原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

見知らぬ他人を非難して感謝を期待する勘違い高齢男

2017年12月17日 | 人間関係
 と表題に掲げつつ、この私も当「原左都子エッセイ集」にて同様の “勘違い言動” を繰り返しているのであろう事態を、とりあえず反省しきりだ。
 まさに “人の振り見て我が振り直せ” とはこの事だと、今現在、穴があったら入りたい心境でもある。

 ただし、私の場合は単にネット上にてオピニオンの形で “特に世に名が売れている著名人相手に”「非難」をしているだけの話で、決して非難した相手に「私に感謝せよ!」とはただの一度も言っていないよ~~。 


 早速、朝日新聞本日2017.12.16付 “悩みのるつぼ” より、68歳男性による「感謝される注意の仕方は?」と題する相談内容を以下に要約して紹介しよう。

 ルールやマナーが気になる68歳のおじさんです。
 道路の横を走って来る自転車に「自転車は左側ですよ」、スマホの画面を見つめる歩行者に「歩きスマホはやめましょう」、信号無視の人に「赤信号ですよ」、禁煙場所でたばこを吸う人に「ここは禁煙ですよ」……。 街に出ると様々なルール違反が目につき、こんなことを口にして注意している。 
 注意した人達から、「ごめんなさい」「ありがとう、気を付けます」などと返されるのはほんの少し。 「うるさいなあ」「私の勝手でしょ」はまだしも普通の反応で、「俺のルールでは自転車は右側通行なんだよ」「車がきてなきゃ、赤信号で渡っていいんだよ」などと言い返されることもある。
 妻や友人からは、「そのうち殴られたり、刺されたりする。危ないからやめろ」と言われている。 一体どうすればいいのか。
 「ごめんなさい」「ありがとう」と言ってもらえるような注意の仕方があれば教えて欲しい。 それとも妻たちが言うように、注意をするのはやめた方がいいのか。 一番よいのは、私が口を出すまでもなく、皆がルールとマナーを守ってくれることとは思うが。
 (以上、朝日新聞本日の“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 このおじいちゃん(ご本人は“おじさん”と自称されているようだが)、私の視線からは精神面で十分に “おじいちゃん” 域に入られている人物であろう。 
 そして私の想像だが、この人物は現役時代に安穏と小学校教員でもされていたのであろうか???
 元教員だとして、もしも中高現場に勤務していれば、その年代の子供達の反発力や歪み力の凄まじさを既に十分に実感出来ているはずであり、こんな無謀な「勘違い指導」を外部で実行出来るすべもないだろう。

 しかも可笑しいことに、68歳にもなってそれを実行したご自身を肯定的に捉えておられる。 
 自分の「指導」を、された側が「感謝」するべきと!??
 この実態を考察すると、このおじいちゃんが元教育者だったとの我が推測も否定されようか? もしも教育者であられたのならば自身への感謝を求めるより率先して、その世代の若者達の未来への発展を望むべき言動に出るはずだ。

 それでも、“自己肯定評価”との見返りを第一義に捉えているらしき“勘違い”おじいちゃんは、有り難くも周囲の人間環境に恵まれている様子だ。
 奥方や友人たちが、「そのうち殴られたり刺されたりするから危ないからやめよ」とアドバイスしている事実に助けられる。
 私にとって一番腹立たしく、かつせせら笑いたいのは、この相談者が結論として「一番いいのは私が口を出すまでもなく、皆がルールとマナーを守ってくれる事と思う」と、あくまでも自身がさも世を支配している権力者であるがごとく勘違いして豪語している点だ。


 ここで、今回の“悩みのるつぼ” 回答者であられる 評論家 岡田斗司夫氏の回答内容のごく一部を紹介しよう。

 なぜ妻の助言を聞き入れないのか? 妻から「危ないからやめてくれ」と言われて、あなたが妻に感謝したり、自分のこれまでの言動を謝ったりしないのか?  (途中大幅略)
 まず第一は自分のその感覚を反省し、「どうすれば(下手に)プライドの高い私は、妻の助言に感謝して従うことができるのか?」それを問うことだ。
 朝日新聞に相談する必要はない。 あなたの悩みの解決のヒントはすべてその素晴らしい奥方の助言に隠れているはずだ。
 (以上、“悩みのるつぼ” 回答者のご意見のごく一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の結論で締めくくろう。

 何だが、哀れで虚しい68歳男性からの悩み相談だったと結論付けられよう。
 ご自身が日々良かれと実施している行動が「世のため」になると信じて疑っていない、現在自分がおかれている侘しい現状に思いが及ばないその感覚。
 それにプラスの反応がくればとにかく嬉しいが、そうでないなら身勝手に議論を広げ「世のルールやマナーがなっていない」との自己中心的回答を正当化するとの恥ずかしい結末。
 
 高齢者とて他者からの好意的反応にばかり依存するのではなく、もっと自らが主体性を持って生きねばならないとのサインを送ってくれた相談内容と、私も再び受け止めた。

 それよりも何よりも、まさに自らの命を守るためにも、外で見知らぬ他人に深い思慮もなく無責任に要らぬお節介を焼く事態は慎むべく移ろいで久しい現代の時代背景であろう。

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娘の誕生日に際し何歳になったか答えられないおとぼけ父

2017年11月24日 | 人間関係
 (写真は、昨日勤労感謝の日に誕生日を迎えた娘のお祝い会をした寿司店のカウンターコーナー。)


 ここ何年か、娘の誕生会を決まって上記の寿司屋にて実施している。
 何故ならば高齢者介護施設に住む義母を招いての誕生会のため、義母が行動可能な範囲内での会場に限定される故だ。


さて施設よりタクシーに乗って到着する義母を出迎えるため、タクシー降り場にて義母を待つこととなった我々親子3名だが。

 待ち時間中に、亭主に質問した。 「今日が娘の誕生日だという事を覚えてた?」 亭主応えて、「もちろんだよ!」 (何分“勤労感謝の日”が誕生日のため万人が覚えやすい事は確かだ。

 「じゃあ、娘が今日何歳になったか知っている?」 
 何故亭主にこの質問を投げかけるかに関しては理由がある。 一度足りとて正確に答えられた試しがないためだ。
 記憶が鮮明な例を挙げると、娘9歳の誕生日に際し同様の質問をした私に対し亭主から返された回答とは、「14歳かなあ。」  これには母娘共々仰天させられると同時に一家で笑い転げ、明るい誕生祝となったものだ。
 (ここだけの話だが、我が亭主とは元々“頭が悪いのか?” と思われるふしがある。  それは娘も認めていて、その亭主の弱点を突くことを母娘で楽しめる家庭でもある。 配偶者の立場として贔屓目に見てやるならば、おそらく頭が悪いのではなく亭主にとってはその種の事象は既に超越して二の次でよい課題であり、娘が順調に育っていさえすればそれで十分満足なのだろう。)

 案の上、娘が本日何歳になったかの問いに対する亭主よりの回答とは。 「27歳」。 これにタクシー降車場で大笑いの我が一家だった。



 それにしても。

 娘がある程度成長を遂げるまでは勤労感謝の日の誕生日を迎える都度、母である我が脳裏に出産当日の壮絶な悲劇が走馬灯のごとくリアルに蘇ったものだ。
 救急車で救急搬送された大病院にて、緊急帝王切開手術に耐え抜いた挙句の果てに。 この世に生まれ出た娘が「仮死状態」にて不具合を抱えての出産との予期せぬ事態。

 実際毎年娘の誕生日を迎える都度、我が脳裏には24年前のあの日の救急搬送病院にて娘が「死」から助け出されるべく緊急手術現場の風景しか思い起こせなかったものだ。
 「どうしてこんな事態に陥ってしまったのか??」なる悲壮感と共に、母である私に何某かの罰でもあたったのかとしか思えなかった。

 当時、実母・義母それぞれが未だ年老いていない時代背景下に於いて、毎年娘の誕生日にはご両人から「〇ちゃん、誕生日おめでとう!!」とのメッセージやプレゼントが容赦なく届けられる。 それに表面では母の立場から「ありがとう」と対応しつつ、脳裏では娘の未来を絶望視していた時代でもあった。



 昨日迎えた娘の24歳の誕生日に際し、娘本人の凄まじいばかりの成長力と共に、我がサリバン人生を24年の年月に渡り実行し続けられた達成感を今は抱ける。

 現在に至っては、決して24年前の壮絶な出産時を思い起こす事は無い。(いや、少しはあるかな。)
 
 亭主の天然“おとぼけ”ぶりが、娘出産時の悲劇を思い起こす事態を毎年回避してくれている気もする。


 とにもかくにも、我が娘よ。
 貴女が無事に24歳の誕生日を迎えられた事実を、我々父母をはじめとして親族の皆が祝福してくれていることは確かだ。

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同類婚は幸せか?

