原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

AI(人工知能)は “恋” が出来るか?

2018年01月31日 | 学問・研究
 上記表題に関してだが。

 何もAI分野素人の私が“遊び半分”で下手に論じずとて、既に世界中のAI研究者達が類似の論文や著書を星の数ほど世に発表している事だろう。

 
 今回のエッセイは、2018.01.22付朝日新聞記事 哲学者森岡正博氏による寄稿「AIは哲学できるか」に触発されて、我がエッセイ執筆に着手せんとするものだ。

 森岡氏といえば、過去に朝日新聞紙上で若者対象の相談コーナーを担当されていた人物だ。
 その当時の森岡氏の相談回答内容は、我がエッセイ集バックナンバーに於いて数本紹介している。 いずれのご回答にもほぼ賛同できた私は、ずっと森岡氏との人物を好意的に捉えさせていただいていた。


 早速、森岡正博氏による「AIは哲学できるか」の内容を以下に要約して紹介しよう。

 AIの進歩は目覚ましい。 囲碁や将棋の世界では、もう人間は人工知能に勝てなくなってしまった。 学者もその例外ではない。これまで学者たちが行ってきた研究が、AIによって置き換えられていく可能性もある。 特に私が専門としている哲学の場合、考えることそれ自体が仕事内容のすべてであるから、囲碁や将棋と同じ運命を辿るかもしれない。
 まず、過去の哲学の思考パターンの発見は、AIのもっとも得意とするところだ。 たとえば、AIに哲学者カントの全集を読ませ、そこからカント風の思考パターンを発見させ、それを用いて「人工知能カント」というアプリを作らせることはいずれ可能になろう。 人間の研究者が「人工知能カント」に向かっていろいろ質問をして、その答えを分析することがカント研究者の仕事になると私は想像する。 この領域ではAIと哲学者の幸福な共同作業が成立する。 
 次に、AIに過去の哲学者たちすべてのテキストを読み込ませて、そこから哲学的な思考パターンを可能な限り抽出させてみると、およそ人間が考えそうな哲学的思考パターンがずらりと揃うことになる。 加えて、過去の哲学者たちが見逃していた哲学的思考パターンも沢山あるはずだから、AIにそれらを発見させる。
 その結果、「およそ人間が考えそうな哲学的思考パターンのほぼ完全なリスト」が出来上がるだろう。 こうなるともう人間によるオリジナルな哲学的思考パターンは生み出されようがない。 将来の哲学者たちの仕事は、哲学的AIのふるまいを研究する一種の計算機科学に近づくだろう。
 しかし、この哲学的AIは本当に哲学の作業を行っているのだろうか、との根本的疑問が起きて来る。 外部入力データ中に未発見のパターンを発見したり、人間により設定された問いに解を与えたりするだけならば、それは哲学とは呼べない。
 そもそも哲学とは、自分自身にとって切実な問いを内発的に発するところからスタートする。 その問いに関して、どうしても考えざるを得ないところまで追い込まれてしまう状況こそが哲学の出発点なのだ。 AIは、このような切実な哲学の問いを内発的に発することがあるのだろうか。 そういうことは当分は起きないと私(森岡氏)は予想する。 
 しかし、もし仮に、人間からの入力がないのにAIが切実な哲学の問いを自発的に発し、ひたすら考え始めたとしたら、その時「AIが哲学をしている」と判断するだろうし、AIは正しい意味で「人間」の次元に到達したと判断したくなるだろう。 
 哲学的には、自由意思に基づいた自律的活動と、普遍的な法則や心理を発見できる思考能力が、人間という類の証しであると長らく考えられてきた。
 AIが人間の次元に到達するためには、内発的哲学能力が必要と私は考えたい。 AIの進化により、そのような「知性」観の見直しが迫られている。 この点をめぐって人間とAIの対話が始まるとすれば、それこそが哲学に新次元を開くことになると思われる。
 (以上、哲学者 森岡正博氏による「AIは哲学できるか」より要約引用したもの。)


