ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

韓国の詩事情

2006年01月24日 21時02分33秒 | 詩に関わる話
 暇つぶしにネットを巡回していたらこんな記事を韓国の中央日報の日本語サイトで見つけました。何でも詩の世界でも、いよいよ韓流が起こりつつあるとかで、あの詩学1月号で韓国詩を特集しているとか。リンクの記事上で詩学が権威あるって書いてあるけど、ちょっと大げさな気がしないでもないのです。韓国の詩壇は、日本の現状とは大きく異なって文学界でも大きな位置を占めているとか聞いたことがありますし、日本の現代詩とは異なって、メッセージ性のある詩が多いようです。熱情的、喜怒哀楽のはっきりとした国民性が詩に顕れているのかも。
 どう判断されるかは、リンクから記事を読んでみてくださいね。

中央日報「今度は「文学韓流」…韓国の詩が日本で人気」
URL: http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=72039&servcode=700§code=700



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相田みつを、正直知りませんでした

2006年01月13日 12時47分35秒 | 詩に関わる話
 現代詩手帳、ユリイカを読み漁っていた頃はもとより、現代詩フォーラムに登録し詩を投稿するようになっても「相田みつを」知りませんでした。
 現代詩フォーラムで時たま彼の詩について云々されている記事にふれて、「相田みつを」、赤川次郎とかの流行作家なのかな?なんて勝手な事を考えて、あまり気に止めませんでした。
 で、添付したリンクのニュースを知って、驚きました。7万人もメルマガ登録されているのですねえ。しかも月額210円と有料配信なのに、この登録人数、月の売上は1470万円もあるんです。あの谷川俊太郎でさえ、到底届かない数字なのかな?
 どうも下卑た考え方で相田ファンの方からお叱りを受けそうです。書家そして詩人相田みつを、大正13年生まれ、平成3年に67歳でお亡くなりになられた方なんですね。トンネルズの木梨主演で彼の生涯を描いたドラマ「にんげんだもの」まで2004年にテレビ朝日で放映されていました。(当然、観てない(~_~;))
 う~ん、知らないとは怖いものです。美術館まであるのですよねえ、一度は訪れるべきなのかな?でも、Yockは何で知らなかったのだろう?そして、こんなにも多くの方に愛されていて、美術館のHPに記されている来館者の感想文を読んで見ても、いかに彼の作品にふれて感動したのかが切々と綴られています。
 詩、やはり難しい!



相田みつをの詩、携帯で配信 世代超え人気、7万人登録 (朝日新聞) - goo ニュース


相田みつを美術館
http://www.mitsuo.co.jp/museum/index.html



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詩も見た目が9割?

2006年01月10日 19時31分02秒 | 詩に関わる話
 某夕刊紙の書評に新潮新書刊・竹内一郎著「人は見た目が9割」が紹介されており、面白そうな内容なので会社の帰りがけ、早速書店で購入してしまいました。本の内容については、Yockなりの書評として追々紹介したいなと思いますが、成る程なあと感心したのは、夕刊紙の書評自体です。引用すると「本もタイトル9割」、それから「ここには書いていないが、言葉で作られている文章も同じだろう。人はしばしば内容より、リズムや間の気合に踊らさせる …中略… 文章も見た目が9割らしい」
 う~ん、確かにそうだよなあ、詩も確かに見た目です。グニュグニュ書いてある詩よりも綺麗に行分けされていて白行の具合も程好い詩は見ただけで読みたくなります。また、現代詩フォーラムの様に、四十六時中投稿詩で溢れているようなサイトだと、移り気な読み手の気を引くタイトルも重要です。
 まず、タイトルで読み手の気を引き自詩へのリンクをクリックしてもらう。そして、詩行の美しさで感動の世界に誘い込む。そう考えると、確かに現代詩フォーラムでタイトルも良し、詩行の美しさも良しの詩ほどポイント多いような気がします。反面、詩自体の内容は素晴らしいのだけどなあと損をしている方も確かにいらっしゃるようです。

