![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/34/d80899cb6c2bab3126229373782775d9.jpg)
本日(8月6日)は広島にとって特別な日である
原爆の日
です。今年も平和記念公園で式典が行われました。そんな広島電鉄でも例外なく特別な一日でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/e0/d05f5dca135623945285f10aaca7f79b.jpg)
原爆ドーム及び平和記念公園で式典が行われるに伴い、6号線に
臨時便
が出ていました。広島駅から原爆ドームへ向かう客で2・6号線は混雑しており、その対応のためでした。写真は元大阪市電の900形です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/76/ebdfee2aa3ac53907ddb625a08b5b450.jpg)
一番驚いたのが6号線の臨時便に
600形602
が入っていた事です。600形は元西鉄500形で、602が唯一の現存車です。何か、扱いにくいところがあるらしく、平日の朝ラッシュしか運行されず、しかも稼働率が低いと言われている車両です。そんな600形が6号線の臨時便として朝から昼間にかけて運用についていました(本日は土曜日ですよ・・・)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/70/fac6e5fcf0db5b8a1d7d17c18ce329b9.jpg)
被爆電車の
650形652
が3号線にて運用についていました。原爆が落とされた時も普段通り走っており、あれから66年経った今も普段通り走っています。まさに何かつながりがあるような気がしたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/87/81b7929ef52feb460e4a8b28920bbc08.jpg)
原爆が落とされた
8時15分
に原爆ドーム前に到着した5000形の2号線です。ホームに立っていた駅員は制帽を脱いで黙とうをしていたのですが、列車はいつも通り動いていたのです。特別な時でも列車はいつも通り動くことが当たり前である事を感じさせました。
その後、この列車に宮島口まで乗車したのですが、宮島口付近で線路内への立ち入りがあったため急停車しました。線路内に立ち入りしたのは鉄道ファンでもなく、老人でもなく、
サイクリングをしている人
でした。線路の側には道路があるというのに何で自転車を持って線路の中に立ち入りしたのか疑問に思ったのです。服装や自転車からしてサイクリングしている人だとわかったのですが・・・。その時、運転手は立ち入り者に対してすごい剣幕で怒鳴っていました。その後、立ち入り者は線路を横断して線路を出て行ったのですが、その直後に広島駅行きの列車がやってきたので、ひゃっとしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/12/8403bc768b5dd2199c2be2a46811022f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ef/d487bcf676047175c44f67a19a828b51.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a8/543f0fc7584ba59d8660068ea9b36b64.jpg)
こちらは通常のシーンですが、白島線で運用される1900形が江波車庫から出庫し、
八丁堀の接続線
を通って白島線に入ろうとしているシーンです。八丁堀の交差点で曲がるのも出入庫時の回送列車しか見れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/f8/e6f101f2a7292e638b3106e2eebf4a52.jpg)
白島線に入った1900形は八丁堀から客扱いを始めました。しかし、白島線のホームは上り線しかありません。それにもかかわらず、ホームの無い下り線で客扱いをしていたのです。初めて見たので驚いたのですが、こんなシーンは出庫時しか見られないものですね。
原爆が落とされてから66年、それでも広島は生き続けているものです。原爆の日に現地を訪れるのは初めてですが、これまで机上学習やTVでしか触れていなかった原爆の日という雰囲気を肌に感じる事が出来ました。
原爆の日
です。今年も平和記念公園で式典が行われました。そんな広島電鉄でも例外なく特別な一日でした。
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原爆ドーム及び平和記念公園で式典が行われるに伴い、6号線に
臨時便
