特待生と野球留学

「特待生」、「野球留学」、「アマチュアリズム」に焦点を絞って展開します。

北風より太陽

2007年05月16日 | 田名部語録

緩和措置を決めた5月10日の理事会後の記者会見で、田名部氏は池井氏の「壊滅」発言に対して、次のように反論しています。

特待制度に緩和措置 高野連が緊急理事会
(中日新聞 2007年5月11日)
西武が設置した調査委員会の池井委員長が、関係者の「実名を公表したら夏の甲子園なんてできない」などと発言した件。田名部参事は「アマ側が悪いかのように話すなど、とんでもなく不用意な発言」と強い口調で批判し、今後も実名公表を求めていく姿勢を強調した。

そこまでおっしゃるのなら、特待生で申告させたのと同じように、裏金でも申告させればよろしかろう、と…。現に、社会人はそういう対応をしています。

倫理行動宣言後「不正なかった」…日本野球連盟調査
(2007年5月11日22時19分  読売新聞)
 社会人野球を統括する日本野球連盟は11日、プロ野球実行委員会が2005年6月に採択した「倫理行動宣言」以降の不適切な金銭授受について「調査の結果、不正はなかった」と発表した。
 加盟361チームを対象にアンケートを行い、企業全85チームと、クラブの約75%にあたる207チーム、計292チームから回答があったという。同連盟は、追加の調査について「問題が出れば別だが、現段階では行う予定はない」としている。

たとえ実効性のない形式的なものであっても、特待生問題に先んじて、こっちの「調査」こそ必要だったはずです。もちろん、バカ正直に自己申告してくるとは思えませんから、本当にこの件を追及していく気があるなら、処分を振りかざすのは逆効果です。むしろ免責を与えて自己申告を促せばいいのです。

むろん、もし法律に触れるなら、その部分については高野連様に免責を与える権限などありません。それでも、内部では処分をしないことを約して、いわば「司法取引」に持ち込むべきなのです。「罪を憎んで人を憎まず」でいいのです。

免責を与えることで実態を把握し、そこから予防策を講じるのが建設的というものです。「倫理宣言」以前の話なら他団体への影響は少ないのですから、墓場まで持っていくことを潔しとしない人物からポツポツと出てくるはずです。(「倫理宣言」後を調べた日本野球連盟はまるでやる気がないことがわかります)。

まあ、高野連様単独でやるより、本当はプロ、社会人、大学、シニア、ボーイズを加えた6団体でやるのが理想ですが、これを望むのは今のところ「ないものねだり」になります。この問題はこれからもくすぶり続けるでしょう。ボディブローになります。今回の件を契機に統一組織ができるなら、それだけでも大きな収穫です。


岡崎城西

2007年05月16日 | 高校別

岡崎城西が特待生を練習試合に出場させていた件は、その後、新たな動きがありませんので、どうやら不問に付されるような雲行きです。

岡崎城西高:特待適用選手、遠征試合に出場させていた
(毎日新聞 2007年5月11日 21時22分)
 岡崎城西
高は野球部員17人を特待制度の適用選手として日本高野連に申告した。適用選手は校長の指導で5月中の対外試合には出場しないことになっているが、今月3~5日に行った静岡、神奈川両県への遠征には2、3年生の適用選手10人が同行し、4試合に延べ18人が出場した。中井秀雄監督は当初「ベンチに入れて球拾いなどはさせたが、試合には出していない」などと説明していた。
 しかし11日になって、実際は試合に出場させたことを小林哲郎野球部長に報告。「3年生には最後の遠征なので試合に出してやりたかった」などと説明したという。

短時間とはいえ「隠蔽」があるのですが、これに対する高野連様の態度がやけにおとなしいのです。

対外試合禁止の特待生が練習試合出場 岡崎城西 - 特待生制度
(朝日新聞 2007年05月11日22時14分)
 日本高野連は「愛知県高野連から11日、口頭で連絡を受けた。今後、文書での報告を待つ」とした。選手の5月中の対外試合出場差し止めは高野連としての処分でなく、各校に指導を要請しているもので、山口雅生事務局長は「岡崎城西の学校長には、改めて指導の徹底をお願いしたい」と話した。

学生野球協会を通じた正式な出場「停止」処分ではなく、各学校長の判断に基づく自主的な出場の「差し止め」にすぎないので、指導を徹底してくれればそれでよいとのことのようです。もともと強制力はないのだとでも言いたげです。

今回の件を強制力のない「お願い」だと言われても、誰が真に受けるというのでしょう。それなら、最初から大騒ぎしなくてもよかったのでは?ということにしかなりません。

00年のセンバツ出場が決まっていた敦賀気比は部員の無免許・飲酒運転が発覚して、開幕1週間前に出場「辞退」に追い込まれました。表面的には「辞退」でしたが、実際には出場「取り消し」でした。

辞退したのではなく、辞退させられたとしか思えません。北陸勢初優勝の呼び声も高かった00年の敦賀気比でしたが、その後は明らかに弱体化しました。あのときの仕打ちに嫌気がさしたとしても不思議ではありません。

さて、岡崎城西ですが、特待生制度の詳細はわかりません。06年夏は5回戦で愛産大三河に1対2、05年夏は3回戦で瀬戸に2対5で敗れています。88年秋には愛知3位で東海大会に進み、準々決勝で日生第二に敗れています(当時の東海枠は3)。

【07/05/18追記】16日に開かれた高野連様の定例審議委員会で、岡崎城西は学生野球協会に上申されず、県高野連からの「指導」にとどまりました。それなら、どこも辞退しなくてよかったのでは?ということになってしまいます。