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夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

笑いのメカニズム

2015年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム


全編笑い転げる映画を作ったらどんなものか、そんな映画を作ってみたい。
チャップリンを見てコメディアンを志した人は多いだろう。

箸が倒れただけで笑い転げる、年頃の女性は感受性が豊かになり、眼に映る何を見ても笑い続ける、そんな時もある。
男性に較べれば感受性が強いし、そもそも視点が違うのかもしれない。

笑うためには仕掛けがあって段取りがある。
クレージー・キャッツの「金だらい落下」が、いかにワンパターンであっても笑いを期待してしまう。

ドリフターズの文京公会堂での映像も、すべてライブであったというから恐れ入る。
クレージーもドリフも音楽から入ってコメディを目指す。

チャップリンがサイレントにこだわって、なお作曲を手掛けたのも大きなインパクトだ。
才能は生まれつき備わっているのでなく、もちろん努力と環境と時の運など複合要因の賜物だ。

ジャズをやりたくてスイング・クリスタルに移ってきた谷啓さん。
その後お笑いをやりたくてクレージーへ。

学生時代からバンド活動で稼いでいたブー先輩、長さんに誘われてドリフターズへ。
「ドリフターズは如何でしたか?」「健康に良かったよ」(走り回っていたから)

音楽と笑い、恋とエンターテインメント。
魅力があるから続けられるし、やめられない。

要領よく立ち回る人もいるが、良い音楽をやるか否かはファンが見出してしまう。
稚拙でもいい、要は感動を与えてくれるかどうか、、、、だ。


Charlie Chaplin - The Lion's Cage

Charlie Chaplin - Eating Machine

STILL CRAZY FOR YOU_CRAZY CATS&YUMING.flv

自然エネルギーと固有領土

2015年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム


物心ついた頃から音楽に親しんできた。
それは放課後体育館から流れてくるピアノの音だったり、管球式のラジオから聞こえる世界のポピュラーミュージックだった。

メディアといっても当時はラジオがメインで、音楽に関しては新聞か雑誌、音楽専門誌がこれから発刊されようとする時代。
音楽評論家と言われる人たちの声がラジオから流れて、情報を食い入るように聴いてはその人となりを想像した。

そんなご本人にお会いすると、当時のことを思い返す余裕もなく浮き足立って、ご挨拶に伺う。
先般中村とうようさんのメモリアルコンサートでお会いした湯川れい子さんのこと。

プレスリーは、新作映画と同時に発表されるテーマソングがヒットして、映画とレコードの売り上げが同時進行した。
楽曲は優れているし、アン・マーグレットなど共演者との話題にも事欠かない、そんなビジネスモデルが確立されていた。

当時の常識を覆すように現れたのがビートルズだった。
正確に言えば先に出たトニー・シェリダンとシルバー・ビートルズだったり、マイ・ボニーだったりしたのだが、「Please Please Me」や「Twist and Shout」のサウンドの衝撃は尋常でなかった。

ある音楽イベントに現れた芥川也寸志さんの姿が強く印象に残っている。
500~600人を超えるパーティに遅れて入ってきた彼は長身で一際目立っていた。

オーケストラのリハーサルに登場した彼を見て、あまりにもハンサムなので女性音楽家たちが卒倒したという。
「美形は幸いなるかな、、嗚呼」、、、久米の仙人。



TV報道で銀座を徘徊する中国人観光客と無資格通訳ガイドの存在を報道していた。
外国人観光客の全てがマナーが悪いとは思わない、が、報道が「直撃する」と言いながら彼らの逆ギレに這う這うの体で退散する様は見ていられない。

日本人もかつては欧米の先進国で同じような失態を演じていたかもしれない、が、だから仕方ないという論理はおかしい。
過去に日本が侵略戦争を犯したから、尖閣諸島を武力で占有されても仕方ないとは言えないだろう。

「集団的自衛権」騒動も論理の手順がおかしい。
「同盟国が攻撃されたら援護射撃できるようにしたい」ではなくて、「自国の脅威に対して実際に反撃するために法改正する」でよい。

日本の固有領土を守るための解決手段としての戦いは仕方ない。
日本人を不法拉致している国に対して奪還するために武力行使するのは当然のことだろう。

先の大戦は反省しなければいけないし戦争は反対だ、が、自国を守るために選択しなければならない最終手段として武力行使がある。

エネルギー問題も同様だ。
「地球に還元できるエネルギーを採用すべき」であり、あたかもクリーンであるかのような「論理のすり替え」は拒否すべきだ。

軍艦島の世界遺産登録は、「石炭産業の栄光と衰退の象徴」としての意義がある、だからこそセレクトされたのだろう。
効率を追求した結果としての「原発」には、利権と最終処分できない現実を知っている悪魔の暗躍がうごめいている。