2017年10月28日 | 人間関係
 表題でいうところの「同類」とは、“学業経験、経済力”分野を指す。


 ここのところずっと衆院選関連のエッセイが続いていたが、そろそろ話題を変えよう。
 安倍首相が突如として身勝手に「解散総選挙」を宣言する少し前に、以下のネット情報を目にした。 
 早速、要約して紹介しよう。

 労働政策研究・研修機構は9月14日、「第4回子育て世帯全国調査」を発表した。
 調査は、子育て世帯の生活状況を把握し、必要な公的支援のあり方を検討するために行われ、2011年、2012年、2014年に続き、今回で4回目となる。 2016年11月~12月に、18歳未満の子どもがいる4000世帯を無作為抽出し、2159世帯から回答を得た。
 中卒同士のカップルは調査開始以来初めて1%を割り込む。
 子育て世帯の平均税込年収は約683万円で、2014年時より約27万円増加した。 平均年収は2011年の第1回目調査時点(約597万円)から毎年増加している。 税込収入が300万円未満の低収入世帯は、調査以来もっとも低い8.6%だった。 母親の正社員率も前回調査時より約3ポイント上昇して24.6%になっていて、雇用環境の改善が功を奏していると考えられる。
 しかし、収入が増加しても消費の拡大には繋がっていない。 食費や光熱費等に支出する家計費の月額平均は、いずれも前回調査より減少した。 子育て世帯全体では前より1万6000円減って26万5000円、ふたり親世帯では1万9000円減って27万5000円、ひとり親世帯は4000円減って18万円だった。
 代わりに、平均貯蓄率はふたり親世帯で4.5%、ひとり親世帯で3%上昇している。 収入が増えても財布の紐を緩ませず、堅実な生活を送る子育て世帯が多いようだ。
 結婚と学歴の関係を見ると、高学歴同士ならびに低学歴同士のいわゆる「同類婚」は、日本の高学歴層でも増えていると分かった。 夫婦の最終学歴を「中学校」「高校」「短大・高専他」「大学・大学院」の4つに分類して比較すると、夫婦ともに「大学・大学院」を卒業している高学歴カップルは17.9%で、初回調査時の12.9%より5ポイント増加した。
 両親共に中卒もしくは高卒のカップルは、初回調査時よりいずれも減少しており、中卒同士のカップルは0.7%と初めて1%を切った。
 世帯収入が高いほど妻の幸福度は高くなる傾向について。
 高所得の男性の妻ほど無業率が高くなる傾向は、高収入男性と高収入女性の同類婚が増えた影響を受け、近年見られなくなっている。 初回調査時の2011年は、夫の所得が上位25%の層の妻は、その半分が専業主婦だったが、今回の調査では同層の無業率は31.1%まで低下していた。
 調査では女性に「この1年を振り返って、あなたは幸せでしたか」という質問を投げかけ、「とても幸せ」を10点、「とても不幸」を0点として評価してもらい、幸福度を測定した。 全体の56%が8点以上を付け、強い幸福状態にあると自認していたが、収入階級別に見ると収入が上がるほど幸福度が高まる傾向にあり、「貧困層」と「中高収入層以上」では、24.2ポイントもの差が開いていた。
 仕事と就業を両立するために拡充してほしい支援策は、「児童手当の増額」、「乳幼児医療助成期間の延長」など、金銭的支援が最も多く支持された。このほか、休日保育・延長保育や病時・病後児保育制度の充実、保育所の増設など、保育サービスの充実を望む声も多く挙がっていた。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 私見に入ろう。

 私自身が既に「子育て世代」を通り過ぎ「年金受取世代」の高齢域に差し掛かっているため、このデータを目にしても既に“我が事”ではなく、客観的視野で観察する立場に移ろいだと言えよう。

 そのように“他人事”感覚で上記データを分析すると、我が子育て時代(1990年代前半より2010年前半期)よりも、今現在の現役子育て夫婦がずっと「進化」を遂げているような感を“一見”抱かされる。
 例えば―
 「母親の正社員率も前回調査時より約3ポイント上昇して24.6%になっていて、雇用環境の改善が功を奏していると考えられる」
 「平均貯蓄率はふたり親世帯で4.5%、ひとり親世帯で3%上昇している」
 「夫婦ともに「大学・大学院」を卒業している高学歴カップルは17.9%で、初回調査時の12.9%より5ポイント増加した」
 「高収入男性と高収入女性の同類婚が増えた影響を受け、高所得の男性の妻ほど無業率が高くなる傾向は近年見られなくなっている」
 「妻の幸福度に関しては、収入階級別に見ると収入が上がるほど幸福度が高まる傾向にある」
 等の記載が、子育て世代の「進化」を表現していると考察出来そうだ。

 その反面、上記情報内に記載されている通り、現在の子育て世代が抱えざるを得ないマイナス要因も多そうだ。
 「収入が増加しても消費の拡大には繋がっていない。 食費や光熱費等に支出する家計費の月額平均は、いずれも前回調査より減少した」
 「収入階級別に見ると収入が上がるほど幸福度が高まる傾向にあり、“貧困層”と“中高収入層以上”では、24.2ポイントもの差が開いていた」
 「仕事と就業を両立するために拡充してほしい支援策は、「児童手当の増額」、「乳幼児医療助成期間の延長」など、金銭的支援が最も多く支持された。 休日保育・延長保育や病時・病後児保育制度の充実、保育所の増設など、保育サービスの充実を望む声も多く挙がっていた」

 要するに(この調査がいうところの)「中高収入層以上」「貧困層」共々、子育て中のご夫婦とは学歴、経済力等の(調査側の安易なかつ勝手な)分類にかかわらず、同様の支援策を国政や自治体に求めているとのことだろう。


 原左都子の私論でまとめよう。

 今回のエッセイでは、ネット情報に従い「同類」の分類を「学歴・経済力」に絞り込んだ形式となってしまったが。  世には、もっと学歴・経済力共々多様なジャンルかつバラエティ豊富な子育て世代が存在することに間違いないだろう。
 今回紹介した「労働政策研究・研修機構」なる組織の実体も調査せずして、我がエッセイ集にてそこから発信された情報を安易に取り上げた事をお詫びしておこう。
 
 その上で、私自身が「同類婚」(我が家の場合、亭主が大学院博士課程、私が大学院修士課程修了の身だが)を晩婚にして“見合い結婚”との形式を通し敢えて選択した事実は認めるとして。 
 思いもよらず、その後高齢出産にて若干不具合がある子を授かるとの厳しい子育て時代も経験した身にして、子育て中は「同類婚」の事実が我が身を救い、実際問題解決力を奏したと結論付けられる気がする。 
 
 さてさて、「同類婚は幸せか?」なる表題の答えだが。 
 それに未熟な私が応えずとも、 家族それぞれ千差万別との回答が既に用意されていよう。

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無職で子供もいないのに家事をしないグータラ妻、どうしましょ?

2017年09月23日 | 人間関係
 この相談、かなり深刻な内容と私はみた。

 早速、朝日新聞本日(9月23日)付“悩みのるつぼ”より、30代男性による「家事をしない妻に不満です」と題する相談内容を要約して以下に紹介しよう。

 30代男性だが、妻が家事をあまりしない事に苛立っている。 全くしない訳ではなく、掃除や料理を週に1,2回、洗濯もたまにやってくれる。 だが、もう少しやって欲しい。
 共働きだったり育児中だったりするなら不十分でも気にしないし、家事を分担するのは当然だ。 しかし妻は仕事もしておらず、子供もまだいない。 フリーな時間があるはずなのに、何かをするわけでもなくダラダラ過ごしているように見える。 おかげで年々太り続け、この事にも少し嫌気がさす。
 私も仕事がない時には、多少家事をする。 しかし、相対的に余裕がある妻がやっていないのに何故自分がやらねばならぬのか、と疑問を感じる。 
 ちなみに、「もっと家事をやって欲しい」と直接言うことは無いし、妻に感謝をしないということもない。 仲もよい方だと思う。 ただ、仕事で頑張っている人、家事をしっかりこなしている人、単純にキレイな人など、他の女性に心を奪われてしまう。 それが妻に原因があるのか、自分の元々の素質でそれを自覚したくないから妻のせいにしているのか、自分でも分からない。 ご助言を。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を要約引用したもの。)


 早速、原左都子の私見に入ろう。

 このご夫婦、基本的に “コミュニケーション不足” と私は判断する。
 相談者から妻に、「もっと家事をして欲しい」と直接訴えて妻の反応を見るのが第一義であろうに、何故それを相談者はせずして新聞相談などとの手段を通してブータレているのだろう??
 これぞ、ご夫婦両人のコミュニケーション不足を証明しているようなものだ。 
 あるいは、相談者本人が家事をする時に「一緒にやろうか?」と妻に誘いかけてはどうかとも思うのだが、その声掛けをしているふしもなく、妻側も夫が家事をしている傍らで、それを無視している様子が伺える。
 通常、愛ある(愛がなくとて“常識”ある)人間関係に於いて、片方が働き始めたら「手伝うよ」と自然と思考が回り行動が伴うものだが…。

 更に私見が続くが。
 この相談者の妻の人格の程を疑わざるを得ない。
 そもそもこの妻、対等な人間関係のあり方を如何なるものと捉えているのであろうか?
 このご夫婦が結婚前の公約として如何なる取り決めをしたのか、何もしていなかったのかは不明だが、自分が今あるシチュエーションにて妻として主体的に何を成すべきか、を全く考慮出来ない“お馬鹿さん”の様子だ。
 こういう人間とは、何をやらせても“ダメ人間”であろうことが想像出来てしまう。
 現在無職との事だが、おそらく仕事能力にも欠けるのではあるまいか? あるいは将来的に子供が生まれたとして、妻の育児能力の程を私は大いに懸念する。
 一点だけ、この妻の利点とは、おそらく相談夫との現在の生活に安堵感を抱いている様子である事だ。 夫の働き力に安泰し家事も何もせずグータラと暮らし「年毎に体重を増やしている」、との記述にその様子が伺える。

 
 さて、相談者の夫さん、今後“グータラ妻”にどう対処しましょうか?

