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夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ブルース

2015年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム


ジャズやロックのライブスポットは数多くあれど、ブルースを掲げたそれはあまり知らない。
私鉄沿線の駅前の小さなカフェ兼ライブスポットが開店十周年を迎えるという。

オーナー経営者Nさんの話を聞いていると自然体でいることが経営の極意かと思ってしまう。
十年前駅前の小さな店舗が借りられたのでカフェを始めたところ、順調に推移した。

ところがリーマンショック以来、景気後退を機に客足がパタッと止まってしまった。
駅前とはいうものの何万人もの乗降客が通る場所ではなくおまけに一階物件ではない。

珈琲とランチだけでは事業経営が危うくなり窮余の策でライブスポットを始めたそうだ。
特段音楽にこだわりがあったわけではなく、ブルースを売り物にしたところは少ないだろうと看板にした。

物珍しさに惹かれて音楽好きと酒好きが集まってきた。
良かれと思い紹介されたミュージシャンが開店前から酒を所望されて閉口したこともあったそうな。

あたりかまわず演奏する人や音楽へのリスペクトを持たない人などあらゆる客を迎えて苦労も多かったようだ。
しかし一流のミュージシャンはギャラとか客数とかにかかわらず素晴らしい演奏をしていく。

特段音楽に詳しいわけではなかったNさんが行き着いたところは月に数回のライブイベント。
ミュージックチャージはとらないで全て投げ銭スタイルだ。

ブルースといえばライ・クーダーの映画「クロス・ロード」のギターバトル・シーンを思い出す。
いやライが若い頃ミュージシャンを訪ねてお金を払って弾き方を教えて貰ったという伝説のほうが強烈だ。

それが歌であろうとギターであろうと「魂の叫び」なのか、天に訴える何かがほしい。
アフリカから奴隷としてアメリカにやってきた黒人たちの悲しみと祈り、ささやかな楽しみの世界。

ペリーの黒船来航時に演奏した白人たちはその黒人たちの演奏ぶりに憧れて顔を黒く塗ってバンジョーなどを演奏したという。
ここに音楽の持つ普遍性というか、強靭な強かさを感じる。

さてNさんの開店十周年記念にトロピカル・サウンドを届けに行こうか。
偶然知り合ったビオラの先生とのセッションも楽しい。

意気に感じて行動を起こすのが男だ、と思いたい。
江戸っ子のように、


McBride, Scofield & Sanchez playing the Blues at Montclair Jazz Festival

Lynn Seaton and Christian McBride

Christian McBride Trio - "I Guess I'll Have to Forget"

ポポー

2015年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム



子供の頃食べたものをいつまでも記憶にとどめて忘れないのは男性の習性かしら。
同県人で同じような体験をして50年後に土地を入手して栽培を始め、出荷するまで至った人がいる。

果樹「ポポー」はアメリカ原産だそうな。
近年ホームセンターに出回っているし、品種が結構あることも最近知った。

ビワのような大きめの葉をつけて落葉する、青いユーモラスな形の実がついてやがて落果する。
落果したものが完熟しているようで実が柔らかい。

美味しいかどうかは個人差があると思う。
バナナのような香りがして大きな種がたくさん入っていてアボカド状の実が美味しいと感じる人とそうでない人とがいる。

我が家にも2本植わっていたが、2本以上ないと実がつかないと聞かされていた。
落果した実を拾ってはみるが誰も食べない、台湾で暮らした経験のあるご近所の方がお好きでよくお届けしたものだ。

なぜ我が家に植わっていたのか、今となっては知る術はなく、アメリカから帰国した祖父の兄の子孫が八丈島にいることとなんらかの因果関係があるのかしらと想像したりしている。

その昔、飢饉に備えて柿の木を農家に植えさせたという謂れがあるようにアメリカの非常食だったのかもしれない。
「パンの木」を求めてタヒチに軍艦をやりカリブ海で栽培させようとした英国のロマンを思い出す。

こうしたトロピカルな植物を眺めているのは楽しい。

パラダイスに思いを馳せるひとときがいい。






幻の果実ポポー

幻の果実、ポポーの品質と皮の剥き方、切り方、食べ方。

つる性植物

2015年06月07日 | 日記・エッセイ・コラム


つる性植物の栽培は面白い。
自由に伸びていくつるを誘引して花が咲き実がつくプロセスがいい。

初めて栽培したつる性植物は「へちま」だろうか。
ひょんなことからちゃんと作る責任に迫られたので専門の図書を購入した。

のべつまくなしにつるを伸ばし放題でいいと思っていたらこれが大間違いだった。
親づるから子づるが出て、実はどうやら孫づるにつくらしい。
少なくとも棚の高さに近づいたなら主芯をカットして横に子づる、孫づるを出すようにすると実がつく。

「ひょうたん」も同じことだ。
花はへちまの黄色い花が夏らしくていい、ひょうたんは白い花で美しくはないがぶら下がる実の形が楽しい。

次に植えたのがブラックベリー、今頃から夏にかけて青い実をつけ、それが赤くなり、真っ黒になる。
完熟したブラックベリーはジューシーで甘い。

可愛い花が咲き、カイガラムシがつくくらいで割と丈夫だ。
しっかりしたつるは冬には枯れてしまうので切ってしまいたくなるが、この枯れたはずのつるから翌年また葉が出てくるのも面白い。

ラズベリーも似たような性格だ。

こちらはトゲトゲしたつるから小さな青い実を沢山つける。
やがて実は赤みを帯びてきてイチゴのような真っ赤な実になる。

最初のうちは何かのトッピングに使うくらいしか収穫できなかったが、大きくなるとジャムを作るくらい穫れる。
そこでジャム作りを始めるのだが、完熟の実からでないと美味しくない。
毎朝完熟の実をつまむ作業が必要になってくる。

