原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

文科省は序列化がお好き

2009年01月30日 | 教育・学校
 「全国学力調査」に引き続き、今度は子どもの「体力」の都道府県別合計点の序列化結果の公表である。
 文部科学省は、先だっての1月21日に「全国体力・運動能力・運動習慣調査」の結果を、都道府県別合計点を序列化するという形で発表した。


 「全国学力調査」においては既に結果の公開のあり方が議論を呼んでいるが、こういう子どもの学力や体力等の能力に関する都道府県別序列化は、一体いつ頃から何を目的として行われているのであろうか? 
 おそらく、文科省としては都道府県を序列化することにより自治体間の競争をあおり、各自治体の教育委員会の尻を叩いて切磋琢磨させることを狙いとしているのであろう。

 今回の「体力」の序列結果発表を受けて、各都道府県では早くも一喜一憂の反応が出ているようだ。
 例えば、学力調査同様に今回の体力調査においても全国平均を大きく下回った大阪府の橋下知事などは、さっそくこの序列化結果に反応して「学力も体力も低い大阪はどうすんねん。」と定例会見で語ったらしい。(橋下さん、あなたっていつも言動が少し単純過ぎませんか? 都道府県の長たるもの、もう少し腰を落ち着けて物事を考察しましょうよ。)


 私論に入るが、そもそも“都道府県”というカテゴリー分類に如何なる意味合いがあるというのか。
 各自治体の教育委員会がこの文科省の結果公表を受けて切磋琢磨し、よりよい公教育を提供してくれる分には望ましいことなのであろう。そういう意味では、自治体の教委や学校現場への結果の公開にはある程度の意義はあろう。

 一方で、マスメディアを通して一般社会へまでもこのような都道府県別序列化データを公表することに、私はさほどの意義が見出せないのだ。 自分の出身県や居住県が序列の下位に位置していようが、私個人にとっては特段何らかの支障がある訳でもなく、また上位の都道府県が羨ましいという感情も全く抱かない。
 なぜならば、人間の個性が多様であるのと同様に、都道府県の個性もバラエティに富んでいて当然であるからだ。ある県は都会であったり、一方で自然が豊かで海山に囲まれた県もあれば、寒暖等の自然環境の格差も地域により激しいのが実情だ。それぞれの土地に生を受けた子供達一人ひとりが自己の持つ潜在能力と様々な環境要因を融合させつつ、豊かな個性を育んでいくのであろう。
 そういった摂理に、そもそも「序列化」などという概念は相容れないのは自明の理である。

 例えば北海道など、今回の「体力」の調査結果は下位に位置している。「冬が長くて外が使える期間が限られていることも背景にあるのではないか」と道教委は説明しているが、一理ある話であろう。
 それぞれに異なる環境で育った子供達の「体力」を単純に数値に置き換えて「序列化」する事にさほどの意味がないことは、誰が考えても明白である。


 近年は世の中が何でもかんでもランキングの時代ではあるが、子どもの教育においてそもそも「序列化」は相容れない、と本ブログの“教育・学校カテゴリー”において私は主張し続けてきている。
 偏差値による子ども個々人の学業成績の序列化、進学実績による学校の序列化、そして国による子どもの学力や体力の都道府県の序列化…。 何故にこの国はこれ程までに序列化を好むのか。
 若かりし頃に偏差値教育にドップリと漬かりその“数値”の恩恵のみに甘んじて世間知らずのまま大人になり、その後の人生と言えば世襲と縁故に頼ってきた人種が、揚句の果てに国の指導者たる政治家や役人になっているのもその悪因の一つではないのか。


 最後に、今回の文科省の子どもの体力調査結果の公表に関する有識者の批判意見を紹介しよう。(朝日新聞記事より要約して抜粋)
 生活様式が多様化している現在の子供達の体力について、単純に合計点やその平均点を出すことに何の意味があるのか。今回の結果公表は自治体や学校の過度の競争につながることも懸念され、受験の暗記勉強のようで運動を楽しむことにならない。運動を通じて友達とのふれあいを楽しめるような環境を整えることが必要だ。

 肩書きのみは立派だけれどキャパシティの小さい大人どもが、自己の愚かな考えに基づいて、未来ある子どもの教育に偏差値や序列化等の取るに足りない概念をこれ見よがしに持ち出して、教委や学校現場に小手先だけの対応をさせ、子どもの豊かな可能性を潰し続けることはもういい加減勘弁して欲しいものである。
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チョコ、欲しいですか?

2009年01月28日 | 人間関係
 世の男性の方々、バレンタインデーにはやっぱりチョコレートが届くことを期待されていますか?


 日本において、2月14日のバレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈るという奇妙な習慣が根付いてもう半世紀が経つ。
 この私も、中高そして学生時代の若かりし頃には、お目当ての相手にこっそりとチョコレートを贈ったものだ。 社会人になってからは、交際中の男性に手渡す事はあっても、いわゆる“義理チョコ”に関しては渡す意義が見出せず、周囲の女性達がいくら騒いでいようが私は我関せずで一切渡した事がなかった。


 そんな私も、ある職場で大量の義理チョコを配ったことがある。30歳代での再びの学生時代のアルバイト先での話なのだが、この職場では毎年アルバイト女性が職場の男性全員に義理チョコを配るのが“定例行事”となっていたのだ。
 ところが、これが大変なのだ。と言うのも、当日出勤するアルバイト女性2名に対し男性が30名程いる。しかも、必ず女性一人ひとり各々が男性全員に配るという代々の“掟”まであるのだ。当時4名のアルバイト女性が2人ずつ交代出勤していたのであるが、この“経済的負担”を回避するために皆で2月14日の出勤をなすり合った結果、新入りの私が2月14日出勤となり、この“定例行事”の担当となってしまったのだ。
 さて、前日に勤務を終了して帰宅しようとする私に、男性職員の方々が、「○○ちゃん(私の名前)、明日何の日か忘れてないよね♪」「○○ちゃん、期待してるよ!」等々、異口同音に“義理チョコ”を促すのだ。こうもあっけらかんとチョコを要求されると、もう憎めない。
 とは言え、チョコ30個の支出は苦学生には痛い。結局100円のチョコを30個買い込み、ラッピングを自分でして、一人ひとりの特徴を捉えつつ日頃のお礼を書いたメッセージカードを付け、見栄えだけはよくしたチョコを用意した。もう一人のアルバイト女性など、合計の支出が1万円を超えたと言ってぼやいていたものだ。
 さて、次の日この“義理チョコ”を職場で配る訳だが、反応が上々である。やはり、一人ひとりにメッセージを付けたのがミソだったようだが、皆さんから懇切丁寧にお礼を言ってもらえ、その後、職場での私の受けがそれまで以上によくなった。
 そして、驚いたのは3月14日のホワイトデーである。山ほどのお返しのプレゼントが届いたのだ。これが凄い! 真っ赤な薔薇の花束、ピーターラビットのオルゴール、ブランドのボールペンや小物入れやハンカチ、ステーショナリーセット、それにキャンディボックスにクッキーの詰め合わせ…… 加えてメッセージカードや、中には便箋2枚に渡る手紙をくれた人もいた。更には、デートの誘いもあった。 両手に抱えきれないほどのプレゼントを抱えて私は帰宅した。