 貴方は自分達夫婦は「仲が良い」と記述しているが、私には到底そうは思えない。 
 貴方達ご夫婦が如何なるいきさつで結婚に至ったのかに関しても、新聞内に記述のある相談内容からは一切計り知れない。 一体全体この妻の何が良くて相談者が結婚相手に選択したのか、申し訳ないが想像不可解としか言えない状況だ。 

 ただ、今回の回答者であられる評論家 岡田斗司夫氏の回答内容に気になる点が数カ所あった。
 岡田氏の回答内に、「貴方(相談者夫)の妻なる人物がスタイルがよくて美人だった」、「あなたは女性を見た目で好きになるタイプですね」、「あなたも女は見た目が良ければ家事能力は要らないと納得していたはず」との記載があるのだ。
 (参考だが、朝日新聞に掲載されている“悩みのるつぼ”相談内容は、本人の投稿から要点のみを絞り込み紙上で公開しているものと私は把握している。 一方、回答者の諸先生方は、おそらく相談者ご本人から届けられた相談内容の“全文”をお読みになった上で回答されていると推測している。)

 そうだとしてもだ。
 特に男性の場合(女性もか??)、異性を外見で気に入る事など日常茶飯事であろう。
 この私だってそうだった。 若き時代から長き独身時代を通して、好きになる男性などまずは外見(外見が醸し出す雰囲気・人格等々も含め)から入ったと言って過言でないだろう。

 ただし結婚となると、そうは言っていられないのが実情ではなかろうか。
 この相談者夫の一番の失敗とは、結婚相手として女性を選択する時点で“外見にこだわった”事では決してない。
 それ以上の肝心な要件に関し、相手女性を観察する能力に欠けていた事実であろうと私は判断する。

 ただし、救いようがありそうにも私は思う。
 上に既述した通り、貴方の妻は夫である貴方を信頼し(少なくとも貴方に甘えつつ)、今の生活に満足している様子だ。
 今一度我が上記記載を反復するならば、「この妻の利点とは、おそらく相談夫との現在の生活に安心感を抱いている様子である点だ。 夫の働き力に安泰し、家事も何もせずグータラ暮らし『年毎に体重を増やしている』との記述にその様子が伺える。」
 もしも相談者夫氏に毎年体重を増やし続ける(との何とも単純で可愛らしい)醜く低能な妻を支えていく自信があるのならば、このまま結婚生活を続行すればよかろう。 

 相談者である貴方は未だ若い。 
 現妻の日々の愚行に耐え切れないのならば、離婚も視野に入れ新たな生活設計に向けて動き出せば良いだろう。 
 ただ厳しい指摘だが、現妻に対し何らの改善策も提案出来ずにいる貴方に、更なる新たな人生を歩む勇気も無い事と、無情だが私は判断する。

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「原左都子エッセイ集」の名刺が欲しいと言われて…

2017年09月02日 | 人間関係
 (写真は、私がネット名刺業者ページ上で自分で作成し、業者が印刷した商品を購入した名刺。 個人情報保護のため、あえて不明瞭に掲載しています。)


 上記の「原左都子エッセイ集」名刺は、2弾目の制作品だ。

 1弾目を作成したのは、おそらく既に7,8年前だっただろうか?
 ワード画面か何かで文字を書き込み大本を作成し、市販の名刺用紙を購入して来て自宅のプリンターにて50枚程印刷した。
 その後、「原左都子エッセイ集」表紙の緑の樹の絵柄に合わせ、当時美大受験を目指していた娘に“葉っぱの絵柄”をデザインしてもらった。  印刷した一枚一枚の名刺に、娘にも手伝わせつつその絵柄を描き込んだ、“オリジナル手書き”限定配布ものだった。
 約40数枚を配り、後は記念に保存してある。


 次なる名刺が、上記写真のものだ。
 
 これは200枚印刷したが、現在手元に半数の100枚程残っているということは、既に100枚程を配布したとの計算となろう。

 一体何処で配布したのかと振り返ると、その一例は同窓会会場だったと記憶している。
 同窓会の場で「今現在何をしているのか?」と問われた場合、現役の職業人時代は当然ながらその名刺を配布するのが常だろうが。
 一旦職業から離れた暁に「今何をしているのか?」を証明する手段として、私にとっては「原左都子エッセイ集」を前面に出したいと考えたのだ。  そうして、第一弾、第二弾と「原左都子エッセイ集」の名刺の作成行動を採った。

 メディア方面の人達に配布した事もある。
 何らかの所用の場で偶然出会った報道関係の人物達にも配布した。(NHKや地方放送局、あるいは 芸能プロダクション等々) その反応を語るならば、正直なところ皆無状態。 世の中、そんなものだろう。


 さて、話題を変えよう。

 私の場合「原左都子エッセイ集」の名刺を配布する事に関し、現在に於いては、特に現実世界の知り合いに対しては慎重の上に慎重を期している。

 と言うのも、そもそも「現実世界での知り合い」と「ネット世界での知り合い」とは、大きく隔てて対応するべき人物対象と心得ている故だ。

 「現実世界での知り合い」と一言で表現したところで、これも千差万別だ。
 昨日今日知り合った相手とは、「ネットで知り合った人物」と大差は無いだろう。 それらの人々は私の生き様を知るすべもない故だ。 故に、突然「原左都子エッセイ集」を名刺により知りそれを読んだからと言って、「ああ、こういう奴ね」との感想を抱かれ、嫌なら去って行ってくれれば済む話だ。

 ところが、一旦現実社会での関係を蓄積している相手とは、そうはいかない。


 昨日、とある我が家の御用聞き業者の方から、私のブログの名刺が欲しいと嘆願された。
 これには、数年来のその方との付き合い積み重ねの歴史があるのだ。 
 相手はたかが御用聞きである事には間違いない。 だが、いつも一回の御用聞きタイムに玄関口にて数分であるが必ずや共通項の会話が続いたと言えるだろう。 要するに、確かに私とその人物の人間関係が蓄積されている感覚は私の方にもあったのだ。

 私がネット上でエッセイ集を公開している事実を、昨日初めてその御用聞き氏に伝えるなり。 
 すぐさま返って来たのが、「是非読みたいから、そのエッセイ集のURLかペンネームを教えて欲しい!」との嘆願だった。
 私応えて「有り難いお話ですし、名刺もあるのですが、現実世界の方々に我がエッセイ集の存在を伝えた場合、トラブルが発生する事態も大いに考えられるのです。 と言いますのも、エッセイの題材として現実世界で発生した出来事等の論評もしているのですが、特に身近に発生したトラブルの場合、それを私が書いた事が世に発覚する懸念もあります。 身勝手ですが、そうした場合の軋轢を避けるためにも個人情報を守りたいとの意味合いでも、名刺は差し上げられません。」

 それでも、どうしても私が書いたエッセイを読みたい! と御用聞き氏が訴えて下さった事実には感謝感激だが…。


 同じく世にブログを展開されている数多くの方々にとって、“現実世界とネット世界を別枠で考えるべき” なる同様のご経験は無いだろうか??

 これは、世に発生する社会問題に対する「辛口(毒舌)論評」公開を主眼とする原左都子の立場としての、あくまでも個人的かつ特異的な現象なのだろうか?!?

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自分が産んだ障害児の後見を別の子に委ねるなど言語道断!

2017年08月28日 | 人間関係
 表題と同趣旨のエッセイを本エッセイ集バックナンバーにて既に公開しているのだが、公開エッセイ本数が1700本に近づいている中、自分でいくら探しても見つけられないため、再びこれをテーマに私論を述べさせて頂こう。


 8月26日付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、22歳女性による「家族と生きていく自信がない」だった。
 早速、以下に要約して紹介しよう。

 22歳の女性だが、私の家族は、父、母、知的障害をもつ二つ年上の兄、私の4人家族だ。
 兄と母は依存し合っており、兄を置いて死にたくないという母の思いは伝わっている。
 私は、もしも母が兄より先に死んだら兄にどう説明するか、「施設にだけは入れないで欲しい」と母に懇願されているので、私は兄と2人きりで過ごさねばならないのか… などと不安に襲われ、いつも「私以外の家族は今すぐ死んで欲しい」と思ってしまう。
 中学から寮生活をしており、家族と離れて暮らすことでほどよい距離を保てていたので、介護や兄のことで家族と近くなるのが怖い。 兄と生きていく自信がない。
 かと言って家族が嫌いな訳ではなく、人一倍思い入れがあるため、約束を破ったり面倒を人任せにしたりは出来ない。 そんな将来への不安と嫌悪感を抱くたびに、「私が死ぬか、家族を殺す」という安直で非現実的な考えにしか辿り着けず、危機感すら覚える。 新しいものの見方や考え方があれば教えて欲しい。
 (以上、朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談内容を要約引用したもの。)


 一旦、私見及び私事に入ろう。

 この相談女性の現在の立場や心中を察して余りあるどころか、その母親の愚かさや弱さを感じ取り、いたたまれない思いすら抱く。

 ここで私事を語るなら、既に再三再四述べている通り、我が子は出生時のトラブルより若干(あくまでも若干の範疇だが)不具合を抱えてこの世に誕生している。
 私の場合、元より子ども一人を希望していたが、娘を産んで以降は更にその思いを強くして、この子こそがかけがえのない唯一無二の我が子として、全身全霊で手塩に掛けてサリバン業を全うして来ている。
 要するに、この子を産んだ責任は一生を賭けて私一人で貫徹する! なる強靭な意思に燃えていた。(現在尚燃えている!)

 この相談者の家庭の場合、相談者女性が障害者である兄よりも2年後から生まれている。 
 どのような背景でそうなのか、私にはまったく計り知れない。 ただ一点安堵するのは、相談女性がずっと寮暮らしをしているとの点だ。 もしかしたら親の計らいで、兄に手がかかる家庭内事情を鑑み、下の娘はその悪影響を受けない環境下に置いてやりたいとの配慮だったのかもしれない。

 それにしても、相談内容に記載されている母の言葉 「(自分ら親が死んだ後も、兄を)施設にだけは入れないで欲しい。」なる娘に対する懇願は、親としての責任放棄であるし、許し難き発言だ!
 法的側面から考察しても、それを娘さんが遵守せねばならない条文など何処にも無いのではなかろうか?
 道義上から考察しても、こんな言葉を親の立場から未だ若き娘に吐き捨てるなど、常識を逸脱して余りあろうと私は考える。
 未だ社会経験の無い22歳の若さでこんな言葉を実の親から投げかけられたならば、「自分が死ぬか、家族を殺すかどちらか」なる究極の心理状態に陥るのも必然的だったことだろう。

