最近ものすごーく来訪者の数が増えてきている。
もう、ありがたくてありがたくて、ありがと~~!
いろんなブログを私も訪問して、
「こんなページがあると、とってもわかりやすい」
というページ、私もつくってみました。
ママンの発症から現在までの道のりと、
ゼリー一家の紹介です。
ちょっと長いけどね。
カテゴリーも『初めての方へ』です。
■発症
2005年3月16日(水)
私、この日仕事が休みだった。1人でノンビリ買い物に行き、夕食の支度をしていた夕方7時頃
ママン本人から電話。
「体が痺れて、唇も痺れて、クラクラして、なんかヘン!」
すぐ隣の家の方に救急車を呼んでいただき、近くの脳神経外科病院へ搬送。
普段働いていて留守がちな隣家の方がすぐつかまり、すぐ行動してくださったのが、第一の幸運。
1人暮らしのママン、夜中に風呂の中で・・ってのも考えられないことじゃないのに。
私も奇跡的にオットとすぐ連絡がつき、一緒に病院へ。
そこで告げられた病名は『脳幹出血』。
生まれて初めて腰が抜けて立っていられないという状況を経験する。
■経過
手術ができない箇所ということで、自然に血液が吸収されていくのを待つしかない。
リカバリールームで脳浮腫の期間を乗り切り、
16日目にゼリーを口から摂取
20日目に個室へ22日目に大部屋へ。
卒業検査で、『脳動脈瘤』が見つかり、57日目にクリッピング手術しとく。
この急性期病院には、一切リハビリがなく、
この時点でゼリー、かなり焦っていた
111日目、ようやくリハ病院に転院。
「すぐ入れる」「リハビリの老舗」ということで、ちぃーと遠いが、伊豆修善寺の温泉病院(もうバレバレ(笑))。
ゼリー、新幹線の回数券を買い、毎回旅行気分で5日に一度、通う。
163日目、病院から介助訓練の要請があり、一泊で病院へ。
急性期病院にいた時よりも、随分介助が楽になってることに驚き、嬉しくなる。
231日目、寒くなる前に・・ということで、リハ病院退院。
ストレッチャー付きの介護タクシーで入院したが、帰りはオットの車。
歩けるようになった とか コレができるようになった とかいう
特筆できる成果はなかったけれど、
とにかく『体を動かすようにできるための、スタートボタンを押してもらった』『エンジンかけてもらった』
という感じ。
私は前月で会社を辞め、2005年11月2日より、ハードにコアに、介助生活にはまる。
もそっとディープに知りたい!という方がいらっしゃったら、
この頃の日記『のぅのぅ日記』をご覧になって下さいまし。
または、ゼリーにメールください。
'zerry35@mail.goo.ne.jp'
私はママンが倒れた当時から、ネット上で沢山の方に励まされて
今日まできました。
私が今、祈る思いでこれを読んでくださっているあなたの
何か、少しでも手助けができれば
とても幸せです。
■ママンの障害
右半身(上肢下肢)失調
動くんだけど、思ったように動かない。動くまでに時間がかかる。麻痺の子分
左半身(上肢下肢)麻痺
ガチガチに力が入りまくり。
嚥下障害・・・うまく飲み込めない
構音障害・・・呂律がまわらない。サ行、ハ行、撥音なんかがニガテ。
目振・複眼・・・目が揺れる。物が何重にも重なって見える。
体幹の麻痺もあり、真っ直ぐ座ったり立ったりがまだ完全にできない。
小脳失調もあるので、いつも景色がグラグラするらしい。
麻痺側に異常に汗をかく。
病院で高次機能障害として『注意力障害』をあげられたが、今は全然わからないくらいに改善されている。
認知症なし。
現在(2006年4月末)
車椅子ライダー
食事はセッティングすれば自力で食べられる(こぼすけど)
歯磨き、洗面もセッティングして自分で。
着替えも上は一部介助、下は全介助。
トイレは座らせるまで、立ち上がってからは介助。
夜はポータブルトイレ使用。
その他ベッド・車椅子移乗、日常の動作すべてに介助が必要。
