心穏やか委員会

笑い飛ばせば気分は上々。

人に優しく、自分に優しく

2019年04月22日 | 日記
わたくし、また一つ歳をとりました。
あ~あ、53・・・・・・・もう取り返しがつかない。
今年は、最近の私の家事に取り組む姿勢(ほぼ毎日洗濯)が評価され、ごちそうを作ってもらいました。


僕は横浜の根岸という街で生まれ育ちました。
祖母は僕の顔を見るなり「アルカポネ(ゴットファ-ザ-ね)みたいでちっとも可愛く無いわね。」とぬかし、
その後の長い嫁姑戦争の火ぶたを切ったと聞いています。


幼少の頃の遊び場は駅前の空地。特に野球に熱中し、カツオちゃんみたいに近所のガラスを1,2度割って逃げました。


ただ僕は極度の引っ込み思案で、家族や友達以外の人と話すのが苦手でした。
それに拍車をかけたのが父の死。
13歳で僕は、これからの不安から更に暗い闇に陥りそうでした。


それを救ってくれたのは、働き者で明るい母と中学の担任の先生でした。
先生は、僕を3年間自分のクラスに置き(多分)「○○はいい男だ!」とみんなの前でおだててくれ、合唱コンク-ルなどでは僕を必ず指揮者に任命するなど、とにかく淋しくならないよう盛り立ててくれました。
いまでも煽てられると良く働きます。見抜いておいでだったのですね。


高校は少し脱線しました。でも夕方、パンチパ-マで母の荷物を持って夕食の買い物に付き合っていたので、母はさほど心配しなかったようです。


18~20歳の間も脱線してました。あまり働かないフリ-タ-という感じです。
そして、これじゃマズイと専門学校に行き、23歳で就職しました。

僕は若い頃の脱線のみじめさが身に染みていたので、
勤続30年、仕事だけはまじめ一筋でやってこれました。


奥さんはよく「私はもっと勉強して大学行けばよかった」と悔やみますが、
僕は「え~?今のところ上出来上出来。人に助けられながらうまい事やってこれたよ」
と思っています。


僕のユルイ人生で学んだことは
僕のモット-「人に優しく、自分に優しく」であります。
コメント (10)
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