 以上の理由で、原左都子としては全面的に相談者である娘さんの味方に回り、今後の対策を考えたく思うのだ。


 さて、今回の“悩みのるつぼ”回答者は、評論家の岡田斗司夫氏だった。

 一読すると、岡田氏も原左都子の意見と大きくは異ならない内容であると判断した。
 岡田氏の回答内に、相談者が悩むべき選択肢として具体的アドバイスの記述があったため、その部分を以下に紹介しよう。
 「家族も何もかも捨てて逃げる」 「母を言いくるめて、兄を施設に入れるよう納得させる」 「大ウソつきになって母の死後、兄を施設に入れる」
 ただ、相談者の母の場合、自分自身は有利な条件下で悩んでいるとも岡田氏は述べている。 母の場合、「父というスポンサー」「専業主婦というポジション」これがあるからこそ兄のケアが出来ている、とも述べておられる。 
 それに比し、相談者は実力不足で、未だこの問題を解決できる能力が無い。 自分の能力以上の約束をしてはダメ。 そして岡田氏の結論としては、相談者はこの問題から逃げるか、引き受けるためのチカラを身につけるか考てて下さい。 と締めくくっている。
 (以上、岡田斗司夫氏の回答の一部を紹介したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 一旦家庭内に障害者を抱えると、おそらく一般の方々が想像している以上にそれはそれは壮絶な日々だ。
 相談者の母親がその日常に思い余った挙句、未だ社会経験すらない下の娘さんに対し「自分が死んだ後も障害者の兄を決して施設へ入れないで!  要するに、「私の死後は兄を妹の貴方にお願いしたい!」と一言伝えることにより、早くも娘に依存したかったのだろう。

 ただ、それはやはり親としては大いなる失言である事実には間違いない。
 おそらく未だ学生の身分の可愛いはずの娘さんに今現在その言葉を発しては、娘さんを傷つけ不安に陥れるばかりだ。 それを考える余裕もない程に、母親にとって兄である障害者の日々の世話は重労働かつ重荷であることは想像が付くが…。
 
 この相談内で、父親に関する記述が一切無いことが気にかかる。
 私の想像では、おそらくこの一家の父親は現役世代の職業人であることだろう。 そうだとしても、障害者の父であることには間違いないはずなのに。
 で一体、二人の子供達に対して父として日々如何なる対応をしているのだろうか?? 

 とにもかくにも、相談女性が今直ぐに結論を欲しているとして、対応可能な選択肢とは。
 上記に岡田氏が書かれているがごとく、「家族も何もかも捨てて逃げる」 「母を言いくるめて、兄を施設に入れるよう納得させる」 「大ウソつきになって母の死後、兄を施設に入れる」 これ以外の回答はないのだろう。

 はてさて。  我が家の娘に話を移すが。
 ある程度美人かつとてもいい子である事には間違いなく、社会人2年目にして日々真面目に誠実に通勤し、おそらく経済面では(親が残してやれそうな資産も合算して)親の死後も一人で生きられるバックグラウンドは確保出来そうな段階に入っているのかもしれないが……。

 それでも未だサリバンのこの私にも、この子より先に死ねない大きな課題が残されている。 
 単独では能動的な人間関係が築けない程の“寡黙性”を未だ引きずっている娘だ。 母の私があちこち同行し、あれやこれやと我が知人らに会わせたりしても…  娘自身の主体的な人間関係が築きにくいなるテーマが解消されない現実には違いない…。

 やはり私の使命とは出来る限り長生きして、今後もずっと娘と二人三脚で、人との付き合いの鍛錬を積ませ続ける事かなあ。

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好きでもない相手と何故交友する??

2017年06月21日 | 人間関係
 高齢者介護施設に暮らす義母の保証人を担当している私に課せられている定期的な“お仕事”の一つに、義母の「病院付添い」業がある。

 この「病院付添い」だがその実務の中核をなすのは、義母の“愚痴の聞き役”である。

 
 昨日も義母の「病院付添い」業を果たしたのだが、私が施設へ到着するなり、いつもの事だが義母の“愚痴オンパレード”が開始する! 
 付添い側の私としては、とにかく早めに病院へ連れて行き、一人でも早い診察予約順番を確保したいものだ。 
 それに対し、認知症状が進み耳の聞こえの悪さも日々悪化する義母は、私が施設へ到着したことをとにかく喜ぶ。  待ってました!とばかり、心中に留めていた“愚痴”が、まるで「千と千尋…」の“顔なし”が食い漁った体内の汚物を全部吐き出すがごとく、排出し始めるではないか!

 やむを得ない。 これも保証人の任務と心得て、とりあえず“愚痴テーマ”の一つを施設の母の部屋で聞く事とした。 それを5分程で聞き終えある程度義母を安堵させた後、やっと私は「お義母さん、病院へ急ぎましょう!」とけしかけ、部屋から出る事が叶った。
 
 部屋から出て廊下で出くわしたのが、施設入居者の某女性だ。(後に聞いたのだが、この女性を義母が好んでいて、出来ればこの方とお付き合いしたいらしいのだが、相手が施設内で人気者らしくなかなか“お近づき”になれないとの事だ。) 
 そうしたところ、その女性が私の事を覚えて下さっていたらしく「お嫁さんでいらっしゃいますね?」と声を掛けて下さる。 私の方も記憶があり、「そうです、嫁です。 以前にもこの廊下でお目にかかりまたね。」と応えると、「今日は、お義母さんと何処かへ出かけられるのですか?」と問うて下さるので「はい、病院へ行きます。」と応えた。
 その短時間の応答より判断して、私はこの女性が施設内で“人気者”である理由が直ぐに理解出来た。
 要するに、ご高齢(90歳近いご年齢らしい)にもかかわらず実にしっかりされているのだ。 こういう“特殊な場”で人気者でいられる条件とは、頭脳明瞭で心身ともに充実し相手のことを慮れる素養を失っていない、との事だろう。


 さて病院へ到着し受付を済ませ、待合場所で順番を待ち始めると、案の定怒涛のごとく義母の口から“愚痴”が吐き出て来る。
 ただ今回ラッキーだったのは「検査」があったことだ。 その検査中は付添人立入り禁止との事で、私は義母の“お守り”から解放されたのだ!  (これぞまさに我が娘幼き頃に病院へ連れて行った折にも、束の間でも検査中は看護師氏が泣き叫ぶ娘を預かってくれた事を思い起こす。) 

 その後、検査後の医師による診察までの待ち時間に義母の“愚痴オンパレード”が再開する。
 そのテーマはいつも決まっていて、必ずや最初に出るのが「私は早く死にたい」である。 既に耳にタコが出来ている私だが、いつものように一応初めて聞くふりをして聞く。
 ただ今回義母の訴えが少し“進化”を遂げているのを実感した。 義母曰く、「私はもう手術はしないの。 もし何処かが痛くなったら痛み止めは欲しいけど、その他の事はしない事に決めてるの。 とにかく早く死にたいの。」  (過去に、私がその種の“指導”を何気なくしたような気もするが……)

 
 義母の“愚痴”はテーマを変えて続く。
 「生きていても面白い事が無いし、あそこの施設で暮らしていても一人として好きな人がいない。 もう5年も暮らしていると周囲の皆が嫌になる。 」
 そこで私が振って曰く、「さっき施設でお会いした女性など、良き方だと思いますけど」  直ぐに返ってきた義母の返答とは、「あの人は皆と仲良しなのよ。いつも入居者の誰かがそばにいて、私が入れる隙間がない。」 

 私見だが、「ははあ、分かった。」と私は内心ガッテンした。
 要するに義母という人物とは、“自分だけ”に特化して付合ってくれる人物を高齢に達した今尚欲しているのだ。
 それは、思い起こせば義母が昔からの「恋愛好き」である事実に遡るのだろう、と結論付けられるように私は考える。 恋愛とは二人の密室の世界だ。 その二人の世界が貫徹される程に他者が入る隙間が無くなる。 その1対1の関係に於いて、恋愛が激しく成就しているうちは二者関係にてすべての物事が進む世界と、私も若き時代の経験から認識している。 
 そんな世界を長年ずっと堪能して来た義母にとっては、高齢域に達した暁にも“自分のことだけを考えてくれる人”を求め彷徨わざるを得ないのだろう。
 そんな義母なりの宿命は理解可能なものの……


 それにしても困惑するのが、そんな義母が施設内で「好きでもない人物達」と交友してストレスを溜め込んでいると、私に訴える事態だ。
 保証人の私としては義母が内面に抱えている「恋愛好き」なる特質を理解しながらも、そうだとしたら他に選択肢もありそうなのに‥… と考えたりもする。 施設暮らしにして交友関係中心生活ではなく、自らの生き甲斐を優先する生活をする、等々。 そうして主体的に施設暮らしをしている人物も少なくないとケアマネ氏より伺ってもいる。

 選択肢は他にもありそうなのに、何故好きでもない人物と敢えて交流してストレスを溜め込まねばならないのか??  その解答とは、義母がそもそも“他力本願”志向者であり主体性に欠けているせいだろう。
 いや、確かに職場の人間関係等々個々人の実力のみでは融通が利かない場では、どうしてもストレスが発生せざるを得ない事実は私自身も過去に幾度も経験済みだが。
 
 高齢者施設とは、それとは異質と捉えつつも…
 確かに自身の身体が老化を遂げ、自分が欲していなかった(認知症状や耳の聞こえの悪さ等々)の不具合を抱え込む事とは、「好きでもない相手との交友」との“拷問”を強制される事態か!?!  と多少納得できる気がこの私もして、背筋が寒くもなるなあ……

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実親を憎み続ける熟年者が少なくない事実に何故か安堵する私

2017年06月08日 | 人間関係
 先だって、郷里の高齢者介護施設で暮らす実母より電話が掛かって来た。


 昨年11月に介護施設へ入居後早くも7ヶ月以上が経過した現在、実母はすっかりと施設の生活に慣れ、元気に快適に暮らしているとのいつも変わらぬ電話での談話だ。

 「それは何より!」と応えつつ、既に“母親”ではなくなっている事実にいつも気付く私だ。
 何と言おうか、子どもが母親に自分の事を聞いて欲しくて電話口で甘えて一人芝居で喋くり倒している、と表現するのが適切だろう。 要するに、娘である私は常に実母の“母親役”を強制されているのだ。

