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夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

絵を描きたいあなたへ

2015年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム


永沢まことさんの著「絵を描きたいあなたへ」は1997年に書かれた入門書
授業中に先生の似顔顔を描いていた少年が画家になっていくストーリーと描くテクニックが一本の映画のように描かれている

氏は一本の線で描けとおっしゃる、それも消すことのできないペンで
そして写真でなく、実物を見て描けとも、

引用される雪舟や渡辺崋山などの絵心をめぐるエピソードも楽しい
雪舟が涙を使って足で描いたネズミの話はあまりにも有名だが、日本の絵の歴史はゴッホなど西欧に影響を与えてきた

ゴーギャンの「私の絵は音楽だ」という言葉もいい
彩色に悩む青年に部分で感じた色を、それも鮮やかな色を使いなさいというアドバイスも興味深い

美大を諦めて政経学部に入った氏は、プロレスの絵で報酬を得たりした後アニメーターの世界に入る
そしてニューヨークでの出会いと手応えによって画家の道を歩むことになった

訂正のきかない一本の線で描くことは集中力を要する、この繰り返しがデッサン力に通じる
この辺りは音楽に似ている、練習はあくまでも練習でしかない、本番ありきだ

さてゴーギャン展が開催されるらしい
行ってみようかしら、、、音楽を感じるために



【足立区】輝け あだち人「永沢まこと(画家)」

Paul Gauguin Paintings

Eric Clapton - BB King -Crossroads 2010 - Live

奇跡のハーブ

2015年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム



「犬も歩けば棒にあたる」
JAの果菜類売り場を眺めて珍しいものを見つけるとそんな気になる。

最近ホームセンターに苗木が出回るようになった「ポポー」の果実を見かけた。
短めで太いバナナのようなポポーが、2ケで5百円は高いような気もするが、まあ珍味ではある。

そして目に入ったのが「奇跡のハーブ ~ マンジェリコン」
「血糖値を下げ、高血圧にも、アトピーにも、」効くという、
夢の薬草だ。

しかもその葉を一日2~3枚食するだけで、インシュリンを分泌させて血糖値を下げるというではないか、
そんなうまい話があるものか、と葉をちぎって口にすると、これが強烈に苦い、、、「良薬口に苦し」

マンジェリコンとは、どうやらバジルや紫蘇の系統の草本らしい、
見た目は「金の成る木」の葉の肉厚が薄い感じ、「金の成らない木」に近くなってしまうのだろうか、トホホ

食べてみると、苦味が強烈で、そのままでは気付け薬にはいいかもしれないが、苦すぎる。
細く切ってドレッシングをかけて、というより細かく切ってドレッシングに混ぜてサラダと一緒に召し上がる、のが現実的な対処か、

さて映像にある「煮出してお茶にする」レシピ、
生の葉を数枚、水から沸騰させて10分間、冷ましてお茶としていただく、

これはいける、薄い麦茶色がついて無味無臭、これならポットに作り置きしておけばいい、

映像の「酵素ジュース」も良さそうだ、
材料は、下記の通りで、ここでも「マンジェリコン」が使われている

野草で酵素ジュース作りワークショップ(ノンシュガー)
  講師あびか
使用した野草と材料
  バーベナ、アメリカハマグルマ、クワ、ゲットウ、
  オータニワタリ、ササの仲間、オオバギ、マンジェリコン
  宮城島の湧き水、米ぬか、蜂蜜

効能が如何かはさておいて、「薬草」を食材のひとつとして食する、ないしは茶葉として飲用することの自然さ、取っつき易さを感じる、
どんなに体に良い成分が含まれていようが、不味ければ続かないし、面倒はかけたくない、

この奇跡のハーブ、関東の寒さで冬を越せるのだろうか、




マンジェリコン茶の作り方

【2014.06.28】「野草で酵素ジュース作り」講師あびか

ゲスの極み乙女。 - 私以外私じゃないの

ゲスの極み乙女。「パラレルスペック」

実るほど

2015年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム


JAの店先に植わっている稲穂が実ってきた。
わずか30センチ四方の発泡スチロールの田んぼの中ですくすくと育つ稲は日本の宝のよう。

粒ぞろいの稲穂は、きれいに整列して天に向かって伸びている。
日本人が食する米は日本で作るべし、稲作は経験がないが、技術的にはかなりの生産効率化が図られているだろう。

