goo blog サービス終了のお知らせ 

楽しくて つらくて かっこいい!

ロードバイクとキヨシローと仏像が好き。
2017年春、念願の作業療法士になりました。

今までのあらすじ

2006-04-23 12:36:53 | 初めての方へ
最近ものすごーく来訪者の数が増えてきている。
もう、ありがたくてありがたくて、ありがと~~!

いろんなブログを私も訪問して、
「こんなページがあると、とってもわかりやすい」
というページ、私もつくってみました。

ママンの発症から現在までの道のりと、
ゼリー一家の紹介です。
ちょっと長いけどね。
カテゴリーも『初めての方へ』です。

■発症
2005年3月16日(水)
私、この日仕事が休みだった。1人でノンビリ買い物に行き、夕食の支度をしていた夕方7時頃
ママン本人から電話。
「体が痺れて、唇も痺れて、クラクラして、なんかヘン!」
すぐ隣の家の方に救急車を呼んでいただき、近くの脳神経外科病院へ搬送。
普段働いていて留守がちな隣家の方がすぐつかまり、すぐ行動してくださったのが、第一の幸運。
1人暮らしのママン、夜中に風呂の中で・・ってのも考えられないことじゃないのに。
私も奇跡的にオットとすぐ連絡がつき、一緒に病院へ。
そこで告げられた病名は『脳幹出血』。
生まれて初めて腰が抜けて立っていられないという状況を経験する。

■経過
手術ができない箇所ということで、自然に血液が吸収されていくのを待つしかない。
リカバリールームで脳浮腫の期間を乗り切り、
16日目にゼリーを口から摂取
20日目に個室へ22日目に大部屋へ。
卒業検査で、『脳動脈瘤』が見つかり、57日目にクリッピング手術しとく。
この急性期病院には、一切リハビリがなく、
この時点でゼリー、かなり焦っていた
111日目、ようやくリハ病院に転院。
「すぐ入れる」「リハビリの老舗」ということで、ちぃーと遠いが、伊豆修善寺の温泉病院(もうバレバレ(笑))。
ゼリー、新幹線の回数券を買い、毎回旅行気分で5日に一度、通う。
163日目、病院から介助訓練の要請があり、一泊で病院へ。
急性期病院にいた時よりも、随分介助が楽になってることに驚き、嬉しくなる。
231日目、寒くなる前に・・ということで、リハ病院退院。
ストレッチャー付きの介護タクシーで入院したが、帰りはオットの車。
歩けるようになった とか コレができるようになった とかいう
特筆できる成果はなかったけれど、
とにかく『体を動かすようにできるための、スタートボタンを押してもらった』『エンジンかけてもらった』
という感じ。
私は前月で会社を辞め、2005年11月2日より、ハードにコアに、介助生活にはまる。

もそっとディープに知りたい!という方がいらっしゃったら、
この頃の日記『のぅのぅ日記』をご覧になって下さいまし。
または、ゼリーにメールください。
'zerry35@mail.goo.ne.jp'
私はママンが倒れた当時から、ネット上で沢山の方に励まされて
今日まできました。
私が今、祈る思いでこれを読んでくださっているあなたの
何か、少しでも手助けができれば
とても幸せです。

■ママンの障害
右半身(上肢下肢)失調
  動くんだけど、思ったように動かない。動くまでに時間がかかる。麻痺の子分
左半身(上肢下肢)麻痺
  ガチガチに力が入りまくり。
嚥下障害・・・うまく飲み込めない
構音障害・・・呂律がまわらない。サ行、ハ行、撥音なんかがニガテ。
目振・複眼・・・目が揺れる。物が何重にも重なって見える。
体幹の麻痺もあり、真っ直ぐ座ったり立ったりがまだ完全にできない。
小脳失調もあるので、いつも景色がグラグラするらしい。
麻痺側に異常に汗をかく。
病院で高次機能障害として『注意力障害』をあげられたが、今は全然わからないくらいに改善されている。
認知症なし。
現在(2006年4月末)
車椅子ライダー
食事はセッティングすれば自力で食べられる(こぼすけど)
歯磨き、洗面もセッティングして自分で。
着替えも上は一部介助、下は全介助。
トイレは座らせるまで、立ち上がってからは介助。
夜はポータブルトイレ使用。
その他ベッド・車椅子移乗、日常の動作すべてに介助が必要。
最近、装具を自分で装脱、トイレットペーパーを自分で切るなど
出来ることが増えつつある。パソコンでインターネットなんかもしてる(文字最大)。

