特待生と野球留学

「特待生」、「野球留学」、「アマチュアリズム」に焦点を絞って展開します。

日本航空二

2007年06月02日 | 高校別

4月27日に石川県高野連に特待生を報告し、春季県大会を辞退、28日に予定されていた2回戦は金沢錦丘の不戦勝となりました。

能登空港に隣接した立地で、空港と同じ2003年開校ですが、内野の土が甲子園球場と同じだという自慢の専用球場を持つだけあって、石川では3強を追う2番手グループの一角を占めています。06年夏は3回戦で星稜に2対3で敗退、06年秋は3位決定戦で北陸大谷にサヨナラ負けして北信越大会を逃しました。

特待生制度についての詳しい報道はありませんので、本来なら取り上げる必要性を感じませんが、降りかかってきた火の粉は振り払っておくべきでしょう。

同校のWebサイトによれば、入寮費が50,000円、毎月の寮費が3食込みで65,000円です。通学生の昼食費が月額18,000円ですから、単純にこれを3倍して54,000円を食費相当額としていいのでしょうか?

かりに、それでいいとしても、通学生の昼食費が存在しない場合には算出の根拠を何に求めればいいのかということになるはずです。わざわざ寮費と食費の間にややこしい線を引くぐらいなら、食費を含めた寮費そのものをNGとするほうが話はよほどシンプルです。

まあ、最初に結論があっても別に構わないのですが、それならそれで、その結論に不都合がないかどうかを、ある程度は検証しないと、どこかの誰かと同じような言い訳を迫られることになります。→「特色」


駒大苫小牧

2007年05月29日 | 高校別

春季北海道大会が28日に始まりました。

目指せ、春の覇者 春季全道高校野球が開幕 札幌円山球場
(北海道新聞 05/28 12:47)
快晴の下、開会式の選手宣誓では、釧江南の菊地勇介主将が、支部予選で出場辞退校が出たスポーツ特待制度問題に触れ、「野球ができる喜びを感じ、今回出場できなかったチームや高校球児のために、スピーディーかつフェアプレーを胸に戦うことを誓います」と宣誓した。

釧路江南は道立であり、直接の関係はありませんが、北海道では13校320人が該当し、6校が春季地区予選の出場を辞退しています。釧路江南は直後の試合でセンバツ出場の旭川南に敗れました。この結果、明日30日の2回戦では、特待生を外して春季大会に臨んでいる駒大苫小牧が旭川南と対戦することになりました。

駒大苫小牧については、腑に落ちない点があります。

甲子園優勝校ズラリ、戸惑う高校球界--「生徒に責任ない」
(毎日新聞 2007年5月3日 東京朝刊)
昨夏の甲子園決勝の引き分け再試合でファンに感動を呼んだ駒大苫小牧高。2日、会見を開き、同校の奨学制度が日本学生野球憲章に違反していることを認めた。野球部員111人のうち、3年16人、1年15人の計31人が該当。春季地区大会は31人を除いたメンバーで出場することを決めた。

ん、なぜ1年生と3年生だけ? 2年生は?

野球特待、道内13校 計320人-マイタウン北海道
(朝日新聞北海道版 2007年05月03日)
記者会見した駒大苫小牧の小玉章紀校長は、「野球部に限定した特待生制度ではないので、問題はないと考えていた」などと話した。主なやりとりは以下の通り。
 ――制度を作った時に憲章との関係の判断は。
 「野球部に限定した制度ではなく、学業や人物などを考慮して決定している。憲章に抵触すると認識したのは今回が初めてだ。今回、本校の内規を日本高野連に見てもらった。すると『すべての生徒を対象にする奨学制度であれば問題はないが、体育と芸術の2コースに限定しているので、問題があるだろう』との回答があった」

どこかで報道されているのかもしれませんが、1年生と3年生だけというのは不自然ですから、もし会見で誰も質問しなかったのだとすれば、突っ込みが甘いと言わざるを得ません。

駒大苫小牧の特待生は31人 (苫小牧民報 07年5月3日)
駒大苫小牧は学業と部活動の2種類の奨学制度を設けており、いずれも入学金や授業料の軽減、免除などの措置を受けられる。詳細を記した資料を2度、道高野連に提出し、助言を求めたが、「すべての生徒を対象にしていれば問題ないが、(部活動奨学制度は)体育、芸術分野に限定しているため、学生野球憲章に抵触する可能性がある」趣旨の回答があり、1日に申告した。

