斬剣次郎の鉄道・バス斬り

 拙者、斬剣次郎である。たった今から、鉄道・バスを斬る

関東鉄道バス 10年前の肖像

2013年11月24日 20時30分35秒 | バス
 今年は関東鉄道バスを撮影するようになってから
 10年
 になりました。2003年当時は京阪バスと京都市バスそして関西のバスを少々知っている程度だった私でしたが、いきなり関東鉄道バスの世界の中に飛び込み、多彩な車両群に目を奪われ、頭も混乱したと記憶しています。何せ、三菱ふそうだらけの世界の中で生きてきたのだから・・・。関東鉄道の世界について色々知ろうと合間を見つけて各地へ撮影&乗車に行き、色々と吸収してきました。これが、私が全国的に活動するきっかけでもありました。
 全国のバスを見るようになったきっかけを作った関東鉄道バスの2003年当時の様子を営業所ごとにレポートします。ただ、2003年当時は全ての管内を回ったわけでないので、鉾田、鹿島、波崎の写真がありません(これらの管内は2004年になって初めて行きました)。

 1.取手

 取手駅発我孫子駅行きに充当された1505TRです。かっては利根川を渡って我孫子駅へ向かう路線も存在していました。確か、本数は少なく、我孫子駅~天王台間の区間便が中心で、取手駅発着は出入庫的な感じでした。我孫子駅は千葉県にあるので、DPFを装着した車両が限定で入っていました。2003年当時はP代の車両がアウトでしたが、関東鉄道バスではP代でもDPFを装着し、我孫子駅まで乗り入れていました。


 取手には元西武バスの日デUAが多数在籍しており(各営業所も同様ですが・・・)、特にP代の元都区内車(中扉が4枚折戸)の富士7Eが多数いました。写真の9102TRは富士7Eでも最も初期にあたる車両で、側面行先表示器が小型になっている事がポイントです。このタイプは少数派でした。
 写真の取手駅~戸頭駅は今でも運行されていますが、一度廃止されていて、当時は廃止前でした。


 2003年に投入された日野HRの1870TRです。2003年は関東鉄道にとって初めてとなる中型ロングが入った年で、取手に日野、水戸に三菱ふそうが入っています。日野にとって初めてとなるノンステだったので、当時は話題になってましたね・・・。

 2.龍ヶ崎

 龍ヶ崎管内はあんまり足を運んでいなかったのですが、当時は万博車がまだ走ってましたね・・・。写真の1333RGは1985年式のいすゞ+富士5Eで、2004年春に9213RGの代替で廃車されましたね・・・。

 3.つくば中央


 こちらは自己発注のいすゞ+富士7Eですが、注目したいのは幕です。幕はひたち野うしく駅~つくばセンター~筑波大学中央間のものですが、系統番号が旧番号の時のものです。今は30系統となっていますが、30系統が付いたのは確か2002年頃だったような・・・。それ以前に別の系統番号が与えられ、一旦取りやめとなり、幕から系統番号を消していたのですが、一部車両は系統番号が残ったままでした。旧番号は12なんですね~。因みに当時は系統番号を消した跡を残した幕を装備した車両が多く走っていました。確か、つくば中央の車両が多かったですね・・・。


 こちらは二の宮団地~つくばセンター~筑波大学病院を結んでいたシャトルバスです。今のつくば市はコミュニティバスが充実していますが、当時は一般路線扱いでシャトルバスが運行されていました。確か、平日の昼間のみの運行で、本数はそんなに多くなかったような気がします。二の宮団地はつくばセンター~ひたち野うしく駅の路線が通っている道路の近くにあり、回転場もあったように記憶しています。


 こちらはつくばセンター~つくば市役所の路線です。つくば市役所は現在TX研究学園駅の近くにありますが、当時は谷田部地区にありました(TXみどり野駅の近く)。つくばセンターからつくば市役所へのアクセス路線が運行されていました。確か、42系統の枝線的な扱いで、つくばセンターから手代木団地を経由し、谷田部地区の中心部を通ってつくば市役所に至った記憶があります。当時は土休日に片道1本のみという免許維持路線でしたが、ほどなく廃止されています。因みに2006年につくバスが運行開始された時はいくつかの地域循環系統がつくば市役所に乗り入れていました(もちろんつくばセンターからつくバスで行く事も出来ました)。




