田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

151230薩摩国から届いたサツマイモ

2015年12月30日 12時04分39秒 | 愛・LOVE・友 
サツマイモが日本にやってきた経路は、種子島から薩摩半島南端の山川町であることが知られている。サツマイモが全国に普及したため、今は鳴門金時とか、紅あずまなどに代表されているが、どうしてどうして鹿児島県には、幾つもの種類が花開き、名物となっている。東京でこれを食べるのは少々贅沢だが。送られてきたベニハルカ(黄色の肉)と安納芋をご紹介します。 . . . 本文を読む

151227国立大学から人文系を減らせ・・・安倍暴走の一側面

2015年12月27日 19時48分44秒 | 女性を見る目
安倍内閣のひどい方針が、見事に示されているのが、国立大学に人文系を減らし理工系か医療系に力を注げということである。一口に言えば、人文系は「技術」を身に付けるものでないから無駄、哲学、法学、経済学などの人文科学は、理屈ばかりで役に立たないということである。特に為政者にとっては、自分の政策への批判、反対運動などに繋がっているのが人文科学、社会科学系 の学者でこの先生達から学べばで、批判が増えてこれが世論として成長してくるとヤバイということである。、 . . . 本文を読む

15年前の日記から「いのちは受け継がれるからいのちである

2015年12月26日 23時28分59秒 | 平和
何年かぶりで薩摩焼の里(鹿児島県東市来)を訪ねました。実はMEG・NETのグリーンツーリズムに便乗したのでした。一行は14名、若い人も混じる都会人からなっていました。 最初に訪れたところは、400年以上も前、朝鮮半島から渡来した陶工の一族がこの地に朝鮮村を設営し、薩摩焼を始めた美山というところでした。「渡来した」、「村を設営した」、と簡単に言いましたが、実はこれは拉致でした。当時は秀吉の天下で茶の湯が盛んとなり、陶器、磁器製造はもっとも将来性のある産業でした。日本にはまだ弥生時代以降、須恵器のレベルの技術しかなく、茶椀や茶器はそのようなものとか、ひょうたんとか木をくりぬいたものを使っていました。窯業の先端技術は朝鮮などにあったとされています。そこで、薩摩の王様の島津公が、朝鮮動乱(これも秀吉の起こしたもの)に乗じて朝鮮の陶工たちを「拉致」してきた、そうして産業振興(一儲け)を図った、こういう歴史がありました。この間のことは「故郷亡じがたく候」という短編小説に司馬遼太郎が活写しています。この旅行でこの小説の主人公であり、陶工の中でもっとも輝いてきた沈家(代々沈壽官を名乗る)の15代目、大迫一輝師のお話を聞くことが出来ました。その中で驚いたことは、土をひねるという手作り陶芸が純血の一子相伝の形で15代に亘り続いていること、それが薩摩藩の産業保護政策のもとにおかれてきた(陶工一族は士分という厚遇を得る代わりに、代々朝鮮の姓名を名乗ること、すなわち男は村から出ないことを義務づけられてきた)ということでした。一子相伝という形式は旧い日本文化工芸には沢山あり、むしろ普通の形式ですが、そのことよりも政治権力による永代拉致とも思える産業保護が薩摩焼を作ってきたことでした。しかし、経緯はともあれ、強国薩摩の礎を築いたのは伝統工芸であったということです。   . . . 本文を読む

151226 庭の樹木(1) アメリカフウ

2015年12月26日 17時22分06秒 |  身近な自然(植木、小鳥、川)、ペット
アメリカフウまたはモミジバフウという落葉高木は、私の庭に40年も育ち続けてくれている友である。私はこの木を時々抱き占め、幹に耳をあてる。するとサラサラという音がかすかに耳に届く。これは導管に流れる水の音である。この木はたえず地下水を吸い続け、葉っぱからそれを蒸散させている。植物だって動物のように身体を動かしていることがわかる。 . . . 本文を読む