高野連側の「回答」も煮え切らないものだったようです。「問題がある」ではなく「問題があるだろう」、「抵触する」ではなく「抵触する可能性がある」ですから…。まあ、この辺は伝聞情報にしかならないので、実際のところはどのような回答だったのかわかりませんけど…。

なお、同校の2種の奨学制度のうち「部活動奨学制度」は、「スポーツや芸術で優れた生徒を、学業成績や経済的側面を考慮して」(前掲 朝日新聞北海道版2007年05月03日)入学金と授業料の減免が受けられる仕組みだったようです。

学校側としては「野球部に特定したものではないからOK」との認識であり、高野連様としては「体育・芸術に限定しているからNG(の可能性あり)」という判断のようです。駒大苫小牧高のWebサイトによれば、同校には、「国公立大進学コース」「大学進学コース」「総合コース」「文化コース」「体育コース」の5つのコースがあります。

このコース分けで、学業と部活動の2種の奨学制度を設けているなら、「体育や芸術に限定したものはダメ」と言わると、学校側は困惑するばかりでしょう。そう言えば、こんな発言がありました。

もっと知りたい 高校野球の特待生問題 (北海道新聞 2007/05/12)
春季大会を出場辞退した道内私立校の校長が「この一カ月間、得体の知れないものと話をしてきたような気がする」とため息をついて話すように、残ったのは深い徒労感だった。

駒大苫小牧は出場を辞退していませんので、これは小玉校長の発言ではありませんが、同じ気分を味わっているに違いありません。同校では、奨学制度そのものは存続させて、野球部員を対象から外すという対処になるようです。まあ、結果的には学校長任せの「救済措置」が認められわけですが…。


専大北上

2007年05月25日 | 高校別

専大北上の再加盟が高野連様の理事会で承認されました。

専大北上高の再加盟承認 (共同通信 2007年05月24日 19:35)
 日本高校野球連盟は24日、大阪市内で全国理事会を開き、プロ野球西武の裏金問題に関係して野球部を解散した専大北上高(岩手)の6月1日付での再加盟を承認した。同校は夏の全国選手権岩手大会への出場が可能となった。
 4月16日に野球部を解散していた同校はこの日午前に、再加盟のための申請書を提出。理事会では野球部の指導監督体制の整備などが確認されたとして5月31日付で対外試合禁止処分を解除することを決めた。

まあ、最初からそういう流れになっていたわけです。これは既定路線であって、「除名相当」で解散に追い込んだ悪代官がヒヨったわけではありません。

専大北上高野球部解散 「甲子園が…」涙の部員
(産経新聞 2007/04/17 08:07)
 日本高野連の田名部和裕参事は、専大北上高が再加盟する条件として、再発防止策を確立した上で(1)新しい指導者の就任(2)日本学生野球憲章に違反したスポーツ奨学制度廃止に保護者の同意を得ることなどを挙げた。
 再加盟が申請された場合は、高野連の審議委員会で諮られる。田名部参事は「夏はOKとは明言できないが、県大会の抽選が6月末にあることを考えると会議に諮るリミットは6月初めぐらいだろう」と話した

とはいえ、途中に大騒動を挟んでいますので、「結局、高野連は何をやりたかったの?」という疑問を増幅させることになるでしょう。少数ながら、高野連様支持派もいるわけですが、彼らからすれば納まりがつかないかもしれません。

これまでの流れは、次のとおりです。

★3月9日★西武球団の不正(≠不法)なスカウト活動が発覚。

★3月10日★専大北上高出身の早大選手が計1000万円余りを受け取っていたことが判明。

★3月14日★専大北上高の黒沢勝郎校長が会見、高校在学中からの金銭授受が判明。

★3月15日★専大北上高出身の早大選手が会見、金銭受領を認めて野球部を退部。西武球団による隠蔽工作も判明。

専大北上に強い不信感 (2007年03月21日 23:54 共同通信)
 田名部参事は「高校時代からプロと練習するなどルール違反に強い憤りを感じる。学校ぐるみとしか思えない状況で、除名に値するくらい悪質だと考えている」と話した。日本高野連では22日に全国理事会があり、この件について経過報告が行われる。

