原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

真央ちゃんの三回転半に賭ける決意が伝わった!

2014年01月29日 | 時事論評
 私は、ソチ冬季五輪フィギュアスケート女子代表 浅田真央選手 にどうしてもお詫びせねばならない事がある。

 それは4年前のバンクーバー冬季五輪 女子フィギュアフリー終了直後に綴り公開した「原左都子エッセイ集」2010年2月26日バックナンバー 「浅田真央選手の五輪敗因を検証する」 と題するエッセイ内容記述に於いて、真央選手に対する大いなる誤解があった点だ。


 とりあえず、以下に4年前に公開したエッセイ内容を要約しながら振り返ってみよう。

 五輪初の女子ショートプログラムにおける“トリプルアクセル”の成功、そしてこれまた五輪初の女子フリーにおける“トリプルアクセル”2度の成功。   未だ19歳にしてこれだけ輝かしいまでの技術力のある浅田真央選手を、何故に「浅田真央プロジェクトチーム」(そんなものが存在するのかどうかは不明だが)は五輪で勝たせてやれなかったのか… との無念の思いで、フィギュア女子フリー後に“悔し涙”で泣きはらしてしまった真央選手ファンの原左都子だった。
 現在のフィギュアスケート競技においては、単に技術力のみならず、芸術力がそれと同等以上に採点評価対象となっている。  この芸術力は現在では“演技構成力”との名称に移り変わっているが、その内容とは選手の音楽性や演目の全体的描写まですべてを含め、広い意味でプログラム全体の芸術総合構成力を評価の対象としているようである。 むしろこの“演技構成力”に重きが置かれるのが、現在のフィギュア競技の採点基準の特徴であろう。
 過去の五輪において、フィギュア女子日本代表の伊藤みどり氏がフリー中失敗を何度も重ねながら、演技終盤で五輪初の“トリプルアクセル”を成功させることにより「銀メダル」を力づくでもぎ取ったごとくの時代は、既に過ぎ去りし遠い昔のノスタルジーと化しているのである。
 まだまだ19歳の浅田真央選手には、おそらく「(仮称)真央プロジェクト」が背後組織として後援しつつ、今回のバンクーバー五輪に挑んだものと推し量る。  その上で(原左都子の推測にしか過ぎないが)、「真央プロジェクト」は、あくまでも真央選手の最大の武器である“トリプルアクセル”を何度も飛ばせることをもって「金メダル」をゲットしようと目論んだとも憶測する。  
 これに対し、韓国のキムヨナ選手の背後組織である「(仮称)キムヨナプロジェクト」の目指す方向は何年も前から異なる方向を見据えていた。  バンクーバー五輪においてのキムヨナ選手の最大の“ライバル”は浅田真央選手であると4年も前から射程を定め、その打倒対策を虎視眈々と採っていたものと原左都子は推測するのだ。
 この戦略とは物凄いものがある。  まずは今期五輪開催地カナダにおいて国民の間でその名を轟かせている男子フィギュア銀メダリストのブライアン・オーサー氏をキムヨナ選手のコーチとし、カナダを練習地とすることで韓国のみならずカナダの地にもキム選手を早くから溶け込ませる作戦であった。
 この戦略がもたらした効果の程も凄まじい。
 ブライアン・オーサー氏の指導力もすばらしかった様子だ。 現在のフィギュア採点基準から判断した場合、五輪に勝つためにはキム選手が苦手な“トリプルアクセル”にこだわる必要は一切ないと言い切り、それを早期に切り捨てたとの報道だ。 本番での失敗の危険性が高く大して点数に繋がらない大技の習得に無駄な時間を費やすよりも、得意な3回転ジャンプの精度を上げることを優先した。 さらにはフィギュア本来のスケーティング技術やスピード力の向上に専念して技術力の強化を図ると同時に、キム選手の天性の持ち味である“芸術力”をさらに研ぎ澄ますことにより本人の自信を最高度のレベルまで導いた様子である。
 片や浅田真央選手側は、あくまでも“トリプルアクセル”にこだわり続けた。それは本人の意思なのか、背後組織の策略なのかは私には計り知れない。
 結果として、キムヨナ選手が真央選手に大差をつけて金メダルに輝いた。
 19歳という若さにして、様々なバックアップ力に後ろ盾されつつ五輪最高得点を獲得して今回世界頂点を完全制覇したキムヨナ選手。  片や、トリプルアクセルという離れ業を大舞台で3度も披露しつつも、戦略面で敗れ去った同年齢の浅田真央選手。
 だが、勝負とはまだまだこれからが面白いというものだ!
 (以上は、「原左都子エッセイ集」4年前のバンクーバー五輪フィギュア女子フリー直後に公開したバックナンバーより一部を要約引用。)


 さて冒頭に記した通り、浅田真央選手への「お詫び」行脚に入ろう。

 先だって1月26日(日)夜9時よりNHK総合テレビにて放映されたNHKスペシャル 「浅田真央・金メダルへ ▽ジャンプ復活の秘密密着! 涙の銀メダルから4年 “最後”の五輪に挑む」 を見聞した私は、真央選手に申し訳ない思いで“穴があったら入りたい”心境になった。

 と言うのもNHK報道によると、真央選手は19歳時点、いやそれよりずっと以前から試合では必ずや「三回転半」を飛ぶ! 事を第一義とする強い意志の持ち主だったようなのだ!
 そうとは露知らず、私はてっきり「(仮称)真央プロジェクト」が彼女の背後に控えていて、そのプロジェクトの判断で本人の意思に寄らずに(我が国に金メダルをもたらそうとの“卑劣な魂胆”で)真央選手に「三回転半」を強制していたのかと捉えていたのだ。 
 (余談ではあるが、今現在の国内政権政策とて、まるで子供のごとく安直に他国を打ち負かそうとの魂胆が見え見えで“卑劣”極まりないと捉えている原左都子なのだが…)

 そうではなかった事実に安堵すると同時に、現在24歳になられている真央選手の成長ぶりにも拍手を贈りたい思いの私だ。
 バンクーバー五輪後、母親を亡くすとの決定的試練を乗り越えつつ、真央氏は4年の年月をかけて「三回転半」の改良に積極的に取り組んだ様子だ。
 佐藤コーチの下、助走スピードを上げることにより「三回転半」が技術面及び“出来栄え点”でも完成度を増している事実をNHKスペシャルで確認することが出来た。


 最後に、原左都子の私論結論に入ろう。

 浅田真央選手はご自身のフィギアスケート人生に於いて本人自らが一番こだわり続けた「三回転半ジャンプ」を、バンクーバー敗北の後4年間の年月を賭けて最高度に導いた事実とその並々ならぬ努力過程により、もう既に「金メダル」をゲット出来ていると私は拍手申し上げたい思いだ。

 後は、まさに(真央選手がおっしゃるところの)最後のソチ五輪にご自身が目指す成果を挙げ、それを堪能し楽しむ姿を私も是非とも拝見したい。

 「原左都子エッセイ集」開設直後の2007年9月に、私は「成功の尺度」と題するエッセイを公開している。
 その結論のみを語るならば、「成功」とは“自分自身の達成感”が決めることであり、“他者の評価”など二の次の基準に過ぎない、 との内容だ。

 フィギュアスケートとは、特に演技構成力配点に於いて「他者の評価」にある程度依存せねばならないスポーツ競技であることが否めない事実であろう。
 そんな中、日本代表浅田真央選手がソチ五輪会場で何を優先してでも「三回転半」を成功させる!事を第一義としてフィギュアスケート人生を歩んで来られている確固たる意志に、改めて大いなる拍手を贈りたい原左都子だ! 

 真央ちゃん、ソチオリンピック頑張れ!!
 今度こそ貴女自身の「達成感」に基づくサクセスゲットの笑顔が見たい! 

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夢の続きを見た経験ありますか?

2014年01月27日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭からお詫び申し上げますが、昨日編集画面上の操作ミスにより本エッセイの未完成原稿(草稿)が一時公開されてしまったようです。 その“未完成版”に早くもアクセスを皆様より頂戴していたことを今朝発見し、驚いている始末です。 不手際をお詫びすると同時に、以下に“完成版”を改めて公開致しますので、何卒お読み直し下さいますようお願い申し上げます。) 


 こんな奇跡が起きるのだろうか!?

 なる出来事を一昨日の夜から早朝にかけて、私は実際に経験した。
 (最初にお断りしておくが、今回の物語はあくまでも私が寝ている間に“夢の中”で見た架空のストーリーを再現するに過ぎない。)

 それにしても、私は起きた時に明確に覚えている夢をよく見る。 
 そのほとんどが、その分野に限らずろくでもない悪夢ばかりだ。


 ところが一昨日見た夢は「恋愛もの」だったのだが、今までに経験しないストーリー展開だった。

 と言うのが、夢の途中で一旦私は目覚め現実に戻ったのだ。 (これも日常的に経験しているが、再び寝入った後に夢の続きを見るという経験は今まで皆無だった。)
 

 それでは、一旦目覚めるまでの我が夢の前半部分の内容を振り返ろう。

 夢内に登場した主人公男性が現存する人物なのか否かは特定不能である。 もしかしたら遠い昔に一時付き合った男性の残影だったのかもしれないが、その主人公が童顔の可愛い系男性だったことには間違いない。
 なんせ、私は昔から童顔可愛い系男性を好んでいた事を認める。 (例えば伊丹幸雄や原田真二、はたまた若かりし頃のポール・マッカートニーのファンだった。)

 あるいは、ひょっとすると夢内の男性は俳優の“向井理氏”であったのかもしれない。
 何故に向井理氏に我が夢にご登場頂かねばならないのかに関して説明するなら、私は当「原左都子エッセイ集」に於いて向井理氏に関するエッセイを2本ほど綴り公開しているからに他ならない。 これらバックナンバーに少なからずのPV(閲覧)をコンスタントに頂いている。  夢から離れた現実世界では、決して私は向井氏のファンではないと自覚しているのだが、その検索元を辿ると、どうやら俳優の向井理氏とは「童顔」俳優として名高いらしい事を最近発見した。 その記憶が我が脳裏の片隅に刻まれていたのであろう。
 このように考察すると、童顔で誉れ高い向井理氏が我が夢に登場しても不思議ではないとの結論に達するのかもしれない。