 “海老で鯛を釣る”とはまさにこのことである。


 それにしても、2月14日は男性にとっては落ち着かない一日なのではなかろうか。本命にしろ義理にしろ、“残酷”とも言えるこの日を、男性の皆さんはどのような心境で過ごすのであろう。
 
 1月23日朝日新聞夕刊の「悩みのレッスン」に“チョコがもらえない”と題する中学生男子からの“悩み”の相談が取り上げられていた。
 この相談を読むと何とも可愛らしいと言うのか、年季の入った私などには微笑ましくもある。
 少し紹介すると、「僕は生まれてこの方、バレンタインデーに母と祖母以外からチョコレートをもらったことがありません。親は、あんたがチョコをちょうだい、と言って回るから女子に引かれるのだ、と言うので去年からはクールに構えたのにやっぱり1個ももらえません。女子の友達もいるのに、なぜか“この人”と思ってもらえないのです。何が足りないのでしょうか。」

 このブログの筆者の原左都子おばさんは、君のその素直で開けっぴろげなキャラがとても気に入ったよ。君は愛すべき少年だね。ちっとも心配要らないよ。 あと何年かたったらきっと君にもチョコが届くはずだよ。
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偉大なる哲学者の遺産

2009年01月26日 | 学問・研究
 ウィトゲンシュタインと言えば、20世紀を代表する哲学者の一人である。

 私は残念ながらウィトゲンシュタインの著作を一冊も紐解いておらず、その業績に未だ触れずにいる。そんな私ではあるが、哲学者ウィトゲンシュタインの名前は私の脳裏に鮮明に刻み込まれている。

 それには理由がある。
 30歳代での再びの学生時代に、私は当時の自分の専門ではなかった哲学にはまり、卒業認定単位とは関係なく哲学の授業を何本もはしごしたのだが、その中で一番没頭したのが「科学哲学」であった。
 この「科学哲学」の授業に大いにインパクトを受けた私は、担当講師(他大学の教授でいらっしゃったが、我が大学には講師で来られていた)の先生を密かに尊敬申し上げた。そして、この先生の追っかけをして「科学哲学」を2年に渡って2度(単位取得後の再受講は原則禁止のため2度目は“隠れ受講”だったのだが)と、同先生による「自然科学概論」を受講したのである。
 (私が最初に「科学哲学」にはまったのは、おそらく元々理系で医学関係の職業経験があったというバックグラウンドも大きいと思われるが。)
 
 この先生をここではA先生としておこう。 このA先生というのが、とにかく“哲学者”そのものでいらっしゃるのだ。浮世離れしているというのか、冗談のひとつも出ないどころか、無駄口の一切ない授業で口を開けば哲学なのである。そのためか学生には滅法不人気のようで、大教室にいつも受講生が10名程しかいない。 最初の頃は訳がわからないまま授業に出ていた私であるが、そのうちA先生の哲学の世界にどんどんと引きずり込まれていった。
 
 このA先生の授業が、これまた唐突だ。いきなり英文の哲学論文のコピーを受講生に配布する。そして、前方に座っている私に「じゃあ、あなた、ちょっと訳して下さい。」と来るのだ。哲学専門用語はてんで分からないし、辞書も持ち合わせていない。四苦八苦しながらしどろもどろ日本語に訳していると、専門用語に関しては先生が手伝って下さりながら、私は何とかプラトンに関する論文を訳した記憶がある。 こういう授業の唐突さも不人気で、さらにだんだんと受講者が減っていき、結局最後まで残ったのは私を含めて3、4人だったように思う…。 学生の人気におんぶしたがる大学教員も多い中で、A先生はそういうことには我関せずで、相変わらず哲学者でいらっしゃる。これがまた魅力的なのだ。

 なぜ、ウィトゲンシュタインの名が私の脳裏から離れないのか。 それは、上記のごとくご自身が哲学者でいらっしゃるA先生が授業中におっしゃった一言によるものだ。
 「古代より現代まで世界中に多くの偉大な哲学者が存在するが、その中でも私が特に影響を受け、偉大と考える哲学者は“プラトン”と“ウィトゲンシュタイン”です。」と明言されたのである。
 後に私が、我が子の名前をプラトンから引用するに至るほどプラトンにはまり、また一昨年の夏にプラトンが創設したアカデメイアを訪れるためにギリシャまで旅立ったのは、A先生の影響力に他ならない。


 一方で、ウィトゲンシュタインもいつかは紐解きたいと思いつつ、未だ実現していない。
 そうしたところ、先だっての1月18日(日)の朝日新聞日曜版別刷り「奇想遺産」のコラムにウィトゲンシュタインが取り上げられていて、久々にA先生のことを思い出した、といういきさつである。

 この朝日新聞記事に目を通すと、偉大な哲学者ウィトゲンシュタインの横顔を垣間見る事ができ興味深い。
 “ウィトゲンシュタイン・ハウス 大哲学者癒した「建築療法」”と題する記事の一部を以下に要約してみよう。

 ウィトゲンシュタインの人生は2期にわかれる。極限まで論理の抽象化を進めて、数学のようにかわいてスカスカな印象を与える『論理哲学論考』は、哲学の歴史を変えた本と今では言われる。しかし、時代の先を行き過ぎて誰からも理解されない。
 厳密な彼が建築デザインしたウィトゲンシュタイン・ハウスは物の寸法からディテールまで異様なほどに整理されている。彼は2年間この家の設計と工事に没頭することにより人間が変わった。後期は普遍的な厳密さより、多様なコミュニケーションを大切にする人間的なものとなった。箱庭を作って患者をなおし、いやすという箱庭療法というメリットがあるが、これは大哲学者の「建築療法」であった。大哲学者ともなると箱庭療法の結果さえ、歴史に残った。

