながら立ち寄ってないなあ。

 北海道の美瑛は娘が小6の夏に連れて行った。 
 娘は比較的元気だったものの、私がバス集団行動に疲れ果て激しい下痢をして小樽観光中に苦しんだものだ。

 栃木県のあしかがフラワーパークへは夜のライトアップ時に訪れた。 故に、未だかつて満開の藤を見ていない。

 埼玉県秩父市の祭会館も訪れたが、実際の夜祭は見学していない。

 ギリシャのイドラ島へはエジプト・ギリシャ旅行中にクルーズにて行く予定だったが、娘がギリシャのホテルで高熱を出し、ホテルで1日半寝込むのに付き添い行きそびれた。


 とまあ、我が旅の失敗談ばかりを思い起こすはめとなったが、後で思えばすべてが順調だった旅よりも、苦労した旅の方が思い出深いものでもあるから、旅とは不思議だ。


 さて、本日昼のニュースによると、本日(4月29日)成田空港から海外へ旅立った人々が4万何千人かに達したとの報道だ。

 ここは一旦、連休を利用せねば旅に出る事が叶わない現役職業人達の日々のご活躍の程をねぎらうべきだろう。

 その一方で、我が国の休暇のあり方を真に再考するべく法制度の立ち上げが今尚実施されない現状を、如何に考察するべきなのか戸惑う私でもある。
 特に欧米諸外国のごとく、日本の労働界がドーーーンと!! ビジネスマンには個々が好きな時に1、2ヶ月の長期休暇を与えるべく法制度に辿り着けない元凶とは何処にあるのだろう?

 それはもしかしたら、日本人の “集団主義志向の根強さ” 故であるのか? 
 あるいは我が国日本が核家族時代に変遷したとは言えども、今尚この国に於いては季節時分には帰郷するとの慣習が根付いている故かもしれない。

 どうやら私論が発展し過ぎたようだが、ゴールデンウィークを楽しもうと志している国民皆にとって有意義な連休であればそれでよいのだろう。


 えっ? 原左都子はこの連休を如何に過ごすかって??
 
 ヘッヘッへ。 意外と今年の5月の連休に関しては、まめに小イベントをネットで検索して既に予約を入れてあるのよ。

 この天邪鬼で名高い私がまるで俗人のごとくそんな行為に及ぶとは、いやはや私も年老いたと感じざるを得ないよなあ。

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