 これは施設入居後に限った事ではなく、実父が60代に突然死を遂げた後に既にその“現象”は出現していた。 (まさに、私が娘を超難産で産みサリバンとして日々過酷な日々を送っていた頃からだ。)
 我が実母の場合、現在米国在住の姉には一切甘えられない様子だ。 我がままで手が付けられない姉に対しては、施設に入居後の今尚電話にて“聞き役”に徹している。 その電話の内容が気に入らない時には必ずや次女の私に電話を寄越して「米国の姉に手こずる。どうにかして欲しい。」と泣き付く。 いつも私の応えは決まっていて、「そんなに嫌ならもう介護施設入居の身だし、姉に『私も年老いたし、少しは私が置かれている立場も考え我まま電話を控えて欲しい』と直言すれば済む事でしょ。」と何度言っても、それが実行出来ないでいる。
 結局母として姉が可愛いからそういう結果となっているのだろうが、言いたい事が言い易い私にばかり甘える母の “甘えられ役”をずっと担当させられている現状だ。

 実母に限った事ではなく、義母の場合は認知症状が進んでいることもあり、もはや義母にとって私の存在とは「お姉さん」であるらしい。 いつも電話を寄越しては「お姉さん、聞いて。」と話しかけて来る。
 「あれ、間違えたかしら。何だかね、〇子さんが私の姉とダブるのよ。」と少し前までは弁解していたが、今に至っては私は間違いなく義母の「お姉さん」以外の何者でもないようだ。
 ただ義母の事例の場合、私側は何らの不都合が無いどころか“可愛らしさ”すら感じる。 それは、元々義母とは私を育てる義務など無かった人物だし、晩婚後高齢に至るまで実に厚遇して貰った故だ。(特に経済面で。

 それに比し実母に対しては、私に対する養育義務があったはずなのに、それをろくろく果たさずして私が上京し自立するに至っている。
 何で今更、“ろくろく育てていない”娘に頼りたいのか!?? との憎しみ感情が脳内で優先してしまうのだ。 しかも、“手がかかった”長女にいつも母は翻弄されていたにもかかわらず、その姉には頼ろうとしないどころか、年老いた今尚電話にて姉の話は聞いてやっているのだ。
 いやまあ私の場合は、実母になど今更何も相談することすらないのだが。 米国に渡り何十年か経過した現在尚、実母に電話を寄越し自身の辛さや愚痴を訴えねばならぬ実姉の心情を思えば、確かにその子を産んだ親としては何らかの役に立ちたいとの事なのだろう。


 さて、話題を変えよう。

 朝日新聞6月3日付 “悩みのるつぼ” 相談は、50代女性による 「両親への怒りが消えない」 だった。
 以下に、要約して紹介しよう。
 私は小中学生の頃、父から性的虐待を受けた。 その後自分が産んだ子供が中学生になった頃に当時の自分とだぶり、周囲の人に打ち明ける事で少しは楽になった。
 しかしその後父が自殺した。 今80代になった母は当時「私だって苦しかった」と言う。 昨年私が胃癌手術を受けた際「なんで胃癌になったの? お酒の飲み過ぎでは?」と言われ、蓄積してきた怒りが爆発し、「母親である貴方にそんな事を言われた事こそが人生最大のストレスで、病気もそれが原因だ。お見舞にも来ないで!」と言った。
 毒づいたことは反省していないし、私を守ってくれずそれを反省もしていない母に対し怒りが激しくなるばかりだ。 
 現在の夫は私を守ってくれる人で、とても幸せだ。 彼は「もういいだろう」とも言うが、私には両親に対する怒りが消えない。 どうすれば解放されるのだろうか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用したもの。)


 ここで一旦、私論に入ろう。

 上記相談内容とダブる部分がある。

 私が郷里に帰省して酒を飲むと、決まって実母が「あんたは何でそんなに酒を飲むのか。そんな事では人生ダメになるよ」といつも意味不明にたしなめるのだ。
 そう言う割には、亭主が酒を飲む事に関しては何も言わない。 これぞ「男女差別意識」に基づいた発言だったのだろうし、あの過疎地では女性が酒を飲む事に慣れていない故の発言だったのかもしれない。 好意に解釈するならば「酒とは害ばかりある」と信じて疑がっていなかった実母が、娘である我が身体に及ぼす害を回避せんとしたのだろうか??
 そうだとはしてもこの実母の見識浅く否定的で歪んだ配慮がとことん嫌で、私はその後郷里帰省時には必ずやホテルを予約し、昼間のみ実家を訪ねて決して実家に宿泊する事は無かった。 

 
 歌手・俳優であられる三輪明宏氏の“悩みのるつぼ”ご解答内容のごく一部を以下に紹介しよう。

 回答者である貴方は現在、夫も子供もいて幸せなのですね?  その幸せである現状を、きちんと認識して欲しいと思う。
 貴女のお母様に関してだが、耐えて耐えての人生だったと思いますよ。 お母様は苦労人だったことでしょう。 
 不幸の経験がある人は、だからこそ、ささやかな幸せを感じる事ができます。 貴女なら、「あの不幸な出来事も、今の幸せを10倍も20倍にも感じられるような土台」と思って、これからは前を向いて欲しいです。


 最後に、原左都子の結論でまとめよう。

 何事も短く美しく過ぎ去れば、すべてが素晴らしい記憶として残りそうに私も思う。

 ところがどうしたことか、現在私が保証人として抱えている義母・実母の介護保証人責任が長引きそうなのだ……
 両人共々、本人からの体調不良訴え及び「病院・医者好き」に反し、現在のところ何らの致命的症状が無いのだ。
 どうかそれを自身の長所として長生きするに越した事はないのだろうが、両人共々医学専門知識が皆無のまま他力本願に長生きしそうな現状だ。

 これが大変!
 義母よりの「お姉さん、話聞いて」はよしとして…、
 実母よりのいつまでも「私が産んだ姉妹の妹のあんたが私の戯言を聞け!」と言わんばかりの電話に、今後何年付き合えば私は自由解放されるのやら…

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左都子コレクション -便箋編-

2017年05月24日 | 人間関係
 (写真は、おそらく上京後より現在に至るまで私が収集した便箋類。)


 私はかつては “手紙魔” だったかもしれない。

 思い起こせば子供の頃より文章を書く事をまったく厭わなかった私は、小学校低学年の頃より女の子友達と“手紙交換ごっこ”をしていたような記憶がある。
 その頃より文房具店に行けば、女子が喜びそうな絵柄の封筒便箋類が販売されていた。 
 一体何をテーマに手紙を書いたのかの記憶はないのだが、相手から返事が届き、またそれに応えて手紙を綴る行為がとても嬉しかった思い出がある。

 中高生時代に「文通」を始めた私は、元々の手紙好きに更に拍車がかかる。
 特に中学校から高校にかけて文通をしていた大阪に住む某男子との文通は、4,5年間続いただろうか。 高校生になった時、実際に会おうとの話になり、最初相手が友達を連れて我が郷里までフェリーに乗ってやって来て我が友と4人で会った。 手紙の文面そのままの真面目な好男子だった。 そして高2の夏には今度は私が大阪へ行き、2度めのご対面を果たしエキスポランドで無邪気に遊んだ。(これに関しては、既にバックナンバーにても紹介している。)
 この好男子とどういうきっかけで文通をやめたのかに関してまったく記憶がないのだが、もしも現在まで文通が続いていたとして、やはりあの文通相手は今でも好男子ではないかと年月を超えて尚確信を持って思える。 相手も私に対して同じ感覚を抱いてくれているような気がする、とも感じられるのが不思議だ。
 それ程に成長途上期に手紙との形で1対1の文章のやり取りを4,5年もの期間続行出来た事とは、類稀な奇跡だったのかもしれない。

 上京した後は、まさに郷里の友達や旧彼(?)等々と手紙のやりとり三昧だ。
 仕事にもプライベートにも超多忙な身の私にして、手紙を書く事が億劫だと感じた事など一度も無い。 常にお好みのレターセットを買い求めては、1通に付き4枚程の手紙をしたためては投函していた。 しかも必ずや相手も返信をくれる。 
 一体如何程の手紙を書き、どれだけの返信を貰った事だろう。 溢れる程の返信手紙を保存しては、引越の都度整理して始末したものだ。
 おそらくそれが叶ったのは、今の電子メールとは異なり手紙の往復には日数を要した故だろう。 直筆で綴る手紙とはいえ、たとえ相手が複数いたとしても、数日に一通の返信程度軽くこなせた事を今になって納得させられる。

 その後も、私は“手紙三昧”の日々を送った。
 特に高校教員を出産退職した後、私のファン(?)であってくれた女子生徒達より、何通もの手紙を頂いた。 今尚それらの一部を保管してあるのだが、中には“人生相談”のような内容の手紙もあった。 それに誠意を持って彼女達との手紙のやり取りに応えつつ、年月の経過と共にどうしても音信不通とならざるを得ない。 それは電子メールの発展故であり、何よりも彼女らが成長して立派な大人になった証拠であろうと私は信じている。
 


 冒頭の我が「便箋コレクション」に話を移そう。

 上記写真に撮影した「便箋コレクション」は、冒頭に記した通り上京後に収集したものである。
 何分“手紙魔”の私であり、既に使い切った便箋は破棄している故に当然ながら撮影範囲外だ。
 
 写真中段は比較的古い便箋群であり、中身が少し残っている程度だ。
 写真下段中央辺りの “水森亜土氏もの” やその左側の “内藤ルネ氏もの” 、あるいは上段右の“いわさきちひろ氏もの”は、比較的近年それらの美術展へ行った際にミュージアムショップにて買い求めた便箋類だ。
 写真上部中央及び下部左にご注目頂きたいのだが、これは私が我が娘を産んだ後に過去の“手紙文化ノスタルジー”に浸るべく、某通販業者より「100枚すべての絵柄が異なる」なる便箋を買い求めたのだ。 届いた便箋群を見てどれ程感激したことか! まさに5冊500枚に及ぶすべての便箋の絵柄が異なるのだ! 
 娘を産んだ頃は未だ電子メール時代ではなかった。 この「すべての絵柄が異なる便箋」を観賞しては、“あの人にはこの絵柄で手紙を書こうかな” “この人にはこの絵柄だな” などとの思いを浮かべつつ手紙を綴る時間こそが、我がサリバン業真っ最中にとてつもなく解放感を得られる束の間の貴重な時間帯だったものだ。