 ここでいよいよ、我が一昨日夜中に見た夢の内容を思い出せる範囲で再現しよう。

 どうやら、私は大学生のようだ。
 そして私はその大学内で過去に付き合っていた男性がいたようだが、その彼氏とは既に別れているとの夢内設定である。 その後元カレの友達関係を通して私は今回の主人公である童顔男性と出会い、大いに気になる存在の様子だ。
 大学内の何某かの集団会合(おそらく“合コン”だったと思う)で私は再び童顔男性と対面するのだが、その会合が“集団”であるばかりに、他の登場人物に邪魔をされ私は彼に近づけない。 そうこうしているうちに夜になり、大学に程近い「童顔男性」の下宿先で酒を飲んで夜を明かすと皆が言い始める。
 ところが、その日はちょうど前期最終日前日だった。 電車を乗継ぎ大学に通っている私は、「最終日には必ず朝早く起きて大学へ行かねばならない」との判断を下し、仲間と別れて自宅に帰る決断をする。 
 要するに彼の下宿で皆と一緒に酒を飲んで夜を明かす事より、明日の大学授業優先との私の判断であるが、これで私は童顔男性に接近する機会を完全に失った。  彼の方も私を引き止めることはなく、「童顔男性」との関係が終焉する……  との夢内ドラマ展開だ。

 落胆の下、涙ながらに私は一旦夢から目覚めた。
 布団の中で朦朧としつつ、私の脳裏に我が堅物で杓子定規な思想・行動規範が反復される。 これだから、私っていつもいつも大事な人を失って来ているんだよなあ…  自業自得だよねえ…  たとえ夢の中と言ったって、失いたくない対象物(人も含め)に突進するより理性を優先する自分がとことん嫌になるってもんだよなあ…

 という訳で、途中で目覚めるまでは、いつもの通り「悪夢」の範疇に入る夢物語だった。
 寝とぼけながら(また、悪夢か……)と嫌気がさしつつ…。 
 それでも一昨日の場合は、(この年齢になって男に心ときめく夢を見れただけでもよかったと思うべきだろう…  ああ、でもやっぱり好みの男とははかなくも我が身を通り過ぎていくものだよなあ…) と布団の中でボヤけた我が脳裏に、少しばかり“現実” がよぎった。


 その後布団の中でどれ程の時間が過ぎたのだろうか…  長かったような短かったような感覚だが、とにかく私は再び眠りについたようだ。

 そうしたところ、私の夢の続きが再開するではないか!

 夢の映像場面とは、あくる日の大学構内である。
 私は女子友人と共に、前期最終日のゼミ講義に出席している。 ゼミ生は少数であるはずなのに、何故か座席が階段状態の大講義室の中程の席に着席していて、周囲は空席だらけだ。
 ゼミが終わりに近づいた頃だろうか、後部座席に人が座る気配がした。 その後部座席をそっと振り返ったみたところ、なんとその人物とは私が密かに思いを寄せていた「童顔男性」だったのだ! 

 この瞬間で、私は再度夢から目覚めた。  おそらく本当に目覚めたのだと思うが、またもや我が意識が朦朧としている。
 朦朧としつつも私は布団内で考察した。 この会場は我がゼミの授業会場であり決して「童顔男性」のゼミ会場ではない。 加えて“合コン”の飲み会を自宅下宿内で行って疲れているであろうにもかかわらず、後部座席に来てくれた! これって今後に繋がる話ではないかと! (と言うのも、大学の休み期間とは2,3か月の長きに渡るのが常だ。) 前期終了日直前に会合を持てたのが何かの縁かもしれない。 (メールなどない時代背景に於いて)若き二人がその縁を繋ぎ止めるためには、前期最終日に勝負を賭けるしか手立てがないのだ。 「童顔男性」がその勝負を賭けに来てくれた!と私は我が身息災に解釈するとの結論に至った。

 その判断を下した時点で、我が脳内に心身を安定させる神経伝達物質が分泌されたようだ。
 後に朝になり目覚めた私は、いつになく爽やかな気分だった。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 どうせ見るなら、いい夢をみたいものだ。 その観点に立った場合、“いい夢”を見る秘訣が何だか少し分かったような気もする。 
 今回の我が夢が続編“いい夢”を誘ったのは、一旦目覚めた時点で、「この年にして“恋愛もの”の夢を見て心ときめいただけでも幸せなのかもしれない」と脳裏によぎった事実こそが、その後の続編に繋がったのであろうと分析する。

 正直に話すと、今尚恋愛ものの夢をよくみる私だ。 そのバリエーションは豊富であるが、たとえ夢内と言えども恋が叶った夢を見た暁には、その日から数日間は何だか心ウキウキと現実世界を生き延びられそうな活力をもらえる感覚だ。

 NHK連続ドラマ「ごちそうさん」の主人公の夫役である「ゆうたろう」さんも言っていた。 夢の中でうわごとに叫んだ女性に対する正直な思いを、現実世界で責められる事には我慢ならないと!

 私の場合は決して夢内物語を「寝言」で公開したりはしないが、まさか夢に見た男性との関係を法的に責められることはないと信じて、今後もよき夢を見続けたいものだ。

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国政の暴走を2/9都知事選で食い止めよう!

2014年01月25日 | 時事論評
 今回の「原左都子エッセイ集」テーマは表題の通り、来る2月9日に実施される東京都知事選挙に関連した私論を展開するのが趣旨である。


 それに先立ち、先だって2月19日に投開票された名護市長選挙に関する雑感を記させていただこう。

 任期満了に伴う名護市長選挙は19日投開票され、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する現職の稲嶺進氏(無所属、社民、共産、社大、生活推薦)が1万9839票を獲得し、移設推進を掲げた新人の末松文信氏(無所属、自民推薦)に4155票の大差をつけ再選を果たした。 仲井真弘多知事の辺野古埋め立て承認後初めての市長選は辺野古移設問題が最大の争点となり、稲嶺氏が当選したことで地元市民が辺野古移設に「反対」の明確な意思を突き付けた。  (以上、ネット情報より引用)

 この辺野古移設反対派稲峰氏の圧勝に対し、当初“敗北感”及び“ひるみ”を見せていた安倍政権が、翌日になるや否や、早くも手のひらを返したかのような強気対応を披露するではないか!
 政権側は20日の会見で「名護市長の権限は限定されている。」云々と述べ、辺野古への移設に伴う準備を早くも開始した。

 
 原左都子の私見だが、まさに“演技派”そして国民に対する“心理操作”がお得意の安倍政権の見え透いた強引なやり方の例外措置ではないとすぐさま悟り、嫌気がさした。
 敗北を認めるどころか、一地方自治体市長より国政の方がよほど強い権限を持っているんだぞ! との、まるで稲峰市長及び氏に投票した市民に対する“脅迫”めいた手法には、恐怖感すら抱かされるのは私のみだろうか??
 確かに国政が地方自治より上位に位置する現在の法制度である事は否めない事実であろう。  それはそうとして、安倍政権は「民意」を如何に捉えているのであろうか?  普天間基地辺野古への移設を主に争われた今回の名護市民選挙による回答とは 「普天間基地の辺野古移転反対!」 である事は揺るぎない事実なのだ。 それを何もなかったようなふりをする(と言うより、むしろ名護市民に喧嘩を売りつけたと表現した方が正確であろう)安倍政権の手口とは、力づくで弱者に暴力をふるうガキ大将同様に短絡的であり、始末に負えない存在である。
 要するに、安倍政権が目指す方向とはあくまでも「国際政治力・経済力」に於ける優位性であり、国内福祉や弱者対応に関しては二の次、三の次の位置づけとの事であろう。 国内貧困格差拡大を重々承知の上で国際上位を目指す安倍政権戦略なのだ。 
 (何でそんなつまらない政策によって嬉しさを享受できるのかの、安倍政権の哲学の程がどうしても理解不能な原左都子なのだが…。  もしかしたら、安倍氏ご夫婦には子供がいないことが元凶なのか…?!?)

 安倍政権の暴走ぶりは政権脱却以来1年以上に及び各政策方面に於いて留まることを知らないようだが、こんな理不尽な手口を国民は決して許してはならない。  国政選挙がこの先3年ないからと安心し切り、「民意」をとことん蔑んで勝手気ままにふるまう政権の実態を放置しておいたならば、この国は近い将来確実に滅びると私は見ている。
 原左都子はあくまでも、普天間の辺野古移設反対派だ。 (沖縄県内で米軍基地を擦り合わせる政策など今すぐ終焉するべきだ。) 再選された名護市稲峰市長を筆頭として、名護市市民の皆さんを今後共応援申し上げる。

 (ここで余談だが、何故安倍さんは夫人を伴い外遊ばかりしているの? それって“空威張り”演技ばかりを強いられるお国のトップの立場として国内(政権内)に自分の居場所がないがための、せめてもの逃避行動かと私など勘ぐっているのだが…


 話題を表題に掲げた「都知事選」に移そう。

 実は今回の都知事選挙が、我が娘20歳になって初めて選挙権を与えられた選挙となる。
 そこで、娘の“お抱え家庭教師サリバン”としての我が“選挙投票に関する心得”教育が勃発するのは必然の成り行きだった。 基本的に20歳に達した国民には皆「選挙権」が与えられるため、その権利行使を積極的に行使するべきことから我が教育が始まる。
 その際に留意するべき事とは、「(世論や親の考えも含め)人の意見に左右されない」 「メディア情報を鵜呑みにせず、自分自身で情報収集する」 ことが鉄則であることはもちろんであろう。
 だがそれに先立つ課題として、自分で「(今回の場合は都政)がどうあってほしいかを我が身に照らして考えるべき」とも付け加えた。
 更には娘には困難な課題であろうことは承知の上で、自分の考えに似た候補者が存在するとしても、その候補者の“実行力”判断こそが肝心である事も伝えた。
 (実際問題そこまで考慮していると、投票に値する候補者が皆無であることも事実なのを重々承知しつつ…)  