 以上の朝日新聞の記事を読むと、私が尊敬申し上げるA先生は、もしかしたら前期のウィトゲンシュタインの影響を大きく受けているのではないかと、私には見受けられる。何やら、前期のウィトゲンシュタインとA先生に共通点があるように感じられるためだ。 そして私も、哲学の本髄とは極限まで論理の抽象化を進めることにあるようにも感じる。


 いや~~、それにしても、ウィトゲンシュタインといいA先生といい、真に偉大な学者というのは一見変人のように見えても、必ずや後世に影響力という遺産を残せる普遍の存在であるものだ。 


<P.S.> 本文では「遺産」などという言葉を使用しましたが、A先生に関しましては、私とさほど年齢が変わらない現役の大学教授でいらっしゃり、先程ネットで検索しましたところ、Wikipediaにも掲載されている日本の「科学哲学」の権威でいらっしゃいます。
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博士の行く末

2009年01月23日 | 仕事・就職
 朝日新聞1月18日付朝刊「あしたを考える」のページの '新学歴社会' の今回の記事は“就職漂流 博士の末は”と題して、博士の学位取得者の就職難について取り上げていた。

 「修士」はともかく、「博士」の学位を取得すると就職の受け皿がないという話をよく耳にする近頃であるが、この記事を読むと、博士の方々の就職難の実態が気の毒にさえ思えてくる。


 それでは、早速この朝日新聞の記事を以下に要約してみよう。

 塾の講師、図書館の棚卸し、学校の警備員…、いったいいくつの職業を経験しただろうか。10年余り、年収100万~150万で暮らした。大学の教員には100回以上応募したが、なしのつぶて…、と嘆く博士取得者。 大学教員の公募に何度応募しても採用されず、非常勤講師を4大学で掛け持ちして年収140万、という博士もいる。研究者への道は狭き門で、年齢的に企業への就職も難しく、退くことも進むこともできないでいる博士号取得者は多い。
 学歴社会の頂点であるはずの「博士」のその後は明るくない。就職率は約6割に過ぎず、非常勤講師等の不安定な立場にある人の割合が大きく、フリーターをする博士の比率も高い現状のようだ。

 朝日新聞記事の要約が続くが、かつては「末は博士か大臣か」と並び称された博士が、なぜこのような実態になったのか。
 最大の理由は、国が企業等多方面で活躍できる高い専門知識・能力を備えた人材を育てる目的で、91年から10年間かけて大学院生を倍増化する計画を推進し、「入り口」で博士の数を増やしたためである。 
 ところが、「出口」の就職先が広がらない。期待されていた企業への就職者数も予想に反して受け皿が狭い。「専門能力は高いが、他の分野の知識や能力が不足している人材が多い」というのが企業の言い分であるようだ。 また、採用しても待遇面で博士を優遇しない企業も多いのが実態でもあるようだ。
 文科省も多少はこの失策の責任を認め、ミスマッチ解消に乗り出しているらしい。「企業は博士が要らないから採用しないのではなく、(大学側が)博士の中身を変えるべきだ」と某国立大学学長は話す。
 対応策として、博士を「増産」してきた政策そのものの転換を求める声が出てきている。「博士は今の半分でいい。国が戦略を立てて分野を選んで減らせば、国力の低下につながらない」と主張する有識者がいる。 一方で、ノーベル物理学賞受賞者の野依良治氏は「グローバルな知識基盤社会に日本が生き残るためには、十分な質を持つ博士が今以上に必要だ」と反論している。

 現在の日本の「博士」数は国際的にみれば圧倒的に少ない。「就職できない人がいるから減らすというのは、間違った考えだ」と言い切る有識者もいる。「人材育成能力に欠けている大学に最大の責任があり、大学が変わるべき。それができないならば博士を減らすしかない。大学の意識改革が問われている」
 との某国立大学教授の見解で、この朝日新聞の記事は締めくくられている。


 私事で恐縮だが、我が家にも「博士」が1名いる。そのため、私はこの朝日新聞記事を興味深く読んだ訳である。
 我が家の博士は“理学博士”なのであるが、自分自身の研究者としての意思と希望を優先するために、やはり“真っ当な”就職までには難儀した人物であるらしい。(“らしい”と表現するのは、私はこの人物が親掛かりを離れて自力での生活が安定して以降に知り合っているためである。) 我が家の博士の場合、学位取得後、理系の博士に多い“ポスドク”(ポストドクター = 任期付きの博士研究員)を2大学に於いて経験している。その間に科学誌“ネイチャー”に研究論文を発表した後、30歳代半ばになってやっと日本の某企業の研究所に就職を決めたとのことである。
 それでも、我が家の「博士」の場合はその頃の時代背景にも助けられ、遅ればせながらも就職先にありつけて、その後は一応安定収入を得つつ現在に至っているため、まだしも恵まれている方なのであろう。


 さて、本論に戻ろう。

 「博士」の“数”だけ増やせばいいと安易に考えた文科省の政策は、やはり失策だったのではなかろうか。そして、その責任を教育現場の大学になすりつけて済むと言う話でもないであろう。 今後は大学の意識改革の下に、研究分野の専門能力のみならず、この厳しい経済社会で真に活躍できる総合的な能力をも兼ね備えた人材の育成に取り組んで欲しいものである。

 そして、「博士」等の学位取得を目指そうとする人々やその保護者の皆様にも提言申し上げたいのだが、学位を取ればどうにかなる時代など、とうの昔に終焉している。どのような分野であれ、確かな実力があってこそ渡っていける世の中である。それを肝に銘じて精進していただきたいものでもある。 
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何が目的?

