境内に引き返したところでもうあまり見るものもない。
朽ちた地蔵菩薩像。こういうのはとても心が惹かれる。
もともと本堂があった場所には一遍の像が置かれている。
時宗の寺にあるのはほとんどこの像である。
雛形があるのかもしれない。
ひたすら暗い……。
とても暗い顔で、肖像画も同じように暗い顔である。
この顔で念仏踊りをやられても、観客は落ち込んでしまうのではないだろうか、
いや、その陰鬱な気分を立て直すために踊るのかもしれない。
踊りや歌、念仏はひたすら打ち込めば忘我の域に達するのだろう。
そこで現実の世界に涅槃があるかのような錯覚に陥る。
この国の仏教の各宗派の教えの違いとはなんだろうかとふと思う。
根本は仏陀の教えだろうが、各宗派にどれだけの違いがあるのだろう。
以下に主だった宗派の開祖を並べてみる。
天台宗=最澄
真言宗=空海
浄土宗=法然
浄土真宗=親鸞
融通念仏宗=良忍
臨済宗=栄西
曹洞宗=道元
黄檗宗=隠元
日蓮宗=日蓮
ほかに法相宗、華厳宗、律宗、そして時宗など。
こまかく見れば十三宗五十六派が存在する。
結局仏陀の教えをどう解釈するかの違いだろうが、
これを世界的に拡大すると宗派、分派はさらに増える。
いくつもの寺を回っての単純な感想を言えば、
仏陀の教えよりも各宗派の開祖ばかりが目立つ。
まあ宗教とはそうしたものだろう。
それよりは庶民がその教えをどのように受け入れたのかを考えてみる必要がある。
上の写真は境内の道の両側に広がるおびただしい数の石仏群。
新旧の三界萬霊塔が向かい合っている。
この三界萬霊塔の横に置かれた仏像はまるでマリア観音のようでもある。
総門を出て右に県道相模原町田線を歩き、
相模川に合流する八瀬川を超えたところに大きな当麻土地改良記念碑。
その前に文字のみの庚申塔2基と常夜灯ひとつ。
庚申塔の造立年などは不明。
背面になにか文字があるが、強い日差しの影になり目の悪いワタシには読み取れない。
八瀬川はこの先で相模川と合流する。
文字だけの無骨な庚申塔が二基。
丹沢山地にはまだ雪が残っている。
原当麻駅に戻る途中、山道の入り口にあった石塔。