■主な登場人物
ゼリー(私)
 専業主婦&ママン専用介助人
 どんな人かは自分でも謎。ベリーショートとカーゴパンツルックが特徴。
 イカス極楽介助人を目指すが、なかなか・・いや、なかなか。
 兄弟なし(一人っ子)。子供なし。
オット
 保険屋さんよ、実は(笑)
 稀に見る愛妻家。
 稼ぐ部門班長
 食器洗いとゼリーの気分転換お付き合いが彼の家事分担
ママン
 元スーパーの女。役職ついてたスーパーのスーパーおばはん。
 テニスと、やもめ暮らしの山梨の伯父の世話に明け暮れていた。
 根性と頑張るエネルギーの塊の人。
 「頑張らないでいいから」といわれるのが、何より嫌い。
 低気圧に弱い。
パピー
 ゼリーの父、ママンの夫
 1999年のバレンタインデーに、癌で他界。
 入院してから2週間目で、あれよあれよという間。
 今はホトケ・ビギナーとして、ゼリーの(一方的な)相談相手。
山梨の伯父、埼玉の伯母、岡山の叔父、島根の叔父、
 ママンの兄弟。みんなすごい仲良し。
 3年前に妻を亡くした山梨の伯父が、なにかにつけ力を貸してくれる。
 2010年5月、埼玉の伯母の連れ合いが亡くなる。
 2012年7月 埼玉の伯母、脳静脈瘤破裂で植物人間に。
ヒットラー(義母)、義父
 オットの両親。最近3男一家と同居。
 私はヒットラーとはかなり仲良し。
梅林先生
 ママンとゼリー(とオット)のかかりつけ医。近所の内科・外科クリニック。
サクラ先生
 ママンとゼリーの鍼治療の先生
リュー先生
 サクラ先生の双子の弟の鍼の先生。ウチまで往診してくださる。
精神内科の先生
 ゼリーの主治医。
ケアマネヨン様
 在宅介護最後のケアマネ。
 在宅介護を終えても、ゼリーのよい相談相手であり、介護については一番の味方。
スーさん
 特養はるかぜのママンのユニットの責任者の方。

チーム of 極楽

2006-04-23 12:36:53 | 初めての方へ
2010年11月21日更新
2011年7月19日更新
2012年3月14日更新
2012年8月12日更新
2013年3月18日更新


黒文字が退院当初からのサービス
青文字が足していったサービス

・ケアマネさん
  多分私と同じくらいの年の、ポチャッとしたニーちゃん(前田さん・仮名)。
  ぽよよ~んとしているが
  私やママンが「ガガガガーッ」と言いたい事言えるので、
  結構うまくやっている。
  体が弱い(笑)
  ママンに「アンタ、大丈夫?ムリしないで」と心配されている。
  2006年8月末でケアマネにーちゃん退職。9月よりケアマネオバちゃん(次田さん・仮名)。

  と、思ったら、同10月よりケアマネおっちゃん(三田さん・仮名)に変更。
  ってか、今、おっちゃんおばちゃん、セットで来てる。
  どっちがウチのケアマネさん?


  と、思ったら、同12月よりケアマネおっちゃん(三田さん・仮名)が正式にウチの
  ケアマネさんになったみたいで、単独でやってくるようになった。


  2008年3月で、三田さん体を壊し、ケアマネ引退。
  三田さんの事業所(はるかぜ)のケアマネさんが手一杯で
  医師会事業所を紹介してもらい、4月よりケアマネ南国風四田さん。通称ヨンさま。ちょっとカマちっく



・通所リハビリ1(仮名・イケイケの里
  週2回。9:00頃~16:30頃。送迎付き。
  いつも布団屋のご隠居ばーさんと一緒のバス。
  今、もう一日増やす為に、待機中。結構待つみたいなのよねー
  ここのOTの先生をとても信頼しており
  ママンの前向き姿勢の元を作ってくださっている。
  2006年7月から週3日に増えました。バンザーイ!
  2008年12月より、週2回へ。
  2009年4月より、2週間に一度、ショートのない土曜日のみの利用。
  リハビリはナシ
  信頼していたOTの先生が3月末で転勤されたので、
  ママン、特に未練なし(笑)



・通所リハビリ2(仮名なし)
  まあいろいろありまして
  2008年11月から週1回は、新規事業所の通所リハビリへ変更。
  病院のデイケア。なんと!STさんがいて、超ラッキー!
  2009年4月、介護保険改定に伴い、こちらのリハビリを週2回へ。
  いきさつはこちら

  ケアマネヨン様が頑張ってくれて
  土曜日もこちらのデイケアに通えるようになりました\(^o^)/
  しかし現在は、STの先生が子供を産んで止めたため、新しいSTさんが見つかるまで
  ST訓練ナシ
  2011年4月より、新しいSTさん。
  前のSTさんより、リハ病院のSTさんのやり方に近く、
  またまたびっくりするほど口まわり、よくなる。
  よだれが格段に減った
 

