原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

絵むすび (PartⅡ)

2013年07月29日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞一昨日7月27日付別刷「be」に掲載されていた パズル「絵むすび」 に原左都子が解答したもの。  朝日新聞さん、応募締切日に先立ちネット上で解答を度々公開し申し訳ございません。


 3か月程前の「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、「絵むすび」に関するエッセイを綴り当該パズルを紹介し、当エッセイ内で私は元々パズル遊びが趣味の一つである事にも触れた。

 一昨日7月27日付朝日新聞「be」内で、3か月ぶりに再び「絵むすび」レベル4問題が出題されたため、早速原左都子がチャレンジした結果が上記の写真である。
 レベル3の「絵むすび」に関してはその間にも掲載されチャレンジしたが、何と言っても“レベル3”と“レベル4”ではその難易度に格段の差がある。 パズルファンとしては、“レベル4”問題を回答できてこその醍醐味だ。


 さて、早速上記「絵むすび」の原左都子流解答の経緯を以下に紹介しよう。

 まずは設問図の全体像を観察する。
 今回の設問の場合、左上から右下に(仮に)引いたとする対角線の左下部分の空間が大きいのが特徴のようだ。 この空間内の線の扱い方こそがキーポイントとなりそうだ。

 それでは、いよいよ“原左都子流解答”解説に入ろう。

 ① まず右上の「ひとで」に注目すると、これはとりあえず下に線を伸ばすしか選択肢がない。 これを思い切って素直に最短距離で繋げてみた。

 ② 次なる注目点は、左下のマス目に如何なる物体から線を通すか?だ。 候補としては「ビーチボール」と「浮き輪」が挙がるであろう。 両者共チャレンジしてみたが、「浮き輪」をこのマス経由にすると、上部で「ビーチボール」や「足あと」の線がどうしても交錯する。 そこで思い切って「ビーチボール」から線を真下に下ろして左下マスを通す方策とした。 ところがこの線を左下から右折させて最下段をまっすぐに伸ばすと、これまた他物体の線と交錯するため、まっすぐには伸ばせない事を悟る。 そこで「ビーチボール」線は右折した段階で一旦作業を止める。

 ③ 次なる注目点は、最上段と2段目にも空間が多いことだ。 原左都子案としては「ビーチボール」の線は既に下降させる決定を下しているため、最上段を横切る線は「足あと」から引くしかない。 右上2番目の「足あと」から素直にまっすぐ横線を引っ張り、「うきわ」の左横を下に向かって通過させぐるっと回してもう一つの「足あと」と結んだ。
 この段階で私の脳内ではすべての線の全体図が描け、既にパズルは完成したも同然だ。

 ④ 上から二段目の空間こそが「浮き輪」が通るラインと判定して「右下」の浮き輪から「ひとで」の周囲をぐるっと回して線を結び、後はその合間を「ビーチパラソル」と「貝」、そして「ビーチボール」の線を「ビーチパラソル」周囲をぐるっと回して通せば、これで今回のレベル4「絵むすび」は完成である。 

 今回の原左都子の解答所用時間は約10分間であった。
 さすがに3ヶ月前の朝日新聞“レベル4”設問に苦労してチャレンジした経験が活きている事を実感させられる。 人間の脳とは、日々活性化を続ける事により健全に生き延びることを再確認でもある。

 参考のため、上記解説はあくまで“原左都子流”の範疇内であることをお詫びしておきたい。 皆さんそれぞれの“解答法”がある事は重々承知している。
 
 加えて上記の“解法”を綴った事により、言葉による解説とは実に難儀な事を実感させられる次第でもある。
 教員経験がある私だが、生徒相手に授業をする事とは、実に教える側の“身勝手”、かつ一体全体生徒達に何を伝える事が出来たのか、今更ながら再考させられる思いだ。
 元々“学業とは一人で成すべき!”なる私論を展開し続けている原左都子だが、どうか皆さんも、「絵むすび」解答に当たり、ご自身の解法こそを楽しまれますように!


 ここまで朝日新聞レベル4「絵むすび」に対する“原左都子流解法”を解説してきて、一体この我がエッセイ誰が読むの??? との観点に、客観力を売り物としてる私の思いが及ばない訳がない。

 ところが何故か、3ヶ月程前に公開したバックナンバー「絵むすび」が「原左都子エッセイ集」内において頻繁にお読みいただいているエッセイの一つの位置付けのようなのだ。
 昨日お読みいただいた「原左都子エッセイ集」ベスト10内の“トップ2”の位置付けが、3か月前に綴った(元祖)「絵むすび」であることに私自身が驚かされた始末である。


 それだけパズルとは、世の皆様方に人気を博している事象の一つということではなかろうか。
 おそらく人それぞれの個性に応じたパズルの楽しみ方があるのだろうが、パズル愛好者皆さんにとっての共通項とは、一時の脳内活性化により心身共にプラスの時間を過ごせることに他ならないであろう。

 現在の原左都子自身のパズル解答の効用と言えば「息抜き」の位置付けにあると言えるが、今後年老いても、我がパズル好きはその形や趣旨を変えつつ一生に渡り続く予感がある。

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「いつやるの?」 「私の勝手でしょ!」

2013年07月27日 | 時事論評
 私はそもそも「流行語」なる俗言葉が基本的に嫌いだ。

 特に、言葉としてさほどの意味をなさないにもかかわらずメディアが殊更取り上げ、故意に流行語に仕立て上げられたような言葉は断じて受け入れ難い。
 人が私的会話内で使うのは勝手かもしれないが、その種の言葉とは聞かされて“気持ち悪い”し、聞く側こそが恥ずかしい感覚すら抱かされる。

 一例を挙げると現在流行中の 「いつやるの?」 「今でしょ!」 などはその典型である。
 これを流行らせたのが東大出身の予備校塾講師というから、さらにアホらしさが増強される…

 「今でしょ!」 に関する話題は後回しにしよう。

 
 先程、年末に発表される「新語・流行語大賞」の歴代受賞語をウィキペディアにて調べてみたところ、中には、単なる“流行り言葉”の域を超えて、後々までも立派な「国語」として生き残っている言葉もあることを再認識させられた。
 その事例を挙げよう。
 1986年の「究極」「新人類」、 88年の「ペレストロイカ」、 89年の「セクシャル・ハラスメント」、 90年の「ファジー」、 95年の「無党派」、 2000年の「IT産業」、 03年の「マニフェスト」、 09年の「政権交代」……

 へえ~~、これらに関しては「原左都子エッセイ集」内でも多発している言語であるが、すべて元々の由来が“世の流行り言葉”だと知りプラスの意味で少なからず驚かされた。
 “流行り言葉”が時代の変遷に係らず受け継がれ、新たな時代にもマッチし続ける場合もあり得る事を再確認である。
 ちなみに、原左都子の予想では今年の流行語大賞は 「アベノミクス」 と結論付けている。 アベノミクス政策自体を肯定していない私だが、今年年間を通して世を一番揺さぶった現象がこれであることには間違いない。


 さて、話題を表題にも掲げた 「いつやるの?」「今でしょ!」 に戻そう。

 皆さんは既にご存知であろうが、この言葉を最初に発したのは、上述の通り予備校塾講師である林修氏であるようだ。 当講師が衛星予備校国語科授業内でこの言葉を使用したのが事の始めで、当該予備校内では林氏のことを「今でしょ先生」と呼んでいるそうだ。

 別に、この人物の経歴を「原左都子エッセイ集」内で殊更紹介する必然性など全くないのだが、東大関連記事が多い我がエッセイ集は、どうやら「東大」検索で数多くの人々に“愛読”?されているようでもある。
 そういった私的事情により、少しだけ林氏の経歴を紹介すると、確かに1988年に東京大学法学部を卒業されている。 新卒入社した銀行を半年で退社し、その後様々な商売にことごとく失敗後予備校講師に転身。 その後東進ハイスクールには1992年より所属。2009年からは当該予備校で東京大学・京都大学の入試現代文対策授業などを中心に授業を担当している。「いつやるか?今でしょ」の名言で、予備校講師としては異例の国民的有名人物となった。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用。)

 どうでもよい話題を何故執拗に取り上げているのかと言うと、実は原左都子は過去において東進ハイスクールと多少の接点があるためだ。
 それは我が娘が高3直前の話である。 それまで美大進学目指して受験に励み美大予備校に夜な夜な通っていた娘が、突然、進路を大幅に変更したいと「お抱え家庭教師」である母の私に涙ながらに訴えた。(その理由等に関してはバックナンバーでも記述済みのため、ここでは割愛するが。)
 娘の嘆願を聞き入れ、今こそ進路変更ラストチャンス時と承知した私は、すぐさま変更進路先を視野に入れた対策を練った。 それこそが、娘の新たな進路希望先大学の秋の“公募制推薦”だった。 これにターゲットを絞り込み、まずは高3一学期の成績を確実なものにしようと志した。 幸い日頃より着実に努力を続けている我が娘のそれまでの学業成績は、志望大学の“公募制推薦”の最低条件をクリアしていた。

 母である私の懸念は、今まで「美大予備校」で過ごしていた高校放課後の時間帯を我が娘が如何に過ごせるかであった。 下手に家に帰宅してダラダラと過ごされては元も子もない。 ここは民間受験塾に頼り、娘を強制的に夕方の時間帯を塾ででも過ごさせようかと愚かな私は考えたのだ。 ちょうど娘の登下校道中のターミナル駅近辺に東進ハイスクールがあり、娘が通い易いであろうと判断した。 
 ところが娘は塾通いを当初から渋っていた。 「家で今まで通りちゃんと勉強するから…」と心細そうに訴える娘の思いを振り切って、私は東進ハイスクールへ娘を同行した。
 そうしたところ、東進ハイスクールでは(上記のごとく)「衛星授業」(要するにDVDによる授業)を中心としている事が判明した。
 担当者の話によると一応、担任を付けると言う。 ところがこの「担任制度」こそに失望した私だ。 バックグラウンド不明の担任とやらに、これまた生徒本人のキャラも志望先も不明の“ごっちゃ混ぜ”受験生集団の会合を月に1度持つとの事だ。
 この話で、娘お抱え家庭教師である私の決断も迷いなく下せた。 この実態ではある意味で個性豊かな娘は潰されるのみで、何らの有益性もない。 今後は娘の希望通り、自宅で“公募制推薦”に向けて自助努力させよう!!
 その判断は大正解だった。 娘はその秋難なく第一志望大学の“公募制推薦”合格をゲットして、現在大学2年生になり学業に励んでいる。


 だからこそ、たかが予備校一講師に「いつやるの?」と問われても、 「私の勝手でしょ!」と返すしかないのだ。

 あの時本当に娘の自主性を優先して大正解だった我が家だ。
 
 「いつやるの?」「今でしょ!」 なる一予備校講師がホザいた言葉を、メディアが殊更取り上げた実態に依存するしか今後の発展を望めない予備校塾に、あの後我が娘を託していたならば、明らかに娘は潰されていたであろう。
 あの時娘が私に訴えた、どこで勉強しようが「私の勝手でしょ!」の嘆願を結果として親である私が受け入れられたからこそ、娘の今があることを実感させられるのだ。

 現在東進ハイスクールの取締役にまで昇格しているらしき林修氏は、今後メディア上に出現する事を控えるとのコメントを(メディアを通して)発しているらしい。

 今後林氏が“芸能人”ではなく、東大卒業後に紆余曲折してゲットした現在の東進ハイスクール取締役の立場を死守したいのならば、受験に向けて頑張っている生徒達個々の希望に沿う事こそが、40代という若き貴方に残された今後の唯一の使命ではなかろうか??

