散歩と俳句。ときどき料理と映画。

調布市布田へ7 祇園寺 3

山門から入り直して薬師堂の前の石仏を見に行く。

寺の名と宗派が記された石柱が建つ造りの山門の名称がわからない。たんに寺標柱とでもいうべきか。

五つの石仏が並び右手奥にもう一体の坐像。
手前の左は顔が削り取られたように見える地蔵菩薩。

その横は右に〈奉納念佛供養⬜︎⬜︎〉の銘文。
左の銘から寛文13(1673)年の造立の念仏供養塔だとわかる。

足元に1円硬貨。

中央には舟形光背型庚申塔。
日輪、月輪、主尊は青面金剛像、下に三猿。
〈奉納庚申供養 為二世安楽〉の銘文。
造立は元禄15(1702)年9月の文字。
〈佐須村〉銘が刻まれている。

青面金剛の足元には10円と1円の硬貨が供えられている。
11円である。

その右は地蔵菩薩だろうか。
延宝4?年の銘。
こちらの足元には1円硬貨が2枚。

右端の小さな坐像はなんだろう?
一瞬一猿の庚申塔かと思ったが、
よく見ると猿ではない。
地蔵菩薩だろう、失礼なことであった。

本堂に向かって右には閻魔堂。

本堂は1978年に再建されたものだという。

水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」では
この本堂の下が妖怪の集会場として登場しているとのことだが、
ワタシは読んだ覚えがない。

水木しげるさんは調布にお住まいだったから、
このあたりを散歩されたりしたのだろう。

植え込みの中に大きな猛禽類の像があり、
その傍の歌碑は中西悟堂の歌が刻まれている。

〈思ふこと みな砕けゆく だゆらを 恃みつつ組む 調息の坐か〉

中西悟堂といえば日本野鳥の会の創設者である。
そしてこの寺の88世住職中西悟玄の養子(甥)で、
10代の時期を祇園寺で過ごしたとのこと。

中西悟玄は明治の自由民権運動を支持し、
板垣退助率いる自由党の党員でもあった。

明治41(1908)年、板垣総裁とその領袖1000余名が
馬車を連ねて祇園寺境内に参集し、大演説会が催されたとのことだが、
この境内に1000人を超える人間が入るとは思えない。

そのさいに板垣の手で植えられた〈自由の松〉と名付けられた
二本の赤松の樹があるらしいが確認はできなかった。

水木しげるから中西悟堂や板垣退助など、
思いがけない名前に出会えた寺であった。


〈続く〉

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