 引き続き、ウィキペディア情報より、同じくAIに於ける「哲学」に関する記述を以下に紹介しよう。

 強いAIとは、AIが人間の意識に相当するものを持ちうるとする考え方である。 強いAIと弱いAI(逆の立場)の論争は、まだAI哲学者の間でホットな話題である。 これは精神哲学と心身問題の哲学を巻き込む 。特筆すべき事例として、ロジャー・ペンローズの著書『皇帝の新しい心』と、ジョン・サールの「中国語の部屋」という思考実験は、真の意識が形式論理システムによって実現できないと主張する。 一方ダグラス・ホフスタッターの著書『ゲーデル、エッシャー、バッハ』やダニエル・デネットの著書『解明される意識』では、機能主義に好意的な主張を展開している。 多くの強力なAI支持者は、人工意識はAIの長期の努力目標と考えている。
 また、「何が実現されれば人工知能が作られたといえるのか」という基準から逆算することによって、「知能とはそもそも何か」といった問いも立てられている。 これは人間を基準として世の中を認識する、人間の可能性と限界を検証するという哲学的意味をも併せ持つ。
 更に、古来「肉体」と「精神」は区別し得るものという考え方が根強かったが、その考え方に対する反論として「意識は肉体によって規定されるのではないか」といったものがあった。 「人間とは異なる肉体を持つコンピュータに持たせることができる意識は果たして人間とコミュニケーションが可能な意識なのか」といった認識論的な立論もなされている。 この観点から見れば、すでに現在コンピュータや機械類が意識を持っていたとしても、人間と機械類との間では相互にそれを認識できない可能性があることも指摘されている。
 (以上、ウィキペディア情報より引用したもの。)

 
 上の近い場所にあるウィキペディア情報に関して、少しだけ原左都子の私見を語らせて頂こう。
 「肉体と精神は区別し得るものか」「意識は肉体によって規定されるのではないか」の論争に関してだが。
 私見(と言うよりも私自身の日頃の感覚)としては、むしろ「精神」こそが「肉体」を規定している実感がある。
 更には、そもそもコンピュータは「肉体」を持っているのか? との疑問と共に、コンピュータの「意識」とはあくまでも人間が与えた「意識」に過ぎないであろうとも考える。
 当然の結果としてコンピュータには人間との「コミュニケーション能力」はなく、人間と機械類との間での相互認識力は無いと結論付けたい。


 最後に、原左都子が今回のエッセイ表題に掲げた 「AIは“恋”ができるか 」の結論に入ろう。
 その結論とは。
 上記哲学者森岡正博氏による朝日新聞寄稿文内の、「哲学」を「恋」と書き換えたものとさせて頂きたく思う。

 それではあまりにも“手抜き”だとのバッシングを読者の皆様より頂きそうなため、以下に少しだけ森岡氏による寄稿より「哲学」を「恋愛」に置き換え再度記載させていただこう。

 過去の人間たちによる恋愛経験すべてのテキストをコンピュータに読み込ませて、そこから恋愛思考パターンを可能な限り抽出してみると、およそ人間が営んで来た恋愛パターンがずらりと揃うことになる。 加えて、過去に於ける人類の恋愛において見逃していたパターンも沢山あるはずだから、AIにそれらを発見させる。
 その結果、「およそ人間が今までに成し遂げた恋愛パターンのほぼ完全なリスト」が出来上がるだろう。 こうなるともう人間によるオリジナルな恋愛パターンは生み出されようがない。 将来の人間の恋愛は、恋愛的AIのふるまいを研究する一種の計算機科学に近づくだろう。
 しかし、この恋愛AIは本当に人間が成している恋愛分析作業を行っているのだろうか、との根本的疑問が起きて来る。 外部入力データ中に未発見のパターンを発見したり、人間により設定された問いに解を与えたりするだけならば、それは恋愛とは呼べない。
 そもそも恋愛とは、自分自身にとって切実な問いを内発的に発するところからスタートする。 その問いに関して、どうしても考えざるを得ないところまで追い込まれてしまう状況こそが恋愛の出発点なのだ。 AIは、このような切実な恋愛の問いを内発的に発することがあるのだろうか。 そういうことは当分は起きないと私(原左都子)は予想する。 
 

