原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

商売人と顧客との関係のあり方

2011年08月31日 | 人間関係
 ここのところ立て続けに私が契約者としてかかわった商品売買契約やサービス提供商取引契約において不快感を抱かされるトラブルが相次ぎ、イラついている原左都子である。


 その1件は、先だってネット上の楽天ショップ通販において激安インクを買い求める売買契約を締結した事に端を発する。
 我が家には現在3台のプリンターがあるが、そのすべてのメーカーが異なる。 私自身が普段使用しているプリンターはエプソンのインク6色タイプなのだが、年賀状の作成や写真のプリント等も頻繁に行っているためインクの使用料が一番多い。 このエプソンインクに関しては家電量販店等で純正品を買い求めたり、あるいは楽天ネット市場で純正品の半額程度の互換インクを発注して用を足している。 
 この“半額互換インク”に関しては純正品とほぼ同様の品質であると私は評価し、もう4、5年の年月に渡り純正品と平行してネットより発注し続けている。

 今回トラブルに巻き込まれたのは、娘のパソコンに接続しているHP(ヒューレット・パッカード)社プリンターのインクに関してだ。
 特にネットで注文する場合、プリンターの型番とインクの型番が合致していないことにはどうしようもないため、それを入念に調べた上で発注するのが常識である事ぐらいは当然私もわきまえている。
 ところが、今回の失敗はインクの“激安店”に私が飛びついてしまったことである。 この激安店のインクはな、な、なんと純正品の1/5程度の激安なのだ! 元々失敗も覚悟の上での購入だったのだが、案の定、届いた商品は純正品とは形態がまったく異なり娘のプリンターに設置することが出来ない。 その激安インクには英文の取扱い説明書が同封されていて、相当手の込んだ改造をした後にプリンターに設置する仕組みとなっているようだ。

 それは一応理解した上で、何故この種の“まがい物”が公然と商取引されているのかに関して大いなる疑義を抱いた私は、楽天市場のインク激安ショップに対して直接その旨をメールにて申し出た。
 早速店長と名乗る人物よりメールにて返答が届き、届いたインク商品の写真撮影をする等の負担も強いられ、私の方からまたメールを送り返したり等々のやり取りが何度が続いた。
 このメールのやり取りを何日間か繰り返した私は、そのメールのやり取り行為自体に疲労感と無駄な時間の喪失感故の虚しさを感じ、更なる疑義を抱かされるはめとなった。
 結果として届いたショップからの返答とは、「送った商品は正当な商品であり、もしもあなたがインクの改造の仕方が分からないのならば教えるからメールにて今一度連絡するように」との旨である。 ここで、既に疲れ果てていた私は「改造の仕方など教えてもらわなくてよい。今後貴社とは一切取引はしない。」旨を言葉丁寧に記したお断りメールを発信した。 
 その後このインク激安ショップから最後のメール返信があり、若干のお詫びと共に、インクの改造のし方に関する簡単なマニュアルを記したメールが送信されてきた。
 既に激安インク店のインクは未使用状態で廃棄処分とし、娘のHP社プリンターの純正インクを量販店で買い直し使用している我が家であるが、このメールにやっと“一件落着”の開放感を得た思いであった。

 ネット通販による商取引とはネット利用が使命であるため、その後のトラブル対応もメール等のネットに依存せざるを得ないのであろうが、ネットでのやり取りとは相手の心情が伝わりにくい事を実感させられるものである。
 今回私が経験した激安インクの場合、結果として何とか“一件落着”に漕ぎつけられたから良かったようなものの、ネット通販とは通販業者と顧客との行き違いが多発しているであろうことを実感させれられる事件であった。


 そして、商売人と顧客とのあり方に関して原左都子がイラつかされた契約のもう一つとは、本エッセイ集2011年7月バックナンバー「喧嘩売らずに身を引くべきか?」で公開したスポーツジムに於ける係員とのトラブルによる退会騒動である。
 
 その後私は自由にダンスが楽しめる某スタジオを発見し、既にそこで十分に自主ダンスを楽しんでいる現在だ。

 上記「喧嘩売らずに…」の記事には、当エッセイ集の長年の常連でいらっしゃるドカドンさんとおっしゃる方から私も納得できるコメントをいただいた。
 それを以下に要約して少し紹介させていただくことにしよう。
 「続ける人間関係もあるが、客と店員は変わるのがいい。(例えば)クルマのディーラーもサービスのメンバーが変わったり営業マンが変わったりだ。銀行も3年くらいで転勤させている。 組織の活性化にとって新人の採用やメンバーチェンジは重要だ。 新天地を求めて原さんが変わるのがいいということでしょうか?」

 私はこのコメントに勇気付けられ後押ししてもらえたお陰で、2年余りの期間通い続けた自宅に程近いスポーツジムを退会する決断が出来たとも言えるのだ。

 その後通っているスタジオに関しては、もう少し時が経過し私自身が実態を十分に把握できた後にこのエッセイ集で紹介したく考えている。
 今現在言えることは、以前通っていたチェーン展開のスポーツジムとは係員の対応様式がまったく異なるというのが最大の特徴であり、今現在私にとっては居心地がいいということである。


 商売人と顧客との関係のあり方に関しては、当然ながら時代の変遷と共に移り変わるべく性質のものであろう。
 人間関係が希薄化した現在においては、上記の我がエッセイ集の読者であられるドカドンさんがおっしゃるように、その関係を短期間でリセットするべく商売人が経営展開するのが正解なのであろう。
 私が以前通っていたジムなど、(平日昼間の)顧客層はいわゆる“旧人類”が多数派であったようだが、商売人である経営者側のスタッフが責任者も含めて皆“若い世代”というアンバランス関係の下、日々の経営がなされたいたと私は記憶認識している。 そうした場合“旧人類”である私など、若い世代スタッフの視点からは、ちょっとした行き違いでリセット対象となるのは当然の成り行きだったとも考察できよう。

 今の時代とはそんな若い世代の商売人側が発する空気も感じつつ、今後この世の契約社会の中で生き延びるためには、たとえ顧客という立場であろうと経営者側から容易にリセットされる事も想定しておかねばならないことを実感させられる思いである。
 「お客様は神様です」「長らくのご愛顧ありがとう」なる商売姿勢は既に過去の所産と化し、「気に食わない客は切り捨てます」という時代のようだ。

 人間が年を取る責任とは、本来は法的に対等であるべく「商取引契約」に際してもついて回るものであると認識しつつ、若い世代を尊重し奉る意識がなければ良き余生を送れないというものなのだろうか…??

 などと言いながら本来天邪鬼が取り得の原左都子など、今後も世間一般の商取引契約において疑義を感じた場合には、たとえその相手が若造が経営する商業主体であろうと、必ずや一度は異議申し立てをするつもりであるぞ!!
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野田氏が民主党新代表でこの国は大丈夫なのか?!

2011年08月29日 | 時事論評
 本日(8月29日)実施された民主党の代表選挙は、海江田万里氏と野田佳彦氏の決戦投票にもつれ込んだ結果、野田氏が新代表として選出されるという結果となった。

 実は本日午後この記事を綴り始めた段階で、私は海江田氏が決戦投票で勝利するものと予測してそれに沿ったエッセイを書き進めていた。
 先程午後3時のNHKニュースを見聞して野田氏が勝利した事を知り、その意外性に驚いた私である。 (即刻綴ったエッセイを削除して、今一度書き直すはめとなったのだが…。)


 民主党の黒幕親分である小沢一郎氏の退陣消滅を願う原左都子にして、何故海江田氏が勝利すると予想したかについてはそれなりの理由がある。

 海江田氏には小沢氏の息がかかっていることは私も重々承知している。 そして、今回の党首選においては党内最大派閥である小沢グループ及びそれに迎合している鳩山グループ等が、元環境省大臣である小沢ナンタラ氏の立候補を断念させてまでも海江田氏の支持を表明した。
 どうやら、これが海江田氏にとってはあだとなったのか?
 確かに海江田氏は党首選に臨むにあたり、その公約骨子として黒幕小沢氏が提唱して票を勝ち取った2009年総選挙のマニフェストの理念を充実させ達成することを挙げている。“子ども手当て”に関しても、来年度からの廃止に対して憂慮し存続させるべく発言をしているのを私もニュース報道で見聞した。 一方海江田氏は原発に関してはその依存度を減らす方向で、原発新規建設に関しては原則凍結との公約であった。

 黒幕小沢氏の退陣引退を一貫して願う私であるが、海江田氏に対してはある程度の期待感があったことは確かだ。
 と言うのも単に私の推測の域を超えていなかったのだが、今回の民主党代表選挙においては前原氏と海江田氏の一騎打ちになるであろうと私は予想していたのだ。
 その場合、元より民主党支持派ではなく特に一貫して反小沢派である原左都子としては、前原氏の勝利を願うのが筋道であろう。 ところが、前原氏は東日本大震災勃発の前に不祥事により外務大臣を自らそそくさと辞任している。 この人物は東日本大震災の復興に向けて国民のために何一つ尽力していないことが明らかである以上、今回のポスト菅党首選挙において菅さんが退陣させられた経緯を鑑みると、常識的に考えて前原氏が勝利する事は困難なのかとも推測していた。
 
 一方海江田氏に話を戻すと、氏が菅政権の下経済産業大臣に任命された後、ニュースや国会中継等で閣僚としての氏の言動を見聞できる機会が増えた。 メディアを通じて垣間見る、汗をかき涙を流す(国家の閣僚たる者、国民の面前での“お涙頂戴”は顰蹙であろうが…)海江田氏の姿に実直な人物像を垣間見た思いの私である。
 東日本大震災勃発直後の3月11日の夜中にも、海江田氏は菅総理と共に体を張って一睡もせずに対応した様子を後に私はNHKテレビの特集番組で見聞している。 そして本日の代表選挙直前の演説においても、海江田氏は汗まみれになりつつ東日本大震災の被害者と共に歩みたい意向のメッセージを実直に伝えておられた。


 やっと、本日民主党党首に選出された野田佳彦氏の話に移ることにしよう。

 原左都子は、どうもこの手の人物を好まない。 
 54歳と言えば私よりも若いが、どうしたのだこのメタボ体型は!と言いたくなるほどに野田氏のメタボの現状は否めないであろう。 自分の体型を自分自身で管理不能な人間が、国家を統率できるとは到底考えられないぞ!

 それは辛うじて許すとしても、野田氏は治療ミスにより死者を出した事で世間の物議を醸した東京都に位置するいかがわしき美容整形外科医院より政治献金を得ているという話もある。 それをどのように始末して今回党首選に臨んだのであろうか??