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誰でも“芸能人”になれると言いたいドラマなの??

2013年07月25日 | 時事論評
 今年4月から始まったNHK朝の連ドラ 「あまちゃん」 は、どうやら番組開始早々より現在に至るまで高視聴率をゲットし続けているらしい。

 このドラマシリーズを、いつも昼の天気予報とニュースをチェックする流れで昼間の再放送を見る習慣がある私だ。
 ところが論評好きな原左都子にして、「あまちゃん」に関しては放送開始後4ヶ月が経過しようとしている7月下旬の今現在尚、残念ながら論評に値する程の価値が見出せないでいる。


 ただ個人的には、女優 鈴鹿ひろみ役の薬師丸ひろ子氏がドラマに出演した頃より、(あくまでも私的嗜好範囲内で)物語が面白くなった印象はある。

 薬師丸ひろ子氏とは、1978年の角川映画「野性の証明」のヒロイン役で芸能界デビューした時からインパクトがある少女だった。 (残念ながら私は上記映画を観ていないが)、とにかく童顔小柄の一少女にして、映画界を震撼させるがごとくのパワーを内面にみなぎらせている類稀な逸材との印象を私も抱いた。
 後に映画「セーラー服と機関銃」に主演した薬師丸氏だが、機関銃を乱射するシーンで有名な「カ・イ・カ・ン…」のセリフは薬師丸氏本人のアドリブであるらしい。 (これまた映画を観ずして論評する立場にないのだが)薬師丸氏が歌ってヒットした同名の主題歌には、映画のその場面とは対照的な繊細なイメージを、歌との表現手段で伝える薬師丸氏の類稀な力量に心を揺さぶられたものだ。

 「あまちゃん」に於ける薬師丸氏の役処といえば、芸能界においては遠い昔にピークを過ぎ去った中堅女優の立場だ。 既に大した役には恵まれないものの、未だ何とこさ女優生命を芸能界で繋ぎつつある程度の地位を保ちながら、陰で付き人に文句を垂れ、常連寿司屋の客全員の会計が可能程度の比較的高いギャラを保持している女優との設定のようである。

 片や、主人公である「あまちゃん」(役名 天野アキ)に話を移すと、こちらは信じられないことに、“「AKB48」レベル”の女子集団タレントグループの最下位一員と“成り下がる”現在のドラマ展開だ。

 
 ここで原左都子の私見を述べよう。

 今回放映中のNHK朝ドラとは、2011年3月に勃発した「東日本大震災」により壊滅的被害を受けた東北地方に暮らす人々を、「あまちゃん」(東北の海女さん達)の活躍により活気付ける趣旨と、大いに勘違いしていた。

 ところがなんと「あまちゃん」の主役である天野アキは、海女に成り立てホヤホヤにして東北地方から離れ、東京上野の「AKB48」レベルタレント集団の一員に“成り下がる”ために過去に住んでいた東京に再び上京する。
 ドラマはその後、すっかり上野に位置する“アメ女”なる「AKB」類似の若年女子タレント軍団集合場へと移り行った。
 意表を突くドラマ展開に大いに驚き失望した私は、(この物語を面白いと感じるのは、低レベル芸能界タレントを目指す幼き小中高生女子のみであろう)と推測していた。

 ところが何と「あまちゃん」は現在に至って尚高視聴率をゲットし続けているではないか!?!
 おそらくNHK連ドラの主たる視聴者層であろう(原左都子世代の)オバサン達も、この物語が面白いのだろうか??  あるいは、もっと若い世代の小中高生子育て中の母親連中も、虎視眈々と我が子を第二の「AKB」メンバーに仕立て上げたい意向でこのドラマを見守っているのであろうか???


 現在「あまちゃん」の舞台が東北リアス海岸地方からすっかり離れ、東京上野のタレント事務所を主たる撮影の場としているドラマ展開に辟易とし続けている私だ。

 当初私は、2011年3月11日に勃発した世紀の「東日本大震災」を、当該ドラマの脚本担当及び監修者でもある宮藤官九郎氏が如何に描くのかを大いに楽しみにさせていただいていた。
 宮藤官九郎氏とは、宮城県のご出身であるらしい。 ご本人出生地の親族の方々も「東日本大震災」の被害をある程度被られたのではなかろうか?
 そんな大震災の一被害者たる思いを、今回のドラマ物語内に描写されている事にも期待申し上げていた。

 ところが、若き世代の宮藤官九郎氏がNHK連ドラ内で今後3.11大震災を描くに当たり、自らの地元の被災状況など二の次の位置付けなのであろうか? (東京上野に場面が移って久しい現在までのドラマ展開では、一般視聴者としては今後の展開の見通しすらつかず、そのように解釈せざるを得ないのだが…)
 今後も引き続き、宮藤氏の(3.11大震災など今後この世に生き抜く若き世代にとっては二の次の位置付けとの)思いが、これから放映されるNHK連ドラ「あまちゃん」において綴られ公開され続けるのであろうか??

 もちろん、世代や日本国内の地域により格差が大きく、3.11「東日本大震災」に対する思いや対応が異なって何ら不思議ではないし自由にすればいいのでもあろう。

 「あまちゃん」脚本家及び監修者であられる宮藤氏の、芸能界に焦点を置いた脚本にはまった視聴者の人気に支えられ、現在「あまちゃん」は高視聴率を維持していることと私は判断する。
 「あまちゃん」を放送しているメディア媒体である“国営放送”たるNHKがそれを「よし」としているのならば、一視聴者として不服ながらもやむを得ないと判断するしかない。
 ただ原左都子としては、今後の「あまちゃん」に於ける“東日本大震災”の描き方如何によっては、今後NHK連続テレビ小説すら見ない生活を志すであろう…

 
 早いもので、高視聴率をゲットし続けている「あまちゃん」も後2ヶ月少しの放送を残すばかりである。 
 一体全体、大震災被災地東北を舞台としている今回のドラマが、宮藤氏の脚本により如何に展開し、如何に転ぶのやら……。

 後2ヶ月間我慢して、このドラマを視聴しよう。
 最後には素晴らしいばかりのどんでん返し展開があって、10月初旬には当該「原左都子エッセイ集」に於いて、内容の濃い「あまちゃん総評」が綴れることに期待したいものだ。

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「ねじれ国会解消」と言うけれど…

2013年07月22日 | 時事論評
 私は「原左都子エッセイ集」に於いて、2010年7月に実施された第22回参院選直後に 「国会はねじれてていいんじゃないの?」 なるバックナンバーを綴り公開している。


 早いものであれから3年の年月が流れ、 昨日7月21日、第23回参議院選挙の投票が実施され即日開票された。(一部開票が遅れた自治体もあるようだが。)

 その結果は皆さんも既にご存知の通り、与党である自民・公明両党が非改選議席も合わせて過半数を獲得し、国会の「ねじれ」が3年ぶりに解消される事となった。

 自民党安倍首相は今回の参院選勝利を受け、昨夜開口一番「ねじれが解消された。これからの自民党はこれまでの経済政策をしっかりと実感のあるものにしてほしいとの、国民の声に応えていかなければならない」とテレビ番組を通して述べたようだ。
 昨年12月の衆院選で民主党から政権を奪回した安倍政権が、衆参で多数派が異なる「ねじれ」の解消により、これまでの「決められない政治」と決別して、消費税率引き上げや環太平洋連携協定(TPP)交渉参加、憲法改正といった国論を二分する重要課題をどう舵取りしていくかが注目される。 
 (以上、ネット情報も参照しつつ記述)


 今回の参院選に際して、メディア情報は上記「ねじれ解消」を殊更取り上げていた印象がある。
 安倍政権自体も当初より、国会の「ねじれ解消」こそが自民・公明与党の真のスタートラインであることを強調し続けていた。 アベノミクス経済政策をはじめとして、消費税引き上げ、TPP交渉参加、憲法改正等々、の重要法案を今後野党の反対をもろともせず成立させていく魂胆のようだ。

 
 ここで、原左都子の私論に移ろう。

 国会のねじれ現象が、それ程までに“諸悪の根源”だとは私は決して思わない。
 単に与党政権が自分達に都合の良い政策に関連する諸法案を、国会で好き放題通過させる事が出来ない故に困惑するだけの状態でしかない。
 ちょっと待って欲しい。 私は基本的に「憲法改正」にも「消費税増税」にも「原発再稼働」にも絶対反対だ。 自民党の中韓外交政策に関しても受け入れ難きものがあるし、アベノミクスに関しては当初から疑義を抱いている立場だ。 故に、今後も各政策に関して私と思想が一致する野党には、是非共自民公明与党政策法案成立打倒に向けて反対議論を白熱させて欲しいのだ。
 
 もちろん、自民支持派にとっては「ねじれ国会解消」こそが理想像だったのであろう。 そして国政選挙を経て自民与党が支持されたならば、国民皆が与党政策に従うべき、との論理である事も理解は出来ている。

 ただ、現実を見てみよう。
 今回の参議院選挙の場合、最終投票率は52、61%。 これは戦後3番目の低さだったらしい。
 しかも、自民・公明党とは昔から産業界や宗教団体の“組織票”に支えられているのが現実ではなかろうか?  要するに、お上からの「自民党・公明党」に票を入れよ!との指示に従っての組織所属弱者の投票行動でしかない。
 もちろん、国民個人の判断で自主的に自民党を支持した選挙民も存在するであろう。 ところがその行動の背景とは、自民党政権政策を重々吟味した訳ではなく、「なんだかよさそう」とのニュアンスが否めないような感覚すらある。
 実際問題、選挙戦に際して何処の政党及び候補者も、その種の国民の“弱み”に訴えるしかないのが現実だ。
 結局、今回与党が過半数を取ったとは言え、その数字上の名目支持率は全国民の1/4程度、実質支持率はそれよりもずっと下回る事が明白だ。 逆の立場から考察すると、(私も含め)今回自民与党政権を実質支持しなかった選挙民こそが国民の大多数であるという事実である。