 本エッセイの最後に、哲学者 森岡正博先生に対し、大変失礼なエッセイを綴り公開致しました事、お詫び申し上げます。

若きパワーが炸裂した Hip Hop ステージ!♪

2018年01月29日 | 音楽
 (写真は、昨日東京秋葉原の某ライブハウスにて開催された、某団体ヒップホップダンスステージの一場面。)

 
 昨週半ばにひいた風邪の微熱を抱える中、昨日、私は予定通り秋葉原のライブハウスへと向かった。

 前回のエッセイ既述の通り、2年程前に社会人となり就業している娘が、余暇時間に励んでいるヒップホップダンスの公演が当該ライブハウスにて実施されるのを観賞するのが目的だ。


 さて、昼食後出かけようとする私に、亭主が尋ねる。
 「今日は何時に家を出るの?」 
 う~~ん。 お互いとにかく単独行動がほとんどの夫婦だ。   私が一人で出かけようとしてもこんな事をわざわざ確認する亭主ではないのだが。 どうしたのかと思いきや。
 「僕も行く」
 ああ、そうかそうか。 娘のイベントは見たいのね。 (私のマラソン大会などただの一度とて応援しに来たこともないのに。)
 (ならば早く言えよ)と思いつつ、「〇時〇分に家を出るよ」と返すと、「早く行かなきゃ!」と亭主がせかす。


 そうこうして秋葉原に到着してみると、昔当地を訪ねた時代から大きく様変わりして大都会と成り果てている。

 私の場合、過去にこの地を訪れたのは「電気街」と称する当時の秋葉原を象徴するがごとく場所だった。
 その後「萌え」ナンタラカフェの流行やAKBグループの進出により、(歪みつつも)若者が息づく街となり…
 近い過去(2008年の事だったようだが)には、「秋葉原無差別殺傷事件」も勃発している。 歩行者天国道を歩きつつ、あの無残な事件がこの辺で起こったのかなあ、なる無念さも煽られる……

 亭主が、「早く行かないと娘の出番に間に合わない!」と私をせかすのだが、亭主にとっても昔訪れた秋葉原とは大幅に様相が異なっているようだ。
 お互いに地図を準備しているにもかかわらず、現在に於いては(AKBの影響が絶大なのか??)駅近が「ライブハウス」で溢れている秋葉原に於いて、何処で娘出演「ライブハウス」の位置を訪ねても辿り着けない。

 どうしても娘のライブを観たい思いの亭主が走り出すのに同行して、私も微熱を抱えた身体でどれだけ秋葉原の街の歩道を走ったことか。

 そうこうしてやっと、娘が出演するライブハウスに到着した。


 神様とはいるものだ。
 こんなバカ親どもの要望を聞き入れてくれたようだ。
 現地には予定時間よりも随分遅れて到着した時、娘のステージまでに後数分の時間があった。
 ただし、ライブハウス内はゲロ混み状態。 通路にまで観客が押し寄せている。 そこを今回ライブ主催者の指導者先生がアナウンスを入れてくれた。 「通路には立ち止まらず会場の奥へ進んで下さい!」
 その配慮により遅ればせながらライブハウスに到着出来た我々夫婦も、結果として最後列の立席にて娘のステージ鑑賞が叶ったのに加え、これぞ写真撮影ポジションとして良き条件だったのもラッキーだった。
 (今回冒頭写真で取り上げたのは、娘達のヒップホップ講師達による舞台の大トリステージ風景だ。)


 いやはや、素人にしてダンス愛好者である原左都子が、このステージに唸らない訳も無い。

 実は娘が当該ヒップホップダンスグループに所属した当初に、私は娘に尋ねた。
 「私もそのタンスグループで練習出来るかなあ??」
 それに対して返って来た娘の回答が、実に無情だったのだ……
 「一応、20歳から40歳までの女性を対象としてプロ先生が指導をしているグループだよ。」

 これに関して、昨日のライブにてもプロ先生より説明があった。
 「我々は、有職者女性を対象として年齢を区切って指導している。 生徒の皆さんは、日頃ご自身の職業責務を果たしつつ余暇を利用されこのようにダンスに励まれている。 その日頃の努力の程を弁えつつも、ダンスに賭ける素晴らしい情熱を今後共くみ取り、今後もこのようなダンスパフォーマンス機会を増強していきたい。」