★3月22日★日本高野連全国理事会で、各都道府県高野連理事長に対し加盟校に日本学生野球憲章やプロアマ関連規定の順守を促すよう要請。

★3月23日★早大元部員に停学1カ月の処分。専大北上高は金銭授受に関与していた当時の野球部コーチを解雇。

★3月26日★専大北上高の黒沢勝郎校長が学校法人北上学園に辞職願を提出、受理。

★4月4日★西武球団の調査委員会が別の5選手や高校の監督ら170人に金銭を渡していたことを発表。

★4月9日★日本高野連が岩手県高野連を通じて13項目の質問書を専大北上高に送付。

★4月12日★日本高野連が専大北上高校長、当時のコーチら5人から事情聴取。同校のスポーツ奨学制度が日本学生野球憲章に違反することが判明。

高野連、専大北上を「除名相当」と判断 裏金問題で
(朝日新聞 2007年04月12日22時03分)
中学時代の野球の成績などをもとに生徒の入学を認め、学費などの免除をしていた。<略>同校では1学年10人程度の野球部員が、スポーツ特待生制度で現在も入学しているという。日本高野連では、部員がプロから金銭を受けていたことを前コーチが黙認していたことに加え、憲章違反が重なり、学校側に管理能力が欠如していると判断。「極めて重い違反行為。除名相当である」(田名部和裕参事)とした。<略>この日の調査では、選手の早大進学に際し、西武から金銭供与が持ちかけられ、前コーチも選手の家庭事情から了承したことなど、事件の概要もほぼ明らかになった。学校関係者への金銭供与は認められなかった。

★4月14日★専大北上高内に「硬式野球部緊急再生委員会」設置。野球部員のスポーツ奨学制度を廃止する方針を保護者らに説明。

★4月16日★専大北上高硬式野球部が解散届。日本高野連が受理。

専大北上高が野球部解散 学費免除など憲章違反
(産経新聞 2007/04/16 17:57)
 同校は(1)野球部コーチだった元教諭が元選手と西武が交わした覚書に関与(2)中学時代のスポーツの実績に応じて学費などを免除する奨学制度が日本学生野球憲章に抵触-との指摘を重く受け止めたことを解散の理由に挙げている。12日に日本高野連からの事情聴取の際に野球部解散の方向性を伝えていた

ルール違反、苦い決断 専大北上の野球部解散
(朝日新聞 2007年04月17日07時14分)
 専大北上
高校では4時間目の途中に野球部員が集められ、高木敬蔵校長らが「解散」を告げた。「びっくりしている。野球がしたくてこの学校に入ったのに……」。ある2年生はがっかりした様子をみせた。
 3年生の一人は「監督が『夏の大会には間に合わせる』と言ったのでそれを信じている。夏に向けて練習するだけ。最近の練習では『こんなことに負けない』という部員たちの気持ちが出て以前よりも気合が入っている」と話した。別の3年生は「正直不安だ。甲子園に行きたくて入学したので夢は捨てていないけど、この件が今後のモチベーションにどう影響するか、少し心配だ」と語った。
 特待生として入学したという2年生は「突然、特待生がだめだと聞いて驚いた。解散が決まり、自分が悪いことをしているのかと思わされた。ほかの特待生もお金の心配をするなど戸惑っている」。

★4月17日★岩手県高野連理事会で藤沢義昭理事長が特待生制度に関する全国調査の可能性を示唆。

★4月18日★日本高野連の審議委員会で専大北上高の処分案を検討、20日の理事会で再審議に。脇村会長が特待生制度の実態調査の方針を明らかに。

★4月20日★日本高野連の常任理事会でスポーツ特待制度について全加盟校に実態調査することを決定。専大北上高の当面の対外試合禁止を決定(処分保留)

★4月25日★申告受付開始。

★4月27日★日本学生野球協会審査室が専大北上高の対外試合禁止処分を正式決定。

専大北上対外試合禁止処分に
(スポニチ 2007年04月28日付 紙面記事)
「学校の責任は重い。しかし、多くの部員が所属する野球部には新たな出直しに期待をかけた処分となった」と日本高野連の河村副会長。(1)学生野球憲章の順守(2)学校の野球部管理体制の適正化(3)学生憲章に違反する特待生制度廃止と解約証明書の提出――を6月28日の県大会抽選日までに満たせば出場が認められる見通しを示唆した。

