成城ガゼータ

やせっぽちガゼータ氏のおしゃべり人生

岡倉天心瞑想の六角堂も津波に持っていかれてしまった

2011-03-28 23:38:27 | Weblog
北茨城市五浦海岸に建つ岡倉天心の六角堂も津波で流され消えてしまった
新聞で六角堂被害のニュースを知ったとき
フラッシュで焚かれたようにクマルさん親子が脳裏に浮んだ

それはずいぶん前のある日ある週末
磯原に家を持つ友人の招きで
彼女の所に一泊させてもらったことがある
到着した夜はみんなでカレーをつくり
ワインを飲みながら
暖炉のそばに座り赤々と燃える炎を眺めていた

翌日は五浦海岸突端にある六角堂を見学しようと
磯原駅からタクシーに乗ったかしら、バスだったかしら…
思い出の一葉に写っているのは
大きな瞳の可愛らしい少年ふたりとその母親
そしてわたしたち
お行儀の良い少年と六角堂、白波が目に浮ぶ…







健気に咲く花が愛おしい

2011-03-25 19:16:30 | Weblog
地震後数日して気がつくと草木が芽吹き小さなつぼみをつけていた。
ヒヤシンスやチューリップなど養生が足りないので年々小さくなってきて
今年はもう絶対にダメだろうなと思っていたら
枯れ草の中から緑色の葉がすっと伸びてきて
数えられるほどの蕾があって
いちごミルク色の花が今日開いた。
厳しい環境のローズマリーも小さな青い花をつけた。






やれば出来るじゃんと叱咤される

2011-03-22 18:07:54 | Weblog
海江田経済相が大規模停電の恐れありと午後に緊急会見を開いた日、これはいかん!と急にこまねずみのように台所に急ぎ、夕飯の支度に取り掛かった。

母のおかゆをつくり、なけなしの知恵でゆで卵、スープをつくり、サラダっぽいものをつくり、豚肉と野菜を炒める。
出来上がったおかずは母用に刻み、お湯を沸かしてポットに入れる。
テーブルはご飯食器、ポット、乾電池、懐中電気、去年買ったハーブ入り虫除けキャンドル、マッチなどがならぶ。落ちて割れてはいけない豪徳寺の招き猫四体も棚から緊急避難。食卓の上はすごいことになっている。

よし、これでよい。母を促して夕飯を食べてもらい、急ぎベッドに押し込み、トイレの準備。

バタバタやった。母はこれで一日が終わった。その後自分の番。
帰宅を急ぐサラリーマンで駅はごったがえし、我家の中は飯炊き戦場。
いつもなら、夕飯の準備にぐずぐずとし、外が暗くなってからよっこらしょと作り出すのに、しかしこの日はどうだ。
「やれば出来るじゃん。いつもそれでやんなよ!」ともう一人の自分に鼓舞された。

停電は回避された。
災害地で不眠不休で働いている人たがいるのだ。
避難所でご飯も食べられない人たちがいるのだ。
無念にも亡くなった人がいるのだ。
美しい日本の自然が泣いているのだ。
現実だ。辛抱だ。

これからも節電でいかねば

2011-03-20 22:24:14 | Weblog
地震一週間後近所のスーパーと薬局で買物をした。
スーパー内は電灯が半分消され品薄になった棚が目立っていた。
食事の材料は店にあるもので間に合わせようと考えていたから、
無いならそれまで。

土曜日のためか店内には夫らしき男性も普段より多く見られ、
携帯で家の奥さんか誰かに商品情報を報告している。
テンションが上っている様子。
薬局では洗濯用洗剤と化粧石鹸を買おうとしたら銘柄など選べない状態。
どうしてこうなるの?
映画「渚にて」とか旧約「ノアの箱舟」が思い浮かんだ。

地域の桜まつりが中止となった。
地震津波原発などの恐怖、深く深く沈んでしまうほどの悲しみ
被災地の方の心を想うと
おまつりを開いても心が乗らないが、それでも桜は咲く。静かに花見をします。

大地震にオロオロするばかり

2011-03-14 23:12:04 | Weblog
3月11日午後2時すぎテレビからはいつものような野党が与党を攻めるだけの国会中継が流れていた。

ヘルパーさんと訪問医師が帰り、ほっとした気分で遅めのお昼を食べ、大臣の答弁を聞きながらパソコンを触っていた。そのとき突然警報音と画面に緊急地震速報が出た。東北地方だけど念のため母が寝ているベッドの傍に行き、頭にクッションなどを載せていたら、すぐに台所の方からガタガタガタという激しい音が響いてきて本棚の扉が半開きとなり、中からポプリが入っているガラスビンが落ちた。部屋中にポプリの香りが充満した。

国会中継はすぐにスタジオに切替られてアナウンサーの「非常に大きな揺れです。丈夫な物陰に避難してください」という声が繰り返えされていた。私は母の電動ベッドを下げたり手直にあった帽子をかぶせたり、テーブルの下にもぐってみたり、母から離れてはいけないと思い直し、再びベッドの傍に戻ったりを繰返していた。
揺れが一端弱まったとき、ガラス戸を開け、玄関ドアの鍵も開けたり、作動中のままだったパソコンの上に何かが落ちたら壊れてしまうと考え、電源を切ったりした。右往左往。あのときの自分の動きには何も意味もない。ただただ怖かったからじっとしていられなかっただけ。