近隣の田んぼに小さな子供を乗せて自転車で駆け回る外国人の奥様がいる。
「実によく働く、働き者」とレストランのマスターの評、ポーランドご出身だそうだ。

農家の人、年寄りや女性の方が毎日何かしら手を休めない理由が、最近わかってきた。
草取り、収穫した豆の鞘取り、仕分け、畑の天地返し、たね蒔き、追肥、、、やることが目白押しで休む間がない。

わずかに自然が残る多摩には、所々に米の無人精米所がある。
大きな紙の袋が二つ並んでいたので玄米を販売しているのかなと聞いてみたら精米の過程でできた米糠だという。

たけのこのアク抜きなどに使うヌカも今や有料だ、販売用に保管するのかしらと思いきやそうではないという。
持ち込まれる米の生産地は特定できない、スーパーで買ったものもあれば農家から直送されたものもある。

つまり放射能汚染された米が精米された可能性があるので精米所でできたヌカを販売するわけにはゆかない。
店先に並んだ米はトレーサビリティがしっかりしているが、持ち込まれた米がどこの産のものかは誰にも保証できない。

福島の原発事故は、かように被害を全国に撒き散らしている。


近隣の酒屋さんで栽培している巨峰は袋がけされて見事に棚にぶら下がっている。
実がついたら袋がけして殺虫剤や殺菌剤を散布する、この手間をかければ売り物のようなブドウが出来上がる。

一方でオーガニックを気取って無農薬とすればカナブンやアリの被害にあって葉は丸坊主に実もやられてしまう。
ここが悩みのたねでプロフェショナルは手間と費用を惜しまず断行するから安定して収穫できる。

米から透き通る清酒が出来上がり、ブドウからワインが出来上がる。
造り酒屋に外国人の杜氏が現れたり、日本でもワイナリーを始める動きが出てきた。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

齢相応に味わいが出て頭を垂れるほどの人となりでありたいものよ。


Discover the Art of Making Wine

Discover The Wines of Southern Italy

スラックキー・ギター・フェスティバル 

2015年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム


「スラックキー・ギター」はハワイ生まれのオープン・チューニング・ギター奏法のこと。
30~40年前に比べれば知られるようになったし、FMラジオ、インターネットラジオから毎日流れる時代になった。

しかし「そのギターは、ハワイのどこへ行けば買うことができるの?」といった質問があるように、まだまだ日本では一般的ではない。
チェット・アトキンスのギャロッピング奏法は知られているが、ギャビィ・パヒヌイに代表されるスラックキー・ギター奏法の知名度は低い。

ハワイ音楽評論家の早津敏彦先生のライナーノーツには早くから記述が見られたものの、YOUTUBEもなかったあの頃、何を持ってスラックキーを指すのかわからない時代が長かった。
そしてライ・クーダーの「チキン・スキン・ミュージック」が発売された頃「あのスライド・ギターは誰だろう?」「生ギターの響きが、普通じゃないぞ」となった。

そう、ギャビィ・パヒヌイとアッタ・アイザックスJr.の登場だ。
あの頃ライ・クーダーファンの方が、いち早くハワイアン・ルネサンスの動きをキャッチしたような記憶がある。

レイ・カーネ、サニー・チリングワースに師事して帰国した山内"Alani"雄喜氏が弾いたギターのサウンドが忘れられない。
ギターから行ったこともないハワイの香りがするのだ、、、、驚いた。

そして日本で初となるスラックキー・ギターを全編にとり入れた2枚のアルバムの制作を始め、コンサート活動を行った。
でも聞いてくれる人は少なかったし、レコード会社もハワイアンでなく「アイランド・フォーク」と知恵を絞らなければいけない時代だった。

わずかに我々のサウンドを聴いてくれたのは、やはりライ・クーダーファンの皆さんだった。
米軍の基地周りをしても理解してくれたのはハワイ出身者だけだったのかもしれない。