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。

 今回の東京都知事選の場合、候補者選択に於いてある程度絞り込めるのではないかと考察している。
 
 というのも今までの都知事選のごとく、「(各政党推薦による)何でこんな馬鹿候補者を政党は立候補させたの??」と落胆させられるべく元タレント等の立候補者が存在しない。
 加えて、「原発」「五輪」「福祉」等々に関する候補者間での争点もある程度明確であろうかとも分析している。
 私としては鬱陶しい元タレント候補がいないだけでも、今回の都知事選結果には多少期待出来そうにも思う。

 東京都が抱える現在の人口は1330万人に上るらしい。 この人口とは日本国内人口の1割強を占めている。
 もしも今回、安倍政権が欲しない候補者が東京都知事に選出された場合、政権は次の日から(名護市同様に)その都知事行政を潰すことを企てるのだろうか!? 
 名護市には申し訳ない話だが、“数の力”とは多大であると私は信じている。  安倍政権に東京都政を潰されかかっても、都民「民意」の数の総力でそれを打破可能とも信じている。

 だからこそ候補者の方々に申し上げたい事がある。
 今回の候補者皆さんは、一応「無所属」であるらしい。 その中でも政党よりの推薦力が強力な立候補者も何人か存在するようだが、「無所属」として立候補している以上、都政の独自性こそを優先して欲しい思いだ。

 先だっての猪瀬氏退陣後、長年続いた石原都政を刷新できるまたとなき機会でもある。
 候補者も選挙都民も、このよき機会に東京都政が真なる躍進を遂げるべく行動したいものだ。

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「無断転載」 は固くお断りします。

2014年01月23日 | 時事論評
 今朝方、当該「原左都子エッセイ集」からの“無断転載”現行犯現場をネット上でたまたま発見した。


 それは「Yahoo!知恵袋」に於いてなのだが、なんと! 我がエッセイ集文面から“丸ごと”転載した記述が「ベストアンサー」に選ばれているではないか!

 ここまで“丸ごと”転載したからには、文末に「『原左都子エッセイ集』より引用・転載」の文言が必ずあると思いきや、いくら探してもその記述がない“非常識”ぶりに改めて仰天させられたものだ。
 (大手企業たる Yahoo! も何故深い思慮や調査なくして、無断転載の回答をベストアンサーに採用するのか!?!) と私の怒りは収まらない。


 それでは早速、「「Yahoo!知恵袋」の質問およびベストアンサーに位置付けられている回答を、以下にコピーして紹介しよう。 (質問者名 及び 回答者名 に関しては、私の判断によりここでは匿名とします。)

 まずは「質問」内容から紹介する。

 法学のレポートについて。近代市民法の原理について述べた上で、それがその後どのように修正されたかについて論じなさい(1800~2000文字以内)   
 どのように書いたらいいのか困ってます。  知恵をお貸しください。
 小論文などを書いた経験がないのでどうしたらいいか分からないんです。

 次に「ベストアンサー」回答内容を紹介しよう。

近代市民法とは何か?
近代市民社会において施行されている法のこと
近代っていつ? → 市民革命以降の時代
市民社会って何? → 資本主義社会が市民社会
(社会主義社会は市民社会とは言わない。
生産手段の社会的所有により横並び社会では
あるが、反面、自由が制約されているため。)
我が国における近代市民法とは?
私権を確立するために制定された私法の基本法である「民法」のこと
これに対し、「憲法」とは、国家統治のあり方を定めた根本規範
政治指針であり、具体的な権利義務は表れない
近代市民法の根本理念 = “自由と平等”
ここから、次の3つの基本原理が導き出される。

近代市民法の基本原理
○所有権絶対の原則
○契約自由の原則
○過失責任の原則

○所有権絶対の原則とその修正
所有権絶対の原則とは
近代市民法の根本理念 = “自由と平等” であるならば、
個人が自由な意思で、平等な地位において手に入れた財産権、特に
その代表的な所有権は何人によっても侵害されない、という原則

この財産権をどのように行使しようが、これまた自由
= “権利行使自由の原則”
権利を行使する過程において他人に損害を与えようと、法に触れない
範囲内でならば責任は問われない。
資本主義経済の高度発展は、この原則に負うところが大きい。
しかし…
資本主義の発展 → 貧富の格差の拡大
一握りの独占企業がみずからの財産権を行使することにより
他人に損害を与えてもよいのか?多くの人が不幸になってもよいのか?
例: 公害問題、現在多発中の賞味期限偽造問題、etc…
20世紀に入ってから、この基本原理に歯止めがかかった。
「公共の福祉」 = 社会全体の共同の幸福 の思想の導入
この枠を超える権利の行使は 「権利の濫用」となる。
ワイマール憲法153条3項「所有権は義務を伴う」
(「公共の福祉」を世界に先駆けて明文化した。)
このように、「所有権絶対の原則」に制限を設けた。
ところが、この「公共の福祉」概念は抽象的かつ曖昧であり、
“諸刃の剣”の側面もあるという弱点を抱えている。
個人の自由が制限される。
権力者がこのような尺度を利用して、私権を恣意的に侵害する
危険性もある。
両者の整合性を取ることは、今なお困難な課題である…
 (回答日時:2010/8/1 20:57:00)

 驚く事には、上記「ベストアンサー」とは、「原左都子エッセイ集」2007年バックナンバーにて公開したエッセイ内容をほぼ“丸写し”したものである!

 さらにご丁寧なことには、質問した人からのお礼まで「知恵袋」内に書かれているのだが…

 素晴らしい回答ありがとうございました。これを参考にレポート作成を頑張ります。
本当にありがとうございました。 (コメント日時:2010/8/1 21:57:30)
  
 ちょっと法学部学生と推測可能な質問者さん、そのお礼は原左都子にするべきだろうが!!
 と怒りつつ、 当該「原左都子エッセイ集」バックナンバーの“原著”情報を以下に記述しておこう。(エッセイ全文をコピーすると膨大な字数になりますので、以下を参考にして原著を検索下さいますように。)

 「原左都子エッセイ集」“左都子の市民講座”カテゴリー 2007年12月16日公開 「近代市民法の基本原理とその修正(その1)」 に於いて、私は上記「ベストアンサー」にコピーされているのとほぼ同様内容の文章を綴り公開している。
 
 上記エッセイの公開時期をご覧いただければ一目瞭然だが、私が当該文書を公開したのが2007年、 「Yahoo!知恵袋」ベストアンサーとして取り上げられている回答の日付は2010年となっている。  誰がどう考察しても、この原著の「著作権」は原左都子にあるとお分かりいただけることであろう。
 しかも私が公開した“原著”とは、実はかつて高校教員時代に「商業法規」の授業内で高校生にも理解し易いように 「近代とはいつか?」 「市民社会とは何か?」 までの「現代社会」授業低レベルに引き下げ、苦労して私なりの簡単な注釈を施したことが今に至って懐かしい思いだ。 
 (要するに、決して大学生相手の学問内容ではないのに、法学部学生がこのエッセイになびいてくれる実態を喜んでいいのやら、悲しむべきなのやら…)


 などと、過去を振り返って懐かしんでいる場合ではないのは歴然だ。 
 「経営法学修士」を取得している原左都子として、 天下の Yahoo! に著作権侵害され黙っていられる場合ではない!

 ここで、「著作権」に関して万人に分かる範囲で紹介しておこう。
 著作権とは、言語、音楽、絵画、建築、図形、映画、写真、コンピュータプログラム等々、表現形式により自らの思想、感情を創作的に表現した者に認められる、それらの創作物の利用を支配することを目的とする権利をいう。 
 更に「引用」に関してもその一部を説明しよう。
 著作権法に基づいた一定の引用ならば問題はないが、著作権法において正当な「引用」と認められるには、公正な慣行に従う必要がある。 また、「引用」を行うに際しては引用部分を明確にして引用した著作物の明示が必要となる。

 要するに、「Yahoo!知恵袋」のベストアンサーとして選択された回答者の一番の法的過ちとは、回答文書が「原左都子エッセイ集」よりの「引用」であることを明記していない事にある。 
 それを確認するでもなく、「ベストアンサー」として2010年以来長い期間においてネット上に公開し続けている Yahoo! にも大いなる過失責任があることも間違いない事実だ。


 そうだとして、ネット大手業者ももう少し法的観点に基づいて営業活動してもらえないものなのか!?!
 今後のネット世界とは確かに若者層を中心に経緯していくであろうから、若者の動向に沿った方が営業利益に繋がり易いのであろうとしても…。

 それにしても、原左都子が2007年に綴った“左都子の市民講座”には日々多数のPVを頂戴している現状を認識している。 それは喜ばしい反面、繰り返すが、あのシリーズとは高校生相手に「商業法規」の授業内で分かり易く展開した当時の我が授業内容に基づいている内容に過ぎない。

 もしも現在法学を専門としている大学生が“左都子の市民講座”を日々ネットを通じて見聞してくれているとしたら、それはそれで嬉しい現実ではあるが…
 どうか学生の皆さん、我がエッセイを踏み台として今後益々学業に励み、大学で学んだ法学知識を活かしご自身なりの将来あるべき人生を築かれますように。

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絵むすび(朝日新聞1月18日編)

2014年01月20日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞1月18日別刷「be」に掲載されたパズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。 いつもながら、応募期間締切日に先立ち解答を公開しまして申し訳ございません。)


 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました!


 「原左都子エッセイ集」に於いて、朝日新聞「絵むすび」解答を公開するのは今回で5度目となる。

 実にありがたい事に、朝日新聞がパズル「絵むすび」を紙面で公開する都度、本エッセイ集“絵むすびバックナンバー”の閲覧数が大幅に増加する現象が起きる。  この現象とは、ネット各社検索画面「絵むすび」検索上位に我が「原左都子エッセイ集」がランクアップされていることを物語るものであろう。
 (と同時に「絵むすび」に関して理屈をこねてないで、とっとと正解を公表しろよ! との朝日新聞読者の本心なのか?!?)


