私の歩く旅 

歴史の背景にある話題やロマンを求めて、歩く旅に凝っています。ねこや家族のこともちょこっと。

長崎居留地~坂のお話

2012年09月19日 | 旧居留地

長崎居留地、と言えば、グラバー園や大浦天主堂を思い出します。

それから坂道。
長崎には自転車に乗っている人が多くはありません。
やっぱり、坂がきつ過ぎますものね。



⬆国宝大浦天主堂に続く階段。息切れします。
この辺りには神社、寺院もあり、祈念坂と呼ばれているそうです。




⬇斜面都市の眺め。グラバースカイロードから撮ったものです。




東山手地区の活水女学院も見えますね。
1879年エリザベス・ラッセル女史によって開校された女子のための学校です。
本館はヴォーリズ建築事務所が手がけた歴史的建造物です。



明治時代はこんなふうに見えたようです。⬇




別名、長崎は斜面都市というのだそうです。
斜面にたくさんの建物がへばりつくように建っている、という人もいます。
長崎居留地は海岸に近い方から上等地、中等地、下等地に分けられていたのだそうです。
海沿いの上等地には貿易のための商館や倉庫が建てられ、中等地には
銀行、ホテル、娯楽地があり、
海や山が眺められる下等地には、個人の邸宅や教会などが建てられました。




⬇国宝大浦天主堂の横にある重要文化財「旧羅典神学校」



国内の神父を養成する初めての学校だったそうです。



グラバー園の中に入ると居留地の標石が⬇



旧三菱第2ドックハウス⬇
明治37年に建てられたものです。



旧リンガー邸⬇




旧スチール記念学校⬇


学校の階段らしいですよね。


あまりよく撮れなかったけれど
グラバー邸です。



グラバー邸を出てから
南山手伝統的建築地区を歩きました。一回り30分ほどです。






⬆個人のお宅 お医者さんだったようです。
⬇マリア園




⬇どんどん坂



はい、ここまで来て、本当に疲れました。
この日は10キロは歩いたようです。約2万歩。
けっこうがんばっています。

次回の東山手伝統的建築物地区に続く。



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洋館で一休み~オランダ坂ケーキセット

2012年09月08日 | 旧居留地


長崎はあまり大きな街ではありませんが、
可愛い市電が走っていて、初めての観光客でも十分ひとりで
観光地を回ることができます。
それに駅前の観光案内所に行けば、テーマごとに地図や説明の載った
パンフレットをいただけます。

私はまず、朝早くグラバー邸に行き、見学。
その後、長崎駅まで戻って眼科にかかりました。
何と旅行中に「流行り目!」(ウィルス性結膜炎)になってしまったのです。
ちょうど長崎駅真上にあるホテルに泊まったのですが、
運良く駅ビルの中に眼科がありました。
まさか、長崎で眼科にかかるとは思ってもみませんでした。
「流行り目」強力ウィルスです。
長崎居留地を回リながら、左目から涙がポロポロ。
完治まで10日ほどかかりました。

さて、目薬をもらって、居留地巡りを再開しました。
活水女学院へ行くオランダ坂の途中の洋館。
可愛いカフェがありました。



オランダ坂ケーキセット 500円なり。



ここには長崎居留地研究会のメンバーが在駐していて、観光客の
様々な質問に答えてくれます。
今年は秋に「全国居留地研究会」の長崎大会が開かれるということで、
皆さんとても期待して準備を重ねているようでした。

お話が弾みました。
何しろ居留地やお雇い外国人の興味のある人はあまり多くないので、
質問するとすぐに応えてくれる同じような興味を持つ方々は貴重です。
(ある意味、とってもマニアックな趣味です)

何だか私も全国大会へ参加してみたくなっちゃいました。




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旧香港上海銀行長崎支店~影と光の建築家

2012年09月03日 | 旧居留地

誰とでも仲よくなれる人もいますが、
そりが合わない、相性が悪い人との出会いも時々あります。

写真⬆は明治の建築家「下田菊太郎」が設計をした旧香港上海銀行長崎支店で
下田の作った建造物で唯一現存するものです。
国の重要文化財に指定されています。

下田菊太郎は秋田県角館の出身で、工部大学校に進みます。
ちょうど、辰野金吾が工部大学校の教授でした。

近代建築界の権力者であった「辰野金吾」は
(「プリンセストヨトミと辰野金吾」
http://blog.goo.ne.jp/yoshimotokeiko/e/5e31f89c1aba6b3f0e83296955176df6)

日本の近代建築の基礎を築いたお雇い外国人建築家
ジョサイア・コンドルから工部学校1期生の首席と認められ、
官費留学生としてイギリスに留学しました。

辰野金吾は何より出自にとらわれず努力と才能で立身出世が可能な
明治という時代を利用したといえます。
ハングリー精神があり、負けん気も強かったようです。

工部学校首席卒業とは、ヨーロッパからの帰国後、ジョサイア・コンドルの
就いていた地位を継ぐということです。
つまり、日本人の建築界の権力者になるということを確約されたわけです。