 最後に、原左都子の希望を語るが。
 
 あの~~~。 
 指導者先生、私の場合還暦過ぎて既に2年半の年月が経過しているんですけど……
 最後列、下手(しもて)の端っこでいいんですが、来年その舞台に一緒に立たせて頂く訳にはいかないですかね~~~。

 いえいえ、ほんの冗談です。

 今回の娘のライブハウス出演とは、我が娘が社会人となって以降娘本人が主体的に実行した結果の「快挙」である事実は当然ながら実感している。
 そんな娘の「快挙」に観客の立場で同席させてもらえた我々高齢域親夫婦共々、娘に感謝しきりだ。
 来年も、絶対観に行くぞ!!   

風邪をひいてしまった…

2018年01月27日 | 医学・医療・介護
 この冬になってから、風邪をひいたのは今回が3度目だ。


 現在の体温37.4℃、喉の痛みに鼻水たらたら。 頭痛に歯痛に腰痛、我が身体の弱点が一気に押しよせている。 どうやら、今回の風邪が一番重そうだ。

 ただ、現在国内で猛威を振るっているインフルエンザではなさそうでもある。 インフルエンザの場合微熱では済まされないし、今現在我が関節や節々の痛みもさほどない。 起きていられる。 朝からきちんとルーチンワークもこなした。

 予兆は2日前からあった。
 どうも体調が芳しくない。 昨日は大事を取ってトレーニングジム通いをお休みして自宅で過ごした。
 ただ、その自宅での過ごし方が風邪の悪化を招いたようでもある。


 今の時期毎年恒例だが、高齢者施設入居の義母の“不動産貸付業”を代行・管理している身にして、今年も「青色申告」が迫っている。 (参考だが、「経営法学修士」を取得して国税庁の税理士試験税法3科目免除申請を通過している私が、毎年親族皆の確定申告を担当している。)

 大事な用件を後回しにするのは嫌な性分の私。
 よし、自宅で過ごせるこんな時こそ一気に義母の「青色申告」を仕上げてしまおう! 
 と思い立ち、 それに集中すること3時間。

 今年から「医療費控除」に「セルフメディケーション税制」なる新制度が発足している。 市民にとってそれをする事により還付金が増える等プラスとなるならば良いが。 とにかくその「説明文」を全部読みこなさねばならないのが一番鬱陶しい。 ただ今年の義母の場合、年間医療費総額が低額のため、そもそも医療費控除申請の必要無しと判断した。
 まずは収入金額、必要経費の計算をして「不動産所得用青色申告決算書」を作成する。
 その後「所得税申告書」の記述に入る。
 「介護保険料」に関しては日本年金機構から郵送されている「公的年金等の源泉徴収票」に明記されているため簡単だが、毎年「後期高齢者医療保険料」の年間金額が分かりにくい。 年内途中で保険料制度が変更したりして、一旦収めた保険料の還付があったりするためだ。 そこで、年間かけて収集した「後期高齢者保険料」資料の中から一つをピックアップすると共に、義母の通帳にて実際に支払った保険料を照らし合わせ、申告金額とした。

 そうこうして義母の「青色申告」下書きを仕上げたのが、ちょうど夕食準備に取り掛かる時間だ。
 達成感はあるものの、体調が更に悪化した感覚も引きずっていた。
 夜になり、体温測定すると既に37℃を超えている。 体調不良で眠れない夜を過ごし、それでも今朝はいつもの時間に起床して今に至っている。


 話題を大幅に変えるが。

 実は娘を持つ母として、明日は重要な(と言うよりも)楽しみな用件を抱えている。
 (風邪などひかなければ本気でウキウキ楽しみだったのに…)と悔やまれるのだが……

 我が娘が就職後、余暇として励んでいる趣味のヒップホップダンスに於いて、明日“ライブハウスイベント" に娘が出場することとなっているのだ!
 秋頃から休日の土日には、精力的にその練習に励んできた娘だ。
 “カエルの子はカエル”というべきか、何分ダンス好きな私の下に育った娘がダンスを愛好しない訳もないのだが。 (娘の場合、幼児期から中学2年生までクラシックバレエに勤しんだ経験があり、私よりも本格的ダンス経験がずっと長い。)
 そんな娘が就職後趣味として選択したのが、「ヒップホップダンス」だった。 プロイケメン若手先生の指導の元に練習を続けて来ていた。