どのくらいの時間母の上に身をかがめていたのか、ようやく一息ついた頃―まだ心臓はドキドキしていたが―テレビ画面には震源地に押し寄せる初期津波が写しだされていた。

すぐに携帯電話で従妹に連絡したが全く通じなかった。固定電話でもダメだった。
何度も繰返したが誰にもつながらなかった。恐ろしくて誰かと話さずにはいられなかったのだ。

しばらくして菅首相らが防災ジャンパーに着替えて会見室に現われた。
首相が会見室に入るときや会見台に乗ったりするときにお辞儀をするのが、もどかしく鈍い感じがしてならなかった。
被災地の姿は悪夢を見ているようで悲惨で絶望的な気持ちになったが、
助かるだろうか…助かって欲しい…心底祈り願わずにはいられない。

岡本、静嘉堂文庫美術館「岩崎家の人形展」を観て感じたこと

2011-03-06 17:40:25 | Weblog








美術館裏手の庭園を廻り、展示を見て 同族・財閥の使命とは…を考えた。

暖かな土曜日「卯年の春を祝う 岩崎家の人形展 桐村コレクションのお雛様を迎えて」を鑑賞してきた。
静嘉堂文庫美術館正面玄関へは、この日は個人的に得意とする裏手からではなく、堂々正門から入った。でもそれだけではつまらない。それで左手の自然保護地区内を通って行くことにした。柔らかな朽葉を少しすべりながら行くと見上げるほど急な石段が立ち塞がる。運動不足を実感しながら上る。一対の阿吽に護られているコンドル設計の岩崎家霊廟が現われるが、お参りはしないけれども静かに通り過ぎて行く。国分寺崖線上に建つ美術館へは、どちらのルートを取っても鈍った足にはおキツい。


昭和14年卯年岩崎小弥汰還暦祝いに作られた五世大木平蔵製木彫彩色御所人形がすごい。
「鯛車曳き」「楽隊」「宝船」「輿行列」「餅搗き」がずらり一列に並んでいる。
なにがすごいって人形たちは童子のような顔立ちなのだが、みな卯のお面を頭に載せて、着ている着物類の柄は三菱の紋入りだったりして…。輿行列の先頭には小弥太、真ん中の輿には孝子夫人の人形が楽しげに笑ってめでたやなめでたいなあ。

展示人形とともに還暦祝賀会の写真もあってとても興味深く見入ってしまった。
ひとりひとりお祝い膳が置かれた長く大きなテーブル上の真ん中に御所人形が行列して披露されている。
招待客は同族、三菱重役たち。25、6名はいるだろうか全員が還暦の頭巾とちゃんちゃんこを着て引き出物として配られた兎図柄の扇子を手にしている。

昭和14年といえば第二次世界大戦が起り、国民徴用令が発せられたり、木造建築物建築統制規則が施工されたりした年だが、真珠湾攻撃にはまだ2年余りあり大財閥一族には生活窮乏は関係なかったのだろうか。幸せな宴と見た。

宴が開かれた六本木鳥居坂にあった小弥太の本宅は空襲で焼失してしまったが、庭園は残されている。
現在ここはI Houseとなり、吉村順三、坂倉準三、前川國男らの共同設計としても有名。
我国を代表する建築家の作品、また小弥太一族を思いながらランチかお茶をしようか。

成城とウルトラマン商店街

2011-03-03 22:40:28 | Weblog
日常品の買物のため結構ウルトラマン商店街まで行くが、買った品の包みを渡してくれながら客に話しかけてくるのは、大抵地域で古くから商っている店だ。
会話といっても挨拶程度だが必ず声を掛けてくる。天気や商品自慢で『ようやく雨が上ってきましたねえ…』『少し暖かいと楽だねえ…』『このチューリップこれからたくさん開きますよ…』『お赤飯に小豆入れすぎて真っ赤だけど美味しいよ…』などなど。私も二言三言相槌をうちながら商店街を歩いていく。惣菜はけやきロードで、切花はどこどこで、お茶はあそこで、パンは福祉の店で、がんもどきはあちらで、普段使いのバッグはあの店でといった具合。考えてみると私が入るのは、ほとんどが古くからある店だ。なぜかそう。

成城にもそういう店はいくつかあるが、どんどん減っている。
宮崎屋、青柳、風月堂、アルプス、ニイナ薬局、小さな家電店、みんな昔からある。
スーパーの石井がまだ本当に石井だった頃、いつもしっかりと店員に目を光らせている店長さんがいた。顔なじみの客が入ってくると『まいどー、お久しぶりです』などと挨拶をしていた。ワインにも詳しく、あるときシャンパンの銘柄を尋ねたら調べて自宅まで電話をくれた。いま石井は名前だけになってしまい、おまけに値段が高くてたまにしか入らない。

その石井の隣には古くて小さな書店があった。近藤書店だったかしら…。勤め帰りにすっと立寄れてパラパラとページをめくれる店だった。仕入れの本も結構個性があって面白かった。ある時の夕方のこと、客が本の取り寄せを依頼したら、老主人が『じゃあ明日注文出します』と答えた。そうしたらレジ担当の老妻がすかさず『5時にはまだ5分あるんだから、いますぐ版元に電話しなさいよ!』と夫に言った。その命令口調がなんとも可笑しく嬉しかった。その近藤書店も店を閉めてしまい、石井が店を拡張した。つまらなくなった。

最近ワイン会のランチで祖師谷商店街にあるイタリアン・レストラン「フィオッキ」を利用したが美味しかった。阿会長は昔事務所が祖師谷にあって、駅前の焼き鳥屋などで一杯やっていたそうだ。『ここもすっかり変わってしまった。う~む』と溜息をついていた。