 つまり、詩って料理なんです。美味しそうな料理、食べて美味しい料理は確かに見た目も良くって、オレって美味しいっす!って自信ありげにアピールしてますよね。


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何故、他人の詩にケチをつけるのか

2006年01月09日 22時39分46秒 | 詩に関わる話
 ネットなり詩の雑誌なりパブリックな場所に投稿されている詩を読んで、ケチをつける。それは技法に対してであり、また内容に対してであると思います。何が書いてあるのか判らない、甘ちゃんな恋愛詩ぢゃないか、表現方法が古臭くてカビが生えていそうだ、そもそも詩作の基本がなっていない。そんな感じで読み手は詩を読んでケチをつけるのだと思います。
 じゃあ、なんでケチを付けるのだろうか?それは引き出し奥深くに仕舞われた個人的な日記では無く、詩と言う芸術作品として書かれている事を認知しているからだと考えます。つまり、書き手の感情とか詩を書くに至った経緯とかとは分離し、一個の独立した詩と言う芸術作品に対してケチを付けるのでしょう。
 詩とは批評に値するもの、この共通認識があるのであれば、書き手も当然にして批評され得るものとして詩を書き、それをパブリックな場所へ投稿するのだと考えます。
 迎合とは異なる、詩を読まれるものとして了解の上で、作詩するのであれば、そこにはルールというか何かがあるような気がします。「それが詩学って言うものだよ」と言われそうですが。
 では、ちょっと視点を変えて、誰かと対面で会話する場合を想定してみると話し手は聞き手の判り易いように話さなければ会話は成立しませんし、聞き手も話し手を注視し、話す内容を理解する努力が必要です。そうでなければ、互いに好き勝手言っているだけになってしまいます。
 そう考えると、詩とは書き手と読み手とのコミュニケーションの手段であるとの考え方も成立します。つまり書き手は思いが正しく伝わるように詩を書き、読み手も書き手の思いを汲み取る努力をする事が詩の前提となるのでしょうか?

 でも、読み手を拒絶する詩もあるのは確かな気がしないでもありません。う~ん、結論出てこないなあ。もう少し考えてみたいです。



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路上派の詩人を越えてしまいました

2005年12月26日 22時47分31秒 | 詩に関わる話
 ひとつの目標としていた現代詩フォーラムのポイント数が皆さんのお力添えにより1100ポイントを超える事が出来ました。本当にありがとうございます。
 ちょうどその辺りに今年の3月ぐらいまで投稿されていた詩人天野茂典さんがいらっしゃいます。天野さんのプロフには路上派の詩人であると自己紹介されていて、70年代にはギンズバーグ詩集の訳で著名な諏訪優さん主宰のポエトリーリーディングに参加され、吉増剛造、白石かずこ、吉原幸子、中上哲夫、八木忠栄各氏と、そうそうたるメンバーの方々とフリージャズのコラボをおこなっておられました。
 そんな方をYockみたいなのがひょいと乗り越えて良いのかなって正直思わざるを得ません。
 天野さんがフォーラムに参加されたのは自宅焼失のショック、心の病の快癒から1年後の04年6月より始まっています。(詳しくは以下のリンクをご参照下さい)初投稿はペンキ職人と言う作品です。『ペンキ職人/天野茂典』と自己紹介のように始まる詩行、詩人ではなくペンキ職人と名乗る。10年間の空白を乗り越えた天野さんの自負心、意気込みを感じてしまいます。
 そして天野さんは今年の3月9日に投稿された410作品目の詩『ぼくの手はふつうなのだが』を最後に投稿を休止されています。プロフにも休止された理由についての記載は無く、またリンク先のHPを覗いたのですが、そちらも更新を停止されているようです。(HP自体は生きていますが…)
 
 天野さんを超えるときは何ちゃってビート詩でとか密かに思っていました。でも、いつものとおり思うだけで終わってしまいました。でも、これからのヒント、天野さんの詩に求めてみたいです。(無理かな?苦笑)



天野茂典さん(現代詩フォーラム)
URL: http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=972&from=menu_u.htm

花祭り舎(天野さんのHP)
URL: http://www.ceres.dti.ne.jp/~moten/


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詩を投稿しつづける事

2005年12月20日 23時35分50秒 | 詩に関わる話
 ノート(紙切れ1枚でも)と筆記用具さえあれば、ひとりでも詩を書くことは出来ます。でも、詩を独り立ちさせる事、そして、その事を続けるのはひとりでは決して出来ないと思います。
 以前、記事にしたかと思いますが(記事にしてないかな?)詩は基本的に日記だと思います。個人的な思いを綴った日記として書かれた詩はあくまでも日記に過ぎず、何らかの方法により外界に向って発表し独り立ちさせる事により、はじめて詩という作品になると思っています。
 たとえば現代詩フォーラムのような投稿サイトに投稿し続ける。それは世間の荒波に素っ裸で飛び込むようなものですから、あまりにも心細く、どなたかの応援が無ければ途中で挫折してしまうと考えます。
 Yock自身は決してひとりで詩を書いているとは思っていません。現代詩フォーラムに投稿し始めてから大勢の方々より心温かい声援をいただけたからこそ、ここまでこれたのかなと思っています。
 ひとりでは生きられない。この事は世間一般との関わりに留まらず、詩作活動においても同様なのかなと思ってしまいます。総ての創作活動もそうなのかな?


