散歩と俳句。ときどき料理と映画。

原当麻の無量光寺へ 3

鐘楼の横には熊野権現を祀る社がある。

時宗では熊野を聖地としていることはよく知られている。そ
れまでは皇族や貴族ら上流階級のものであった熊野信仰を庶民にまで広げたからである。
熊野権現の本地は阿彌陀如来というが、まあ本地垂迹についてあれこれ語る能力はワタシにはない。
この社は以前は村人たちから「オクマンサマ」と呼ばれ親しまれていたらしい。

緑濃い境内の坂道を山門に向かう。

この山門は前回も書いたが、明治26(1893)の火災で唯一残った建造物になる。
扁額には〈当麻山〉の文字。
腕木門の親柱の背面に袖をつけ、屋根をかけた高麗門と呼ばれる形式の二脚門。
高麗門とは〈正面左右の二本の本柱に切妻の屋根をかけ、これと直角に控柱を本柱の背後に立てて切妻屋根をかけたもの。城郭の外門などに多く見られる〉とのこと。昔の時代劇映画でよく見たような気がする。その場合は左右に塀が続く。

この山門の手前右にふたつの庚申塔があった。
どちらも主尊は穏やかな表情の地蔵菩薩。下には三猿。

左端にある石塔も庚申塔の可能性はあるが、風化がはげしく読み取れるものはなにもない。
その右横の庚申塔は上部に窪みがあり雨水が溜まっている。

もしかすると上に笠が乗っていたのかもしれない。
〈享保五〉の銘があるから1720年の造立。
その横に〈相劦高座郡下當麻同行十八人〉の文字。
劦は州の俗字だと思われる。すると相模の国の高座郡となる。

背面には十名の名前が刻まれている。

右は立派な宝珠をいただく笠付きの角柱型。
建立年などの銘は消えているので不明だが、元禄13(1700)年という説もある。

山門から坂道を下って総門へ向かう。
総門の先は相模川になるのだがここからはまだ遠い。

総門から入り直してもう一度境内を歩くことにする。

〈続く〉

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