二酸化炭素を排出するというが、自然界のバランスを崩すほど排出するから問題になるのであって、焚き火程度の二酸化炭素は野山のグリーンが吸収する。
少なくとも地球に還元するエネルギーを採用して「恵の大地を汚さない」、そのポリシーが重要だ。

綺麗ごとを言うのでなく、具体的に問題を解決する、そのための議論をしよう。

もともと日本人が住んでいた日本の固有領土を守ろう。
政治はその方法論を議論していただきたい、戦闘準備は方法論の一部であって全部ではない。


脱線したが、音楽に限らず文化はメッセージ性を持っている。
ジョン・レノンしかり明確な主張を持つミュージシャンに、人は惹かれ納得していく。

恋する人の全てが愛おしくなるように、、、






発起人・湯川れい子インタビュー

続・青春のゴールデンポップス/湯川れい子スペシャル・トーク~その1

ポール・マッカートニー特集 / NHK 「情報まるごと」

志村けん、ポール・マッカートニーのコンサートを熱~く語る。「夢のような時間だった」【志村けんの夜の虫】

阿波おどり

2015年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム


盆踊りのシーズンがやってきた。
近隣の大きな団地では、櫓の上で太鼓を叩き、踊り手が輪になって踊る。

阿波踊りなら、東京では高円寺が有名だ。
関東では阿波踊りを楽しむ町がたくさんあり、30年、40年以上の実績があるらしい。

400年の歴史があるという阿波踊り、その起源は明らかではないという。
阿波徳島の築城を記念して藩主によって広まったという話が、なんとなく納得性が高い。

編み笠で顔を隠した着物姿の女性陣もいいが、うちわを持った法被姿の女性の踊りが色っぽい。
体を低く抑えて歩きながら踊る様がいい。

盆というささやかなバケーションを迎えた庶民の楽しみとして、また祭りの華やかさに紛れた若者たちの発露の場として機能していたのだろう。
そこでは男も女もコミカルで自制的、自己表現とお色気をお囃子とともに発露できる。

同じような着物姿のひとかたまりのなかに好きな異性をみつける、品定めができる祭りだ。
汗を流したイケメン男子もいれば、いなせなお嬢も見つけられる。

猛暑の東京は申し訳ないような環境だが、そこはそれ、粋に免じて許してくださいな。

商店街のエントリーなら担ぎ出されて始めたお囃子や踊り、明らかにしっくりこない方も見受けられる。
そして安定したリズムを叩きだしている「◯◯連」の方達の踊りに余裕を感じてしまう。

それから笑顔、自然な笑顔を浮かべながら踊れる方は幸いだ。
無表情と言われる我々日本人は、「スマイル」が苦手だ。

フラの世界でも「スマイル」は必須だ。
ひきつるようなお愛想笑いでなく、自然なお色気を感じさせるような笑みを発信できるお嬢に注目が集まる。

阿波踊りの持つ日本的なもの、、
一見控えめでありながら、その実しっかり自己アッピールはできていて、節度が保たれている。

そこには買い手市場も売り手市場もなく、超自然な男女の出会いの場として美しい。
祭りは万国共通かもしれないが、しかし日本的なものに愛着と誇りを持ちたい。

そう、「粋」が日本人の生き様か。




2012.11.28_阿波おどり会館_娯茶平

貞光夏祭り・阿波踊り大会【徳島県美馬郡つるぎ町貞光】(平成25年)

茗荷の花

2015年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム


ほとんど陽の当たらない茎葉の下に白い花をつけた茗荷を見つける。
見つける喜びが味わいたくて探し続ける。

市販の茗荷はおそらく農家が温室で栽培している。
びっしり茗荷の芽が敷き詰められた苗床のようなものがJAの店先に並ぶことがある。

これを植えればさぞかし茗荷には不自由しないだろうと植えてみる。
ところがそうは問屋が卸してくれない。

花のついた茗荷の甘酢漬けにチャレンジしてみた。
ほんのり赤みがさした茗荷に甘酢、寿司ネタとして「Good」だ。

「茗荷を食べると忘れっぽくなる」という言い伝えはお釈迦様のお弟子さんの一人に由来するらしい。

自分の名前も忘れてしまうお弟子さんに名札を付けたが、それも忘れてしまった。
「名を荷って苦労した」彼の墓に生えてきた草に、「茗荷」と名付けたそうだ。

ついでに大陸からやってきた生姜と茗荷、
香りの強い方を「兄香(せのか)」弱い方を「妹香(めのか)」と呼んだことが語源だとか。



音楽の世界では、意外なものを珍重する、いわゆる「レアもの」だ。
ネットが普及していなかった頃、チェット・アトキンスが弾くスラックキーを聴きたくてLPレコードを探した。

