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夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

露天風呂のリス

2015年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム


40度の湯はぬるい。
しかし露天風呂に浸かるニホンザルにはちょうどいいのかもしれない。

一足先に咲いた桜を眺めながら温泉に浸かるのは日本ならではの贅沢だ。
頭上の樹木を眺めると何かが動いている。

「大きな野鳥かな」と思いながらよく見ると鳥とは異なる小動物だ。
なんと、30センチほどの「リス」が長い尻尾を振りながら樹枝を素早く渡り歩いている。

源泉が流れ落ちる頭上には庭石に湯だまりが待機していて湯煙が舞い上がる。
その湯煙を楽しむかのように数匹のリスが戯れている。

嗚呼、日本に生まれて良かった。

野鳥とリスを眺めながら温泉に浸かる幸せよ。
彼らも厳冬のひと時、天然の湯の恵みを享受している。

ハワイもいいが、祖先の住んだ豆州も子孫への「帰れコール」をしているようだ。

壁の向こうに車の喧騒が聞こえる日常があったとしても、天を見上げるわずかな空間は至宝のごとく輝く。

野生のリスたちは人の手が入った庭園と温泉を見つけて住み着いていた。

関東近郊では宅地造成という錬金術に惑わされた人間たちによって野生の動物たちが追いやられている。
彼らが生きてゆくためのせめてもの配慮が必要だ。

なぜなら彼らの生きている様子を見ることは我々人間の楽しみ、幸せなのだから。

Hapa Live in Keauhou, Hawai'i 2011

HAPA - Kahea U'ilani

Hapa - Pahinui Aloha (HiSessions.com Acoustic Live!)

Hapa - Tuahine (HiSessions.com Acoustic Live!)

Hapa - Tapa`o No Te Here (HiSessions.com Acoustic Live!)

ちょっと待って、ゴミ箱

2015年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム



さるTV番組で「困る事」特集をやっていた。
新米タクシー運転手の「道を知らない」憤りから「ゴミ箱がない東京の街中」などなど。

日本に住む外国人たちは「ゴミ箱がない、日本、東京」の不便さを異口同音に語っていた。

さる自治体の御仁は「ゴミ箱は無くす方向にしている。ゴミは持ち帰っていただく。条例でゴミを拾う運動を、、、」とあたかも理路整然としているかのごとく自らの決め事を得意げに語る。

いや待てよ、「地下鉄サリン事件」以来、「テロ行為の温床撲滅」とばかりに都心の公共の場、とりわけ駅から確かに「ゴミ箱」は一斉に無くなった。
少々の不便には文句を言わない我が国民は、未だにこの不便さに我慢を続けている。

しかし「ゴミ箱撤去」は、本当に「テロ対策」なのだろうか?
テロ対策はきっかけとなった名目であって、本当は体良く「コスト削減」に転化されているのではないか。

以前お世話になった方の次男坊が「駅周辺の放置自転車対策」についてこう言ったという。
「看板を『自転車置き場』ではなくて『自転車捨て場』にしたらいい」と。
父親であるその方は「頭がいい、さすが我が息子!」とばかりにこのアイデアを絶賛していた。
しかしこの親子のやり取りを聞いて「心の中が寒々とした気持ちになった」ことも事実だ。
それはもはや人間社会の話ではないからだ。

「ゴミ箱が『あるから』モノを捨てる」「なければ捨てられない」、「だからいいだろう」これは一見合理的のように見える。

しかしポケットにゴミを入れて持ち帰っている外国人旅行客も、心ある日本人も『ゴミ箱がないから』持ち帰っているのだ。

走っている車の中から灰皿をひっくり返して路上に撒き散らしたり、買い食いしながら空き缶や紙くずを路上に捨て歩く輩には、そうした配慮など毛頭ない。

先の自治体の条例は、公共の場にゴミ箱のない不便さを甘んじて受け入れた市民に対して、「自らのゴミは持ち帰りなさい、なお不埒な輩の撒き散らしたゴミをも拾いなさい」という不合理を、ご丁寧に「条例で定めて強制するという愚挙」を強いることになる。

よくよく考えてごらんなさい。
ゴミ箱があろうがなかろうが、おかまいなしにゴミを撒き散らしたり、タバコをポイ投げしたり、テロ行為をしたりする者への取り締まりの方が優先事項であって、良識ある市民へ不便とボランティアを強いる条例は不要だ。

ついでに出てきた「ペット」問題も然り。
犬を放して散歩するような横暴な愛犬家の言動が槍玉にあげられ、これを「条例」でなんとかしようとする、
しかし「ペットを飼う資格のない者に問題がある」のであって、多くのペット愛好家は他人に迷惑をかけないよう良識を持って生活しているのだ。