 2003年9月1日より運行を開始したつくつくバスです。現在のつくバスの前身にあたるもので、つくば市コミュニティバスにとって初めてとなる有料バスでした。当時は松代近隣シャトル、春日近隣シャトル、センター地区循環、筑波急行シャトルの4路線があり、筑波急行シャトル以外全てつくば中央が担当していました。近隣シャトルはエルガミオ、センター地区循環はクセニッツCITY-Ⅰが専属で充当されていました。エルガミオに関しては一般路線塗色に前面のみオリジナルという中途半端な塗色でした。下の写真はセンター地区循環にエアロミディが代走で入った時のものですが、クセニッツCITY-Ⅰはたびたび故障が発生していたため、代走が結構出ていました。クセニッツCITY-Ⅰはつくバスにも転用されましたが、エアロミディMEの投入により、早々と廃車されてしまいました・・・。


 元横浜市交通局のエアロスターKの9119YTです。M尺が2台、K尺が1台関東鉄道バスに入りましたが、M尺はつくば中央に配置されていました。つくば中央の三菱ふそうは数が少なかっただけに目立つ存在でした・・・。

 4.つくば北

 自己発注の日野RJの1365TKです。当時は鹿島から転入してきてばかりで、営業所記号はシール貼りで、土浦200か 490のナンバーがピカピカでした。つくば北にとって唯一となる日野P-RJとして活躍した後、ここで廃車を迎えています。


 つくつくバスの筑波急行シャトルです。筑波急行シャトルはつくば北担当で、1861TKが専属で充当されていました。当時の筑波急行シャトルはつくばセンター~筑波庁舎間ノンストップでした(2004年から大穂庁舎にも停車するようになった)。しかし、筑波の中心部の筑波駅へは行かず、筑波駅へ行くには庁舎前にあるバス停(名称は忘れましたが・・・)から路線バスに乗る必要がありました。何か不便な感じだったのですが、ほどなく廃止されてしまいました・・・。現在の北部シャトルは筑波庁舎を通るだけでなく、筑波山口まで行くので便利ですが・・・。

 5.水海道

 元千葉内陸バスの9082MKです。元千葉内陸バスの日野HTは多くが土浦に配置されており、土浦以外では流通経済大学特定用として龍ヶ崎そして、水海道に配置されていた程度です。しかし、P-HT226AAなら、水海道の9082MKが唯一でした。それだけに貴重な存在でした。


 岩井西高校行きに充当された元西武バスの日デUAです。当時の水海道駅発着路線では土浦駅行きと岩井方面行きがそれぞれ1時間ヘッドで出ていて、土浦駅行きが毎時0分、岩井方面行きが毎時30分だったような気がします。しかし、今はいずれも減便が進み、わずか数往復というレベルになってしまいました。特に岩井方面は平日のみの運行になったし・・・。





 水海道で忘れられないのはやはり2003年11月末で一斉に廃止された水海道駅発着の零細路線3路線です。取手駅~守谷駅~水海道駅、水海道駅~勘助、水海道駅~藤代駅の3つで、末期は平日のみの運行で、特に勘助と藤代駅方面は1往復のみでした。取手駅~水海道駅は取手駅~守谷駅間の区間便が中心で、水海道駅発着は出入庫的な存在でした。取手駅~守谷駅間は現在とはルートが異なっていたのですが、どこを通っていたのかは思い出せません・・・。実を言うと、これらの3路線全ての便を1台の車両で回すという運用になっており、朝から取手駅方→入庫→勘助→藤代駅→入庫→取手駅という感じでした。
 この零細路線の廃止により、水海道駅発着路線は土浦駅方面と岩井方面のみとなり、現在に至っています。

