本日は2時から礼拝堂において「東日本大震災を憶えての祈り」が行われた。
まずは2時より黙想。静寂につつまれた中で各自黙想。
黙想とは祈りのひとつの形。meditation
そしてオルガン奏楽
沈黙
詩の朗読 和合亮一作『詩ノ黙礼』より (朗読者 菅原悠)
その後沈黙・聖歌・奏楽・祈り・聖書朗読・・・を繰り返す
途中1分間の鐘。黙祷。
なかでも聖歌隊で歌った聖歌527番が印象的だ。
傷ついた人の 祈りに応えて
信じて疑う 迷い除く恵み
十字架にかかり 傷ついた み手で
わららの命を はげまし支える
消える事のない 罪 咎の思い
見えない明日への 恐れに苦しむ
愛は変わらずに 弱さに向かい合い
心の痛みに いつでもよりそう
助けを求めて 集まる人びと
救い主の手は ふれあいのうちに
身と心すべて すこやかにもどし
破れた平和を いやす聖霊よ
東北へボランティアとして出かけても、結局東京の不自由のない暮らしに戻ってくる自分に、本当の「分かち合い」が出来ているのか・・と語る方もいたが、たまたま今東京は無事かもしれないが、明日はどうなるか分からない。その時はまた誰かの手を借りるのだし、あまり完璧主義に陥らずに、ただし忘れることなく、それぞれが少しずつでも継続して助け合いの気持を形にしていったらいいんじゃないかと思う。