元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.1.193  「長岡花火(その2)」のお話。

2013年08月09日 | 日記

「長岡花火(その2)」のお話。         「長岡花火」は毎年8月2日と3日の2日間、開催される。私が見学した初日は、主催者の発表で47万人が約1万発の花火を楽しんだという。最初に長岡市長のあいさつの後、今年の7月末からの豪雨で犠牲者が出たことを受け、観客らが黙とうを捧げた。更に長岡空襲の犠牲者の慰霊と平和への願いを込めて「白菊」という花火が打ち上げられた。

「長岡花火」は1か所から打ち上げる「新潟まつり」の花火と違い、同時に5~6か所から打ち上げられる花火が多い。幅広く打ち上げられる花火のため、私のカメラでは全景を写せない。また、首が痛くなるほど顔を上空に向けないと、花火の全容が見えないほどの大きなスケールで迫力がある。特に映画「この空の花―長岡花火物語」の主題曲に合わせて打ち上げる「花火」、多くのスポンサーが出資した「天地人花火」、そして伝統の「正三尺玉花火」などが夜空を彩ってくれた。

「フェニックス花火」は観客の目の前に次から次へと迫ってくるような花火で、正に圧巻であった。最後にカメラのフラッシュをたいてこの夜の花火を打ち上げてくれた「花火師」の皆さんにお礼のサインを観客が送った。大きな拍手の中、午後9時15分過ぎに「長岡花火」は終了し、私達は信濃川河川敷の観戦席から駐車場まで、帰りを急ぐ多くの観客と一緒に約40分歩いた。午後10時15分、観光バスは新潟に向け出発した。

予定到着時刻よりも約30分程早く、翌日の午前0時5分に新潟駅南口に到着した。この日、万歩計は≪約14.000歩≫を示していた。たいへんお疲れ様でした。


「長岡花火」       最初に今年の7月末からの豪雨で犠牲者が出たことを受け、観客らが黙とうを捧げた。

「長岡花火」      長岡空襲の犠牲者の慰霊と平和への願いを込めて花火「白菊」が打ち上げられた。

「長岡花火」

「長岡花火」     観客席の脇にかかる橋の上から「ナイアガラ瀑布」の花火が上がった。

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」


「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」

「長岡花火」     花火の中に花束が入って見える花火。

「長岡花火」      帰路を急ぐ観客。

「長岡花火」    渋滞の続く道路を走る観光バス。翌日の午前0時5分に新潟駅南口に到着した。