私の住む近隣に大型犬のフンを持ち帰らない不埒な飼い主がいる。

それが一体誰なのかは大方目星がついているのだが、飼い主の非常識さも哀れとして、飼われている当の犬が可哀想だ。
犬に歩きながらフンを強要するような「エセ」ペット愛好家は、この愛すべき近隣から出て行って欲しい。
大多数のペット愛好家がマナーを守って暮らしているこの地には、あなたが住む、少なくともペットの散歩をして歩く資格はないのだよ。

さてTV番組の「ゴミ箱」問題解決の糸口は、「交番の脇にゴミ箱を置いたらどうだろう」提案だった。
不審なゴミは捨てないだろうし警察官の監視の目があるので捨てにくい、位の「Good Idea」なのだろう。

しかしこれも「自転車捨て場」の延長線上にある論理ではないだろうか?
不審なゴミを捨てたりポイ捨ての常習犯が、わざわざ交番の前のゴミ箱に捨てに行くはずがないからだ。

長々と書いたのは、おわかりの通り「論理のすり替えをやんなさんな」と言いたいからだ。

海外から多くの観光客がやってくる東京オリムピックを控え「ゴミ箱のない東京」はあまりにも寂しい。

ゴミ箱があっても治安が維持できる街、路上にゴミのない街、快適に暮らせる街、
その東京にオリムピックが招致されるはずではないだろうか?

「オ、モ、テ、ナ、シ」








The Saturdays - Please Mr. Postman (Official audio)

Diana Krall - Look Of Love (Live In Paris)

ピラミッドの謎

2015年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム



ピラミッドで印象的な写真といえば、スフィンクスの前で撮られた集合写真、幕末の遣欧使節のサムライたちの姿だ。
開国を迫られた幕末の特使が欧州へ向かった道中で、彼らは一体何を感じたのであろうか。

早稲田大学の吉村作治先生の書を読んで改めて4千5百年も前にピラミッドが作られたことに驚く。

それにしても知らないことがたくさんある。

積まれた石の大きさはまちまちだということ、同じ大きさではないという。
本来は四角い石の積み重ねの間を埋める化粧石が存在して鏡面のような仕上がりだったこと。
底辺と高さの比率が結果的に円周率になること、それくらい数学が発達していたこと。
ピラミッド建設は、ナイル川の氾濫による農民への救済手段としての公共事業だったこと、などなど。

ピラミッドと似たような遺跡は世界中にある。
ハワイのマラエと言われる祭壇にしても沖縄の海に眠る石積み遺跡も南米の遺跡も、姿形は異なれど古代人の信仰を感じさせる。

ピラミッドが太陽を目指して上空を目指したように太古の遺跡は自然への脅威に敬虔な祈りを捧げている。

吉村先生の話によればピラミッドに関する文化的貢献はナポレオンによるところが大きいという。

今で言えば侵略戦争であったナポレオンのエジプト遠征には150人もの考古学スタッフを同行したという。
そして持ち帰ったエジプトの文化財がルーブルに保管されたことは彼の功績だというわけだ。

国によってピラミッドをはじめエジプトの文化財へのアプローチの仕方が違うという点も興味深い。
当然のようにピラミッドには財宝が隠されていると解釈する仏国等々、お国事情がある。

ピラミッドは王の墓だとするこれまでの定説が覆される諸説も興味深い。

吉村先生隊は、以前現地で実際に小さなピラミッドを作ってみて、どのように建設したかを検証しようとした。
奈良の大仏製作同様、石材牽引のための「スロープを利用したこと」は間違いない。
が、60トンもある石材を人力で引き上げるにはスロープの角度と牽引するための工夫、なめらかに牽引することと後退させないための工夫など叡智が必要だ。

またピラミッド内部は、思いの外「空間部分が多い」という。
一説によれば40%とも言われる空間の設定は、強度を出すためと石材の節約のほか、映像の「牽引用トンネル」説も有力に思えてくる。

しかし5千年前の太古、民を救うために公共事業を企画した王と、製作を指揮したナンバー2には頭が下がる。
5千年も経った今も公共事業という同じ手法が採用されているのだから。

ただ民を救うためでなく票を集めるためだとしたらクフ王は笑っているだろう。

「クフッ」 





【吉村 作治】 ピラミッドの謎の「ウソ」と「ホント」

エジプト発掘  ピラミッドはこうして造られた

ル・マンとロータリーエンジン

2015年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム



ものづくりの地に生まれ育ったせいか、バイクや車の技術開発に関心がある。
2サイクルエンジンを積んだバイクと4サイクルエンジンのそれとの比較をしてみたりと。

マツダがロータリーエンジンの開発を始めた頃、開発の成功を祈ったファンは多かったろう。
確か本家ドイツのメーカーを凌駕するような開発と実用化への歴史が我が日本国、広島で行われてきた。