最近、装具を自分で装脱、トイレットペーパーを自分で切るなど
出来ることが増えつつある。パソコンでインターネットなんかもしてる(文字最大)。
■主な登場人物
ゼリー(私)
専業主婦&ママン専用介助人
どんな人かは自分でも謎。ベリーショートとカーゴパンツルックが特徴。
イカス極楽介助人を目指すが、なかなか・・いや、なかなか。
兄弟なし(一人っ子)。子供なし。
オット
保険屋さんよ、実は(笑)
稀に見る愛妻家。
稼ぐ部門班長
食器洗いとゼリーの気分転換お付き合いが彼の家事分担
ママン
元スーパーの女。役職ついてたスーパーのスーパーおばはん。
テニスと、やもめ暮らしの山梨の伯父の世話に明け暮れていた。
根性と頑張るエネルギーの塊の人。
「頑張らないでいいから」といわれるのが、何より嫌い。
低気圧に弱い。
パピー
ゼリーの父、ママンの夫
1999年のバレンタインデーに、癌で他界。
入院してから2週間目で、あれよあれよという間。
今はホトケ・ビギナーとして、ゼリーの(一方的な)相談相手。
山梨の伯父、埼玉の伯母、岡山の叔父、島根の叔父、
ママンの兄弟。みんなすごい仲良し。
3年前に妻を亡くした山梨の伯父が、なにかにつけ力を貸してくれる。
2010年5月、埼玉の伯母の連れ合いが亡くなる。
2012年7月 埼玉の伯母、脳静脈瘤破裂で植物人間に。
ヒットラー(義母)、義父
オットの両親。最近3男一家と同居。
私はヒットラーとはかなり仲良し。
梅林先生
ママンとゼリー(とオット)のかかりつけ医。近所の内科・外科クリニック。
サクラ先生
ママンとゼリーの鍼治療の先生
リュー先生
サクラ先生の双子の弟の鍼の先生。ウチまで往診してくださる。
精神内科の先生
ゼリーの主治医。
ケアマネヨン様
在宅介護最後のケアマネ。
在宅介護を終えても、ゼリーのよい相談相手であり、介護については一番の味方。
スーさん
特養はるかぜのママンのユニットの責任者の方。
もう、ありがたくてありがたくて、ありがと~~!
いろんなブログを私も訪問して、
「こんなページがあると、とってもわかりやすい」
というページ、私もつくってみました。
ママンの発症から現在までの道のりと、
ゼリー一家の紹介です。
ちょっと長いけどね。
カテゴリーも『初めての方へ』です。
■発症
2005年3月16日(水)
私、この日仕事が休みだった。1人でノンビリ買い物に行き、夕食の支度をしていた夕方7時頃
ママン本人から電話。
「体が痺れて、唇も痺れて、クラクラして、なんかヘン!」
すぐ隣の家の方に救急車を呼んでいただき、近くの脳神経外科病院へ搬送。
普段働いていて留守がちな隣家の方がすぐつかまり、すぐ行動してくださったのが、第一の幸運。
1人暮らしのママン、夜中に風呂の中で・・ってのも考えられないことじゃないのに。
私も奇跡的にオットとすぐ連絡がつき、一緒に病院へ。
そこで告げられた病名は『脳幹出血』。
生まれて初めて腰が抜けて立っていられないという状況を経験する。
■経過
手術ができない箇所ということで、自然に血液が吸収されていくのを待つしかない。
リカバリールームで脳浮腫の期間を乗り切り、
16日目にゼリーを口から摂取
20日目に個室へ22日目に大部屋へ。
卒業検査で、『脳動脈瘤』が見つかり、57日目にクリッピング手術しとく。
この急性期病院には、一切リハビリがなく、
この時点でゼリー、かなり焦っていた
111日目、ようやくリハ病院に転院。
「すぐ入れる」「リハビリの老舗」ということで、ちぃーと遠いが、伊豆修善寺の温泉病院(もうバレバレ(笑))。
ゼリー、新幹線の回数券を買い、毎回旅行気分で5日に一度、通う。
163日目、病院から介助訓練の要請があり、一泊で病院へ。
急性期病院にいた時よりも、随分介助が楽になってることに驚き、嬉しくなる。
231日目、寒くなる前に・・ということで、リハ病院退院。
