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明日、やろうかな・・・

思い立ったが吉日というが、ちょっと始めては、すぐ他の事に興味をもってしまう。
そんな日々のメモ帳。

『虐め』とは何か? 

2012-07-05 | 戯言
動画サイトで

「僕は虐められています」という動画を見た。


真偽は分からないが、

本当に虐めを受けて、あの動画をUPしたとしたなら、


その中で罵倒していた相手は、

何も出来ない、

「自分自身」に対しての様に聞こえる。


虐めを受けていながら、

誰にも言えず、

逆らえず、

抵抗できず、

そして、その自分を否定する。


歪んだ恨みが、

関係の無い、一般の人々に向かってしまう。


危険な発想であり、

何も解決にならない。


だが、


その「自分自身」を肯定する事が出来たら?

何も出来ない、

言い返せない、

相談も出来ない自分を、


「それでもいいか?」と思えれば、


少しでも変わっていけるのではないだろうか?


「イジメる」と「イジメられる」のは、

僅かなパワーバランスであり、

その差は、殆んど無い。

その人の、タイミングでどちらにでも成りうる。

今は、虐めていなくても、

いつでも実行できる能力は持っている。

絶対にやらないとは言い切れない。


物理的な虐めも、

精神的な虐めも、

基本的には自然淘汰の一環でしかないのではないか。


どちらも、

本人にとって、つらい事だが、

虐められた経験は、

虐めた事しか無い人にとって、

未知の経験になる。


そういう意味では、

『虐められる=負の経験』とも言える。


人生の中では、

『負の経験』が山のようにある。

それを、乗り越えられなくても、

経験をしているのと、

全くの無知とでは、

受けた時のインパクトが違う。


『最悪』を多く経験する事で、

「アレよりはマシだ」という比較が出来る。


『イジメ』は、

無くすものではなく、

『自分自身を変える機会だ』 と思えれば、気が楽なのだが。


世の中には

『仲間』 『友人』 

そして、

『敵』 が居る事を知らなければならない。



『義務』と『権利』

2012-05-29 | 戯言
よく耳にする、

「義務教育だから、給食も税金でやればいいのに」

という、暴論。


たしかに、


義務として教育を行っているのだから、

その、付随的に給食サービスがあってもいいのでは?

という、思いは分からなくはない。


だが、


『義務教育』というのは、

『義務的に教育を受けなければならない』 のではなく、

『親の義務として、子供に教育を受けさせなければならない』 という事。

つまりは、

親の勝手で教育を受けさせなければ、義務を履行していない事になる。

子供にしてみれば、『教育を受ける権利』であるという事だ。


『権利』であるから、受けないのも自由ではあるが。


そして、


親の義務である以上、

当然、

そこに掛かる費用は、親が負担すべきだが、

教育に関わる費用は皆で分担しようと、

教師や教科書、施設の利用料は税金でまかなっているのが現状だ。


じゃあ、『給食は?』となると、


子供に食事を与えるのは、

親の扶養義務である。


子供を持つ親の責任として、

当然の義務だろう。


他にも 『義務を勘違い』 した発言を耳にした。


『警察官の義務感』 という言葉。


警察官が犯人を捕まえる。

もしくは、

法律違反者を検挙する。


こういった行為は、警察官に与えられた 『特別権』 だ。

つまり、

警察官本人が考え、行動し、その権利を行使しているわけだ。

権利だから、行使しなくても良い。


行使する理由も無く、権利を乱用してはならないという法律もある。

だが、

『義務感』に燃えて、勘違いしている警察官もいる。


「犯人は捕まえなければならない」と。


凶悪な犯罪者が相手であれば、

特に義務感を持つ事に対して、

差し支えないと思うが、


軽微な犯罪、


交通違反、軽犯罪法違反、など、

かなり、『職権乱用』に近い行為も目にする。


速度違反者を検挙する為、

速度違反する事を予測しながら隠れて待つ行為。


違反者を追いかける為、

気付かれない様に、

『サイレンも赤色灯も点けず』

速度をオーバーして追いかける行為。


道路交通法上では、

『緊急車両は速度制限のこれに当たらない』となっているが、


サイレンも、赤色灯も点けていない車が、

他者から見て、その 『緊急車両』 に見えるのか?


彼らが行っているのは 『権利であって、義務ではない』 のだ。

他人を危険に晒してまで行使して良い 『権利』 があってはならない。


逮捕するというのは、

『目的』ではなく、

『手段』だという事だ。


義務と権利は表裏一体。

権利を主張するなら、その義務を果たさなければならない。



独占禁止とカルテル禁止は誰の為?

2012-04-17 | 戯言
独占禁止法。

カルテルの禁止。


一見、両者とも、


不当な販売などに対して、

公正取引委員会なんかが、

注意したり、排除処分を下したりする事。


例で言えば、

独占禁止法に抵触するのは、

他の販売店を、

資金力で異常なダンピングを行い、

その地域から一掃した後、

また、金額を戻し利益を独占するやりかた等。


カルテルに抵触するのは、

企業間で、

価格の上げ幅等を事前に、決めて置いて、

消費者が知らず知らずに、

高く買わされる事等。

いわゆる、『談合』ってやつ。


・・・ん?