さて、下田菊太郎と辰野金吾はどうも相性が悪かったようです。
師弟の関係にありましたが、下田菊太郎は卒業1年前に
辰野金吾との関係に耐えられず学校を中退してしまいます。

下田はフランスで建築を学んで、主流(ジョサイアコンドルや辰野金吾のイギリス派)からは
外れていた山口半六(旧東京音楽学校 奏楽堂、兵庫県公館を建てた建築家)のもとに行きます。

山口半六の建てた奏楽堂(重要文化財)と兵庫県公館です⬇







その後、1889年(明治22年)アメリカに留学、
1895年(明治28年)AIA(米国建築家協会)免許試験に合格、
No471号を取得し、モナドノックビルに設計事務所を開設しました。
下田はアメリカで鉄骨設計を研究し、実践を積み重ねていたようです。

アメリカ人と結婚しアメリカに帰化もしましたが、
1898年(明治31年)一時帰国、東京に事務所を開き低廉鋼鉄建築法を日本に
普及させようとしました。
ところが、ここで建築界のドン、かつての教師、辰野金吾に妨害を受けます。
かなりひどい嫌がらせだったようです。
(あの東京駅を作った人なのに、、、と思ってしまいます)

1901年(明治34年)辰野は、下田の鉄骨鋼筋構造法に対して
「下田の如き小才子の言うことは皆出鱈目の大法螺である」と反対しました。
権力者に逆らっては東京で仕事ができません。
しかたなく、横浜で外国人を専門とする下田築造合資会社を設立することになりました。

そんな窮地に陥っている時に設計したのが
1902年(明治35年)香港上海銀行長崎支店です。



正面玄関から入ったところにある銀行の受付






階段


天井


そして下田菊太郎の写真⬇



独自の生き方を貫くいい目をしています。

旧香港上海銀行は長崎市の洋館の中では最大級で、1階部分を連続アーチのアーケードとして、
2・3階部分にコリント式の円柱を通した大オーダーとし、
その上に三角破風の屋根をのせるなど、海側の正面性を重視したデザインとなっています。

昭和63年(1988)建築後80年以上経過した建物は老朽化が進み、解体が決定しました。
平成3年(1991)、長崎市民を中心に「旧香港上海銀行を守る会」が発足、
長崎市議会に建物の保存を陳情したり、街頭での署名活動などをしました。
長崎市も建物の調査・保存修理に着手、最終的には老巧化した建物を半解体修理すると共に
長い年月の中で失われた装飾部などの復元を行いました。

平成7年(1995)、建物は建設当初の姿となってよみがえり、
平成8年(1996)10月に「長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館」として開館したそうです。

下田菊太郎はこの設計が終わってから、上海へと家族で移って行きます。
彼は本当に明治時代の国際的な建築家ですよね。

上海で実績を残した下田は日本の帝国ホテルの設計をしてほしいと頼まれますが、
結局、それは後にフランク・ロイド・ライトに変更されてしまいます。

下田は洋風建築の上に日本式の瓦屋根を載せる帝冠併合式(後に帝冠様式と呼ばれる)を提案
していました。
しかし、帝冠様式が徐々に認められて行くのは下田が亡くなった後だったということです。

下田は自分自身を「建築界の黒い羊」と呼んでいたそうです。
不遇であったのか、光を浴びていたのか、、、、

しかし、旧香港上海銀行長崎支店は老朽化したと言って
あっさり壊されて消えていくのではなく、
惜しまれつつ、壊されるのでもなく、
市民に愛され、市民のサポートで復活していったこと
これは下田にとっての90年後の光の部分だったのではないでしょうか。
下田は故人となってしまいましたが、彼が心血を注いだ建物はとても大切にされているからです。

素敵な建物です。
本当に目を見張るようないいデザインだと思います。


参考文献
http://ja.wikipedia.org/wiki/下田菊太郎
1981 林青梧「文明開化の光と闇 建築家下田菊太郎伝」相模書房 絶版
http://nagasaki-city.seesaa.net/article/31489142.html
畠山けんじ『鹿鳴館を創った男 御雇い建築家ジョサイアコンドルの生涯』河出書房新社



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長崎チャンポンで始まる居留地の旅

2012年08月29日 | 旧居留地


長崎チャンポンは東京にもあります。
チェーン店が有名ですが、時々食べるとおいしな~、とおもうのです。
これが本場の長崎だったら、どんな味なのでしょうか?

今回は所用で長崎市、温泉と小浜チャンポンで有名な雲仙市小浜に行きました。
こんなチャンスはない、と所用とは別に1日プラスして旧長崎居留地を歩きました。

長崎に着いて一日目の夕食は中華街での長崎チャンポンです。
おいしかった~!