 今時は、(特に都会に於いては)素人でも自分の得意分野にてライブハウスに出演出来るチャンスは幾らでもある。 もちろん素人の場合、まずは自分から出費して観客動員力によりカムバックがあるかもしれないシステムに過ぎない話だが。
 この私も、遠い未来にこのシステムを利用して、大損失を覚悟でフルートにて「ライブハウス」出演を果たそうか!と虎視眈々と狙っている程だ。


 とにもかくにも、明日は我が娘の「ヒップホップダンスライブイベント」を観に行かねばならない!
 親として風邪などひいている場合ではない。
 明日は(薬嫌いの私にして)強力な風邪薬でも飲んで、娘が出場する秋葉原のライブハウスに是が非でも駆けつけよう!

 と、集中してエッセイを記した後に我が体温を測定してみると。
 なんと、36.8℃まで体温が下がっているではないか!
 人間の身体とは、所詮そういうものだ。 何らかの要因で活性化されると心身共に活気付き、病をも撃退するものだと私はずっと前から信じている。

iPS論文不正事件続報、やはり“実験ノート”チェック体制に問題あり

2018年01月25日 | 時事論評
 (写真は、本日2018.01.25朝日新聞記事より「iPS細胞研 論文不正 今回の論文で見つかった不正の一例 遺伝子『CAT3』の発現量」グラフを転載したもの。)


 早速、上記朝日新聞記事の一部を以下に引用しよう。

 京都大学iPS細胞研究所(CiRA、山中伸弥所長)の山水助教が責任著書の論文は、京大の調査委員会の調査で実験結果などを示す図12個のうち11個、計17か所で捏造・改ざんが認定された。
 一例は、体内の脳血管内皮細胞でよく働いている遺伝子がiPS細胞から作った細胞でもよく働いていることを示すグラフだ。(上記写真の上グラフ) 論文では、これらが脳血管内皮細胞ができた根拠となっていた。 だが、調査委が測定機器から取り出したデータを元に再解析すると、遺伝子は強く動いていないことが分かった。(上記写真の下グラフ) グラフ作製過程で数値が変わっていたり、一部のグラフで解析課程のデータが見つからなかったりした。
 不正の動機については(前回の我がエッセイ集にても記したが)、「論文の見栄えをよくしたかった」と助教が説明している。
 しかし、研究不正に詳しい某東大教授は「自分の考えに合わせてデータをでっち上げた明白な不正だ」と批判する。
 CiRAは2010年の設立当初から、研究者が記録する実験ノートを3ヶ月に1回知的財産担当者に提出。論文発表時には画像やデータも提出させていた。 「かなり厳しくチェックしている機関。他大学はそこまで求めていない」と阪大某化学技術社会論准教授は話す。 山水助教のノート提出率は所内平均の約7割を上回る86%だった。
 だが、助教を含め、実験に取り組む約400人が提出する大量のノートについて、実験が行われたことはノートに記したデータから確認していたが、内容には踏み込んでいなかった。 「形骸化していた」と山中所長は甘さを認めた。 助教の研究室主任研究者も不正に気付かなかった。
 CiRAは今後、実験ノートは知財と主任研究者によるダブルチェックを取り入れ、主任研究者は内容も確認する。 論文に使う図表を裏付けるデータの提出も求める。
 2014年のSTAP細胞論文の捏造を踏まえ、文科省は指針を見直し、大学や研究機関にデータ保存や倫理教育の強化などを求めている。 
 それでも不正は無くならない。 「これ以上、何をすればいいのか」との声もある。
 「悪意がなくても、正しい統計処理の方法を知らなくて不正認定される研究者もいる。正しい知識を身に付けて欲しい」との見解もある。
 (以下略すが、以上朝日新聞iPS論文不正記事より一部を要約引用したもの。)