 一昨日の土曜日から「絵むすび」検索にて我がエッセイ集をご訪問下さる方々が激増している様子だ。  「ははあ、今週の朝日新聞パズル欄に『絵むすび』が取り上げられているな」と直感するのはいつものことだ。 ところが、我がブログの編集ページを覗いて驚かされたのは、今回の場合その閲覧数(PV)がおびただしい数に上っていたことだ。
 元々大した閲覧数のない我がエッセイ集の今週土・日の「絵むすび」関連閲覧数だけで、400PV近くに上っているではないか!

 私の場合、土日の新聞に目を通すのが大抵は週明けの月曜日となるのだが、このPVの多さに応えようと昨夜早速18日土曜日の朝日新聞パズル欄を開いたところ、案の定「絵むすび」が取り上げられていた。

 ところがあいにく(と言うよりラッキーにも)昨日夜の時間帯になって、自己所有不動産賃貸物件への入居申し込みが舞い込んで来た!  不動産会社担当者と電話にて何度か賃料を主とした賃貸借契約条件に関し最終折衝及び最終確認を重ねる合間に、私は果敢にも「絵むすび」回答に励んだのだが、どうも集中力に欠けているようで、どうしても回答不能だ。
 夜9時になり、不動産会社担当者との賃貸借契約合意が成立した時には私は疲れ果てていた。

 本日になって、改めて不動産会社より賃貸借契約事項及びその締結手続きに関する最終確認の電話が入った。 一仕事を終えた気分で心底肩の荷が降りたものだ。
 (参考のため申し上げると、不動産賃貸とは仲介会社に任せ切りではなくオーナーが頭を振り絞り積極的に動いてこそ入居者ゲットに繋がることを実感させられる。 特に現在は不動産賃貸に関して法的にも国家政策的にも「借り手市場」の時代である。 まさか「貸し手」側オーナーとしてふんぞり返っている人など今時皆無であろうが、安定賃料を得るためにはオーナーとて実に厳しい冬の現実だ。

 話題が今回のエッセイとは無関係の分野である(今朝公開した不動産賃貸借関連)エッセイに大幅にズレました事を、お詫び申し上げます。

 
 さて気持ちを入れ替えて、1月18日「朝日新聞「絵むすび」版は 「レベル4」との事だ。
 いつもならば何かの合間にチョチョっと解答して終了できたのに、さすがに昨夜のうちには解答不能だった。
 それでも、午前中の自己不動産物件賃貸借契約締結に関するすべての段取りに目星がついた私は、大いに肩の荷が降りた思いだ。

 
 ゆったりとした気分で改めて上記「レベル4 絵むすび」課題を眺めていて、私は気が付いた。
 いくら「レベル4」とは言えども、無駄にくねくねと曲がる回線を出題者が要求していることはあるまいと。
 あくまでも「無駄にくねくねと線を回さない!」との“我が哲学”に徹して全体像を見渡して、私が一番に気付いたのは「だるま」を下から回すことである。
 その後は簡単だった。 
 
 出来上がった上記写真の正方形内全体図の構図をご覧下さればご承知いただけるものと心得るが、「正解」とは図柄としても美しい“完成型”なのであろう。


 それにしても娯楽分野のパズル「絵むすび」など、人それぞれが個々に楽しめば済む範疇の話題と位置付けるのがいつもながらの原左都子私論結論である。

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新日鉄火災  社会に対する説明責任を放棄する気か!?

2014年01月18日 | 時事論評
 昨日(1月17日)午後1時のNHKニュースを見ていた私の身中に戦慄が走った。

 17日正午ごろ、愛知県東海市の新日鉄住金名古屋製鉄所内で火災が発生したとの速報と共に、現場の映像が数分に渡って流されたのだ。
 その映像によると、広大な敷地内工場の至る所から燃え盛る火と濛々と立ち上がる黒煙の数々が写し出されている。
 更に不気味なのはNHKアナウンサー氏の説明によると、この大火災に関する情報が何一つ得られていないとの事だ。 工場内には2000人を超える作業員が勤務しているがその安否も一切不明、との報道が私の戦慄に追い打ちをかける。

 しばらくこのニュースを見守っていたのだが、NHKのニュース時間内には詳細報道が入手不能だった様子で火災報道は中途半端に打ち切られた。
 (もしや、大参事か!?!)なる不安感で身震いしつつ、私は行きつけのスポーツジムへ出かけた。 そのジムでも新日鉄火災その後の推移が大いに気になり、いつものようにトレーニングに集中できない。 夜帰宅したら一目散にニュース報道を確認しよう、との思いばかりが募った昨日午後だった。


 折しも、昨日は阪神・淡路大震災発生後19年目を迎えた。

 19年前の1月17日の歴史的大震災の日を私は忘れることはない。

 あの日私は1歳になってまもない娘と二人で自宅にいた。 1月下旬に住居を買替え転居を予定していた我が家に、売却仲介不動産会社の担当者が不動産売却の最終確認でやって来た。 まだ午前中の時間帯だったのだが、その担当者が我が家を訪れるなり発したのが、「神戸で大きな地震が起きて何百人もの死者(当日午前中時間帯の報道に基づいている)が出ているようです!」
 訳が分からないままに仰天した私だ。 それまで歩んできた私の人生において、我が国内で地震による死者数が何百人にまで上る大参事を経験していなかった。
 その後不動産会社担当者と何を最終確認したかの記憶は全くない。 とにかく担当者退室後、急いでテレビのスイッチを入れた私だ。
 そのテレビ映像を一見して、(これは死者数百人などでは済まされない歴史的大参事だ!)と辛くも恐ろしくも悟らざるを得なかった…。

 とり急ぎ私がとった行動とは、神戸に海を隔てて程近い地にある実家に様子確認の電話を入れることだった。 幸い実家現地では震度4程度の揺れだったらしく、さほどの被害は出ていないらしい。 
 夜になって、滅多に電話をよこさない米国在住の姉より電話がかかってきた。「アメリカでも日本阪神地方の大地震についての速報報道があるが、どうなのか??」 その時点では死者数報道が既に千人単位となっていただろうか?? 
 その日は夜遅くまで阪神地方被害の生々しい現実をテレビ報道を通して見守り続けた。
 その中で私が一番ショックを受けたのは、神戸市長田区の街全体が地震に伴い発生した火災により燃え盛っている映像だった。  こんなにも壊滅的被害を被っている長田区市民がどう逃げればよいというのか… “真実は小説よりも奇なり”と言うが、映画でも見たことのないこんな悲惨な出来事がこの世に本当に発生してしまうのか…… 
 世の無常の現実を叩き付けられ、やるせない思いを募られたものである。


 話題を変えるが、実は私は成人後身近な場所での火事現場を数回経験している。

 その一つは20代前半に勤務していた職場の近くにおいてだった。 午後の時間帯だっただろうか、近くのタイヤ工場から黒煙が上がり始めた。 火事発生時に職場に居たことが幸いして、職場内での火事等危機管理措置対応がすぐに機能した。 まだ未熟者の私は指定された場に避難するのみで、結局我が職場までの延焼被害はないままに済んだ。

 その次は20代後半時期であるが、真夜中に5軒程隣の住居が全焼した。 消防車のサイレンで目覚めた私は、その家が燃える風景を確かに見た! ところが避難等の誘導指示が一切なく自主避難時代背景だったのか、誰も何も言ってこない。 ここでこのまま居ていいのかどうかの判断がつかないまま、私は近燐火災の消火活動を見守った。 鎮火を見定めて私は再び眠りについた。

 次なる火災の試練は、我が子幼稚園時代の出来事である。 娘を徒歩で幼稚園へ迎えに行った後帰宅道中にあるコンビニに立ち寄った。 その直前に、上空に黒煙が少し吹き出ているのを確認していた。 それを軽視してコンビニ内で5分程買い物をして外に出ようとした私は、周囲が黒煙で立ち込めているのに仰天した。 娘に口を塞ぐよう指示しつつ、親子で一目散にその場から逃げ去った。  集合住宅の自宅に戻り上階から火事現場を展望すると、更に黒煙が上空まで拡大していた。
 結局、この火災は1階にコンビニがあるビルのすぐ裏に位置するビル火災だったことが後で判明したのだが、火災とは発生当初はそれが火災とは判断しかねることを学習させられたものだ。


 話題を、冒頭に紹介した昨日の新日鉄火災に戻そう。
 
 夜自宅に帰り着いた私は、即刻上記「新日鉄火災」続報を得ようと、テレビのニュース報道に注視した。
 ところがどうしたことか、NHK7時のニュースは元より何処の民放ニュースにチャンネルを切り替えても、「新日鉄火災」に関する報道がない。
 夜9時になって、NHK「ニュースウォッチ9」のサブキャスターである井上あさひ氏が初めてこの大火災に関する報道を伝えてくれた。 
 その井上氏の解説によると、今回の新日鉄火災とはあくまでも“内部火災”であるが故に新日鉄内部にてすべて対応済みとの事だ。

 ここで、ネット情報より「新日鉄火災」に関する追加情報を紹介しよう。
 東海市消防本部などによると、第7コークス炉の高さ約10メートルの部分から出火した。製鉄所内の発電所と、別の建物内からも炎が上がった。死傷者や行方不明者の報告は午後1時半現在で入っていないという。  製鉄所の職員が一時、消火を試みたという。 
 その後、愛知県東海市の新日鉄住金名古屋製鉄所で17日に発生した火災の原因は、構内の発電所にある配電設備のショートとみられることがわかった。 火は作業員が消し止め、けが人はなかった。一方、コークス炉から噴き出した炎や黒煙は炉内のガスが燃焼したもので、同製鉄所は火災にあたらないとした。 黒煙の噴出は夜も続いたが、市などによると健康被害を訴える人は確認されていない。
 愛知県警や同製鉄所によると、作業員が発電所の電流を流すスイッチを更新する作業中、配電設備がショートして出火。停電が発生し、コークス炉への送電ができなくなった。石炭を蒸し焼きにする過程で発生するガスが炉外に噴き出すおそれが生じたため、非常装置が作動してガスを燃焼させ、大量の黒煙が出たという。 新日鉄住金は同日の記者会見で「お騒がせして申し訳ありません」と謝罪した。


 
 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 昨日はまさに「阪神・淡路大震災」発生から19年目を迎える日だった。 
 時悪くして新日鉄製鉄所現場で大火災が発生したのは、単なる偶然の出来事だったのかもしれない。
 そうだとしても、大震災及びそれに追随して発生した大火災の下で、かけがえのない命を失わなければならなかった多数の市民の皆さん及びそのご遺族の方々のやり場のない思いに、新日鉄は少しでも思いが馳せられなかったものなのか??
 しかも今回の新日鉄火災に関しては、地域住民の方が「いつもとは違う火や黒煙が出ている」との切羽詰まった一報を公的機関に連絡しているとの報道だ。 それら地域住民の皆さんに配慮してこそ成り立つ巨大企業存命ではないのか!?