2009年01月21日 | お金
 その答は、やはり「お金」なのであろう。


 3週間程前から私の携帯電話に迷惑メールの着信が続いている。トータルで1日約20通程、毎日昼夜を問わず送信されて来る。

 その内容は意味不明なのであるが、おそらく出会い系サイトであろうと推測している。
 それにしても文面の趣旨が捉えにくい。例えば、「君の情報が掲示板に書き込みされてるよ」「外科医(弁護士等、ある程度社会的地位を匂わせるような職種をいつも書いてくる)の誰それだが、あなたを希望している」「交際を前提で前金で支払う」「市役所でお金を渡す」「お金には困ってないの?」「サイトはもうやめたらどうか」「住所知ってるから家までいくよ」「すぐ近くまで引っ越したよ」「まだ連絡くれないからこちらの連絡先を書いておいたよ」等々、メール毎に文面が異なるのだが、必ず送信元サイトの連絡先を添付してくる。

 もちろん、完全無視で即刻削除している。

 受信拒否も検討したのだが、携帯メールって受信拒否するためにウェブに接続しなきゃいけないのね? なんで、これしきのことがハード内で出来ないの? 固定電話の場合、着信拒否はハードの設定で簡単にできるし、そもそも私は電話帳登録番号の着信にしか電話に出ない事にしてるしね。 なんで、迷惑メールを受信拒否するために通信料を支払わなきゃいけないシステムになってるのよ? 今時、迷惑メールなんて世に氾濫してるであろうに、これじゃあ携帯電話会社はぼろ儲けで、この迷惑メールは電話会社の差し金、あるいはグルかと勘ぐりたくもなるぞ。
 加えて、送信者は送信元のアドレスを随時変更しつつ送信してきている様子だ。おそらく受信拒否されることは重々想定内で、アドレスを変えつつ執拗にメールを送り続ける魂胆なのであろう。受信拒否したところで、いたちごっこになりそうだ。
 こうなれば、根競べだ。(それにしても、着信音がブーブーとうるさいなあ。いい加減にしてくれよな!


 私の場合、携帯電話を普段ほとんど使用していない。従って、携帯メールアドレスの公開先のすべてを明確に把握できている。一体、どこから個人情報が漏れたのであろうか?

 それにしても、たとえ出会い系サイトであれ、メールを送信するターゲットを事前にマーケティング調査でもして少しは絞り込んだらどうなのかとも思う。 私のような人間に何百本メールを寄こしても、出会い系サイトを利用して人と出会う訳もない。人との出会いとは人として生きていく上ですばらしい出来事ではあるが、出会うべき手段を自分で選択して、出会うべく相手と出会いたいといつも考えている。
 おそらく、メールを手当たり次第に送信することは、一番容易で金も頭脳も必要とせず、誰にでもできるいとも簡単な商法なのであろう。そこで、何らかの手段で偶然入手したメールアドレスに、めくらめっぽう迷惑メールを送信し続けているのだと察する。
 (で、こういう迷惑メールになびいてアクセスしている人っているの??)

 おそらく、国民の多くの善意の庶民が既に大いに迷惑を被っているこの種の悪徳商法が、どういう訳か野放しにされている社会の実態である。世の指導者達は一体どういう魂胆で、誰と如何なる利害関係があってこういう現状を見逃しているのであろうか??


 なぜ今の時代は、このように無秩序で荒廃した社会にどんどん成り下がってしまうのか。
 通信科学技術の急激な進展、それに伴う匿名性社会の一般化、人間関係の希薄化現象、さらには昨年来の世界的経済不況が人の心の乾きに追い討ちをかける世の中を作り上げてしまっている。

 今後このような迷惑メールは増加の一途を辿り、人の心はますます乾燥していくのであろうか。
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無名という生き方

2009年01月19日 | 自己実現
 中学生の娘がこの3月に学校からカナダへ研修旅行に行くに当たり、現地での研修の準備課題の一つとして、英語の授業において、日本の有名人を一人選んでカナダの人に紹介するための英文作りの宿題を課せられた。

 その英文作成以前の“有名人”を誰にするかで迷った娘が、母の私のところに相談にやってきた。
 私はすかさず、「原左都子なんかどう?」と応えたところ、娘に「真面目に考えてよ。」と一蹴されてしまった…。トホホ… 


 そこで私は、有名人と無名人の線引きとは何であろうかと、はたと考えたのである。

 その線引きのひとつは世間における知名度であろうが、その知名度を測る一番分かりやすい尺度がマスメディアへの登場であろうか。
 単純な話が、テレビに出ていることが、新聞に取り上げられていることが、あるいは本が売れていることが有名である証明という捉え方が、世間では一般的なのではなかろうか。
 そして有名人になりたいと思う人はさしあたり、様々な専門分野でこれらマスメディアへの登場を目指すのであろう。


 現在の私自身は、“有名人”願望はない方の人間であると言える。
 昔から名声欲が全くなかった訳ではなく、若かりし頃は人並み程度にあったかもしれない。自分の専門分野で成功を修めて、あわよくばマスメディアに取り上げられたい、というような漠然とした夢を描くことはなきにしもあらずだった。

 ただ、プライベートまでをも全て曝け出すような“有名人”には決してなりたくないものである。 知名度が上がることにより行きたい所へ行けなくなったり、会いたい人にも会えなくなったり、いつも綺麗にして微笑んでいることを強要されたり、ということは断じて勘弁願いたいものである。
 無名である現在でさえ、今知り合いには会いたくないと思っている時に偶然会ってしまうシチュエーションなど、とても苦手である。例えば、バーゲン会場で安物を漁っている時や、体調不良で不機嫌な時、等々…。(そういう時は見なかったことにして声をかけないで下さいね、知り合いの皆さん。)

 このように、私という人間の全人格を世間に曝け出す形での“有名人”願望は一切ないと言い切れるのだが、私の持つ人格や能力の一部を(ペンネーム等の匿名を条件に)世間に公開したい思いはある。それが証拠に、このように「原左都子エッセイ集」をブログという形で世間に公開している訳である。


 ただ、世間を見渡すと、才能の一部で開花し名が売れはじめた人々は必ずやマスメディアに取り上げられて登場し、プライベートまでも晒しているようである。“有名人”となるチャンスが到来した場合、人間とは名声欲があらわになりプライベートまで晒そうとする動物なのであろうか。 

 そして皆さんもよくご存知のように、“普通の女の子に戻りたい”だの“普通のおばさんに戻りたい”だのと世間をお騒がせしてひのき舞台から去ったはずの芸能人たちが、必ずや恥ずかし気もなくのこのことカムバックして来るのは、どういった心理なのであろう。有名であることとは、一種の中毒症状のごとく魅力的なものなのだろうか。