★5月3日★日本高野連が特待生制度の申告校を最終発表。

★5月10日★日本高野連全国理事会で、専大北上高部長に科した1年間の謹慎処分の短縮を日本学生野球協会に上申することを決定。在校生の緩和措置なども同時発表。

★5月24日★日本高野連が専大北上高からヒヤリング、理事会で6月1日付の再加盟を承認。

専大北上のスポーツ特待制度については、次のような報道があります。

特待生野球は憲章違反 (2007年4月17日 読売新聞)
専大北上高は2000年4月に「スポーツ奨学制度」を創設し、卓球、レスリング部などと同様に野球部にも適用していた。中学時代の実績などにより、A、B、Cの3ランクに分けて、ランクに応じて一定の経費を免除。今回の問題の発端となった早大野球部の元選手が、同高に入学した01年には、野球部で14人が特待生となり、元選手を含む9人が最も優遇される「A」、2人が「B」、3人が「C」とのランク付けがされていた。

ちなみに、野球の成績をもとに入学を認めるだけなら学生野球憲章には触れません。また、この内容なら従来考えられていた「解釈」でもアウトになるでしょう。

4月12日の段階で学校側から高野連様に解散の意思が伝えられていたというのは、「高野連様側から自発的解散を示唆され、これを受け入れた」と深読みすべきでしょう。まあ、恫喝されたとまでは言いませんけど…。

ところで、専大北上と言えば、矢田利勝元監督の存在もクローズアップされねばならないはずです。系列関係にある石巻専修大の選手のプロ入りに際して、斡旋謝礼として数百万円を受け取ったものの、スカウトに固辞されたため1年間預かり、これを理由に04年秋に監督を解任され、学生野球協会からは無期謹慎処分になっています。

この解任を受けて(短期間とはいえ)監督に就任したのが、今回の件で懲戒解雇された高橋利男コーチ(副部長)です。ですから、「除名相当」の声が出てくるのはある意味では必然だったわけです。

さて、日本学生野球協会は1968年から表彰選手を発表しています。現在では、高校が各都道府県1人の計47名、大学は各連盟1人の計26名ですが、まれに「該当者なし」のときもあります。

どういう選考基準があるのか知りませんが、高校の場合は甲子園出場校のキャプテンが選ばれることが多いはずです。無期謹慎処分中の元監督、実は高校時代に学生野球協会の表彰選手になっています。

形式的には協会が表彰するのだとしても、実際に選んでいるのは(県)高野連側です。当時は佐伯天皇の時代です。もちろん当時も「高校野球は教育の一環」でした。すると、これもまた素晴らしき「教育の成果」ということになります。

裏金に関与したスカウト氏にしても、その昔は高野連様の加盟校の1つで汗を流していたはずです。「教育」だの「健全育成」だのと“清く正しく美しく”を謳い上げてみても、しょせんこの程度の結果しか残していないわけです。


浦和学院

2007年05月18日 | 高校別

浦和学院高のWebサイトに「野球部特待生問題について」が掲げられています。高野連様のお墨付きを得ているようです。

学校法人明星学園 浦和学院高等学校>トピックス
本校野球部の生徒の中にも入学後に奨学金を付与されている生徒が存在することは事実であります。しかし、それは決して野球部員であること、あるいは野球の技能が秀でていることをもって付与されているものではなく、所謂「スポーツ特待生制度」とは別途に定められている、本校の「特別奨学生制度」という内規に準じ、厳正な審査を経た上での措置であります。その内規と審査基準については、本校の募集形態のあり方も含め、過日すべて日本高野連に送付したところであることも付言しておきます。

埼玉では打者紹介の場内アナウンスが「1番ライト安倍くん、2年生、成蹊学園中学、背番号9」という具合に放送されます。浦和学院は埼玉県大会準決勝で負けて春の関東大会には進めませんでした。その試合を見に行った人によれば、北海道の選手もいたようです。

まあ、首都圏では隣県への進学は特別に珍しいわけではなく、一茂や松坂もそのクチです。さすがに北海道から埼玉の高校への進学となると、何か特殊な事情がなければ、なかなかできないことでしょう。私はそれが悪いとはちっとも思いませんし、学校側が物心両面でサポートしたとしても、否定されるべきではないと考えています。

さて、高野連様は浦和学院を「セーフ」とジャッジしたわけです。浦学には北海道の選手がいました。個別の選手の事情を斟酌するつもりはありませんが、もし高野連様が野球留学をターゲットに据えて今回の騒動を引き起こしたのだとしても、「憲章の順守」だけでは野球留学を防ぐことはできません。

上のページでは、学校側は内規や審査基準を高野連に送付したと述べています。その範囲でとどまるなら、別に問題はありませんが、個々の選手の成績なり、家庭の経済状況なりは、簡単に外部に出せる性質のものではないでしょう。もし、これらを高野連様が要求したり、学校側が自主的に提出したりしていたら、また社会的問題になります。