 それだからこそ、原左都子は思うのだ。
 国会などねじれていた方が健全かと。

 本エッセイの最後に、冒頭で紹介した我がバックナンバー「国会はねじれてていいんじゃないの?」 の一部を以下に要約して紹介しよう。

 国政選挙などというものは、選挙対策や直前のわずかの期間の選挙運動のみで勝てるものでは到底あってはならないはずである。
 昨夏(2009年)の衆院選において国民から奇跡的とも言える大量得票を得た民主党は、真っ先にその大量得票の“根拠”を分析するべきだった。 なのに民主党はその大量得票に有頂天になり国民の真意の分析を怠り続け、その後国政運営を国民の“バブル期待”のみにすがってしまった。 後に党首をすげかえ菅政権となった後、菅氏は国政において何の実績も国民に提示しないまま参院選に突入した。 就任直後菅総理は消費税10%を国民に言及した訳だ。 当時の参院選における敗北の要因に関して菅氏が“自らの消費税に対する言及”だと釈明している事実自体に、表立っての一政策に左右され投票行動に出る多くの国民の“浅はかさ”を思い知らされる思いだ。
 ところで、私論は今回の「ねじれ国会」を歓迎している。 国会において二院制をとっている先進国自体が多くないようであるし、また今後我が国においても国会議員の定数削減と平行してこの二院制自体が議論されることであろう。  一般市民には想像もつかない高額の歳費特権を享受している国会議員の定数削減を早期に実施して欲しい思いは、私とて強靭なものがある。 
 今尚二院制を採用している国において「ねじれ国会」とはある意味で理想型であるようにすら私には思えるのだ。  国会とは国政における最高最大の議論の場であり、そこで各党がとことん話し合った結果を現状で切磋琢磨しつつ国政を実行していくことこそが国の理想像であろう。
 「ねじれ国会」こそが今後の我が国の革新力となり得るのかもしれない!
 (以上、「原左都子エッセイ集」2010年7月バックナンバーより引用)


 日本国家が「選挙制度」を法律上採用している以上、理屈上は選挙に行かない国民こそが一番の悪者かもしれない。

 ただ正直に言うと、「この政党を“全面的に”信頼したい」と思えた事が今までの我が選挙民人生において、この原左都子とてただの一度もない。
 政策の一部にのみ妥協してでも選挙権を行使するか、「棄権」との選択肢を選ぶか、常に我が内心はそのせめぎあいである。

 国を操ろうと志す人材を真に育成して欲しい思いだが、現在の我が国の教育力の貧弱さにも辟易とさせられ続けている。
 結局は、世襲や本人の単なる“勘違い”で国政選挙に立候補した輩に、嫌でも投票せざるを得ないのが現在の我が国の選挙制度の実態だ。

 そうだとすると、むしろ国会とは「ねじれ」ていてこそ、今後我が国が真なる民主主義を貫くための理想像と考えるのが揺ぎ無い我が私論である。
 ついでに言うと、自公与党は組織票のみに依存している故に今後のその生命が脆いとも聞く。 
 この国は今後一体いつの日に、日の目を見る事ができるのか??

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見知らぬ猫と給食の残りのパンを分け合った遠い日

2013年07月20日 | 雑記
 中3の春、私は父母そして姉と共に転居をした。

 それまで我々一家は祖父母と同居していたのだが、父と祖父が不仲で、事ある毎に二人が歪み合うのに幼き心を痛めてきた。
 母もフルタイムの仕事を持っている共働き家庭だったため、幼稚園の頃より我々姉妹は昼間祖母の世話になっていた。

 中2の冬、父と祖父が大喧嘩をした記憶が真新しい頃に、父母から転居をする意向を告げられた。 「新しい家を建てて、家族4人でこの家を出て行く事になる。」
 ところが新築の家が出来上がるまで待つ余裕がない程、父と祖父の関係は険悪だったようだ。 新居の完成を待たずして、我々一家は一旦アパートを借りて引っ越す事になった。
 姉は既に高校生、私も春から中3。 おそらく親達は、今後は祖母の世話にならずとも二人共もう大丈夫、と判断したのでもあろう。


 私は中3の秋まで中学校のブラスバンド部で活躍した。 その活動のため学校からの帰宅時間が大抵は親よりも遅く、家の合鍵を持たずに過ごしてきた。
 秋の文化祭の舞台を最後に中3ブラスバンド部員には学校から「引退」勧告が下る。 早春の高校受験に備えるためだ。
 その頃より受験補習のない日等、たまに下校時間が親より早い日がぼつぼつと出現するようになった。


 秋も終わりに近いある日、親の帰宅時間より早い時間帯に下校した私だが、あいにく家の合鍵を持ち合わせていない。
 玄関前で親の帰りを待って当てどもなくウロウロするより、既に肌寒い時期でもあるし、西日が当たる裏の勝手口近辺で受験勉強でもしながら時間を過ごそうと考えた。 勝手口の直ぐ前には畑が広がっていて人目にも付かない。

 案の定、裏の勝手口は晩秋の西日の日差しがポカポカと心地よい。
 台所前の外壁にもたれ掛かって座り、通学鞄から教科書を取り出したその時だ。


 裏の畑から見知らぬ野良猫が顔を出し、私の方を見ている。
 体の大きさから判断して既に大人、(記憶によれば)無彩色、おそらく白地に少し黒模様のあるメス猫と私は直感した。 何故メスと判断したかと言うと、私を見るその眼差しが柔らかかったためだ。
 その猫にこちらから言葉をかけた記憶はない。 おそらく同じような柔らかい眼差しで見つめ返していると、猫は私の方へ近づいてきた。

 何をねだるでもない。 その猫が「ニャー」とないた記憶すらない。
 どうも、静かで落ちついたタイプのよく似た二人(正しく言うと“一人と一匹”)である。

 (あっ、そうだ。 鞄の中に給食の残りのパンがある。 これをこの猫ちゃんは食べるだろうか?) などと思いながら私はそのパンを取り出して自分から一口食べてみた。 そうしたところ猫ちゃんがその様子を興味深そうに見ているため、一口あげてみると美味しそうに食べてくれた!  
 それがとても嬉しくて、また一口私が食べた後猫ちゃんに一口あげると、また美味しそうに食べてくれる。 それを繰り返して、給食のパンはなくなった。  お利口さんの猫ちゃんはすぐさまパンが全部なくなった事を理解したようだ。
 「もう畑に帰るのかな?」と思ったところ、猫ちゃんは壁にもたれて座っている私の膝にちょこんと座り、気持ち良さそうにしてくれる。 昔家で祖母が猫を飼っていた経験がある私は、猫の顎を撫でてやると気持ちいいことを知っていた。 それを実行してやると、猫ちゃんはグルグル……… と喉から音声を発しながら少し眠りについたようだ。

 どれ程の時間が経過しただろうか、我が親が表玄関の鍵を開ける音が聞こえた。
 それに反応した私と同時に、膝の上の猫ちゃんの体もピクリと反応しすぐさま私の膝から飛び降りた。 そして畑に戻る道すがら、お互いに何度も何度もその姿を見返しつつその日の(似たもの同士の)出会いは終わった。

 あの猫ちゃん、今度私が早く下校した時にも会いに来てくれるだろうか…
 なる期待感と共に、私はその後も親には「裏口で勉強しながら待ってるから」と言って、合鍵を作ってもらうことを嘆願しなかった。

 そうしたところ、確かに猫ちゃんは必ずや来てくれるではないか!!!
 ある時は給食パンの残りが多く、ある時は少なかった。 それにもかかわらず、まずは私がパンを一口、猫ちゃんが一口を繰り返し、そしてその後私の膝の上でグルグル…… その法則と習慣は何ら変化せず、私と猫ちゃんとの勝手口での“秘密の関係”は続いた。


 時は流れ、その後私は県内有数の名門校受験に合格し、遠距離通学の高校生となった。
 申し訳ない事に、その頃には既に猫ちゃんの存在すら忘れ、新たな高校生活の環境下で勉学に励む日々だった。

 もう既に夏の日差しが照りつける頃であろうか。
 ある日私が高校から下校した時の事だ。

 西日が当たる台所の隣に位置する自分の部屋に入り、勉強机の引き出しを開けた途端 「ギャーーーー!!!」  なるドデカい叫び声を上げた私だ。
 既に帰宅していた両親こそが驚いた。 何故ならば、普段私がこんな大声を出す機会が皆無だからだ。
 「何かあったか!?」との両親の問いかけに、 「なんか分からないが、私の引き出しの中に動く物体がある!!!」
 私の引き出しの中身を一見した父の回答こそに驚いた。

 「これは猫の赤ちゃんだよ」

 その時開けていた我が部屋の西側の窓の外に、昨年の秋冬に私と給食のパンを分け合ったあの利口なメス猫ちゃんがいるのを発見し、さらに仰天した!

 この時、初めて父に伝えた。
 窓の外から見ている猫ちゃんと私は昨秋から冬にかけて一時仲良しで、給食のパンを分け合った事実を。
 それを聞いて父が言うには、「窓の外の猫こそがこの生まれたての赤ちゃん猫達の母親に間違いない。 動物の母親とは自分が産んだ子どもを“一番安全な場所”に置きたい習性があるものだ。 きっと、○子(私のこと)と赤ちゃんの母親猫は十分な信頼関係が築けていたからこそ、○子の机の引出しに生まれたての赤ちゃん猫を運んだのだろう。」 「それにしても我々はもうすぐ転居するし、2匹の赤ちゃん猫は母猫の生息地の裏の畑に帰してあげよう。」
 父の意見に同意し、我々は母猫が私の机の引出しに運び込んだ赤ちゃん猫2匹を裏の畑に運び返した。
 その成り行きすべてを親猫である我が友のメス猫ちゃんは、寂しい目をしてずっと見ていた…。

 その後、高1の夏休み中に一家4人で新築住居へ引っ越した。
 せっかく“信頼関係”を築いたお利口さんの母猫ちゃんを裏切った思いの後を引いていた私も、転居後すぐさまその事実を忘れ去る事と相成る……


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 本日「原左都子エッセイ集」に於いて上記物語を綴らせていただいたきっかけとは、昨夜(7月19日)テレビにて放映された、2002年宮崎駿氏企画の映画 「猫の恩返し」 を観た事による。