 昨日発生させ世間を騒がせた「新日鉄(内部)大火災」に関する社会への正式な謝罪を、是非共メディアを通して一度は拝見したい思いの原左都子である。

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子どもとは親が育てた通りに育つもの

2014年01月16日 | 教育・学校
 (何度も娘の振袖姿を披露して恐縮だが、写真は先だっての成人の日に都心ターミナル駅に程近いファッションビル内で撮影したもの。)


 今回のエッセイは、前々回のバックナンバー 「我が娘よ、心から成人おめでとう!」の続編となる。

 当該バックナンバーでは、2009年3月に公開した 「We can graduate!」 と題するエッセイを参照しつつ、娘誕生以来中学を卒業するまでの道程を中心として、親子で歩んだ壮絶かつ苦難の日々に対する我が感慨深い思いを綴った。 (よろしければ、前々回のバックナンバーをご参照下さい。)

 エッセイ最後の部分のみを以下に再び紹介しよう。
 あれから5年の月日が流れ、我が娘は明日「成人の日」を迎える。  上記紹介の娘中学卒業時点で綴った我がエッセイを本日読み返してみて、原左都子自身が実に感慨深く思うと同時に、その後5年間の娘成長の度合いとは筆舌に尽くしがたい程の急発展ぶりだ。
 娘幼少の頃には、これ程までに成長した姿で我が子が「成人の日」を迎えられるとは 「お抱え家庭教師 サリバン」の私とて予想だにしていなかった。  
 もちろん未だ多少の課題を抱えている娘ではある。 だが、親である私の予想を大きく覆す成長を遂げ明日立派に「成人の日」を迎えようとしている娘が今ここにいる。  その姿、そして我が「お抱え家庭教師」として苦悩努力した日々の歩みや娘に対する思いを今一度分析し直し、次回以降に我がエッセイ集にて紹介したいと考えている。   同じような子供さんを持ち現在苦悩されているご家庭の一助となれば嬉しく思いつつ…。 
 (以上、前々回バックナンバーより一部を引用。)


 本題に入ろう。

 上記に紹介した今からほぼ5年前の娘中学卒業時点では、不安材料をまだまだ数多く抱えていた。
 子どもとは親の背中を見て育つもの。 そして、親が育てた通りに育つもの。 そう信じつつ「お抱え家庭教師 サリバン」の私はいつかはその夢が叶う日の姿を脳裏で描きつつ、まだまだ日々切磋琢磨していた。

 高校に内部進学した我が娘は、もちろん彼女なりにある程度の素晴らしい成長を遂げていた。 それまでと何ら変わりない真面目な態度の学習習慣を貫きつつ、校内(大して偏差値の高い高校でなかったことが幸いして)ではそれ相応の学業成績を修めていた。 
 同時に小学校の頃より造形美術方面専門家の下で精進させていたことが幸いして、高校入学と同時に自らが美術分野への進路志望をそれとなく志したようだ。 それを目敏く察した私は、すぐさま娘を夜間の美大予備校へ入学させた。

 ところがこれが大失敗と相成る運命だった。
 今までずっと娘の教科学習「お抱え家庭教師」として二人三脚で歩んできた私だが、何分美術に関しては自分の専門とは程遠い。 それ故にその専門である美大予備校に娘を入学させたものの、デッサン、色彩構成等々描くもの描くものが(レベルDなる)とんでもない低評価を容赦なく予備校から下される日々だ。 それでも私は娘の美術力を信じて陰ながらその上達を願っていた。 親の欲目では、娘の美術力は少しずつではあるが上達していた…
 高3進学前の春になって、娘が涙ながらに私に訴える。 「自分には全然美術の適性がないから、他分野に進路変更したい…」 忍耐強い娘が本気で大粒の涙を流す姿を見たのは幼少の頃以来だっただろうか…。 実は美術方面では娘に能力以上の期待をしていたことを薄々承知していた私は、すぐさま、「分かった!」と返答した。 
 その上で娘の進路先代替案をすかさず尋ねた私だが、その回答とはさすが私が育てている我が娘だったものだ。 厳しい「お抱え家庭教師」である私からそれを問われることを重々想定した上で、娘なりに高3直前に意を決した進路変更意思決定だったことに私こそが降参の思いだった。
 (参考だが、私は美大予備校担当教員氏とも娘の実態や指導のあり方等々に関して十分に話し合った。既に2年間の修業を積ませているのに、親としてこのまま黙って引き下がれる訳がないからだ。 担当教員氏の対応は真摯だった。これから入試までの1年こそが勝負時であるのに、今リタイアするのは予備校側としても実に無念とも言って下さった。 それでも私は娘の涙と進路変更意思を尊重し、後の1年を変更先進路成就に賭けるとの決断を下した。)

 その直後の我が対応が迅速・綿密かつ的を射ていた事が、「お抱え家庭教師」決定的な場面での“火事場の馬鹿力”だったことを自分で褒めたい思いでもある。
 即刻、娘が通っている私立高校から配布されている「校内推薦規定」及び「推薦先大学側の推薦基準」を確認した。 そうしたところ娘が新たに目指す方面の「推薦」基準を満たしており、結果として高校から辛くも推薦を得られたのである!

 娘は自分自身が新たに目指した大学入学の「公募制推薦」合格が叶い、現在その大学専門分野での学業に日々励んでいる。(断っておくが信憑性不明なコネになどには一切頼らず、あくまでも我がお抱え家庭教師力一本で大学推薦合格を導いてきているぞ!)
 今後大学卒業そしてその後に及んでまだまだ「お抱え家庭教師」としての不安材料が盛沢山であるのが正直なところでもある。 それでも、大学ゼミ教官を筆頭に他の教官の方々より頂いた娘宛の年賀状返答を覗き見すると、娘が地道に大学で頑張っている姿が想像可能なところが親としては少しばかり嬉しく顔がほころぶ次第だ。


 最後に私論で締めくくろう。

 子どもとは親が育てた通りに育つことを、娘20歳にしてやっと実感でき感慨深い思いである。
 出生時に事情を抱えてこの世に誕生せざるを得なかった我が娘の場合、親である私がその実感を得るために長い年月を要したのが事実だ。 

 そうだとして、もしも我が子が生来的に何らの障壁もなくこの世に誕生していたとしたら、私はこの子に「いい大学・いい就職」等々の単純に歪んだ英才教育でも施したのだろうか??

 私の場合は、どう転んでもそうではなかったような気がする。 それと言うのも、私自身がその種の表面だけしつらって中身のないくだらない人生には全く興味がないためだ。 そんな世界とは無縁の一貫した意思の下で、我が人生を意欲的に歩んで来ていると考察・実感するからだ。
 もしも我が子がこの世に普通に産まれ出ていたとしたなら、少なくとも私の娘の教育指導に関して裂く時間が大幅に軽減された事は事実であろう。 それでもおそらく私は基本姿勢として現在と同じような指導教育を娘に施し、我がポリシーに満ち溢れた親としての背中を見せつつ娘に接したであろうと思う。

 今後も親として娘に見せる姿は娘成人の後も何ら揺らぎなく、一生に渡り普遍であろうとの確信がある。

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成人の日に見た若者像雑感

2014年01月14日 | 時事論評
 (写真は、昨日成人の日に娘、義母と共に出かけた東京巣鴨とげぬき地蔵にて撮影した娘と私の写真。)

 

 我が娘はほぼ1年程以前から、来る自分の成人の日に自治体が主催する「成人式」に出席するべきか否かに関して大いに迷っていた。
 そもそも集団内では極度に寡黙とならざるを得なかった高校生時代までの娘である。(大学生になっている現状に関しては集団内の様子を心得ていない母の私だが…。) そんな娘が「成人式」になど好んで出席するはずもないのか、との分析も可能であろう。
 それ以前の問題として娘は現在の住居地には小学校3年の冬に転校して来たため、小学校時代の同級生とはわずかな期間の付き合いだ。 加えて中高時代は自宅から程遠い場所にある私学に通い、現在では地元の同級生と会合する機会が一切ない。 娘の談話によれば同じく電車で遠距離通学している小学校時代の同窓生も少数ながらいるはずだが、今となっては皆が大きくなり風貌が大幅に変化し、もし会っているとしても誰が誰だが識別不能状態との説明だ。  大学とて同様どころか学生の通学区域がより広範囲となるのは必然的で、付近には娘が通う大学へ通学する学生は誰一人として存在しない。

 片や、娘の振袖は1年前に既に仕立て上がって手元に届いている。
 その振袖を目の前にして、愚かな私は娘に告げた。 「成人式など私も出ていないからどっちでもいいけど、こんなに素晴らしい振袖が仕立て上がったんだから、大人になった自分の晴れ姿を皆に“披露”する意味で成人式に出席したらどうなの???」  それに対し、「う~~ん……」と考え込む我が娘だった。

 その後1年足らずの年月が経過し、娘が出した結論とは 「やはり、成人式には出席しない。」である。
 多少残念には思いつつ、性懲りもなくその「残念」の“意味合い”が親として低レベル過ぎる事にも気付かされる…。 (せっかく大枚はたいてあなたの振袖を仕立てたんだから…)との馬鹿さ加減……
 いやはや、愚かな私だ。
 可愛い娘に振袖を着せたい思いばかりが優先して、娘が「成人」するという本来の考察がすっかり抜け去っていたことを改めて思い知らされる私だ。  一方で、娘本人は自分なりの「成人」のあり方を見つめていた事に感激させられた次第である。