 私論に入ろう。

 いやはや、2014年に発生したSTAP細胞捏造・改ざん事件の悪夢を今更ながら再現するがごとくだ。
 あの時も、小保方氏が作成した(と言うよりも、まるで幼稚園児が面白半分でスケッチしたがごとくの“幼稚な実験ノート”)が大きな話題となった。
 本人自らが自費で開催した記者会見にて豪語して曰く、「200回作製に成功した!」と自称するSTAP細胞研究の「実験ノート」がたったの4,5冊。 (そんなに少ないならば4冊か5冊か明確にせよ! と私など言いたい思いだったものが…)
 しかも理研内でそのチェックが一切なされていない有様だったのにも驚愕させられた。
 ただ、救われる(と言うよりもアホらし過ぎて呆れるのは)小保方氏の場合、そもそも科学者としてのバックグラウンドが何もなかった事実だ。 後に早稲田大学にて過去に認定された氏の博士論文も認定取消されるに至っている。
 要するに、小保方氏の場合は上記朝日新聞記載の「悪意がなくても、正しい統計処理の方法を知らなくて不正認定される」部類の研究員だったのだろう。

 それに比し、今回のCiRAの山水助教の場合、まさか小保方氏とは異なり科学者としてのバックグラウンドが一切無い訳ではないようだが。
 ただし上記朝日新聞報道によれば、「任期付き研究員であり、不安定な雇用とそれを踏まえた激しいポジションの獲得競争が背後にあった可能性もある」との記述もある…


 やはりこの事件の元凶は、CiRA所長の山中伸弥氏の日頃の所長としての行動にありそうだ。

 一組織の所長たるもの、iPS細胞の宣伝活動に邁進するためまるでタレントのごとくメディアに自身がしゃしゃり出る以前の課題が盛沢山であろうに。
 それを後回しにしたが結果の今回の不祥事だろう。
 山中氏ご本人も「実験ノートのチェック体制が形骸化していた」との談話を述べているが。

 ただ、過去に於いて医学基礎研究に励んだ経験がある私に言わせてもらうならば、研究員・実験者個々人の実験ノートの他者による“完全なるチェック”とは容易い課題ではないであろうことは重々想像が付く。
 上記朝日新聞記事によると、知的財産担当者もそれを担当していると言うのだが…  失礼ながら、その人物達に真に医学研究実験ノート詳細記載内容の判断力があるとは到底思えないのだが。
 
 そんな私が提案する究極の結論とは。
 まず研究所側が(縁故採用ではなく)信頼できる研究者・実験者を厳選採用することであろう。 
 そして、所長や研究室長レベルの人材が日々研究員達とコミュニケーションを取れる研究室環境こそが、一番に望まれるのではなかろうか?
 そんな研究室環境が整ったならば、3ヶ月に1度ではなく、自身の実験ノートを日々上層部の人材にチェックして貰うと共に研究内容に関していつ何時も語り合え、上下間で切磋琢磨することが叶いそうだが…
 
 繰り返すが、まかり間違っても今後の医学発展を担うべく“ノーベル賞受賞者”たる研究所所長が、まるでタレントのごとくテレビ出演する時間など無かろうに…… 
 

iPS山中研究所論文捏造・改ざん事件、STAP事件より悪質かも

2018年01月23日 | 学問・研究
 私は、山中伸弥氏がiPS細胞研究によりノーベル賞を取得した直後の2012.10.13 に、「科学基礎研究の終点は『ノーベル賞』なのか?」と題して、山中氏に対するやや批判的なエッセイを綴り公開している。

