温室効果ガスの削減問題は、地上の人類の喫緊の課題としてますます大きくなってきた。お金がかかるからとか、先進国の責任だとかとか愚図ぐずいって、これをさぼれば、その国のリーダーは直ちに退場を迫られることだろう。温暖化ガス問題は、すべてに優先して取り組まなければならない問題であることがいよいよ鮮明になってきた。「もう黙って這いあられない・・・」(写真はサツマイモ) . . . 本文を読む
090924鳩山首相は気候変動を論ずる国連総会において、あらゆる政策を動員して温暖化ガスを2020年までに1990年比で25%削減すると演説した。これには各国が拍手喝采した。またこれまで、消極的であったアメリカや中国を同様な削減の方向に引っ張る効果が期待されることで、これでようやく温暖化ガス問題についての国際的な連帯が(遅まきながらも)大きな前進を見せることとなった。この発表で、我が国の鉄鋼、電力、自動車、セメント等の産業界は強い衝撃を受けるとともに、財界の総力上げてこれを阻止する動きを強化しようとしている。財界よりの一部マスコミも、この発表を軽挙であり、実現は不可能な空想として、家庭や企業の負担が耐えられなくなるほど大変であると攻撃している。
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私は前日の4日、東京の多摩川台公園で「田園調布九条の会」の仲間と花見を行った。九条の会とは平和憲法を守ろうとする市民の運動である。樹齢数十年のソメイヨシノが大量に植えられている多摩川台公園は、丘陵をほぼ占領して整備され東京でも屈指の貴重なみどり資源である。ここで昨年から、半分宣伝を兼ねた「飲み会」を行う合意が出来ていた。 . . . 本文を読む
今日は快晴の日曜日ということもあって宇治川のほとりは桜の花を見に来た人たちで一杯であった。テントとは川岸一帯に張られ、お土産やお弁当の屋台がずらりとならぶ。この風景は明治、大正、昭和とほぼ同じ形で続いてきたのではあるまいか。まだ午前中なのにぞろぞろと歩いている人々の幸せそうな顔、顔、これは45年前もいや100年前もそう変化はなかろうし、風景も同じようであったに相違ない。宇治上神社で結婚式を終えたばかりのカップルに出会った。 . . . 本文を読む
宇治の地を初めて踏んだのは1964年の4月であった。その目的は黄檗山万福寺での新入社員教育であった。45年の月日を隔て、今ほとりにたたずむ私は、当時と寸分違わぬ風景の中にあってウソのような静寂の中に一瞬焦げ付いたような濃縮した自分の歴史を解きほぐそうとしていたのだった。何よりも宇治川の清流とそのほとりに誇らしげにたたずむ平等院鳳凰堂の姿には改めて息をのむのであった . . . 本文を読む
「朝ぼらけ 宇治の川霧 絶え絶えに 現れわたる 瀬々の網代木」(百人一首)の実感を味わったのがついこの間、2009年の4月5日である。薄墨を流したような山間にたなびく川霧の宇治の風景は、ここ宇治川では良く見かけるという。宇治といえば宇治茶であるがもしかしてその川霧が関係しているのかも知れない。宇治川の源流は琵琶湖であり、琵琶湖の源流は滋賀県の比良山系や鈴鹿山塊にもある。大津の瀬田の奔流が宇治川になり下流は名を代えて淀川となる。歴史と風物に満ちあふれた都の宇治は、わが青春時代に幾度と無く遊び、愛した場所である。
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臓器移植を受ける人のある部分は、もしも臓器の提供者が犯罪者だったりした場合は、その提供者の素質がそのまま移行してしまうのではないかという「迷信」にとらわれている。角膜の移植を受ける人は、提供者が生前に網膜に焼き付き、トラウマになっているショッキングな映像を繰り返し、見ることになるという「迷信」も。こうした迷信は、生命の本質に関する知識の曖昧さからきている。 . . . 本文を読む
土づくりの難しさと易しさ(1)
トマトに限らずあらゆる陸の植物にとって、土壌は基本である。しかし、土壌ほどよくわからないものはない。土壌学とか植物栄養学とか難しい本に頼らないで本能に従ってそれをつくり、管理していけばよいのかも知れない。
生ごみは、昔の人は全然厄介ではなかった。屎尿ですらそうだ。昔の人は土地の上に生きていたが、今の人は土地から離れて生きている。そのため、生ゴミや屎尿を土に返すことが出来ない。
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近年、私はふとしたことから国民的作曲家の古関裕而さん(1910-1980)のご長男の古関正裕氏と知り合うことになった。古関裕而さんといえば、昭和の時代を生きてきた代表的な作曲家である。その作品を語る必要がないほど、誰でも、しばしば、場所を問わず、日本国中古関メロデイを耳にしているはずである。でも念のために、それらを一部記しておく。 . . . 本文を読む