マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

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下間頼廉

2018-01-24 12:48:06 | 戦国武将・戦国姫図鑑
下間頼廉
【諱】
頼廉
【苗字】
下間
【朝臣】

【生没】
1537年ー1626年
【通称】
源十郎
【父親】
下間頼康
【母親】
下間頼次の娘
【正室】
不明
【子息】
下間頼亮
下間宗清
下間仲玄
下間仲世室
牧長勝室
端坊明勝室
川那部宗甫室。
【解説】
本願寺坊官。
軍事面に強い人物であり、傭兵集団雑賀衆の鈴木重秀(雑賀孫市)と共に織田軍を苦しめ。
織田軍から大坂之左右之大将と言う異名で恐れられる。
軍事面のイメージが強いが、加賀で無法を働いた七里頼周に諫める文書を送るなど内政面も活躍していた。
織田軍に追い詰められ正親町天皇の勅命講和では、下間頼龍や下間仲孝らと共に講和に署名。
その後は各地で抵抗する一向宗の説得に当たるため奔走する。
本能寺の変で織田信長が倒れ、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄が争うと。
両勢力から兵力を貸してもらいたいと頼まれるが、かつての宿敵であるため断った。
本願寺教如が本願寺を退去して弟の本願寺准如が法主の座を継承した事に関する秀吉の裁定に異議を唱えた。
それが原因で一時は勘気を蒙った処分されかけるが、放免され改めて准如に誓うと宣言した。
1626年に90歳の長寿で亡くなる。
子孫は刑部卿家と呼ばれ代々西本願寺に仕えた。
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