 悲しいかな、時代は変遷してしまった。
 今となっては“手紙を綴る”という文化が、この世から消え失せ果てている。
 かく言うこの私とて、日々キーボードタイピングにて当該「原左都子エッセイ集」で愚痴をばら撒いている始末だ… 

 もしも「手紙文化」が未だ生命を保っていたならば、人々の間を過ぎゆく時間間隔に余裕が持て、自分にとって大事な人とじっくり向き合える余裕を取り戻せたのだろうか、と思ったりもする……

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母親への復讐

2017年05月15日 | 人間関係
 「復讐」とまで表現すると何やら物騒な気配が漂うが、ご自身を産んでくれた母親に対し100%愛され続け、そんな実母を今でも尊敬していると高らかに宣言出来る人々とは、少数派ではなかろうか?
 (そんな奴が実際存在しているとするならば、天邪鬼の私など単なる“マザコン”かとせせら笑ってしまいそうだが…


 朝日新聞5月13日付別刷 「悩みのるつぼ」 の相談は、40代女性による 「受けた傷を母親に分からせたい」 だった。
 早速、以下にその相談内容を要約して紹介しよう。

 もうすぐ50歳になる会社員で、結婚し子供もいる。 私はAC(アダルトチルドレン)で、父はアルコール依存症、母は私に当たり散らしつつ、つねる、たたかれるのが普通の幼少時だった。 4歳で初めて自殺を考え殺鼠剤を飲もうとした。
 小さな頃からバカ、ブサイクなどと言われ、自分をそう思ってきた。 けれど現実には私は頭もよく、見た目も平均以上に良かった。 努力して奨学金で進学した。 32歳で今の夫と結婚し、悩んだ末、子どもも産んだ。 ありとあらゆる本を読み、最高の母親になろうとした。 
 努力は実を結び、子どもは虐待など縁の無い性格に育ち、優しい人になった。 そんなある日、母から「あなたがいい子育てをしたのは、私がいい親だったからよね」と何気なく言われショックを受けた。 
 今更自分が受けた傷を話して老いた母を苦しめたくもない。 ただ、黙っているのは辛く、時にノートに自分の苦しみを書きつけている。 私には持病があり、あまり長くない。 ノートは死期が近づいたら処分しようと思っているが、私の人生って何だったのだろう? 人生の先輩に聞いてみたい。
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容を要約引用したもの。)


 引き続き、社会学者 上野千鶴子氏による回答 「自分でつくりあげた人生に誇りを」 の一部を要約して紹介しよう。

 貴女は母親を反面教師にしてそうはなるまいと歯を食いしばって頑張って来たからこそ、良い母親との評価をお母さんより受けることとなったが、母親を反面教師とした事がお母さんには通じないし、そう伝える事も出来ない。
 言っておくが、たとえ口にしても母親には通じない。 私にも似たような記憶がある。 母の死の床で思い余って「お母さん、私は家を出てから自分を必死で育て直したのよ」と言った時の母のセリフ。 「なら、私の子育てがよかったんじゃないの?」 母という名にゃ勝てやせぬ。 そうです、ほとんどの母はモンスターだ。 この怪物の辞書には「反省」という語彙はない。
 貴女にももしかして、そのモンスターが潜んでいないか? 子育ての最終評価者は子ども自身。 貴女の娘さんは母親としての貴女をどう評価しているだろう? もう少し娘さんが大人になったら聞いてみるといいかもしれない。 子どもとは母と祖母との関係をよく見ているもの。 
 ともあれ、貴女は両親から学んでそれとは違う家庭を築いてきた実績がある。 貴女が自分でつくり上げた人生に誇りを持とう。 いずれ娘さんも、貴女から学んで貴女とはまた別の人生を歩むだろう。 その娘を祝福してあげることが出来たなら、貴女はよい親だったと言えるだろう。
 柄谷行人氏のことば「子育てには、成功がない」。 すべての親がこのくらい謙虚ならいいのだが。
 (以上、「悩みのるつぼ」上野千鶴子氏による回答より一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私事に入ろう。

 上記の相談者、回答者両者が記している文面内のエピソードが、我がエピソードと偶然にも見事にダブるのだ。 それに関して述べさせて頂こう。

 まずは、相談者が「小さい頃からバカ、ブサイクと言われた」との部分。
 私の場合「バカ」と言われた経験は皆無だが、美人との誉が高かった姉と比較されて相対的にブサイクだと言われたような被害妄想がずっと脳裏に残っていた。
 それを上京後郷里へ帰省した際に、母に確認せずして済まされるはずもなかった。 
 「郷里にいた頃、美人の姉と比較して私の事をブサイク女扱いしていたよねえ?!?」
 そうしたところ母からすぐさま返ってきたのは、「そんな事誰も言ってないよ。 むしろ我儘で手に負えない姉よりも、特に小学校高学年以降は“スラリとして綺麗な頭のいい子”と妹の貴女の方こそがずっと世間の評判が良かったよ。 それ、あんたの被害妄想以外の何物でもないよ。」とのご回答。 私応えて、「もっと早く言ってよ!」
 その後私が郷里へ帰省する都度、母は「貴女が中学生の時に誰が氏か(実名)が貴女を美人で頭が良いと褒めてたよ~~」等々を繰り返してくれる。 つい最近実母が現在暮らす高齢者介護施設へ行った際にも「貴方が大学生の時に嫁に貰いたいと、誰それ(実名)が親の私に願い出た事を思い出したよ」と、昔のエピソードを語ってくれたりする。 (あまり言われ過ぎると逆効果だし…
 と言う訳で、私の場合は当該事案に関しては既に一件落着している。
 相談者も、私のように思い切ってお母さん相手に「私の事を昔バカ・ブサイクと言ったよね!」と、過去に言われた事実を自身に対する誹謗中傷と判断するならば、本気で問い詰めては如何だろうか。 それすら不能ならば、もしかしたら相談者の親子関係は真に深刻なのかもしれない。

 もう一件、次は上野千鶴子氏のご回答内容から。
 上野氏が死に瀕したお母上に対して告げた「お母さん、私は家を出てから自分を必死で育て直したのよ」との言葉と同様の発言を、郷里の母へ幾度となく発して来た。
 「私はねえ、上京後単身で自分という人間を自分の実力で作り直したのよ。 幸い上京後良き人間関係に恵まれた私は、これ程までに成長したよ。 私は上京したからこそ成功を掴めることが出来たと実感している。 申し訳ないけど、郷里に舞い戻るなどあり得ないからそれを覚悟しておいて。」 
 その我が忠告に従い、現在は郷里の介護施設へ素直に入居してくれている実母に感謝だ。


 最後に、私論でまとめよう。

 私自身も不具合を抱えて誕生せざるを得なかった娘を持つ母親の身になった後には、郷里の実母と娘の成長段階に於いて様々な厳しい軋轢を繰り返した。(当エッセイ集バックナンバーにてそのバトル状況を幾度も公開している。) その苦しい時代が20年程続いただろうか…‥
 堪忍袋の緒が切れそうな時など、本気でこの親と縁を切って捨て去ろうか!!と幾度も考えたものだ。

 ただ、時の流れが解決してくれる課題も多い事を今になって実感したりもする。
 上に記載した通り、現在実母は郷里の高齢者介護住宅にて平穏無事に暮らしている。 母曰く「〇子(私の事)が勧めてくれて介護施設へ入居して本当に良かった。 ここで私は長生きして一生暮らすから安心して。」といつも電話で私に伝えてくれる。 
 あの人(我が実母の事だが)、実は元々良き人物だったのかもしれない、などと自分の母親の事を長年経過した今再びプラス評価する事が叶うような現在だ。

 朝日新聞相談者女性も、もしも叶うならば今のうちにもっと積極的に実母であるお母様と直接話し合いを持たれては如何だろうか?
 それが例えバトルになったとしても、話し合わずして時を過ごすよりも、遠き未来にずっと良き解決策が見出せるような気が今の私にはするのだ。

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寿司店での晩餐 2

2017年05月14日 | 人間関係
 (写真は、寿司店で注文した寿司の一部。)


 我が家には、「母の日」の習慣などない。


 何故ならば、サリバン母の私にとっては娘の成長が第一義であれども、娘からのフィードバックなど一切期待できるはずも無かった故だ。

 もちろん、私から実母や義母に母の日に何某かのプレゼントをするとの儀式は毎年実行している。 ただ、その行動 =(イコール)娘からのプレゼント、につながるなど絶対にあり得ないであろう事を私はずっと以前より認識・覚悟してきた。

 だからこそ、私はテレビCMや新聞広告等で「母の日」がどうしたこうしたと報道されようと、本気で何とも思わない人種だ。

 何と言えばよいのだろうか。 そういう事で感激する母親達とは、それで十分に済まされるのだろう。


 我が家にはもっとずっとずっと大きな課題があったからこそ、「母の日」など超越した母子の関係が蓄積されているぞ‼ との感覚と自信を、いつも母の日に抱く私だ。


 我が亭主がそんな母として歩んだ私の心情を知ってか知らずか、母の日前日の昨夜、寿司店で次々と酒のお替りを勧めてくれる。


 随分とお酒のお替りをしつつ「母の日」前夜を心地よく過ごせた私こそが、世界で一番「母の日」を家族に祝ってもらえた気もする。  

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「ここに来たらいつも友達だよ」 と言ってくれる人

2017年04月17日 | 人間関係
 何だか、幼き頃に夕焼け空の下で友達と指切りげんまんしながら、「明日も友達でいようね!」と“契りを交わし”今日の別れを惜しんだ光景を思い起こすような表題のセリフだ。

 
 表題の言葉を某男性が私に言ってくれたのは、先週末にいつも通っているスポーツジムへ行った時の事である。

 ここのところ急に春の陽気が訪れ野外でランニング練習をする機会が増えていること、それに我が持病である「腰痛」が寝返りを打っても下を向いても痛む程に激しくなったこともあり、しばらくジム通いを控えていたのだが…