 さてそんなこんなで、娘成人の日当日のスケジュールに関しては娘の考えを第一義として尊重実行することと相成った。
 まずは娘振袖のスポンサーである祖母(私にとって義母)にそのお礼をする目的で、義母を招待しての「成人祝い会」を義母実家に程近い地の寿司屋個室を予約して執り行うことと決定した。


 その前に振袖着付け及びヘアメイクを施した娘を、昨日、東京都心ターミナル駅に位置するファッションビル上階の美容室まで迎えに行った私だ。
 その後混雑する人混みをかき分けつつ大都会を移動する我々に、視線を投げかけてくれるのはお年寄り達でしかない。  その他大勢の人の視線とは、「鬱陶しいなあ」「こんなところで振袖を来て歩かれても歩行の邪魔だ!」とでも言いたそうな様子が見て取れる有様だ。

 (とにもかくにも都心とはいつも混雑しているのが現状と心得つつ)、私の関心は主に成人式前後の若年層(特に女性)に及ぶ…。  おそらくその年頃女性達とは、「自分と比べてどっちが綺麗だろうか??」なる感覚を内心抱きつつ我が娘の晴れ姿を横目ででも観賞するのかと思いきや、その無関心さには心底驚かされる事態だ。
 当日は「成人の日」祝日であるが故に、若者達も数多くターミナル駅や首都圏交通機関に出没している。 にもかかわらず、振袖を着ている我が娘を(故意か自然体かは判断不能なものの)、皆が皆“無視”して通り過ぎるのだ。 その「不自然さ」にこそ私が驚かない訳もない。 もしも我が娘が振袖など着てチャラチャラ歩いている姿が癪に障るのならば、「バーカ!」「鬱陶しいよ!」などとの罵声でも浴びせてくれれば、よほど貴方たちの思いの程も分かる気がするのだが…
 公教育に於ける「横並び教育の所産」(本エッセイ集2007年冬頃のバックナンバーをご参照下さい。)故に、これが現世に於いては自然の姿なのか。 あるいは今の厳しい世の中を生きねばならない若者達の「故意」の行動として「無視」を貫くのが“王道”であるのか。 計り知れない思いを抱きつつ我々一家は巣鴨とげぬき地蔵へと向かった。

 片や、とげぬき地蔵までの道中でお会いする見知らぬ高齢者の皆さん(特に女性陣)の素直な我が子への「成人の激励」のお言葉の数々には感激ひとしおだったものだ。
 上記写真も、とげぬき地蔵で一期一会した女性に撮影して頂いたものである。

 寿司屋個室での親族会合を終えた後自宅に程近いメトロ駅に降り立った時点で、娘の振袖姿を見た通りがかりの同年齢層と思しき女性グループより、「“この子”は綺麗だ!」なる評価を頂いた。(その女性達が見たその他成人振袖女性は“綺麗ではなかった”のだろうか!?!)
 いやはや、親の立場としては若年層より初めて頂戴した“お褒めのお言葉”に実に嬉しい思いだった。
 その若者女性軍団の我が子への評価の程が“客観的”過ぎる事態に多少懸念を抱くものの、「好評」とはもらってこその思いを再確認しつつ自宅へ急いだ我が親子である。


 それにしても、大都内で出会う若者層が周囲の人間や物事・出来事に“無関心”過ぎる事態に、大いなる懸念を抱かされた昨日だった。
 「成人の日」を迎えた女性達が振袖を着ている姿など、確かにそれと無関係の若者にとっては二の次の命題ではあろう。
 そうだとして、それ以外の社会現場で接する有事の出来事や現象に際しても、これら若者達が“無関心”や“知らんふり”を貫き通すことを常識としてるとすれば、これぞ学校現場の「横並び教育」の負の所産と結論付けたくなったのが昨日成人の日の私の雑感である。

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我が娘よ、心から成人おめでとう!

2014年01月12日 | 教育・学校
 (写真は、明日1月13日成人の日に娘が着る振袖絵柄の一部を昨日撮影したもの。 新しいパソコンの写真処理に不慣れなため、せっかくの素晴らしい花絵柄の色彩が不明瞭で残念です。 明日娘が実際この振袖を着用している写真を撮影し、後日披露させていただく予定でおります。)


 長い道程だった。

 この一文で始まる我が子指導教育の道程に関するエッセイを綴り公開したのは、ほぼ5年前の2009年3月のことであった。
 「We can graduate!」 と題する「原左都子エッセイ集」バックナンバーの一部を要約して再び以下に紹介させていただくこととしよう。

 一昨日、我が子が中学校を卒業した。  娘誕生以来中学卒業までの期間は、我々親子にとって実に長い道程だった。
 我が親子の義務教育の9年間は、まるで“ヘレン・ケラーとサリバン先生”のごとくの親子関係と表現可能だ。 我が子が持って生まれた事情に即した子どもの学ぶ“権利”を最大限保障してやりたいがための、親としての“義務”との格闘の9年間だったと言える。
 当ブログバックナンバー「医師の過失責任」において既述しているが、出産時のトラブルにより仮死状態で生まれざるを得なかった我が子は、多少の事情を抱えての誕生だった。
 瑕疵を抱えて誕生した子供のケアは早期から着手するほど効果が高いとのことで、子ども3歳時より親子で某教育研究所に通いつつ、家庭では“サリバン先生”としての娘に対する私の本格的な「教育」が早くも始まった。
 小学校入学直前に学校は保護者を対象に説明会を開催するが、その時点で「自分の名前を“ひらがな”で書けるようにしておいて下さい」との指示がある。 誰だってその程度の事なら放っておいても出来るに決まっている、とお考えの方が多いのであろう。 ところが世の中には自分の名前をひらがなで書かせることに手取り足取りの指導を要して、何年もかかる子どもも存在するのが事実だ。 我が家の場合は某教育研究所を通して既にその情報は得ており、小学校入学時に娘が単独で名前をひらがなで書けるようになるための段階を経た学習を3歳時点から開始している。 お遊び半分で線を引くことから開始し3年間かけて入学までに何とか間に合ったというのが当時の実情である。
 小学校入学後は子どもの学習机をリビングにおいて、学校での学習の復習を来る日も来る日も私が付きっ切りで行い、確実な学習内容の理解に努めさせた。
 中学校進学段階で我が家が私立の中高一貫校を志望したのは、高校受験における私の教科指導の負担を回避するためというのが実は本音の理由である。  進学した私立中学校が学習指導力のある学校だったため、そのお陰で家庭学習における私の負担は大幅に軽減した。 それでも中学2年の半ば頃までは、国数英の3教科に関してはやはり私がそのすべてに目を通し更なる指導を加えた。  中2半ば以降は本人の学習意欲を尊重し、私は子どもの家庭学習から一歩退き、子どもの疑問質問にのみ答える方針に切り替えて現在に至っている。
 以上のように私も娘と共に学んだ9年間だった。  私は人生において2度、義務教育の学習をしたような感覚である。 いや、自分自身が学ぶことは容易であるが、人に指導する事とは自分が学ぶ何倍ものエネルギーと忍耐力を要するものだ。
 底辺高校(失礼な表現をお詫びするが)での教員経験のある私ですら、我が子の指導は特に小さい頃程難儀を極めた。 堪忍袋の緒が切れて娘に手を上げたことも何度かある。 自己嫌悪から泣けてしょうがなかった。 子どもが泣く横で私も一緒に泣いた。 親子二人でどれ程の涙を流してきたことであろう。
そんな娘も、生まれ持った素直さと忍耐力の賜物で、学習面においては何ら見劣りがしない程の学習能力を身につけての中学卒業である。  もしかしたら、我が子ほど9年間に渡り弛まぬ努力を続けた小中学生は他に類を見ないかもしれない。
 “学ぶ権利”と“学ばせる義務”。 ふたつの力の二人三脚で、我が子の「学び」に対して真っ向から立ち向かった我が家における義務教育の9年間だった。
 心から、卒業おめでとう。   We can graduate! 
 (以上、娘が中学校卒業時点で綴った本エッセイ集のバックナンバーより一部を引用。)


 あれから5年の月日が流れ、我が娘は明日「成人の日」を迎える。

 上記紹介の娘中学卒業時点で綴った我がエッセイを本日読み返してみて、原左都子自身が実に感慨深い思いである。 それと同時に、その後5年間の我が娘成長の度合いとは筆舌に尽くしがたい程の急発展ぶりだ。
 娘幼少の頃には、これ程までに成長した姿で我が子が「成人の日」を迎えられるとは 「お抱え家庭教師 サリバン」の私とて予想だにしていなかった。
 
 もちろん未だ多少の課題を抱えている我が娘ではある。 だが、親である私の予想を大きく覆す程の成長を遂げ明日立派に「成人の日」を迎えようとしている娘が今ここにいる。  その姿、そして我が「お抱え家庭教師」として苦悩努力した日々の歩みや娘に対する思いを今一度分析し直し、次回以降に我がエッセイ集にて紹介したいと考えている。

 同じような子供さんを持ち現在苦悩されているご家庭の一助となれば嬉しく思いつつ…。

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学力とは“見えないものを見ようとする興味”

2014年01月08日 | 教育・学校
 今回のエッセイは、前々回公開した 「教育格差と“幸せ度”との相関関係」 にも関連するエッセイとなろうか。

 上記バックナンバー内で記した私論結論部分のみを以下に要約して紹介しよう。

 「教育格差と『暮し』との関係」なるテーマは、以前より教育関係者を筆頭に世論において好んで議論されている話題であろう。  その相関関係を大袈裟な社会問題に転嫁する以前の問題として、教育現場においてより優先するべきは、子供自身の個性や多様性に応じて臨機応変に対応することであるはずだ。
 いわゆる「出来の悪い子」との差別発言こそを、教育現場が作り上げている現状と私は結論付けている。 ところが「出来が悪い」などとの一言で片隅に置かれねばならない子供たちが、この世に存在するはずがないのだ。
 正月三が日の最終日に久々に目にした我が家の上階に住む(教育経験が乏しい)某女性が、若年にして赤ちゃんを授かったようだが、本気で恋愛して自らの意思で我が子を産んだと私は信じたい。 子を持つ親となったことで彼女が今後ますます成長できることを望みたい。  色々な人生があっていいと私は思う。  教育経験が少ない若年層とて、本人の信念で次世代を生きる赤ちゃんを立派に育てていくことを祈ろう。
 教育格差と人の幸福度を深い思慮なく面白おかしく相関したがる教育業界や世論こそが、短絡的であるとも考察可能ではなかろうか?   相田みつを氏もおっしゃっている通り、幸せとは自分自身のこころが決めていいはずだ。
 (以上、当エッセイ集前々回バックナンバーの私論結論部分のみを要約引用。)