 上記映画とは、主人公が昔空腹の子猫にエサを与えた事に対する、猫よりの「恩返し」を趣旨とした物語であったようだ。
 
 私の場合まったく逆で、昔給食の残りパンを通して信頼関係を築いた母猫の“切実な思い”を裏切った記憶ばかりが、この映画によりフラッシュバックしてしまい辛い心境だ。
 今更ながらではあるが、私が中3の頃に知り合った“お利口さん”母親猫の心理を、当時未熟故にすぐには理解できず大騒ぎしてしまった事を、ここで今一度心より詫びたい思いである。

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子どもに財産を残す前に自立して生きる教育を

2013年07月17日 | お金
 ここのところ「原左都子エッセイ集」に於いて、「遺言」 「相続」 「所有権」関係の記事が続いている。
 何分6月末に義理姉が死去した関係で、現在一族間の財産再整理と所有権移転処理中につき、我が頭の中がそのテーマで占領されている事をお許しいただきたい。


 昨日も有料老人支援施設に入居している義理母の付き添いとして、「遺言書」書換処理のため再び公証役場へ出向いた。

 その際公証人氏との雑談の中で、「遺言」とは何度書き直そうが自由との話題が出た。
 確かにその通りであろう。 今回の義理姉のように「遺言」中の相続人が先に死去した場合、当然ながら書き直し作業が必要となる。  あるいは「遺言」内容に異議申し立てをしたい相続人が発生し、それに相続元である本人が応じるような場合も書換えが行われる可能性がある。
 ただ相続元である本人の意思が確固としたものでなければ相続人の中に異議申し立て者が多発し、幾度書き直しをしても不安定感・不確実性の強い遺言書となろう。 これでは公証人を通して遺言書を作成する意味あいが薄い。
 ところが現実問題として、「遺言」書を作成する本人とは高齢者が大多数と考えられる。 認知症等の関係で高齢者本人の意向よりも、当該高齢者を身近で補佐する相続人の意向が優先される遺言書内容に傾く事例も多いのではなかろうか。
 等々…。  「相続」とは実に難儀なテーマである事が身に滲みるような昨日の公証役場訪問だった。


 本エッセイ集前回の記事内で、義理姉の相続人である息子氏の実態に関して少し記述した。 以下にその部分のみを反復させていただこう。
 つい先だって63歳の若さで他界した義理姉の息子が、生前贈与の形で義理姉の不動産を引き継ぐ事になった。 ところが正直なところ、「不動産取得税」はおろか「固定資産税」の存在すら知らない軟弱者なのだ。 親たるもの死ぬ前に息子にその辺の教育を施してから生前贈与せよ!と言いたいところだが、壮絶な闘病の後死に至った死人に文句が言えるはずもない。 現在残された遺族間でその教育に関して難儀中との、何とも恥ずかしい実態だ…… (以上、前回記事より一部を引用)
 この息子氏、上記生前贈与財産に加えて他の不動産物件の相続人でもある。 何分義理姉の死が早過ぎたため、一人息子である氏がその財産を若くしてすべて引き継ぐのはやむを得ないとして、今回の相続が息子氏にとって吉と出るのか凶と出るのか、あくまでも他人事ながら気をもむ私だ。  
 と言うのも、突然転がり込んだ財産がその知識無き人の人生を歪める事例がこの世にごまんと存在する故である。


 折りしも朝日新聞6月29日付別刷「be」“between”のテーマが、「子どもに財産を残したいですか?」 だった。
 早速読者の回答を紹介すると、「はい」が57%、 「いいえ」が43% と、やや「はい」が優勢といったところだ。
 「はい」派の言い分を紹介すると、「子どもの幸せに役立つ」「親としての義務」「自分も受け継いだ」「他人には渡したくない」「家名や家業を守る」 と続く…
 片や、「いいえ」派の言い分は、 「残す財産がない」「子や相続させたい者がいない」「子どものためにならない」「相続問題を起こしたくない」… 
 なるほど、なるほど。


 ここで原左都子の私事に入ろう。

 私自身は条件付で「はい」派である。
 何故「条件付」かについて説明すると、何分我が子は多少の事情を抱えてこの世に誕生している。 特に我が子幼少の頃は、私の死後にこの子がこの世で命を繋げるべく財産を残す事も親である自分の責任範囲と深刻に考えていた。  それにしても大した財産もない庶民の身で如何なる手段で我が子に財産を残すのか、途方に暮れた時期もある。 とにかく若い頃より「貯蓄」が趣味の私は、我が子のためにちまちまとお金を貯える手段しか思い浮かばなかった。 何分「お抱え家庭教師」の立場の私は、まとまった労働収入を得るべく時間すらない。

 両方の親族より毎年賜る我が子への(少なからずの)「お年玉」や各種お祝い金等を陰で貯蓄しつつ、我が子に対する金銭経済感覚教育も日々欠かさない私だ。
 「人間が生活するためには『お金』が必要。 それは天から降って沸いてくるものではなく、自分で努力して稼ぐものだ。 あなたも将来大人になったら、自立して自分で生活するお金は自分で稼ぐ事になるんだよ。 そのために今から勉強を頑張っておこうね。」
 この言葉を言い聞かせてきた鬼母の私である。 

 「持って生まれた美人度を有効活用して“いい男”をゲットしろ!」などとは口が裂けても教育していないぞ! アホな男に騙されて、せっかく私が貯めた微々たる預貯金をせびられてどうする?!?
 (母親として少しばかりその教育が過ぎたところがあることを反省材料としつつも)、我が子は「お抱え家庭教師」である私の指導通り、着実に自立への道を歩んでくれている。 大学2年生の現在、資格試験合格をターゲットしとして大学の学問に真面目に励む日々だ。 
 

 上記朝日新聞記事の最後に、「相続」に関する専門家氏よりのアドバイスが記されている。 それを紹介しよう。
 相続に関するトラブル回避の最善策は「遺言を残す」事だ。 その際に、何故そういう分け方をするのか、その理由や自分の気持ちをなるべく詳細に書き残す事に加え、親である自分が残りの人生を如何に生きたいのかに関する自分の「取り分」も含めて考えるべき、とアドバイスされている。
 
 おそらく上記専門家氏とは、相続元の親自体がある程度若い世代である事を想定しておられると推測する。 ところが、その後一族の相続関係が変化する事も多いにある得るのは冒頭で示した通りだ。 
 結局「相続」問題とは各家庭により様々であり、実に困難な課題である事には間違いない。
 今回義理姉の死去によりそれを実感させられている現状の私である。


 そうだとしても、私は今後も引き続き我が娘に「自立」こそが今後の生きる道である旨を教育し続る意向である。
 先祖の残した財産を巡って親族間でくだらない争いバトルを繰り広げるよりも、自分がこの世で生き抜くべく財産は自らの能力と実力で培わねばならない事を学んで欲しいものだ。
 人の財産の“おこぼれ”を狭い親族間で争うより、自らが稼いだ少しばかりのカネで自由にこの世を生き延びる方がよほど面白い事間違いない。

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「所有権は義務を伴う」 教育を庶民にも施すべき

2013年07月15日 | 時事論評
 貧乏だから何をしても許される訳など、あるはずがない。

 ところが、(今となっては一時の幻の時代と化した)前民主党政権が「カネのバラ撒き政策」により庶民より大量票を集め政権交代した頃から、貧乏人が大手を振ってこの世を渡ることが良い意味でも悪い意味でも普通の現象となったような感覚がある。

 いやもちろん、人間は皆法の下に平等であることは日本国憲法でも保障されている。
 ( 憲法第14条 
 1.すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 )

 そして参考のため原左都子自身も当然ながら「庶民」の一員であることに関しては、バックナンバーで幾度となく記述している。
     

 さて、皆さんの記憶にも新しい事と思うが、去る7月12日に兵庫県宝塚市役所において役所を訪れた男が、市税収納課のカウンター内に火炎瓶を投げつけ火災が発生するとの事件が勃発した。
 幸い死者は出なかったようだが、当時市役所を訪れていた市民や市職員は黒煙の中逃げ惑い、男女5名が怪我をしたようだ。
 宝塚署の取調べによると、現行犯逮捕された63歳無職男性は税金の滞納について職員と話をしている途中で激高し、火をつけた瓶をカウンター内に2本投げつけたらしい。 しかも容疑者男性の言い分とは、「腹が立ってやった。 マンションの固定資産税を滞納して督促状が何度も届いたので文句を言いに行った。」  市職員に対しては、「おまえらが差し押さえするからこうなったんや。俺の人生めちゃくちゃや。俺の答えはこれや」と言い、瓶を投げたという。
 (以上、朝日新聞7月12日夕刊一面記事より一部を引用。)

 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
 「めちゃくちゃなのは現行犯逮捕されたあんたやろ!」 と言いたいところだが、この世の中、ここまでの犯罪行為に至らずとて、“税金に関して無知”かつ“金欠病”等“似たもの人種”が少なからず存在するのが辛いところだ。


 私事の一例を示そう。
 我が子が小学生の頃の話だが、子どもの習い事教室の場で同級生の一家庭が不動産物件を購入したようだ。 子どもの母親氏がそれはそれは嬉しそうに、習い事に通わせている母親連中の皆にそれを告げる。  当時我が家も新居3度目の買替不動産物件を購入したばかりのタイミングだった。 「偶然ですね。我が家も住居を買い換え転居したばかりです。」と一言返すと、「場所は何処?」「どんな物件?」矢継ぎ早に母親連中から質問が出る。  (言わなきゃよかった…と反省しつつ)プライバシーの問題が大きいため新居の“場所”のみ返答し、後は何とかごまかした。
 そのすぐ後に、上記不動産物件を購入した母親から我が家に切羽詰った電話があった。(当時は習い事教室内で連絡網を作成している時代背景だったため、我が家の電話番号をそこから知ったようだ。) 母親氏曰く、「不動産を購入すると『不動産取得税』とやらを支払わねばならないの? その他にもいろいろ必要費用負担があるようで、今になって不動産会社からその多額の請求書が届き困惑している。 貴方はこの費用負担をどうしたの??」
 我が家の場合3度に渡る不動産買い替え以前に、独身時代に既に不動産物件購入経験済の私としては、その無知なる質問こそに驚かされたものだ。  それでも、ある程度懇切丁寧に対応して差し上げた。  現在は不動産購入に当たり発生する諸経費ローンも組めると思うから、とにかく不動産会社に相談しては如何かと。

 もう一例、私事を述べよう。
 つい先だって63歳の若さで他界した義理姉の息子が、生前贈与の形で義理姉の不動産を引き継ぐ事になった。 ところが正直なところ、こちらも「不動産取得税」はおろか、「固定資産税」の存在すら知らない軟弱者なのだ。  親たるもの死ぬ前に息子にその辺の教育を施してから生前贈与せよ!と言いたいところだが、壮絶な闘病の後死に至った死人に文句が言えるはずもない。 現在残された遺族間でその教育に関して難儀中との、何とも恥ずかしい実態だ……