が出ていました。広島駅から原爆ドームへ向かう客で2・6号線は混雑しており、その対応のためでした。写真は元大阪市電の900形です。
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一番驚いたのが6号線の臨時便に
600形602
が入っていた事です。600形は元西鉄500形で、602が唯一の現存車です。何か、扱いにくいところがあるらしく、平日の朝ラッシュしか運行されず、しかも稼働率が低いと言われている車両です。そんな600形が6号線の臨時便として朝から昼間にかけて運用についていました(本日は土曜日ですよ・・・)。
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被爆電車の
650形652
が3号線にて運用についていました。原爆が落とされた時も普段通り走っており、あれから66年経った今も普段通り走っています。まさに何かつながりがあるような気がしたものです。
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原爆が落とされた
8時15分
に原爆ドーム前に到着した5000形の2号線です。ホームに立っていた駅員は制帽を脱いで黙とうをしていたのですが、列車はいつも通り動いていたのです。特別な時でも列車はいつも通り動くことが当たり前である事を感じさせました。
その後、この列車に宮島口まで乗車したのですが、宮島口付近で線路内への立ち入りがあったため急停車しました。線路内に立ち入りしたのは鉄道ファンでもなく、老人でもなく、
サイクリングをしている人
でした。線路の側には道路があるというのに何で自転車を持って線路の中に立ち入りしたのか疑問に思ったのです。服装や自転車からしてサイクリングしている人だとわかったのですが・・・。その時、運転手は立ち入り者に対してすごい剣幕で怒鳴っていました。その後、立ち入り者は線路を横断して線路を出て行ったのですが、その直後に広島駅行きの列車がやってきたので、ひゃっとしました。
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こちらは通常のシーンですが、白島線で運用される1900形が江波車庫から出庫し、
八丁堀の接続線
を通って白島線に入ろうとしているシーンです。八丁堀の交差点で曲がるのも出入庫時の回送列車しか見れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/f8/e6f101f2a7292e638b3106e2eebf4a52.jpg)
白島線に入った1900形は八丁堀から客扱いを始めました。しかし、白島線のホームは上り線しかありません。それにもかかわらず、ホームの無い下り線で客扱いをしていたのです。初めて見たので驚いたのですが、こんなシーンは出庫時しか見られないものですね。
原爆が落とされてから66年、それでも広島は生き続けているものです。原爆の日に現地を訪れるのは初めてですが、これまで机上学習やTVでしか触れていなかった原爆の日という雰囲気を肌に感じる事が出来ました。
広電の撮影――との事ですが、写真を見て思ったのですが、広電の600形、考える程“謎”に道てるなぁ――と感じるのは、私だけでしょうか?
まず、“西鉄北九州線出身”と有りながら台車は大阪市電形です。
“西鉄の塗装”と銘打ちながら、色はやや明るめで屋根まで塗装がかかり。
更には、ドアの位置まで変えられている――つまり、“原型”を留めていないのです。
他から来た電車が“現状維持”で走っているのを見ただけに、余計に“謎”を感じてしまうのです。
更に、普段走らないのは、“ノッチが飛ぶから”と言うのを聞いた事があります。
元京都市電の1900形が「運転しやすい」と言う理由で全て健在なのに比べると、雲泥の差ですね。
そして、数少ない“汽車会社製”と言う事もあるので、気にすれば気にする程、“面白さ”に溢れた電車と言えるでしょうか?
私も、その“面白さ”に惹かれた一人です。
それでは、またです。
コメントありがとうございます。
600形は元西鉄500形ですが、入線時に西鉄時代とは明らかに異なる塗色変更とドアの配置変更などが行われ、途中で台車も元大阪市電のものに変更されていますね・・・。ただ、所々原型が残っていると思います。それにノッチが飛びやすいという事は明らかに扱いにくい車両ですね・・・。
コメントありがとうございます。
これはさすがに見てないのでわかりません・・・。出たとしても、八丁堀での折り返しはどうなるんでしょうね。
コメントありがとうございます。
宮島口から直通となると必然的に連接車となりますが、連接車があの渡り線を通ったという実績あるのかなと気になりますね・・・。
http://www.nicozon.net/watch/sm6837157
コメントありがとうございます。
動画拝見しました。本当に連接車が白島線への渡り線に入ってますね・・・。つまり、実績があったという事ですね。