・ショートステイ(仮名・はるかぜ
  月2回。一週おきに金・土・日
  うちから徒歩5分以内の個室がある施設。
  2006年7月から、2回のうち1回は土日月。日曜は送迎がないんだもーん。
  2007年6月から月2回ではなく、2週間毎に。3週間頑張らなきゃ!が無くなり、ゼリーの気持ち的な負担軽減。
  2008年6月から、3泊と2泊を交互にしてもらう。精神的負担、更に減。
  2009年6月からショートはALL3泊に。
  2010年10月から、年に一度、5泊してもらって、オットとプチ旅行に。
  2011年10月、訪看さんが私のミョーさに気付いてケアマネに言いつけてくれて
  ショートはALL4泊に。


・訪問看護婦さん
  週1回。1時間。
  体温や血圧、肺音のチェック。手足浴や爪切り、簡単なリハビリなんかを
  やってくださる。
  2006年7月から、一週おきの月2回。
  2007年5月一杯で無期休止。体調も落ち着いている為。
  2007年9月より、主治医の指示(緊急時の為に、繋がりがあった方がよい)により再開。
  前回とは違う事業所で、主治医に紹介された所。
  2007年12月より、月2回へ変更。
  11月に2週開いた週があって、それでも大丈夫だったため。
  でも夜間および緊急時は365日24時間いつでも対応可能
  ただ、介護保険料が大幅にオーバーしてしまう月に限り、
  緊急加算を外してもらうことに。
  2012年後半は、ゼリーの様子もかなり気にかけてみてくれる。


・訪問リハビリ
  週1回。コ一時間くらい。若い可愛い先生。
  ママンと気が合うようで、とても楽しみにしている。
  看護ステーションではなく、病院の先生。
  2007年3月に先生転勤の為変更。お願いしている所は一緒。
  ウッチー先生(仮名)は、本当によくやってくださって、
  ママンの事例、学会にも出てみる(笑) たまにウッチー先生の先生もやってきて
  指導してくださる。


・訪問マッサージリハビリ
  医療保険使用で、週2回。30分くらいずつ。
  元、七沢のPTの先生。
  2007年4月から先生変更。リハビリ主体から、マッサージのみへ。
  2007年6月から週3回。そのうち2回は、通所リハ後。ショートステイ先にも行ってくださる。
  2008年7月から週2回鍼治療もしていただくことになった(梅林クリニックのリュー先生)
  2009年2月、クリニック内の鍼治療を始めたことにより、訪問マッサージの鍼のみ休止。
  2010年4月より、リュー先生独立。それに伴い保険が使えるということで、
 訪問マッサージ8月より休止。リュー先生、週3日来訪してくださることに


・温熱マッサージ(テルミー)
  ママンのお友達。
  週2回くらい、来てくださる。
  ありがたくて涙がでる。
  2007年5月から週1日へ。ママンがリュー先生に見ていただくことになったので、テルミーはゼリーのみ

・主治医の先生
  神経内科 1時間くらい待って、3分診療。2ヶ月に一度受診。
  リハビリ科 3分くらい待って、1時間診療。
         すごく喋る先生なので、飽きて眠くなる(笑)
         一度もママンに触ったことがないという不思議なリハビリ。
         ただ、ひたすら先生がしゃべるだけの診察。
  2006年10月より、神経内科、リハビリ科共に自宅近所のクリニック(仮名・梅林クリニック)に変更。
  以前の先生より格段に丁寧に診察して下さる。

  
・鍼治療
  2009年2月より、先生の勧めで、クリニック内の鍼治療(本治療)を始める
  先生は、クリニックの先生の奥様と、その双子の弟先生
  (仮名・サクラ先生&リュー先生)

・訪問歯科
  ウチのマンションのまん前にある歯医者さん。
  月に一度、虫歯チェックに来てくださる。
  介護保険なのか、医療保険なのか、何度聞いても謎が深まるばかり・・
  

この他に、介護用ベッド、車椅子が2台、ママン用テーブルをレンタル。
2006年12月から、それまでの高さ調節のみの1モーターより、背もたれ、足同時に上がる4モーターに変更。リハビリ充実の為。
2008年1月より、車椅子1台、業者を替える。



ママンは要介護4なのだが、限度額ギリギリの線までいってるよー。

その他、オット、ブログのお友達、リアルのお友達、
第一の趣味のロードバイクのことを、何でも相談できる自転車屋小僧さん(2012年4月24日急性心筋梗塞で御他界なされました。かけがえのないでした)、伯父伯母、沢山の方に支えられて、ゼリーの在宅介護は成り立っています。


  2009年8月から、ゼリー、梅林先生の紹介で精神内科受診。パニック障害と診断される。
  2012年1月より、パニック障害二次的鬱病とのこと。

  2011年12月、特養はるかぜ申込み。上位に入れてくれたが、とりあえず順番待ち。
  2012年春、「緊急性が感じられない」という「はぁ?」という理由で特養はるかぜ、コケる。
  そこに都合よく、老舗老健の空きができ、2012年5月12日、ゼリー、在宅介護に幕を下ろす。
  2013年2月 特養はるかぜに空きができ、そちらに移動。
  おそらくママンの終の棲家。ウチから徒歩5分