 「所有権は義務を伴う」 
 この文言を世界で初めて明文化したのは、ドイツのワイマール憲法だ。
 
 これに関して「原左都子エッセイ集」2007年12月バックナンバー 「近代市民法の三原則とその修正シリーズ」より、以下に少し復習させていただこう。
  
 所有権絶対の原則とその修正
   所有権絶対の原則とは
    近代市民法の根本理念 = “自由と平等” であるならば、
    個人が自由な意思で、平等な地位において手に入れた財産権、特に
    その代表的な所有権は何人によっても侵害されない、という原則
                ↓
    この財産権をどのように行使しようが、これまた自由
               = “権利行使自由の原則”
    権利を行使する過程において他人に損害を与えようと、法に触れない
    範囲内でならば責任は問われない。

    資本主義経済の高度発展は、この原則に負うところが大きい。

   しかし…
    資本主義の発展 → 貧富の格差の拡大
     一握りの独占企業がみずからの財産権を行使することにより
     他人に損害を与えてもよいのか?多くの人が不幸になってもよいのか?
       例: 公害問題、現在多発中の賞味期限偽造問題、etc…

    20世紀に入ってから、この基本原理に歯止めがかかった。
     「公共の福祉」 = 社会全体の共同の幸福  の思想の導入
       この枠を超える権利の行使は 「権利の濫用」となる。

        ワイマール憲法153条3項「所有権は義務を伴う」
         (「公共の福祉」を世界に先駆けて明文化した。)


 「所有権は義務を伴う」との上記ワイマール憲法条文は、あくまでも大規模企業等“経済的強者”に対する歯止めの意味合いでの規定である。

 現世においては、所有権を取得した“経済的弱者”に対してもまったく別の観点から「所有権は義務を伴う」教育を施すべきでないかと私は感じるのだ。

 そもそも商業主義を前面に出し、不動産を購入したい消費者誰をもターゲットとして物件を売りつける販売者側の企業理念にも大いなる瑕疵があろう。
 現在では多少の行政指導が行われている様子で、少なくとも「ローン審査」に関しては厳しい難関を設けている様子だ。 ただこれに関しても、私に言わせてもらうと杓子定規感が否めない。
 不動産購入時に発生する「諸経費」に関して一応の説明はあるようだが、むしろ現在では「諸経費ローン」が組めることを売りにする逆転商法がまかり通っている現状ではなかろうか?
 この現状では、一時少しばかりの小金を持つ庶民が易々と不動産購入が可能となろう。さてその後どうなるのだろう。

 人間とは知識こそが身を助けるものだ。
 ここは行政側が庶民に対し、「所有権は義務を伴う」教育をもう少し前向きに実施してはどうなのか。  固定資産税を支払えなくなった庶民相手に機械的に督促状を送り続けるとの手段ではなく、“経済的弱者”である庶民の立場に親身に立って、早めに「所有権は義務を伴う」教育に乗り出す事で、最低限今回のような市庁舎放火事件が防げるような気が私はするのだが…

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自分の名前、もちろん気に入ってます!

2013年07月13日 | 自己実現
 本エッセイ集において私はペンネーム「原左都子」を使用しているが、私の本名は実はある有名人と同姓同名である。


 この事に関しては、「原左都子エッセイ集」開設半年程後の2008年2月バックナンバー 「同姓同名物語」 に於いて既に公開済だ。
 以下に、少し反復させていただこう。

 詳細を語ると本名がバレるためほんのちょっとだけ話すが、その有名人が、な、な、なんと超美人!!なのである。 当の昔に現役を引退している人物のため若い世代の方々には馴染みはないであろうが、ある年齢以上の世代の方々にとってはその名前を知らない日本人はいない程、一世を風靡した人物である。
 当エッセイ集をネット上に立ち上げるに当たり、私は散々迷った。 このまたとない光栄な本名を著者名として使用した方が得策か、はたまたペンネームを使うべきか…。 結果としてあえて“映えある”本名をはずしてペンネームを使用した理由の第一は、個人情報保護及びプライバシー保護の観点からである。 加えて当該有名人ご本人とのネット上の混乱を避けるため、更には、その人物の美しさや知名度にあやからず自分のエッセイの実力で勝負したいと目論んだためでもある。 
 私が光栄な本名をゲットしたのは結婚をして姓が変わったことによる。 実は私の旧姓も現在の本名と大差のない氏名だった。 昔親から聞いた話によると、私の名前自体は親の考えに基づき名付けたらしいのだが、苗字との釣り合いも考慮し、やはりその有名人を意識しての命名だったらしい。
 さて婚姻後、私はこの本名のお陰で日頃得をする事が多い。
 まず、とにかく如何なる場でもすぐに憶えてもらえる。 そして話題性がある。この氏名を取っ掛かりとして大抵は話がはずむのだ。 その有名人は超美人であることに加えて清純なイメージを押し通したまま引退したらしく、皆さん肯定的に捉え、大抵の人(特に男性)は絶賛する。 そのお陰で同姓同名の私までそれにあやかり何だかイメージアップなのだ。
 この同姓同名に対する世間の反応も面白く、これが楽しめる。 例えば、病院や役所等の公共機関で順番待ちをしていて氏名を呼ばれる場面があるが、「○○○○○さ~ん」とお声がかかり立ち上がると、周囲のほぼ全員が一斉に私に注目するのだ。 目立ちたがり屋の私はこれが“快感”だ。 近頃は個人情報保護の観点からこのような場面が番号制に移行して公の場で氏名を呼ばれる機会が減少しつつあり、私としては少し物足りない思いでもある。
 この氏名のデメリットと言えば、たまに「偽名」と判断されてしまう事だ。 特に意見書提出や電話にての意見陳情の場合、頭から「偽名」と扱われまともに応対してもらえない場合もある。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 上記バックナンバーを公開して5年半の年月が流れた現在、我が本名に反応する世代が高齢化を遂げ、ほとんどの現役世代には馴染みのない氏名となりつつあるのを実感させられ、多少寂しい思いだ。
 それでも、未だ有名人と同姓同名の我が本名に反応して下さる場面に出くわすのは、愉快な一時である。
 私のように“超美人”かつ“淑女”のごとく素晴らしい人物と同姓同名であるような場合、その名を持つ本人が人格面も含めてあまりにも“貧相”であれば、おそらく周囲の人々はその名前に触れることを遠慮するであろう。 名前を聞いて盛り上がってくれる現象とは、あくまでも自分に都合よく解釈すると、(ご本人も素晴らしければ、お名前も素晴らしいですね!)と褒めてもらっているような感覚なのだ。 (勝手に言ってろ、って??)
 
 今後も我が本名に恥じないような人格を築き続けたいものである。


 今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、少し古くなるが朝日新聞7月6日別刷「be」“between”「自分の名前、気に入ってる?」と題する記事である。
 
 この設問に対し、「はい」と回答したのは38%。 「どちらかといえば(はい)」との回答が42%。  「どちらかといえば(いいえ)が12%。 「いいえ」が8% なる結果だ。

 意外や意外、自分の名前を「気に入っている」人が8割を占めている事に驚く原左都子である。 と言うのも私自身独身時代の旧姓が嫌で嫌で、自分自身が受け入れられずに困惑し続けていたためだ。 我が旧姓の何が悪いという訳でもないのだが、とにかく嫌いだった。
 今現在推測するに、親に勝手な希望を押付けられ不本意な高校生時代を送ったのが一番の原因かもしれない。 あの時の自分が今現在も受け入れられないがために、それに付随している自分の旧姓も受け入れ難かったのかと思ったりもする。
 
 長い独身を貫いた後に見合結婚が決まり、上記“超美人”有名人と同姓同名になろうとしていた頃、“とある”男性と会話した内容を思い起こした。  その人物曰く、「有名人と同姓同名の新姓もいいけど、僕は君の旧姓氏名の方を好むよ。なんせ、旧姓の響きがいい。 僕の君に対するイメージとしては旧姓の方が一致するなあ。」
 私はこの時初めて、旧姓時代の我が人格とそれに付随している我が姓名が共鳴した気がした。 そう言われてみると、我が旧姓の響き自体は悪くない。
 
 自分の名前に関して普段詳細に考察する機会など皆無だったが、他者にその良さを指摘されるてみると「なるほど、そういう観点もあるのか」との視点になれるから不思議だ。 長かった独身最後の時期に、自分が持って生まれざるを得ない旧姓に関してその良さを再考するプレゼントをしてくれた当時の男性友人に今更ながら感謝だ。


 本エッセイの最後に、我がペンネームである「原左都子」に関してその名の由来を紹介させていただこう。
  
 苗字の「原」は二の次に回すとして、、ファーストネームに関しては 「さとこ」 にする意思が最初から固かった。 何故ならば、これこそ私が上京後独り立ちした後に周囲の皆様より賜ったニックネームだからである。
 独身時代のその場は移り行けど、「さとこ」「さとちゃん」と周囲の皆様に盛り立てて頂きつつ、我が栄光の長き独身時代を謳歌できた思いが強いのだ。 

 ペンネームのファーストネームは 「さとこ」 で即時に決定! 
 次に私が一番こだわったのは「左」の漢字である。 決して善人でもなければ、ひ弱な印象を抱く漢字も避けたい。 一匹狼で天邪鬼の我が生き様を一番表現してくれる「さ」の漢字を私はすぐさま探し当てた。
 それこそ 「左」 である!  これしかない!
 (参考のため、「都」に関してはさほどのポリシーはなく、東京都に住んでいることと、その“字姿”を好むためそれにした。)


 我が本名同様、今となってはペンネーム「原左都子」もネット上でその存在感を煌かせてくれている事実に日々感慨深い思いである。

 自分の名前とは、自分自身が気に入ってこその存在価値ではなかろうか?
 
 そんな思いを抱ける現在の我が人生をうれしく思える現実に感謝しよう。

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「公証役場」 とは如何なる役場か?