 「原左都子エッセイ集」も記事総数が250本近くになり、昨日も身内から、そろそろ出版化等、ネット以外のメディアへの公開を考慮する気はないのか、との質問を受けた。 これに関しては自己診断であるが、この種のオピニオンエッセイは今の時代まず売れない、と結論付けているため出版化の意思はない。あわよくば、コラムニストとして、出版物のコラムにでも定期的なエッセイを書いてみたい思いはあるが、この無名の私にそんな甘くて美味しい話が飛び込んで来る筈もない。

 ペンネーム原左都子の本体である私は、やはり今まで通り“無名という生き方”を歩み続けることであろう。
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自分と他人との境目

2009年01月16日 | 人間関係
 朝日新聞1月11日(日)別刷「be」に興味深い記事があった。
 “心体観測”のコラム、金沢創氏による「他者の心・自分の心① 他人の感覚はわかるのか」という題名の記事なのであるが、私も中学生の頃、この記事の内容とまったく同様の思考が脳裏に浮かんだことがある。


 さっそく、金沢氏による上記記事を以下に要約して紹介することにしよう。

 中学生ぐらいの頃、他人というものが不思議で仕方がなかった。
 私にはあの夕焼けの色が真っ赤に燃えているように見える。でも、私が見ているこのアカイロは、果たして他人が見ている赤色と同じなのだろうか。
 あるとき、この問いに関係がありそうな説明に出会った。それは「感覚を生み出しているのは脳という器官である」というものであり、私は私の脳と他人の脳をなんらかの装置を用いてつないでみたいと思った。そうすることにより、「他人が見ている色」を、直接見ることができるような気がした。
 しかしある時、その考え方は決定的に誤っていることに気付いた。その理由を詳しく説明するには数冊の哲学書が必要だが、別の意味ではたった一言で説明可能だ。それは「どううまく脳をつないでも、最後に何かを感じるのは私だから、それは他人の感覚ではない」
 この答えは当たり前そうに思えて、本当はとても過激だ。なぜなら、「他人の感覚」とは原理的に決して知ることができないという結論になるからである。
 他人の心はよくわからないもの。それはよくある常識だが、それが原理的なものとなると話は別だ。どんなに科学技術が進歩しても、それが決してできないのだとしたら。(以下略)

 以上が、金沢創氏によるコラム記事の要約である。
 そして“実験心理学”が専門でおられる同氏は、次回以降の同記事において、この実験心理学について紐解いていくことにより、心というものの不思議について考察していかれるそうである。


 実に偶然なのであるが、この私も中学生の頃に「色」というものの見え方について、同様の疑問が頭をもたげたことがある。 私の場合は、夕焼けを見て思いついた訳ではなく、漠然と「色」の見え方についてふと思った。
 赤、青、黄、緑、…… 人はいろいろな色をその色として認識している訳であるが、本当に皆同じ様に見えているのであろうか。もしかしたら私が“赤”だと認識している色がAさんにとっては私の認識の“黄”であったり、Bさんにとっては“緑”であるのかもしれない。言語で表されている対象物の認識の感覚とは、実は人により異なるのではなかろうか…。

 この命題はまさに哲学的であり心理学的である。金沢氏が書かれているように、この命題を実証していくためには数冊の哲学書が必要であろう。また心理学分野においてはもう既にその解明が進展しているのかもしれない。
 今のところ、残念ながら私はその分野の学術知識を持ち合わせていないため、ここでは専門的な話は素通りさせていただくことにする。


 それにしても、「他人の感覚」とはいつの世も捉えにくいものである。自分と他人との間には必ずや“境目”や“隔たり”が存在するのが人間関係における宿命であるようにも思える。
 他人に対して好意を抱いたり興味を持ったりすると、自分とその他人との感覚を接近させ、その境目や隔たりを“超越”して自分の感覚を「他人の感覚」と融合させたい欲求に駆られるのが人情なのだが…。

 他人の心とは永遠に分からないものであるのか。それとも、科学技術の進歩により「他人の感覚」が原理的に解明できる時代がもう既に来ているのであろうか。
 他人の心とはわからない方が、実は人間関係は奥が深くて面白いのかもしれない…。
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金銭教育は家庭の役割

2009年01月14日 | お金
 我が子が幼稚園児の頃、数人の母親達の間で、お正月に子どもがお年玉をいくらもらったか、という話題が出た事がある。
 皆さんそれぞれに、「うちは何千円」「我が家は1万数千円」等々…話がはずんでいる。
 その金額を小耳に挟みつつ、(う~~ん、これは困ったぞ。この話に加わる訳にはいかない)と判断した私はそっぽを向いていないふりをしていたのだが、やはり一人の母親につつかれてしまった。
 「○○ちゃんはいくらなの?」
 やむを得ず正直に答えると、皆さん一斉に「え~~~!何でそんな大金をもらえるの!!?」

 ここでは我が子が毎年手にするお年玉の金額の公表を避けるが、我が子の場合一人っ子であることや、親戚一族に子どもが我が子1人しかいない(従兄弟は既に成人していたり、海外住在であったりでお年玉が必要でない)等の理由で、親戚一同から我が子にお年玉が集中するため、ある程度まとまった金額になるのだ。

 そのまとまった金額のお年玉を、まさか子ども本人に全額自由にさせる訳にはいかないため、子どもが幼少の頃からお年玉の使途を子どもと話し合っている。一部は子どもの自由に任せ、ほとんどの残額は子ども名義の預金として私が保管している。
 我が子が中学生になった今尚その習慣を継続しており、お年玉のほとんどを預金に回しているのであるが、我が子はどうやら預金残高が増えることがうれしい様子である。


 1月6日(火)朝日新聞朝刊の「子どもの声きこえてる?」の今回の記事は、“お金は大事だけど”と題する子どもの金銭感覚にまつわる話題であった。
 この記事によると、例えば、“お金は使い過ぎないように気をつけるしかないが、携帯を使っているときにはお金がかかっている感覚がない”と言う中2の女の子や、塾通い用に母親から手渡されているスイカを“電車に乗る意外に、小額ならばバレないと思って母には内緒でコンビニでも使う事がある”と言う小6の男の子の話が取り上げられている。