ようやくレコードが手に入った時の喜び、よ。

スラックキー・ギターはハワイで生まれたオープン・チューニング奏法。
ファミリー以外には教えなかったこともあって知られていなかった。

60年代以降ビーマーやレナード・クァンの教本が出るまでは口伝だったろう。
そして何と言ってもギャビィ・パヒヌイの演奏が衝撃的だった。

70年代日本でも意外な(?)人がスラックキーを紹介して驚いた。
加藤和彦さんとか、細野晴臣さんに至ってはアルバムにレコーディングしている。


チェット・アトキンスは学生時代、Y君が眼を輝かせて奏法を教えてくれた。
リードギターとサイドギターなどバンドをやっていた者にとって、ベースからコード、メロディまで一台のギターで完結する奏法が新鮮だった。

あらゆる音楽を様々なミュージシャンと楽しむ、探究心がまた尊敬を集める。
つまり音楽で会話をしているから、その会話を聴いてみたくなる。

マーク・ノップラーとのセッションは何回見ても飽きない。

ミュージシャンは信頼のおける仲間を求め、求め続けるもの、、か。



Chet Atkins - Pu, Uana Hulu (Remembering Gabby) Live 1996

Chet Atkins performs "Hawaiian Wedding Song"

Chet Atkins "Hawaiin Slack Key"

Mark Knopfler & Chet Atkins - Instrumental Medley

とよださん

2015年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム


TV番組で紹介されたアーチストの異色な経歴に驚いた。
アルバイトからボクサーへ、10年で引退して芸大に7年かけて入学して油絵を学び、木彫の世界へ。

彫刻家と言わず木彫り職人と称するところが潔い。
ヒノキの角材から金属やタイル、果物からあらゆる素材でできたものを彫出す。

一刀彫というのか、一本の木材から全てを作り出すところにこだわっている。
なんでそんな面倒なことをするのか。

一日中パチスロをやっては木彫に帰る日々を送っていたという一時期。
その生活から決別してまた木彫の世界へ。

酒も飲まないし友達もいない、立方体の木材に三次元の設計を頭に描いては彫り続ける。
折れないように極限まで彫り続けて三ヶ月、あるいは五年。

学んだ油絵の技術が表面に施される。
素材が木であることを示すために敢えて彩色を省いたりと、、

作品は数百万円で売れるそうだが、時間あたりの対価としたら決して高くない。
人はなぜそこまで自分を追い詰めるのだろうか。

食べるためにレストランで働いている画家にお会いしたことがあった。
絵画を語る時のその人の眼と語り口は、崇高に見えたものだ。


達観した人の顔はいい。

偶然、我が家に長逗留しては牛馬の爪を切る仕事をしていた「とよださん」のことを思い出していた。

大きい自転車の両サイドにハーレーのような皮のバッグをつけて、生活用具の全てを積んで渡り歩いていた。
どこかにご自身の家があったのか、ご家族がいたのか、皆目分からないが、ボヘミアンのような生活だった。

酪農業を営んでいた我が家を拠点として一ヶ月とか二ヶ月とか滞在し、近隣の酪農家のための仕事をしていたのだと思う。

彼が商売道具であるノミや小刀を利用して樹木の根株を細工しては作品を作っていた。
仕事のない日の暇つぶしで芸術というレベルではなかったかもしれない、が子どもの頃その作業をじっと見守った記憶がある。

出来上がった木彫はなんらかの収入源か、宿代代わりになったのかもしれない。
白髪交じりの立派なヒゲを貯えた「とよださん」の風貌は威厳があった。

そして優しかった。
美味しそうに飲む一合か二合の酒と、一匹の焼き魚を前に一日の終わりを楽しんでいた。

経済活動を第一として考える資本主義の世界で、ひたすら思うことを追求する男の生き方にひっかかる。
手を加え続けて完成しない作品や、ここまで手をかけた作品なので売りたくない、などなど。

映像のその方のすっきりした表情に、大昔の私の「とよださん」に共通するものを感じた。

懐かしい、とよださん。


Sheryl Crow & Robin Williams - "Everyday is a Winding Road" Party Jam

Honky Tonk Woman Sheryl Crow with The Rolling Stones


Sheryl Crow - The water is wide (live)

Sheryl Crow - "Are You Strong Enough To Be My Man" - acoustic, accordion, 1995, stereo