成城ガゼータ

やせっぽちガゼータ氏のおしゃべり人生

東五反田 池田山 誰もいない道

2012-08-22 23:36:40 | Weblog
池田山を少し探訪
五反田駅から坂をのぼると住居表示は東五反田に
灼熱の道は車がたまに通り過ぎるが
人は歩いていない

旧正田家跡の「ねむの木の庭」に入る
ここで美智子皇后は
戦後の風を受け
自由溌剌と 躾もきちんとされて
お嬢様としての青春時代を過ごされたのか

美智子さんがお母様をなくしたとき詠んだ歌があり 
ヤマボウシの下でしばし立ち尽くした

昼時 池田山は静まり返り
昭和の時代から平成へ
大きな屋敷は要塞のような姿に変貌し
外側からは庭も見えず
生活がうかがい知れない

さて
池田山を下り
桜田通り沿いにある雉子神社にがっかりしながら
高輪から品川駅へと向かった







岩波茂雄という人物

2012-08-19 22:06:04 | Weblog
岩波書店創業者岩波茂雄が昭和21年熱海惜櫟荘に於いて66才の生涯を閉じた後、昭和33年に娘婿の小林勇によって書かれた「惜櫟荘主人―ひとつの岩波茂雄伝―」を古書店から買い求め読んだ。

岩波書店店員からは「先生」と呼ばれ、若い住み込み店員をさん付けで呼び、哲学思想で日本を導いた怒涛のような人生であった 傑物 そして岩波自身の言葉のとおり明治っ子であった
 
可笑しかったのは、岩波は趣味の登山では、頂上に近づくと同行者の足などお構いなしで自分だけものすごい勢いで先を目指して行ってしまう とても無茶な登山者だったそうだ
また 先生はすごいせっかちで、蕎麦を食べるときにはものすごい音をたててあっという間に食べてしまった という 
岩波文庫 岩波講座 岩波新書を世に出し 刊行の辞を表わすために筆を走らせている岩波茂雄の姿を思い浮かべた 

この書籍はクロス製本で立派で重たかったが、中身もずっしりとした一代を築いた人物の重たさであった