小さな種を平気で食べてしまう方もいるが、漉して捨てていた。
が、このエキス(?)と甘みが残っている残滓からゼリーを作ることを学んだ。

食感の異なるリンゴやメロン、柑橘類を入れたゼリーはまた楽しい。
量産はできないが、オーガニック、無添加のフルーツゼリーを楽しんでもらうのが嬉しい。

市販の食品は安全で信頼できるのだろうが、必ずや防腐剤とかなんらかの薬品が入っている。
無農薬で作った果実を無添加で加工する、これがいい。

日持ちしなくて腐るからいいのだ。
そういう食品は今や自身で作らなければいけない時代になってしまった。

オーガニックは大変だが、味がある。

音楽もジョン・スコフィールドのよう、味のあるギターを弾きたいものだ。


John Scofield Uberjam Band - Sarajevo Jazz Festival 2013

ケネディ家のひな人形

2015年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム


連日川崎の少年刺殺事件の報道でうんざりする。
何かおかしい。

物心つく頃、不良がかった兄貴分に憧れたり徒党を組んでみたりは、昔からあった。
しかし地域の住民の眼は、どこどこの息子がどうだという監視をしっかりしていたし、田舎の連絡網はマスコミ以上だった。

今回親や学校、ソーシャルワーカーといった教育システムの話ばかりが取り上げられている。
一方で殴った方の親が抗議されて警察に通報するなどのアクションについては何も言及されていない。
子供の喧嘩とはいえ、警察に通報するくらいの事件性について調査するフォローの仕組みがないのだろうか。
死んでから、事件が起きてからでないと動かない警察のあり方に疑問を抱く。

もうひとつこうした行き過ぎた少年たちを注意する大人がいなくなったこと。
昔は強面のおじさんがこうした少年たちを良い意味で威嚇、牽制したものだし、暴力団ややくざではないけれどOBかシンパのような方が街に一人以上いたものだ。

彼らがどういう生活をしていたかわからないが、おそらく人や芸術に憧れたり感動したりする経験がなかったのだろうと想像される。



そうした報道の中で、ケネディ家に日本人から送られた雛人形の里帰りの報道は新鮮だった。

キャロライン・ケネディさんの発案で日本に里帰りした雛人形の送り主を探し、お礼の手紙が手渡された。
送り主の松本さんは93歳で北海道北見の老人ホーム暮らし、たどたどしい喋り口ながら記憶はしっかりしていた。

ケネディ大統領が就任した当時、アメリカはもちろん日本までもが新しい時代の幕開けを予感してエールを送った。松本さんも感動を手紙にしたためてホワイトハウスに送ったところ丁重な返事が返ってきて驚いたという。
そこでキャロラインちゃんがいるということを知って雛人形を送ることにしたという。

93歳といえば戦争を体験した世代、ケネディ元大統領も日本軍との戦いに参加した。
ペリーの来航以来、日本とアメリカとのおつきあいは大戦での不幸を含めて、特別なものがある。

93歳の松本さんに贈られたキャロライン大使と雛人形の写真を見て流した涙は万感の思いだったにちがいない。
思いついたことを実践して、お返事をいただいた
また思いを雛人形に託してアメリカにお送りした。

世界中から届いた人形の中でも子供心に特別の思いを持っていたキャロライン大使が里帰りを思いつく。
「お国のお役に立ててよかった」という松本さんの一言には、心の触れ合いという人間の大事なアクションが込められている。

そう、乾裕樹さんが作曲された「私の人形」という佳曲を探したが、YOUTUBEにはUPされていなかった。
そこで彼のピアノが聴ける映像を紹介した。




ケネディ家のひな人形 - Hina Dolls Return to Japan

大貫妙子「突然の贈りもの」

大貫妙子 イン アコースティックサウンド3-1.wmv

大貫妙子CM集 with makotosuzuki

月と六ペンス

2015年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム



画を描いていたころ、モームの「月と六ペンス」を読んだ。

家庭と仕事を捨てて画家を目指した彼はタヒチに向かう。
たどり着いたタヒチはもはや楽園ではなく母国の、人間の手の入っていた現実を見る。

都会の喧騒を避けさらに奥へ入った彼は島の娘たちとの触れ合いを画にしたためる。
物理的なパラダイスに失望した彼は、娘たちの心に宿る美を描こうとした。

「月と六ペンス」とは、パリの娼婦たちのしたたかさとタヒチの娘の素直さの対象かもしれない。

楽園に暮らす彼は文明社会の母国に経済的な支えを求める。
画家としての成功と経済的な安定を求める悲痛な訴えはやがて宗教画のような傑作を生む。

「ヘタウマ」とも言えるかもしれないゴーギャンの画がつい先日数百億円で落札された。
そう、芸術の価値とは、ゼロか数百億円かもしれない。

価値を見出した者にとっては全てを投げ出しても欲しい。
価値を認めない者にとってはただのキャンバス素材でしかない。


楽園タヒチからの発信、音楽的には長い間閉ざされていたような側面もあった。
同じような古い音源がジャケットを変えて繰り返し商品化されがっかりするといった図式という意味でである。

しかし元来持ち合わせている才能を表現してそれをハワイアンが受け入れる時代がやってきた。
アレンジといい、楽曲の完成度といい素晴らしい。

タヒチは気になる。

ゴーギャンならずとも夢を探しに行きたくなる何かを持っている。






Tapuari'i Laughlin - "Tapa'o no te here"


Tapuarii Laughlin - Je Te Promets


Tapuarii Laughlin - Pape Ora


Tapuarii LAUGHLIN - Beach Soccer