2013年07月11日 | 左都子の市民講座
 昨日、私は生まれて初めて 「公証役場」 なる場所に出向いた。

 都心の電車の車窓から見渡せるビル内に、「公証役場」との看板を掲げる事務所が存在する事は昔から心得ていたものの、一体何をする“役場”なのかに関しては「経営法学修士」を取得している原左都子にして、恥ずかしながら最近まで知らずに過ごして来た。
 加えて、そもそも「役場」との名称を使用している割には中小規模の事務所らしき外観が、何を目的とした場なのかとの不可思議さを漂わせていた印象がある。


 ここでウィキペディア情報により、「公証役場」の定義を紹介しよう。

 公証役場(こうしょうやくば。公証人役場ともいう)とは、公正証書の作成、私文書の認証、確定日付の付与等を行う官公庁である。 各法務局が所管し、公証人が執務する。官公庁ではあるが、公証人独立採算制がとられている点が一般の官公庁と異なる特徴である。 公証役場は全国に約300カ所存在する。
 
 原左都子の私論(と言うより「感想」)だが、 へえ~~。 そうだったんだ。
 今更ながらではあるが、公証役場が「役場」と名乗るべく必然的根拠をウィキペディア情報により理解できた。 官公庁法務局が所管している事務所であるが故に「役場」には間違いない。
 ただし、“公証人独立採算制”がとられているとの文言が興味深くもある。


 そこで次なるテーマとして「公正証書」及び「公証人」とは何ぞや? に関して調べてみた。

 まずは「公正証書」に関する総論的解説をウィキペディアより参照しよう。
 「公正証書」とは公務所又は公務員がその職務上作成した文書の事であり、そのうち公務員がその権限に基づき作成した証書が広義の公正証書である。
 狭義の公正証書とは、広義の公正証書のうち、公証人法等に基づき公証人が私法上の契約や遺言などの権利義務に関する事実について作成した証書をいう。
 一般に「公正証書」という場合、狭義の公正証書を指す。

 次に「公証人」に関して同じくウィキペディアより引用する。

 公証人(こうしょうにん)とは、ある事実の存在、もしくは契約等の法律行為の適法性等について、公権力を根拠に証明・認証する者のことである。
 日本においては公証人法に基づき、法務大臣が任命する公務員であり、全国各地の公証役場で公正証書の作成や定款や私署証書(私文書)の認証、事実実験、確定日付の付与などを行う。 2000年9月1日現在、日本全国で公証人は543名存在する。
 公証人の起源についてはローマ法に由来するとされ、中世の神聖ローマ帝国(ドイツ・イタリア)が始まりと言われている。 当初は商業上の契約や帳簿など広範の私的文書作成を担当してきたが、14世紀以後商人達の識字率向上や複式簿記の発達などに伴って専ら法的文書の作成に従事するようになる。
 現在多くの国では、公証人は法曹あるいはそれに準ずる資格の保持者であることが多い。 一方アメリカではわずかな講習で容易にその資格が取得でき、学校や郵便局などあらゆる場所に総計400万人もの公証人がいて、その権限もおおむね署名の認証に限られているなど、国々によってその権限はかなり異なる。
 日本の公証人沿革に関しては、1886年にフランスの制度を参考にして「公証人規則」が制定され、その後1908年にはドイツ式に改められた「公証人法」が制定された。
 公証人は法務大臣が任命する実質的意義の公務員であり、公証役場で執務している。国家公務員法における公務員には当たらないが、実質的意義においては公務員に当たると解されている。 現在の職務に関しては守秘義務を負い(公証人法4条)、法務省の監督に服する(公証人法74条)。また公証人には職務専従義務があり兼職は禁止されているため、弁護士や司法書士などの登録は抹消しなければならない。
 公証人法の原則では、公証人は公証人試験に合格した後に法務大臣が任命することとなる。(公証人法12条)。 しかし公証人法に定める試験は実施されたことがないのに加えて、公証人法には他の資格試験のように「1年に何回以上試験を行わなければならない」という規定がない。 そのため、公証人とは司法試験合格後司法修習生を経て、30年以上の実務経験を有する裁判官(簡易裁判所判事は除く)、検察官(副検事は除く)、弁護士、および法務局長経験者から任命されるのが実態である。 
 公証人は70歳まで勤務することができるため裁判官、検察官、および法務省を退職した後に就くことが多い他、特例として 学識経験者からの任命(特任公証人、公証人法13条の2)、多年法務に携わりこれに準ずる学識経験者で「公証人審査会の選考」を経た者も任命できる。 これらの者の場合は試験と実地修習は免除されるが、公募に定員の倍数を超える応募があった場合は短答式試験・口述式試験を実施して選考する。
 報酬に関しては、公証人はあくまで公務員だが、指定された地域に自分で公証役場(公証人役場)を開き、書記らを雇って職務を遂行する。 国家から俸給を得るのではなく、依頼人から受け取る手数料が収入源の独立採算制であるため、当然扱い件数の多い東京や大阪などの大都市では、年収3,000万円を超える公証人も多数存在する。
 (以上、ウィキペディア情報より「公正証書」「公証人」を要約引用。)

 なるほど、重々納得である。


 ここで原左都子の私事に入るが、冒頭に記した通り私は昨日殺人的猛暑が続く最悪の気候条件の下、都内の“とある”場所に位置する「公証役場」へ向かった。

 何分、義理姉が6月末に不覚の死を遂げてしまった。 
 それに伴い、今後の相続人の一員となるべく身内の立場としては、義母が以前公証役場にて作成した「遺言状」の書き直し作業を再び「公証役場」に依存せねばならない。

 我々が出向いた「公証役場」は都内“とある”場所の駅近くのビル内に位置していた。 そして我々一族担当の「公証人」氏は十分な専門力を培っておられる事は元より、終始親切な対応力で臨んで下さった事が印象的である。
 しかも「遺言状」作成とは「公証役場」にて実行した場合、私の想像以上に“安価”しかも“確実”であることも昨日実体験できた思いだ。

 「遺言状」作成に当たり、下手に一族でもめた挙句に、例えばの話が大阪の“角田美代子家連続殺人事件”等の悲惨な殺戮を身内で繰り返したくないのが人情であろう。
 ここは現行法律に遵守している点で信頼できる「公証役場」に、遺言書作成を依存しておいた方が一族の得策かとも言えそうだ。

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2013参院選投票に際し、国民が考えるべき事

2013年07月09日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞6月27日付 「アベノミクス果実どこ」 と題する記事内の挿絵「『アベノ滴』はどこまで落ちる?」を転載したもの)


 「原左都子エッセイ集」5月24日記事「イージー・マネーで世を撹乱した“イージー・アベノミクス」に於いて、私はアベノミクスに対する批判的私論を展開した。
 その結論部分の一部を、今一度以下に要約して反復させていただこう。

 5月下旬の東証株式市場暴落を受けて、5月24日付朝日新聞朝刊一面に編集委員 原真人氏の署名にて「アベノミクス 危うさ露呈」との論評記事が載せられた。  この原氏の論評がまさに原左都子の私論と一致するため、以下に要約して紹介させていただく事としよう。
 「アベノミクス」の本質は、人々をその気にさせようとの「心理学」だ。 金融と財政を通じて思い切りカネをばら撒く。その勢いで多くの人が「景気がよくなる」と信じ込む。こうなれば本当に景気がよくなる…  そんなシナリオである。  だから崩れる時はもろい。最初からその恐れはあった。 ひずみは早くも表面化した。日銀が押さえ込むはずだった長期金利が急騰。 頼みの綱の株価も13年ぶりの暴落。 アベノミクス政策以来の株価上昇を景気好転と勘違いするべきではなかった。これは日銀による人為的な市場操作で上がるべくして上がったものだ。 日銀は国民に「その気を育てるタネ」として年間50兆円超のカネを国債や市場に流し込もうとして、投資家達がそれに誘われたが故に短期的に株価が上がるのは当然だった…。 (以上は朝日新聞5月24日一面記事より一部を引用。)
 表題に戻って、「イージー・マネー」とは日本語にすると「楽に儲かるカネ」、あるいは「不正に儲けたカネ」「悪銭」「あぶく銭」「泡銭」等々…の意味合いもあるようだ…。  日銀黒田総裁は今回の金融緩和政策は「決して“バブル経済”の再来ではない!」と言い切っているが、私に言わせてもらうと「イージー・マネー」を最前線に呼び込む経済政策など“バブル”でしかあり得えない。 これこそが今後の「アベノミクス」経済政策の限界を示す指標であり、安倍政権とは「アベノミクス」の名の下に日本国内に於けるほんの一部の富裕層(これとて所詮庶民の範疇であり大してリッチでない層と私は捉えるが)を煽る事による“階級制度”を末端社会で築きたいのか??
 今後益々多くの国民を更に貧困層に落とし入れ不幸にしないためにも、「イージー・マネー政策」は即刻辞めにするべきであるし、バブル銭にしか頼れない財務・経済政策など、原左都子に言わせてもらうと「イージー・アベノミクス」としか表現できないよ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用)


 冒頭で転載させていただいた写真、朝日新聞記事の挿絵に話を移そう。
 この挿絵、安倍政権経済政策「アベノミクス」の全容を端的に表現していて経済素人国民にも大変分かり易い“秀作”と、私は唸った。

 さしずめ原左都子一家など、ワイングラスピラミッドの一番底辺「年金生活者」あるいは「多くの家庭」に位置するのは歴然だ。
 身内が現役世代だった1年少し前までならば“ボーナス増”の恩恵に与れる「大企業の社員」に位置したのであろう。 ところが今となってはその残影すら陰も形もなく、死ぬまでワイングラスピラミッドの底辺を這いずりつつ彷徨う運命にある。
 安倍首相が上位の目線からトクトクと注ぐ「円安・減税」「株高」のワインの一滴とて届かないどころか、そのうち消費税増税を負荷されるわ、頼みの微々たる年金までをも減額されてワイングラスがひび割れ、上位の一時の“バブルに湧く”富裕層を支えきれずにピラミッドが崩壊するのが落ちだ。
 まさに「アベノミクス」の果実がどこに実ると言いたいのか、社会の底辺に位置する私など、安倍政権下で先が見えない不確実感と不条理感しか抱けず困惑させられるばかりである。

 そうしたところやはり、「アベノミクス」に関して私と同じ思いの国民が増殖している様子だ。
 朝日新聞7月1日付の参院選に関する世論調査結果によると、これまで自民党内閣支持率を押し上げてきた要因とみられる「アベノミクス」に対する支持に陰りが見えているとの事だ。 5月時点での「アベノミクス」への支持率は63%だったらしいが、現在は50%。 「アベノミクス」が賃金や雇用の増加に結びつくと「思う」かどうかの設問に対しては「思わない」が48%と上昇しているとの報道である。


 私が気になるのは、その他の政策分野では相変わらず自民党支持派の国民が多いとの世論調査結果である。
 もちろん、自民党政策とご自身のポリシーが偶然一致する国民の皆さんもいらっしゃる事ではあろう。
 ただ私が大いに懸念する自民党政策の一例を挙げると、「憲法改正」「原発再稼働」「消費税増税」「中韓をはじめとする外交政策」「TPP議論」「沖縄基地問題」…、今後日本が世界の一国家として生き延びるべく根源を揺さぶる程の物凄く“どデカいテーマ”ばかりである。
 これらの自民党政策すべてに国民の皆さんは、本当に本心から党に同意すると言うのであろうか???

