成城ガゼータ

やせっぽちガゼータ氏のおしゃべり人生

震災復興住宅「清澄長屋」

2013-08-20 21:14:35 | Weblog
もう数週間前のことだが、通称「清澄長屋」を見てきた。

旧東京市営店舗向住宅、いわゆる「清澄長屋」は清澄通りを門前仲町方面に向かって一列に建ち並んでいる。昭和が残るレトロな一画。

関東大震災の復興事業の一つとして昭和3年に東京市が建てた店舗住宅と資料に書いてある。
深川界隈の有名な近代建築。今年築85年、私はこの長屋の存在を知った。とても嬉しい。

清澄長屋は2階建で1階が店舗、2階が住居となっている。
年月と共に住民らがそれぞれ屋上的小部屋を増築していて、全体に低層3階建てに見えるが、軒高はそれなりに統一されている。
また改装などで概観のデザインも手を入れているようで、店舗の意匠が少しづつ異なっているのが面白い。
自然についた時代色が時代を物語り『おしゃれバラック店舗長屋』とでも呼ぼうか。
建物は清澄庭園の塀にくっ付き庭園内の鬱蒼とした木立が長屋の背景となっている。
旧財閥と江戸東京庶民が理解・協力し合って町を作っているような趣でなかなかの景色だ。

深川図書館に近い長屋のひとつ、和菓子屋「藤村」で芭蕉せんべい、芭蕉最中など数点買い求めた。
個人的建物探検・見学であったが、灼熱下歩きは五感にも心にも刺激的だった。

かつて下田菊太郎という建築家がいた

2013-08-18 21:53:42 | Weblog
林青梧著「文明開化の光と闇 建築科下田菊太郎伝」を読んでいる

近代~現代、辰野金吾とその人脈らの建築作品を
「光」と言うのなら
藤森照信氏が別の本で紹介しているように
自らを黒羊と呼んだという
異端の建築家下田菊太郎は確かに闇なのか

下田菊太郎
慶応2年秋田県角館に生まれ

新しき時代を迎え青雲の志
下田菊太郎東京へ
工部大学校で建築を学ぶが
辰野金吾教授に疎まれ嫌われ

故意かうっかりか辰野教授
下田だけに卒業製作の指示をせず
視察のためヨーロッパへと旅立ってしまう

ここまで排除され、下田は退学を決意
単身アメリカへ渡り
サンフランシスコの建築事務所で
ドラフトマンとして働き
RC構造建築を学ぶ

ライトの秘書だった
ローズ・キャンベルと結婚
ライトとの関係にもひびが

米西戦争を機に下田はローズを伴い日本に帰国

辰野博士のと確執はさらに大きく深く
赤坂離宮
東京駅舎
国会議事堂
下田の建築案はことごとく拒否される

昭和6年
下田菊太郎死去
没後82年
現存する建築作品
わずかにひとつ

文明開化から近代へ
歴史の流れの中
下田は闇か裏か

下田菊太郎という建築家が
かつていた


城下町川越を巡る~五月、夏日、高校生の歌声は青葉ゆらす風に乗り~

2013-05-16 23:54:01 | Weblog
川越駅11時半元気に出発 
蔵造りの街の店舗がほとんど5時にのれんを仕舞うことに驚きつつゴール

コース 
蓮馨寺~熊野神社・銭洗弁天~
成田山川越別院~喜多院~日枝神社~
浮島稲荷社~川越城富士見櫓跡~三芳野神社~
川越城本丸御殿~
札の辻~菓子屋横丁~時の鐘~蔵造りの街並み

喜多院はさすがに大きく境内は広い
開運団子とか厄除け団子を売っていた
食べれば良かったと思っている

浮島稲荷社と三芳野神社はおきつね様が護っていたが
誰でも近寄ったら容赦はしない!とばかりに
口を大きく開き、鋭く睨み付け威嚇している
♪こわいながらも 通おりゃんせ~通おりゃんせ~♪

富士見櫓跡までは
曲がり曲がり細い道を行く
川越城には天守閣はなく
三ヶ所に櫓があったそうで、
富士見櫓跡と言われなければ
見落としてしまいそうだ
それでも、大きく根を張った樹木や
こんもりと盛り上がった山の雰囲気は
隠された歴史を語りかけてきそうだ

櫓跡へと石段を上がっていると
あれ?どこからか風に乗って
イタリア民謡『帰れソレントへ』が聞こえてきた
原語で真っ直ぐに歌う男性コーラス
ただいま練習中という感じは
最後のパートを教師らしき声;テナー、が張り上げた見本を聴かせ
再びコーラスが続き、仕上がった
ブラボー 櫓跡から拍手
地図で確認すると隣に県立高校があった
男性コーラスはここから流れてきたんだ
屋上で歌っていたのか
窓を開け放った教室からなのか
高校生と若葉の輝きに甚く感動し
青春という文字を思い描いた

川越城本丸御殿から横道にそれたりしていたら
新河岸川に出た
今回は帰りの時間が迫っていたので
川をぐるりと巡ることはあきらめた
次回には必ず小道、川道、路地に入り込み
おまけの道草をしたい












新歌舞伎座の瓦屋根の復活を希望

2013-05-07 21:26:31 | Weblog
一滴二滴雨粒が瓦屋根の上に黒い染みを付けていく
大胆な構図で雨と瓦の美しい絵を描いたのは
福田平八郎の『雨』

新歌舞伎座デザイン発表時
正面瓦屋根部分に屋上庭園を造ると知ったとき
なぜ瓦を主役にしないのだろうか
なぜそんなことするのだろうか?と感じた

工事のベールがはがされて
建物全容が現れたとき
正面上方にデッキブラシのような草が見えた

先日歌舞伎座の五階に上がり
日本庭園を歩いて見たが
数分ほどで一周してしまう
草木には樹木名がつき
公園でもあるまいし
庭園にする意味がわからない

庭園を造らなければ
日本の屋根と瓦の重なりの妙を
眺めることが出来るのに

日本に瓦屋根がどんどん減っている最中
歌舞伎座よおまえもか
こんなに残念がっているのは
私だけかしら?

これって本当に隈研吾氏の設計?
でもちゃっちい感じがするのは
やはり氏のデザインか…


方向感覚なき者、ましてや地図も持たないと

2013-05-04 22:20:35 | Weblog



芝公園駅から赤羽橋を通過し
なつかしの町麻布十番へ

十番大通りからそれて
横道、坂道をこまごま歩いているうち
いつも通り方向感覚を失った
はて?ここは?
立ち止まり考えもせず
細い横道があれば入り込み行き止まる
坂が見えれば上ってまた下る
愚か者よ
暗闇坂から始まり
元麻布、大黒坂、薬園坂
蔦の絡まる安藤記念教会
静かな寺
どこからか聞こえる子供の声
大使館、領事館の内からだ
いったい我はいまどこ?
鳥居坂に行きたいのに!
おおっ!これは!
四の橋に出てしまった
一応驚いてみる
でも、もう安心
どこにいるのかわかったから
四の橋、古川、三の橋、
二の橋、一の橋
漸く再び十番に到着

さて
鳥居坂Iハウスで飲んだ
一杯のビールが美味しかった
迷い道に魅了され続けた
祝祭日であった