 社会における急速なキャッシュレス化の進展の中、現金と、物やサービス等の商品との相対やり取りを経験する機会が激減してきている。このような時代背景の中で育つ今の子供達は、“お金が減る”感覚が掴みにくい現実であったり、またキャッシュレス決済をごまかしがきく利点のあるものとして認識してしまうのかもしれない。


 そのような時代背景であるからこそ、今まで以上に子どもに対する金銭教育は重要な位置づけとなろう。

 上記朝日新聞の記事においては、学校でも子どもの金銭教育を検討するべきという趣旨の論評が附記されている。


 だが、私論は金銭教育とはあくまでも家庭が主体性を持って取り組むべき子育ての重要な一環であると捉える。

 なぜならば、子どもの金銭教育においては、各家庭の経済事情や親の経済観念、金銭感覚が大きく左右するためである。 
 早い話が、世の中には“貧富の格差”が存在する。Aさん宅がこういう暮らしをしているから我が家も同じにする、という訳にはいかない。各家庭それぞれの経済力に応じた暮らしがあり、子どもにも幼少の頃からその経済力に応じた金銭教育を家庭内で行うべきである。
 我が子が小学校低学年の頃、学校の保護者会で“子どもの小遣はいくらが適切か”という話題が出た。案の定、母親の皆さんは「うちはいくらだ」「我が家はいくら」等々、賑やかだ。 確かに子どもの金銭教育において、小遣はスタートラインとして大いに役立つであろう。そこで、他人のお宅の小遣額は参考にする程度にして、各家庭で主体性を持って小遣の金額を決定して欲しいものである。そして、各家庭での金銭教育の一環として、親がその使い方のフォローを忘れずにすることも肝要である。


 昨年よりの急激な不況のあおりで、家計に陰りが見えるご家庭は多い事と察する。現在尚そのような経済情勢の真っ只中ではあるが、まずは親自身が自らの金銭感覚を見直し、子どもの金銭教育に繋げて欲しいものである。
 
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英語で授業、誰がやるの?

2009年01月12日 | 教育・学校
 昨年末の12月22日、文部科学省は13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改定案を発表した。

 そのうち外国語に関しては、現行の英語Ⅰ、Ⅱ、リーディングの3科目を、コミュニケーション英語Ⅰ、Ⅱ、Ⅲに再編するという。これは「聞く」「読む」「話す」「書く」の4技能の総合的な育成が目的であるらしい。
 そして、今回の改定案の極めつけは「英語の授業は英語で行うのが基本」と明記した点である。長年の“使えない”英語教育に対する批判を踏まえて、「使える英語」の習得を目指すということである。


 文部科学省の気持ちは少し分からなくもないが、高校の英語の授業をすべて英語で行おうとは、いくら何でも無茶苦茶な極論ではなかろうか。
 と思って呆れていた矢先、案の定、反論意見が相次いでいるようだ。

 まずは、12月23日の朝日新聞社説から以下に要約して紹介しよう。
 たしかに日本人の英語下手はよく知られるところだ。中学、高校と6年間学んでも、読み書きはともかく、とんと話せるようにならない。
 ますます国境の垣根が低くなる世界で英語は必須の伝達手段であるから、英語教育を変えて会話力を育てるために、授業自体を英語での意思疎通の場と位置づけたいとする文部科学省の発想はよい。
 ただ現実の授業を考慮した場合、例えば文法を英語でわかりやすく説明したり、生徒の質問に英語で答えることは簡単ではないであろう。生徒も理解できるかどうか。現場の教師や生徒の能力に左右されるところが大きく、無理やり形だけ整えても効果は乏しいであろう。
 もう一つの懸念は、大学入試に備えるべき進学校においては利点がそれほど大きくない点だ。
 学校現場の混乱も視野に入れ、今後の英語教育への道筋と環境作りを大枠で整えることが先決問題であり、それが文部科学省の仕事である。
 以上が、朝日新聞社説の要約である。
 
 次に、12月28日(日)朝日新聞「声」欄の投書から2本の反論意見を要約して紹介しよう。

 1本目は現役高校英語教員からの「また現場無視 課題は山ほど」と題する意見から。
 英語教員の出身も教育学部、文学部、外国語学部など多様で、英会話が得意な教員ばかりとは限らない。文部科学省はこうした現実をどう考えているのか。
 (例えば)海外の文学作品を通して異文化に触れさせることも英語教育の重要な柱である。「使える英語」への転換により、これらは無用となるのであろうか。
 この教育現場無視の改定案が実施されるまでには、教員の研修、クラスの規模など検討すべき課題は山ほどありそうだ。
 
 続いて、大学生からの「目指す道様々 一律に必要か」と題する意見を要約しよう。
 日本の教育政策は、統一を求める傾向が強い。「平等な教育」なのかもしれないが、多様な価値観を持つ生徒が、国の定めた画一的なカリキュラムの下で学習に意味を見出せるだろうか。
 多様な職業が存在し、求められる能力もそれぞれだ。これから学ぶ生徒全員が英会話ができなければまずい、ということはない。
 「使える英語」より、自分の目指す職業とつながる科目を多く勉強したいと思っている生徒もいるだろう。高校は義務教育ではないのだから、個々の事情や就きたい職業との関連で学習できるカリキュラムにしてもよいのではないだろうか。
 以上が朝日新聞「声」欄の投書の要約である。


 皆さんのおっしゃる通りである。私論も上記3つの反論意見に一致する。

 私の今までの人生においても、英語は「聞く」「話す」よりも、「読む」「書く」ことの方がよほど比重が大きかった。 大学、大学院においては論文を書くにあたり、英語の参考文献に大いにお世話になった。 医学関係の仕事では英文の論文を何本も読んだ。 その他の職業においても英文に触れる機会は多かった。 そして、日常生活でも英文の各種説明書や効能書き等を読む機会は少なくないし、街に出ても英文に出くわす機会は多い。
 これらの英文に接する時、中高で学んだ英語が大いに役立っていることに今尚気付かされる。中高レベルの英単語力と文法力が確実に身についていれば、一生に渡り大抵の英語は読みこなせるし、ある程度の英文も綴れるものである。中高時に真面目に英語の読み書き学習に励んだことが正解であったことを再認識する日々である。
 たまに旅行等で海外に出かけると、確かに自分の英語の発音の悪さや、ネイティブ英語の聞き取り力のなさに愕然とさせられる。 だが、意外や意外、文法力や英単語力等の英語知識がすべての基本であって、相手と話したいという気さえあれば、それで英会話もカバーできるものだということを今までに幾度も経験してきている。