 この期に及んで何故、私が今回の参院選に対する国民感情に懸念を抱いているかに関して説明しよう。
 国民の大多数の皆さんは、3年程前の衆院選に於いて「民主党」に投票して歴史的政権交代をもたらしたばかりである。(参考のため、原左都子は決して当時から「民主党」支持派ではなかったし、民主党政権に移行した後も「民主党政権」のふがいなさに対してバッシングを怠っていない。) 
 ところが昨年末の衆院選段階で、国民の皆さんの票が「自民党」に翻った。 これ、なんでなの??  と言いたい私の思いも理解して欲しいものだ。 「自民党」の何が良くて投票したのかに関して、投票国民には説明責任があるはずだ。

 作家の橋本治氏も、朝日新聞6月29日付「オピニオン」ページで私論と同様の思いを詳細に述べておられるようだ。 (今回は字数の都合で割愛させていただき、機会があれば橋本氏のご見解を改めて紹介することにしよう。)

 
 最後に、(参考のためあくまでも「無党派層」である)原左都子の私論でまとめよう。

 国民に参政権がある事は憲法でも保障されている。 その権利を国民皆が十分に履行してこそ今後国家が繁栄を果すということであろう。
 ただ、選挙に行く前に少し考えて欲しいのだ。 とある政権は国民に「カネを配る」と言うからその恩恵に被れる立場の国民はそれにつられて一票入れるのか?  はたまた他の政権は「景気が良くなって国民の暮らしが楽になるぞ」と公言するから、それを信じて選挙に出かけるのだろうか??
 もしそうだとしたら、あなた達は「政党」側の“票だけ欲しい”との“悪しき魂胆”に操られているだけの存在でしかない。
 もちろん、それを操っている「政党」こそが“諸悪の根源”ではある。

 そうだとして国民の皆さん、ここはご自身の支持政党が何を“たくらんでいる”のかを少しでも勉強しよう。 それと同時に支持政党政権公約の「実行力」の程も見極められるならばそれに越した事はない。

 その段階を経た後に投票所へ向かい、貴重な一票を投じようではありませんか。

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人が持って生まれた寿命に対する不可思議感

2013年07月06日 | 健康・医療・介護
 人の寿命とは不可思議だ。

 平均寿命を超過して生き抜いたお年寄りが天寿を全うしたような場合、「長い間、お疲れ様でした」と粛々と頭を下げて見送ってあげたい思いこそ強けれど、さほど不可思議な感覚は湧き出て来ない。 
 ところが、未だ寿命には程遠い身近な人物に他界されると、人が先天的に持って生まれた寿命の不可思議感とでも表現すればよいのか、何とも言葉では言い表しようのない無念感が漂うものである。

 先週6月28日に我が義理姉が7ヶ月に及ぶ壮絶な「膵臓癌」闘病の末、63年間の短い命を閉じ、7月1日にその葬儀に出席した話題は、既に当エッセイ集にて公開した。
 

 どうも原左都子は、ごく身近な人物に「突然死」や「余命宣告闘病の末の壮絶死」等々で、若くしてあの世に旅立たれる運命にあるようだ。

 我が実の父がそうだった。
 もう14年程前の事になるが、父は“急性心筋梗塞”で夜中に突然死した。 享年69歳だった。 一番困惑したのはご近所の方々で、皆さん口々に「昨日昼間お目にかかった時は元気に挨拶されていたのに、なぜ…」と葬儀の場でも驚きが隠し切れない様子だったのが印象的だ。

 昨年の冬、我が今までの人生に於いて一番親しかったと言える女性の親友を、これまた“くも膜下出血”の突然死で亡くした。 やはり享年60代の若さだった。 生涯独身を貫きつつ趣味が盛り沢山で「100歳まで青春を謳歌するぞ!」が口癖だった彼女が、何故一人暮らしの自室で倒れ、孤独死せねばならなかったのか…   我が子が自立した暁には“再びの青春を”一緒にエンジョイさせてもらうはずだったのに、後々までも我が無念の感情を引きずったものである。(今尚引きずっているかもしれない…)

 そして、今度は義理姉。
 義理姉とは日頃頻繁には会合しないのだが、新年会等親族の集まりの場では親族を代表して会合を取り仕切るようなキャラだった。 いつもはつらつとしていて親分肌の義理姉は、一族の中心人物だったとも言える。 
 既に我がエッセイ集バックナンバーで記述済みだが、幼い頃よりお嬢さん育ちの義理姉はいつ会ってもブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味としてグルメ三昧の日々を過ごす傍ら、自分の健康管理には敏感で健康診断を欠かさず体調に異常があるとすぐさま主治医を訪れていたようだ。  親族会等の集まりの場でも、自ら親族の我々に健康維持増進の声かけをする等、「健康」と「美」に関する執念が強い人物と私は把握していた。
 そんな義理姉にして、昨年12月のある日病院受診した際に判明した「膵臓癌」罹患及び、余命3か月~1年宣告だった。 結局、その後7ヶ月で63年間の命を終焉した。


 原左都子の私論に入ろう。

 人の寿命とは、自分が持って生まれたDNAにより“ほぼ”(あくまでも“ほぼ”の範疇であり日々の生活習慣や本人の意思・思考等々によるその幅が大きいのだが)運命付けられていると解釈してよいのではないか、と元医学関係者の立場から結論付ける。

 我が実の父に関しては、バリバリの「急性心筋梗塞」DNA一族である。 父の兄弟3人が同じく「急性心筋梗塞」で40代から60代の若さで突然死を遂げている。 もう一人生き残っている末弟は、心筋梗塞を発病した場が職場だった事が幸いして一命を取りとめたが、現在も要注意の身でこの世を綱渡りしている現状だ。

 「くも膜下出血」により突然死した我が友に関しても、はやり日常の生活習慣や本人の気質故の早死だったかと考察する部分もある。  何分私とは性格が正反対だった。 基本的に“のんびり系”で“なんとかなるさ的”な彼女を好き好んで慕った私とも言える。  負けず嫌い気質を全面に出し何事にも突進してしまう私に、いつも大らかに対応してくれた。 そんな彼女は自分の体内異変にも大らか過ぎたのではあるまいか?? 少しでも“くも膜下出血”の前兆を嗅ぎ取れたならば、その対応をするべきだったにもかかわらず……

 義理姉に関しては、上記“突然死”の2人とはその死に様が明らかに異なる。
 病院を受診したにもかかわらず、その直後に余命宣告を受ける運命にあった。 その点で、義理姉には何らの落ち度もない。 
 本人に何の落ち度もないのに、何故人は7ヵ月後に命を落とさねばならないのか!?!


 上記観点で、今回の義理姉の死は原左都子に大いなる「寿命の不可思議感」なる新たな命題を残してくれたのだ。

 私自身は(元医学関係者としての知識内で)、自分が持って生まれたDNA体質をほぼ理解出来ているつもりである。 それを武器として今後この世を生き抜くつもりでいた。
 どうやら私は母親側のDNAを強く受け継いでいるようでHDL(善玉)コレステロールは多いし、飲兵衛にして肝臓も強靭、心臓が多少バクバクしようと5kmロードレースもこの年齢にして何度も完走可能だし、常に自己実現意欲に燃えて前向きに生きているし、私って、絶対長生きできる運命だよねーー。 

 こんな私の証拠なき長生き思考を、先週の義理姉の死によって現在へし折られた感覚だ…


 人間とは実に不思議な動物である事を実感でもある。
 
 (我がDNA論理に基づく)根拠乏しい長生き思考を一旦“へし折られて”しまうと、あちこちが急に痛み出すのだ。
 義理姉の死後、気丈な原左都子にして日々腹部が痛み下痢が続くし、心臓のバクバク感が再発するしで、何ともだらしない体調不良状態だ。
 
 ただこれも義理姉の壮絶な闘病後の死に対する、私なりの“追悼儀式”と理解させてもらう事にしよう。
 もう少し時間が経過したら、私も絶対心身共に復活するはずだ。

 それを信じつつ今回のエッセイは、義理姉の葬儀以降未だに体調面で立ち直っていない我が心身面の軟弱な一面を、正直に綴らせていただいた。

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っていうかー、ぶっちゃけマジでチョーめっちゃじゃん!

2013年07月04日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞6月29日付別刷「be」記事 RANKING 「どうにも気になる口癖」より転載)


 本日7月4日、来る7月21日が投票日となる参議院選挙が公示された。
 昼のテレビニュース報道によると、各党党首を筆頭に立候補者達が早速街頭演説合戦を開始したようだ。

 さすがに党首ともなると演説慣れしているのか、(演説の中身の議論はさておき)癖の無い程よい音量と口調かつ聞く側に分かり易い明瞭な表現を用いている。
 ところがこれが立候補者当人の場合、声ばかりデカく力づくに何かをがなり立てているのみで聞く側としては喧嘩でも売られている気分だ。 「あんた、単にうるさいだけだよ! 静かにしてくれ!!」と喧嘩を売り返すしかない。


 参院選はとりあえず隅において、今回のエッセイテーマは人(特に若い世代の?)の口癖である。
 原左都子にも「口癖」はあるっていうかー、ぶっちゃけマジでチョーめっちゃ、自分の「口癖」を反省させられる記事を公開してくれたじゃん、朝日新聞さん。
 っていうかー。
 「原左都子エッセイ集」を自分自身で読み直してみても、ここだけの話、ある意味普通に~ 左都子の「口癖」オンパレードの現状にちょーマジで辟易とさせられる思い、みたいな~。

 (普段使い慣れない?「俗語」を展開しまして大変失礼申し上げました。


 さて、早速冒頭写真の朝日新聞記事を取り上げよう。

 今回の RANKING 記事は上記写真の通り、(おそらく)若い世代を中心として俗世間で頻繁に会話に用いられる「口癖」をテーマとして分析した内容である。
 以下、原左都子の私論と RANKING 記事に見解を述べておられる“有識者”氏のご意見とを交錯させつつ、エッセイを展開しよう。

 写真の1位の文言が画面に収まっておらず恐縮なのだが、「っていうかー」 である。
 これ、原左都子自身も聞かされて身の毛がよだつ程に“チョー”不快な表現だ。
 写真の解説絵図が不鮮明で見づらいため、ここで反復すると、女性二人がカフェで会話をしている風景だ。 「っていうかー。うちの犬がさー」との右の女性の話しかけに対し、左の女性は携帯を片手に持ちつつ他人事のごとく「っていうかー。もう帰ろう」
 そもそもまるで会話が成り立っていない。 今時の人間関係希薄化社会現象を象徴するべく会話内容である。
 ここで朝日新聞内の“有識者”であられる大学教授氏の解説を紹介すると、これは「『垣根表現』であり、相手と境界を作ることで距離を取る『ぼかし』の表現です」との事だ。
 それは違うぜ、教授先生! と反論を翻したいのは原左都子のみではなく、朝日新聞に意見を寄せた読者の多くもこれを「否定表現」と断定している。 おそらく、大学教授見識者先生は「っていうかー」との俗語の存在はご存知だろうが、対等な立場で発せられた経験が無いのであろう。(私もないが。)
 まあそれにしても若き世代の皆さん、相手との会話懇談を続行したくないのであれば、「っていうかー」なる気持ち悪い言葉を発していないで、単刀直入にその意思を相手に明言しようではないか。
 