 極めつけは現職財務大臣の地位にありながら、現在の経済不況の元凶である円高対策を未だかつて実行出来ないでいる事である。 メディアの会見に際しても誠心誠意応えるでもなく、「世界の動向ですから」だとか「たかが民間の評価基準に反応するのは愚かだ」等々、逃げてばかりだ。 一大臣の立場でこれ程実行力のない人物が、国家を牛耳れるはずもないと考えるのが原左都子の野田氏不支持の第一の理由である。

 本日昼間の党首選挙の直前に行われた候補者演説に於いても然りであった。
 海江田氏は額に汗を流しつつ、震災地の人々を守りたい、総理官邸は一般国民にも開放するから来て欲しい等々、自らの率直な訴えを全面に出していた。
 これに対して、野田氏は相も変わらず(私に言わせてもらうと)煮え切らない小声でボソボソと、自分の過去の武勇伝や家族の話が長引いたのだ。(こんなメタボおじさんのプライバシーなど聞きたくもないのにねえ…)
 党首選挙というこんな場で自分の身内に関する視野の狭い話を展開するなど、男にしての野田氏の小国民さを原左都子など蹴り飛ばしてやりたい思いだ!  
 それから、野田さんは政治家になるために過去において確かに苦労したのかもしれないが、今この時東日本被災地の皆さんのご苦労を慮ることが出来るのならば、テレビ生放映がなされているこの場でちっぽけな我が身の苦労談を展開する事の意義を検証してみろ! とも言いたい私である。  ここは海江田さんのごとく少しは大人になって、党首選の行方を見守っている被災地の皆さんに思いを馳せてみてはどうなのかと言う事である。


 結果としては、こんな未熟で小粒な野田氏との政治家が民主党党首に選出されたという厳しい現実を突きつけられた国民の我々である。

 まあ原左都子としては、とりあえず黒幕親分小沢氏を排除できるのかな、という意味合いにおいては賛同すべきかとも思うのであるが……

 それにしても相変わらず大震災復興は叶いそうもないし、引き続き政権短命が予想される我が国の国政でもあるよね~~。
              
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左都子のサリー体験記

2011年08月27日 | 雑記
 (写真は、東京池袋にある 古代オリエント博物館 に於いて開催中の「古代インド にぎやかアート」展の会場でサリー体験をした私。 携帯カメラにて鏡に映った私を自ら撮影しているため、左右が反転しています。)


 昨日(8月26日)の午後関東地方はゲリラ豪雨に見舞われ各地で洪水・浸水等の被害が発生したのだが、私が古代オリエント美術館に向かって自宅を出た時はまだ空模様が怪しくなりかけた頃だった。
 ところがメトロ東池袋駅に到着してB1階に出た時には、一転してゲリラ豪雨が襲って来ていて大雨状態だ。 傘を持たぬ人は当然のことならが持つ人までもが豪雨の中を歩く事を躊躇しているのか、地上出口で大勢の人溜まりが出来ている。 幸いな事に古代オリエント博物館があるサンシャインビルへ行くにはビルの中を抜ける地下道があるため、私は豪雨に打たれることなく目的地に着く事ができた。


 さて、今回の特別展「古代インド にぎやかアート」を私が観たいと思ったのは、3年程前にインドの地を旅しているからに他ならない。 
 3年前のインド旅行の第一目的とは知人の美術家氏の国際ビエンナーレ授賞式に同行する事であったが、ついでに観て来たインドの大地やその地に生を営む人々の印象とは、先進国旅行では到底感じることが出来ないであろう強烈な記憶があるのだ。
 その一片を懐古したい目的で、昨日私はこの展覧会の会場に足を運んだのである。

 今回の「古代インド…」特別展は、インダス文明とそれに影響を及ぼした西アジア、エジプト、中国との連結も含めた、まさにオリエント古代文明を伝えるべく趣旨で開催されているようだ。 先史時代の土器及びそれに描かれている文様や、ガンダーラ仏教美術に施された多様な彫刻など、多様でにぎやかなアートに触れることができるのか「古代インド…」特別展の特徴である。
 
 展覧会の入口から入場してまもない展示室に、古代の住居室内を再現したような空間があった。(私の記憶違いで“古代”ではなかったのかもしれない点をお詫びするが)
 これを一見した時私が感じたのは、現在のインドにおいてはもっと貧困にあえいでいる人民が多いのではないかとのことである。 展示のような空間に居住できるのならまだしも幸いで、私がインドの地で見てきたのはその種の空間すらなく道端にただただ佇んでその日暮らしをする人民の多さであった。
 古代文明こそ素晴らしかったものの、その後歴史を超えて歪んだ発展を遂げつつ巨大に膨らみゆく人口を抱えざるを得ないインドにおいて貧富の格差が拡大していったのであろう。 その現実を3年前に目の当たりにしてきた私に言わせてもらうと、ある意味では古代栄えた文明の時代よりも、悲しい事に今の方がむしろ貧しい生活を受け入れねばならない人民が多いのではないかということである。
 (インド旅行記に関しては、本エッセイ集の旅行記バックナンバーに於いて綴っておりますのでご参照下さい。)

 私自身はインダス文明発祥の地であるインダス川下流地方には残念ながら旅していないのだが、それでも展示物を見ていると、デリーやアグラやボパール等々の地で見たインドの風景や美術品や物品が、今回の展示物と重複して何とも言えぬ懐かしさを感じたものである。


 そして極め付けが、上記写真の“サリー体験”であったという訳だ。

 展示場の出口付近にサリー等インドの民族衣装が展示してあり、その場の担当女性が「もしよろしかったらサリーをお召しになりませんか?」 と私に勧誘してくれるではないか!
 このような公営ではない美術館において試着等の体験をする場合、当然ながら別料金が発生するのが世の常というものであろう。 それを承知している私は咄嗟に「代金はいくらですか?」と尋ねた。 そうしたところ「無料で体験できます」との返答だ! 即刻、この無料体験に飛びついた私である。

 と言うのも、これには原左都子なりの理由があるのだ。
 私は3年前のインド旅行でサリー(ある程度の高級品なのだが)を買い求めてきている。 ところがこの“着付け”が未だかつて一向に出来ないため現在和ダンスに“お蔵入り”状態と化している。 解説書付でもあるし、ブログを通じて知人よりサリーの着付けを伝授してもらった経験もある。それにもかかわらず、それらの文面を読んで実行してみてもどうしても妙な着付けしかできない私だったのだ。
 その失敗談を係員の女性に話すと、「それでは今日こそはサリーの着付けを憶えて帰って下さい」とのことで、ラッキーな事に実体験でサリーの着付けを伝授してもらえた私だった。
 
 やはり実体験とは素晴らいものだ。 頭が老化途上のこの私にも、今回の博物館特別展に於けるサリー着付け体験は重々成果があったのだ。
 早速自宅に帰った夜に、我が娘をモデルにして3年前にインドで買い求めたサリーを“着付け”してみたのだが、これがスイスイできることに感動である!
 博物館の女性係員氏の指導こそが素晴らしかったのかもしれないが、要点をわきまえられるとサリーの着付けとは実に簡単なのである。 ここで少し原左都子なりにその着付けを伝授したい思いだが、やはり“百聞は一見にしかず”の原理でそれはやめておこう。

 それにしても私の感想とは、サリーは今尚インドの女性達に愛好され日々それを着て暮らす生活着として絶大な存在力で君臨していることが理解できる思いがする。 広げれば一枚の布のサリーであるが、これは素材によっては洗濯が簡単であろうかと洗濯好きな私など推測する。
 それから何と言っても帯を締めねばならない日本の着物に比べると、気候が暑い地方であるインドにおいてはサリーは着心地が涼しい感覚もある。 上記のごとく着付けを一旦憶えてしまえば脱ぎ着も至って簡単であるし、日本の着物に比して大胆に身体を動かすことが可能でもありそうだ。
 このようにサリーとは機能性に優れているからこそ、今尚インドの女性に愛好される普段着の地位を揺ぎなく築いていることを今回のサリー体験で実感した私である。


 それからこのサリーとは日本の着物と比較して正しい着付けを施した場合、そのアシメトリーで流れるような全体のデザイン面でも、女性の身体ラインが綺麗に表現できる優れた衣料であるとも考察できないだろうか?
 (いえいえ、決して冒頭の原左都子の写真をもう一度見ろとは言ってないですよ。  冒頭の私の写真はフレアーワンピースを着た上にサリーをまとっているため、ある程度ふくよかな印象があるのかなとも感じるのが事実です。 現実の私は上記写真の印象よりもずっとスリムなのですが…。  皆さんは豊満ボディに似合いそうなサリーがお好みですか? あるいはスリムな私でも着こなせそうな和服がやはりお好みでしょうか???) 
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金沢そぞろ歩きの旅 -その2- 寛げる旅の提案

2011年08月25日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、金沢近江町近辺で見つけた古い家屋。 ここは現在も調剤薬局として営業中のようだ。 金沢市街をそぞろ歩いていると、至る所で写真のような古い家屋を目にする事ができる。)

 今回の記事では、前半で前回の「芸術の都金沢そぞろ歩きの旅」の続きを少し端折って紹介した後、後半においては原左都子なりの「寛げる旅」のあり方について検証してみることにしよう。


 金沢はとにもかくにも美術工芸文化が多分野において発展している都である。
 その一例を挙げると、加賀友禅、九谷焼をはじめとする陶芸、金箔、漆器、仏壇、菓子木型、水引細工、和紙、和傘、提灯、毛針、茶の湯釜、三弦・琴や太鼓等の和楽器、桐工芸、竹工芸、和ろうそく……
 そして能楽等の伝統芸能や、音楽も盛んな金沢の街であるようだ。

 突然私事になるが、我が娘が以前美術分野の大学進学を志望していたためその分野の情報に多少詳しいのだが、日本の国公立大学の美術分野に於いて燦然と輝ける頂点に揺ぎ無く君臨しているのは 東京藝術大学 であろう。
 では、学生の偏差値や就職率、大学の研究実績等々において美術分野第2位の国公立大学がどこであるかご存知であろうか?  これぞ、金沢美術工芸大学であるそうだ。(娘が通っていた美大予備校より得た情報であるが。) 
 これだけの美術工芸文化の歴史と環境に恵まれている都に創設された美大の学生は、確かにその研究素材や就職先が豊富であろうと実感したのも今回の旅の感想の一つである。 (今となっては既に志望の進路先を鞍替えしている我が娘が、今後金沢の地で学業に励むことはないのであろうが…)