現実に存在する公私間の学費の格差ゆえに志望を断念せざるを得ない生徒及びご家庭に対し、入学後に一定の基準を設けて厳正な審査の上、幾許かの奨学金を付与するということ自体は学校の専権事項であると考えます。

これはこのとおりであって、これまで繰り返し書いてきたように、一競技団体の分際で口を挟むような問題ではありません。つまり、高野連様は形式的審査ができるだけで、現実の内容に踏み込んで憲章に触れるかどうかを審査する権限がないのです。

経済的事情だと学校側に主張されるなら、それを信じるしかない立場にあります。だとすれば、今回の騒動は何の意味もなかったわけです。そんなことは最初からわかっているはずですから、何のためにわざわざ“自爆”に突き進んだのかというナゾが残ります。

ちなみに、準決勝で浦学に勝ったのは県立富士見高校です。ケ○の穴の小さい人たちはさぞかし喝采したことでしょう。めでたし、めでたし。


岡崎城西

2007年05月16日 | 高校別

岡崎城西が特待生を練習試合に出場させていた件は、その後、新たな動きがありませんので、どうやら不問に付されるような雲行きです。

岡崎城西高:特待適用選手、遠征試合に出場させていた
(毎日新聞 2007年5月11日 21時22分)
 岡崎城西
高は野球部員17人を特待制度の適用選手として日本高野連に申告した。適用選手は校長の指導で5月中の対外試合には出場しないことになっているが、今月3~5日に行った静岡、神奈川両県への遠征には2、3年生の適用選手10人が同行し、4試合に延べ18人が出場した。中井秀雄監督は当初「ベンチに入れて球拾いなどはさせたが、試合には出していない」などと説明していた。
 しかし11日になって、実際は試合に出場させたことを小林哲郎野球部長に報告。「3年生には最後の遠征なので試合に出してやりたかった」などと説明したという。

短時間とはいえ「隠蔽」があるのですが、これに対する高野連様の態度がやけにおとなしいのです。

対外試合禁止の特待生が練習試合出場 岡崎城西 - 特待生制度
(朝日新聞 2007年05月11日22時14分)
 日本高野連は「愛知県高野連から11日、口頭で連絡を受けた。今後、文書での報告を待つ」とした。選手の5月中の対外試合出場差し止めは高野連としての処分でなく、各校に指導を要請しているもので、山口雅生事務局長は「岡崎城西の学校長には、改めて指導の徹底をお願いしたい」と話した。

学生野球協会を通じた正式な出場「停止」処分ではなく、各学校長の判断に基づく自主的な出場の「差し止め」にすぎないので、指導を徹底してくれればそれでよいとのことのようです。もともと強制力はないのだとでも言いたげです。

今回の件を強制力のない「お願い」だと言われても、誰が真に受けるというのでしょう。それなら、最初から大騒ぎしなくてもよかったのでは?ということにしかなりません。

00年のセンバツ出場が決まっていた敦賀気比は部員の無免許・飲酒運転が発覚して、開幕1週間前に出場「辞退」に追い込まれました。表面的には「辞退」でしたが、実際には出場「取り消し」でした。

辞退したのではなく、辞退させられたとしか思えません。北陸勢初優勝の呼び声も高かった00年の敦賀気比でしたが、その後は明らかに弱体化しました。あのときの仕打ちに嫌気がさしたとしても不思議ではありません。

さて、岡崎城西ですが、特待生制度の詳細はわかりません。06年夏は5回戦で愛産大三河に1対2、05年夏は3回戦で瀬戸に2対5で敗れています。88年秋には愛知3位で東海大会に進み、準々決勝で日生第二に敗れています(当時の東海枠は3)。

【07/05/18追記】16日に開かれた高野連様の定例審議委員会で、岡崎城西は学生野球協会に上申されず、県高野連からの「指導」にとどまりました。それなら、どこも辞退しなくてよかったのでは?ということになってしまいます。


函館大有斗、柏稜

2007年05月09日 | 高校別

函館大有斗は休み明けの5月1日の朝、全校集会で生徒に事情説明、その日の午前中に北海道高野連函館支部に春季大会出場辞退を申し入れています。有斗は最近では珍しくなった男子校であり、柏稜は商業科併設の共学です。

北海道の私立高校と言えば、夏に連覇した駒大苫小牧は別格としても、野球ファンにはまず北海高校ですが、「グレーゾーンだが申告した」という潔さが、同情を集めたばかりでなく、大量申告の呼び水になったように思われます。