 さて久しぶりにジムへ行くと、いつも私を掴まえては話しかけて来るお爺ちゃんが一目散に私に近づいて来て、「随分と来なかったけど、どうしたの??」と心配して下さる。
 「腰が痛くて、しばらく運動を自粛していたのよ。」と私が応えると、「大丈夫か? あまり無理をしないように運動したようがいいよ。」と労わってくれる。  「今日はゆっくりめにランニングして、筋トレも無理のない範囲でします」と私が返すと、「その方がいいよ。」と優しい。

 この“お爺ちゃん”も私も当該ジム通い年数は長く、ずっと以前よりお互いにその存在を認識していたと私は理解している。 とにかく明るくフレンドリーで、誰彼問わず気さくに声を掛けるキャラの人物だ。
 その“お爺ちゃん”が私に一番最初に声を掛けて来たのは、今から1年半程前の事だっただろうか、私がトレーニング走路にてランニング練習を終えた直後に床に倒れ込んだ後、起き上がった時だ。
 「大丈夫か?」とお爺ちゃん。  「大丈夫です。いつも全力で走るので5キロ走り終えた後はしばらく床に倒れ込む程に疲労困憊しています。」と私が応えると、「オリンピックに出る訳じゃあるまいし、そんなに頑張らなくともいいんじゃないの?」 それに今一度私が応えて「それでは達成感が得られないのです。たとえド素人ランナーのヘボ練習であれ、全力勝負しない事には自分の気が済まないのです!」等々と本気の多言を吐くと、お爺ちゃんはその話に乗って来たようだ。 
 その後、ジムにてのお互いのトレーニングメニュー等々を話し合いすぐに意気投合した。

 このお爺ちゃんこそ素晴らしくて、現在78歳であられるらしいが、ずっと以前より登山やロッククライミングの趣味をお持ちだそうだ。 そのためジムでは筋トレを欠かさず、腹筋1日100回、懸垂同じく数十回等々の筋トレメニューをいつもこなしておられるようだ。
 そのせいか筋骨隆々で背筋もまっすぐならば、闊達な話しぶりは私も負けそうである。 


 久しぶりに会った先週末、お爺ちゃんがちょっぴり寂しそうに私に訴える。
 「近頃の人間は、会話をしなくなってしまったなあ。 こちらが話しかけても、直ぐに会話が終わってしまう。 どうも若い世代もそのようだ。 何だか寂しいよ。 僕はパソコンがこれ程までに普及してしまったのがその一番の原因だと思うのだけど。」
 私がすぐさま応えて、「まったくその通りですよ! 老若男女問わずいずれの世代でも同じ現象がありますね。 まさにパソコンのせいでもあるし、私は個人情報保護法が法制化されたことも大きな要因と考えています。 今の時代は個人情報保護が過度に叫ばれて、相手にそれを尋ねる事も遠慮せねばならないし、こちらがプライバシーを語る事も許されなくなってしまいました。 これじゃあ、話題が自ずと表面化するばかりで、人と人が知り合って仲良くなれる訳もないですよねえ。」
 お爺ちゃん応えて、「僕など、人と話したいのも目的でいろんな場所へ行くんだけど、本当に友達が得られにくい時代になってしまった。」 「まったくその通りと私も実感します。」


 その後、お互いの筋トレが終了する頃、またお爺ちゃんは私の所へやって来た。
 「もう帰るけど、僕は家へ帰っても夜が長いのが嫌になる」 これに応えて、「私は夜お酒を飲むので時間が過ぎるのは早いですよ~~」と言いつつお爺ちゃんがお酒を飲めない人だったと思い出し、悪い事を言ったと自己反省…  
 そうしたところお爺ちゃんが「女房が今いなくてね」と寂しそうに言うので、「どちらかへ行かれているのですか?」と私が尋ねると、「姨捨山へ行っちゃってね…」  爆笑しながら応えて、「姨捨山は自分で行くところじゃないですよ。 あっ、もしかしたら入院されたのですか??」 これが大正解だったようだ。 
 参考だが、お爺ちゃんご夫妻には子供さんが生まれなかったとの事だ。 それに伴い必然的にお孫さんもいない。  その話も随分前に聞いている。 だからこそご自身より若い世代と会話を持ち楽しむ事を欲し、それを普段から実行せんと努力されている様子だ。

 そんなお爺ちゃんが、やっと長話が通じる相手の一人の位置付けであろう私をジムで見つけた、との成り行きなのだろう。

 お爺ちゃんが帰り際に繰り返す。
 「もう腰の痛みは大丈夫そうだね。 来週以降も来れるね。 また話そうね。 ここに来たらいつでも友達だよ。」

 満面の笑みで私も応えた。
 「そうですね。 ここではいつも友達ですね!」

 「友達」という言葉の輝きに、何十年かぶりに触れた気がした。

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いくつになっても誕生日はやって来るもんだ

2017年04月02日 | 人間関係
 (写真は、昨日身内の誕生日祝いの席で注文した「枡酒」形式のシャンパン白。 参考ですが、他の料理に関しては先行してFacebook上に公開しておりますのでよろしればご参照下さい。)


 春の新年度初日の昨日、我が家は都内某所の寿司屋にて、高齢者施設に暮らす義母も招いて身内(我が亭主だが)の誕生日祝会を実施した。

 娘の誕生日はともかく、我々親どもの誕生祝など滅多にやらない我が家だが、今回は義母の希望によりそれを実行する計画を立てた。


 これが大変。
 昨日はあいにくの真冬の寒さに加え、雨天か下手をすれば降雪の予報すらあった。
 こうなると、認知症状が日毎悪化する義母が騒ぎ出すのは目に見えていたのだが…
 案の上、前日義母が施設より何度も我が家へ同じ内容の電話を掛けて寄越す。 「もし、大雪が降ったら私は施設へ帰れなくなる。」「タクシーも捕まらないかもしれない。」
 私が応えて、「いえ、東京はそれ程の悪天候にはならないと思いますので予定通り誕生会を実行しましょう!」と何度繰り返しても、義母の不安感が拭えない。
 最後の最後に、「何かあったら必ずや私がお義母さんを守りますので、どうか安心して下さい!」と電話口で大声で叫ぶ始末。 まるでドラマのセリフのようだが、この「私が守ります!」がどうやら効いたようだ。 この言葉に心底安心した義母が、誕生会実行を受け入れてくれた。

 さて、当日タクシー降り場まで義母を迎えに行くと、義母はちゃんと一人でタクシーに乗って来てくれた。
 そして開口一番、私に伝える。 「〇子さん(私のこと)が私を守ってくれるとはっきり言ってくれたのが嬉しくて、今日は安心して来れたわ。」
 いやはや、特に高齢者にはきちんと明瞭な言葉で“大袈裟な程に”意思を伝える事こそが有効と再認識させられる。


 そうして、都内某所の寿司屋にて我が亭主の誕生会が始まった。

 冒頭の写真の通り、まず私と亭主はシャンパン白を注文した。
 これが、粋だ。  まるで「枡酒」のごとく、テーブル席にて下に置かれた枡型四角カップの中にまで垂れるがごとくシャンパンを注いでくれる演出があるのだ。 その量たるやグラスほぼ1,5杯分の分量がある。 (参考だが、私はこれをその後3杯お替りした。

 乾杯後、義母が亭主に尋ねる。 「貴方、幾つになったの?」
 それに応え、亭主が店内に響き渡る大声で曰く、
      65歳だよ!   

 何もそんなにデカい声で自分の年齢を公表しなくても…  と思っても既に後の祭りだ。
 狭いとは言えない店内客皆さんの視線が我々のテーブルに集中し突き刺さる。
 (参考だが、我が亭主は元々声が通るのに加えて、酒を飲ませるとその声量が10倍に増強することを私は結婚以前より把握していた。)
 お互いの加齢と共にそれを嗜める機会が減りつつあったのだが…、
 ただまあ、これも我が亭主が元々 “天然質かつ純粋” と、私とは真逆の人物故と許す事にしようと思えた昨日の事件だった。


 いえ、決してのろけている訳ではないし、その場合でもない。
 亭主が「65歳」になるに当たり、我が家の経済政策を変更せねばならない事情を私は抱えるはめとなる。
 幾度も本エッセイ集にて公開しているが、我が家は亭主定年退職後及び私が還暦に達して以降より、お互いの公的年金独立採算性を貫いている。  その「制度」の下に亭主が65歳になるという事は、亭主の公的年金は増額する反面、我が家の生活を支えている亭主の企業年金が減額となる打撃があるのだ。
 この事実に関しても我が家では既に話し合いを持ち、一応の経済的合意に持ち込んでいる。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 ただ私が思うに、亭主65歳程の同年代の何処の家庭でも、今後の“年金制度の貧弱さ”を考慮すると先行き不透明感が拭えないのではあるまいか?

 せめても、我が亭主には「65歳を過ぎたらその恩恵で半額等のサービスを受けられる商業施設等々があるから、それを有効利用すれば。」なる指南をチマチマとする私だ。

 様々な社会システムを鑑みても65歳とは一つの過渡期であり、それを一家で祝うのも悪くはないかもしれないと後で思ったりもする。 

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高齢殿方達よ、なぜ他人の子を叱ってくれない!?