 話がずれたが、それら美術工芸品の展示をはじめとして制作の工程等を影像で紹介する美術工芸館や、能楽堂、音楽の野外ライブ施設等々が金沢の街には数多く点在していた。

 そんな中で我々親子が今回訪れたのは、「金沢能楽美術館」「県立伝統産業工芸館」「泉鏡花記念館」「市立安江金箔工芸館」「金沢蓄音器館」等々である。
 この中で「県立伝統産業工芸館」においては、フラッシュを使用しない条件で展示物の写真撮影が可能とのことだった。 (左欄「最新フォトチャンネル」欄に“七尾和ろうそく”の写真を掲示しておりますので、よろしければご覧下さい。 ついでに兼六園及び泉鏡花記念館の写真も掲載しています。)

 昨日の記事で麦焼酎“能登ちょんがりぶし”について触れたが、飲兵衛にとっての旅行の一番の醍醐味とは何と言っても昼間そぞろ歩いた後に楽しむ 酒 であるのが正直なところではあるまいか?! 
 金沢の都そぞろ歩きの後の私の興味は、昨日少しだけ試飲した“能登ちょんがりぶし”が堪能できそうな居酒屋にしか向いていないというものだ。 
 ホテルへの帰り道、その居酒屋を我が宿泊ホテルロビーの真横に発見した! 結局は金沢駅の構内にある我が宿泊ホテルビル内の“八兆屋 駅の蔵”との居酒屋でそれを堪能することと相成った。 (えっ? 未成年の娘を連れて酒を堪能するとはそれでも母親か! ですって。 おっしゃることはごもっともですが、原左都子はいつも自分の酒の適量をわきまえているつもりです。
 この居酒屋では“金時草とカニの酢の物”なる一品料理も注文したのであるが、この金時草(“きんじそう”と読むようです)とは北陸地方において夏に食することができる地域特産の野菜であるようだ。 一見若布か?と見紛うようなこの金時草は食感がコリコリしていてなかなかの美味であった。
 “能登ちょんがりぶし”のロックを2杯お替りした私であるが、女2人で店員さんを何度も呼びつけるのはやはり気が引ける。 そこで今度は“青竹冷酒”300mlを注文し、娘の食事の進み具合を観察しつつそれを完飲した後、わずか1時間足らずでこの居酒屋を後にすることとなる。 
 まだ飲み足りない私は、金沢駅のコンビニ“Heart-in"で焼酎かのかの水割り缶を買い求め、ホテルの客室でひとり酒と相成った。


 真正飲兵衛の原左都子としては酒の話ならいくらでも書けそうだが、ここで記事の話題を後半編に移そう。

 人が旅する目的とは一体何なのであろう。
 それは旅人により多様であるのは当然の事だ。

 私自身は決してそもそも旅好き人種ではないと分析している。 それが証拠に我が長き独身の頃には友人や彼氏に誘われない限り、郷里への帰省や米国在住の姉を尋ねる以外は自分から計画してまで旅に出ることは皆無であったと言える。

 そんな私が、頻繁(とは言ってもせいぜい年に1~3度位の頻度だが)に旅に出たいと思い始めたのは結婚後の事である。 
 どうも主婦業、特に料理が嫌いな私にとっては、日々“飯炊き女”を強要される負荷がどうしても耐え難いのだ。 この負荷ストレスから脱出する手段として、旅に出ることを私から家族に提案したのが我が一家の旅遍歴の始まりであった。
 それに快く応じてくれた我が身内と娘と共に十数年間に渡り身内の長期休暇毎に国内外へ旅に出た我が家であったが、近年体調を崩して旅行に出るのが億劫になっている身内である。 それでも私が我が娘を連れて旅に出ることに関しては快諾してくれる身内に感謝しつつ、ここ何年かは2人で旅行を楽しむ私と娘だ。

 元々集団嫌いな私にとって我慢ならないのが、旅の全日程をバスで巡る“パックツアー”である。 それでも特に海外の発展途上国などに行く旅行の場合、これに頼らざるを得ない。  過去におけるエジプト方面旅行はこれを利用したが、18名の小規模パックツアーでもストレスを溜め込んだ私は体調を激しく崩し、二度とこの手の“パックツアー”を利用しない決意を固めたものだ。
 
 海外はともかく、国内の旅行などそれこそ自分の好き放題のプランを楽しめるところが嬉しい。 
 そうは言っても、日本の過疎地に旅する場合は交通機関に苦慮する事も視野に入れねばならない。 レンタカーでも借りて回ればいいのだろうが、これに関しては車の運転が苦手な私にとってはかえってストレスが溜まるというものだ。 その場合地元の交通網を利用するしか手立てがないのだが、我が郷里の田舎のように1時間に1本以下程度しか公的交通手段がない過疎地など、移動手段をタクシーに頼った場合少しの距離で多額の出費とならざるを得ない。

 今や“航空券と宿泊のみの個人旅行格安パック”はネットを検索すればごまんと存在する時代である。
 後の懸念材料は、私のように現地でレンタカーを利用せず地元の交通網に頼りたい個人旅行客の対策ではなかろうか?
 今回の金沢旅行の場合、都会であるが故に土日祝日のバス運行がわずか“100円!”との恩恵があり十分に散策が楽しめた。 日本の過疎観光地に於いてもそれに準ずる交通網制度が確立できたならば、団体客のみならず個人旅行客も動員でき、今後観光収入が増えるということではあるまいか?

 とにかく個人旅行を楽しみたい原左都子に言わせてもらうと“団体さん”ほど旅先において目障りで鬱陶しい存在はないのだ。(金沢でもこの団体さんグループに出会って実に鬱陶しかったのだけどね…)

 旅行企画会社にとっては、団体企画旅行とは航空会社や宿泊施設さらには土産店との癒着縁故ノルマを達成できる“ドル箱”であろうことは把握している。
 ただ時代の流れも勘案しつつ、今後はこの手の団体さんを呼び込み収益を上げる観光事業など既に過去の所産と認識して、価値観が多様な個々人が真に寛げる旅行を展開しては如何か?
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芸術の都 金沢 そぞろ歩きの旅 -その1-

2011年08月23日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、金沢21世紀美術館の前庭にあるカラフルな色彩のオブジェ)

 私が今回北陸の地に旅しようと志したきっかけとは、この写真のオブジェが展示されている金沢21世紀美術館をテレビで見たことに端を発する。

 2、3ヶ月程前のことであろうか、NHKテレビ昼の旅番組「昼ブラ」において上記の金沢21世紀美術館が取り上げられた。 ゲストのタレントはしのえみ氏がアナウンサー氏と2人で当該美術館を観賞して回ったその空間影像が実に美しかったのだ。
 「これは必見! いつかはこの美術館を観賞する旅にでるぞ!」と心密かに決断した私である。

 この3月には東日本大震災直後に予定していた郷里への帰省が、余震や放射能の影響により航空会社よりキャンセル奨励扱いとなり帰省を断念した。 郷里の母には夏に帰ると言っておきながら、実は私の心はこのテレビ番組を見た時から金沢に向いていた。 親不孝者の私の言い訳とは、娘の大学推薦入試を秋に控えているからそれが終了した時点で帰省すると母をごまかし、娘と共に北陸の地に旅立ったといういきさつである。

 加えてお盆の時期とは家庭内で長期休暇の身内を抱え、主婦の身としては日々“飯炊き女”の負荷の重圧に耐えかねるのが現実でもある。 身内の世話に耐えた後さらに田舎の年寄りの長話に付き合わされたのでは我が身が持たないというものだ。 ここは身内と年老いた親には申し訳ないが、物静かで従順な我が娘を引き連れて現実逃避旅行に出かけるのが一番の方策というのが、主婦の身である私としては正直なところである。


 さてさて前置きが長引いたが、いよいよ芸術の都そぞろ歩きの旅に話を移そう。

 出発直前にネットを検索しつつ娘と旅のプランをいろいろと話し合った。 娘にとっては初めての訪問地である北陸にせっかく旅立つのだから、輪島等能登半島までも足を伸ばそうかとの案も出た。 だが結局は上記のごとく私自身が寛ぎたいのが今回の旅行の主たる目的であるため、ハードスケジュールとなる遠出は控えて2人でのんびりと金沢散策を楽しもうとの結論となった。

 小松空港到着後、金沢駅行き直行バスに乗る。
 車窓からは日本海が見える。娘にとっては初めて目にする日本海である。 天候も良く、穏やかな日本海が広がっているのを娘はカメラに納めたようだ。 そんな娘曰く、「北陸も四国(我が郷里)と似ているね」 
確かにそうだ。 海が間近に存在し、山あり川あり田畑ありの北陸の風景は我が郷里と似ていると私も感じた。

 宿は金沢駅構内にあるホテルを予約していたのだが、これは都会暮らしが長い女2人旅にとっては好都合であった。
 金沢とは首都圏、阪神、福岡等に次ぐ日本における繁華街であるようだが、都会暮らしに慣れきっている我々にとっては何ら違和感や不都合がないのだ。 (こんな事を書くと“旅の神髄とはたとえ不便をしようが当地の生活文化に触れることである!”との反論を頂戴しそうだ。 これに関しては、既にエジプトやインドで重々不便を経験した私でもある。 今回の小旅行の目的は“寛ぎ”であることに鑑みてどうか我がままをお許し下さいますように…。

 当日の夜は娘の希望により、イタリアンレストランにて夕食と相成る。
 ここで飲兵衛の私としてはとりあえずはワインのハーフボトルを注文したのであるが、北陸の地ならではの地酒を試飲したいものだ。 そんな私が発見したのが“能登ちょんがりぶし”との麦焼酎である。 これをロックで注文したところ、なんと私の好みの柔らかテイスト端麗で美味なのである! 最初からワインはやめてこれにしとけばよかった…と悔やみつつ、明日は別の居酒屋でこれを堪能するぞ!と心を固めながらも、未成年者の娘の前ではしらふのふりをして淡々と時を過ごす私である。(毎晩のことで、慣れてるしね~~)

 さて翌日は朝からバスに乗って、いよいよ今回の旅の主たる目的地である金沢21世紀美術館へと向かう。
 金沢はさすが観光客が多数訪れる観光地であり都会でもあるという市政運営上の条件に恵まれているのであろうが、バス運行のサービスも徹底していた。 土日祝日に限っては、観光地方面を運行するバスはわずか“100円”で観光地を巡れるのである!
 この恩恵を受けつつ我々親子は金沢市街の各地の芸術施設を堪能したのだ。