太麺で、歯ごたえがあります。
具もたくさんチャンポンではいっていました。


さて、そのまずは長崎チャンポンのチャンポンの由来ですが、
http://www.mirokuya.co.jp/chanpon/history_chanpon.html 「みろくや」さんのホームページから


>>ちゃんぽん(チャンポン)・皿うどんは、深い関わりのあった中国の影響を受けて
長崎が生み出した日中混合の庶民の味として、名物のひとつとなっています。
ちゃんぽん(チャンポン)の語源には諸説あります。

中国、福建省の方言で簡単な御飯の意味の、喰飯(シャンポン)がなまったもの。
ポルトガル語の「チャンポン(混ぜる・混合するの意味)」がなまったもの。
当時の中国人の呼び方である「チャン」と日本人の「ポン」を取ってチャン+ポンと名付けた。



語源諸説から考えても、様々な文化の影響を受けた長崎らしい食べ物ですよね。

⬇の写真は小浜市の小浜チャンポン。
お寿司とセットです。




小さな街ですが、海岸沿いの温泉とチャンポンで有名になったそうです。
ついでに、大好きな魚のアラ煮を頼みました。
東京の3倍の量で値段は630円でした。



一人には多すぎでしたけど、完食ヽ(´o`;

下は温泉。贅沢にも一人で貸し切り屋上露天風呂です。



この日はお風呂も食事も満足して、ゆったり気分。
次の日の所用をこなして、
旧長崎居留地のたびの始まりです。

生まれて初めての九州は、なぜか鎖国時代から出島があり、
明治前後、外国人の居留地であった長崎でした。

嬉しかったです。




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築地居留地から発信された近代文化

2012年08月27日 | 旧居留地


築地居留地研究会の定例会に参加させていただきました。
築地居留地は
少し前の記事「佃島、石川島、築地2」
http://blog.goo.ne.jp/yoshimotokeiko/e/b57a25a58451b8c078ccbc78c36725c9
を参照していただけると嬉しいのですが、
今回、改めて、近代文化における築地居留地の重要性を認識しました。

ひとりでこつこつと居留地を訪ねて、その地の歴史や文化に触れる旅を続けて
来ましたが、やはり、他の方達とのネットワークの中で
今まで知らなかった新しいことを知る、それが大切だと思いました。

安政6年(1859年)江戸幕府は函館、横浜、長崎の港を開港し
外国人居留地ができました。
しかし、その後明治維新の動乱などで、江戸(東京)は
明治政府になって、明治元年、やっと築地居留地ができたのです。

明治時代になって東京に天皇陛下が移っていらっしゃいました。
明治時代の政治も東京が中心になりました。
(首都東京とはよく言いますが、首都の定義は未だ不確定なようです)
築地居留地は東京にある唯一の外国人居留地で
ここからも文明開化の大きな波が発せられたのです。



特に、女子学院、立教学校、立教女学院、学校がこの地を発祥とし、







聖路加国際病院も建設されました。



トイスラー記念館⬆⬇



外国の宣教師の団体が13もここに拠点を置いたということです。
文化や教育の面での中心地だったのですね。
とにかく外国の技術者や教育者も、まずはこの地に住んでいたのです。



ところで築地居留地研究会ですが、
築地居留地に関する研究会誌をすでに4巻まで発行し
居留地研究に大きな足跡を残しています。
居留地研究会の事務局長にお聞きしましたが、
現在、NPO築地居留地研究会の会員を募集中ということです。
東京の明治前後の歴史に興味のある方、ぜひ一度
毎月第4土曜日のランチミーティング(お昼の12時から2時ごろまで)に
参加してみませんか?
中央区明石町1-7の喫茶室アラジンで行われています。
(中央区立明石小学校や聖路加国際病院のすぐそばです)
すごく雰囲気のいい、気軽に参加できるミーティングです。

築地居留地委員会はNPO法人で中央区のホームページにも載っている
歴史ある団体です。

ランチミーティング、定例会などへのお試し参加も歓迎だそうです。
参加希望の方は
電話&FAX 03-3546-5054の築地居留地研究会事務局に
ご一報ください。

ちなみに、個人会員の場合入会金は1000円、年会費は3000円です。
詳しくは事務局の方へお問い合わせください。

さて、今日はPRの記事になってしまいましたが、
ランチミーティングの当日、私は聖路加国際病院のチャペルに案内して
いただくチャンスがありました。
(素晴らしい生の解説付です)

写真は細部にまでこだわったチャペルに入る階段横の照明。
聖路加国際病院の創設者トイスラー先生の遺骨の眠る手前のものです。



参考文献
第3回外国人居留地研究会全国大会in東京2010
「近代文化発祥の地 築地居留地」
NPO法人築地居留地研究会代表清水正雄
「築地居留地概要」p2~3




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