高校野球特待制度問題:函館大付属有斗、柏稜も  春季大会出場辞退
(毎日新聞北海道版 2007年5月1日)
 有斗は部員49人のうち29人、柏稜は27人のうち11人が入学金や授業料の免除など奨学金を受けていた。有斗は春夏計13回、甲子園に出場した名門校。
 両校を経営する学校法人「野又学園」(野又肇理事長)は野球部員に限らず、「スポーツ・芸術などに優れた能力を有する者」など5項目を満たす入学生の中から「特別奨学生」を選考していた。日本学生野球憲章第13条は野球を対象に定めており、鈴木校長は「高野連に問い合わせたら『抵触しているともしていないとも言えない』という回答だった」という。
 鈴木校長は「グレーゾーンだが、スポーツで校名を上げているのでフェアプレーの精神にのっとり辞退した」とコメントした。

私はこの記事を読んだとき、学校側が問い合わせたのは北海道高野連だと思ったのですが、そうではなく高野連様そのものだったようです。

野球特待制度 「部員は悪くない」 函大有斗全校集会で校長
(北海道新聞 05/01 14:21)
集会で同校の鈴木健校長は、自校の特待制度が憲章違反かどうか日本高野連に判断を仰いだところ、「違反とも違反でないとも言えない。学校裁量で自己申告してほしい」との回答だったと明かした。

ずいぶん無責任な話です。突然「特待生はダメ」と言い出した挙句、「(たった10日ほどの)期間内に申告せよ、さもなくば夏は出られないぞ」と恫喝しておいて、お伺いを立てたら「てめーで判断しろ」ということだったようです。どういう感性なら、ここまで強圧的な姿勢に出られるものなのか不思議でなりません。

道内では野球の特待生制度は13高校に。道高野連が発表(北海道)
(2007年5月3日  読売新聞北海道版)
 特別奨学生になるため、生徒は必ず部活動に参加しなければならないということはない。しかし、「学力優秀や経済的条件の明確な適用基準」について具体的な明文規定がないため、抵触していると判断したという。

明文規定がないのは、学校側としては学力優秀や経済的条件を総合的に判断したり、弾力的に運用したいからでしょう。それが「不正」か何かの温床になると言われてしまうのなら、やはり“宗教”の問題でしかないわけです。

柏稜の06年夏は函館予選1回戦で函館大谷に4対5で敗れていますが、05年夏は2勝しており、有斗との代表決定戦兄弟対決を戦っています(0対16)。


東海大相模

2007年05月08日 | 高校別

東海大の付属高校は国内に11校(通信制の望星を含む)あり、ほかに系列高校が3校(山形、甲府、菅生)あります。野球部のある10校の付属高校のうち、相模、翔洋、第二、第三、第五の5校が申告し、浦安、高輪台、第四、仰星、望洋の5校は申告しませんでした。別法人の系列3校は例外なく申告組です。

学校法人東海大学の総長は松前達郎氏です。全日本大学野球連盟の会長だった松前氏が広岡知男氏の後任として学生野球協会の会長に選任されたのは2000年のことです。松前氏は高野連様の最高顧問でもあります。

最高顧問は議決権のない名誉職にすぎませんが、高野連様のジャッジで付属・系列の8校が「アウト」とされたのですから、学生野球憲章を定めた学生野球協会の会長がその地位にとどまるのはおかしな話でしょう。まあ、学生野球協会の会長として、高野連様の暴走に待ったをかけるべくリーダーシップを発揮するのなら、話は別ですが…。

さて、東海大相模は、春季神奈川県大会の準々決勝で横浜に敗れました。横浜は今回の件で県大会およびベスト4進出で決めていた関東大会出場を辞退し、繰り上げ出場の権利があった東海大相模も同様に辞退しました(準決勝は慶応の不戦勝)。

特待制度 県内16校に 春季県大会相次ぐ辞退『経済的理由の部員も』
(東京新聞神奈川版 2007年5月3日)
準々決勝で横浜に敗れた東海大相模は高野連から代替出場を打診されたが「事態を重く受け止めたい」として固辞した。

特待生制度の内容は報道されていませんが、19人が入学金・授業料を免除されていたようです。

横浜高校も特待生制度申告へ 春季大会準決勝を辞退 - 特待生制度
(朝日新聞 2007年05月02日10時55分)
 神奈川県内では、東海大相模高校(神奈川県相模原市)も2日、一部の野球部員へ授業料や入学金を免除していたと日本高野連に報告する。人数は3学年合わせて19人になるという。
 梶原美邦副校長は「包み隠さず高野連に報告する。今後の対処は高野連の判断を待ちたい。改めて野球部の保護者にも事情を説明する」と話している。