 そして到着したのが、第一目的地の金沢21世紀美術館である。

 真っ先に目に付いたのは、やはり美術館前庭にある上記写真のカラフルオブジェであった。 ただし、私の印象ではNHKテレビ映像で見た印象よりかなり小さく感じた。 そういった理由もあるのか、このオブジェの存在すら認識せずして美術館の中に入る観客が多いようだ。
 それから、NHKテレビにおいては前庭にあるラッパ状のオブジェについても解説していた。 それによるとそのラッパ状のオブジェは他の外庭にあるラッパオブジェと連結されていて、それを通してまるで“糸でんわ”のごとく会話が出来るとのことである。 ところが、これに関しても入場者の誰も認識していない様子でこれを楽しむ観客が皆無だったことも残念である。
 (どうやら主宰者の宣伝不足のようだが、上記のオブジェは美術館に入場せずして利用できるようですので、是非共観客の皆さんこれらのオブジェを楽しまれますように! )

 この21世紀美術館は現代美術の展覧会場であるようだ。
 そこに展示されている作品は常設展よりも特別展が多数なのであろうか?
 今回初めて訪れた私にとってはそれさえも分かりにくかったのだが、確かにこれが上記のNHKにて放映されていた常設展かと思しき展示もあった。 例えば観客が自転車を漕ぐ人力エネルギーにより形を変える電球オブジェ、 上から見るとまるでプールの底に人がうごめいているがごとく見えるオブジェ、あるいは多数の鏡が回転している中を鑑賞者が歩くことができその中での感覚を体験できるオブジェ、……
 とにかく、この美術館の展示とは広い部屋に一つのオブジェの展示が原則であるようだ。 この展示室の広さが開放感を誘っていることは事実であろう。
 ただしどうなのだろうか。 現代美術とは素人にとっては分かりにくいのが特徴であるが、もしもこの美術館が金沢に訪れた観光客の来館を煽る目的で単に“奇をてらった展示”を展開して入場料収入に頼っているとするならば多少残念な気もする。 と言うのも、この美術館は金沢に多数存在する美術館等芸術施設に比して入場料が格段に高いのだ。 (いえいえ、単に芸術素人の原左都子がその価値の程が理解できないだけの話なのだろう。)
 
 観賞料無料コーナーにピーターマクドナルドの絵画「ディスコ」なる広々とした展示場があったが、あのコーナーなど可能ならば実際にディスコサウンド音声を発して観客が短時間でも踊れるスペースにするならば、展示と鑑賞者がさらに一体化できる空間となるのではないかとの素人考えが浮かんだ私でもある。(出品作品を傷付ける恐れがあるため無理なのか??)

 等々の理由によりテレビ映像で見るのと実際にその場で観賞するのとでは残念ながら食い違いがあることを実感しつつ、21世紀美術館を去った我々である。


 (金沢そぞろ歩きの旅の話は、次回に続きます。)
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「大連立」案を打ち出す民主党に未来はない

2011年08月18日 | 時事論評
 本日(8月18日)昼間のNHKテレビニュース報道によると、民主党政権は“子ども手当て”が来年以降も存続するかのようなニュアンスを感じさせるチラシを作成し、公に配布したらしい。
 これに対し自民公明野党両党は即刻このチラシを回収するよう民主党に指導し、民主党は陳謝したとの事である。

 まったくもって、“溺れる者、藁をもつかむ”とはこのことか??

 来年度より事実上消滅することになった“子ども手当て”は、確かに民主党の看板公約であった。 
 陰の黒幕である小沢氏率いる民主党が2年前の夏劇的に政権奪取できたのは、この“子ども手当”を筆頭とする「カネのバラ撒き票取り政策」以外の何物でもなかった。

 その後民主党に政権が移り変わった後も、国家財源難に拍車をかけるがごとく経済不況が続いた挙句の果てに、突如として勃発したのが3月の東日本大震災だった。
 もうそろそろ政権は膨大な税金の食い潰し政策である“カネのバラ撒き”を終焉させないことには、今後この国は成り立たないであろうに… との原左都子の危機感をよそに、民主党内部からは今後“震災復興税”等の増税政策を採ってでも尚看板マニフェストである“子ども手当”を続行するとの意向が伝わってきていた。

 もういい加減、民主党も自分らの力の無さを観念しろよ! と、政権にしがみつく民主党議員らの我が身息災な視野の狭さに辟易としていたところ、自民党を筆頭とする野党より菅内閣に対して不信任案が提出され菅首相は退任を迫られた。

 当時、私は本エッセイ集7月の「菅さんは本当に退陣せねばならないのか?」と題したバックナンバーにおいて、今後民主党政権が続かざるを得ないのならば、党首は菅さんでいいのではないかとの私論を展開している。

 その私論を少し振り返らせていただくことにしよう。
 原左都子はそもそも民主党支持派ではなく、菅政権に対しても批判的立場に立っている国民である。
 野党の魂胆はともかく、一旦野党より内閣不信任案を提出されたにもかかわらず、それに菅氏は言葉を濁しつつ退陣時期を明確にしないまま時間が過ぎ去ったため、国民の不信感を不必要に煽ったようだ。 先だっての6月28日には、菅氏は自らの辞任時期に関して、震災や原発事故に対する一定の目途がついた時点で若い世代に責任を引き継ぎたいとの意向を示した。 さらに第二次補正予算案、及び再生可能エネルギー特別措置法、特別公債発行案、これら三つの成立を持って自らの退陣の目途と考えるとのことである。 私論であるが、これらを今こそ菅氏に実行してもらってはどうなのか?? 
 一方、“菅降ろし”発言は高々なれど、大震災復興案に関しては野党からその代替案が全く聞こえて来ない現状ではあるまいか??  福島第一原発現場では汚染水循環利用システムや汚染水プール内の汚染除去システムに関して故障また故障の連続であり、高濃度の放射能汚染を周囲に撒き散らしている現状だ。これに関して私が今すぐ訴えたいのは、この処理を東電及び菅政権に任せ切りにするのではなく、もしも与党内菅反対勢力や野党各党においてその対策を講じられる道筋(先進科学者のコネ等)があるのならば、何故申し出ないのか!と言うことだ。 「政権が我が身に移るのならば、協力してやってもいいよ~~~」などと狭い視野で敵対意識を燃やしている場合ではなかろうに!  この緊急事態から原左都子が察するに、要するにこの国においては与野党議員共に誰もそんなコネなどなく、原発を推進してきた自民党時代より、元々今回のごとく未曾有の原発事故発生時に適切な対策が取れる研究者など一人として育成していない状態、ということが証明されているようなものだ。
 それは原発事故以外の被災地の全般に関しても同様の貧弱さではないのか?? 今回の大震災復興に対して後を継ぐ能力がある人材が誰一人として存在しなさそうな中においては、とりあえず菅氏の辞任時期に関する3条件表明を受けてはどうなのか??
 (以上は、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用要約)


 そうしたところ菅首相は8月上旬頃、大震災復興対策や原発事故対応や今後の社会保障と税の問題に関して「内閣として実行するべきことはやってきた。もう残念と思うことはない」云々と述べ、8月中には退陣することを表明した。

 この菅首相の表明により8月内での退陣が決定した訳であるが、その後次期民主党代表選に出馬の意向を表明している“ポスト菅”議員連中から出てきたのが自公野党との「大連立」案である。
 例えば一番先に民主党代表選への出馬意向を固めた野田佳彦財務相は、次期政権の枠組みに関し「救国内閣をつくるべきだ」として自公両党との大連立を目指す考えを明言した上で、増税路線を堅持する考えも示している。
 この野田氏は民主党内における有力候補であるらしく、この発言は代表選の行方に影響を与えるとの報道を見聞した直後から、前原氏等民主党閣僚経験者より「大連立」案に対し同調意見が出ているようだ。

 片や、民主党内党首候補者らよりの「大連立」の意向に対し、昨日(8月17日)自民党の谷垣総裁や石原幹事長らは否定的考えを提示したとのことである。


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。
 
 自民党総裁や幹事長が民主党よりの「大連立」を拒否するのは当然であろう。
 そもそも民主党の政権交代が叶ったのは“カネのバラ撒き政策”以外の何物でもなく、議員を頭数だけ揃えた人材不足の民主党政権が早期に政権を失う事を私は当初より予想していた。 そうしたところ肝心要の小沢氏が“政治とカネ問題”等により崩れ、昨年の民主党党首選において菅氏に敗れた時より民主党政権の生命の短さが決定付けられた。
 それにしても残念なのは、民主党内に於いて今尚黒幕親分として裏で君臨しているであろう小沢氏に対抗できる政治家は、民主党内においては菅氏しかいなかったのではないかという事である。
 だからこそ、原左都子は民主党がまだ政権を執るのなら首相は菅氏でよいと主張していたのだ。 決して金権勢力の小沢氏の影響下で政権を操る時代ではないことが明白なためだ。 民主党が政権を死守したいのであればこの菅氏を支えて今一度一丸となればよかったものを、内部分裂により野党の不信任案に同調し、自ら菅氏を退陣に追い込み自滅への道を歩む結果となった。

 野田、鹿野、馬渕、樽床 ……
 大変失礼ではあるが、それらの中のどなたが次期民主党党首に当選したとて、今後の民主党は短命であろうとの予想しかつかない…。
 こんな小粒で零細な候補者しか擁立できず短命が予想される次期民主党政権より「大連立」を要望されたとて、まさか政権の大先輩である自民党が“はい、分かりました”と受ける訳もないことが民主党政権は何で分からないのだろう??? (参考のため原左都子は自民党支持派でもなく、あくまでも無党派層です。)

 国政を担う政権がこれ程貧弱、混乱状態では、いつ大震災復興が叶うのか計り知れないというものだ。




 原左都子は、明日から北陸の地に旅に出ます。  

 留守中は「原左都子エッセイ集」のバックナンバーをお楽しみ下さいますように!
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「アクセス解析」初体験記

2011年08月15日 | 自己実現
 ブログの編集画面において「アクセス解析」なる機能が存在することは、日々ブログライフを楽しまれている方々にとっては常識であり、そのデータを参考にしつつネット上でのご自身のブログ展開を楽しまれていることであろう。

 我がブログ「原左都子エッセイ集」の場合、開設当初より goo の“無料版”を一筋に利用させていただきつつ4年の年月が流れようとしている。
 “無料版”のgooブログは「アクセス解析」機能がないのをはじめ、様々な付加的サービスが少なくシンプルなのが特徴である。
 