やがて時が経ちジョージ・ウィンストンがやってきて彼との接点が持て、彼はスラックキーを押し出したレーベル「Dancing Cat Records」を立ち上げる。
ハワイのオアフ島で行われていた「Slack-key Guitar Festival」に協賛したのもその頃だった。

当時のスラックキー・フェスは、ロコが野外で一日中楽しむ地場のイベントであった。
ハワイのローカルTV局が撮影し、ラジオで実況中継するお祭りイベントで「Sons of Hawaii」「Sonny Chillingworth」「Ledward Kaapana 」「Cyril Pahinui」 などなど錚々たるメンバーが出ていた。そうSonnyが少年だったMakanaを見守るように見つめていたのが印象的だった。

丁度ギャビィとアッタのメモリアルフェスに参加した我々は、舞台袖にいたギャビィの奥様「Ma Pahinui」にご挨拶できて感激した。
たった3曲ながら演奏させていただいて、感動とともに本場のレベルの高さ、層の厚さなどに身の引き締まる思いだった。

スラックキー・フェスも「Na Hoku Hanohano Awards」もハワイアンたちのものであり外国人には閉ざされていた感があった。
しかし昨今米本土西海岸のフラ、ウクレレ、スラックキーといったブームもあり、今やフェスはハワイ各島、米本土でも行われているようだ。

そのスラックキー・ギター・フェスティバルが、一ヶ月後の東京大手町で開催される。
長いことフェスを牽引してきた「Milton Lau」率いるハワイの新進気鋭のミュージシャンが大挙して日本にやってくる。
そう、願わくばダカインサウンドをここ日本で再現してほしい。

日本のミュージシャンを育て本場ハワイとの交流を続けスラックキー・ギターの普及に貢献してきた山内"Alani"雄喜が昨年「Na Hoku Hanohano Awards」で表彰された。
長年の夢である「フェス開催を日本で」が実現する運びになったことは40年の歳月をともに活動してきた者として感慨深い。

今年9月18日、フラのイベント「Na Hiwa Hiwa Hawaii」の前夜祭として開催される「Slack-key Guitar Festival in Tokyo」
今年の成功が来年以降の継続につながる重要な第一回イベントだ。

全てへの愛とハワイへのリスペクトを忘れぬギター・フリークよ、集まれ!





Hawaiian Slack Key Music Festival held in Kona

THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND - IPO LEI MANU 1974 - YOUTUBE

伊402潜水艦空母

2015年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム



潜水艦は少年の頃の空想の世界の乗り物だった。
密室のメカニックの塊の中で活動する全てのことに憧れた。

ドイツの「Uボート」など戦後作られた映画を見れば、快適どころか常に死と隣り合わせの最悪の兵器なのだが、だからこそ少年は憧れたのかもしれない。

そんな戦時中に作られた潜水艦が長崎県五島列島沖で発見されたというニュースが流れた。
それも数機ながら潜水艦から戦闘機を発艦させる当時世界最大級の潜水艦空母だという。

伊号潜水艦はドイツからエンジンを運んできた歴史もある。
当時ドイツのエンジンを見た日本のエンジニアが加工技術のレベルの高さに驚き、日本の技術革新につながったという回想を覚えている。

敗戦が濃厚になってきた日本が巨大な戦艦などを作ったことは悲しい。
航空母艦を作っていたら戦況が良くなったとか言うのでなく、国を挙げた技術の行く先が有終の美に終わったことが悲しいのだ。

郷里の門柱にあったはずの鉄製門扉が無かったことを覚えている。
おそらく戦時中に拠出されたのだろう、家庭の鉄を拠出する、そんなことまでして戦争を続けてきたのだ。

戦争を美化したり、礼讃する気はない、力を注ぐ先を間違えていたことを素直に反省すべきだ。
人を殺すための武器を開発するのでなく、人類に資するための開発をする。

8月になると戦争を振り返り犠牲となった父のことを思う。
祖先の霊が帰ってくる盆と重なるのはいつまでも忘れないようにということか。



潜水艦空母 伊402 発見か 長崎 海底

世界初!巨大潜水空母・伊400 FC2 Video

発見!伊52潜水艦   ドイツ派遣潜水艦の最終艦