どちらも、消費者目線の様で、

なんか、違うような・・・。


確かに、安く、安定して買える様に感じるが、

本来、

企業も、消費者であり、

消費者は企業の一員である。

顧客に対して、必要な金額を提示するのは自然だ。

そこに、不必要な金額を乗せる事を、取り締る。


これが、『公正取引委員会』にあたるわけだけど、


どうやって、不必要だと決めるのか?

根拠は何か?


これだと、


適正価格を公正取引委員会が決めてるみたい。


いずれ、


全ての物が、

利幅1円なんて事になりかねないのでは?


利益なんて必要ないだろうと思うと、

そんな事はない。


利益が無ければ、

新しい事業への資金も無く、

賭け事の様な設備投資も、出来ない。

企業の成長に関しては最大のデメリットだ。


適正価格って何?と言えば、

原材料+人件費+設備費+諸経費等で構成される訳だが、

研究開発や、宣伝費、非営利目的の支出は何処に計上されるのか?


研究開発などは、

結果、掛かった金額だし、


宣伝費は、多く掛ければ、それだけ効果が高くなる。


非営利目的に至っては、

何も生み出さない、

言わば、

自己満足の様なもの。


他社と談合せずに、

他社の価格を参考にしながら、

価格を値引いたり、

値上げしたりは、

違法では無いのだが。


それって、


非接触の企業間談合みたいな。


異常なダンピングや、

談合による、インフレーションは、

避けたい所だが、


結局、消費者側が、

高いか?

安いか?

満足か?

不満か?

を、感じて対価を支払う。

それが、適正価格だと思うのだが。


最終的に、

企業が衰退すれば、

共に、

消費者も衰退する事を認識しなければ。


『独占禁止法を行使』するのは、諸刃の剣だ。


何処かの、愚かな政治家が、

「法律に基いて・・・」

「法律上・・・」

みたいな事を言っていたが、


法律は 『ツール』 であって、

全てでは無い。


使用できる状態でも、

使用しなくても良い。


使うか否かを決めるのは、

その 『人』 自身の考え方一つなのだ。




「死刑」の意味。

2012-02-24 | 戯言
刑務所は「隔離施設」か「更正施設」か?


とある国では、数百年~数万年なんて刑期があるらしい。

実際には、刑期が終わる時は生きていないので、

この場合、「隔離」していると言っていいだろう。


日本の場合、


基本的には「更正」させる事を目的としている。

「罪を憎んで、人を憎まず」と言ったところか。

しかし、「更正」が見込めない人間も存在する。


そこで、「死刑」が登場。


更正が見込めない以上、生かしておくのは、無駄と考えるからか?


しかし、


「殺人」を犯し、

明確な殺意があっても、

初犯であれば、更正が認められる。


殺害者が複数の場合は、

更正できるかより、

罪の重さで判断されるようだが。


まぁ、


初犯であり、

一人の人間を、

明確な殺意をもって殺したところで、

死刑にはならない。

せいぜい十数年で出てこられる。


これは、


時間によって更正されたと認めるわけだが、

日本の場合、

百人に1人の割合で、

再犯で同じ殺人を犯す人間がいるらしい。

さらに、

別の犯罪をしている者は、

2割弱くらいだそうな。

これって、更正してる?


とくに、


同じ殺人を繰り返す人に対しては、

一人目の被害者からしてみると、

「なんで最初から死刑にしなかったんだ!」と

言いたくなるだろう。


よく、殺人犯の弁護側が言う、

「心神喪失」って状態、

もしくは「心神耗弱」って状態。


「被告は、その時病気だったんだから、勘弁してね」って事らしいが、

 『人を殺して良い病気』 なんてあるのか?


だったら、殺された被害者側にも、

被告を死刑にする権利があってもいいのではないか?


「死刑は野蛮だ」という意見があるが、

明確な殺人は仕方ないと言えるのだろうか?


「死刑制度」は、


犯罪抑止でも、


見せシメでもなく、


被害者側の権利であり、

犯罪者の 「責任の取り方の一つ」 だと思うのだが。




人間に、『地球を破壊する能力』など無いハズだ。

2012-01-10 | 戯言
『地球温暖化』 を叫ばれて、何年たっただろう?


子供の頃は、

そう言われてれば、そういう物だと、

深く考えもしなかった。


『エコ』 だと言われれば、

ゴミの分別を行い、

無駄な電気を使わない様にし、

低燃費の車や乗り物を好んで乗っていたりする。


でも、これらは、


日本人として、 『もったいない』 の精神に近かったのかもしれない。


しかし、なんだろう・・・?


ふと、思うことがある。


地球上の気温は、せいぜい-50℃~+50℃程度。

宇宙空間には、もっと高い温度もあれば、低い温度も存在する。


地球規模で言って、人間の体積なんか、

部屋の隅に有るホコリ程度。


その人間がCO2を排出し過ぎたとして、地球環境に変化があるのだろうか?


それより、太陽の活動が活発か否か、

または、太陽との距離が他の惑星の重力により、遠近しないのか?

の方が、よっぽど影響が大きいはず。


いくら頑張って、地球温暖化を食い止めた所で、

宇宙規模の変化に何か打つ手が有るのだろうか?


単純に 『人間の思い上がり』 ではないのか?と思う。


きっと、


人間が、居ようが居まいが、

地球は存在し、


そして、


この何億年も形を変えなかったように、

何も変わる事は無いのだろう。


人間ごときが、地球を壊す事など、

到底、『不可能』 なのだと思う。