 わずか月々300円足らずの“有料版”に切り替えれば上記の「アクセス解析」のごとくのサービスも受けられる等々のアドバイスを、過去においてブログ仲間より頂いたこともある。
 
 決して月々300円の出費を惜しんでいる訳ではなく、そもそも「原左都子エッセイ集」を開設した目的の第一義とは、我が内面から湧き出てくるオピニオンを公開することにあった。
 開設間もない時期は元々の知人が訪問してくれるだけの状況の中、もっと広範囲の「読者」を獲得したいとの純粋な思いもあってブログコミュニティに登録する等の行動も取りその恩恵に与っていた時期もある。
 ただブログコミュニティ登録直後より予想をはるかに超える反響の中、同時に予期せぬアクセス弊害も多発する現状に苦悩した挙句、その種のネット上コミュニティ組織は一切敬遠するべく対策を採って今に至っている。 現在では、むしろ不特定多数の訪問者が我がブログに“不必要”に訪れることを回避するべく方向性で、ブログ展開をしている原左都子である。


 その後も一ブロガーとして我がブログへのアクセス数には当然ながら関心があり、goo“無料版”においても入手できる「アクセス状況」については日々チェックを入れていた私でもある。

 「原左都子エッセイ集」の訪問者数(IP)が日々300を突破するようになったのは、2年程前からのことであっただろうか? これに関しても、“継続は力なり”の論理でブログもある程度続けていると、誰だってこの程度のIPアクセスが得られるのだろう程度に把握していた。

 その後、閲覧数(PV)が日々1,000を越え始めた頃より、このPVの実態とは何なのだろうかとの興味が湧き始めたのは事実である。
 その頃から表画面に「アクセス状況」の一部を公開し始めることと相成った。

 そもそも訪問者数(IP)と閲覧数(PV)の違いも心得ていなかった私は、ブロガー仲間にその定義に関して質問したところ適切な回答を頂いた。
 訪問者数(IP)とはブログ自体を訪問してくれた回数であり、閲覧数(PV)とはページビューの略語でその訪問者がブログのページをめくってくれた回数の総数とのことである。
 なるほど、なるほど。 ガッテンだ! 
 そうすると「原左都子エッセイ集」の場合、何らかのネット上の検索手段により我がブログを訪れて下さった方々が、(あくまでも原左都子の好都合に解釈すると)「なかなか面白いブログじゃないか! 他の記事も読んでみようか!」という行動に出てくれた結果が、この日々1,000を超える閲覧数(PV)ではないのかと検証するのだ。


 さて、いよいよ先週から一週間限定で試行させていただいている goo の「アクセス解析」に話を移そう。

 ブログ開設以来既に4年が経過しようとしている私にとって、これは今回が実に初体験であった。
 “へえ、そうだったんだ” “いや~、そういう観点から我がブログは見られていたんだなあ~”等々、新しい発見の連続なのだ!
 と言うのも大変失礼ながら上に記した通り、ブログとは頻繁に更新し長年ネット上で公開していさえすれば、誰が公開しているブログとて自動的にある程度の訪問者数も閲覧数も得られるつまらないシステムなのだと信じて疑っていない部分があったからである。 

 そんな疑いを払拭してくれたのが今回のgooの「アクセス解析」だったのだ。

 4年近くも「原左都子エッセイ集」を綴り続け公開しておきながら、今さらアクセスの実態を知ったというのも読者の皆様には失礼であることをまずはお詫び申し上げる。

 「原左都子エッセイ集」の場合もおそらく他のブログ同様に、最新記事へのアクセスが多い事実も判明した。 ただ、現在1,000を超えている閲覧数の中で最新記事へのアクセス数は日々その1割にも満たないことを今回初めて発見した私である。
 では一体全体どの記事に皆さんが訪問して下さっているのかと言えば、それはネット上で検索可能な「原左都子エッセイ集」が発した単語に連動している過去のバックナンバーであることに、今さらながら驚いた私である。

 私自身が「原左都子エッセイ集」のバックナンバーを読みたいと志しても、4年も前の記事をネット上で紐解くことが困難な実態だ。
 読者の皆様がどのような手段で我がバックナンバーを検索して下さっているのかさえ存じないが、それをたとえ偶然とは言えども検索画面より探してご訪問いただき、閲覧して下さっている事実に今さらながら感謝申し上げたい思いである。
 (加えて携帯からのアクセスも多く、総閲覧数の何割かを占めている実態にも驚いた。 私自身が携帯を通じて「原左都子エッセイ集」を読んだ経験は皆無であるのに…)

 ちなみに、ここ一週間gooの「アクセス解析」を体験した結果を報告しよう。
 「原左都子エッセイ集」全般において現在コンスタントにアクセスが多い記事のトップ3は以下のごとくである。(最新記事は除く)

    「原節子論」 (2008.6)
    「料理嫌いな女」 (2008.8)
    「近代市民法における基本原理とその修正 1~3」 (2007.12)
 
 私自身がその意外性に実に驚かされる結果であった。
 
 これをうれしく思いつつ、開設当初より貫いているアクセスの如何に翻弄されることなく我がオピニオンを展開し続けたい我が意向により、今後も付加サービスが少なくシンプルな goo “無料版”を堪能させていただく予定の原左都子である。
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なぜ、幼稚園バスは大津波に向かって走った?!

2011年08月13日 | 時事論評
 未曾有の大震災に於ける数々の被害に関して、これは「天災」だったのか、これは「人災」だったのかの白黒決着は今後も困難を極めることであろう。


 その中において、国民皆に一番分かり易いのは福島第一原発事故である。
 あれは誰の目から見ても「人災」以外の何物でもない。

 この国において原発が推進された当初より、その推進政策の背景には政治面のみならず科学技術面においても不安定材料が数多く存在していた。 にもかかわらず、国民に対して何らの情報公開もせずしていい加減な“原発は安全”アピールの国民目くらませの下、水面下で原発建設により暴利をむさぼろうとする巨大な権力が暴走したことは否めない事実であろう。
 その証拠に、福島第一原発事故早期に発生したメルトダウンによる水素爆発を止められる人物が誰一人としてこの国には存在しないことが、この3月以降証明された。
 しかもその後の原子力安全保安院等々、国の独立行政法人の原発事故担当者の数々の不祥事更迭事件勃発にもほとほと呆れる思いだ。


 表題の事案に移ろう。

 去る8月10日、宮城県石巻市の私立幼稚園の送迎バスが3月11日当日に大津波に巻き込まれ園児5名が死亡した事件に関して、4遺族が園側の対応に問題があったとして幼稚園に対して損害賠償を求める訴えを起こした。
 大震災発生後、学校や幼稚園等の場で犠牲になった子どもを抱える遺族から学校や幼稚園に対して責任を問う動きが広がっている中、訴訟に持ち込んだ事例は今回が初めてとのことだ。
 今回訴訟に持ち込まれた幼稚園に於ける3月11日当日の対応の様子をここで再現すると、大津波警報発令後の午後3時頃、園児を帰宅させるため高台にある幼稚園をバスが出発し、海辺の住宅地を回っている途中に津波と火災に見舞われて5名の園児が行方不明になったとのことである。(参考のため、高台に立地している幼稚園はその原型を保って存続している様子だ。)
 これに対し、遺族側は「園は警報で津波の危険性を予見できたのに被害を受ける可能性が高い海側へバスを走らせた。 地震時のマニュアルを周知せず避難訓練も実施しなかった」と主張しているようだ。
 この遺族側の主張に対し、園側代理人弁護士は「大津波が来るとは予想できず、園に責任はない」として原告側と争う構えであるとの報道である。


 ここで原左都子の私事に移らせていただくことにしよう。

 今から遡る事6年程前に私が住む関東地方においてかなり大きな地震があった。 その時東京は震度5弱を記録したのだが、これは私が上京してウン十年以来最大の震度だった。 (ただこの3月11日に東日本大震災の震度5強の大揺れを経験した身からすれば、今となっては大騒ぎするほどの揺れではなかったと振り返ることが出来る。)

 ところが当時大いに困惑させられる事象が発生したのだ。 震度5弱の揺れで首都圏の電車がすべて不通となり、これに当時塾に通っていた小学生の我が娘が巻き込まれてしまったのである。 娘の携帯からの電話によると、塾での授業中に大きな地震があったが、自分の授業が終わった時点で普段通り塾から帰されてしまったとのことである。 娘が駅に着いてみると電車が動いておらず人がごった返しているとの電話だ。それは午後4時半頃の事であった。  私は安易にも「おそらく電車はもうすぐ動くから駅で待機していなさい」と娘に伝えた。  
 この一言が親として大失策だった。 直ぐに何らかの手段で駅まで迎えに行ってやればよかったと思っても後の祭りである。 
 その後首都圏は大混乱状態に陥った。 電車は何時間経っても動かない。道路も大渋滞。 携帯も繋がらない。
 幸い時間が経過した後に、娘との携帯は再び繋がり始めた。 「まだ駅で待機している」との我が娘の気丈さに命拾いしつつ、電車が動き始めたのは午後11時過ぎの事だった。
 深夜に自宅の最寄駅まで迎えに行き、11歳という年齢にして7時間もの長時間、塾の最寄駅で一人で耐えたその果敢さを賞賛してやったものである。
 それにしても、年端もいかない子ども達を保護者から預かって暴利をむさぼっている塾が、何故に非常時の生徒の交通網の状態すら把握せずして安易に帰宅させたのか、との不信感を当時より抱き続けている私である。

 時が過ぎ、今年の3月11日の大震災発生時にも上記の過去の苦い経験から、学校は首都圏の交通網が不通で大混乱状態の中、子ども達を無謀にも帰宅させるのであろうか?との大いなる懸念を真っ先に抱いた私だ。
 やはり大震災の状況下において、我が子に持たせている携帯電話に繋がる訳はない。 それがパソコンメールにおいて繋がり始めた時には感激だった。 その後まもなく娘から「今夜は学校に留まることになる」とのメールをもらった時には、親として「これでとにかく我が子は帰宅難民になることだけは避けられ、命が繋がる!」との切実な安堵の思いだったものだ。


 8月3日の朝日新聞報道によると、首都圏の小学校では今までの防災マニュアルを見直して「大地震の時には学校待機」を表明したとのことである。
 どうしてこんな簡単な結論が今まで導けなかったのかと不思議でさえある。
 ただしこれは首都圏特有の改善策であり、大津波が押し寄せる地域にある教育機関においては、今後その立地の検証も鑑みつつ改善策が検討されるべきであろう。


