田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

片づけ下手(4)「足ることを知る」生活のもたらす満足感[1]

2009年02月01日 08時31分56秒 | 整理学考
人間と犬や猫などの動物は、生物としては基本的に違いはない。それなのに、動物は裸で暮らし、人間は手厚い衣食住の多重防護の中で暮らしている。文明とは人間を環境から多重防護している度合いを言うのかも知れない。今人間の世界はどこを見渡しても、「不足」が起こり、そのために戦乱や犯罪が多発している。これも動物の世界とは全く違うところである。
驚いたことに、われわれは「無しで済ます」ことに我慢が出来なくなっている。世界のレベルるから見れば日本人は高所得であるが、無しで済まされないために常に「不足」を託つ生活になり、それを満たすために足下の自然環境をぶっ壊すことを平気で行っている。
われわれの周辺の情報の半分以上は広告宣伝である。新聞やテレビ番組の中に占める広告の割合は半端じゃないことをわれわれは自覚しているが、広告につられて色々なものを買い込むことが生活に潤いをもたらすと信じ込まされている。そのことを基本に据えるから、生活費が足りないという不満が起こっている側面がある。
たとえば台所に立ってみるがよい。昔は、竈(かまど)と釜と鍋と包丁とまな板があればすべての料理は出来た。食器は茶椀(おわん)とお皿があればよかった。後は食材を入れる器や水を入れる器があればよかった。今はどうか。今は食器以外は台所からなくなっていることもある。その代わり台所はシステムキッチンといい、内部や外部がずらりと電化製品でつながる。鍋釜は調理器具といい、どえらい種類の器具が商品化されキッチンの内外に配備され、食器類も東洋、西洋のものが居ならび雑貨店さながらの様相を呈している。これが、不足を託ち、広告宣伝で慰撫されている内に夢遊病的に買い込んだ商品群なのだ。これはもはや道具類ではない。あらたな広告宣伝は次々に、これらのものの買い換えを促し、われわれはきそって欲望に向かって走り出す。こうして、家庭内は台所も含めて、かいこんだ製品で一杯になり、当然のことであるが粗末に扱い、次々に廃棄していく。買い込む商品は長持ちするものが少なく、むしろ途中で放棄する方が好ましいとメーカーは消費者を誘導する。メーカーは常に新機種や新バージョンを用意し、旧い製品の廃棄を迫る。ふるい商品は廃棄物の山を作り膨大な費用を消費者が後追い的に払いながら、全体として水質や大気の汚染、温暖化現象などの原因をつくる。われわれ消費者は、めちゃくちゃ長時間労働をし、つまらない(足ることを知るという価値観から見れば)商品を買うことに命まで削る。現代は、人類は「足ることを知る」という価値観に少しずつ目覚めていると思われる。商売人よ、消費者を馬鹿にしてはいけない。自動車、電機産業、生活雑貨産業、食品工業、住宅産業・・その他も多々あるがは、戦略を完全に変えなければ立ちゆかなくなるのではないかとさえ思う。

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