2017年03月28日 | 人間関係
 巷の学校が春休みに入っている。


 先だって、いつも通っている自宅近くの公立体育館併設スポーツジムへ行った時の事だ。

 私のジムでのスケジュールとは、まず最初に軽くストレッチとダンスエクササイズをした後、体育館内上階部のトレーニング走路にて5㎞のランニング練習に入る。 その後、ジムへ戻りマシンを使用して筋トレに励むとの段取りだ。

 このトレーニング走路だが、一周が172mと短く、またその幅も1,5mに満たない程に狭い。 故に、複数の人間が同時にこの走路を走る場合、前の人を追い抜くのがやっとの状態だ。
 参考だが、体育館1階部分はバドミントンと卓球の球技場となっていて、それぞれが半分づつ使用している。

 学校が長期休暇に入ると同時に、いつも体育館内は子供達で賑わい始める。
 特に、親に連れられて(?)体育館1階の球技場にてバドミントンや卓球を楽しみに来る子供達が多い様子だ。 体育館は吹き抜けで上階の走路より、その風景が眺められる構造になっている。

 さて、そうなるといつも困惑するのが、1階から上階のランニング走路へ“遊びに”やって来る子供達が出没する事だ。
 いえ、子供達の皆が皆走路で遊ぶ訳ではなく、特に中高生の中には真面目にランニング練習をし始めたりする子もいる。
 一方で、特に小学生程の小さい子供達は、例えば私が走るのを「抜く」事が楽しみのようで、私が通り過ぎては全速力で走って抜き去っては喜び、また少し休んで抜き去っては皆で「やったー!」とばかりにはしゃいだりしている。
 これとて、同方向へ走ってくれるならばまだしも許容範囲だ。 中には狭い走路を全速力で逆走してくる子供がいるのだ。  特にコーナーでは、その姿が見えないため衝突との大きな危険を孕む。


 ある時、あまりにも危険なためランニング練習を中断し、逆走少女軍団をつかまえて説教したことがある。 
 「ここは“トレーニング走路”と言って、ランニングやウォーキングの練習をする人達がトレーニングをする場なの。 皆真剣にその練習に励んでいるのよ。 ここで貴方達に遊ばれては危険性があるし迷惑なのよ。 貴方達が本気でランニング練習をしたいのならば、決して逆走せずに真面目に練習しなさい。」云々…
 これに対し、3名中2名の少女は、私の“指導”にうなずきながら遊びを止めようとした。 ところが残り1名の少女の顔つきから、私は明らかな反発心を感じ取った。 そしてどうやら“反発少女”こそがリーダー格だった様子で、残り2名は私に申し訳なさそうな顔をしながらも、結局反発少女の意向に従い“遊び”を続行した。  やむを得ない。 私がランニング練習を中断せねば、怪我をさせてしまったりしたら大人の私の責任が問われる、と考え身を引いた。
 おそらく小学3,4年生位の年代の少女達だったが、教員経験がある私にして他人の子を𠮟ることの困難さを改めて実感させられた事件だった。

 この時、他の観点から残念に思った事がある。
 走路には複数の高齢男性達が、私同様にランニングやウォーキングに励んでいた。(このジムは公立体育館併設という事実によるのか利用者のほとんどが高齢者なのだが。)
 にもかかわらず誰一人として走路で遊ぶ少女達を叱る人がいないばかりか、私が少女達に説教している現場を見て見ぬふりを貫くのだ。 せめて少し応援でもしてくれたならば、私ももう少し強い態度で接する事ができたのに…  と、その高齢者男性達の“他人行儀ぶり”に失望させられたものだ。 そして、練習不能と判断したら(我関せず。)と言わんばかりにさっさと走路から去っていく姿にもがっかりさせられた。


 つい先だっても、同様の事件がトレーニング走路にて発生した。

 今回トレーニング走路にやって来たのは、中学生男女軍団と小学生男子軍団の2グループだ。 どうやらそれぞれがバドミントンと卓球を1階で楽しんでいる途中、それに飽きて(?)走路まで“遊び”に来た様子だ。
 今回の場合、悪質と私が判断したのは、決して走路にて走るではなく、それぞれのグループが走路の真ん中に陣取り、バドミントンの練習を始めたり、卓球の球を転がして遊び始めたことだ。
 これじゃあランニング練習など出来やしない。 よし、私が説教するか!、と思い始めた時、上記の事例が脳裏を過った。 (いや待て、今回の相手は中学生と男児だ。暴力を振るわれないとも限らない。 周囲には高齢男性が複数いるし、何も“か弱き女性”の私が説教役を受けて立たずとて、今回のように子供達の遊び方が悪質な場合は、さすがに高齢男性の誰かが叱ってくれるだろう。)
 ところがその期待も虚しく、誰一人として子供達を叱る高齢男性が現れない。 そして、子供達をよけながらランニングやウォーキング練習を続けているではないか! 

 何故その行動を高齢男性達が取るのか、私とて理解出来ないではない。 
 一番の理由とは、“事なかれ主義” によるものなのだろう。 誰しも、たかが自主的トレーニング中に他人の子供を叱るとの行動に出て、反動等の危険に晒されたくないのだろう。

 あるいは、もしかしたら「子供達にも走路で遊ぶ権利がある」と考える高齢者がいるのかもしれない。
 実は私の脳裏の片隅にもその考えが無くはない。 
 ただどう考察しても、その子供達の行為が危険に晒される確率が高いのは事実だ。 いくら高齢者が子ども達をよけて狭い走路を走ったり歩いたとしても、不意打ちが多い子供達の行動パターンを考慮すると、衝突事故の危険性は孕んでいる。 そうした場合、やはり大人が子供達を危険から守るためにも、説教なる働きかけは必要かと私は考えるのだが。


 古き良き時代には、ご近所に必ずや「雷親父」や「頑固親父」が存在して、悪さをする子供達を大声で一括していたものだ。
 それですべてが収まっていた時代は、もはやノスタルジーなのか?
 人間関係の希薄化が急激に進んだ今の時代、子供達を叱れない大人が世に量産されてしまっている。

 せめて、この世を長く生き抜かれ様々な経験を積んでおられる高齢者の殿方達にお願いしたい。
 もしも私のような“か弱き”女性が見知らぬ子供達を説教している場面に出くわしたなら、“我関せず”と無視をして通り過ぎずに、その成り行きを見守る程度の余裕を持って頂けないだろうか?

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行きずりの92歳ご婦人と一緒に楽しんだダンスステップ

2017年03月18日 | 人間関係
 今年の3月は真冬並みの寒さが続いていたが、昨日は私が住む東京地方でも春らしい暖かさが感じられる一日だった。

 こんな日は、野外でランニング練習したら気持ちよさそうだ。 
 いつもはジムにて筋トレ及びランニング練習をする曜日だが、この絶好のランニング日和に屋内にこもるのはどう考えてももったいない。
 と言う訳で昨日、久しぶりに自宅近くの大規模公園へランニング練習に出かけた。


 野外ランニング練習の際には、ウォーミングアップの意味合いもあり公園内でまず軽くストレッチの後、ウォークマンにて2曲ほどダンスミュージックをかけ、ダンスエクササイズをするのが通常だ。

 昨日もこのダンスエクササイズを始めたところ、ちょうど公園内で踊る私の前を通りかかった高齢のご婦人が、じっと私の方を見ながら何か話しかけておられるようだ。

 急いでウォークマンのイヤホンを外し、婦人に近づき「こんにちは」と声を掛けた。
 そうしたところご婦人がおっしゃるには、「私もダンスが好きなの。一緒に踊りたいな~。」
 即答して私曰く、「是非、ご一緒に踊りましょう!」 
 と言い終わるのも待てないがごとく、手押ししていたシルバーカーを離れ、ご婦人がダンスステップを踏み始めるではないか!
 これがビックリ!!   上手なのに加えて、私がいつも踊っているジャズダンス系程の軽快なノリのテンポが速いステップなのだ!
 「凄いですねえ。 何だか負けそうですが、ダンス経験がおありですね!?!」と尋ねると、ご婦人が「昔ダンスをやっていたの。 今は腰が痛くてそれどころじゃないのだけど、貴女を見ているとつい踊りたくなったのよ。」
 (いやはや参ったなあ。世の中には希少な高齢者が存在するものだ)と心底驚いていると、ご婦人が「私今92歳なんだけど、ずっと商売をやっていたせいで比較的元気な年寄りかもしれない。」と言い始めるではないか。

 (92歳!! 後30年も生きて私はこんなに元気でまだダンスを踊っていられるのか?? )と脳裏に我が将来像に対する不安感が過りつつも……
 「そうですよね。 自営業の方は定年退職が無くいつまでも主体的にその職務にかかわれるのが羨ましいです。」などとしどろもどろに返答すると、「主人が亡くなってからは、店頭に置いていた自動販売機を6台から2台までに減らしたの。 そうでもしないと私の缶の入れ替え仕事がいつまでも大変だから。 でもたまに娘がやって来て、自動販売機への入れ替えはお母さんが自分でやった方がいい、と見放すのよ。 惨い娘でしょ?」と言うので、 「いや、それは娘さんのお母様への愛情ですよ。 そんなご自身の仕事がある事も生き甲斐の一つではないですか? お仕事を全うされつつ100歳を過ぎても生きておられるようなパワーを感じさせて頂けます。 私もそれにあやかりたい思いです…」等々と会話を連続していると、
 ご婦人は「あ~ら、ごめんなさいね。ダンスの邪魔をしたわね」と言いながらシルバーカーへ再び戻り、公園内をさっさと去って行かれた。

 その後、私が5㎞のランニング練習を終了しかかった時、当該92歳の高齢女性が未だ公園内をシルバーカーを押しつつ歩かれている姿を垣間見て、改めてこのご婦人の生命力(この世を生き抜かんとするパワー)の程に恐れ入った私だ。


 現在92歳ということは1924年のお生まれ。  日本の元号で言うところの大正末期にご生誕された人物のようだ。
 そうすると、第二次世界大戦末期には既に成人されていたご年齢であろう。
 その頃未だこの世に誕生していない世代の私にとっては、当時の国民の生き様に関して想像不能な部分が多いのが事実だ。

 ただ未だ未熟者の私にとって、92歳までの年月に渡りこの世を生き抜き、大都会東京で現在に至って尚商売を続行されているとのご婦人が、行きずりの私に垣間見せて下さった“ダンスステップ”に、大いなるインパクトを受けた事は確かだ。

 その素晴らしさこそが、大正・昭和・平成との長き年月に渡り存在し続ける彼女の証しではないかと、昨日行きずりにてほんの一時合いあいまみえたご婦人のご人生の程を鑑みつつ、身勝手にも尊敬申し上げたい思いである。

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