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朗読の聴き方

2005年12月05日 23時44分24秒 | 詩に関わる話
  昨夜NHKで宮沢賢治に関する番組(イーハトーブ幻想曲~宮沢賢治・音楽の旅)を放映していました。
  たまたまNHKにチャンネルを合わせていて視聴したのですが、チェリストの倉田澄子さんが賢治縁の地である県立花巻農業高等学校(旧花巻農学校)を訪ねたり賢治の作詞作曲した曲の紹介、演奏及び歌詞、詩の朗読を聴く事が出来ました。
  特に印象的だった曲は精神歌という歌です。この曲の作曲は賢治自身ではなく川村悟郎という方で当時盛岡高等農林学校の学生さんで、賢治とふたりで宿直時などに学校のオルガンで曲の手直しを行っていたエピソードが宮沢賢治の詩の世界というサイトに紹介されています。そして、この歌は今現在も花巻農業高校で歌い継がれているとの事。また、賢治祭の最後には全員で合唱する慣わしになっているそうです。
  この歌の歌詞は文語体ですし、普段聴いている歌とは異なり歌詞の意味はかなり捉えずらいと思います。それでも聴く人の心を捉えて放さないのは何故でしょうか。それは番組で朗読された詩篇にも言える事です。
  言葉の意味を頭で考え理解する作業を行うのではなく、心で直接言葉を捉える事が詩の朗読を聴く際に必要なようです。こう書くとテクニカルな面を強調しているように思われてしまうかも知れません。しかし、私達が歌を聴くとき歌詞全体の意味を総て理解しながら聴く事は通常は行わないのではと考えます。
  ふと耳にした歌のフレーズが耳に残る、歌を聴いて胸を締め付けられるような感動を覚える、これらは心で歌を聴いているからだと思います。だとしたら詩も同様かなって考える訳です。
  普段目にする書かれた詩を読む作業とは全く別の地平で詩を味合う事、それが朗読かなって思います。心を開いて、無心の境地で詩を受け入れてみる。言葉の意味自体を捉えるのではなく、心に響く音として受けとめてみる。朗読の正しい(?)聴き方はこんなものかなって思います。
  どうやら、書かれた詩ばかりに触れている弊害なのかも知れません。言葉はそもそも生きているものであり、書くことは、それらを記録する手段にすぎないのですから。


    精 神 歌

          宮澤賢治作詞

          川村悟郎作曲

1 日ハ君臨シ 輝キハ 

  白金(ハクキン)ノ雨 ソソギタリ

  我等ハ黒キ 土ニフシ 

  マコトノ草ノ 種マケリ

2 日ハ君臨シ 穹窿(キュウリュウ)ニ

  漲(ミナギ)リワタス 青ビカリ

  ヒカリノアセヲ 感ズレバ

  気圏(キケン)ノキワミ 隈モナシ

3 日ハ君臨シ 玻璃(ハリ)ノマド

  清澄(セイチョウ)ニシテ 寂カナリ

  サアレマコトヲ 索メテハ

  白堊ノ霧モ アビヌベシ

4 日ハ君臨シ カガヤキノ

  太陽系ハ マヒルナリ

  ケハシキタビノ ナカニシテ

   



宮沢賢治の詩の世界
URL: http://www.ihatov.cc/index.html



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詩を作る(書く)アイテムについて

2005年12月02日 22時00分29秒 | 詩に関わる話



  皆さんは詩を作るとき何を用いられますか?ネット詩の場合、大抵はパソコンだったり携帯電話だったりしますよね。辞書で言葉を確認しながら相変わらず紙のノートに手書きをされている方もいらっしゃるかと思います。でも、独断と偏見になりますが、もやは少数派なのではないでしょうか。手書きはされても、言い回し、語句の確認はパソコンで行われる方もいらっしゃるかも知れませんよね。