神奈川は16校一括発表でしたので、横浜の影に隠れた形になって、東海大相模に関する「19人」以上の突っ込んだ報道は見つかりません。

高校野球特待制度 横浜、東海大相模も
(東京新聞 2007年5月2日 夕刊)
同校の梶原美邦副校長は「今後は高野連の方針に従う」と話している。


福翔(福岡)

2007年05月05日 | 高校別

申告したなかで唯一の公立校として一躍有名になりました。06年夏は3回戦で福岡第一に2対4、05年夏も3回戦で春日に8対9で敗れています。福岡市立福岡商業高校だった90年代前半はもっと強かったはずです。

2000年に普通科・商業科・情報処理科を「総合科」として一本化したとき、現校名に名称変更しています。略称の「商」を「翔」に変えたということでしょう。商業高校が消えていくのはここだけのことではありません。甲子園出場がないので「たそがれの商業高校」には載せていませんが…。

福岡市立福翔高野球部、公立で唯一の特待生違反
(5月4日 読売新聞 九州発 週間ニュース)
 福翔の清水昭男校長によると、同校には1学年あたり10人にそれぞれ月1万円を支給する同窓会組織の奨学金制度があり、野球部では2、3年生計3人が対象になっていた。
 1日に日本高野連に問い合わせたところ、2日夕に「憲章に抵触する」との回答があった。清水校長らは同日中に奨学金制度の対象になっている3人の自宅を訪問し、本人と保護者に事情を説明して奨学金打ち切りの同意を得たほか、野球部長が辞任した。清水校長は「高野連の判断には従う」としながらも、「本校の制度は入学後に支給者を決めるもので、中学生の勧誘には使えない。生徒を励まし、育てるのが学校の仕事で、奨学金も方法として間違っていない。『金をもらうのはいけない』の一点張りは賛成しかねる」と話した。

何が引っかかったのか、この記事だけでは判然としませんが、高野連様から「アウト」だと聞かされた校長先生は♪「何をおっしゃる、うさぎさん~」と歌い出したくなったかもしれません。

まあ、そんなにかわいいものではありませんが、ここまで石頭だと反発を買わないほうがおかしいわけです。校長先生や部長先生や本人や保護者にとっては降ってわいたような災難でしかありません。

実は、これに類する話はもっと(野球で)有名な公立高校でも聞いたことがあります。申告されていないのですから、きっと今ではそういう制度はないのでしょう。


PL学園

2007年05月04日 | 高校別

もう記憶は薄らいでいるのですが、優勝インタビューを受ける監督が「教主様のおかげです」という第一声を発したことがありました。私は思い切り引いて、思わずラジオを消してしまったのでした。はい。

優勝が2~3回の高校なら、何年のときと特定できるでしょうが、なにしろ春夏通算7回の全国優勝を誇る「名門」です。今となっては、いつのことだったか特定できるはずもありません。

さて、当初はPLにも特待生制度があるとの報道がなされていました。今の1年生からやめたという内容でした。

波紋広がる「特待生問題」春季大会への出場辞退相次ぐ
(2007年4月25日2時11分  読売新聞)
PL学園(富田林市)が新入生から硬式野球部員への奨学生制度の適用をやめたが、2、3年生は今も制度を活用。同校は「違反かどうか、慎重に見極めたい」。

「慎重に見極めた」結果でしょうが、学校側はこれを否定しています。

PL特待生全面否定 (2007年4月30日06時00分  スポーツ報知)
 春夏7度の甲子園優勝を誇るPL学園(大阪)が29日、野球部への特待制度を適用しているとの報道を全面否定した。24日に共同通信の調べで制度の採用が判明したとされたが、この日、同校の穴田真佐男教頭(61)が「スポーツ特待生という言葉は、絶対に使っておりません」と報道を打ち消した。
 穴田教頭によると、かつて同校で野球部を理由にした特待制度が存在したが、2005年11月の日本高野連による「中学生の勧誘行為の自粛について」という通達前に、制度を改めた。現在は一部の選手が学業成績や経済的な理由による「PL学園高校奨学生制度」を受けているだけだという。

