じゃっくり

日常をひたすら記すブログ

二人の作家に触れて

2006年04月17日 | 雑記
松江文学祭、山陰文学学校の講義に参加してきた。会場は松江であるからして、車でだいたい二時間の距離だ。この会に参加しようと思ったそもそもの理由は、単純に小説がうまくなりたいからであったが、それが直前になって、小説を書き始めるにはどうしたらいいのかに変わっていった。僕はここ数ヶ月、小説のようなものが書けなかったのだ。

 二人の作家が紹介される。車谷長吉。知らない。高橋順子。知らない。この時点でこの勉強会に参加する資格がないような気がするが、二人に接して今のスランプから逃れられることができようものなら、そんなことはどうでもよかった。

 二人が話したことを箇条書きにしてメモしておこう。

車谷長吉氏
・えとうじゅん先生が師匠である。近松を読めと教わる。
・二十五歳から小説を書き始めた。
・四十八歳で結婚。相手は高橋順子氏である。
・家は農家である。百姓である母にも分かるような小説を書こうとずっと思ってきた。
・まずは読むことから始まる。その後、書くのだ。
・夏目漱石を読んで「これはかなわないな」と思った。
・大学時、目がつぶれるほど本を読みたいと思い、大学図書館に貯蔵されている三百万もの本を全部読みたかったが、計算上無理なことで途方に暮れる。
・大学の講義のとき以外は図書館にひたすらこもった。八時半まで、追い出されるまでいた。
・図書館に年がら年中いる盲人の五十歳程度の男性がいた。彼の傍には奥さんとおぼしき人がついて、目が見えない彼のために小さな声で読み聞かせていた。ローマ法についての本だったらしい。
・かむら磯多の「業苦」を読んだとき、自分も作家になれるかもしれないと意識した。
・文学とは、人間とは何かである。状況設定をして、それに人間を交わらせるものである。
・小説とは、人間とは何かの答えを書くことである。
・人間の大部分はお金のために生きているが、死ぬために生きている人もいる。
・人間だけが死ぬことを知っている唯一の生物である。それは悲しみである。そして、それを書くべきだ。
・人は死ぬことを恐れている。
・人の寂しさを感じとることが大切である。
・食欲と性欲が人間を不幸にしている。高度成長期の到来で食欲は大分克服できたが、性欲は難しい。
・小説には「虚」と「実」を入れなければならない。そこに面白みが生まれるのだ。私には三対七程度がちょうどいい。
・小説家になるためには覚悟がいる。陰口を表口でもきくということだ。悪人にならなくてはいけない。
・今まで五十冊ほど書いてきたが、命と引き換えにしてもいいというものが五つある。「鹽壺の匙」「漂流物」「赤目四十八瀧心中未遂」「灘の男」だ。特に「鹽壺の匙」は思いいれが強く、八十二枚の作品が出来上がったのだが、それまでに二千枚も書いていた。削りに削った。

高橋順子氏
・小説は事実に基づくが、必ずしても事実ではない。事実そのままだと作文になる。小説や詩にはならない。
・車谷は他人のみっともなさだけではなく、自分のみっともなさも書く。
・ここ十年ほど本を出版していない。十年ほど単独で詩の出版会社をしていた。
・冬に車谷と一緒に世界一周の旅に行った。船の中でスペイン人と会った。「アサッテサーナ」とは「ありがとう」の意だが、「あさって、サウナ」と覚えたらいい。
・詩とは日常とは違うところにある。日常に風穴を開けるものである。その風とは谷川俊太郎曰く、「この世とあの世を結ぶもの」である。
・小説は右手と左手が喧嘩しているようなものである。
・詩には人間であることを越えていきたいという思いがある。日常ではない、あるところに出られたものであるべきだ。虚だけである詩が多い。しかし、土台が虚だと詩にはならない。
・小説は実の中に虚が含まれていて、詩は虚の中に実が含まれている。
・車谷は小説を書き終えると、葛藤が始まるという。私は達成感を感じる。
・詩人の茨木のりこさんが今年の二月に他界した。遺書があった。「この世とおさらばします」の「おさらば」が茨木さんっぽくていいなあと思った。
・相手がいない、他者がいない詩を書いている人が多い。
・パソコンで書いた詩は見当がつく。変換して、あ、これいいかもと簡単に選んでいる。
・他のことが見えていない人が多い。自分に沈んでいく詩が多い。
・詩は分からなくていいものだ。

 僕にとっては、まるで長年溜めこんできた荷物を一斉に除去したような開放感を感じることができた講演であった。小説とは人間を書くことである。なんというストレートさ。風景描写や比喩などに惑わされ、何を書いていいか迷っていた自分に与えた影響は大きい。
 
 また、小説は架空のことで、全部嘘なんだよと思ってきた僕としては、実を書いていいんだよと言う車谷氏の言葉は、おそらく懺悔をして救われたカトリックの様であったであろう。

 書けないスランプに陥っていた僕は、あまあまのあまちゃんなのだろう。車谷氏は「鹽壺の匙」を二十九歳で書き始め、四十六歳で書き終えた。その間十七年。とてつもない歳月である。あきれて、ちょっと目が潤んだ。

 書き急いでいる。急ぐな、読め、読め。書くのは後でいいのだろう。