 6.土浦


 1984年式の1266TCと1989年式の1438TCで、いずれもキュービックです。いずれも石岡からの転入車です。これは石岡が担当していた神立駅~つくば国際大学高等学校間の路線バスを石岡の分社化に伴って土浦へ移管した時に転属して来たものです。土浦所属になったとはいえ、土浦駅発着路線には入らず、専ら神立駅~つくば国際大学高等学校間の路線バスに入っていました。ただ、稀にいすゞ+富士7Eの1441TCが土浦駅発着路線に入っているのを目撃したぐらいかな・・・。1266TCは2004年に廃車され、1438TCは神立駅~つくば国際大学高等学校間の路線バスの関鉄観光バスへの移管によって関鉄観光バスへ移籍しています。


 土浦駅~土浦車庫の出入庫系統に入った1821TCです。この路線は土浦駅~協同病院を更に延長したような系統です。今は土浦車庫行きの設定が無くなり、土浦車庫発が平日朝に1本のみ運行されているだけです。


 2003年9月に投入された1867TCと1868TCです。その2台がたまたま土浦駅東口に来ていた時のシーンです。1867TCがスクールバス、1868TCが18系統に入っていたため、同時に来たわけです・・・。1867TCと1868TCは現時点で土浦にとって最後となる大型ノンステ新車で、以後は中型車の投入が続いています。


 2003年当時は元千葉内陸バスのブルーリボンが全盛で、土浦駅やつくばセンターに行くと、必ず見かける存在でした。そこで、写真は1985年式の9069TCです。9069TCは元千葉内陸バスの車両で初めて関東鉄道入りしたグループの1台です。この車両の特徴として出入口表示が表示窓になっています。このタイプは9067TC~9069TCの3台のみでした。2003年夏ごろに京成中古の投入により廃車されてしまいました。撮影当時は元鹿島の1295TCも走ってましたね・・・。
 因みに9069TCは私が撮影した中古車の中で最若番です。






 1985年式の元千葉内陸バスのP-HT226AAです。2003年当時はこれらの車両がそれなり走っており、所々見かける事が出来ました。この車両は詰め込み重視の仕様で、長尺だけでなく、座席配置も1&1シートで、二人がけは後部にわずかにあるだけでした。関東鉄道バスは昔から前中扉を採用しており、中古車とはいえ珍しい前後扉車でした。前後扉車だらけの世界の中で生きてきた私にとってなじみのある存在でした。
 しかし、2004年春の京成中古の大量投入と減車により、一斉に姿を消してしまいました・・・。




 こちらは1985年式の元西武バスの日デUA+富士5Eです。P-U32系の前期タイプで、2003年には9078~9080TCの3台が活躍していました。これらの3台はそれぞれ尺が異なっている事がポイントで、9078TCが長尺のN尺、9079TCが標準尺のL尺、9080TCが短尺のK尺でした。しかし、富士5Eは2004年の減車で廃車になってしまいました。近江バスの元西武バスを見てきているので、意外とすぐに馴染んだのを覚えています。



 こちらは元西武の9100TCと元都営の9104TCですが、2台とも元特定車です。関東鉄道に入った時に特定用としてハイバックシートに交換されていましたが、一般路線用に転用された後もそのままでした。そのため、数多い土浦の車両の中でも乗り得な車両でした。特に9104TCは1986年式ながらフィンガシフトでしたね。



 2003年12月に運行休止となった11C系統です。11C系統は土浦駅~栗原~つくばセンターを結ぶ系統で、数あるルートの中でものどかな所を走っていました。2003年3月のダイヤ改正でつくばセンター行きの設定が無くなり、平日早朝のつくばセンター発1本のみの運行となり、12月に休止となってしまいました。1本のみながらいろんな車両が充当されていて、中型車から長尺車そしてノンステまで入っていました。あそこ、のどかな所を走っていただけに何度も乗りに行った記憶があります。



 2001年に投入された元京成バスの第1陣です。当時は新手の中古車としてバリバリ活躍していました。しかし、後に続く車両が増えたものの、第1陣はいつの間にか古参車の仲間に入り、そして消えていきました・・・。時代が経つのは早いものです。下の9163TCは2003年当時全面ラッピングがなされていましたが、2004年にラッピング解除されています。


