ふしょうなブログ

ご不要になった詩は粗大ゴミでお出しください

詩を投稿しつづける事

2005年12月20日 23時35分50秒 | 詩に関わる話
 ノート(紙切れ1枚でも)と筆記用具さえあれば、ひとりでも詩を書くことは出来ます。でも、詩を独り立ちさせる事、そして、その事を続けるのはひとりでは決して出来ないと思います。
 以前、記事にしたかと思いますが(記事にしてないかな?)詩は基本的に日記だと思います。個人的な思いを綴った日記として書かれた詩はあくまでも日記に過ぎず、何らかの方法により外界に向って発表し独り立ちさせる事により、はじめて詩という作品になると思っています。
 たとえば現代詩フォーラムのような投稿サイトに投稿し続ける。それは世間の荒波に素っ裸で飛び込むようなものですから、あまりにも心細く、どなたかの応援が無ければ途中で挫折してしまうと考えます。
 Yock自身は決してひとりで詩を書いているとは思っていません。現代詩フォーラムに投稿し始めてから大勢の方々より心温かい声援をいただけたからこそ、ここまでこれたのかなと思っています。
 ひとりでは生きられない。この事は世間一般との関わりに留まらず、詩作活動においても同様なのかなと思ってしまいます。総ての創作活動もそうなのかな?


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2 コメント

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孤高の芸術 (kw)
2005-12-25 14:28:07
詩に限らず、全ての言葉は、しまったままでは一人だけのもの…ですよね。

なんだか、愛の告白に近しいものを感じます。

愛する人に伝えられなかった想いの掃き溜めが詩であり、芸術であり。



そして、詩に付いた感想が、次の作品のネタになったり(笑)。

交流を頻繁に行う方の書かれる文章は、洗練されていますものね。

Yockさんの作品も、多くの方の想いを重ね、深みを増しているのだなと、過去→今の経過を見ると、それが良く解ります。



僕も見習わなくては。
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交流すること (Yock)
2005-12-25 16:34:32
kwさん、どうもです



確かに交流を通してインスピレーションを触発しあうのかも(^^)結構他の方の詩にコメントを書き込んでいたりするとネタ浮んできたりします♪

そんな意味では会話と一緒かも?なんて思ったりもします。



ありがとう(^o^)丿

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