151226 15年前の日記から「公共事業では地元は暖まらない

2015年12月26日 07時31分01秒 | 時評
地方再生の声が賑やかだが、地方からの人口流出は止まらない。その大本の原因は農業が壊れてきているからである。農業がどう壊れているかは別として、地方経済は農業が土台であるという原則が放置され、「儲からないから止めろ」「でも票 がほいいから補助金をばらまこう」となって農家の誇りをきづ付け、後継者がうまれない状況がずっと続いている。そこで農業という固定観念(呪縛)を観光農村というコンセプトで、景観という資源を活かす道がないだろうか?その条件は水田の美しい姿を保つこと。米作りは農村の景観美しさの元なのだ。米作りを止めるなどという選択は極めて愚かだ。世界と競争するために変な生産性を上げるよりも米を景観として、そしてエネルギー資源として生かせばもっと利益が上がる。政治家はダメ、公共投資はダメ、農業はダメ、地域はずたずたに、構造改革の出来ない日本となり苦しみが続く。「補助金をもらわなければ何もできない」という閉塞感が拡がった。 中央に頼らず、自力で産業を興す。江戸時代の各藩はその意気で地域経営をしていた。 各地域に「自分の哲学」で固有の産業構造をつくる。自分で自分の経営をする、もうすぐ市町村はその存在を問われることになるでしょう。補助金頼りもうだめ、中央直結や大企業下請けではなく、住民が主人公で、住民のエネルギーでまちづくりをする、ここにしか地域復活の活路はない。しかし、世は国際化時代で広い視野と人脈、最新の知識情報の入手が必要です。その上に自分の哲学と、実行力と・・・。15年前の日記にそれらしい発案をしてみた。 . . . 本文を読む

151225 大和撫子、侍ジャパン

2015年12月25日 20時19分50秒 | 女性を見る目
女大学はいう。「婦人は別に主君なし、夫を主人と思ひ敬み慎みて仕ふべし。軽しめ、侮るべからず。惣じて婦人の道は人に従ふにあり。夫に対する顔色、言葉づかい慇懃にへりくだり和順なるべし。不忍にして不順なるべからず。おごりて無礼なるべからず。これ女子第一の勤めなり」男女同権なんか、この頃の思潮ではちんぷんかんぷんの世迷い言だった。女大学を記したという当代、元禄の世の第一人者のインテリが著したという女大学。その記述を見るとビックリだ。 . . . 本文を読む

151225 今年もクリスマスへ

2015年12月25日 08時19分06秒 | 愛・LOVE・友 
もう、教会に通い始めて何年経ったのだろうか?といっても、私はクリスマスの時だけ教会の門をくぐる偽信者であるが、あの温かいクリスマスキャロルが大好きで、信者と一緒になって思わず唱和する。今年は上池にある小さな教会に行った。参加者はせいぜい20名程度、和やかなクリスマスイブだった。 . . . 本文を読む

151224 15年前の日記「ブラジルに農業移民した佐藤さん(秋田県)」

2015年12月24日 14時11分40秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
ブラジルに滞在しているとき知り合った佐藤さんの思い出です。佐藤さんは既に故人、それも何とはるばる日本を訪れようと、車にお土産を満載してサンパウロ空港まで来たところ、交通事故に会って車が転倒、即死されました。私は約束の日時に私の事務所に待っていたのですが、いつまで待っても現れないので、知人を介して現地に問い合わせたところ事故を知りました。ブラジルは交通事故の多い国です。輸送はほとんどが自動車で、広大な国土に拾い国道が縦横に拡がり、そこを物資を満載したトラックが走り回っています。15年前の日記から其の思い出を記しました。 . . . 本文を読む

151224 23年前の日記「ブラジルの日系移民の星と出会う」

2015年12月24日 11時42分24秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
1992年、ブラジルに渡ったとき、日系民の星といわれるN翁と触れあった。彼は裸一貫でブラジルに渡り、鍛冶屋から身を起こして有数の農機具会社を育て、世界記号になった。彼の凄いところは、儲けたお金を教育に再投資したところにある。彼は工業も取り入れた農業高校を作った。ここで内外の留学生も招き全寮制の知行合一の教育を施している。、この記録は日本から訪ねてきた若き研修生にお話しをしているところを私が盗聴しておいたモノである。 . . . 本文を読む

151224 20年前の日記から「損だよ、損だよ」

2015年12月24日 11時27分19秒 | 女性を見る目
老いも若きも、男も女も、農村も都市も、何かにいらだち、おびえ、腹を立てるご時世です。 昔はどうだった?とは問いませんが、もう少し世の中に笑いがあったように思いますが。笑いだったら、お笑いタレントがごまんと居るブラウン管の中を見よと誰かがおしゃっていましたが、あれは「商売」で演じたものだから、乗りにくいですね。それにだいぶん下品です。 昔と比べて最も違うのは世の中が豊かで便利になったことです。それを実感するのは、腹が減ったとき。家を出てちょいと歩くだけで、食べたいもの何でも、いくらでも手にはいる。不足とか欠品とかいう言葉が死語になったかのように。「食べる」ということについてこんなにすごい、うらやましい時代を作り上げたのに、皆さんはそれに大いに満足しているかと言えば、いらだち、おびえ、そして腹を立てているように思えます。 . . . 本文を読む