ストレッチャー付きの介護タクシーで入院したが、帰りはオットの車。
歩けるようになった とか コレができるようになった とかいう
特筆できる成果はなかったけれど、
とにかく『体を動かすようにできるための、スタートボタンを押してもらった』『エンジンかけてもらった』
という感じ。
私は前月で会社を辞め、2005年11月2日より、ハードにコアに、介助生活にはまる。
もそっとディープに知りたい!という方がいらっしゃったら、
この頃の日記『のぅのぅ日記』をご覧になって下さいまし。
または、ゼリーにメールください。
'zerry35@mail.goo.ne.jp'
私はママンが倒れた当時から、ネット上で沢山の方に励まされて
今日まできました。
私が今、祈る思いでこれを読んでくださっているあなたの
何か、少しでも手助けができれば
とても幸せです。
■ママンの障害
右半身(上肢下肢)失調
動くんだけど、思ったように動かない。動くまでに時間がかかる。麻痺の子分
左半身(上肢下肢)麻痺
ガチガチに力が入りまくり。
嚥下障害・・・うまく飲み込めない
構音障害・・・呂律がまわらない。サ行、ハ行、撥音なんかがニガテ。
目振・複眼・・・目が揺れる。物が何重にも重なって見える。
体幹の麻痺もあり、真っ直ぐ座ったり立ったりがまだ完全にできない。
小脳失調もあるので、いつも景色がグラグラするらしい。
麻痺側に異常に汗をかく。
病院で高次機能障害として『注意力障害』をあげられたが、今は全然わからないくらいに改善されている。
認知症なし。
現在(2006年4月末)
車椅子ライダー
食事はセッティングすれば自力で食べられる(こぼすけど)
歯磨き、洗面もセッティングして自分で。
着替えも上は一部介助、下は全介助。
トイレは座らせるまで、立ち上がってからは介助。
夜はポータブルトイレ使用。
その他ベッド・車椅子移乗、日常の動作すべてに介助が必要。
最近、装具を自分で装脱、トイレットペーパーを自分で切るなど
出来ることが増えつつある。パソコンでインターネットなんかもしてる(文字最大)。
■主な登場人物
ゼリー(私)
専業主婦&ママン専用介助人
どんな人かは自分でも謎。ベリーショートとカーゴパンツルックが特徴。
イカス極楽介助人を目指すが、なかなか・・いや、なかなか。
兄弟なし(一人っ子)。子供なし。
オット
保険屋さんよ、実は(笑)
稀に見る愛妻家。
稼ぐ部門班長
食器洗いとゼリーの気分転換お付き合いが彼の家事分担
ママン
元スーパーの女。役職ついてたスーパーのスーパーおばはん。
テニスと、やもめ暮らしの山梨の伯父の世話に明け暮れていた。
根性と頑張るエネルギーの塊の人。
「頑張らないでいいから」といわれるのが、何より嫌い。
低気圧に弱い。
パピー
ゼリーの父、ママンの夫
1999年のバレンタインデーに、癌で他界。
入院してから2週間目で、あれよあれよという間。
今はホトケ・ビギナーとして、ゼリーの(一方的な)相談相手。
山梨の伯父、埼玉の伯母、岡山の叔父、島根の叔父、
ママンの兄弟。みんなすごい仲良し。
3年前に妻を亡くした山梨の伯父が、なにかにつけ力を貸してくれる。
2010年5月、埼玉の伯母の連れ合いが亡くなる。
2012年7月 埼玉の伯母、脳静脈瘤破裂で植物人間に。
ヒットラー(義母)、義父
オットの両親。最近3男一家と同居。
私はヒットラーとはかなり仲良し。
梅林先生
ママンとゼリー(とオット)のかかりつけ医。近所の内科・外科クリニック。
サクラ先生
ママンとゼリーの鍼治療の先生
リュー先生
サクラ先生の双子の弟の鍼の先生。ウチまで往診してくださる。
精神内科の先生
ゼリーの主治医。
ケアマネヨン様
在宅介護最後のケアマネ。
在宅介護を終えても、ゼリーのよい相談相手であり、介護については一番の味方。
スーさん
特養はるかぜのママンのユニットの責任者の方。