末社五社の稲荷神社の祭神は保食神(ウケモチノカミ)だが、
普通は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)である。
どちらも食べ物のカミだが、ウケモチノカミは『日本書紀』にしか登場しない。
『古事記』に登場するウカノミタマノカミは
『日本書紀』では別名倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と呼ばれる。
木造宇迦乃御魂命坐像(滋賀県守山市・小津神社所蔵、重要文化財)、平安時代の作。
メンドーなことであるが、ウケモチノカミは『日本書紀』において
〈アマテラスの命でおとずれたツクヨミノミコトを
口から食物をだしてもてなし、きたないとおこったミコトに殺される〉
ツクヨミノミコトに殺されるウケモチノカミ。
そりゃ汚いよ。しかし殺すこともなかろうに。
『日本書紀』にはそのあたりのことを次のように書く。
〈天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。
月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、
海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。
月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。
それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。
それで太陽と月は昼と夜とに分かれて出るようになったのである〉
このエピソードはワタシは子どものころに読んだ記憶がある。
また
〈天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。
保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、
腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。
天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、
民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした〉
う〜む、このハナシも確かに読んだな。
『古事記』については数年前からまた読み直しているが、
『日本書紀』は子どものころ読んだきりである。
こういう神話というか、カミとヒトの関係については
意外と記憶の深層に残るものなのかもしれない。
天地開闢以降のカミとヒトの食物をめぐるかかわりは
〈食物起源神話〉と呼ばれるが、
たぶん世界中の神話の中にいくつもあるのだろう。
たしか白土三平さんの「神話伝説シリーズ」でも描かれていたのではなかったか。
もう手元にはないが調べてみるとインディオの穀物神話に依拠した
「ナータ」(小学館文庫『サバンナ』に収録)という作品がある。
保食神の原型は〈ハイヌウェレ型神話〉と呼ばれ
世界各地に見られる食物起源神話の形式のひとつである。
この〈ハイヌウェレ型神話〉は殺されたカミの死体から作物が生まれたとするもので、
その典型的な例としてインドネシア・セラム島の神話がある。
ハイヌウェレ。
ここで生成する食物はさまざまな芋類である。
このクニの食物起源神話において生成するのは五穀ということもあり、
中国南部から伝わったハナシではないかとする仮説がある。
『山海経』には、中国南部にある食物神・后稷の墓の周りには、
穀物が自然に生じているとの記述がある。
現在のところこのクニと朝鮮の神話の対応関係は
〈朝鮮の創生巫歌の物語からイザナミの結婚、日月の誕生、宇宙分治、誓約、
天岩戸、食物神殺し、八岐大蛇退治までの伝承は明らかに朝鮮系であることがわかる〉
という説が有力である。
この南北に伸びた列島に人々がどのような神話を携えて
渡来したかはとても面白いテーマである。
もちろんそれは『古事記』『日本書紀』が造られるずっと以前の無文字時代のことである。
〈食物神というだけでなく、「頭から牛馬が生まれた」ということから牛や馬の神ともされる。
東日本に多い駒形神社では、馬の神として保食神が祀られており、
さらに「頭から馬」ということで馬頭観音とも同一視されている〉
という説はどうだろうか。馬頭観音と同一視する神社が存在するのだろうか。
〈続く〉