田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

子どもたちに美しい地球を贈ろう(1)・・4.4度気温上昇で世界の食糧供給は尽きる。

2007年12月31日 15時30分53秒 | 時評
英国のインデペンデント紙は2007年2月3日付記事で、地球の平均気温2.4度上昇で珊瑚礁ほぼ絶滅、3.4度上昇で熱帯雨林は砂漠化、北極に氷がなくなる、4.4度上昇で地球の殆どの生命は消滅しまうと記載しています。元首相の安倍さんは「美しい国を作り」といいました。私は「美しい地球を子供たちに贈ろう」といいたいです。安倍さんの「美しい国」は、ちょっとおいといて、温暖化ガスの発生を抑えて、美しい地球を取り戻すことです。国と国が戦争をしたり、対立をしていたりしたら、そんな暇はありません。 . . . 本文を読む

戦争末期、苦悶の日本史(5)  戦陣訓 御(み)国に薫(かお)れ 桜花

2007年12月30日 13時08分27秒 | 平和
1941年(昭和16年は、日本が破滅の道を政治選択した年である。その選択の是非については、議論が分かれているが、事実関係を冷静に見ていけば、本質が透けて見えてくるだろう。しかしこの選択の是非を論ずることは意味がない。それよりも、軍事強国、軍国主義国家になった道程を事実で検証し、この道を二度と歩まぬための教訓をそれぞれがいかに見いだすかであろう。 . . . 本文を読む

戦争末期、苦悶の日本史(4)  銃後も武装せよ

2007年12月30日 10時31分48秒 | 平和
昭和17年(1942年)は、大戦まっただ中だった。「非国民」「欲しがりません、勝つまでは」などの標語が氾濫し、マスコミは「一億はすべて武装せよ」と悲痛な論説を繰り返した。ミッドウエイ海戦では、帝国海軍は空母4隻を失うという屈辱的な大敗を喫し、大陸では三光作戦という毒ガスによる攻撃が行われた。これを契機に軍国日本の奈落と崩壊は決定的になっていった。 . . . 本文を読む

プロ野球に横綱は要らないでしょう--G球団を笑う

2007年12月30日 10時09分52秒 | 時評
巨人、大鵬、卵焼きという言葉が、巨人の9連覇、大鵬全盛時代の昭和の40年代に流行しました。巨人の9連覇はすばらしい選手を育てたことに原因がありました。しかし、9連覇の後、当然のことといえ、各球団の力は均衡してきました。強ければ人気が出る、人気が出れば儲かる、自分が横綱でなければならない、手段は選ばないという、考えが根付いてしまいました。G(巨人軍)は、その亡霊に今でも悩まされているようです。選手が公平に行き渡れば力が均衡するから、これから9連覇なんてできっこないのですが、あの頃の味が忘れられないのでしょうか、10年ぐらい前から、Gはだめなチームになりました。 . . . 本文を読む

来年もトマトを作りたい・・田園調布でトマトフレンドが出来ました

2007年12月29日 22時36分35秒 | トマト
私の数年間、地元で友達作りに励んでいます。英語サロンに二つのコーラス、そしてトマト。市民農園も。ここ田園調布も少子高齢化が進み、子供は滅多に見かけません。お年寄りは家に引きこもり、町には客気がありません。東京が景気がよいなんて、ウソ・・です。仕事を引退し、私は、めずらしいトマトのタネを全国(北海道から沖縄までの20都道府県の農家にお配りし、遊び心で農村を楽しくしないかと、呼びかけました(2004年)このトマトは各地に新鮮は驚きと興奮をもたらしたようです。そして出来たトマトでトマトフェスタを行いました。今年で3回目、回を重ねるごとに面白くなってきました。 . . . 本文を読む

卑しい資本主義。自然を壊して金儲け(1)・・・癒しブームと病院造園研究会の思い出

2007年12月29日 22時15分52秒 | 時評
これは、私が2001年にあるところに公表した記事である。 熱帯雨林が薬用植物の宝庫として注目され、先進国の製薬会社が新薬の原料と先住民の知識を求めているという大々的な記事がある。現地住民は薬草や知識の権利を主張、新たな南北問題にもなるかと結んでいる。  今から35年前、私は緑化事業という仕事をはじめ緑の勉強を始めた。樹木学をはじめ林学や風致森林学、生態学、造園学、建設、土木学などを広くかじった。京都大学農学部に日参し、演習林で助手達から話を聞くことが私の日課でもあり、楽しみでもあった。当時驚いたことは助手たちとした熱帯雨林の雑談だった。当時京都大学は熱帯雨林の未知の魅力について研究を始めていた。話の内容は実に懐の深いものであった。当時触れた昭和49年(1974年)中央公論社発行日本森林誌「もりやはやし」(著者 四手井綱英、当時京大教授)に、タイ国の熱帯雨林を踏査したとき印象的な話が残されている。 . . . 本文を読む

ブラジルをかじる(5)

2007年12月29日 21時32分55秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
私は想像しています。西暦1500年、ブラジルの南部海岸に上陸したポルトガルの航海士(P.A カブラル)の前に展開されていたブラジルの風景は、疑いもなくざわめく濃緑の森林、山々、大河、海、鳥獣の喧噪に満ちた大自然とともに、そこに居を結ぶつつましやかなネイテイブ達(インデイオ)によって構成されていた。先住の民はフルーツに小動物、河魚、そしてマンジョッカ(タロ芋)、薬草、野菜など汲めどもつきぬこの豊富なバイオ資源のもとで、原始的な共同社会を設営していたのであろう。 . . . 本文を読む

ブラジルをかじる(4)

2007年12月29日 21時32分51秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
話が脱線しましたが、これから機を見て、ブラジルの農業、農民、日系農業者、日系農業者の経営、日系農業者と日本の農業者の連携の条件、農産物における日伯農業の協同の実践例の考察、国際農業者提携(ビジネス)の姿形などについて、思いつくままに議論を提供したいと思います。 . . . 本文を読む