成城ガゼータ

やせっぽちガゼータ氏のおしゃべり人生

岡本、静嘉堂文庫美術館「岩崎家の人形展」を観て感じたこと

2011-03-06 17:40:25 | Weblog








美術館裏手の庭園を廻り、展示を見て 同族・財閥の使命とは…を考えた。

暖かな土曜日「卯年の春を祝う 岩崎家の人形展 桐村コレクションのお雛様を迎えて」を鑑賞してきた。
静嘉堂文庫美術館正面玄関へは、この日は個人的に得意とする裏手からではなく、堂々正門から入った。でもそれだけではつまらない。それで左手の自然保護地区内を通って行くことにした。柔らかな朽葉を少しすべりながら行くと見上げるほど急な石段が立ち塞がる。運動不足を実感しながら上る。一対の阿吽に護られているコンドル設計の岩崎家霊廟が現われるが、お参りはしないけれども静かに通り過ぎて行く。国分寺崖線上に建つ美術館へは、どちらのルートを取っても鈍った足にはおキツい。


昭和14年卯年岩崎小弥汰還暦祝いに作られた五世大木平蔵製木彫彩色御所人形がすごい。
「鯛車曳き」「楽隊」「宝船」「輿行列」「餅搗き」がずらり一列に並んでいる。
なにがすごいって人形たちは童子のような顔立ちなのだが、みな卯のお面を頭に載せて、着ている着物類の柄は三菱の紋入りだったりして…。輿行列の先頭には小弥太、真ん中の輿には孝子夫人の人形が楽しげに笑ってめでたやなめでたいなあ。

展示人形とともに還暦祝賀会の写真もあってとても興味深く見入ってしまった。
ひとりひとりお祝い膳が置かれた長く大きなテーブル上の真ん中に御所人形が行列して披露されている。
招待客は同族、三菱重役たち。25、6名はいるだろうか全員が還暦の頭巾とちゃんちゃんこを着て引き出物として配られた兎図柄の扇子を手にしている。

昭和14年といえば第二次世界大戦が起り、国民徴用令が発せられたり、木造建築物建築統制規則が施工されたりした年だが、真珠湾攻撃にはまだ2年余りあり大財閥一族には生活窮乏は関係なかったのだろうか。幸せな宴と見た。

宴が開かれた六本木鳥居坂にあった小弥太の本宅は空襲で焼失してしまったが、庭園は残されている。
現在ここはI Houseとなり、吉村順三、坂倉準三、前川國男らの共同設計としても有名。
我国を代表する建築家の作品、また小弥太一族を思いながらランチかお茶をしようか。

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