 学校現場の現実を直視して英語教員の負担等にも配慮すると、現行の英語教育で十分なのではないかと私は考えるのだが…。
 その上で、高校での英語教育の選択肢を増やし、生徒の希望によりそれぞれが目的に応じて「使える英語」を学習できるシステム作りに取り組んではどうか。

 とにかく、文部科学省は突如として無茶苦茶な極論を提示するのではなく、学校現場で実現可能性のある改革案を検討するべきであろう。 
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不幸そうに見える妻

2009年01月09日 | 芸術
(写真は、現在横浜美術館にて開催中の「セザンヌ主義」のパンフレットの一部)

 上記パンフレットの写真の絵画はフランスの画家、ポール・セザンヌが描いた自分の妻の絵「青い衣装のセザンヌ夫人」であるが、ご覧のように決して幸せそうではない表情の夫人の肖像画である。


 昨年末に横浜を訪れた際に横浜美術館へ立ち寄り、この「セザンヌ主義」の特別展を観賞して来た。
 その際に大いに印象に残ったのは、夫のセザンヌにより描かれたセザンヌ夫人のこの不満げで冴えない表情である。この「青い衣装のセザンヌ夫人」の他にも数枚のセザンヌ夫人の肖像画が展示されていたのだが、一枚と例外なく、夫人は暗くて冴えない表情なのである。

 あくまでも素人の私に好き放題言わせてもらうと、通常女性を描いた肖像画と言えば、まず美人であること、そして色香が漂い妖艶であり、しかも品格がある等、女性としての何らかの魅力があることが要求される。たとえ美人ではなくとも、たとえば愛嬌があったり、表情豊かで内面から何かを訴えるようなインパクトがあって欲しいものである。

 ところが、どういう訳かこのセザンヌ夫人の絵を見ると、「他に描く女性がいなかったのだろうか。自分の奥さんとは言え、何も好き好んでこんなブスを描かなくても…」、あるいは「せっかく世に出すならば、多少偽りであっても修正してもう少し美人に描いてやればよかったのに…」等々、要らぬお節介心までが頭をもたげてしまう。
 そういった理由で、セザンヌ夫人の肖像画はマイナスイメージで印象深い存在ではあった。

 折りしも、一昨日1月7日(水)の朝日新聞夕刊“水曜アート”のページにこの「青い衣装のセザンヌ夫人」が取り上げられていた。
 その記事の題名は、「妻が不幸に見えるわけ」。 やはりそうなのか。この肖像画のセザンヌ夫人は誰の目にも不幸そうに見えるのだ、と納得である。


 さて、それではこの朝日新聞夕刊の記事を以下に要約して紹介してみよう。

 (この絵は)画家が自分の妻を描いた絵には見えない。どこか不幸そうだし、男のようでさえある。レンブラントの昔から、画家は自分の妻を美しく幸せそうに描いてきたのだが…。
 人嫌いで知られたセザンヌは、妻オルタンスの肖像画を30点近く描いた。まるで実験のように妻をさまざまな姿勢と角度で描いている。
 セザンヌにとって、構図と色のバランスがすべてだった。妻は格好の実験材料だったようだ。夫婦仲は悪かったが、妻はモデルとして複雑で厳しいセザンヌの要求に応えた。創造への共犯意識があったのか。
 今回(横浜美術館に)出品の妻の絵を比べるだけで、天才の狂気が伝わってくる。
 以上、朝日新聞記事より要約引用。


 なるほどねえ。
 “創造への共犯意識”という妻の立場からのセザンヌへの“立派な”愛情表現。そのように捉えてこの絵を見直すと、こんな俗人の私にさえも、この無愛想な表情の夫人の絵にも内面から訴えるものが感じられるのが不思議である。
 もう一度、横浜美術館へ行って、セザンヌ夫人の肖像画を観賞し直してみたい気分にもなる。

 それにしても、セザンヌが“人嫌い”であったことはこの肖像画の夫人の表情が物語っているようにも思える。 構図と色のバランスにこだわり、あえて不仲の妻を書き続けたセザンヌ。
 だが実はそれも、セザンヌの不仲だった妻に対するせめてもの愛情表現だったのかもしれないとも私には思えてくる。


 誰も私の肖像画など描いてはくれないだろうが、もし描いてくれる人がいるならば、やっぱり嘘でも美人に、そして艶っぽく修正して描いて欲しいな~~。
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捨てられない和服

2009年01月06日 | その他オピニオン
 成人式用の振袖の折込チラシを見て思い出したのだが、私は成人式に出席していない。従って、振袖を所有してもいなければ、未だかつて手を通したこともない。
 私の姉も私とまったく同様で、成人式に出席しておらず振袖も所有していない。

 これは、私の親の考え方によるところが大きい。私の両親は、現実主義と言うのか合理主義と言うのか、昔から(私に言わせてもらえば)自らの“偏った”価値観に固執して“無駄”を徹底的に排除したがるところがある人間達だった。現在まだ生存している母に関しては、今でこそ年老いて考え方が相当柔軟になってきているが、昔は、通常の母親らしくない異質な思想のある人間のように私には感じることもあった。

 そんな両親は、成人式の何年か前から娘2人に宣言していた。
 「成人式に親として(無用の長の)振袖など作る気はないから、そのお金を有意義に使うことを自分で考えておきなさい。」
 私はそのお金に自分の貯金も足して、米国へ短期留学する事に決めた。そして、20歳になる直前の19歳の夏に単身で米国へ旅立った。私なりの成人のお祝いはこれで終了した。
 
 ところが、当時まだ私は学生であったのだが、1月の成人式が近づくにつれ周囲の女友達の間では親に作ってもらった振袖の話に花が咲きはじめた。 どんな色にした、どんな柄にした、髪はどう結おうか、等々…。 話に入れない私にだんだんと惨めさが漂い始めた…。 何と言ってもまだ二十歳の子どもだ。
 これはどう判断しても、洋服でのこのこと成人式には出席できない。そう感じた私は、成人式には欠席の決断をした。健気な私は、欠席の理由を振袖がないためではなく自分自身の考えによる、と親に伝えた。