 子どもを預かる学校や幼稚園とは、在校、在園中のその小さな“命”を当然ながら保障してくれると信じて保護者は我が子を教育機関に託しているのだ。

 確かに、まさか本当に未曾有の大津波が押し寄せるとは考えてもいなかったとの弁解が成り立つと信じる弱小組織が数多く存在する日本の貧しい教育事情なのでもあろうが……

 ただ歴史的大震災が勃発してしまった我が国の今後においては、もう既にその種の甘っちょろい弁解が成り立たなくなっている実情を、たとえ零細教育機関であれ肝に命じて欲しいものだ。

 その観点から、今回の幼稚園児死亡に対する保護者の訴訟の行く末を見守りたい私である。
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ディズニーリゾート低迷不振の真相を探る

2011年08月10日 | 時事論評
 1983年の開業以来大活況を続け、日本に於けるテーマパークの王者の地位を揺ぎなく築き上げてきた 東京ディズニーリゾート(東京ディズニーランド及び東京ディズニーシー)が、3月の大震災発生後低迷不振を続けているとの報道である。

 先だってのニュース報道によると、経営主体である㈱オリエンタルランドは、3月11日に発生した東日本大震災後、長期間休館を余儀なくされたことがその後の入場者数を減少させている原因と位置付けているようだ。


 3月11日の大震災当日に東京ディズニーリゾートを訪れた顧客総数は7万名程であったようだ。 そのうち首都圏の交通網の不通や混乱により、自宅までの帰路を確保できた顧客を除き5万5千人もの大量の顧客が帰宅難民となり、リゾート内で一夜を過ごしたとのことだ。
 その翌日より、当然ながらディズニーリゾートも大震災の影響により休園と相成る。

 日本に名立たるテーマパークとは日頃巨大な収入を得ている恩返しとして、このような大震災復興時にこそ、国民が元気を取り戻すべく娯楽分野において社会的責任を担う事を使命としているものと私は捉えていた。 
 ところがその予想に反して休館期間が予想以上に長期に及んでいる事を、私はてっきり千葉県浦安市の埋立地に発生した“液状化現象”の影響を東京ディズニーリゾートも受けているものと勘違いしていた。

 千葉県浦安市の埋立地に林立するかのごとく建設された超高層マンションの数多くが、この“液状化現象”の打撃を受けたとの報道は大震災直後に何度も耳にした。 これらのマンションとは住民にとっては“富の象徴”であったらしく、東京の“シロガネーゼ”や神戸の“アシアレーヌ”をもじって“浦安マリナーゼ”なる新語も生まれる程に、地域住民にとっては特権意識をくすぐられるものであったらしい……
 千葉県浦安市の埋立地に住んで特権意識を煽られる???  (私など元々そんな地に住みたいとの発想すら湧かないのだが…)  
 いえいえ、失礼を申し上げました。 液状化現象による被害は甚大なことであろう。 “浦安マリナーゼ”の皆さん、今後も建設販売主やそれを認可した自治体と果敢に闘われつつ、どうか原状回復を急がれますように…


 さて、東京ディズニーリゾートに話を戻すと、大震災後閉園が長期に渡った理由は“液状化現象”故ではなかった様子だ。 どうやら、ディズニーリゾートがそびえ立つ地は“液状化現象”とは無縁の地であったらしい。
 それでは何故に、東京ディズニーリゾートは大震災後の開園を遅らせたのであろうか?

 これに関しては、当然ながら顧客の安全性を確保するためであって欲しいと一市民としては望みたいところであるし、実際問題そうだったのだろうと推測できる。

 ところが、そう推測するに当たって多少の疑問点があるのだ。
 3月11日の大震災発生時には千葉県浦安市においては震度5強以上の揺れを観測しているはずである。
 その揺れにもかかわらず、東京ディズニーリゾートにおいては死者は元より負傷者の一人とて出していない。 それはこの種の大量顧客を動員するテーマパークにおいては厳重な危機管理がなされていた証拠でもあろう。
 東京ディズニーリゾートがその後長期間休園を与儀なくされたのも、当然ながらこの危機管理力の完全復活を徹底するためだったと推測したい。

 ただ長い閉園期間を経て開園してみると、予想以上に顧客が訪れないことに一番困惑しているのが、経営主体である㈱オリエンタルランドなのではあるまいか?

 大震災による国民の精神面での影響は、首都圏周辺の住民にとっては既に過ぎ去っているのが事実であろう。 そして現在東京ディズニーリゾートの最大の顧客層であろうアジア地域のニューリッチに対しても、原発事故の放射能の風評悪影響情報は沈下しつつある。


 では何故に顧客が“ガタ減り”なのか??

 原左都子が考察するに、その要因とは「マンネリ化」以外にあり得ないのではなかろうか?

 本エッセイ集の2011年2月の時事論評バックナンバー 「ディズニーリゾートに見る若者の“似非”同調志向」 においても綴っているが、現在あの地に出向くと望みもしない妙な“似非”同調志向を強要されるのだ。
 これがもしも小さい子どもでも連れているのなら、我が子のためにミッキーを筆頭とするディズニーキャラを愛好しているがごとくの演技もやむを得ない。 ところが、単に休日の開放感を楽しみたいのみの来園者も含めて、来園者全員にディズニーキャラ愛好の演技を強要されたのではたまったものではない。
 結果として、現在のディズニーリゾートとは“ディズニーおたく”が集う場に変貌するべく落ちぶれていて、“おたく”ではない来園者にとっては居場所がないのが現状なのだ。

 その種の「特異的マンネリ化現象」に実は前々から嫌気がさしていた人種が、大震災後の休園をきっかけとして東京ディズニーリゾート離れを起こしているのが現在の低迷不振の真相ではないのか、と考察するのが原左都子の私論である。

 現在、子ども料金を半額にして夏休み中の子供連れの来園増を目論んでいるディズニーリゾートのようだが、その効果の程はどうなのだろう??
 
 如何なるリゾート地とて、もちろん経営者の理念により運営すればそれでよいことである。
 ただ東京ディズニーリゾートと言えば、既に30年来に渡り国民的、国際的リゾート地として内外にその名を轟かせてきている歴史を抱えているのが事実であろう。
 本家本元のウォルトディズニー社とのライセンス契約の軋轢がネックなのかもしれないが、来園者あってのリゾートであることを今後共肝に命じて欲しいものでもある。

 妙な“おたく”“同調意識”を感じさせず広く一般に真に愛されるリゾートであることが可能ならば、今後も国内外を問わず観光客が末永く押し寄せるのではあるまいか??
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退職を決断する時

2011年08月08日 | 仕事・就職
 本日、丸山陽子先生が小学校教師を退職した。

 と言っても何のことやら分からない方が多数であろう。
 丸山陽子先生とは、現在NHKにて放映中の連続テレビドラマ「おひさま」の主人公である。

 戦前生まれの陽子先生は、当時においてはある程度豊かな家庭に育った。 ただ、病弱の母親を小学生の頃に亡くすという不幸に直面し、男所帯の家事を一人で支え切り盛りしてきた健気な経験の持ち主でもある。

 その陽子が学校の教師になりたいと思ったきっかけとは、亡くなった母の影響力故だ。母は教師になるのが夢であったことを、生前小学生だった陽子に語っている。 この母が残した言葉に大いなる影響を受けた陽子は、小学生の頃より学校の先生になることを目指していた。 
 そして女学校卒業の後、当時としては進学する女子が極めて少ない歴史的背景の下、師範学校に進学して2年間勉学を修めている。
 そしていよいよ小学校教師として自分の出身小学校へ赴任する。
 だが不幸な事に時代は戦争直前期に突入しており、国を挙げて戦争に勝利するべくイデオロギーが渦巻いている時代背景だった。 
 小学校教師とはなったものの、日々陽子先生が子どもに教えねばならない事とは戦争に備えての心身の鍛錬等の戦争一色の教育であった。 そして第二次世界大戦が始まり、そのイデオロギーはさらに高まりを増し、学校教育も自ずと戦争特化を強行された時代である。

 その後終戦を迎えたものの世の中の混乱はまだまだ続く。
 学校現場においては今までの戦争教育を白紙に戻すため、戦前の教科書の不適切な部分に全校生徒に墨を塗る作業を泣く泣くさせるはめとなる。
 ここで原左都子の私見になるが、戦後世の中が「平和」を意識するのはずっと後の事だったのだと再認識させられる場面であった。 まさに私が生まれた頃は“もやは戦後ではない”とのスローガンが掲げられた時代であるが、「平和」が庶民の感覚として意識され始めたのは戦後10年以上経過した後のことだったのではあるまいか?

 その後陽子の学校の校長も新しい人物に替わり、陽子先生は厳しくもこの学校長より退職勧告を突きつけられる運命となる。
 学校長曰く、「これからの時代は国民に対して新しい教育を施す時代へと変換せねばならない。 古い教育を受けた教員ではなく新しい教育を次世代に伝授でき得る人材こそが今後は学校教員となり、新しい時代を創っていくべきだ。」 (原左都子の記憶のみに頼っているため正確ではない点をお詫びします。 ただ私見としては陽子にとっては酷な話であろうが、校長が発する言葉は当時における正論でなくてはならないとの感が強かった。)

 さて陽子先生は如何なる結論を出すのか、日々ドラマを見つつ興味深々だった私である。
 先週出されたその結論は 「退職」 であった。 
 その陽子なりの結論を、私は十分に納得できたのだ。 世界を照らすべく“太陽の陽子”であることを期待されて今は亡き母親より命名された自分の名前ではあるが、その“世界”の解釈とは自分の力量に見合った世界であってよいとの陽子自身の解釈に十分説得性があった。 戦時中の教員経験であるため、戦争教育を強いられ生徒達に本来の学校教育をほとんど伝授していないことを悔いる陽子の思いも十分に理解できる。 そんな困難な時代に短い期間だったが自分が受け持った48名の子ども達にとって生涯の先生でありたいとの今後の陽子の人生の意向についても、素晴らしいと感嘆する私である。


 原左都子自身も、過去において職場の退職を幾度か経験して来ている。
 その我が職場退職の歴史の中で、陽子先生と同じく“教員”を退職した経験を今回“ドラマ「おひさま」”で懐古させてもらえた。

 私の場合は上司からの退職勧告ではなく、自己都合による“出産退職”であった。
 我が子を懐妊したのはちょうど高校が新年度に差し掛かかろうとしていた年度末の時期だった。 3月に教頭より来年度の担任を要望された私は、この時“出産退職”を表明せざるを得なかった。 来年度中の出産が明らかであるのに担任を承諾したのでは、学級の生徒達に迷惑をかける事は明白である。 その時担任を辞退すると共に、私は教員を辞める決意をしたのだ。
 