 早速その内容の一部を、以下に反復させていただこう。

 先だっての2012.10.13に今年のノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学教授 山中伸弥氏は、その後マスメディアに幾度となく登場して、その喜びの程を満面の笑みと共に国民の前で晒しているご様子だ。
 どうも、私は以前より山中氏の“行動の派手さ”が気になっていた。
 そもそも元医学関係者であり医学基礎研究に携わった経験のある私は、世紀の「ノーベル賞」と言えどもその裏舞台ではコネが渦巻いていたり、“順番待ち”の世界であることは(あくまでも裏情報として)認識していた。 山中氏に関してもその研究内容のレベルの程はともかく、まるでタレントのごとくメディアに登場したり、マラソンにて公道を走ることにより自身の研究PR活動に勤しんでいる様子に少し首を傾げたい思いも抱いていた。
 そうしたところ、今回50歳の若さにしてノーベル賞受賞とのことだ。
 山中氏曰く、「今回は名目上は私にノーベル賞が贈られることになったが、日の丸の支援がなければ受賞できなかった。 まさに日本という国が受賞した賞だと感じている。 喜びが大きい反面、iPS細胞は医学や創薬において未だ可能性の段階であり実際には役立っていない。 来週からは研究に専念して論文を早く提出したい。 (今回の受賞は)これからの私の研究者としての人生に大きな意味を持っている。 
 (ホントに貴方がそう思っているなら、メディア上での言動を少し自粛してこそ真に医学の発展を望んでいる国民にその思いが通じると思うのだけど……)
 ここで、山中伸弥氏が今回ノーベル医学生理学賞受賞に至った「iPS細胞」に関して、朝日新聞記事を参照しつつ原左都子の観点も交えて以下に紹介しよう。
 「iPS」細胞とは、皮膚などの細胞を操作して心臓や神経等様々な細胞になる「万能性」を武器に作られた胚性幹細胞である「ES細胞」と原理は同じだが、受精卵を壊して作る「ES細胞」とは異なり、倫理的な問題を避けられる観点から作られた事により注目を浴びている。
 参考のため「iPS」とは induced Pluripotent Stem cell(人為的に多能性を持たせた幹細胞)の略語である。
 原左都子の私事に移るが、「ES細胞」に関しては私が医学関係者として現役だった頃より注目を浴び始めていた対象だった。 当時はこの細胞こそが未来の臨床医学を支えるとの思想の下に基礎医学研究者達がこぞって研究を進めていたことを記憶している。
 ところが「ES細胞」とは上記の通り、人間の臨床医学に応用するためには ヒトの受精卵を壊すという手段でしか作成できないとの大いなる弱点を抱えていた。 
 そこに画期的に登場したのが、山中氏(ら基礎医学研究グループ)による「iPS細胞」であったとのことだ。  この研究自体は事実“画期的”と言えるであろう。
 ところが原左都子が今回懸念するのは、「iPS細胞」研究に対してノーベル賞を贈呈するのは時期尚早だったのではないかという点だ。 と言うのも、「iPS細胞」は未だ基礎研究段階を超えてはおらず、人間の命を救うべく臨床医学に達していないと考えるべきではあるまいか?
 決して、今回の山中氏の「ノーベル医学生理学賞」受賞にいちゃもんをつけるつもりはない。
 ただ原左都子が考察するに、「ノーベル賞」受賞対象となる科学分野の基礎研究とは、医学生理学賞、物理学賞、化学賞を問わず、現在までは当該基礎研究の成果が既に世界規模で実証されていたり、経済効果がもたらされている研究に対して授けられて来たような記憶がある。
 例えば過去に於いて一番意表を突かれたのは、㈱島津製作所 に勤務されていた田中耕一氏の「ノーベル化学賞」受賞に関してではなかろうか。 当時ご本人は一企業会社員の身分であられたようだが、田中氏が過去に於いて達成された「高分子量タンパク質イオン化研究」が後々世界に及ぼしている影響力の程が、絶対的に世界的規模でその経済価値をもたらしているからこそ、田中氏にノーベル賞が贈呈されたものと私は解釈している。
 この田中氏の業績と比較すると、山中氏による「iPS細胞」はご本人も言及されている通り、まだまだ研究途上と表現するべきではあるまいか? 
 今回のエッセイの最後に「ノーベル賞」を筆頭とする「賞」なるものの意義を問いたい私だ。
 「賞」を取得したことでその人物の今後の道程を歪めたり、更なる発展意欲を縮める賞であるならば、その存在価値はないと言えるであろう。
 そうではなく、受賞者に今後に続く精進を煽る意味での「賞」であって欲しいものだ。
 (以上、長くなったが、山中氏iPS細胞ノーベル賞受賞に際して私論を展開したエッセイの一部を再公開したもの。)