 さすがの親も私のそんな心情を察していたようである。特に母親は、私の健気さが身に沁みた様子だった。


 そんな母は、私が何年か後に東京へ旅立った後、母なりの奇妙とも言える“罪滅ぼし”を始めたのだ。
 母は年代的にも元々「和服」が比較的好きな人間だったのだが、姉と私2人の娘のために一生に渡って着ることのできる「和服」一式を揃え始めたのである。訪問着、小紋、色無地、紬、そしてアンサンブル、それに着物に合わせた帯に羽織、コート、夏冬の喪服、浴衣、それから、着物用毛皮にバックに巾着、履物、長襦袢等の下着類、等々等々……
 しかも、姉がウン十年前に米国に永住するに当たり、それらすべての和服を私に預けて行ってしまったため、私の大きな和ダンスは和服で満杯である。

 母の“奇妙”な罪滅ぼしは有難いのだが、残念なことに今の時代、和服を着る機会など皆無に近いのが現状だ。
 結局、私が母の仕立てた和服に袖を通したのは、30歳代後半の大学院の修了時に袴の下に訪問着を着たのみである。(それでもその時、母は十分に喜んでくれた。)
 私としては当時まだ独身だったので本音を言えば派手な振袖を着たかった。そのため、自身の“学位授与式”用に、自分で振袖を仕立てようかとも考えた。
 上記のごとく“偏った”両親の価値観の下で育った私には、そんな両親の“偏り”のお陰で、当時独力で大学院を修了して、振袖くらい仕立てられる程の財力も軽く備わっていた。 だが、母のせっかくの“奇妙”な罪滅ぼしをその機会に尊重したいと考え、あえて母が仕立ててくれた訪問着を着たといういきさつである。 


 それはともかく、この和ダンス一杯の和服であるが、今や正直なところ我が家にとってはそれこそ“無用の長”の存在であることは否めない。 引越しの度に思い切って捨てようかとも考えるのだが、我が母の娘の成人式への“罪滅ぼし”に思いを馳せると、やはりどうしても捨てられない。 虫干しをする気も機会もなく、おそらくタンスの中の和服はカビだらけなのではなかろうか。

 
 現在15歳の我が娘には、5年後(3年後??)の成人のお祝い時に「振袖」を一枚だけ作ってやることが今の時代の親としての最高のお祝いだと、我が親の教訓としてしみじみ思う私である。
      
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今年も「大吉」で行こう!

2009年01月03日 | 雑記
 私は、普段は星座や血液型、手相等々の「占い」にはさして関心のない人間なのだが、新年の初詣の際に「おみくじ」だけは毎年欠かさず購入する習慣がある。
 これには私なりの隠された“苦い過去”があるためだ。

 
 今を遡ることウン十年前の高校生時代に、私は神社のおみくじで「凶」を引いたことがある。

 学校の夏休み中に、遠方の友人の家に別の友人と2人で泊りがけで遊びに行った。真面目で健全な(?)高校生だったため、喫煙したり飲酒したりということは一切ないのだが、友人宅にルーレットやダーツなどの賭博おもちゃがいろいろとあって、それに3人ではまり深夜まで楽しんでいた。おそらく、チョコレートやキャンディなどのお菓子を賭けて遊んでいたのだと思う。

 不思議現象は既にその時から始まっていた。
 どうしたことか、私が大当たり大儲けの連続なのである。それはもう“神がかり”としか言いようのない程、当たって当たって当たりまくるのだ。 例えば、ルーレットでは数字そのものがズバリと連続で何度も当たる。他の友人達も負けて悔しいと言うよりも、私の当たり様がまさに神がかり的で皆で怖くなるほどだった。

 さて次の日、宿泊させていただいたお宅の友人のお父様(開業医でいらっしゃった)が仕事を中断して私達を隣県までドライブに連れて行って下さった。道中に神社があって、そこでお参りをすることになった。高校生でまだまだ子どもの私達は「占い」に関心がある。3人で「おみくじ」を引いて比べっこすることしにしたのだが、そこで私が引き当てたのが「凶」だったのだ。
 
 神社にもよるようだが、おみくじで「凶」を引き当てる確率は至って低い(あるいは元々「凶」を入れていない神社もあるらしい)と聞いている。 
 その「凶」をまたまた引き当てた私に友人の一人が言う。「○○ちゃん(私の名前)、昨日の“神がかり”がまだ続いてるね……」

 まだまだ子どもである事が幸いして、「凶」を引き当てた事が物珍しい程度で、さほど気にするでもなく時間が過ぎた。

 そして列車で自宅への帰路に着くのであるが、事件はそこから始まる。
 ターミナル駅で乗り換え時に、友人とショッピングをしてから帰ろうということになり、何と無謀にも手荷物(お土産も入れて一人3個ずつ計6個)を駅構内に置きざりにしたまま街へ出かけた。
 ショッピングを終えて駅に帰ってみると、私の荷物のみ3個が跡形もなく全部なくなっている!! 友人の荷物はすべて残っているのに、何とも不思議な光景だ。
 少し心当たりがあった。列車の中で、薄着のTシャツ、ミニスカートで友人よりも体を露出していた私は、知らない男に目をつけられているような気がしていた。列車を降りた後も、その男が後からついて来ているような気もしていた。 それを警察で話したのだが、結局荷物は見つからずじまいだ。なくなった旅行かばんの中には私の身分が証明できる学生証や学習教材等々と共に、汚れた服や下着が沢山入っていた。
 後々まで不気味さは続いた。「凶」を実感させられた事件だった。


 あの事件からウン十年が経った今尚、「おみくじ」を引く瞬間は私にとっては恐怖の時である。 それでもなぜ引くのかと言うと、「凶」ではない場合の喜びが倍増するからだ。「小吉」であっても「末吉」であっても私は至ってうれしいのだ。
 あれ以来、幸いにも「凶」を引いたことはない。

 昨日行った今年の初詣で引いたおみくじは「大吉」だった。これで2年連続の「大吉」である。
 昨日の「大吉」のおみくじを少し紹介してみよう。
「さくらばな のどかににおう 春の野に 蝶もきてまう そでのうえかな」
(身も進み、財宝も出来て立身出世する事は、春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にて、よき人の引き立てにあずかる。)

 よい年になりそうだ。
 今年も「大吉」で行こう!  
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