 そして担任を持たずしての新年度二学期途中の9月30日に、私は教員退職を迎えることとなる。
 学校を上げて私一人のための送別集会を開催していただき(これに関しては単に学校の定例であるのだが)、体育館の舞台で私は全校生徒の前で“お別れの言葉”を述べる事と相成った。 
 私が残したいメッセージは明瞭だった。 学期途中で退職する事のお詫びと、生徒達に今後個人的に望みたい事象についてである。
 「皆さんにはいつも中途退学(高校は中途退学が少なくない実情なのだが)などせず卒業まで頑張って欲しいと教育している教員側の私が、こんな形で学期途中に中途退職することになって本当に申し訳ない思いだ。 見ての通り、ここまでお腹が大きくなった状態で片道2時間電車とバスを乗り継いで学校まで通うのが正直なところ辛くなった。本当にごめんなさい。  それから、今後も皆さんに頑張って欲しい事がある。 授業中にもよく話しているが私は根からの学問好きだ。 今の皆さんにとって勉強は面白くないだろうし、学問と言われてもピンと来ないことも理解している。 それでも学問とは実に素晴らしいのだ!  今後高校を卒業して社会に出たら、皆さんも将来学問をもう一度やりたい時期が来るかもしれない。 その時には年齢を気にせず学問に励んで欲しいというのが私の希望だ。」

 そして教員連中からの“さくら”も含めた沢山の花束も含め、生徒からの出産に対する祝福のメッセージや手紙を数多く抱えて帰宅した私である。
 退職後一ヶ月半の後に、私は我が子を出産することと相成る。
 その情報を得た生徒からの電話や数多くの手紙が自宅まで届き、我が赤ちゃん見たさに遠方から我が自宅まで押し寄せてくる生徒の対応に苦慮した経験もある。(当時は教員の個人情報が生徒にオープンだったからねえ~)
 一方残念なことに、その後生徒から学問に励んでいるとのメッセージは一切受け取っていない私なのだが……
 


 冒頭の丸山陽子先生の場合、私が経験した“出産退職”と比較すると、世の中が劇的に移り変わる時代に翻弄されつつ教員時代を送った厳しい歴史を思い知らされる気がする。
 それでも陽子先生の場合、家族に恵まれ仲間に恵まれる環境の中、自分の欲する未来像を描けての教員退職だったことに安堵させられるものだ。

 今後の陽子の人生の行方を楽しみにしていますよ、NHKさん! 
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新聞のデジタル購読をするべきか??

2011年08月06日 | 時事論評
 2、3か月前から悩んでいる事象がある。
 その事象とは、表題のごとく「新聞のデジタル購読をするべきか?」否か? である。

 「原左都子エッセイ集」の古くからの読者の方々は重々承知であろうが、私は何十年来に渡って一貫して朝日新聞のファンである。 その朝日新聞が2、3か月前よりデジタル版を開設した当初より、その購読の程を悩んでいるのだ。
 同じく朝日新聞ファンの身内に相談すると、身内自身は従来通り“紙の新聞”が希望とのことだが、私がデジタル購読したいのならたかが“プラス1000円”で両者の購読が可能なのだから、さっさとデジタル購読も付加すればよいとの意見だ。

 確かに“たかが月々1000円”の負担増ではあるが、そのコストパフォーマンスの程を見極めたいのが原左都子の性分である。

 そこで以下に、私なりにそのコストパフォーマンスの程を検証していくことにしよう。


 新聞をデジタル購読することの <利点その1> として、パソコン、iPad等々の端末で新聞を読めることが挙げられる。
 過去を振り返ると、私は20代後半頃から朝日新聞を職場に持参して、昼食後の休憩の残り時間に日々集中してそれを熟読し続けた事をバックナンバーで述べている。
 20代前半頃までは、昼食時にこの私も職場の同僚との談話を楽しんでいた。 ところが周囲の同僚の結婚、出産等の環境変化に伴って昼休みの話題が子どもや亭主関連に偏向し始めるのだ。 当初は同僚達のその種の井戸端会議に多少の興味があった。
 だが、徐々にこの話題に付き合って時間を潰すのはもったいない感覚が増大して来るのは、結婚志向の低い私にとっては必然的である。 そして、その後の私の昼休みとは単独で新聞を熟読する時間と相成ったのだ。
 その頃の私は出かける間際に玄関先の新聞受けに配達されている新聞を、広告チラシも含めて鷲づかみで鞄の中に押し込んで、出勤を急いだものである。
 今の時代であれば、iPadなる小型機器を鞄に入れておけば、昼休みに限らず電車の中等何処でも新聞のデジタル購読が可能ということであろう。 私にとっては、新聞のデジタル購読とはその過去の時代にこそ価値があったことを今さらながら実感させられて残念である…。 
 現在の私は、紙の新聞を何処かへ持参して読む機会など皆無だ。 その意味では、<利点その1>に関して、コストパフォーマンスは低いとの結論になりそうだ。

 デジタル版の <利点その2> として、過去の記事1年分が検索し放題とのようだ。
 私の場合、現在新聞を最も活用する場であるのがこの「原左都子エッセイ集」においてである。
 現在私が朝日新聞を我がエッセイ集に活用するに当たって採用している方法は“スクラップ方式”である。 これに慣れている身としては、現在のところはこの方式で十分な感があるのだが、さてデジタル版の過去記事検索機能の実用性は如何なるものなのか? この点においてのコストパフォーマンスの程は不明だ。

 次の <利点その3> は、“セレクト”及び“キーワード”機能であるようだ。
 これを実行することにより、自分が欲する画面が自動的に配信されるようだが、これに関しても、一体どの程度の選択機能や精密性があるのかが不明である。

 <利点その4> はトピックス性とのことである。
 重大ニュースがあると超速報として画面に表示されるとのことだが、これは読者が新聞デジタル画面を開いている場合に限られるのであろう。
 テレビにおいても速報テロップが流れるが、あの感覚と同様なのだろうか? テレビの速報の恩恵に与れるのはテレビを付けている時に限られるが、私はさほどテレビを見ないため速報に触れることも少ない。
 同様にパソコンも1日において限られた時間しか開かないため、この機能も使いこなせないのではないかと考察する。

 朝日新聞がデジタル版を開設した当初には、“無料お試し期間”が設定されていたようだ。 それを試しておけば上記の各利点に関して私なりに把握できたのであろうが、残念なことにそれを試行する時間が取れないでいた。
 ただ私なりの乏しいネット経験でその“お試しぶり”を想像してみるに、パソコンを一日中開いておけるがごとく相当の時間の余裕がある人のみが、この種の利点のすべてを利用可能ということではあるまいか??


 加えて、“紙”という文化が果してきたその機能の高度性も、今尚捨て難いものがある。
 私は数年前にエジプトを訪れ、現在の紙の起源である“パピルス”の歴史文化に触れて来たのだが、紀元前の古代より現在に至るまで、一つの文明として情報伝達手段をパピルスや紙が担った歴史は重いものがあろう。
 現代においては資源の有限性や環境保護の観点から、紙資源の利用を控えるべく世論が先行しているのが現状だ。 その観点から地球上において貴重な紙資源を再利用する技術が発展していることは何よりである。

 その種の世論の背景を受けて、情報伝達手段のデジタル化が科学技術の急激な発展の歴史と共に目覚ましく進化を遂げる昨今である。 デジタル技術の発展自体は素晴らしい事であり、私もその恩恵を受けていることに感謝の日々である。

 ただそのような時代背景の下、情報伝達手段を“紙”に依存するのは時代遅れで 「悪」、“紙”に頼らずデジタル化していくのが 「善」 とのステレオタイプで短絡的な発想が大手を振って世に蔓延してしまうのはどうであろう?
 両者の利点を尊重し選択していく事こそが、現在に及んで古代より人間が築いてきた文明を後世に末永く伝承していける手段なのではあるまいか? 
 原左都子個人的には、“紙”が果す情報伝達手段の高度さ、及び芸術方面において果している偉業等も含めて、後々まで継承していきたい思いだ。


 話を大きくしてしまったが、今現在この世に生きる人間にとって実際問題新聞のデジタル購読の価値は如何程なのであろう?  (既にデジタル購読をご経験されている方々のご意見を賜りたく存じます。)
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合格をゲットできる面接トークとは?

2011年08月04日 | 教育・学校
 我が子が大学受験直前の高3生であることは本エッセイ集のバックナンバーで公開しているが、もしも所属高校の学校推薦が得られたならば、早くも秋には大学の小論文試験と面接にチャレンジすることとなる。


 小論文に関しては既に高校でも指導を受けているようだが、我が家においても「お抱え家庭教師」である私が指導を開始している。

 小論文すなわち作文が苦手な子どもは数多いことであろう。 我が子もその例外ではなく、「作文」と聞いただけでアレルギー反応が起こるようでいつも頭を抱え込んでいる。

 そんな娘に対して、私は以下のような指導をしている。
 「作文のテーマが何であれ、あなたの17年間の短い人生とてそのテーマに関連する自分自身の経験や考えが必ずや自分の頭の中にあるはずだ。 そのせっかくの自分の頭を回転させずに、いきなり世間に蔓延っている陳腐で通り一編の既成概念等を持ち出して、一見形になりそうな作文を書こうとするから行き詰るのだ。 そんなものを持ち出したところで書く本人がつまらないであろうし、出来上がった作文を読まされる側もちっとも面白くない。 とにかく自分の頭の中の引き出しから、自分自身の経験や考えを引き出すことだ。 それが少しでも引き出せたならば、俄然書きたい意欲が自分の内面から湧いてくるはずだ。 そうしたら後はテーマに沿ってそれを如何に作文として形創っていくかが課題である。 その過程で世論も取り入れる等のバリエーションを持たせつつ、制限字数をクリアしながら作文を仕上げるとよい。」

 普段、作文(エッセイ)を書き慣れている母の私にそんなことを言われたって、17歳の娘にとってはまだまだ苦手意識が拭えないであろうことは理解できる。
 それでも、ここのところ確かに娘の作文力は上達しているのだ。 私の指導に従って、自分自身の経験や考えを頭の中から引き出す作業が出来つつある。 それが下手な経験や未熟な考えであろうと本人自身に書く事に対する前向きの姿勢が見られるようになり、(親の欲目かもしれないが)読んでインパクトのある作文に徐々になりつつあるのだ。
 我が娘の場合作文全体の構成力と時間制限クリアがまだまだ今後の課題であり、引き続きその指導を重ねる私なのだが。
 (それにしても試験における小論文とは、字数制限、時間制限と、何とも窮屈だよなあ~。 この私でも嫌になるわ…)