 さて、話題をガラリと変えよう。

 正月明けに放送が再開したNHKドラマ「ごちそうさん!」の現在のテーマは、「子供の教育」であるようだ。
 どうやら主人公 め以子 の長女 ふ久 が多少個性の強い存在との設定である。

 実は私は、め以子の義理妹である希子の寡黙な姿が我が子幼き頃とダブる思いでドラマを見守っていた。 我が娘の場合は、家庭内及びごく親しい人達との関係においては特段の問題はなかったのだが、一旦学校等の集団内に身を置いた場合に、怯えた表情で特異的に寡黙となる現象が高校時代終盤まで続いた。 (いや、大学生になっている現在もその習性を続行しているのかもしれないが、何分大学キャンパス内での我が子の様子を見る機会がないため、親である私が承知していないだけの話かもしれないが…。)
 希子の場合、随分と成長し現在ではアナウンサーとのキャリアウーマンになるまでの発展を遂げている。 我が娘も(あくまでも私が同席している場においては)見知らぬ相手に対する対人関係が急成長している姿に目を細める母の私だが。

 め以子の長女 ふ久 に話を戻そう。
 この子が登場した当初より、私は脚本家氏が“科学者の卵”的素質を持った子として ふ久 を描きたいのだとの印象を抱いた。 ところが ふ久 の場合、既に8歳にして自分の興味対象にのみ集中するが故に、周囲への迷惑が顧みれないとの設定である。
 実は原左都子自身も ふ久 的“科学者素質”の片鱗が幼少の頃よりあった記憶がある。 ただ私の場合は、周囲環境への適合との客観的気質が自分の興味対象に没頭する以上に先天的(一部は後天的?)に身に付いていた。 それ故に、学校等の集団内で何らかの問題を起こすどころが、(悲しいかな)「いい子」としての子供時代を全うさせられてきている。(これぞ我が学校嫌いの根源か?、とも現在分析するのだが…)
 そんな私にとっては、むしろ自分の興味対象にだけ没頭できる類稀な能力を天然質で生まれ持っている ふ久 こそが羨ましくもある。

 まあそれにしても ふ久 的特質がある子供を持った親とは実に大変であることは想像可能だ。
 我が娘幼少時代やめ以子の義理妹希子のように、その存在が“極端に寡黙”な場合は周囲に迷惑を及ぼすことはない。 学校現場で黙り込み自己主張をしないが故に放置されている事を幸運として、後は親の教育指導力で立ち回れば事が足りる。
 それに引き換え、ふ久のごとく自分の興味事にしか関心がなく、友人に怪我をさせても学校内でボヤ騒動を起こしても、周囲への迷惑の程に一切想像が付かない児童に対する学校現場の苦悩の程を推し量って余りあるともいえよう。


 おそらく、ふ久 とは平成現在の学校教育現場においては「発達障碍児」の範疇に収まるであろうと私は想像する。 現在の公立小中教育現場においては、「発達障碍児」に関する教育手段も多様化を遂げていることであろう。

 ただ困難な課題は、当該児童が学校教育が定めた枠内に収まり切れない“超天才”との可能性も否定できない場合もある事態だ。 それでも、学校とは児童生徒に「普通」であることを求め続け個性を潰し続ける存在でしかない。 そうでなければ現在の学校教育制度自体が成り立たない現状である。 
 これをどうにか改善できないものかとも私は思う。

 NHKドラマ「ごちそうさん!」が、如何なる意図でめ以子の義理妹希子の寡黙ぶりや、長女 ふ久 の迷惑度合を取り上げているのかは原左都子には計り知れない。  
 ただ、現在の学校教育現場において顕著な現象である「発達障碍児」の増殖を一つのテーマとしたいのならば、どうか今後その実態を“丁寧に”描いて欲しいものである。 一旦この困難なテーマを脚本家氏が取り上げたならば、少なくとも視聴者に誤解のみを与えて、ふ久をテキトーに成長させることだけは勘弁願いたい。


 それにしても今回のエッセイ表題に掲げた通り、原左都子の私論としては「学力とは“目に見えないものを見ようとする興味」と結論付けたい。
 アインシュタインだってエジソンだってそんな子供時代を過ごしたが故に、子供の頃は変人扱いされて今で言う「発達障碍児」の部類に当時位置づけられていたようだ。

 目に見える現象のみを追い続ける人生があってもいいだろう。
 ところが目には見えない科学・学問の世界に触れる経験、それを探究し続ける事こそが豊かな人生を歩む源であると私は信じたい。
 今現在尚、世間一般への客観的視野・配慮を第一義として大事にしつつ、科学・学問への興味も失わないそんな人生を培っていきたいと志ている原左都子だ。

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教育格差と“幸せ度”との相関関係

2014年01月04日 | 時事論評
 正月三が日最終日だった昨日(1月3日)、やっと重い腰を上げて近くの神社に初詣にでも出かけようかとの気になった。
 同じく自宅でうだうだ過ごしている娘を伴い、前回のエッセイで紹介した我が家に程近い“人気神社”へ出かけたものの、1月3日にしていまだ予想以上の混雑ぶりで長蛇の列が出来ているではないか!

 メディア報道によると、どうやら今年は例年に増して初詣に出かけた国民が多数だったとのことだ。 アベノミクス経済政策で恩恵をこうむっているリッチ層国民が“ほんの一握りの実態”を思い知らされる風景ではなかろうか。  国政の歪んだ経済政策により“貧富の格差”が急激に拡大しつつある現在、末端国民の皆さんが採る行動とはとりあえず“神頼み”といったところであろう。

 結局長蛇の列を一見して辟易とした我々親子は近くの神社での初詣は諦め、急きょ歩いて行ける距離にある娯楽施設で新年の一日を楽しむスケジュールに変更した。
 そして訪れた場所とは、前々回エッセイ内で紹介した都内某所に位置する遊園地なのだが、親子連れを中心にそこそこ混雑している。 冬季はスケートリンクも併設している当該遊園地だが、そのスケート場がこれまた大混在状態だ。 これではスピードなど出せないのはもちろんのこと、もし一人が転んだならば将棋倒しが起きニュース沙汰になる程の負傷者を出すのではないか!?! と、傍で見ていて娘と共に気をもまされたものだ。
 娘幼少の頃より引き連れよく通っている当該遊園地であるが、その寂れ様が痛々しくもある。 遊具設備は老朽化し一昔の栄光の程がはかなくもノスタルジー化の一途だ。 せめてもの対策として夜間はイルミネーション公開を売り物としているようだが、これまた全国各地観光地の例外ではなく、点灯時間が17時15分と随分遅い時間帯設定がせいぜいの経営収支生命線なのであろう。
 それでもとにかく、せっかくこの地を訪れたのだからイルミネーションを観賞した後で夕食をとる段取りとして、その後我が家に帰宅した。

 
 さてその後、我々親子が自宅集合住宅に帰り着いたのは夜8時頃だっただろうか?
 小規模集合住宅のため普段共用場所で居住者と出くわすことは滅多にないのだが、昨日はちょうど玄関前に停車している車と出会うはめとなった。 その車から降り立った女性がベビーカーを押している風景を我々母娘はおそらく50m程後ろ手の離れた地点から見る形となる。 車はその後すぐさま玄関前から発車した。

 このベビーカーを引いた女性こそが、今回の「原左都子エッセイ集」の主役である。

 実は私は、この女性に関し数年前のバックナンバーに於いて綴り公開している。 今一度、当該女性が少女だった頃の様子を少しだけ以下に紹介させたいただこう。
 我が家の娘と同じ一人っ子、そして一つ違いのその少女には、母親が存在しないかあるいはほとんど在宅していない様子だった。 そのため少女は幼き頃は学童保育の世話になっていたようだが、小学校高学年以降は放課後自宅で一人で過ごすことを余儀なくされていた。(参考のため、我が家は娘が小学校3年の冬にこの集合住宅に買替え転居している。) 少女が小学校高学年そして中学生になった暁には友達数人を自宅に招いて室内外で暴れはしゃいだり、集合住宅玄関前で皆で座り込み雑談する姿も何度か見かけた。 その後少女は全日制高校には行かなかったようだ。 金髪に超ミニ制服もどきの格好で昼頃外出する姿を何度か見かけた事から察するに、何処かの定時制高校あるいは専門学校にでも通っていたのであろうか。(これに関して少女の家庭と一切の付き合いがないため不明のままである。)
 少女は既に成人に達しているであろう事は、わが娘が昨年20歳になっていることから推し量れる事実だ。その後少女がずっと自宅にいたのか、何処で何をしていたのかに関してはまったくもって我が家の知るところではない。
 そして時が流れ偶然出くわしたのが昨夜の風景である。 ベビーカーを引く女性の後ろ姿が当時の少女とダブった。 同じく我が娘も「彼女ではないか??」との印象を抱いたようだ。 もしも我々の推測が正しければ、彼女は若年にして既に赤ちゃんを出産している事実となろう。

 現在大学2年生である我が娘にとっては、自分が置かれている立場が最優先であることに間違いない。 それでも彼女が赤ちゃんを連れた姿にある意味で多少の衝撃を受けたのかもしれない。
 それ以前の問題として、我が子のお抱え家庭教師を今現在も貫いている原左都子自身が、少し気持ちを揺さぶられたのが正直なところだ。 私の子供に対する教育こそが誤っているのか!? 私自身が結婚・出産を二の次にする人生を欲した故に我が娘にも現在その道程を歩ませているが、女とは子供を産んでこそ幸せを享受できる生き物なのか???  もしかしたら上階の彼女は自分の子供を出産することで、今後の生きる道を確かなものにしたのかもしれないのか!?、等々と……。