 こちらは1998年式の1771TCですが、1771TCは液晶表示の試作車でした。そのため、側面行先表示は大型のものを装備している事がポイントです。しかし、液晶表示は見にくいそしてメンテナンスが大変という事で、2004年にLEDに交換されてしまいました。


 イチョウの木が並ぶ筑波大学構内を走るバスです。紅葉シーズンになると、イチョウの並木が色づいていました。

 7.水戸



 1986年式のエアロミディです。型式はP-MK116J。つまり、先代のエアロミディですね。水戸には1358TC~1360TCの3台がいました。水戸には三菱ふそうが多かっただけにこのタイプもスタンダードでしたが、2004年に廃車されてしまいました・・・。P-MK116Jといえば帝産バスと京阪バスで何度も乗りましたが、前中扉車はなかなか馴染まなかったような気がします・・・。


 水戸に入った2003年新車のエアロミディの中型ロングです。2003年は初めて中型ロングが入った年で、水戸にはエアロミディが入っています。しかし、1台のみで終わってしまいました・・・。明光台団地・・・、今はその行き先も無くなりましたね・・・(単なる途中停留所に・・・)。



 水戸には元西武バスの日デP-U32Nがいました。前期タイプで、富士5Eは写真の9073MTと9074MTが最後でした。以後は富士7Eも多数投入されましたが、今は全ていなくなってしまいました・・・。

 8.関鉄パープルバス


 パープルバス所属の万博車です。いすゞ+富士5Eの1270Pとキュービックの1322Pです。分社化時に移籍したものですが、2004年に廃車されてしまいました。


 2003年に投入された元ちばグリーンバス?のキュービックです。この車両は関東鉄道本体に入った京成中古車とは異なり、車内更生が行われている事がポイントでした。したがって、内装は元京成というより関東鉄道オリジナルに近い感じでしたね・・・。

 9.関鉄グリーンバス

 石岡駅~石岡医師会病院の路線です。確か、石岡市コミュニティバスの運行開始に合わせて石岡駅発着の零細路線が一部を除いて一斉に廃止され、その中でも生き残った数少ない路線だったような気がします。今は廃止され、石岡駅~林~柿岡車庫の系統の一部が石岡医師会病院に立ち寄る形になっています。

 10.関鉄メロンバス

 元千葉交通のいすゞジャーニーJです。1988年式のP-LR312Jです。前後扉で、前扉後ろに側面行先表示器が付いている事がポイントでした。この車両はメロンバスのグルーんバスへの統合後にグリーンバス籍になりましたが、ほどなく廃車されています。関東鉄道グループにおける元千葉交通の車両はこの車両が唯一でした。

 以上ですが、色々思い出すとキリありません・・・。10年という歳月はほんまにあっという間ですね・・・。当時はつくばエクスプレスが開業する前で、高速バスのつくば号が全盛時代で、各地にいろんな路線がまだ運行されてましたねぇ・・・。

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3 コメント

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懐かしい画像ですね (ももいわそう)
2014-06-02 02:04:23
関東鉄道バスないしグループ会社が譲渡車両を導入の開始時期が平成に入ってからになり、まだモノコック全盛?の頃です。その時に導入されたのが神奈川中央交通のブルドックや京阪バスの日野プラス純正と富士重工製の前後扉の車両でした。驚いたのが元千葉交通のRJの前後扉のみならず、元千葉海浜交通の日野純正の3扉車の導入でした。
今では路線用だけでなく高速用も親会社にあたる京成バスないしグループ会社からの調達が、主ですね。
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Unknown (斬剣次郎)
2014-06-03 01:04:57
 ももいわそう様
 コメントありがとうございます。

 私が撮影するようになった時は既にモノコックボディが全滅危惧になっていたころなので、ほとんど知りません。でも、万博車がゴロゴロいたときなので、撮影できてよかったなぁと思っております。
 しかし、一時期大多数を占めていた京成バスからの中古車は減少気味のようで、どんな展開になるか・・・。
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Unknown (Unknown)
2019-03-16 15:08:35
潮来(鹿島)・波崎を忘れてはならん!!
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