ピストン運動を回転運動に変えるレシプロエンジンに比べれば、直接ローターの回転を車軸に伝えるロータリー方式に分がある。
一方でピストンという筒の中で吸排気を行う単純な構造とは異なるややこしい回転を行うロータリーエンジンの開発には相当な試練があったに違いない。
だからこそ少年たちの夢をかきたてる。

単気筒エンジンのオートバイが闊歩するような時代にこうした新しい技術開発に目を向けるのは素晴らしいことだ。
戦後の復興期、本田をはじめ全国にオートバイメーカーが2百数十社林立したという。

自転車にエンジンを載せればバイクになるわけだから起業は容易だったかもしれない。
エンジンを作り、フレームを作り、タイヤをセットして、ブレーキと、、、、、確かに車に比べれば部品点数は少ない。

そして登場した「コスモスポーツ」のデザインがユニークだった。
まるでUFOが降りてきたようでもあるし、缶詰のようという評もあった。
しかしここにホンダの「S600」を超えようというエンジニアの気概を感じられた。

回転がスムーズであれば高出力が稼げ、ついにル・マンの耐久レースで優勝した。
一方で高度成長の翳りとともにスポーツカーの需要と燃費の問題が浮上してくる。

ロータリーエンジン開発の栄光の歴史は、甲子園出場、優勝と不出場、休部の歴史を繰り返しているようでもある。

エンジニアたちの「作りたい、やりたい」という熱意が世代を超えて伝わる。
赤穂浪士の四十七士と並べられたエンジニアたちは、主君の無念を晴らそうとするようでもあり、壮絶だ。
与えられた仕事が終わってからロータリーエンジン車の再発に向けた開発に参加する。

日本の企業文化とは、こうした経営数値で表せないところから始まる「起業の精神」で培われてきた。

本田宗一郎がスーパーカブ等の大ヒットで稼いだ収益を巨額の設備投資やレースに注ぎ込んだりする。
「俺は金を稼いでくるから管理は頼むぞ」とばかりに相棒の藤沢氏に委ねる関係。

コスモスポーツには乗ったことはないが、エンジニアたちの心意気に感ずる。

願わくばフェラーリやポルシェを超える日本らしい名車を開発してほしいものだ。





フ?ロシ?ェクトX「ルマンを制覇せよ」~ロータリーエンシ?ン 奇跡の逆転劇~

'91 24 heures du Mans MAZDA 787B Winning Run ル・マン優勝


20110520 雄姿再び マツダ787B

プロジェクトX「技術者魂 永遠(とわ)に」~新ロータリーエンジン・革命車に挑む~

コスト計算

2014年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム



衆院選を目前に政党間の「原発」の捉え方が争点になっているかのような報道がある。
大きく存続派と廃止派とに分かれているようだが、具体的な論議は聞こえてこない。

どんなエネルギーにも設備投資とランニングコスト、最終的には店じまいまでの費用計算を行ってはじめてコストパフォーマンスがわかる。
火力発電には石油資源が必要だろうし発電設備は老朽化する。
風力や水力も、なんらかの犠牲を払って実現するし、生態系への影響も無視できない。

地底の熱資源を利用する地熱発電では、組み上げた熱水で蒸気タービンを稼働した後で地中に使用水を還元するという配慮をしている。

原発は「ハイテクを装ったローテク」との印象を拭えない。
核分裂は自然界になかった現象であり、熱水でタービンを回す原理は蒸気船の頃からあった。

問題は使用済核燃料の廃棄技術が確立されていなくて美しい地球のどこかに永久に埋め込まなくてはならないことだ。
以前書いたように私の住む近隣に過去の実験施設があり高級住宅地として知られているその地に使用済み核燃料が処理できないまま封印されている。

福島での惨事は天災がきっかけであったにせよ、被害を拡大したのは技術が確立されていないからこその人災だ。
廃炉のための技術開発努力は必要だが、それが確立できていないまま再稼動したいという主張はまさに政治的だ。

あるフランス料理店での話。
フランス人シェフと日本人妻が経営するこのお店、本場フランスでレストランを経営するシェフの父上まで来日して開店した。
ところが、福島の原発事故以来フランス人シェフはさっさと故国へ帰ってしまったという。

この辺りが床に落ちた食物をささっと払って口にすることができる日本人と(いや失礼私だけかしら)
欧米人との違いだろう。
原発を他国へ売りに出かける国フランスですらこの潔癖性なのだから、当時来日中の音楽家たちが故国から帰れとの指示のもと一斉に帰ったのは当然だ。

そんな難しいことを考えなくともクリスマスを前にした商店街や住宅地でイルミネーションが輝いている。

原発を再稼働しなくったってちゃんと発電供給できているじゃないか。

電力料金の値上げという形で我々庶民が、一企業の不始末のツケを払ってはいるものの、それでイルミネーションが輝いているのを庶民はちゃーんと見ている。

どの政党に入れるかは寒々しい限りだが、せめてものコスト意識を持った政治家に票を入れたいものだ。