よっしーMJの健康・感謝・感動ブログ

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UFO、宇宙人、龍…奇跡のリンゴ農家のもとに現れた不思議なものたち

2011-09-15 12:33:01 | 健康・感謝・感動

週刊SPAを観ていたら面白い記事を見つけたので紹介させていただきます。

   感動的な半生が綴られたノンフィクション『奇跡のリンゴ』(幻冬舎刊、石川拓治著)がベストセラーとなり、TVドラマや舞台化(V6の長野博主演『りんご―木村秋則物語―』)するなど多くの人たちに感動をもたらしている。
“奇跡のリンゴ農家”こと木村秋則氏。
世界で初めてリンゴの無肥料・無農薬栽培を成し遂げたことで知られている。
 2007年、NHK「プロフェッショナル」出演で一躍ブレイクし、今や国内外問わず農業指導や講演会にひっぱりだこだ。日本の農業の流れを塗り替えるような活躍をしている、まさに“農業界の大スター”だ。

  木村氏の自宅があるのは、桜の名所でも知られる青森県弘前市。木村氏のリンゴ畑からは地元の名山・岩木山がとても美しく見える。そんな岩木山は津軽一之宮である岩木山神社のご神体でもあり、古くから地元の人たちの心のよりどころとしても親しまれてきた。
近頃は、某スピリチュアルカウンセラーも「青森県随一のパワースポット」としてメディアで紹介し、全国区に知られ始めている岩木山だが、愛好家の間では「UFOがたびたび目撃される場所」としても有名だ。

  そんなミステリアスな場所でもある岩木山にほど近い町で生まれ育った木村氏だが、高校生のころから「龍」や「宇宙人」、「UFO」はもとより「謎の大きな鳥」も最近目撃したというからただ事ではない。
しかも「宇宙人に拉致された」こともあるというから、なおのこと聞き捨てならない。
聞けば、臨死体験もしたことがあるという。

 「龍やUFOが存在するというのは、常識では考えられないことです。
それを知っていて私は『あの世へ行った』『宇宙人に拉致された』といっているわけですから、常識を疑われても仕方ないですよね。
でも、私はそんな体験があったからこそ、無肥料・無農薬でリンゴを実らせることができたのかもしれないとも思います。
取り組み始めてから、成功させるまで10年くらいかかりました。
達成までの過程では、食事さえままならない極貧生活で、消費者金融何十社に借金をしていた時期もありました」
  
  木村氏が借金をしていた時代はバブル真っただ中。リンゴは「金のなる木」としてリンゴ農家がもうかっていた時代だ。
そんな時代に逆行するように木村氏は極貧生活をし、無農薬・無肥料のリンゴを実らせるため四苦八苦していたのである。

 「数えきれない失敗を繰り返してきましたし、思いとは裏腹にどん底生活でした。
家族に苦労ばかりさせていましたが、家族全員が心をひとつにしてあきらめないで取り組みました。
だからこそ、リンゴの木が実らせてくれたのだと思っています」

  自殺まで考えていた木村氏は、思いつめて入った山のなかで成功へのヒントをつかんだ。
  そんな木村氏の成功を後押ししてくれたものが、先に述べた龍や宇宙人など不思議な存在たちなのかもしれない。
歌舞伎役者・市川海老蔵氏の結婚披露宴で木村氏のリンゴを使った冷製スープが供されたことでも話題になったが、海老蔵氏との親交のきっかけは「龍を見たという共通体験」だったという。

世の中には、不思議なことがいっぱいありますよね。
科学が証明でできたことというのは、本当に表面的な一部分だけだと思います。
目に見えない部分(心とか魂とか・・)は、なかなか一般に体験したことのない人には、理解しがたいものがありますよね。
しかし、ぼくはきっとあるのだと思います。
最近では、量子力学という学問があり、 米「タイム」誌はこのほど、2007年の「世界で最も影響力のある100人」の一人に、ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士(44)を選びました。
ランドール博士は、宇宙には次元が無限に存在する可能性を提唱し、現在世界で最も注目を集めている物理学者の一人である。
五次元というのを科学的に解明している。
東京大学でおこなわれた記念講演のユーチューブ画像をみたが、そういう”死後の世界””魂の世界”でさえ、化学的に解明される時代になったんだなぁと思いました。
それにつけても、無農薬”りんご”。
アダムとイブのころから、りんごは”霊力”のある食べ物だったのではないのでしょうか。
木村氏は死の一歩手前で、天からのヒントを得て、”アダムとイブのりんご”を作ることができたわけです。
発明をした人というのは、何百回、何千回の失敗をし、もう駄目だ!と一般の人があきらめる先に神様が“発見”を用意してくれているのがわかるのか?というくらいあきらめなかった人だけに与えられる称号なのだろう。