 次に取り上げたいのは、3位の「~みたいな」であるが、これに関しては朝日新聞解説絵図が何とも可愛いのだ。
 男性曰く「付き合いたいかな~ みたいなー」 女性が応えて曰く「うれしいかも~ みたいなー」
 原左都子の私論だが、この種の場面で「~みたいな」が活用されるならば、激励したい。 確かに「~みたいな」のニュアンスとしては、中途半端さが醸し出されているのは事実だ。 そうだとして、自分の(肯定的)感情を相手に伝えるのがはばかられるような場面に際して、この俗語は有効活用可能と判断する。
 “有識者”がおっしゃる通り、口癖俗語も肯定的場面で発せられるならば、「ぼかし表現」とも表現可能であろう。
 ただ気をつけるべきは、「~みたいな」を否定的な場面は元より、普通の人間関係の場で決して引用しない事が鉄則であろう。 発した人物のレベルの程とその後の責任が問われる事間違いないよ。

 4位の「超(チョー)」に関しては、実は原左都子も日頃多発している。
 と言うのも、これが流行言葉とのニュアンスをまさに「超」えていると認識している故である。 「超」とは英語で言うと「SUPER」(要するに「すばらしい」「最高級の」)の意味あいがあると捉えているからだ。 まさか「超カワイーー!」などとは決してホザかないのだが、親しい間柄の会話で「超すばらしい!」などとついつい言ってしまう場面もある。(これも顰蹙だろうか?)
 これに対し「めっちゃ」は明らかに嫌いだ。 おそらく「超」と同様の意味合いであろうが、語源が『メチャクチャ」である事を理解できるが故に、私は今後共に一切発語したいとは思わない。

 理論派の原左都子が今後人との対話場面に於いて気をつけなければならないのは、10位に位置している「要するに」や、11位の「逆に言うと」、はたまた15位の「ある意味」、さらには18位の「いやっ」等々であろう。
 「逆に言うと」や「いやっ」と同類の、20位にランクインしている「でも(でもでも)」も要注意だ。 「原左都子エッセイ集」内で多発しているのがこの「でも」バーション発展系の「ただ」「ただし」「あるいは」「一方」「他方」「別の角度から見れば」… 例を挙げればきりがないのだが…
 話を聞かされる側としては、「逆にいうと」と人の話を中断しておきながら、少しも逆ではなく何のオリジナリティも無い会話をダラダラ続けられるような場合、(結局自分が上位だと言いたいだけなのね…)とウンザリするしかない。

 今回の朝日新聞記事の、上記“有識者”大学教授が最後に述べている結論文章を紹介しよう。 「日本人は不完全文で話すのが常識。一人で全部を話さず、相手とやりとりしながら一つの文章を作る、つまり仲間内の私的会話なのです。そのために『口癖』とは潤滑油の役割を果している」
 原左都子の反論だが、上記有識者氏の発言とは半世紀程前の日本人の人との関わりについて述べた時代錯誤のコメントではなかろうか。
 今時の社会の人間関係や若者文化をどれ程理解しての“有識者”氏の発言であろう!? 上記「口癖」一覧は、私的会話内で何らの潤滑油的役割を果し得ていないと私は結論付ける。 


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 若者が発する俗語「口癖」の数々に直接触れる経験は日頃ほとんど無い私だが、これらの言葉を新聞紙上で見せられるだけで不快感を抱かされる。 俗語流行り言葉のすべてに、今現在若者達が仲良くするべく対面相手への「否定的」感情を嗅ぎ取ってしまう故である。

 若者達よ、ここは正しい日本語会話を今一度学び直そうではないか。
 
 人間関係が希薄化した現社会においても、人との関わりとは何らかの形で多少なりとも自分の成長に繋がるものだ。
 否定的な流行り言葉を発して、せっかく仲良くなった相手との関係を短期間で終焉させるよりも、正しい日本語を通じて人との関わりを繋ぎ直したいものである。

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葬儀会場 人間模様

2013年07月02日 | 時事論評
 今時の葬式とは、有名人所属事務所が何万人ものファンを集めて営利目的で大々的に執り行う大規模葬祭や、大企業の社葬を除き、そのほとんどが密葬か、あるいは少人数で施す場合が多いのではなかろうか。

 昨日より7月に入り梅雨期も終盤、いよいよ夏本番のこの時期に、「原左都子エッセイ集」に於いて「葬儀」関連の話題が続き恐縮である。


 昨日、7月にしては気温が高過ぎず湿度も低い、「喪服」を着るには比較的爽やかな程よい天候条件の朝を迎えた。
 不幸中の幸いとはこの事である。
 何分朝から義理姉の葬儀に一家総出(と言っても3名だが)で出席せねばならない。 もしも真夏日だった場合は熱中症対策上、上着は持って歩いて会場で着用するか? 持つだけでも暑苦しいし、猛暑の場合は上着は省略してクールビス半袖喪服姿で出かけるか??  葬儀の3日前から娘と共に散々迷ったものだ。

 昨日実施された我が義理姉の葬儀に際し、自分らが当日着用する衣装の心配が優先してしまい誠に顰蹙である事は承知だが、特に真夏の葬儀出席に当たっては皆さん同じようなご経験をされている事であろう。
 何はともあれ7月にしては適度な天候に恵まれ、これ幸いと(??)我々一家は電車にて葬儀会場へ向かった。

 次なる私の心配事は、一体どこのどなたが葬儀に出席しているのかとの点である。

 と言うのも我が家の場合、身内は故人である義理姉の実の弟に当たるし、娘も血縁関係だ。 私だけが他人である事を内心承知しておくべきであろう。
 今回の葬儀は今時の例外ではなく「小規模」実施ではあるが、喪主である故人の夫の親族や故人の友人も出席するとの話は聞いていた。 それらの皆が、私にとって初対面である。  (もしもこれが大規模葬儀であるならば、あらかじめ決められた自分の座席に静かに着席していれば事は収まるであろう。) ところが、今回は少人数での葬儀だ。 近年見知らぬ人達が集まる葬儀への出席経験がなく、一体如何なる人物が葬儀に出席しているのかを想像しつつ葬儀場へ向かったものだ。

 さて葬儀場内の義理姉葬儀会場受付場所へ到着してみると、既に我々一家は出遅れている様子だ。
 大方の皆さんは既に控え室で待機されているとの事だ。 (まっ、いいか。我が家は親族内でも弟一家の立場だから、故人の直属親等内では三親等以下だしね…) などと原左都子の脳内で家系図を描く等、いつもの癖で綿密な計算をしつつ我が家は控え室へ向かった。
 待合室では既に義理姉親族の皆が到着していた。 このような場合、実弟である身内が一番に挨拶するべきであろうが、我が家の法則としては常に私が開口一番を切り出さねばならない。 結局、控え室入口にいた親族から順番にテキトーな簡単挨拶をしつつ、とりあえず喪主氏のところへ向かった。 故人の夫である喪主氏とは義理姉死後既に電話で幾度かやり取りしていた事もあり、事無きを得た。  次に丁寧に挨拶するべきは、やはり故人の息子氏であろう。 これも思いの他本人が気丈だったことに救われ、無事に挨拶を終えた。 義母に関しては普段より保証人代行としての日々の付き合いがあるため、何ら問題はない。
 次なる課題は喪主である故人の夫の親族への挨拶である。 この方々とは私は今回の葬儀が初対面であったが、意外と会話が盛り上がり安堵した。
 そうこうしているうちに最後に控え室に訪れたのが、義理姉の友人女性である。 喪主である故人の夫の紹介によれば、当該女性は故人中学生の頃より死後2ヶ月前に至る半世紀に渡り生涯仲が良かった間柄との事だ。

 原左都子にとっては、最後に控え室に訪れた故人の友人女性との会話が一番興味深かった。 
 (この女性をK氏と表現させていただくが)、K氏こそが他の親族参加者よりも誰よりも故人と一生に渡り一番長く濃く係り、義理姉を最大に理解している人物だったのだ!
 義理姉とK氏が50年程前に通っていた中学校(その後高校、大学と自動的に進学する女子学園とは、過去に於いて国内著名企業の令嬢を就学対象としてその淑女ぶりを更に育成するのが最たる目的だった、現在も存続する某私立女子学校法人であるが)にて知り合い、とにかく二人は12歳当初から当該学園で意気投合したとの事だ。
 K氏によるその談話が実に愉快だった。 (参考のため、K氏なる人物は創業100年を超える大企業のご令嬢であられるのだが) 「私と彼女(義理姉)は当時から学校の勉強など大嫌いでエスケイプしまくった劣等生徒だったの。 そんな縁で故人との関係はその後も末永く続き、お互いが結婚後も出産後も、そして年月を経て離婚等諸々のマイナーな人生経験の後もずっと続いて来たのよ…。  それにしても彼女には膵臓癌罹患2ヶ月前に会ってディナーを一緒した時はいつもと変わらず元気はつらつだったのに、何故今日葬儀を迎えねばならないのか……」と、K氏は涙ながらにその無念さを訴える… 


 今回の葬儀は斎場にての実施だったが、すべての儀式を半日で執り行う儀式様式だった。
 葬儀本番、そして火葬、納骨、その後の出席者の会食のスケジュール。 ほぼ4時間内ですべてが完了した。

 出席者の誰にとっても辛く疲れる「葬儀」など、短時間で済ませて欲しいものだ。
 
 原左都子自身も、自分の葬儀を来る将来迎えるべく現実問題として捉え、そのあり方を一番簡略な形態にしたい意向は既に家族に伝えてある。  

 ただ今回の義理姉の葬儀において、一生涯に渡りずっと親しかった友人であるK氏の談話を聞かせていただけた事は、私にとって大いなるインパクトがあった。
 葬儀の形態は簡略でいいとして、もしも叶うならば上記K氏のごとく私の人生をずっと見つめてくれた人物にでも最後に登場願い、少数の出席者相手に我が人生の一部を語ってもらえたならば本望でもあるなあ…

 いやいや、それとて贅沢な欲望であろう。 
 やはり、人生の最後は粛々と迎えたいものだ……

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