成城ガゼータ

やせっぽちガゼータ氏のおしゃべり人生

女の長電話

2012-02-15 20:07:10 | Weblog
はがきでご機嫌伺いをする代わりに
手っ取り早く友人に電話する
一応話してよろしいかなどと確認をする
早く終わらせますなどと伝えるが

時候の挨拶に始まり
体の好不調について
大体において不調の話が多い
実はね…などと本題に入るもそれからそれへと脱線する
それぞれの出来事を挟み込むから
もうエンドレス状態になる
1時間経過するころ
長電話を詫びるが
そこからまた新たな話が始まる
お互いようやく電話を終わらせようと
言葉の端々に決着を着けようと努力を試みるが
あまり効果なく終着駅はほど遠い
ようやくお別れの挨拶までもっていくが
再び三度お体お大事に
家族の皆さんも気をつけてと
お互いを気遣い
気がつけば延々とさよならが続く

昨年3.11の地震後数週間は
電話の最中にグラグラと余震があると
「あっ!じゃね」と言ってさっと電話を切っていたのに





ブラームス交響曲第1番第4楽章

2012-02-04 18:46:15 | Weblog
「小澤征爾さんと、音楽について話をする」新潮社発行はタイトルのとおり、小澤征爾と村上春樹が音楽について話をする。全ページただひたすら純粋音楽のこと。

本書<第二回カーネギホールのブラームス>の中で語られたはなし。
ブラームス交響曲第1番第4楽章ではホルンが印象的な序奏部を吹く。
『ホルンは2人。だが同時に吹くのではなく息継ぎの間があかないように2人で短く重ね合わせて交代せよ。とブラームスは指示している。続くフルートのソロもホルンと同じ手法』とマエストロは教えてくれる。村上春樹と小澤さんはレコードを聴き比べ『ほらこのところ』などと楽しそう。
スコアを読むことは早朝にするとか。村上春樹も執筆は早朝4時から始めるそうだ。何事か集中して行うには朝早くが肝心らしい。

小澤さんは音楽史家でも音楽評論家でも作曲家でもないし公演をキャンセルしてしまうようなトラブルメーカーでもない。小澤さんの歩んだ音楽の道、一本道。斉藤先生、カラヤン先生、そしてレニーらと係わり合った時代、魅力ある話がたくさん出てくる。この大マエストロ達が若き小澤征爾を目にかけ指導し育ててくれたのだ。ページから発せられる小澤さんの言葉の数々は非常に専門的でありながら、人間味あり温かくノスタルジーにあふれている。村上春樹の音楽に対する博識(この作家はさかんに自分は素人と断っているが、私から見たら何が素人なもんか)と耳力、表現力、インタビューの巧みさにマエストロは言葉は長くないが真摯に答えている。対談の合間には紅茶や干柿を食べて大病後のエネルギーを注入している。ほっとする場面だ。

本書を読み出してから、一日に何度もサイトウキネン・オーケストラが1990年にベルリン、シュウシュビールハウスで録音したブラームス交響曲第1番を流している。音の出だしは一度聴いたら忘れないようなドンドンドンと打楽器の響き。小澤さんと村上春樹さんのお陰で時々神経をそばだてていつもよりしっかりと聴いている。
昔コンサートホールでこの曲を聴いたときなど、ただの素人ですので、途中何度か睡魔に襲われたが、第4楽章に入りオーケストラが例の美しい広がりのあるメロディーを奏で始めると、はっと目覚め、『おっ!このメロディーでしたか。歌ってますねえ』などと独り言を胸の中でつぶやき気持ち良く開放感に浸っていると、やがて音楽は怒涛のごとく最終楽章へとなった。
家庭での鑑賞はどうしても何かをやりながら聴くことになるが、それでも大いに楽しい。

ブラームスは1897年に亡くなっているが、あれ?建築家吉田五十八が3才のときだ。ということはブラームスは近代の人か。昔の人なのか新しい人なのかわからない。最近はこんな風にすぐに吉田五十八の生没年を基準にして考えてしまう。

小澤征爾さんは成城にお住まいで親近感は大きい。ご健康を取り戻されることを心から願っています。