光と風に乗って地域産品の創出

NPO法人光と風&地魚料理海辺里

津波が生んだ文学賞 日経新聞

2022年08月01日 | 旭いいおか文芸賞「海へ」

 震災から10年、津波からの衝撃を己のこととし後世に伝える作業に多くの人達が力を注いで来た。5年後に次世代へ引き継ぐ試みに「読み 書き 歌い 語り継ぐ」営みを「旭いいおか文芸賞」として企画・定着した矢先、周知の通り中止になった。従来の社会的運動としては3年、長くとも5年と言われる。
 この文学賞の継続も高齢化・資金不足となっているがよくよく考えれみると中世から続く地域の有り様に求められる。300年前の元禄津波が僅か数編の紙面に記されているだけではないか!ひとびとの生き死に伝える・これらを歴史に留める・その飯岡歴史民俗資料館の廃館、これらがこの10年であった。問われいるのは地域の歴史・文化の営みである。 
 こうした地域の歴史・文化に詩人・文学者として率直に語り、旭いいおか文芸賞の審査委員長として尽力されて来たのが高橋順子さんです。
              日経新聞記事
津波が生んだ文学賞 高橋順子
日本経済新聞 2021年8月14日 朝刊

 千葉県の九十九里浜に面した飯岡町(現旭市)が私の古里である。弓なりの海岸線をもつが、それは海風が強くて、中心部がへこんだせいとかいう。近隣には湿地帯が多かったことが地名で分かるが、それも風が強くて水は川となって流れることができなかったのだという説がある。しかし浜の東端の岬の向こうには、大河、利根川が太平洋に流れ込んでいる。
 利根川でもって東北地方とは分断されているが、べえべえ言葉や漁師言葉といわれる私たちの町の方言には、東京・下町言葉の類似とともに東北弁の濁りがある。東北と地続きだったことの証しである。
 利根川下流域は人工の川だったのだ。江戸時代に東へ向きを変える大工事が行われたのだそうだ。完成後、一気に川の水を流したときはどんなだったろう。
 「ヒ」とフランスの人びとは発音せずに「イ」と言うが、下町でも私たちの町でも「ヒ」と言えずに「シ」と発音した。英語の「ヒー」が言えずにみんな「シー」となる高校時代の同級生もいた。
 「エ」と「イ」も混乱している。小学校の校長先生は「しょぐえんしつさいって、いんぴづとってきて」と言っていた。私はいまでも衣桁(いこう)を「えこう」と言いたくなる。

 10年前の東日本大震災で飯岡の海岸も被災し、旭市では14人が犠牲になった。「この浜には津波は来(き)ねえ」と漁師までもが言っていたために、津波を見に行って命を落とした夫婦もいた。
 神社や寺に伝わる古文書には、元禄年間に大津波があって、70人以上の犠牲者がこの浜から出たことが記されていた。
 それが今に伝わっていなかったことに地域のNPO法人「光と風」の人たちは衝撃を受けた。耳で聞く方言だけでなく、目で見る言葉にも親しむ風土にしなければと壮大で必死な夢が語られたのだった。
 それが犠牲者の追悼式とともに「旭いいおか文芸賞『海へ』」というイベントの創設となったわけである。後の世の人びとのいのちを守るために、言葉の有用性を念頭に置いて始まったと思うが、有用性は方言をひっくるめて、いきいきした言葉によって支えられると、実行委員会の人びとは考えた。
 「読み 書き 歌い 語りつぐ」をキャッチフレーズに、毎年「海」をテーマにした作品を子どもたち、さらに一般の人たちからも公募した。手書き、朗読が条件というユニークなものである。原稿用紙に絵を描いてもいい。共同制作でもいい。新型コロナウイルスが蔓延する前は北海道から朗読に来てくださった方もいた。私は審査委員長をつとめた。

 初めは怖い海を書いていた子どもたちが多かった。怖い海と楽しい海との間で引き裂かれているという子もいた。そのうち海の楽しさを詩にする子がずいぶん出てきた。それでいいのである。幼かった人たちも、大人たちの言葉から津波をありありと想像できるようになってほしい、と私たちは願った。年配の人たちは心の中に大事に守ってきた海の思い出を、方言まじりに語った。
 しかし今年5年をもって、実行委員の人たちの高齢化、資金不足からイベントは休止することになった。渡邉昌子さん他の実行委員のみなさん、千葉科学大学特任教授・数学教育学専門の船倉武夫氏他の方々の尽力によるところが大きかったことを記しておく。
 人のいのち、言葉のいのちを見つめることで、結果的に町を活性化したことに私は目をみはっている。津波という危機がなければ輝かなかった人の和のぬくもりと力を、不思議なものに思う。
 5冊目の作品集のおひろめと小さな朗読会が「いいおかユートピアセンター」で行われた。
 ここで私は公募詩の講評と少しお話をしたのだが、まさにこの会場で23年前によばれて講演をしたのだった。その中で「詩吟の練習」という両親の何でもない一日を書いた詩を飯岡弁で朗読した。両親はまだ健在で2人そろって会場の中ほどに座っていた。飯岡弁は人びとに受けて、会場は笑いにつつまれた。
 同じ詩を同じふうに読んでみた。予想してはいたが、時々クスッという声が聞こえるだけで、若い人たちは神妙にしていた。方言の消えゆく速さはすさまじかった。コロナ禍で開け放っていた窓から絶えず海鳴りの音がしていたが、むかしのほうがずっと大きい音に聞こえた。


       

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