 さて、昨日2018.01.22のニュース報道によれば、京都大iPS細胞研究所の山水康平・特定拠点助教の論文について捏造(ねつぞう)と改竄(かいざん)があったと京大が発表したようだ。

 以下に、その論文不正事件に関するネット情報を引用しよう。
 論文は人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いた脳の血管に関するもので、調査した結果、主要な図6点全てに不正があったと認定した。 大学は論文を掲載した雑誌の出版社に撤回を求めており、今後、関係者を処分する方針。
 大学側の調査に対し、山水助教は「論文の見栄えを良くしたかった」と説明したという。
 昨年、同研究所相談室に「論文の信憑性に疑義がある」との通報があり、論文掲載のグラフの再構成を試みたが再現できず、7月に大学の通報窓口に通報した。
 大学側は9月、学外委員も含めた調査委員会を設置し、実験データの精査や関係者への聞き取りを実施。 その結果、論文を構成する主要な図6個全てと、補足図6個中5個で数値の捏造や改ざんが認められた。いずれも論文の主張に有利な方向に操作され、結論に大きな影響を与えていたことが明らかになった。
 会見した山中伸弥所長は「今回の論文は予定される臨床試験や他の教員とは無関係だが、論文不正を防ぐことができず非常に後悔、反省している。 国民のみなさまに心よりおわび申し上げる」と述べた。


 更に、本日朝方ネット上で公開されていた当該事件に関する報道によれば。
 
 上記事件に関し、京都大学は論文の図が捏造(ねつぞう)・改ざんされている事を認めた上で、それを掲載した出版社に論文の撤回を申請した。 山水助教のほか、所長を務める山中伸弥教授らの監督責任を問い、懲戒処分を検討する。
 京大による内部調査の結果、論文の根幹を成すデータについて、主要な図6枚すべてと補足図6枚中5枚に出津造と改ざんを確認。「重要なポイントで有利な方向に操作されており、結論に大きな影響を与えている」と認定した。
 同研究所で論文に不正が見つかったのは初めて。iPS細胞の開発者でノーベル医学生理学賞を受賞した山中教授は「所長として非常に強い後悔、反省をしている」と陳謝。 自身の処分に関して「一番重い辞任も含め、検討したい」と述べた。 再発防止策として実験ノートの3カ月に1度の点検など、取り組みを強化するという。 


 私見でまとめよう。

 山中伸弥氏のノーベル賞受賞後のメディア露出は相変わらず派手だ。
 昨年末から年始にかけては、まるで本気でタレントに転身したかのごとくテレビ番組に出演している印象があった。
 あの状態で山中氏は京大iPS研究所長としての任務がまっとう出来るのか、懸念を抱かされる程だった。

 とにかく山中氏との人物とは2012年にノーベル賞受賞する以前より、研究者というよりもiPS細胞PR活動を優先しそれに躍起になっていた印象が強い。
 冒頭の我がバックナンバーエッセイ内でも記述しているが、確かに現在の「ノーベル賞」とは“実力”や“世界規模での社会貢献”が評価された結果というよりも。 単に如何に世界に(あるいはノーベル賞審査員達に??)その業をパフォーマンス出来たかの勝負に移ろいだようにも受け取れる。

 iPS細胞基礎研究がノーベル賞受賞後5年が経過した今に至って尚、「iPS細胞」研究は未だ肝心要の臨床医療分野に於いて貢献を果たせていない。 要するに、人間の命を確実に救えるべく高度な臨床医学に到達していないと考えるべきではあるまいか??

 そんな中、京大iPS細胞研究グループ内に“焦り”があった事も推測できよう。
 今回の助教人物の論文不正も、そのような研究室内の“焦り”が生み出した汚点だったのかもしれない。
 
 山中伸弥氏自身も今回の事件を受けて「辞任」を視野に入れているらしい。
 医学の真の発展とは、決して著名研究者の「売名行為」によりもたらされるものではあり得ない。
 その辺を大いなる反省材料としつつ、京大はiPS臨床応用研究を振り出しに戻して欲しいものだ。

 小保方氏がかかわった「STAP細胞」捏造改ざん事件より既に4年の年月が経過して、今更同様の事件を国内最先端の医学研究所が起こすなど、到底許し難き事態だ。