 一方、面接試験に関しては、我が子は既に“墓穴を掘って”しまったようだ…
 と言うのも、娘の所属高校に於いて夏休み前に開催された大学ガイダンスに娘の第一志望大学が参加していたようだ。 そのガイダンスに参加した娘は、大学の担当者から「あなたは反応が静か過ぎるので、我が大学で面接を受ける場合にはもっと自分の考えを述べられるように練習した方がよい」との手厳しい個人的指摘を受けてしまったとの事である。

 親としては元より重々承知の話だ。 なんせ、我が子は生まれながらに若干の事情を抱えている。 その事情を親子で克服しつつの人生であるが、我が娘の一番の弱点とは、まさに「面接」のごとくの自己表出力の分野なのである。
 振り返ってみるに中学受験の時も同様であった。 娘が抱えている事情に関して詳細を知らない塾における面接指導結果が芳しくないことなど「お抱え家庭教師」である私にとっては想定内であり、自宅で面接指導にも励んだ私である。 ところがその努力の甲斐も虚しく、本人曰く「受験本番の面接の時には緊張してほとんどしゃべれなかった…」とのことであった。
 「いいよ、いいよ、貴方なりに頑張ったのならそれで十分」と励ましつつ、学科で点数を稼げたことで命拾いし「合格」結果を手中にした時には親子で感涙したものだ。
 
 話が変わって、私には高校教員経験があるため必然的に受験業務の経験もあり、過去において受験生の面接を担当している。
 その際に感じた思いを本エッセイ集2007年12月のバックナンバーに記載しているので、その一部を以下に引用して振り返ることとしよう。
 受験の際に面接を実施する立場から言うと、我が子のような面接の場で特別緊張しやすい等の特殊事情がある場合を除き、面接に神経質になり過ぎる必要はないと考える。 むしろ、年端も行かぬ子どもから模範解答のような応答をされると、私など「通り一遍で芸がなくつまらない奴だなあ。」とのマイナス印象を持ってしまう。 とにかく相手は子どもである。 自然体で自由に答えてくれた方が人間味があって私は好感が持てる。 最低限言葉使いに常識的な範囲で留意さえすれば、何を喋ろうと特段問題はないであろう。
 入試時の面接の質問事項の一つによくあるのが「志望動機」である。 これに関しても中学や高校入学段階で立派な志望動機は必要ないと思われる。 “貴校の教育理念がすばらしい”等の優等生解答は、聞いている方は嘘臭い。 それが事実ならば本人の言葉で熱く語ればよいが、親等大人からの受け売りの作り話は聞いている側は見え見えのため、むしろ避けた方がよい。

 上記は高校受験に際する面接担当者側からの私見であるため、自ずと大学受験の面接とはレベルが異なる話であろう。
 そうだとしても、やはり私は大学受験の面接においても基本的には上記に引用した心構えで十分と心得る。
 
 私は面接を実施する側の根本的姿勢として、問いたいことがあるのだ。 それは、試験に於ける「面接」の果す意義とは一体何であるのかと言うことだ。

 学校という組織は生徒学生の修業年限が限られていて、その年限はたかが3年ないし4年である。 その限られた年限において、学校にとってはおそらく“迷惑にならず”できれば今後学校の発展のために“何らかの業績を修めてくれる”生徒や学生を入学させたい所存なのであろう。
 その種の採用側の身勝手さで入学者を選抜しようとする手段の中で、生徒の持ち味を一番手っ取り早く把握できるのが「面接」ということなのだろう。 そのたかが5分程度の「面接」に於いて“反応が乏し”かったり、あるいは“我が校には不適切”なる短絡的な理由で切り捨てられた子ども達が、必ずしも学校にとって迷惑な存在であるとは限らず、また能力に欠ける訳でもないのが世の中の実態というものだ。 

 上記のごとくの諸事情を踏まえた上で、今後共我が娘に対して「面接指導」を施す所存の私である。 ただし原左都子の面接指導とは、決して大学に迎合するべく“紋切り型面接トーク”を指導する訳ではない。
 あくまでも我が子の個性が将来花開くべく未来に視点を置きたいものだ。 それに見合った我が子らしい面接トークをすれば十分と心得る。

 それは小論文を書くこととも一致しており、自分の頭の中から自分自身の考えを引き出す作業が基本となるため、今後も両者を平行して指導を続ける予定である。
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私がイチローならば今後如何に身を振ろう?

2011年08月01日 | 自己実現
 我が国が誇る世界的スーパースター、大リーガーのイチロー選手の活躍に翳りがみえてきている。


 「原左都子エッセイ集」前回の記事において、私は国民栄誉賞について取り上げた。
 実は、国民栄誉賞に輝くに最も相応しいダントツ一位の日本人とは、私は イチロー をおいて他にないと以前より考えている。

 そのイチローが、国民栄誉賞を辞退した歴史があることを知らぬ国民はいないであろう。 その辞退の理由も輝けるスーパースターに相応しかったものだ。
 2001年、イチロー選手はメジャーリーグで日本人選手史上初となる首位打者を獲得する活躍を見せた事により小泉純一郎内閣から授与を打診されたが、「国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上であるためもし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」と固辞した。 そして2004年にも、メジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新した事から内閣が授与を検討したが、イチローは再度固辞した。

 前人未到の記録を打ち立てて尚、“発展途上”の言葉を放てるイチローであるからこそ、その後も次々と未踏の記録を積み上げることが可能であったことを実感させられる思いだ。
 この先将来イチローが現役引退した暁には、その時の政権首相は是非共イチローが打ち立てた現役時代の類稀な活躍の栄誉を評して「国民栄誉賞」を忘れずに贈呈して欲しいものである。


 そんなイチロー選手が冒頭のごとく、メジャーデビューからちょうど10年目となる本年低迷を続けているようだ。
 大リーグ開幕後の4月2日には球団記録となるメジャー通産2248安打を達成したものの、5月以降は不振が続き、メジャーデビューした2001年以降10年連続で選出され続けてきたオールスターにも漏れる結果となった。

 先だってネット上の報道でも見聞したのだが、無安打試合が多く7月26日時点で打率を0、266にまで落としているイチローに対し、本年度歴史的連敗を続けるマリナーズの監督が「ベテラン選手がこういうプレーをしていてはいけない。」と怒ったのだという。
 監督といえどもイチローに意見するのはマリナーズではよほどの事であるそうだ。 何故ならば、球団オーナー筋と太いパイプを持つイチローに苦言を呈することは、自分のクビをかけての行動を意味するらしい。 マリナーズのこの成績では監督生命が長くないことを悟った上で、監督はつい本音がでてしまったとの報道である。
 イチローのマリナーズとの契約は来年2012年までだそうだが、地元メディアでは、「さすがに年齢的な衰えがみえる。イチローなしのチームに変えていかなければならない」などとのイチロー放出論も強くなっているようだ。
 イチローが今年11年連続200安打を達成するには、残り59試合で87安打が必要とのことである。 この最後の砦まで崩れるようだとイチローのチーム内における立場は極めて厳しくなる、との厳しい報道内容だ。


 原左都子の私論に入ろう。

 イチローにとっては初めての挫折とも表現できるこの低迷危機状態に対して、冷静沈着なイチロー本人が対策を練っていない筈もない。
 ただ、スポーツ選手にとっては致命的とも言える“身体的老化現象”という回避不能な敵と如何に闘っていくのかが、今回のイチローの危機に際する一番の課題となろう。
 こういう時にスポーツ選手の脳裏にチラつくのが、おそらく「現役引退時期」であり、また「今後の活躍の場」であるのだろう。

 こんな時にこの話題を持ち出すのも顰蹙かもしれないが、時を前後して元大リーガーの伊良部選手が自殺を図ったとの報道を見聞した。
 そう言えば、私は伊良部選手の存在すら忘れ去っていた。 新聞で伊良部選手死去の報道を見た時には正直なところ、(そういう野球選手もいたなあ)としか認識できなかったのが事実である。 それにしても一時一世風靡した実力派の野球選手が、40代の若さにして自殺の疑いが濃い死に方をしたとは何と痛ましい事であろう。

 このニュースに触れずして、庶民の原左都子にも理解できる事がある。
 それは、一旦世論により“スーパースター”扱いされてしまった人物が、その坂を下り始めるとその人生が急激に暗転するのであろう、とのことだ。
 失礼ながら特に“中途半端”にそして“他力本願”にその栄光を感じさせられた人物にとっては、世間から自分の存在を忘れ去られてしまう事自体がその後の自らの心理面において失望の加速度を増し、自分はこの坂を転げ落ちるしかないと錯覚してしまうのであろう。
 浮世の反応など二の次と捉え、自分自身に自らの過去から現在未来に渡る活躍の程を自己分析可能な能力や時間空間が存在したならば、その後の人生も異なったであろうに……


 私がこの「原左都子エッセイ集」において、幾度となく公開している持論がある。
 それは、原左都子自身は「一生、庶民である事を全うしたい」ということだ。

 世界的スーパースターとて、イチロー選手のごとく翳りが見える時期が必ずや訪れるのが人生というものだ。 もちろんイチロー選手の場合、持ち前の冷静沈着な判断力で、今後体力的な限界を自覚した時にも最善の結論を下すことであろう。
 それよりも何よりも、世界的スーパースターの現役引退を待ち構えている利潤目的の団体組織はさぞかし数多いことであろう。 これに関してもイチローはおそらく冷静沈着に、引き続き自身が主体的に選択した分野で活躍を開始することだろう。


 一生を通して一庶民でありたい原左都子が、イチローの人生を歩むことなど一切あり得ない話である。
 その立場にして私が今イチローであるならば、おそらく本年度の成績が悪くとも契約期限の来年までマリナーズに居座ってプレーを続けるような気がする。 実力主義の米国においてはそれを許容してくれないはずで、私はとっとと首になるのかもしれない。
 首になった後、どうするか??? やっぱり分からないな~~~

 ただ少なくとも私の場合は一生自由の身の庶民であることを貫いているお陰により、一時世間からの疎外感を抱いたからと言って“自殺”との極論の選択肢に走るなどということは絶対にあり得ない話だ。
 そんな私がイチローであったならばとりあえず来年もマリナーズの一員でいたいと思うだろうし、そして10余年間の現役を全うしようとした直前に首を切られ引退の道程を歩んだ暁には、感激しきりであると思うよ。
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