  一番手ごろなのが携帯電話のメモのようです。Yockも思いついたフレーズを書き留めるのにもっぱら携帯電話を使用しています。でも、画面サイズがちょっと小さいので行変えの具合とか全体が良く見えないので、購入して殆ど使っていなかったPDA(クリエ)を最近持ち出しました。かなり古い機種なので文字変換がちょっと弱いのですが画面サイズは携帯よりも大きいしメモできる容量も携帯より大きいです。ご存知の方いらっしゃると思いますが、クリエはパームというOSで動いていますので、文字入力はグラフィティという特殊文字(速記文字のような感じかな)を用います。スタイラスってボールペンに似たもので画面に書き込みますので、何となく手書きをしている雰囲気も味合えます。

  残念なことにソニーはクリエの販売を中止しましたので、新機種はもう購入できません。最近やっと公衆無線LANが普及し始めたのにPDAはビックカメラでもソフマップでも扱っていません。(あっても店頭の片隅に申し訳程度に陳列されています)PDAはインターネットサーフィンにはちょっと苦しいけど、スケジュール管理もできて便利なんだけどね。

  ちょっと話が横道にそれました。てな訳でしばらくはクリエで詩を書いてみようかなって思っています。昨日投稿した「優しい関係」はクリエで書いた第1作目となります。



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詩を理解すること

2005年11月12日 21時48分49秒 | 詩に関わる話
 良い詩は時空を越えて、いつの時代でも共感を得られるものですし、読む人の心を捉えて放さないものだと思います。でも、その詩の書かれた背景を知れば、その詩について、また、その詩を書いた詩人についてより深く理解出来るのかなと思います。

 良く言われるのが『荒地』の詩人達により書かれた詩についてだと思います。戦中の言論弾圧、敗戦により、これまでの思想、信条が180度ひっくり返り国内に怒涛のように流れ込んだ、アメリカから自由主義(資本主義)そして、ソビエト、中国からは社会主義、共産主義、濁流のような社会の動きの中で詩人達は『死』を原点として新しい詩の地平を求めたと言われています。

 詩を書かずにはいられなかった心の起伏、心を揺り動かしたものが、どのようなものであったのかを掘り下げて理解する事により、詩の言葉ひとつひとつの意味、詩人が詩を通し訴えたかった事が鮮やかに浮かび上がってくるのではと考えます。



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ポイントとともに消えるもの

2005年11月10日 20時48分09秒 | 詩に関わる話
 現代詩フォーラムでは投稿した詩に共感していただいた方よりポイントを頂戴できます。それは、詩の言葉を通じて心を通わせ、思いを共有していただいた証であり、とても大切でありがたいものです。ですから、その方より頂戴したポイントには感謝の言葉を、そしてコメントまでいただいた際には、お礼の言葉を添えるようにしています。

 でも、そのポイントを下さった方が現代詩フォーラムより退会されてしまうと、その方が付けたポイント総てが消えてしまいます。そうすると、何時の間にか消えたポイントの後には、その方に宛てたお礼の言葉が所在なげに、一人ぼっちで佇んでいるのです。

 まだまだ、拙い詩を書いていますので、それ程多くの方々よりポイントを頂戴している訳でも無いのですが、それでも暫く気付かない事があって、過去に投稿した詩を何気に開いてみて、あっと気付く訳です。

 退会されるのには、それなりの理由があるのでしょう。それでも身勝手な思いであるにしても、とても寂しいですし、儚さを感じてしまいます。また、その方の投稿された詩も全て消えてしまいますので、退会された時点で、その方の足跡は現代詩フォーラムには一切残っていません。ああ、この方はどんな詩を書いていた方かなと慌てても後の祭りな訳です。

 また、退会されなくても、良い詩を書かれる方だなと感じて『ひみつのお気に入り』に追加した方で、ここ何ヶ月か投稿していない方もいらっしゃいます。気になって、その方のプロフに記されているリンクより、その方のサイト、ブログを覗いてみると元気に詩を書かれていたりします。詩を書くこと止められていないのだな、元気でがんばっているのだなと安心する反面、どのような理由で、現代詩フォーラムに投稿される事を中止されているのかなと気になってしまいます。

 これが、この世界の決まり。そう言い切ってしまえば終わりの事で、何をつまらない感傷だとお思いでしょうが、一期一会、出会いは別れのはじまり。そんな事を思ってしまう、良く晴れた秋の日の午後でした。




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