この記事では、05年の11月の「通達前」に制度を改めたことになっています。ところが、毎日新聞は「特待制度:甲子園の優勝校が25校 違反でない強豪」(2007年5月3日 20時30分)で「PL学園(大阪)は高野連の通達後、特待制度を廃止」と報じています。こちらは「通達後」です。さあ、真実はいかに? あてにしないで同校のWebサイトを覗いてみましたが、奨学生制度に関するページはみつかりませんでした。

高校野球で有名なところは?という街頭アンケートをとれば、まず間違いなく5本の指に入ってくる高校です。当然、高野連様とのやりとりはあったでしょう。そのうえで、OKということになったでしょう。

本来、こんなことを詮索する必要などありませんが、どういう内容なら(高野連様的に)OKなのか、誰もが知りたいのではないでしょうか?


沖縄尚学

2007年05月03日 | 高校別

99年センバツの優勝校です。同校のWebサイトには「学園奨学生」として、次のような記載があります。

学校法人尚学学園>平成19年度沖縄尚学高等学校募集要項
A.学業奨学生      
   学業成績優秀・品行方正で他の模範となる者に対して、特待生 
   給費生として授業料の全額、又は半額を給与する。  
B.貸費生     
   学業成績優秀で心身ともに健全で経済的に困窮している者に対して
   授業料の全額、又は半額を貸与することがある。   
C.スポーツ奨学生     
   心身ともに健全でスポーツ技能に優れ精励し、他の模範となる者に
   対して、スポーツ特待生、給費生として授業料の全額又は半額を
   給与する。

至極妥当であって、特別に問題があるとは思えませんが、高野連様によれば「アウト」なのだそうです。

スポーツ特待/沖尚・興南も違反 (沖縄タイムス 2007年5月2日)
 沖尚は1日午前、「違反なし」とする回答と現状を報告する説明資料を日本高野連に送付したが、認められなかった。
 大城英健部長によると、同校が公表してきたスポーツ技能推薦の要項で、授業料の全額か半額を免除する奨学生に「野球、柔道、ゴルフ、テニス」と明記していることが「違反」と判断された。部員89人中、43人が抵触しているという。
 同校は十数年前、奨学制度について日本高野連に問い合わせした際、「問題ない」との回答を得ていた。大城部長は今回、その経緯も説明したが、日本高野連の田名部和裕参事は電話で「指導不足だった。申し訳ない」と陳謝した上で、沖尚側の言い分を認めなかったという。

沖縄尚学は1000人規模の学校です。たしかにゴルフや柔道やテニスでも名前は聞きます。野球部の89人中43人が奨学生なら、奨学生は全体で100人に迫ることになりそうです。私の感覚としてはいささか多すぎるような気もしますが、それでも学校経営が成り立つ(と思う)のなら、そうすればいいわけです。

わざわざ問い合わせるのですから、何かきっかけがあったに違いありません。「高野連様が特待制度に関する最初の通達を出したのは1990年です。10数年前」とは、おそらくこの通達の直後ぐらいだろうと私は推測したのですが、どうやら「10数年前」は94年以降のようです。

沖尚野球部長が退任 特待生は43人(琉球新報 5/3 10:04)
 同校には、創立時の1983年から同制度が設けられている。会見で大城野球部長は「94年に(部長)就任後、はっきりした時期は覚えていないが県高野連に、自校の奨学制度について確認したことがある。その時は問題ないということだった」と説明。名城校長は「率直に申し上げて日本高野連と(学校とは)だいぶ見解が違うと感じた」と話した。
 今後の対応について名城校長は「保護者にすぐに授業料を払ってくれるようには言えないだろう」と話し、日本高野連にも確認しながら、生徒や保護者に配慮した対応を取る考えだ。

問い合わせた結果「問題なし」と言われたのなら、学校側には(ほとんど)非はないでしょう。今になって突然「違反」だと言われた学校側が釈然としないのは当たり前です。このようなケースはほかにもあるのではないでしょうか。私も200校は超えると思っていましたが、400校に近いとは思っていませんでした。説明がつかないのです。まあ、文書で残っているわけではないでしょうから、証拠はありませんけど…。

体協のアマチュア規程が廃止されたのは1986年です。高野連様の通達は(1回目当時も)時代に逆行するものでした。いまどき、どの競技団体が「アマチュア資格」などという記憶の彼方にしかない言葉を口にするでしょう。そんなものは博物館で冷凍保存しておけばいいのです。

ここでも学校側は生徒をかばおうとしています。「生徒にも責任はある」とおっしゃる方々が現場にいないのが唯一の救いかもしれません。