実はまだ昨日の続きの譜面整理が終わっていない。
45Lのゴミ袋一杯の譜面を捨てたのに。
書き直さないと使い物にならない曲も見つかってしまった。
やだな。こういう気分。
ま。それはともかく。
シャンソン系やらジャズ系やら、色んな譜面を整理してますとね。
いったい歌手というのは何かな・・・と考え出すわけです。
歌手と楽器奏者の一番の違いは「言葉」の「ある・なし」だと思っているわたくし。
その時、わたくしは聞いてくれる人に分かる言葉で歌いたい。
だからシャンソニエのようなほぼ日本人用の場所では日本語、外資系ホテルのような外国人の多い場所では英語で歌うのが正しいと思っています。
それにホテルのばやい仮にお客さんが日本人でも、伝統的にあまり日本語の歌は歌いません。
多分ライブと違ってBGMになる場面も多いので、歌詞の内容がよくよく聞き取れない方が便利だと思われている節もあり。
そんなわけで、いわゆるジャズソングのようなレパートリーも増えるんですけど、中には「どうかしてるんじゃないのか」と思うような歌詞も多々あります。
例えば「The man I love」という曲は「いつか私の所に家を一軒立ててくれるような強くで優しい男がやってるはずだ」と豪語するような歌で、それもジャズのばやい何度も同じことをアドリブやフェイクを交えながら連呼するわけです。
心底アホか・・・と、思います。
この手の曲が結構多い。
だからよほど「楽器のような歌」に卓越している歌手ならいざ知らず、わたくしなどは恥ずかしくてこんな曲歌えない。
You'd be so nice to come home to(あたしの所に帰ってくればいいものを)という曲あたりが精神的にギリギリです。
同じような曲を歌うならまだシャンソニエでよく歌われるブラジル曲の日本語版「逢い引き」などの方がずっと洗練されています。
ただしジャズの、いわゆるスィングというリズムは歌詞云々よりそれ自体がステキなので、不滅なのでしょう。
その点ポップスと呼ばれる曲(ざっくり言えば、ビリージョエルだとか、ビートルズだとか、その他もろもろ)には複雑な歌詞が付いているものも多く、歌手として歌い甲斐があります。
そうなると、今度は歌詞の内容が分かってもらえないと意味がないので、シャンソニエのようにしっかり歌を聞いてくれる場所では「訳詞」をしたいと思ってしまうわけです。
昨晩譜面まみれになりながら聞いたのはスティング。
もう30年も前に初めて聴いた「Nothing like the sun」
色んなメッセージが込められていて、歌詞も曲もアレンジも、今聞いてもうっとりします。
どうせならこういう曲を原語、訳詞、ともに歌って行きたいなと思ってしまった。
Englishman in NY (ニューヨークに居るイギリス人)とか自分には関係ないわ・・と思ってた曲も、よく聴き直すと、民族や人種がどんどん入り混じるこれからの世界のことのように思えるし、Sister Moon など、譜面も作ってあるのに何となく気後れしていた曲もこれからなら歌えるような気がします。
やっぱり歌詞に心酔できる曲を歌っていこう。
そんな風に思うのでした。
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