 そんな夜に自宅玄関メールボックスから持ち帰った朝日新聞1月3日の一面トップ記事が、「教育2014格差を超える 暮らしのせいにしない」だった。

 教育格差と「暮し」との相関関係に関しては以前より議論され続けている課題であろう。
 このテーマに関する私論は「原左都子エッセイ集」“学校・教育“カテゴリーにおいて何本も公開してきているのに加えて、ここで元教育者である原左都子の教育理念趣旨を述べるには多大な時間を要するので割愛させていただく。

 その上で、朝日新聞紙面に公開されている「教育格差と『暮し』」の論評に関して以下に一部を要約して紹介させていただこう。
 授業で算数の問題が解けないとき、ある子が言った。「何もかも嫌や。どうせできへんもん。」 教師が叱ると「自分なんかいなくても誰も悲しまん。」 これに対して専門家は「暮しのしんどさのせいにしたら、この子らずっと浮かび上がれん。 教育の機会均等を守るのが教師の役割やないか」

 ここで原左都子の私論に移ろう。
 上記朝日新聞の事例の場合、「教育格差と『暮し』」などとの大袈裟な社会問題に転嫁する以前の問題として、教育現場の教員としてもっと優先して子供に対し指導するべきことがあるのではなかろうか? 
 元教育者の私の視点では、この子は「どうせできへん」「自分がいなくても誰も悲しまん」との言語を発することにより、現実逃避を企てているとの印象を抱く。 その心理を何故教師が見抜いてやれず、いきなり叱るのか?  いやいや実際の教育現場実態とは、そんなに単純ではない事は明白である。 教員の皆さんが日々苦労しつつ子供の指導に当たっていると信じたい。
 要するに、学校教育現場における子供の教育とは子供自身の個性や多様性に応じて臨機応変であるべくはずだ。
 いわゆる「出来の悪い子」との、差別発言こそを教育現場が作り上げている現状と私は結論づけている。 そんな子供たちがこの世に存在するはずもないのだ。


 正月三が日の最終日に久々に目にした我が家の上階に住む彼女が、本気で恋愛して我が子を産んだと私は信じたい。 子供を産んだことで彼女が今後ますます成長できることを望みたい。
 色々な人生があっていいと私は思う。  教育経験が少ない若年層とて、本人の信念で次世代を生きる赤ちゃんを立派に育てていくことを祈ろう。

 教育格差と人の幸福度を深い思慮なく面白おかしく相関したがる教育業界や世論こそが、短絡的であるとも考察可能ではなかろうか? 
 相田みつを氏もおっしゃっている通り、幸せとは自分自身のこころが決めていいはずだ。

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いとも美しき 「江戸紅型」

2014年01月01日 | 芸術
 (写真は、昨年12月上旬に東京都内で開催された きもの博覧会会場にて買い求めた「江戸紅型」の訪問着反物及び帯が12月末仕立て上がり、我が家に到着したもの。)


 新年 明けまして おめでとうございます。 

 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。  


 2014年東京地方の元旦は、好天に恵まれ何とも穏やかな日和である。
 午前中は高層住宅上階に位置する我が家は多少南風が強かったものの、午後に入ってからは風もおさまり最高気温16℃の予報通り気温が上昇し、真冬とは思えないような暖かい日差しが今現在も室内に降り注いでいる。

 混雑を嫌う我が家の場合、まかり間違っても年末年始のこの時期に旅に出たり行楽を楽しんだりはしない。 ひたすら一家皆で家に籠り、昼になるとやっとこさ家族に我が下手な手作り雑煮と出来合いのおせちを出すのが関の山である。

 初詣にぐらい外出しても罰が当たらない事は承知だが、(何のご利益があるかは未だ不明なものの)我が家に程近い神社が毎年ゲロ混み状態なのだ! その混み様とは、(冗談抜きで)新しいゲームマシンが新発売される都心の家電量販店店頭のごとく何百メートルと続く長蛇の列である!
 娘の七五三7歳のお祝い時にはこの神社でご祈祷までしてもらったものの、とにかく混雑を嫌う我が家の場合、その長蛇に耐えてまで初詣をしたいとの希望はさらさらない。  そこで正月三が日が明けた頃にやっとこの神社を訪れるのが例年の習慣だが、それでもまだ順番待ちの列に少し耐えねばならない程の人気の神社である。 (実際問題何らかのご利益がある訳などないと我が論理思考より判断しているのに加え、我が亭主など数年前にこの神社に「凶」のおみくじを引かされて以降、この地に足を運ぶことすらない…


 さて、「原左都子エッセイ集」今年最初のエッセイは本日元旦のこの穏やかでよき日柄に便乗し、きものの話題で美しくまとめることにしよう。

 皆さんは、「紅型(びんがた)」なる着物素材をご存知であろうか?
 実は私の場合、「琉球紅型」に関してはそういうものが存在する程度の認識はあったのだが、それが如何なるものかを沖縄を訪れた時にさえ探索せずに終わっている。

 ここでウィキペディア情報を参照しつつ、まずは「紅型」に関して説明しよう。
 「紅型(びんがた)」とは、沖縄を代表する伝統的な染色技法の一つ。14世紀の紅型の裂が現存しており、技術確立の時間を考慮するとその起源は13世紀頃と推定されている。 「紅」は色全般を指し、「型」は様々な模様を指していると言われる。この定義をしたのは鎌倉芳太郎と伊波普猷とする説がある。 「紅型」の漢字表記が広く普及され始めたのは昭和期に入ってから。 沖縄県は「びんがた」と平仮名表記する場合が多い。 古文書に現れる文字は「形付」、「形附」で「紅型」表記はない。
 歴史的背景としては、琉球王国の時代、主に王族や士族の衣装として染められていた。王府は染屋を首里城の周りに置き庇護した。 薩摩の琉球侵攻の後は、日本本土との交易などに重点が置かれ、殖産の増進政策によって技術が飛躍的に向上した。しかし、明治時代の王府廃止に因って庇護を失った染屋は廃業を余儀なくされ、多く職人が首里を後にし、宮廷のために生まれた紅型は衰退していく。
 現在、古紅型と呼ばれるものは江戸時代頃の作品が多い。本土の影響からか友禅とモチーフが共通したものが多いともされているが、ほとんどは中国の吉祥文様を図案とし、当時の王族・士族階級の女性および成人前の男子の衣装として作成され、文様に衣装を身に着ける者への加護の意味が込められる。 江戸時代は袋物などの小物用生地、明治からは着物などにも使われていた。
 紅型の技法には、一般的な型染め、筒描き、藍染め(漬染め)がある。 型染めで特徴的なのは型の上から色を挿すのではなく、防染糊を置くことだが、フクギを用いて染めると黄色となる。 ほか、赤地や白地のものが生産されている。 柄色は顔料を色止めのために豆汁で溶いたものを使用する。 赤い色はコチニールから取るほか、緑などは顔料化した藍などの混色で作る。そこに隈取りをする。これによって柄が引き締まるのが、紅型の大きな特徴である。

 引き続きネット情報から、「琉球紅型」と「江戸紅型」の違いに関して論説した情報を引用する。
 紅型は元禄時代に交易により琉球から江戸へともたらされた。 当時江戸では友禅が大流行していた時代背景だ。 そのため紅型は友禅の影響を受けて南国では見ることの出来ない草木・鳥の文様が描かれるようになる。 (ここで参考だが上記写真の通り、私が買い求めた「紅型」も草木や鳥の文様が巧みに描かれている。) こうして紅型は柔軟に成長していった。
 紅型の魅力の1つは美しい色使いである。 題材本来の色に縛られることない豊かな色合いで表現していくのが特徴だ。 江戸紅型も琉球紅型に倣って 鳥や草花の大きさも実際の大きさに縛られずに構図を取り全体の雰囲気を大切にする。
色合いに関してははそれぞれの特徴があり、琉球紅型は植物染料を使うため顔料を使う江戸紅型に比べて原色の強い色が出る。 片や、 江戸紅型ははんなりとした優しい色合いになる。  江戸紅型は、金線・型箔・刺繍などで仕上げをする場合もある。
 (以上、「紅型」に関するネット情報を要約引用。)


 昨年12月にきもの博覧会会場にても上記同様の説明を担当者から見聞した私だが、今回ネット情報を得たことにより我が「紅型」認識が更に深まった思いである。 と同時に、これが無駄な浪費でなかった感覚も自分なりに紡げたというものだ。

 とにかく、実際に仕立て上がって到着した「江戸紅型」一式を自宅で広げて観賞した瞬間の感動とは、実に素晴らしいものがあった。 今回は娘と共用目的で仕立て発注した江戸紅型一式だが、美術経験がある娘も江戸紅型の構図や色彩力に唸ったものだ。


 さてさて皆さんが一番ご興味を抱くのは、上記写真の「江戸紅型」が如何程の値段なのかとの観点ではあるまいか?

 その回答を申し上げるために、先ほど同金額の販売物をネット上で検索してみた。 そこでたまたま検索できたのが少し以前の一般大衆車(マツダプリウス等)や、オメガの時計(ピンキリだろうが同じ価格の商品が検索できた)の定価であった。
 ただし私の経験則によると、物品価格が高価な商品程に折衝による価格設定が可能との事でもあるまいか。 

 まあそれにしても現在経済力のない原左都子にして、上記写真「江戸紅型」に“大盤振る舞い”してしまった事態に、新年を迎えた本日も多少の反省の念を抱かされる…。
 少し自己弁護するならば、私は現在車にはまったく興味がないのに加えて今後一生に渡って車を運転する嗜好など描けそうもないため、その出費を他の趣味に回しても許されるとの事ではなかろうか。

 とにもかくにも、過去に芸術系を志向した娘も賞賛する「江戸紅型」の歴史的に培われた芸術力に感動できる事こそが、今年の我が母娘に幸運をもたらすであろうと信じよう。

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